非日記
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そういえば、大家さんはどうなったかというと、行方不明だ(笑) 笑い事じゃないだろ。
たぶん、入院か何かしたなと思われる。 今迄も時々、暫く見掛けないなと思っていたら、入院していたらしい事が後でわかったので、体の具合で入院したか、それとも脳検査で入院したかどうかわからない。 身体的な問題で入院したとしても、その最中に微妙なボケが発覚して、なんらかの処置や心構えがさせられたらよかろうと思うが。ただの老人性痴呆ではなくて、脳に原因(一部の血管が詰まったとか、腫瘍ができたとか)が発生している事もあるらしいし。
しかし、大家さんは子供の時からずっと頑張って来て(たぶん遊び方も知らないぐらい)、私が入居した当初から結構な高齢だのに随分かくしゃくとシッカリしていたのだから(シッカリ度を比べたら、J子さんや私など足元にも及ぶまい)、自分がボケてきてるというのは、本当に不安なんじゃなかろうかと思う。 当然できていた事ができなくなるというのは、身体的な事や、わかりやすい能力に関しても結構ショックだものな。
人は時々、生きてるだけでは駄目だという。 だが、心をもった人間が生きる事は、昆虫や機械がただ壊れるまで活動を続け、生き続ける事とは違う。それだけで、ある種の能力を、力を必要とする。きがするよな。
それまで自分のものと意識すらしなかった、その自分自身の思考感情といった精神が、自身の制御を離れていくのが自分でわかるというのは、どんなに恐いだろうと思うんだけど。 少なくとも、私は猛烈に恐かったし、今も恐い。
はがねのれんきんじゅつし>> 「面白いよ」と言われてたのだが、テレビの方がどうしても見れないでいるので、つい。 だいたい私は、一巻が本屋に出たときから気にはしてたのよ。絵が好みだったのだ。それに、タイトルがカッコウ良いだろう。少年の心を擽る。 三巻が出たときには、もっと気になったのよ。相当気になったのよ。表紙に黒髪の短髪で目の小さい人を発見したので。
読んで、ちょっと気になってるのは、他人の腕一本が魂とやらと等価になりうるのか?という謎だ。 私の感覚では、全心の等価は全身だ。 人間は機械ではない。 ソフトに欠陥がある、破損しているからって、簡単に入れ替える事はできないんだ。入れ替えたら、たぶん、それは違う人間だ。 生物と機械の進化の違いは、生物の進化に於いては古い機能を捨てない事だそうだ。まさしく構造的にそうだ。うならされる。 たぶん、人間の成長というのも同じなんじゃなかろうかというきがする。
カフカの「変身」がどうも虫が好かないなのは、徹底的にラストのサワヤカさだ。グレゴール・ザムザ君が人間で、家族であったときの事を無かった事にしてるだろう。 …あれが気に入らん。グレゴール君が存在した事も、グレゴール君が虫になったという事件も、それを殺害したという事も、何の意味も無かったのかと思うと…なんつーか胸くそ悪い。 あれはまさしく機械的な処理だ。心を入れ替えた。擦りかえるように。 「虫に変身したグレゴールザムザ君の心は人であったときのまま変わらないが、人のまま変身していない家族の心は変わっていく。タイトルの<変身>は、物語に織り込まれた二つのメタモルフォーゼを象徴的に表現している」みたいな話を聞いた事がある。 機械と人間を比較するとき、時々、この話を思い出す。 人の心を維持し続ける為には、グレゴール・ザムザ君が虫になった時、同じように虫になるべきだったのではないか、グレゴール君への気持ちが人であった時と同じままだったのなら、やがて家族も虫になったのではないかと。グレゴール君の家族は、体を変えずに心を捨てたんだ。あるいは、グレゴール君は、家族への思いを維持し続ける為に、変心を拒否した為に虫になったのではないかとかな。 グレゴール君が虫になったとき、家族も虫になったのなら、人間の体とは虫の体の事になったのだろうに。 そして、ルールの事を思う。ルールは体のようなものよな。
それはともかく ただ、魂という抽象的なものではなく、思考パターンという意味でなら腕一本でもナントカなるかもしれんと思ったりもする。 とすれば、弟君は(心も)永遠に成長しないって事になるだ。
ううーん。 私的にはここが気になるんだが、まあいいか(笑) あの「欲しいなら必要ならやる。自分のもっているものは命も体も心も全部もっていくがいい。だからかえしてくれ」と希う激情は…、心あたりがあるってゆふか、いじらしい感じがするものな(笑) しかし、仮にそれで返って来たとしても、その時には、それを知る事もないんだが。 例えば、どれほどに怒り悲しみ憎んだか知らしめたくて分かって欲しくて相手を殺害したなら、その時には感じて欲しかった知って欲しかった、その相手はもはや存在しないのに少し似ている。
…いかん。 やはり、「腕一本なら安い!破格だ!ダンピング反対!」などと思ってしまうだ(駄目ジャン) でも楽しいわねー(腐)世知辛い世の中は無視だ。 ぎゅーん☆(無邪気なキモチの表現)
しかし、やはり主人公が子供なのでイマイチ腐女子萌えしない。 だがきっと、例によって主人公受が世には多いのではなかろうか。わからんが。 …攻なら良いよ?(←殴) 私は、体がチャイルドだと、たとえ中身が神秘の秘法で熟年であろうが受にはできない趣味なのだ。頭では分かってても心臓がときめかない。 ちょうど「AKIRA」のアキラ君のようにな(なんてわかりやすい趣味!)
心臓はね、二巻の107ページから109ページに激しくときめいた。 この三頁は私のツボというツボを一撃で全て押してくれたので、アベシって感じで世界にさよならするしかなかったのだ。
しかし今最新刊まで一応読んだが、さっぱりわからんね。 「公も私も無い(私は全部私だ)」と力説されていて、そこは件の三頁の為に、彼を愛す私も思わず姿勢を正すほど素晴らしいのだが、しかしそれで大佐が一体何をしたいのかが。 サッパリ。
…いや、だから要するに顔も好きなんだが。本屋で表紙見て、「私はコレが好きだね。きっと好きだね」とバッチリわかったぐらいだ。 アキラ君に似ている。 しかも年食っている。 子供の体じゃないアキラ君(顔)
なんてこと!?理想だッ!(アホ)
後ろの四コマと表紙外したときの中が好きだー(笑)
大家さんが、ボケました☆
夜になると、トントントン。何の音?大家さんの音〜♪ 大家「助けてくださーい!」 私「はあ?なんでしょう」 やってきます(苦笑)
大「家に誰もいないんです!誰も助けてくれない!」 私「まあそれはタイヘンですねー」←適当。なんの事やらよくわかってない。 大「一体誰が家賃を集金に行ったんです?私はやってないのに」 何年も前から集金には誰も来ておりません。皆自分で大家さんの家に払いに行っています。 さらに、色々と時間軸の狂った事を言い、うろたえてます。
…どうしよう?(笑)どうしようもない。
こんなに、ある日急に来るものなのだろうか? うちは皆ボケる前に急死しているので、よくわからないな。 まるでどこかのボタンを掛け違えてしまったように、ちょっとしたところから少しずつオカシイ事を言う。ううん? やはり何かオカシイ気がするな。 今度ヘルパーさんがいらしていたら、昼間はどうなのか、ちょっと捕まえて聞いてみよう。私だけにオカシイという事もありうる。
いつも一人でテレビを見るような生活のようなので、いつかボケると思っていたが。 今、大家さん宅に誰もいないというのが気になる。私は直接話した事は殆ど無いが、確か、息子が一人戻っていたはずだ。それも居ない。そこがちょっと気になるな。 一昨日辺りに何かで暫く出掛ける事になり、大家さん一人になり、それで夜中に突然パニックを起こしたのかもしれない。もう数日しないと、ちょっと様子がわからん。一時的なものかもしれないしな。
しかし、この手応えの無さ、思い出すね(笑)
大家さんの描く線がクネクネしだした。どうしたんだろう? で、大家さんの家族はどこへ消えた?(苦笑)
風邪ひいたのが悔しい。 「楽しんでくれ」と言われたが、とても楽しくない。
あれこれ> 「私、あんまり痩せてる人は、なんだか恐いんです。もちょっと食べた方がよくないですか?」 と余計なお世話的に言ったところが、とても痩せてる同僚は 「こー…、夏なんかにTシャツなんか着ると…(我ながら)とても貧相なんですよね」 とおっしゃった。グッジョブ!良い表現だ。なるほど、その単語があったわ。さすがは文系だ。「漢字の書き取りは得意」と言うだけある。 現代はネフェルティティの胸像に影響されたか知らんが、バリバリの痩身美時代なので、「恰幅が良い」「福々しい」や「貧弱」「貧相」などという言い回しや単語は、めっきり聞かなくなった。
「サイズがなくて、女物のズボンをはいてみたりするんですが、すると丈が足りなくて困ります。形が微妙に違うし、弱いし。」 「ハッハ!お尻が膨らんでるんでしょう。数年から一年ぐらいで当然買い替えるように想定されてるので、ジーンズでも生地も弱いんですよね。サイズ無いと困りますよね。最近はこんな感じで皆細いのに、私なんか由緒ある土偶スタイルなので、こういう体型だと、ここまで着て、この場所、ここで引っかかるワケです。それで困ります。」 「ハハハ!なるほど」 図説で解説。仕事もせず、私達は何をしているのか? いや、彼は遂に辞める決意を固めたので、私も覚悟を決め、最後の交流を温めているところだ。
買い物してきたお客さんとお話しをする。 客「ちょっと見てゴラン!こんな文庫本二冊で二千円もしたよ!信じられんね!」 同「僕も此間古本屋で買いましたが、元の値段を見たら一冊二百八十円でした」 私「私が若い頃は、文庫本なんか皆二三百円で並んでましたもの」 客「甘い。僕が若い頃は文庫本といえば八十円だった!」 同「おー!」 私「それは本当に良い時代でしたね」 客「歳を感じる」 まだ文化が書店にあり、娯楽が映画館や劇場にあった黄金時代だな。 今の本屋は実用と娯楽だから。
何故か同僚は「何故僕はこんなに映画を見ないのだろう」と憂いているのだが、見なくても生きていける。娯楽は映画だけではない。 同「でも友達皆が当然見てるものも見てないんですよ」 私「だけど、自分が見たくて読みたいものを見て読んでたら、しかも皆が見て読んでるものも見て読んでたら、スッゲー大変ですよ?時間が幾らあっても足りないでしょう。」 同「そりゃタイヘンでしょう」 私「それで私、ハリポッタなんかはスゲ頑張りました。面白いと思い始めるまでが苦闘の歴史でした。」 同「ハハハ」
実は私は、小説の方が読むの苦手なのだ。 人「沢山読んでるよね」 と人に言われる事もあるが、大間違いです。子供の頃はいざ知らず、私は本など殆ど読んでない。 人「普通読んでないのを読んでるよね」 うんまあ、それは言えるかも。それで語れないねん。 読みたい本だけ読んでいたら、とんでもない方向に行くのだ。 おそらく、「人の心がわからんちん」度に関わりがあるのではないかと思われる。小説でも推理小説と恋愛小説は早い方だ。普通の小説は、なんと恐ろしい事に、何故そんな行動をとるのかが不明な事があり、すると苦しみ悶えるのだ。
ちなみにハリポッタで一番わからないのは、ハリーだ。最初の20ページで既にわからなくなった。よって私はハリーについて殆ど語ってないはずだ。 読むのが大変辛かったのは、ハリが何考えてるのかわからないのに、物語はハリ視点ですすむ所為で、ハリが私の読書の邪魔をしたからだ。 三巻はシリウスがいてわかりやすかった。 視点で言うなら、「俺様」視点の方が読みやすいに違いない。よって四巻は入りやすかった。出だしでウキウキした。 何考えてるのか全然わからないので、「ハリはこんな感じなんだろうか?」すら書けない。ハリが虐待?されて育ったせいで、物凄く悲観的で自己否定的で嫉妬深く疑い深く排他的で人間関係に山程問題を撒き散らしながら、ホグワーツに入学したことによって、変なのは自分ではなくダーズリー一家であるという視点の変換を得て、ゆるゆる改善されていく。その自己肯定感が成長し成熟すると共に(その途中で今度は慢心してみたりとか)、魔法使いとしての能力が開花していく…とかだったら、もっとずっとわかりやすくて入りやすいんだが。 そんで、ヴォルデモートは、そんなハリーに対しての、ハリーのようにならなかったハリーとして、対抗馬として登場するわけよ。 そうすると、最終的に、ハリーはヴォルデモートに共感しながらも、ヴォルデモートの原理や行動を否定するという形で、精神的に彼に勝つんではないかという気にもなれるんだが。 これで最後、気絶してる間に勝ってたら笑うだよ。 もしも、ハリーがヴォルデモートに勝つ根源的な理由が「ハリーは母親に愛され、ヴォルデモートは愛されなかったからだ」とかになっちまったら…、あんたそんな事になったらどうする?ヴォルデモートがあまりに可哀想すぎる。 もしも「もう一人のハリー」としてヴォルデモートが位置づけられるのだったら、ヴォルデモートは自分が選ばなかった道の先としてハリーに対抗し(ヴォルデモートが現在の自分を肯定する為には、ハリーを見過ごすことはできないので、しつように狙い続ける理由もより重層的になり堅固になる。)、そのハリーが自分に勝つ事によって「そのように生きる事もできた」と報われるところもあるんだが。 それはただ、見る事のできなかった夢、辿る事のできなかった道であり、個人としての先天的な能力や本質にはかかわりのなかった事として。 自己責任のないところで、悪として生まれ、敗者として死ぬべき者がいて、その事実が肯定されるなんて、そんなあなた、児童書で良いのか?ヤバイんじゃねえの?
これはもうピーターにでも「ヴォル様に栄光と勝利をぉおおお!」等と自らの意志で庇ってもらうしかない。 「全てを裏切った僕でも、彼は受け入れてくれた。皆、出来の良い中で、一人駄目っ子の僕の気持ちなんかわかってくれなかった。何を言われてもされても従うのが当然という態度で、彼等といっしょにいればいるほど、僕は劣等感と屈辱で気が狂いそうでした。離れようとしても、友達だから等と言って離そうとしない。彼等と僕は本当の友達などではなかった。彼等は僕をお情けと憐れみで友達にしてくれていただけだ!まるで自分達の度量が広い事を誇るかのように!自分達が危なくなった途端、僕を手ごまにしようとした。餌で釣り、恐怖で縛るやり方でも、ヴォル様だけがいつも僕に居場所をくれた。駄目さ加減をも肯定してくれた。ヴォル様はいつも悪で、酷くて、冷酷で、家庭内暴力イッパイで、ビシビシ容赦がなくて、僕の腕もなくなったけど、でも戻してくれた。ヴォル様が嬉しそうだと、恐かったけど僕も嬉しかった。ヴォル様のどこまでもとんでもなく前向きで、たとえ死にかけても諦めない硬度一級ダイヤモンドのように強硬な自己肯定の姿勢に、この人はスゴイ人だと、どんなに憧れた事か!ヴォル様は、ヴォル様は僕の、シャイニング・スターでした…ガク」とか。 ピーター、シッカリ!目を開けろ! たとえハゲチャビンでも微笑んで!
うわ、ヤバイ 感動して泣けてくる(笑)
しかし、誰もそんなわかりやすいのは読まないかもしれないな。 苦しみのあまり、ハリドラに走ってアサルシに走ってシリスネに走ったぐらいだ。 逃亡三段落ちって感じ。
今年のクリスマスにはハリポッタの映画が無いのだな。なんだか変な感じ。 ここ二年のフィーバー風潮で、「ハリポッタはクリスマス映画。クリスマスにはハリポッタが上映される」という感じがモロにしてたのに。
休みでエエアンバイに寝ていると、大家さんがやってきた。 「休んでたんですか?すいません」と来る。大家さんは「私ももうお迎えを待つだけになりました」等と日々漏らすように大分歳で自分も毎日しょっちゅう寝てるので、ラッキーな事に「昼間っから寝るなんて!やる事ないんか!?」等とは言わんのだ。 つーか、ここに来た当初、あまりに早くから寝まくって(日が落ちるとともに就寝)、「行方不明じゃ!?」と心配かけたので、馴れてしまわれたんかもしれない。
で、それは良いんだが、何かしら?何かやったかしら?と思ったら、 おもむろに封書を出し…
ちょっと大家さん!駄目じゃないのーッ!!! 他人に役所からの通知や株式なんか見せて「意味がよくわからんのですが、どういう意味でしょう?」等と相談したら!!駄目でしょ!? そんな物は隠しなさい!
…とは言えない私だった(駄目なのはおまえだ)
「これはどうやら、○○で大家さんが申請していた○×に関する事が通りまして、○△日に金××円が、○◇の△△口座に払い込まれたという話のようです」 「まあそうでしたか」 「そうみたいですよ。そんじゃ」 大家さんが林檎を視線で捜している間に、フワフワ素早く撤収。先日貰った林檎がまだ一個残ってるのだ。これ以上貰ったら腐る。
昔から時々、私は生活に困ったら老人を騙して生きていけるのではないかと、それはひょっとして物凄く簡単なのではないかと、やたらドキドキすることがある。 全ては私の良心にかかってるんだな。恐いだよー。 でも大丈夫だ。アタイ騙そうとしたら、直ぐ失敗するけえ。
| 2003年11月08日(土) |
あー!忘れてただー。 |
タイトルは独り言。
大家さんに香典返しを持って行くと、いつにもまして昔の話になった。 先達てまでは大家さんが結婚した後の伴侶との思い出話なんかだったのだが、今度は結婚する前の話にまで遡ってきた。
実家は農家だったのだが、大家さんの父親は若くして重篤な病気を患い、農業を続けるどころか、働く事などとうていできなくなった。大家さんが小学生になるぐらいの歳には、ただせめて近所をゆっくり散歩するぐらいしかできなくなったそうだ。大家さんの母親は家計を一人支える為、近所の工場に働きに出、大家さんは大家さんがハタチ過ぎに父親が亡くなるまで、ひたすら毎日看病をしていた思い出しかないそうな。
そして林檎を貰う。 ああ、また貰ってるだよ。ぎゃふん。 だんだん諦めが入って、無駄な足掻きをしなくなってきた。 …こうやって政治家は賄賂を貰うことに馴れていくのだろうか?それは…、普通の人なら、なかなか断りにくいかもしれないよ(苦笑)
>> 人が私の他所行きの声が「細い」というので、「じゃ、普通はどうなんだ。高くも低くも無いと思うけど」と聞いたらば、普段の声はフワフワした声なんだそうだ。なんだ、そりゃ? 「たくさん空気が抜けてる感じで、フワフワしてる」 と言う話。確かに、言われてみれば、声帯を震わせて「声を出している」と意識は殆どない。力の入れ加減は、「呼吸で呼気を吐き出すついでに、ちょっと声を出してみた」感覚だ。
以前、騒がしい喫茶店で向かい合って話をしていた時、「こんな騒音の中でホントに聞こえてるんだろうか?」と俄かに不審に思って、 「私の声、聞こえてるの?」 と「口パクで」言ってみたら、おそるべし、 「聞こえるわよ?」 と返事が返った。嘘をおついなさいまし。聞こえるハズがない。私は声を出してない。 彼女はなんですか?唇を読んだのですか?
ともかく、喋るのに全然力を使ってない。それで長いこと喋っても疲れないのかもしれないな。 アメリカンやチャイニーズが喋ってるのを見ると、あの言語はエライ疲れそうだ。身振り手振りも激しいが、口も大きく開けてやたら開いたり閉じたりしてるきがする。英語が得意で、上手に喋る人を見ると、声からして英語声に変わるきがするのよな。平常の日本語の喋り方では、英語は発音できんのではなかろうか。 大体、一音出すのに、「下唇を軽く噛むようにして弾く」だの「舌先を前歯裏側の付け根あたりに軽く当てて舌全体を丸め…」だのと、やたら面倒くさい。 たいぎぃがぁ〜?(注:面倒くさいでしょ?といった意味の方言)
「ふわふわしてる」等と言う某は、確かに、私よりもっとハッキリした、切れ味のある声をしているかもしれない。咽喉と口に余計力が入ってるんだな。それで喋るのをしきりに面倒くさがり、ほんの少し喋っただけで 「あー…!今日は沢山喋ったから口が疲れたわあー!フぅー!(溜息)」 と、なるのかもしれない(苦笑)
しかし私に言わせれば、「会話」ってのは自分の考えを順番に喋る事なんじゃ。私だけ喋ってたら私がアホみたいじゃないの!もっと喋らんかい!と頭に来ることもある。私は自分だけ喋りたい時は、電柱のところに行くだけの分別はあるつもりだ(電柱に向って喋るのは、ひょっとすると分別がないかもしれない)
「ちょっと聞いて!ここがすごく面白いのよー」と本を読み上げてると、読み聞かせている事を忘れる。 「あなた、本を読んでくれてるうちに、自分が読み始めるわよね」 恥ずかしながらそのとおりだ。だって、少なくとも「自分が」面白くて読み聞かせてるんだよ?読んでたら面白くて我を忘れるに決まってるじゃないか。 「何故に自分はわざわざと声を出して読んでいるのだろう?シンドイ。ノロイ。黙読したい」 と、ムラムラ思い始める。それで、 「…まあ、とにかく、こういう感じで凄く面白いのよ!それじゃあ、私は続きは読むので、また今度」 と電話切ったりして、何しに電話したのか不明になるわけだわね。 さもなくば、電話してるのに、途中から無言になり、私は本を読んでしまい、ひまな人様はテレビ見たりしている事が…。耳にあてている受話器になんの意味があるんだろう?という深遠な疑いにやがて気付く。 「いかん!私ら何も喋ってないよ!何か喋らなければ!なんか喋って!」 「んー、なんかって言われてもねえ」 「…切ろうか?」 「そうね」
ちょうど、喋ったり書いたりする時といっしょだ。 喋ったり書いてるうちに、自分が考え始めてしまい、「会話をする」事に神経を集中させてないと、途中からひたすら一人で 「と思うんだけど、でもこうも思うし、だけどああも思うよな。こうだと思ったけど、ひょっとするとこうかもしれなかったよな。前にこういう話を聞いたことがあるんだけど、それってその場合はさ…」 等と延々とブツブツブツブツブツブツ言い始め、とうとうと喋り捲ったあげく、どうどう巡りになって行き詰まったところで、ふと我に返り、そういえば聞いてる人がいた事を思い出し(←惨殺。独言女王) 「お姐さんはどう思う?」 と、やっと聞いた頃には、人様はスッカリ厭きていて、テレビなど見ていて 「え?何が?」 になるのだ(苦笑) 「全然聞いてなかったのね?」 「うん、聞き流してた」 「いいよ別に、たいした事話してないから。それで、なんかテレビで面白いのやってる?今何を見てるの?」 「んー、今はねー」 ↑状態。これを繰り返してきたきがする。
せっかく電話してても、素晴らしく会話にならない。こんなに会話にならなくて良いかしら?ってぐらいだ(よくないだろう) 悪癖よな。ちゃんと自分の考えをスッキリまとめてから、三百字以内とかで喋りましょう。
…と、思うけど、そう簡単にはまとまらんのよ!だしょ!? 「全然まとまってない。結論はいずこ?な感じ」には、まとまるんだけど。 しょうがないので、普段はおよそ博打な感じだ。 「とりあず、これで行く。俺は全財産をこの馬に賭ける!」 そんな感じだ。
日記も書かずに、何をしてるのかと言うと、子供の頃の写真をあげてみたりしていた。捜しても、もうないよ?(笑) 誰か見た人がいるかしら。忘れなさい。仮に路上で私を発見しても、指ささないように。
三つ四つの頃だし、今とは似ても似つかないと思って、無邪気な気分で戯れにあげてみたんだが、 「わかるよー。似てるよ」 と言われたので、それは一大事と下げる(苦笑) 似てるって、まあ本人だし、整形手術なんかしてないしな。
まあそれに、世の中には自分に似たのが何人かいるって噂だ。 J子さんは、見知らぬ人に「福山○治さんのお母さまですか?」と聞かれたそうだ。そんなわけない。J子は福山までは言えたが、○治の方は名前を間違えたぐらいだ。顔が似てたんだってヨ。 ……そうか???
私は家庭教師の教え子に「センセイって○×○×に似てるって言われませんか?」と聞かれた事があるが、そんな事はない。誰かに似てるっていわれたことは一度もない。体型かな。しかし私は、ただ今標準体重より二キロオーバーしてるのだ。標準体重にしたい気持ちだ。
あ、 その昔、転校生に、前の学校に居た、めちゃめちゃエッチな同級生の少女(よくわからないが、猥談が趣味で、色々エロい悪戯をしてたらしい)に顔がクリソツと言われた。そんな少女にクリソツでは、至極妙な気分だわよ。 確かに私も若かりし頃は、大人雑誌の袋綴じ部分(エッチなページ)に一生懸命に息をふうふう吹込んでふくらまし、「ここに一体どれほど猥褻なものが隠されているというのだろう?」となんとかして中を覗き見してやろうと、精力的に果敢に挑戦する労を厭わなかったけどな。 歳を経ていくらでも見れるようになっては、そこまでの情熱は無いが。感想としては、ウキウキワクワクドキドキするものが隠してあるのだ。
そういえば先日、「子供が人差し指でやたらボタンというボタンを押し、押したがるのだが、あれはなんだ」という話をテレビでしてた。 先生によれば、握って開いてしかできなかったのが、人差し指が使えるようになり、それが嬉しくてしょうがなく、せっかく使えるようになった人差し指を実際に使ってみたくて仕方なく、しかもそこに好奇心の発現期が重なり、「押したらどうなるのかな?何が起こるのかな?」というトキメキに翻弄され、飛び出てるものは片っ端から押して押して押しまくるんだそうだ。 人差し指を使う訓練になるらしい。
…フ、そして私はナースボタンを押したんだな? 「もー!すんッごく!押したかった!頼むから押させてくれという気分だった」事と、「ほんのちょこっと押すだけなら良くないかしら?わかりっこないんじゃないかしら?」と浅はかに判断し、 「駄目、駄目よ、アタシ!いや!やめて!どうしてこんな事を!?」と思いながら、吸い寄せられるように押した事しか覚えてないんだが。
「これは病気の人が使うものだから押したら駄目」だけじゃなくて、どうなって何が起こる何の為の物なのか詳しく教えててくれよ。そしたら、ひょっとして万が一にも理性が勝ったかもしれないだろう。
「どうしたんですかッ!?○×さんッ!?○×さんッ!?どうしたんですッ!?」 「先生!○×さんがッ!」
といったような、エラク険しく厳しく深刻でせっぱ詰まった看護婦さんの声が、どこからともなく飛び出し、私は硬直し、見知らぬ○×さんを捜して病室をオロオロ見回し、やがて声が途切れたのでこっそりベッドの下に隠れた。 が、見つかった。 ほんのちょっぴり押すつもりが…(←押すな) さすがナースボタンは、病人が最後の力を振り絞ってでも押せるように、やたら感度が良いものだよ。つーか力加減なんかできない。
自身の経験から言えることは、ボタンの前に子供を置いて、放っておいてはイケナイ時があるって事だ。絶対に押す。イケナイと思っても押す。 核の発射ボタンの前に置いて、「これを押したら、ぼっちゃんのパパもママも沢山人が死ぬからね」と言い聞かせても、そこをその子だけ残して、離れたら危険だ。 押す。 そんなタイヘンなことが起こるなら、余計押したくなる。
まるで何一つわかってないわけでもないのよ。そのへんまでいくと、結構色々わかってる。自分なりに気を使ったり(皆が色々してるので、邪魔をしてはいけない。一人で遊んでないとイケナイ、とか)、策をろうするところもあるんだ(誰にも気付かれないよう現場を離れ、「私は知らぬ」と言ってみる)。何か起こったら、「それがボタンの所為で、つまりボタンを押した自分の所為で、しかも押したら駄目よと言われていた」という連続した関係でもわかってるんだよ。条件と、因果関係とな。 それで、大人の膝らへんまでの身長でも、イッチョ前に罪悪感もある。自ら策を弄して嫌疑を晴らしたくせに、安全圏に入れられた途端「実は私が押しました」と自白する。さらに「でもちょっとだけよ?」と自己弁護もする。
結構な罪悪感で、今に至るまで覚えてる。
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