非日記
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突然だが(見てれば分かるかもしれないが)、私は今ギムリ大フィーバー中だった。 おかげで、サムとフロドとゴクリの珍道中がサッパリすすまない。だってギムリが出てこないんだもん。ついでに、ファラミアが出て来て、ボロミアについて云々言い出したので、ちょっと前に戻ってみて面影を「ああ、私ら(読者)には、こんな人だったのよなー」等とリピートしたりしてたので、それもあってすすまない。
「メリーとピピン」だとか「レゴラスとギムリ」等と言うのが面倒で、メリピピとかレゴギムとか言うのだが、そのレゴギムって言ってるうちに可笑しくなって来て…。 「レゴって玩具がなかった?」という話を書いていて、人に尋ねたらば、「そういえばあったよ。あの方面デコボコで嵌める奴でしょ?」と言われ、私も思い出したのだ。が、そのレゴのCMに無かったろうか。 私的には錫の兵隊さんを彷彿とさせるような、レゴに嵌め込むチンマイ人形が。 レゴギムなどといううちに、その「レゴの人形のギム」みたいな気持ちになって来て、 「ああ!レゴ!ギム!」 などと、人には説明し難い事で大ウケしてしまった。
そしてレゴギムフィーバーです。 もうギムギムが見たくてしょうがない。
「休み、どうしようかなー」と言ってたら、「行けば?行ってきなさいよ」と言われたので、「まあ、もう見ても良いか」とちょっとその気になった。 しかも、彼女はレッドドワーフのDVDなど見ているのです。羨ましすぎる。 私の心SFベストテンで二位に大差をつけて一位に燦然と輝いているのはレッドドワーフなのです。映画になるってウワサだが、それは勿論嬉しいんだけど、あんな全編ギャグ、シリアスが三秒もたないドラマを、どうやったら一時間以上ある映画に?と極めて不可解な気持ちだ。 とにかく、羨ましいが、ボックスなので容易には手が出せない。よって腹をくちくするのに、ちょっと自分的ズルして映画見に行こうかという気になった。
が、映画館まで行った途端、「席がありません。隅っこの背もたれ無しで良いんなら」等と言われ。 ちょっとあなた達!平日よ!?何故だ!(私には休日だったのよ)
あっさり諦めました。 私のヤル気を返せ。 だって長丁場だのにダルイよ。それに人込みは嫌いなんだ。王侯貴族みたいにして優雅な気持ちで見るのが好きなんだよ。ハリーの時みたいに終りかけに空いてからにしよう。
僕、疲れたよ、パトラッシゅ…。 急に疲労が…。
>最近可笑しかった事。 先日歌を歌いながらチャリに乗ってラララ〜♪と出かけていた。 (らららーと鼻歌を歌いながらチャリで夜道を疾走していて、前の小道からチャリが出てきたので慌てて「アタイ鼻歌なんか歌ってないよ!」というフリを一人で頑張ってしていたら、斜め後ろから別のチャリに体当たりされ、しかも自分はびくともしてなくて(振り返ったら後ろに倒れている人がいた)、無駄に罪悪感に駆られた話じゃない)
ともかく、ラララーと歌いながら、好い気分でいたら、目に飛び込んだ文字は、
「笑止!」
白地に赤抜き。 誰じゃ、人のイイ気分に朝っぱらから水を差すのはッ!?
…と思い、チャリを止めてよく見たら、「立ち入り禁止!」でした。 わーお。目悪いんだよ、私。
| 2003年02月23日(日) |
ごらむそんぐだって。 |
私はピッチや携帯電話が嫌いだ。嫌いじゃないが、持ちたくない。 「便利なんだろうなー」とは思うんだが、ほのぼのしてる時に邪魔をされるんじゃないかと思うと…。
が、見てて「チョット良いな」と思うのは、人が、電話をかけて来る相手にあわせて個々に着メロを選んだりしてるところ。ちゃらりらちゃらりら〜♪鳴ってて、ちょっと楽しそうだ。 相当うるさく呼ばれないと呼ばれてる気がしないので(目覚まし時計など)、私が使用するにはあんまり良く無いかもしれないが、「あの人にはどれにしよう?」と選ぶのは楽しいかもしれない。 プレゼントを選ぶ時のようで。 それはちょっと占いの楽しさに似ているかもしれない。 「あの人は何になるんだろ」みたいな。そんで、「駄目だよそれ、なっとらんよ」とか「まあピッタリ」とか云々するのが楽しいのだ。ああでもないこうでもないとアダナを考えてみる楽しさだ。 プレゼントだって、別に渡さなくても良いんだ。 あの人が花だったら何の花だろうとか、動物だったら何だろうとか、自分にとってのイメージを考える、そういうのだ。
先頃何だか贈り物をせねばならなくなって、色々考えて試行錯誤した結果、(勝手に)精神的に進退極まってしまい、無難に花を持っていった。 私としては、相手のイメージはデッカイ白百合だったのだ。 花屋で「これだよ、これ!」と思うベストフラワーがあったのだが、なんとオソルベキかな。一本八百円だった。諦めて小さな花にした。 そういう事をするのは楽しい。
某「せっかくあなたの着メロを指輪のにしたのに、かけて来ないものね。メールの着メロは別のなのよ」 私「通話料高いし。何にしたの?ちょっとかけてみて」 某「これ。えーとね」
チャラリー♪
私「………!!!私何故か知ってるぞ、それ。ゴラムの歌だろうがーッ!?」 某「そうそう…確かゴラムなんとかって…」
人の着メロをゴラムの歌にするなんて、一体どういう了見でしょうか?
某「ああ!ゴラムって何かと思ったら、ゴクリの事か!」 私「そうよ。ゴクリの歌だよ」
忘れてたらしい。 私は、一時前に電話をした際、ちょうど「スメアゴル馴らし」のあたりを読んでいた所為で、
「私は今、良いスメアゴルだからね。別に更新するって言ったじゃんなんて言わないよ。ポチは良いスメアゴルよ!良いスメアゴルは良いホビットには何もしないよ!でも姐さんは一ヶ月前には、そろそろ更新するとか言ってたのよ?黙っていたら一ヶ月以上経ったね。ああ、バギンズが憎い〜バギンズは皆同じだー。でもスメアゴルは今、良いスメアゴルだからね」
等と、勝手に「良いスメアゴルごっこ」をしてたからかと思ったよ。
ちなみに、指輪の感想で色々結局書かなかった事が山のようにあったんだが、その一つは、ゴクリのもとのスメアゴルの日本人名のイメージだ。
私のイメージでは、スメアゴルはもとは割りとフロドみたいな性格で、名前は清四郎(せいしろう)とか言って白樺の木陰で「風立ちぬ」や亀井勝一郎を読むような青瓢箪などとからかわれていた文学青年だったのだ。 今は、三千年だかの気合の入りすぎた引きこもりの所為で、極まりすぎて見る影もなくなり、何時の間にか名前は文太(ぶんた)等と呼ばれるようになっている。…といった具合。 「フロドはもっとフツーの名前じゃないの?」といわれたが、トオルは普通だと思うけど。ギムリは操でぴったりだと思ったんだが。レゴラスは結構難しい。
…そういえば、レゴとか言って、子供の玩具のブロックか何かでなかっただろうか、そんな名前のものが。「レゴで遊ぶ」とか「レゴを与える」とか言って。 私は泥を水に溶かして、「ワカメに似ている…」と日頃から付け狙っていた苔?を浮かべ、「ワカメの味噌汁」等と言って自らの製作物に自信満々だったのだが、小さい白い石を拾って来て、ウキウキ入れてみたところ、 「豆腐(の、つもりのもの)が浮かばない!」 という現実に阻まれて苦悩したりしていた貧乏人だったので、レゴでは遊んでないんだが。 ちなみに、結局、椀の底に石を敷き詰め、氷山のように上の方の石がちょっと覗くようにして(見た目は)解決したんだったが、今考えてみると、紙なんかで四角くて軽いものを作ればよかったんだよな。でも子供にしてはよう考えたと思うのだよ。自画自賛☆ 幼い私よ、「豆腐が揺れない」からと言って、指でつついて、そんなに悲しい気持ちになることはないぞ。やれるだけの事はやったんだ。そうだろう?(苦笑)誰が知らなくても、私は知っているぞ。 真剣に考えた事は覚えてるねん。プロジェクトXで、相当の歳月が経って老人になっていても、若き日に有らん限りの能力を絞り切って全力を注いだ仕事については詳細に克明に覚えてるみたいにだ。 なんだか今日は随分古い事を思い出した。
ともかく、初めからなんか変な感じがすると思っていたら、そんな名前のものがあったように思う。レゴ。
ちっとも思いつかなかったのは、メリピピなんだ。サムもちょっと難しい。 こっち(スメアゴル)は、どうだろう?
お出掛けしました。 帰って来ました。
おや?どうしたんだろう?アタイの大事なチャリりんが見当たらないね。 はて、どこへやったのかしら???
…おお、乗って出掛けた自転車に乗って帰って来るのを忘れ、 歩いて帰って来てしまってました。
うわあああああああああ! 私はもう駄目だ!もう駄目だあああ(泣)
さようなら皆、どうか元気で。一般に短いとはもう言えず(私の気分としてはエライ長の歳月だった気がするが)長いとも言い難い中途半端な人生だったが、アタイ、幸せだったよ… (風邪引いた? (注:体温が八度五分を超えると理性が失せ始め、異常な充足感を得、人生に大満足するようになる。ちょうど人がアルコールを摂取してベロ酔い加減、もしくは何かヤバイ物の中毒に似てるよう。熱が上がるほど酷くなる)
つーかね!?どうして?何故?それを忘れるのよ? わー♪って乗っていっただろう? せめて延々歩いてる途中で、どっかで思い出せ!(泣)無い事を見て無い事に気づきなさんな! 私は脳を目の前に鷲づかみしてガクガク揺さぶって往復ビンタをかましながら、どうにかしてそれを聞き出したい。自分ながら、 お・ま・え・は、な・に・を、か・ん・が・え・て・た・ん・だ?
がくり。
| 2003年02月09日(日) |
ほいほい日記を書いてたら |
私が 「そう言えば、私、こないだ辛かったのよ」 と言ったらば、急に耳の遠くなった某嬢が 「え?「私、新発売のきのこの山が食べたかった」?」 と聞き返してきやがった…という話を書いていた。
らば、御当人から即座に 「新発売のなんて最初は言ってないわよ。後から言ったのよ。それに貴女は此間じゃなくて昨日って言ったじゃん!あれじゃ私がまるで全然違うとんでもない聞き間違いをしたみたいじゃないの!」 と、ささやかにイチャモンをつけられたが、その前にサクっと消していたので(「もう消したよ」「早ッ!」)、我ながらグッドジョブだった(そうかい)
私にも言い分があるのです。 一つ、私の感覚からすれば、それぐらいトンデモ聞き間違いだったので、細かいところが間違っていようが
ex. A:そういえば旦那さんは? B:ずっと前に…もう死んだんです(ポツリ) A:え?モンゴル人だったんですか?
↑ってぐらいで、それがモンゴル人だろうがアメリカ人ドイツ人だろうが、「最初にモがついてるんだから、モンゴル人って言う聞き間違いだってありえるでしょ?私はフランス人なんて、そんな全然違う聞き間違いはしてないわよ!」等と胸を張れる問題じゃないと思います。話の流れを破壊しているじゃないか。 処置無しだ。 こう言う時には、たとえ真実「モンゴル人だったんです」と聞こえたとしても、雰囲気を読んで「…そうなんですか」と適当に相づちを打っておく方が安全なのだ。後四秒ぐらい黙って反芻していれば、何となく正確なところに、おおよその推測がつくだろうと思う。人は皆そうやって互いを傷付けない努力して日々生きているのだ。 即座に迷わず聞き返すなんて手抜き過ぎじゃ! それとも何か、私の言い方が「昨日ちょっと辛い」雰囲気ではなく、全く「きのこの山が食べたい」雰囲気だったとでも?
ああ、そうかもしれませんとも。私も悪いんだろうよ。
それというのも、昨日カミソリで指をザックリ切ってしまったので、今日暇ができた際に傷が開いてズッキンズッキンする痛みに素直に悶絶していたら、目撃された際、 「ストレッチしてるんですか?」 と笑われたからだ。 …私は時々、「もしかして自分って、ちょっと凄いんかなあ」と思うよ。
>戻って
二つ、此間にしたのは、日記を書いた時点で此間になってたんで、ついやってしまったんだ。 三つ、「新発売」を入れたのは、二三回に分かれていた地の会話を全部思い出してしまい、簡潔に纏めようとしたが為にウッカリおこった。 四つ、二つ目と三つ目に関して、一つ目の要点により、それでも、私の意図は変わり無いと私は思うわけだ。
もしも、ここで私が聞き間違いによる確認の応答をさらに聞き間違えて 「ええ、そうなのよー」 と頷いていたなら、「私達、そのまま一緒に、どこまで行けたかな…?」と、遥かなる時空を遠く仰ぎ見て、その蒼光に顔を洗うが如く思います。やってみりゃよかった。残念。 でも、そんなに早くは、滅多に頭が回らないのよ。
こういうのは、阿吽の呼吸で即座に返事をせねばならない水物の生会話だからこそ起こる問題のようにも思えるが、実際は応答までにちゃんと(僅かでも)時間のとれるメールでもやった記憶がある。携帯メールだったか、暫く返信していて、 「どうやら我々はすれ違っている!私はこれこれに関して話してるつもりなんだけど、あなたの方では○○××で話してない?」 「あれ、ホントだ!そうだよ!」 と交わして笑った覚えがある。 自分の意図を伝え、相手の意図を汲む、互いにかなりの精度で送受信して、それでやっと成立する「会話」が実際は如何に難しいか思い知るね。 小中高の国語の読解って、人生に関わる重要な勉強だったのね…(苦笑) ええ、何度も思いますとも。わざわざテスト勉強せんでも、それなりに点がとれるから最初に手を抜ける気楽な分野だと、学生時代は延々思ってただよ(それでも国語で一番苦手だったのは、漢字の書き取りと小説と詩の読解だったけど) いつかどこかでジャリん子に「もう読んでるし喋ってるし書けてるのに、国語なんて何しに勉強するの?」等と問われる事があったら、自らの経験を例を引いてやろうかとも思う。「私はそんな馬鹿な勘違いしないもん」とか言われるかもしれないが。
それはともかく、 これは単に私らが二人とも「耳が悪い」者同士なのか? と思ってたら、ひょっとすると、そうでもないんかもしれん。 今日は延々と同じ事を繰り返し問い、三度目ぐらいについに通じた暁に 「嗚呼!そういう意味?!」 と爆笑されて肩をつかまれてガクガク揺さぶられたので、要は私が言葉が駄目なのかもしれないよ。言い方を変える事も殆どできなかったのに。 それでもわかってくれた御方、万歳。普通なら苛ついてるよ。私はもう「そろそろ諦めよう」と思ってたしな。良い人だ。
昔から時々「貴女が何を言ってるのか全然わからない」と言われるし。 ネイティブ・ジャパニーズだのに。情けない(毎度そこへ帰るのか) 日本語が云々じゃなくて、言葉が全般に駄目かもしれない。だからって他はOKって事もないが。 ただ…、こう、左頭部から白髪がベロンと固まって生えているのを見ると、毎度つい「犯人は貴様か」と罪咎を問い擦りつけ、義務と責任と職務を放棄したい気分になる。
>> ムースポッキーの期間限定抹茶味を食ったら、たいへん美味しかった。凄く好み。旨すぎる。 …私はただ、それを書こうと思ったのに…(上をスクロールして遠い目)
| 2003年02月05日(水) |
LOTRのビデオを借りてみました2 |
続き>畜生こんな事になるとは。 いい加減にせよという事か。
その素敵ロスロリアン追加シーン後の、川岸でサムとフロド、アラゴルンとボロミアが言い争うシーンは目を覆わんばかりに恥ずかしかったデス。誰か、あそこをなんとかしてくれたまえよ(特に後者二人)
そんな風に水増し版を堪能したのに、レンタルビデオを借りてみたのは、なんか、同じセリフ、同じシーンで、使ってあるカットが違うシーンがあるような気が…気が…したのです。 確かにシーンの追加で音楽の入れ方は変わっててオカシクナイが、それとはまた別に使用した映像が違う気がするところが…あったような気が…。私の気の所為かしら。 一回だけ見直した。やっぱりなんか違うところがある気がする。しかし長いので無理。私まだ全部のコメンタリーすら見てないし。 なげーよ!先生!
こうやって映画版を見た後で、原作を頑張って読んでると(注:一行も飛ばさず読み進めてる程度は、まだファラミアと云々してるあたり)原作フロドがごっつイイ男に見えます。私は基本的に主人公を好きにはならないタイプなんだが、原作フロドは、映画見た後ではなんか大層カッコイイ気がしてきた(苦笑)
誰達のコメンタリーでだったか、裂け谷でフロドとエルロンドが二人で話をし、エルロンドが「フロド、なんてかっこいいんだ!」と思うシーンがあり、撮ったけど入れなかったという話があって…。うわーん、見たかったよ、それ!すんっごく! 河岸のダブル痴話喧嘩なんかよりね…。 いや、あれはあれで、ある意味物凄く面白いけど。
もう一つ、レンタルビデオには付録で二つの塔の予告編が入ってたのだが。 …あの(おそらく)セオデン王にしなだれかかるベロベロに艶っぽい人は誰? …………………………蛇の舌殿!? うわあ(笑)楽しみだ。 原作では、私は、もっと冴えないオヤジっぽいのんが幼さの残る姫君に懸想した、言うなればもっとイカガワシイ状態を連想していたのだ。
DVDの良いところは英語字幕が見れるところだ。昔から、ちょっとでも聞き取れて、字幕と原語の違いを感じた時の、ニュアンスの広がりが好きだ。
メリピピが囮になってフロドを逃がすところとか。 「Run,Frodo!Go.」って言ってるのかと思ったら、英語字幕では「Go on.」になってた。へえって感じだ。「前に進む」って意味も確かにあるが、「続ける」ってニュアンスがある事が気になるよな。 そうだとして、ひょっとして「指輪を捨てるという使命を続けろ」って事かもしれないが、「一人で発つという事をやり遂げろ」って意味の方が良いな。その方が、その直前から直後まで良い感じになる。 ピピがフロドを止めようとして飛び出すまで、メリはなんか考えてるのよな。ピピンが止めようと飛び出すのは、ピピンらしい単純な精神構造の為だが、メリーはどうするべきか迷ってる感じがする。 ピピンを止めるのは、「行かせてやろうぜ、なあピピン」等と言う熱い断固とした気持ちよりも「ちょっと待て。またオマエは早まるなピピン、俺の方はまだ考え中だ」って感じだよ。 その直後に、友情の何たるかについて悩んでるどころじゃなくなって、メリーは一瞬で「こりゃ駄目だ。このまま行かせるしかない」という判断になってるが、これ、猶予が長かったらかえって非常に難しい決断だと思うが。どっちを選んでも一長一短なのよな。ピピンはぼさっとしてるが、メリーはそのまま行かせるか無理にでも一緒に行くかの二択になってたから決するのが早かったんだと思われる。
ここに関わらず繰り返し見てると、無闇にメリピピが(と、レゴギムが)好きになってくるわけよ。 (だって映画の旅の仲間では、ボロミアが一人でスポットライトを浴びてるんだもの。原作ではあんなに目立たないのに/原作はその目立たなさが良いんだよ) その後、オークに追われながら逃げるメリピピの
P:It's working! M:I know it's working!Run!
ってところがごっつ好き。私の勝手な印象訳ではね、 P:「僕ら役に立ってる!」 M:「そうさ、大活躍だとも!(だから)逃げるんだよ!」 になってるんだ…(苦笑)良くない?駄目かな。 何か言い回しがあるのかもしれないが(辞書を調べても、わからなかった)、私の英語に馴れない耳にはWORKINGがそのまま「働いている」「役に立つ」「労働する」のニュアンスで入ってくるんだ。 単にオーク兵士をフロドから遠ざけたという意味より、成り行きと勢いで飛び込んだようなメリピピが初めて役に立つ実感をもったというか、自分等にもできる事があるという誇りを持ったというか、自分等がフロドの友人である事に実感を伴う喜びをもったっていうか、なんていうか上手く言えないけど、まあ色々。モリアでのサムの「俺って強い?」みたいな。 自分等が「何もできない役立たずの、どうしようもない駄目な人間(じゃない。ホビットだけど)ではないんだ」という、なんつーか、誇らしさ?みたいなもの?生きている事の意味を感じるような喜びっていうか。上手く言えないんだが。 なんかそんな感じで、友情がどうのでなくて、それでここが凄く好きなのよ。
もういっちょあるんだけどね。 ピピンがわらわらと群がってくるオークを見て、 P:「なんか凄いことになった!」 M:「ああ、ろくでもない事をしちまったんだよ!(そんな解りきってる事を確認してないで、わき目もふらずに)逃げろ!」 こっちの場合は、「気がついたら思わず、つい囮になっていた。なんてこったい」って感じで、これも自分の中でかなりイイ感じ。イカス訳となっている。 workingをそのまま丸呑みで下手に訳すと「こりゃあ仕事になってるよ!」になるだろ?すると、「こんな一大事だとは始める前は欠片も思ってなかった」って感じじゃないか。 メリが咄嗟に敵の注意を引く、それを見てピピンが一緒になって煽る。ピピンの共感力と同調力は感受性が無垢に強いだけあって流石に相当のもんだね。なんていうか、子供が親に対してもっている共感力と同調力をもってる感じがするね。「よくわからんうちにメリーにつられた」って感じがするじゃないか。ピピンはフロドに対してもそうだが、メリーが何故そうするのかの理由と意味はわからなくても、どうしたいのかは感情的に直裁に分かるんじゃないかと思われる。二極に分けるなら、ピピンは感じて、メリーは考える派だと思うね。結局良いコンビなのよ。
え?サムとフロド? あそこはもう違う世界に片足入ってるのだと、船の上でガシっと抱き合ったところでよくわかります。 「あっしをお供させてください。親分はこのハチ公を主人を捨てて逃げた卑怯者にする気でげすか?!そりゃあんまりってもんでげす!つれていってくだせえ!さもなくば主人に逆らったかどで打ち首にしてくだせえ!」 「うぬぬ、よしわかった。もう何も言わん!来い、ポチ!死して屍拾う者無し!地獄へ向ってレッツらゴー!」 「忍びの道でげすね?ヘイ、親分!ああ親分なら、きっとあっしの気持ちをわかってくれると思ってやした!」 (最後まで真面目に話しましょう)
メリピピの行動をテーマらしい自己犠牲的友情路線で解釈するなら、先のより、こっちの感じを押すね。
私的には、ここのメリピピに比べると、アラゴルンとサムはあんまイカンね。イマイッチングなのよ。 DVD版では、裂け谷を出るところでエルロンドが別れの挨拶と見送りを述べるんだが。それが好きなんだ。だってエルロンド、こう言っちゃなんだが、誰もが遠方からわざわざ意見を聞きに来ていたほどに何がそんなに賢いのか、劇場版でも原作でもそれほどとは見えないだろう。目立たんのです。 だけどここの台詞で、エルロンド流石に賢いねえ、そして彼は不死のエルフだねえって感じがする。 「On you who travel with him, no oath, no bond is laid to go futher than you will.」 ってところ。好き。永遠を生きるって事がどういう事が、世界が、例えば人間が彼等にはどう見えるのかが彷彿とさせられるセリフに仕上がっていると思われる。
そういえば、「エルフの石」の意味がさっぱりわからんくて、 「エルフにとっては、てめえなんかそのへんの石じゃあ、って意味?それともこう、ホビットにとっての石みたいに咄嗟に拾って敵に投げるものとか」等と聞いて「かもね」と笑われたが、もしかすると、永遠を生きるがゆえに、あらゆる全てが寸時に移り変わってゆくように見えるエルフにとっての「石」って意味なのか? ムズカシイな。 しかしアラゴルンて名前は、最初から思ってるんだが、どうもカッコが悪いね。 意味あるんだろうか?なんていうか、レゴラスは「裕史(ゆうじ)」とか「智司(さとし)」とか、ギムリは「操(みさお/ちょっと珍しい感じ)」とか、フロドは「透(とおる/なんとなく綺麗)」とかそんな感じだが、アラゴルンとか言われると「権兵衛(ごんべえ)」とかそんな語感のきがするよ。ちなみに父アラソルンと言うなれば「権左衛門(ごんざえもん)」とかだ。 エレッサールとなると語感はちょっと綺麗になるんだが、アラゴルンがもとにあるんだと思うと、何某権兵衛綱吉(ナニガシのゴンベエ、ツナヨシ)とかそんな感じのイメージよな。 ちなみにエルロンドとかグロールフィンデルとかは、昔の、勘解由(かげゆ)とか四紋(しもん)とか、なんかそこはかとなく古風できれいな奴だろう。
ともかく、エルロンドには、ちゃんとそう言われて旅立っているというのに、その達観に比べて、 アラゴルンは「I swore to protect you」だの、サムは「I made a promis.And I don't mean to」だの、しょうもない事をしきりに言う。人はあそこのサムで感動するらしいが、私はあそこのサムは殴りたいよ。この、サムを好きな私が。おかげでメリピピの株が上がりまくり。 それでも、それがサムのyou willなんだろうと思うから、上辺の言葉は我慢ならんでもないが。
個人的に、ボロミアが死ぬところは原作の方が淡々として好きだ。 「あ、死んだ」とか「え、死んだ?」みたいなポックリ感がリアルだなあと思う。淡々としてアッサリで、余韻すらない、から愕然と悲しいんだと思うね。 ボロミアは映画の方が人間が掘り下げてあって、良い人五割り増しで好きだけど。良い役者を使ったと思う。単に笑ってるだけで「ああ良い人だ〜」って雰囲気がするもの。彼を見るからに良い人にすることで、指輪の力の強さに関する描写の困難さを補うところもある。 いや、原作が淡々としてるってのは目の前の目的をなくして暇になった途端オイオイ泣き出し、自責の念を軽くする為に反省と後悔を堪能しまくり、レゴギムに呆れられて放っておかれてるドッカの誰かのところじゃなくて。その直前の、ボロミアとアラゴルンの末期の会話で、二人、心が思いっきりすれ違ってるところが、リアリティがある。
DVDの英語字幕を見ると、吹き替えや字幕から受ける印象と違い、実際二人の会話は擦れ違っているようにしか聞こえず、擦れ違っているそこだけ原作に忠実な感じだ。 アラゴルンってば人の話をゼンゼン聞いてませんよ?私の気の所為か? 「Leave it」 と言われて、やっと腰を落ち着けて聞く気になってるように見えるわよ。 肩を掴んで、 「おい、人の話を聞けよ!」って感じがするぞなもし。映画のボロミアは原作と違い、アラゴルンの注意を引く事に成功してるようだよ。 原作ではボロミアが息を引き取る最後まで、一応話は聞いて応対してるが、どうもメリピピとフロドの行方に対する懸念が頭から全然離れてないよ。ボロミアを内省からはやくそっちへ意識を向けさせたい為に、慌てて適当に慰めているかのようにも見えるんだよ。見えんのか人には。 映画の方でいえば今度は、ボロミアは助からんとなった途端に、「メリピピが危機に陥っていて一刻を争うのではないかしらん??」等という懸念はサクッとうち捨て…、って感じだし。「もう死ぬ事が明らかになった人間はそこらにうっちゃって、まだどうにかできる可能性が残っている方に迷わずダッシュで向いたくない?」等という非人間的冷徹さは無いのだな。いや、私は原作のにはコレがあるんじゃないか?と思うんだが。 ホビットを守る事が最優先なのだから、グダグダ言うボロミアには「うるさい。黙れ」で行方と状況を先に聞き出すべきだったかもしれない。要らん話に耳を傾け、要らん慰めをしていたがばかりに、ボロミアはこれからの判断に必要な重要な事を話す時間を失ったかもしれん。それは、指輪の誘惑によろめいてみちゃった★のどうのなんて事より、名誉を守ろうとしたボロミアにとって死の直前に我が事にかまけて情報の伝達をおろそかにしたなんてのは、よほど沽券に関わる事ではないんか。だが、奴はそうはしなかった。阿呆は残り少ない時間を、つい自分を寛大で良い人ぶってみせる事に使い果たしたのだった。 しかも、心半分に「コレが死んだらどうする?ホビットの行方は彼だけが知っている可能性がある。死ぬ前にどうにかして聞き出したい」等と先の事を考えつつで、心のそこからボロミアの事を誠実に考えていた、この時に死を傷んでいたとは全く思えんのだが。 だからその後のオイオイになるんじゃないかと。。。休憩時間が来たのでゼンブまとめて反省中、「反省終了!ああ良い反省だった。さあ次」って感じがするのは私の気の所為なのか。
だが私はその方が共感できる。 いいの。アタイの目が歪んでるねんよ。映画でなんか妙にエロい美人を見て、脳を仕切り直す。よって気にせんでくれ。 それが為に日記としては、二つの塔が始まる前にいい加減上げておかんとと焦ったんだ。
それはともかく、私は二部以降でパランティアの扱いがどうなるのかが大層気になってる。あの、ガンダルフとサルマンの塔の上と下でのやり取りのところ好きなんだが。 ガンダルフが「サルマンはハッキリ言ってめっちゃ美声で超美人だから、心して架かり、けしてメロメロにならないように」と我が身の経験からか、いやにしつこく念を押しておいたのに、皆見事にメロメロになってるところとか。私は大喜びだったんだけど。蛇の舌にパランティアを投げ捨てられて、サルマンが「キャア!」って言うところとか。笑いが止らんって感じだ。 後はギムリが燐光洞について熱く熱く夢中で語るところとか、すっげー可愛いんだけど。できればやって欲しいんだが無理かも知れない。
| 2003年02月04日(火) |
LOTRのビデオを借りてみました1 |
以下は、この日付の頃に書いていた日記に手を加えた日記なのだが(先生、それ、日記って言わんと思います)、こうやって後になって、適当にチェックして今頃上げるというのは、いよいよヤバクなってきたからだ。 そろそろ二つの塔が上映だよ? それで慌ててあげてみる。日記の日記たる価値を守る為だ。
(注:猛烈にネタバレしてます)
いや、一応ちゃんとエクステンデッドなんとか?(長い奴)を買ってるんだが。 ちみちみっと増えてる。 特に冒頭、ホビットの感じを堪能できるところとロスロリアンを発つところが(がらどりえる様が良い人になっていて)とても好きなんだが。ガラドリエル様とギムリの贈り物のところは凄く良い出来。ガラ様が凄く良い感じで、原作より良い感じ。 実際は(原作のイメージでは)、ガラドリエル様はあんな人間っぽい人ではないだろうと思うけど。トールキンが描いたエルフってのは、なんというか、人格的な魅力を通り越した美しさなんだろうと思う。物凄い芸術作品を見て、そこに描かれているテーマが理解できなくても、あるいは自分の価値観と相反していようとも、 「それはただ美しい。こんなものがありうるなんて」 とガンと目が眩むような圧倒的なものなんだろうと思う。 ギムリは、まるで、技巧を超越した芸術作品に焦がれ、それを敬うようにガラドリエル様に魅了されたのだと思うし(それはちょうど鱗光洞に魅せられたようにだ)。 だからそれは言うなれば職人集団である種族柄ってのもあると思う。 「髪をもらう」なんてのは、普通なら性的な感じすら抱かせそうなところだが、これがギムリとガラドリエルなので。実際は 「あの、プライベートなお時間に申し訳ないが、実はサインが欲しいんです。ああこんな時に俺っち色紙を持って無い!駄目だ、メモ帳に書いてくれなんて、こんな大スターにそんな失礼な事は言えない!ぎゃわ!このワタクシめと握手を!?いかん!御手が汚れまする!ああギムリ超感激★もうこの手は一生洗いません!」 みたいな感じなんだろうと思われる。 映画ではそんなギムリに対しての、 「ハハハ。まあ手ぐらいは洗えよ」 というレゴラスの眼差しが実にイイね。レゴラスが「ふ」と笑うところだ。 「ああ好感度ミラクルアップだね」って感じがするよ。 映画でのギムリとレゴラスはそんなに仲悪そうで張り合ってるようにも見えないのだが(ギムリが一方的にレゴラスを、というよりエルフを嫌ってるように見える)、よく見るとモリアの門の「合い言葉を忘れると城主ですら入れない」みたいなところで、 「どうせそんな事だろうと思った」 等とどうやら言ってるねんな(苦笑)たぶんこれはアレよな。「ドワーフのやる事に考える事ってのはさ…」みたいなニュアンスよな。さりげなさと突き放して冷めた感じがエルフらしいね。 ギムリは怒りも喜びも赤裸々に表すし、ロスロリアンに入る時も、自身の疑念や恐れをホビット達にひそひそ言って同じ価値観を抱かせ仲間に抱き込もうとしているしな。 エルフならたぶんアアいう事はしないと思われるね。どうも疑いがあり、やっと勇気を振り絞って「ねえ、あなた、なんだか彼に冷たくない?私の気の所為かしら?」ってオドオド聞いたらば、「ん?そうかもね。だって私、あいつ好きじゃないし」で、「それが何か?私が彼を好きか嫌いかと、あなたに何の関係があるの?」って感じだろうと思われる。 もう絶対そうだよ。あの種族は(決め付けるな) それが互いに良いところでもあり、悪いところでもありだ。ドワーフとエルフの縁がみるみる疎遠になったのも道理って感じだ。普通そうだろうと思うよ。一度こじれ出したら、ドワーフにしてみれば「お高くとまりやがって」って感じだろうし、エルフにしてみれば「姿ばかりか心根も見苦しい」って感じになるんじゃないか。
エルフを見るのが夢だったサムが実際にあった感想を問われて、「確かにエルフは美しかった。それは言い表せないほどです。ただ、エルフの美しさは…」みたいな事をモゴモゴ言ってたのにあらわれているのだと思う。
ともかく、しかしながら、その圧倒的な人知を超えた美しさってのは、所詮人が演じる映像ではあらわせないので、ガラドリエル様をああやったギムリとのシーンはとてもOKだと思う。この話はやはり神話を(正確には神話時代の終焉を)描こうとしただけあって、映像化が難しいんだよ。例えば、サウロンとその一派の人知を超えた恐ろしさってのも。 あれらへんへの恐怖てのは、もはや理屈じゃないんだと思うね。大体、映画を見て、どこのガキがあの目玉を怖いと思うんだ?(苦笑)いや、怖いのもいるかもしれない。おっきいしな。赤いしな。ありがちに爬虫類系だしな。
…ここで色々脱線し過ぎたみたい。 とうとう「原稿用紙二十枚以内で書け」等と言われたので、続きは五日付に持ち越しになった。 しかしよく考えたら、さくっと消せば良いわけだ。
寒くて手が動かないのに、無理やり更新。これでは更新とは到底言えないが、さすがに「賀正」を二月まで持ち込みたくなかった意地の為せるわざ。
原作タイタスが無かったので、マクベスはどんな話だっけか?と手に取りかけ、しかし良く考えてみたらリチャード三世を読もうと買ってあって幾年月。人間遣り掛けの事をあまり増やしてはいけない。神経のか細い私は血管キレるから。 岩窟王がさりげなく読みたいんですけど。 人様のオススメ「ヴィドック」を見てブイブイ文句をかましたり。でも面白かったよ。畜生、負けた気分だ。
某は、筋が通ってなくて粗がボロボロあっても一向構わんのだそうだ。面白ければそれで良いらしい。 正しい映画鑑賞法と思われる。 そう言えば、語学も「要は大体がわかりゃ良いのよ」と胸張って鼻息荒く言っていた。なんで君はそういつも正しいのかね?ミステリーだよ。
ところで今はやりの「太った猫」という初心者向けの英語紹介本があって、絵がめっちゃ可愛いのだ。その、まさしく太った猫がね。話も可愛い。 ところでその準備編にたいそう面白い事が書いてあった。 語学の分かり方についてで、よく聞く話なんだが、読んでて、 「これはまさしく凡人の同人思考への染まり方だ!」 と確信してみたね。 <世界一簡単な英語の本>16ぺーじ、五行目からだ。テーマを摩り替えるとこうなる↓
「同人感覚に染まって脳が腐れ果てた経験のある方の多くが、ある日、ある瞬間、突然霧が晴れたように「あ、バカップルだ!」と感じたと言います。徐々に腐ってくるのではなく、ある時に突然今まで見たきたもの、聞いてきたものが全部組み合わさって、腐女子的人物相関図が見えるようになるのだと言います」
どうよ?(苦笑) 私はここを読みながら朝から失笑したうえに、「ははあ、なるほど」とやたら納得しただよ。 いや、良い本なんだけどね。つい要らん読み方を…。寝ぼけてたからかしら?(言訳しない) こんな至極普通の本(物語ですらないよ)を読んでまでパロってどうする。 この理屈で行けばだな、私の脳は16ページの三行目↓状態と言う事か?
「それはつまり、(同人感覚に満ち溢れた文献である同人誌から同人的思考方法思考パターンを)吸収し続けた結果、吸収したものが多くなり過ぎて「溢れ出した」ということです」
一人でウケまくり(苦笑)イヤな脳だな!?オイ!
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