非日記
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2003年01月25日(土) <タイタス>

せっかくのテレビ放映だというのに、「千と千尋」見ませんで、「タイタス」見てました。やっぱ見なかったよ。
いや、ジブリの事だし、きっとまたいずれは何度も放映されるだろうと高を括ってたのだ。今度だけは見たくなかったのよ。

それで「タイタス」
アンソニー・ホプキンスが出てるのでウキウキ見た(笑)
「彼を見る為だけ」と言って過言ではない。そのとおりだ。
以前に「もしかしてオネエサン、ホプキンスが好きなの?」と言われて「好きだよ?」と言ったらば、「知らんかった!」と驚かれる。「どこが好きなの?」と問われて正直に「顔…かな?」と言ったらば、「そうなの?」と驚かれる。
ええー?何度も言ったつもりなんだけど?気の所為だったかしら。夢の中で言ってたんか。
ちなみに、アンソニー・ホプキンスでカッコイイ版なら、私的オススメは「アミスタッド」の老政治家なりよ。超カッコイイよ!惚れるなよ!?
お岩さんみたいに「キャー!出たー!」って感じ(違)出張ってくるまでは、「んもう!おじさまのイ・ケ・ズ☆」って気分を堪能できるし。出張ってきたら今度は「うわあ!ロ・ウ・カ・イ☆」と惚れ惚れする事請け合い(笑)

なにやら今度アクションものをやるとチラっと聞いたのだが、どんなんだろう?私、彼の体の重さを引き摺るような抑えた演技が好きなんだが。
常日頃、人間は他人の目を意識して感情を演じてるんだ。あるいは「自分はこのような人間だから、当然このように感じる(はずだ)」という自分への演技。
その、感情を演じている感じの演技、演じる感情と漏れ出す感情のアンバランスさのリアリティが好きなんだ。


感想、
ずばり、舞台演劇見てる気分。シェークスピアの他の映画化作品も以前に幾つか見た事があるが、これが一番、「…ぽかった」。
てゆうか、まんまじゃん!
映画を見てるというより、「演出を見てる」気分。出だし五分で、「うわあ、シェークスピアだー」って感じがし、その後もムラムラと高まる一方。
「シェークスピアそのままの舞台演劇なんだが、演出をリアルにし、演出の自由度を上げる為に映画という手段を使った」って雰囲気だ。

立ち位置から何から、舞台じゃないんだが、「舞台」が、劇場が見えるのよ。
「あ、ここで一幕が終って休憩が入り、その隙にセットが変わって場面が切り替わったわけね」とか、「あ、この役者は今舞台のこっちからこっちへ歩き回りながら、観客に話掛けて、事情や舞台裏を説明してるところね」とか、も、そんな感じ。
「これが舞台なら、今証明を殆ど落としてスポットライトが当たってるところだな?」に「あ、今スポットライトがうつって、役者が振り返って観客の方を向いたところか」と来たもんだ。
こりゃ劇だよ。まさしく。
こんな映画初めて!…てゆうか、映画じゃないよ?(笑)映像だけ映画だよ?
変なの!

そんな具合に驚愕したのはおいておいて、アンソニー・ホプキンスはカッコ良かった☆
悲惨な復讐合戦でシリアス至極なんだが、ちみちみとブラックユーモアがちりばめてあるのがまた痛痒くて良い。大仰な筋だけでも芝居がかった話なのに、細かいところでリアリティがあるね。タイタスの性格のもとからの悪さというか極端さとか、それぞれの自己中心性とか。

タイタスが復讐を決意するあたりから俄然盛り上ります。演技は盛り上ってる感じはしないのだが、見てるこっちは俄然盛り上ります。「来たよ、来た来た」って。

カイロンとディミトリアスの前で語るところなんか、とても良い。
「皇后は私が気が狂ったと思っている。楽しみだ」
あたりなんかもう、本領発揮って感じだ。この、この後に及んでまだ抑え続けるヒタヒタ来る感じ!
「羊たちの沈黙」の名演を思い出し。
派手な演技でない分、憎悪の根深さが忍ばれ。復讐の相手であるタマラに接吻するところもな。つまりタマラはあれでタイタスが狂っている事を一応信じたのだろうが、復讐を成功させる為にそこまでやったタイタスの憎悪の深さが、その後の割りと淡々とした所作でシミジミ伝わるよ。
タマラも無論タイタスを憎悪していて、それも当然と最初の方の表情から変化にも表れているのだが、この辺のタイタスまで来ると、流石に「タマラは憎悪にまかせてやり過ぎたのだ」って感じがメラメラ伝わるね。

まだ疑いながらも結局パイに手をのばすタマラを見ながら、そしらぬふりを演じきるタイタスの慎重な周到さと冷静さに脱帽。すごいよ、タイタス!普通の人間ならもうここで「プッ」って来かかるね。

皇帝サターナイナスの「二人をここへ呼べ!」までの静かさと、その直後の
「もう来ているッ!焼かれてパイになってる!母親がパクついた!生んで育てた肉を食ったのさ!ザマを見ろッ!」
の変化は秀逸。
見てるこっちも、タイタスの歓喜に引き摺られて気持ち良いってば(苦笑)
良し悪しを超越して、もはやアッパレ気分だよ。溜めに溜めた憎悪を解放する喜びと清々しさに満ちていてリアリティ溢れてるよ。
その後のサターナイナスに殺されるところでは、もはや為すがままで、充足しきったようなウットリしたような、遠く我が人生とその至ったところを眺めて受け入れてるような老いた目も。
タイタスは既に復讐を果たした事もあるが、サターナイナスの若い怒りは、既に自分の上を遥か遠く過ぎ去った感情への眼差しよな。羨むような、眩しいものを見るような。ここも良いね。
若い怒りってのは、若者の怒りでなく、つまり文字どおり、怒りの感情の若さだ。

サターナイナスの怒りは確かに本物で、彼自身から生じ彼を突き動かしているし、事によったら彼を操っているとも言えるが、だがそれはまだ彼自身そのものではない。タイタスやタマラがその感情に自ら手を差し出し、その感情と共謀し協力し操り操られる事を選び、分かち難く結びつき、自らが権化となる事を選んだようには。日本風に言うなれば、彼と彼女は鬼になったのよな。
その点に関して言えば、タイタスはタマラより一歩リードって感じだ。
「哀しみが私の理性を失わせたのです」と、非常に理性的に、むしろ悲しげに言うところとか。

だからあの眼差しなんだと思い。とても良いわ。
毎度納得させれる演技。ステキ!
「羊たちの沈黙」見て、「ハンニバル」見て、「レッド・ドラゴン」見なきゃ!

父親の手によって縊られるラヴィニアの性的なまでにうっとりした感じが、復讐が既にほぼ完遂された事を物語っているのだが、復讐の完成はそれが達成された事をタマラに知らせる事であるところが、この一瞬が極度に盛り上る由縁よ。
そのとおり。復讐はそれが成された事を知らせるまでは終らないのだ。完璧な龍に最後に目を描き入れるようなものよ。そして完成し命を吹込まれた龍は途端掛け軸から飛び出して天へ昇り、後には抜け殻が残るという仕上げ。

盛り上るよ本当に。そこだけ三回見て三回とも盛り上れたよ、私。
「二人が殺したのだ」の静かな悲嘆にくれた直後に、道化めかしてタマラを嘲笑うタイタスと、「このナイフが証人だ!」でタマラに突き刺すシリアスなタイタスと、短い時間で表情がくるくる変わるのが秀逸なんだって。
感情の変遷が非常に理解しやすくて、引き込まれるよ。

そしてタマラもそれが悪質な冗談などではない事が、言われた瞬間にわかるってのが、まさに互いに同じ憎悪を抱き、それを互いに知り尽くしている父と母、二人はある意味ツーカーって感じで、そこもリアルよね。

>>
ところで、パトリック・スチュワートの「クリスマス・キャロル」が見当たらんそうな。んな馬鹿な!超良いよ!?彼が好きなら絶対見なきゃ!って。


2003年01月15日(水) <秘密の部屋>

ドビーは原作より可愛かった。ゴブリンみたい。あの耳が良いわ。

映画館に行くと(別の)映画を見たくなって困る。
CMが。
とりあえず、向こうではもう<二つの塔>が上映されてるんよな。
「こんなシーン知らない…ずっと先の話が前に来てるのかしら?」と意識を飛ばして記憶をサーチしていて、ふと我に返ったら、画面に…。
エルロンドとアラゴルンが超真剣な顔して向かい合って立っていた。
そして唐突に
えるろんど卿があらごるんに言いました。


「別れてくれ」


この、気を抜いてると、ナチュラルに凄い誤解ができるCMは一見の価値有りだった。見れて良かったよ。

もともと前回「旅の仲間」終了後の予告で、原作なら出るはずのないアルウェンが超絶美麗な感じにババーンと出てて、しかも舞踏会シーン(違う。戦ってなかった?)を見たた時から
「次はさらにメロドラマなのかも…。そうよね、原作でも、好意を全面に押し出してくる、これを一番好きになったら自分ラブラブ凄く幸せになれるかも…と誰でもつい期待してしまうような良い子と、人の目でみたら冷淡で淡白で冷静すぎる感じが無きにしもあらずの、仮に一緒になれても間違いなく一生負い目と後悔を振り払いながら愛さねばならんような激烈面倒くさげなのを堂堂と天秤にかけて、我が身の心の比重と選択を猛烈に悔しがり、人目もはばからず熱烈に惜しんでたわね…。きっとそこを膨らませた二時のメロドラマだよ」
という先入観があったものだから、余計ナチュラルにね…。
でも予告編は先入観を裏切られて、相手が…相手が違う。すげー画面の切り方。
くぅ、笑い死にしそう…。
ヘルプ…へるぷみー。
ハリー本編を見る前からこんなに楽しませてくれるなんて、映画って本当に良いものですネ!
あんまり楽しかったので、余計なツッコミとアテレコをして遊ぶ為(例:「人間とエルフの同盟関係は終りだ。私は妻子を捨てられぬ。私とは別れてくれ」等)、次の上映時間が始るまで予告編見る為だけに粘って待ったほど。


事前にそんな調子だった私の脳は、今回タイヘンなアヤマチを犯しました。
また例によって、アホがする誤訳をしてしまったのです。
ドラ子を追い駆けるハリー。ドラ子が振り向いてニッコリ(注:現実はニヤリ)ハリーに言います。

「アタシを捕まえて☆」

奮起するハリー。

気持ち:「…まッ、まる、まるふぉーいっ?!」
激情の椅子、もとい、劇場の椅子でぶるぶるする私。

だって、だってね?!
「Catch me!」
って、それだけが耳に飛び込んだんだ!仕方ないだろう!
なんかその手前で「will you」だか聞こえたような気も儚くするので、実際は「貴様に追いつけるかなぁ?(挑発)」だったんだと思われるが…。
でも「キャッチ ミー」って、「キャッチ ミー」って言った!

その一瞬が為、私の中で延々とフラフラしていたドラコの立場は「ドラ子」になりました。
家臣は引き連れても心は満たされない女王様だったんだ!
心メモ帳に自動的に書き書き…
「<ドラ子、受>…っと、これで良し」

我が脳ながら、危険な事はやめて!
私、上は天井知らずだけど、下限はバッチリあるんよ。地面に穿たれたキャニオンが。昔から、年齢が低いのは個人的趣味の問題でちょっと萌えないのよ…(苦笑)倫理的とか道徳的にどうのでなく。
「どうこうしたい」と思わんのよな(年齢に関係なく思うなよ)。
だから別に、この先は無いんだが、ただ…、ドラ子は受だね。
もう決めたけん。今度から何処を読んでも、「ドラ子は可愛いわねえ」になったけん。さよなら。


特筆すべき事はそれぐらいか。
もう、頭ん中が「キャッチ ミー」にキャッチされてしまい。

ハグリッドは相変わらず、映画版では私のムカつく要素が抹消されていて影が薄い。そりゃ、エピソード的にはイッショよ、確かに。ただ何と言うか、私的に「こういう人」という、(原作のハグリッドにはあった。というより、ハグリッドだけに妙に濃くあった)人間味のリアリティが足りないのよな。
私には、原作でも、良い事にも悪い事にも殆ど現実味を感じられない。何故かはわからないけれど。
なんか典型的とも言える不幸が設定に羅列してあるわりには、引きずり込まれ、胸に迫るほど濃くないのんよ。児童書だし、そうしたんだろうけど。あるいは、単に私に想像力が足りないのかもしれない。
ただ、何故か殆ど胸に迫ってこない中で、ハグリッドだけが異常にリアルに感じられる瞬間がある。あった。時々、不思議とね。

全く同じエピソードだのに、映画ではそれを全く感じない。それが不思議だ。
原作のハグリッドにあって、映画のハグリッドにないのはなんだろう?
どこをどう削った所為で、原作のあの部分の見た目が映画での見た目になってるんだろう。それは、意図的なものなんだろうか。
それとも単に、私がひねくれて、瞳が淀んじまってるのかしら(苦笑)

というわけで、ハグリッドはちょっくら横へおいておいて…(また遁走か)、
ハーマイオニーは、私が見た広告写真が悪かったんだ。
広告の写真は可愛くなかったが、映画は可愛いままで良かった。


2003年01月09日(木) ひどいや

まあ?
私、ファンダム(テイルズ)で、そんなにディムロス(剣)が喋るなんて知らなかったわ。
そうと知っていたら、発売と同時に買っていたかもしれないよ。
ついでに、デスティニー2ではディムロス(人間)が出るんですって?
そりゃ私はリオンも気になるお年頃だが、ソーディアンの方がさらに好きだったのよ!どうした事か、誰も剣のまま萌えてくれないので、涙チョチョ切れたぐらいだ。
ああ、画集とか出てたら、私きっと買ってるよ。「めくってもめくってもソーディアンばかり」みたいな画集が出てるならね。
「焚き火を囲むように、焼き肉みたいに地面にぐるっと突き刺されたソーディアンが楽しくオシャベリする」みたいなSSが何処かに落ちてないかしら?

某「自分で書けば?」

だなんて、なんで自分で書かねばならないのよ!?自分で書いたって面白くないよ!


私が偶にハリーポッターに集中していたら、このように横槍が入るとは。

某「私悪い事言ったかしら?」

ええ、全くね。
ゼロの深紅ちゃんはもう死にかけていて、まだ第一夜だと言うのに、朝になった途端眠りこけて、しかも目覚ましをかけ忘れ、目が覚めたら既に第三夜で自分の写真には両手両足にがっちり縄が絡まっていて、最後のメモは「…目覚ましを…目覚ましをかけ忘れた…もう時間が無い…」みたいなものよ。
大家さんがヨロヨロしながらケーキをもって来て、私がまだ保険と睨めっこしてるぐらい状況は芳しくないよ。

悲しみのあまり、「ジェヴォーダンの獣」と「WX3」を見る。
「WX3」は脚本がとり・みきとは知らなかった。とり・みきと言えば、読みたい漫画があるんだけど…。

「ジェヴォーダンの獣」は始まった途端風景が綺麗で感動する。話はそうなに面白いって程でもなかったが、画面の切り替え方とか面白かった。狩猟のシーンなど多いので、なんたって風景が良い。
野原とか大好きだ。指輪物語も広大な風景が良かったし(あればかりは文章では想像しきれない)、大体元から、ちょっと昔のヨーロッパ風の雰囲気がなんとはなしに好きだ。それも田舎の、丘陵地帯とかかなり好きだ。
DVDで映画の何が欲しいか、何を買っても良いかといえば、「スリーピーホロウ」ってぐらいだ。主人公がバッタンバッタン倒れるのもオモシロ可愛かったが。
「アマデウス」も新しく編集したのが出るらしいので、もういちど見たいし、「インタビュー・ウィズ・バンパイア」もちゃんと見たい。

「スリーピーホロウ」で、主人公がバタンバタン失神するといえば、ドラマ「トリック」がどんな話かを聞いた時に、それを思い出して面白そうと思ったのだ。本を貸してもらったので、テレビ版から見て映画を見て、それから読もうと思ってるんだが、邦画の安い日がなくなったので、なかなか手に取れない。
相変わらず「アメリ」も「メメント」も見てないしな。
「レッドドワーフ」のボックスも出るというのに。どうしよう?
私はBBCの「シャーロックホームズの冒険」のボックスが欲しいんだが、あの異常な高さはなんだ?とても無理だ。
それぐらいなら「キカイダー」のDVDを買ってしまうかもしれないよ。
「キカイダー」といえば、「ビジンダー」ってのは今思っても凄いネーミングだ。たまらんね、石ノ森。
「ハカイダー」の特撮版があって、なかなかイカスビデオだったのだが(言うなれば、昔懐かしくも、「ボス敵は何故か必ず赤ワインを好み、パイプオルガンやピアノが堪能で(部屋の雰囲気から華道かフラワーアレンジメントもやってるんじゃないかと思う。きっと他にもたくさんお稽古事をしてるに違いない)、クラシックの荘厳な雰囲気の曲を好み、日常をハイソサエティに過ごしている権力者である」って風だ)、誰も見てないので語れない(語ってたきもするが)
・・・
・・・・・・・もしかして私は石ノ森章太郎が好きなんか?
「私は絵が上手い人が好きなんだよ」と思ってたら、文庫版の寄稿文で「石ノ森章太郎は漫画家として絵に拘っていて絵が上手い」てのを読んで、「え?そうだったの?」と思ったほどだのに。
なんて事か、「手塚治虫は絵が上手い」とか「萩尾望都は絵が上手い」と思った事はあるんだが、「石ノ森章太郎は絵が上手い」と思った事は一度もなく、しかし今読み直してジッと画面を見てると確かに上手いきもせんでもないよ。
雰囲気が好きだと思ってたんだが、その雰囲気ってのは画面の事だったんだろうか。
よくわからない。


2003年01月07日(火) <秘密の部屋>読みました。

どうした私!?珍しく、はえーな!
だいたいは、いつも十冊ぐらいは平行してチビチビ読んでるんだが(読書家なわけではなく、単に、子供の時みたいにはのめり込めなくて)、偶に一息に読むんだ。
その偶にが秘密の部屋にあたったらしい。
この前は、先月遊びに来た某嬢に貸してもらったアキフ・ピリンチの「猫達の聖夜」。あれ、かなり目くるめいた。面白かったわよ。
特に、気が触れて行くところの某の日記の記述は秀逸だった。妙に説得力とリアリティに富んでいて、下手なサスペンスやホラー小説よりずっと迫力があった。私的には、「リング」なんかよりずっとサスペンスフルだったよ。リングはちっとも怖くなかった覚えがあるんだが、ピリンチのあそこはちょっぴりゾクゾクっとしてよ?
「個人的に何を怖いと思うか」みたいなのもあるんかもしれないが。

例えば、私がハグリッドにむかつき、「いや別に嫌いじゃないよ」と懸命に言訳しつつも人の気も知らずに「でも、だってさあ」とやたらしつこく繰り返したようにだ。

ともかく、
それもこれも映画見て、「私、原作、面白かった気がしてきた」おかげです。
一巻より二巻の方が面白かった気がする。
相変わらずハグリッドにはさりげなく苛立ち。やっぱな。これがハグリッドだよ。うんうん。
やはり、ハグリッドが可哀想だったかどうかとハグリッドに苛立つかどうかは別の問題だよ。しかも先生、私、ハグリッド可哀想だったなんて読了後も木端も思わないようよ。何故かしら。彼は可哀想だったのか?
ノン、先生。あれは正真正銘自業自得というのだ。例の如く、李下で冠を正し、瓜田で沓をなおしちゃったってわけよ。人生はいつもそういうもんなのよ、あははん。だから格言にまでなって、若人に注意を喚起するってわけなんだが、それでもその格言が辞書から消えないってのは、どうしてもツイウッカリその轍を踏むって事なのよ。
十年ぐらい生きてると、加害者としても被害者としても身に覚えが出てきて、「昔の人は良い事言うねえ」って唸るようになるって寸法だ。

ハグリッドにこめかみがヒクつくのは、ちょうど男の趣味が最悪な女、もしくは女の趣味が最悪な男を親友にもってしまったような怒りで、私としては当然の苛立ちと思うね。
毎度酒によっては殴られてるドメスティックバイオレンスな伴侶をもった妻もしくは夫の避難所になり、呻き声と泣き言を聞かされながら、家庭裁判所や相談所に行けというに、そうすると必ず「でも彼(彼女)、優しいところもある」等と泣きつかれ、「そんな事はこの際どうでもエエんじゃ!バカタレが!誰が人間性の話をしとるか!?問題が現実にあるだろうが!」と血管きれる三秒前、カウントダウン中な感じよ。

だからしぶとく言うんだよ、別にハグリッドが嫌いなわけじゃないって(苦笑)
単にムラムラっとムカついちまって、思わずケリを入れてサンドバックにして冷たい眼差しで見下ろしたくなる瞬間を気合で堪えねばならない時がいかんともし難くあるってわけなのよ。
「ハグリッドをピンヒールで踏みたいのを気合で堪えてるのが人間の心だ」と死ぬまで言い張る所存だ。いっそ「断固踏む!」と意気込んだ方が人間味あふるる評価が下されるのではないかと疑われるが、ある視点から見ればそうとも、ハグリッドはつまり人間味溢れて純真で可愛いってわけよな。
私としては、だから問題なんよ。



昨日は水道が凍る。だがこんな事もあろうかと、前日にはちゃんと鍋に水を溜めておいたので顔は洗えた。なんでこんな「わりとどうでも良い」事には、やたら目端が利くかな?(苦笑)
本日は七草粥をつくる。旨い。
さあて、二巻も読んだ事だし、いつ映画に行こうかね。らんらん。
チラシを見たところでは、ハーマイオニーがそこはかとなくケバくなっていた気がするんだが、気の所為だろうか。賢者の石の時は、とても可愛いかったけど。


2003年01月05日(日) <賢者の石>

やっと見た。見やすい。
これで二巻が読めるな!

見る前に「映画は面白かったですよ」と薦められていたが、だけどセンセイ、正直、私的には原作の方が面白い気がするよ。
「…原作面白かったよね。うん。面白かったよ」
といった具合で、二巻を読む気になってきた(笑)

なんか、繋ぎが悪い気がしたのだ。気の所為かな。
私、映画みたいに進行が早いのは、かなりミッチリやってくれないと意味わからんくなるのだ。飲み込みの悪さは、先の展開を前もって推測する事で補ってるのよ。
「あら、綺麗なお花畑ね。…そう言えばさー」と、ちょっと別の事考えた隙にも話が進んでるし。映画見てるときとか、テレビ見てるとき、考えるよね!?別の事を!?
そして「あ」と気がついたときには、場面変わってて、しかもその隙に重要な伏線があったりしてグッドバイなのよ。

…最近、思ったのよ。

自分的には人にあわせまくってる気がしてたんだが、ひょっとして、もしかすると、自分、昔から今に至るまで延々とマイペース…とか?
主に自分のペースを乱されたり崩されたときに、猛烈に腹を立ててるような気が…気が…。もしかして私は、邪魔されるのが凄く嫌い?人と比べて桁違いに嫌い?
いや、よく考えなくても思い返すに、予め、「ちょっとでも気を散らされたら自分が凄く腹を立てるんじゃないか?ひょっとした事があったら一気に縁を切ろうとするかも」と危ぶまれる事がわかってる時は、前もって「邪魔しないでね?」と念のために釘をさしてまわってた気がしないでもない。
その時は、後ろに「我らの友情の為に」というのがコッソリ飲み込まれてたんだよ。ええ、そうともよ。ここだけの話だが、「警告はした。邪魔したら殺す」とか毎度シミジミ思ってたもの。

つまり、ココだ↓。
私ったらば、凄く毎度毎度人にあわせてる気がしてたが、それはしかし「マイペースに(←問題点)人にあわせてた」?

「これぐらいで良いだろ」とか「面倒くさい」とか「やってられるか」等と思ったら、即時あわせるのやめてた?!
なんと。それって、「人にあわせてる」とは言わない。もしかして?

まあいいや(よくないだろう)
だから先に原作読んでおきたかったのよ。文字なら自分の早さで読めるから「…わけわからんくなった…。でももう元に戻れない。こうしてる間にもずんずん進行中。う、面倒くさくなってきたよ。もう知らん。勝手にやってくれ」って事が無いから。

原作読んでて、「随分ずんずんあっさり話が進むな。さすが児童文学」と思ったんだが、映画はそれどころじゃない。でもそうね。時間的に、これ以上は削れない、これ以上は増やせないってところかもしれない。
味気なく感じるのは先に原作読んでしまったからだろう。
そんな事はわかっていた。でも先に読んでおきたかったんだよう!

それでも、映像は良いね。素晴らしいね。綺麗だ。雰囲気が良い。

色んなエピソードが削られてて、ウグウグ勿体無い気がするが(まだ言うか)
マクゴナガル先生はミンチン先生みたいでビジュアル凄くよかった。CM見たときから楽しみだったんだ。

…特に、ハグリッドとスネイプ先生に、なんか残念がってるようだ。私。
スネイプ先生はもっと愛らしさ満載よ!(結局そうなってるのか?)
第一、
「ハグリッドが一番好き」とおっしゃる例の某嬢に、読了一番「ねえ、ハグリッドどうだった?」とウキウキ問われて、「ムカついた」と答えてしまった私的ハグリッド・メイン・エピソードが消えているじゃないか!?
賢者の石の全ストーリーの中で、あそこに一番神経使って、一番真剣に読んだんだよ。あれが無いと私には偽ハグリッドだ。私にはハグリッドはアレなのよ。アレが象徴なのよ。
ハグリッドが居るのに、ハグリッドに木端もムカつかないなんて?!そんな馬鹿な!ムカつかないハグリッドなんて、そんなのハグリッドじゃないよ!アタイの中で影を薄くされたよ!

「ムカついたなんて、ヒドイわ」
と拗ねられたが、つまり、そこでそれぐらいは真剣になったのよ。読むのやめなかったし。悪くない傾向だと思うけどね。
事実、今現に、そのムカつきを恋しがってるじゃないか(苦笑)

しかし某嬢は、「どこが好きなん?」と聞いたらば「顔!」と即答してたので、別に構わんのかもしれない。どうだろう。
ふーん。この髭もじゃらがね。良い趣味だわ、姉さん。冗談でもイヤミでもなくってよ。
しかし「ヒゲもじゃらなんてヒドイわ」等と言われる気もする。


2003年01月01日(水) 謹賀新年

あけまして、おめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました(色々とナ!)
今年も宜しくお願いします。

…え、誰に向って言ってるのかって?
…そりゃ、貴方にだよ。

てゆうか、毎年この時期は家にいないのだが、今年はいる。が、何もできなかった。ああーん。
お雑煮つくったら、アタイの正月が終ったよ?
辛うじて洗濯はしなかったがね!(単なるサボリでは?)
明日から、お仕事なんてダルイな。つーか、正月休、シフトの関係で単なる休日ではないか!

今年の抱負?
…そうだなあ、夢といえば
病気や事故にあっても生きて行けるように、保険に入ることかな…(切実すぎ)
後は、ケツに火がついてからではなく、マトモに年金を払って、老人にデカイ態度をとれるようになるとか!
払っても無理な気がしないでもないけど。


やぐちまさき |MAIL