非日記
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2002年12月31日(火) ぎりぎり

毎年、元旦をどう過ごすかっていうのは、

「これが一年の計になっちまったということか…」

と思うので、さりげに緊張する。
いや、緊張はしないが、残念に思う。もとい、ガッカリする。…もとい、苦笑する。

先程(22:15〜)、「転びオサメ」をしました。
歩いてたら、どうした事か目測を誤って溝にはまった。
三十五センチも落ちたので、落ちてない方の足を怪我したほどよ。
ま、私は溝にはまるプロだから、大した事はないがな!(威張らない)
踏み外した方の足はそのまま落として、問題はいつも、元の位置に残ってる方の足がどうでるかなのよ。「溝にはまりのプロ」は、素早く!足首を返して元の足を折りたたむか、とにかく力を抜くのだ。
落ちた方の足で立つのよ。
私が思うに、もっとプロで、物凄く運動神経が発達してるなら、落ちてない方の足で地面を蹴って、そっちもワザと落とすね。しかし私はまだそこまでは開眼してない。

しかし、長い三十五センチだよ。
「…ヤッた!」
と思ってから、着地までに、何か色々考えたキガスルんだが、その一つは
「まだ2002年だ!良かった。まだ元旦じゃないよ!これが一年の象徴ではない!」
だった。

そういえば、前に学生時分に遅刻したら、教室の噂では
「矢口さん、寝てるんじゃないの?」
だったようだが、現在偶に遅刻すると、職場の噂では
「矢口さん、(来るまでに、どっかで)転んでるんじゃないの?」
になってるようだ。
「失敬だな!アタイ、ヨチヨチ歩きの子供じゃないぞ!」と思ったが、本当のところありえない話じゃない。

そう言えば、某友人の家に遊びに行く事になり、しかし途中で転んで、あまりの素晴らしい転びっぷりに電話をしたのだった。「救急医療品ある?」と。
「とにかく来い」
というので、家に行ったは行ったのだが、やはり玄関で足止めされる。血塗れだったので、直ぐには家に上げてもらえなかった。

だいたい、二本足でバランスとって歩こうってのが世の中間違いの元やねん。
私の足はグウタラなので、横になって寝ておくようにできてるんだ。
子供の頃の兄弟喧嘩だって、一気で責めて防戦一方に追い込んでおいてから、体重をかけて身柄を押さえ、ゆっくり腰を落ち着けてから、そこらへんのものを手当たり次第に手にとって、タコ殴りにして泣かしたものよ。
足は蹴ったりするものではなかったのよ。首や急所を押さえて体重をかけ、動きを封じる為のものだったんだ!

ちなみにその状態では既に私は大泣きしていたので(注:泣いてからじゃないと攻撃できなかった)、現場を押さえられた場合、たとえ兄が泣いていようとも、
「何やってるの!?お兄ちゃんでしょ!」
とオトナには言われていたので、私は子供ながらにも「お兄ちゃんってのは可哀想だなあ。フフン、ざまあみろ」と思った(死)
不憫に思って、「お兄ちゃん泣かないで」と慰めてやったほどだ。すると「おまえが(俺を)泣かしたんだろうが!」と逆ギレされ、以下最初から巻き戻し、エンドレス・・・。

…いや、私は自分を弁護する。だって四つも年が違って、性差まであったら、力と智恵の差は歴然で、悠長に正々堂々とした手段を選らんじゃおられんかったのよ。当時の私の座右の銘は、「最後に勝ったものが真の勝者だ!」で、「我が辞書に一時撤退の四文字はあっても、敗北の二文字はない。生きている限り必ずチャンスは来る。必ず勝つ!」だったし。

そんな具合で(こちらが)全力を出しきって五割やっと勝てるか勝てないかという兄弟喧嘩をしてたので、皆が思ったよりか弱い生き物だと知らなかった事がある。
私は家の中でヒエラルキーの最下層にいた。よって、私の中ではね、全力を出しても、私が負ける方が普通だったんだよ。勝てると踏めて、争った事などなかった。ただ、誰でもそうだが、我慢できない事があっただけだ。
力が欲しいか(あーむず)
「力が欲しいと思った事はない」なんて私には信じられん状態だ。私は欲しかった。猛烈に。家の中で、家族に対し、対等の発言権を得たかった。
たとえ年はとっても、ヒエラルキーの最下層であることはかわらない。イニシアチブは握れない。
権利を得る、上り詰める為のその最短は、知識と智恵だと信じた。そして剛情さだ。

幼児にとって親に逆らうってのは、たとえて言えば、命を張る覚悟だ。
私は、今も昔も「親は子供を無条件に愛せる」などとは思ってない。「愛するべきだ」とも。だからその、命を張るほどの強情さだ。


ともかく、
捕まれた腕を振り払っただけで、表皮がビーっと裂けたりするんだよ。どうなってるんだ皆、今思ってもオカシイヨ皆(私の爪が鬼爪なのがイカンらしい)
そんな儚すぎ。

あ、いかん。
眠くなってきた。
もうすぐ新年だ。
よいお年を、だ。
年賀状、間に合わない(苦笑)


やっぱ年越し「零〜zero〜」はやめとこ(笑)


2002年12月28日(土) 気を抜くと・・・

鼻歌を歌ってるので、とてもイケナイ。
だって頭使わなくて良いから、楽すぎて暇なんだよう。いや、本当はアタマ使わなければならないのかもしれないが、制限時間が短すぎて、私には反射神経しか使えない時間なんだ。
自慢じゃないが、頭悪いんだ。
指示されなければ動けないが、指示されても動けないんだよ!(威張るな)

う、いや、頭の良し悪しは処理の速度だけではかるものではない…と誰か言ってた気がする。
とは言うものの、それで例に出されていたのがアインシュタイン博士なので、そんな教科書に載るような高名な学者さんと一般人を比べて慰めになるわけが無いだろうがとも思う。ついでに言わせてもらうなら、確かアインシュタイン博士はアメリカ大統領に「原爆つくれ」とお手紙書いたので(語弊あり)、「そのおかげさまが巡り巡って、毎年毎年夏になると平和教育と称して、皮膚の焼け爛れた人間のカラー写真が全面に貼り付けられた死の回廊を歩くはめになったのか…」と思うと、いまいちモグモグするものがある。
そりゃモチロン、彼の所為ではないけどね。時流って奴かもしれないがさ。
でも普通、学識者てのは、時流を「止める人間」であるべきだろ?違うんか?


最近の気懸かり>
「心得ておきます」と言ったら笑われた。何故に。
そう言えば「以後気をつけます」と言っても笑われた。何故じゃ。
私の日本語、変ですか。
変かもしれん。そりゃ多少は無理しとるからね!
本当は「だ。である。だろう」調だからね。……口語が。

敬語が変なのはわかってる。だって大体面倒くさいだろうが。なんで一々、誰より誰が上とか下とか瞬時に考えないかんねん。
皆、本当は暇なんだな?
「いつもお世話になっております」
といわれ、一瞬
「…は?私はお世話した覚えが無いんだが?あんた、誰?」
と思ってしまい、「こちらこそ」の間にタイムラグができてしまう私は、きっと人として駄目なんだろう。


「あら、あなたは!」
と何度か声をかけられる。
…怖い。私の知らん人が私を知っているようだ。またか。「巨人の星」のひゆうまの姉ちゃんが電柱に隠れたい気持ち(ちょっと違う)
だからアタイ、お外キライなの。知らない人が声をかけてくる。
おうちに篭りたい。
いいえ、ダメダメ。弱気になっては駄目よ。今に始まった事ではない。
何がいけないって、私は人間を覚えるのに、人の何倍も時間がかかるのだ。十年ぐらいコンスタントに付き合いがあってもまだシラっと間違えるからな。
だって、皆、目が一つで鼻が二つで……………間違えた(冷汗)二つなのは目と耳で、鼻と口がヒトツで、鼻の穴が二つなのは永遠の謎なのよ。
要するに、造作も大した違いは無いし、性格も似たり寄ったりだし、喋る事と反応に至っては殆ど違いないんだもの。

何、いつどこのレジにいたって?あなた、そんな。スーパーのレジの人間が客の顔なんか覚えるのかよ、普通?客の私はレジの顔なんか見てないよ。しかも何、いつの話だって?信じられん。どんな記憶容量だ。君は天才かね。


出来事>
就業五分でストッキングがデンセンする。
一日デンセンする。

悪いのは私。わかってる。何か飛び出てたからね、引っ張ってみたのよ。そしたらデンセンした。40デニールだかの温かい、高い奴だったのに。ああ。

そりゃ、「電線するかなー?」とは思ったよ、確かに。
でも、「電線せんかも!」とも思うだろ?…愚かにも思ったのよ。


厦門の特産>
何故かパッケージ数箇所に「クリーンピース」と書いてあるが、どうもグリーンピースと思われる。
私は初めて食ったのだが、どうやらこの商品は、厦門の伝統的な特産品の銘菓であり、シンガポールのテクノロジーによってさらに改良され、日本やオーストラリアや東南アジアに輸出されているらしい。
それで一部如何わしい片仮名が書いてあるようなのだ。だが、原材料のところを見ると、純天然緑豆と書いてあるので、「純天然緑」までを総括し、一つの単語で表現しようと試みてカタカナにすると、「グリーン」ではなく「クリーン」になるのかもしれん。言い得て妙って気もしてきた。

グリーンピースを乾燥させて挽いて粉にし、砂糖を混ぜて、カタチを整えたのではないかと思う。きな粉を四角い箱につめて逆さまにして、そっと出したら四角になるだろう、一応。そんな感じだ。
不用意に触ると、口に辿り着く前に崩壊するのだ。これがシンガポールのテクノロジーか…(そこじゃない)

めちゃ甘い。
買ってきた人間が「きな粉の菓子。きな粉の菓子」と言ってたのがわかる。御茶なしに食べたら咽喉に詰まるだろう。まさに茶菓子という感じだ。
和菓子のよう。
物凄く甘いのだが、どこか品のある甘さだ。

パッケージの読める方(英語)を見ると、ええ、何何…「栄養と香りの品質はおよそ保持され、その柔らかな味わいは貴方に真実の喜びを与えてくれます。イカス感じ!」とな。ふむふむ。
ちなみに私は日本の商品でも、パッケージに英語で書いてあるのを読むのが好きだ。面白い。しかもだいたいパターンが同じで、内容が推測できるので、辞書なしで読める貴重な英文だ。
ちなみに、「イカス感じ」というのは、「Cool sesnsation!ってのは、Cool sensation!の間違いじゃないか?」と判断した上での意訳である。自分では名訳だと思うんだが、できればもちょっと上品にしたいかな。

ついで左側を見ると、謎の漢字が(簡略化されてる奴とか)並んでいるが、流石書き日本語の輸入元の国だけあって、わかるところも無いでもないね。あ、書いてある事がちょっと違うようよ。
英語の方は「伝統的な食品だ」とかそういう話だが、母国語の方では普通に言材料とか書いてあるよ。こっちの国の菓子の箱に書いてあるのと同じような事が書いてあるんだろう。
「口に入れると、とろけます」とか書いてあるようよ。こっちのがより正確だね。この触感は「soft」では到底伝えきれないよ。
「ベリー・ベリー・ソフトで、ウィズアウト・ウォーターで、イントゥー・ザ・マウスするなら、おそらくはブリージングをプリベントし、まるでライク・ザ・スウィート・ダスト、そしてユーにスウィート・ペインをギブします」とか書いた方が正確と思われるよ。

へえ、「清らかな甘さは、鮮やかに美しい」そうだよ(無理やり日本語にしないように)

最初変な味だと思ったが、だんだん旨いような気がしてきた。人にもやろうかと思い、絶対量が少ないのでどうしようかと悩んでいたが、そうこうするうち、結局一人で食ってしまう。


2002年12月26日(木) くりすます

気がついたら、ほぼ一ヶ月、日記を書いてなかった。
「この一ヶ月、一体何をしてたんだろう…?」と思い、カレンダーを見たら思い出した。ああ、にゃるほどね。


今年のクリスマスにはお祝いに、古代米というのを炊いてみる。
いや、私は一応仏教徒だからあんま関係ないんかもしれないが、日本教徒だから良いねん。
子供の頃には家族の中で最もイベント好きで鳴らし、だーれも付き合ってくれないので、泣きながら部屋の隅っこでクリマスソングのレコードをかけていたという淋しい思い出があるぐらいだ。…そういう事を繰り返しているとね、だんだんどうでも良くなっていくわけよ。

とにかく、気分を堪能したいわけ。

それで今年は古代米というのを炊いた。
えーと、原材料は、黒米と緑豆らしい。普通の米にちょっと混ぜて炊いたのだが、赤飯のように真っ黒になった。紫色って言うか。
歯ごたえがコクコクしてて割りと美味い。

ついで、実家から中国土産が届く。
アモイの銘菓らしいが、きな粉のようで食べ難い。豆菓子らしが。
変な味。変な味だ。


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