あおい世界
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2009年06月30日(火) 雪、発熱。

朝起きた時から、下半身が重く感じました。
歩くのものらりくらり。
ちょうど月のものが始まったばかりだったので、
今回は足にきたのかなぁーと思いつつ、
熱を測ったら、36.7度。
それ以上は気にすることなく会社へ行き、
午前中は月末用事で銀行3件、郵便局、
私用でデパートなどをうろうろし、昼ジャストに帰社。
ずっと重たかった足がどんどん酷くなり、
昼寝の後は、寒気までしてきました。
3時を待てずに2時半早退。

母が都合のいい日に、
桃の皮膚科へ薬を取りに行ってもらおうと思っていたため、
実家に保険証一式を置いてあり、
母に知られることになってしまいました。
近所の内科へ行き検温。
39.7度!(▽o▽)

火曜日はいつも若先生なのに、火曜日は大先生。
腎盂炎を疑っていましたが、それではないし、
インフルエンザの検査は陰性だし、
なぜにこんなに熱が上がったのか不思議そうにしていました。
若干喉が腫れているので、風邪ということでしょうか。
点滴と注射を打ってもらい、5時過ぎ帰宅。

母が桜と桃を夕食に連れ出してくれて、
あたしはゆっくり休むことができましたけど、
明日まで治るかなぁーーー。
このところ、休んだり早退したりが多くて、給料に響くわぁ。。。。とほほ


2009年06月29日(月) 本■沼地。

やっと 『ぐるりのこと』 を読み終えました。
どのくらい掛かったんでしょう。
この本はエッセイなんですけど、
世界や歴史や宗教などが織り込まれていて、
あたしにはちょっと難しく、
静寂の中で集中して読まないと理解できない内容でした。
それでも1回目は、毎晩ちょっとずつとか、
子供たちがワイワイ騒ぐ雑踏の中でとか、
少しずつ読み進めていたのですが、
よく分からないから、読むのも進まなくて。
一度はやめようかと思うほどでした。

が、読み終わってすぐ再読したんです。
そしたら、なんとスラスラと文字が流れていき、
あたしにしてはハイペースである1週間程度で読み終えてしまいました。
なんなんだろう。
これが梨木ワールドの不思議さです。
そして、しみじみ心に漂う読後感に満足できるのです。

さて今日から 『沼地のある森をぬけて』 を読みます。
趣味は読書です、とは言われないほどのスローペースですけど、
ゆっくり地道に楽しんでいきたいなぁと思います。
多分、今年に入って、まだ10冊目。
昨年は図書館利用や買ったり頂いたりで一年間に40冊読んだんですけど、
今年は半分いくかいかないかだわ。


検索WORD = 本■


2009年06月28日(日) 免許更新。

朝8時半、母に娘二人を預け、一人で免許センターへ。
5年ぶりの免許更新。
振り返れば、18歳で免許取得、
21歳、24歳、27歳、32歳、37歳、そして今日と6回目の更新。
ずーーーっと前、免許の更新は誰もが3年毎でしたが、
特例を除いて5年毎になったので、楽になったと言えば楽。
でもねーーーー、この写真写りで5年は辛い。
面倒がって、化粧せず、
いつものスッピンだったため、
肝斑(かんぱん)がしっかり写ってるぅー。。。 w(☆o∂)w
最近は性能のいいカメラらしく、
ほとんど座ってすぐパチリと写されるという流れ作業。
あーーー、甘かった!
今日ぐらい、ちゃんと化粧すれば良かったなーーーと思いました。とほほ。

あ、もちろん今回も優良運転者、ゴールドよ、ゴールド♪


2009年06月27日(土) 桜の歯−24。

本当は13日の夕方、予約していたのですが、
急遽その日はキャンセルし、予約を取り直しました。
翌週の土曜日は病院がお休みとのことだったので、
仕方なく2週間後の今日になってしまいました。
間が空いてしまうので、
できれば平日とかに来れませんかと言われましたが、
夕方、足を運ぶのは時間的に辛いので、
結局前回から4週も空いてしまったことになります。

予約時に、装置を使ってますかと聞かれたので、
一日5分以上していますと答えたものの、
最初は喜んで頻繁に装着し、
時には寝るとき付けたままで朝までいましたが、
父の死後、実家でバタバタしている間、
人前で装着するのが嫌だったらしく、全然しない日が続いたり、
まるでおもちゃに飽きた子供のように関心が薄れてしまったり、
この4週間は、日によってとても差がある状態でした。

その事を正直に話すと、
まだ夜中付けっぱなしにする必要はないとのこと、
それよりも起きている時間で、もうちょっと長めに付けるように言われました。
もうちょっと長めにというのは、
前回言われた、1回5分よりも長めということなので、
桜が忘れさえしなければ、
10分15分付けていることは苦にはならないはずです。

診察内容は、歯磨き指導と装置の具合を見たり、
口内をチェックしたり、フッ素塗布など。。。

今日のお値段は、税込み 3,150円!

これからは毎回5,250円かかると思っていただけにラッキーーー♪
次回は4週間後です。



帰り道、母の要望でまたまた半額ピザをテイクアウトしたり、
スーパーで買い物をしたりして、実家へお泊りに行きました。
今夜は兄貴たちが来ないので女子4人だけでしたが、
それでも楽しく過ごしました。
父もきっと一緒に笑っていたことでしょう。


検索WORD = 桜の歯−


2009年06月26日(金) 医師の言葉。

先日、母が歯科受診のため、総合病院へ行ったとき、
改めて父の担当医に挨拶をしたいと思っていたら、
偶然、会うことができたそうです。
こちらがお礼を言う前に担当医は開口一番、謝罪の言葉を発したそうです。
それは、退院が延びてしまったこと。
一度は週明けの月曜か火曜に退院と口にしてくださったのに、
その後、母への体力を考慮した結果、介護認定の諸手続きに時間がかかり、
週末の金曜に退院になったという経緯を医師は気にしてくれていたのでしょう。
確かに父はすごく退院を楽しみにしていて、
水曜以降、ガタガタッと憔悴してしまったのですから。
それは、退院してもそうなったかもしれませんが、
少しでもきちんと意識のあるうちに退院させたかったという医師の優しさを感じ、
母と共に有り難く思うのと同時に、感心させられました。

通りすがりのよく分からない医師ではなく、
父がずっと慕ってきた医師なだけに、担当医との絆を感じます。
心のどこかで、あたしたちはたかが一患者でしかないという思いがあるので、
医師の言葉は本当に温かく感じました。

今日で十四日目。
まだ、父を失ったことを実感できないでいますし、
亡くなって十四日も経つってことは、ますます理解できません。

しかし今朝、母へお惣菜を届けた際、
一人でお線香を上げて、じっくり遺影を見ていたら、
ずきーーんと胸が締め付けられました。
父がいないことを少しずつ理解していかないといけないんですね。

早朝から母がいなかった理由は、
終わり始めた皐月の鉢を、
引き受けてくださると言っていただいた方に届け歩いていたからです。
それはどれも大きくて重い鉢ばかり。
日中も、何件かに届けるとのことです。
真夏日になるという予報だし、
重いものは腰などへの負担も大きいはずなのに、
母は父が遺した植木を管理し兼ねることが分かっているので、
気軽に形見分けで頂いてもらえるなら、それはとても有難いこと。
折角のその好意に対してタイミングを逃さないよう動き回っているのでしょう。
父を知る人たちの庭先で、皐月がまた来年花を咲かせるなんて喜ばしいことです。


検索WORD = 父の病−


2009年06月25日(木) どたばた乳癌検診。

今日は乳がん検診のため、午前中お休みを取りました。
2年前、『 超音波検査の有効性を検証するための比較試験 』 に同意し、
ランダム選考の結果、マンモ撮影と超音波検査の対象になったので、
今年も同じ流れで進むと思っていたのですが、今回は2年前とは別会場。
会場が変わることはよくあることなので、特に不思議に思わず、
朝9時前に受付を済ませ、流れ作業で9時半前にはマンモ撮影が終了。
というか、超音波はここでは受けられないって!
2年前ランダムで対象になったことを伝えると、
事務の方が調べてくださった結果、
振り分け時のミスで一般の受診通知を送ってしまったそうです。
できれば今年も経過の資料を残すために超音波も撮らせていただきたいと言うし、
あたしもそのつもりだったので今度はまた別会場へ。

そこは30分以上、車を走らせないといけないほど遠い会場で、
本来なら朝からそこへ行き、マンモと超音波の両方を受けられるはずだったのです。
電話で応対の方も別会場で慌てて(名刺を出して)謝罪に出てきた偉そうな方も、
直接悪いわけではないので仕方ないけど時間的に無駄が生じたのは確か。
最初の会場では一般の駐車場にしか入れられず駐車代もかかっているし〜(ぶつぶつ)
しかしそこは大人の対応をし、平静を装って超音波検査を受けました。
ここまでで11時過ぎ頃。

今度は触診での検診を受けるため、個人病院へ行かなくてはいけません。
比較的我が家から近い産婦人科は、激混みでとても行く気になれず、
この会場からの帰り道、
ちょっとだけ周り道をすると2年前に受けた個人病院があるので、そこに寄りました。
案の定、だーーーーれも患者が居ず、すぐに診てもらえました。
こういう空いてる産婦人科って貴重よねー。

というわけで乳がん検診の旅は終了。
そのまま会社に行く気は失せていたので、実家へ行き、
母とレトルトカレーでランチをしました。
会社には個人病院で長引けば、午後も休むかもーと言っておいたので、
長引いたことにしてサボっちゃいました!

昼1時前には実家を後にして自宅へ。
今日は桜が野活から帰ってくるため、迎えてあげたくなったのです。
1時半頃、大きな荷物を持ち、汗だくで帰ってきました。
とりあえず洗うものを出してもらったら、たっぷり2回分ありましたよ。
梅雨の晴れ間の快晴だったため、午後からだったけどガンガン洗って、ドンドン干しました。
その後は二人でテレビを観たりしてだらだらと過ごし、
あたしは夕方、近所の内科へ薬をもらいに行っただけで、のんびりできました。

でもね、桃と二人の時にはほとんどなかった小言の嵐が吹き荒れてきましたよ。
やっぱり桜に対しての小言が多いってことなのよねー、どうにかしてくれぃ。

それでも夜の睡魔にはなかなか勝てず、
このところ連続でドラマの最終回を最後まで観ることができずに悔しい思いをしています。
今日こそ観れるといいなぁー。


検索WORD = にゅーがーん検診


2009年06月24日(水) 桃とドッチボール。

昨夜、桃はいつも桜が寝ているところで寝ようとしたのですが、
何とも落ち着かなかったようで、途中いつもの定位置に戻り、眠りました。


朝食は桃とあたし好みのメニューで、えのきのベーコン炒め。
桜が苦手なメニューですからね。
こういう日は思う存分食べないと!


午後からは桃の学年行事のため、お昼に退社。
その足で実家に行き、ランチを頂く予定にしていたのですが、
母は午前中いらした友人に誘われてお寿司ランチに行ってしまいました。
それも昼1時過ぎに葬祭場の人が来るから、
それまで留守番しててと言われてしまい、
実家の冷蔵庫を漁り、冷ご飯を温めてお茶漬けで済ませましたよ。
甘えた振りして、
母の食事が少しでも寂しくないようにと思っていたんですけど、
果たしてそれは必要なのか、無意味なのかは分かりません。
たまたま今日はタイミングが悪かったということでしょうか。


1時過ぎ、母が帰ってきたので、あたしもすぐ自宅へ。
着替えたり、用意したりしてから学校の体育館へ。
今年の学年行事は、ドッチボール大会!

最初、子供たち同士の試合をいくつか見たのですが、
すごい、すごいわー、3年生。
動きは早いし、強烈なボールを投げるし、
ちょっと動きの鈍い子はすぐ狙われるし、
ボールが当たって泣いちゃう子もいるし。

最後に1試合ずつ親も混ざったのですが、あたしは逃げ方専門。
一度もボールに触らずに済みました。
内野に残れただけでも良かったわー。


学年行事の後、桃は書道教室へ行き、
終わった頃、あたしが迎えに行き、その足でピアノ教室へ。
30分で終わるはずだったので、そのまま聞いて待ってました。
が、先生ったら1時間近くレッスンしてくれましたよ。
桃一人なのに桜の分も??? って感じ。


夕食後、またまたお楽しみのデザート。
桃と二人でチョコプリンケーキみたいなのを食べました。
なかなか楽しい一日でした。


2009年06月23日(火) 桜、野活へ。

いつもは朝5時半に起こし、やっとやっと起きるのに、
今日は自ら5時に起きてきた桜。
2泊3日で野外活動へ行くのに張り切っているようです。
数日前から用意始めた荷造り。
ほとんどあたしの手を借りず、
自分で揃え、自分で詰め込んでいました。
あたしはお弁当と飲み物、
大きいバッグや登山用リュック、シートや防寒着を出してあげただけ。
桜にしてみれば、それだけでも進歩。
しかしその荷物は、
今まで一人で持ったことがないだろうというほどの大きさ、重さ。
大丈夫かなぁ。。。

ずっと気にしていた天気は、
昨日まで、三日間とも雨時々曇りという予報だったのですが、
今日になって、曇りのち晴れに変化。
とりあえず、三日間とも雨マークが消えてましたよ。
良かったねー。
あたしはそういう心配をするだけ。
お弁当を作るだけ。
あとは、桜、頑張ってくるのだヨーー。

この手のお泊り活動は、
将来、ずっとずっと忘れない思い出になるはずだから、
楽しんできて欲しいなぁーと思います。
そして、成長して帰ってくるだろう姿が楽しみ。
さて桜がいないその間は、桃とべったり蜜月の時間を過ごしましょうかね。
というわけで夕食のメニューは、
桃の好きな(逆に桜が苦手な)イカや、アサリ、
デザートはスーパーで買ったエクレアを食べました。


2009年06月22日(月) 人工透析。

いつもいつもクリスマス時期にはプレゼント、
桜と桃の誕生日にはお祝いメールをくれる友人ムーさん。
細く長く付き合える心許せる友人の一人です。

そんなムーさんは、2、3年前くも膜下になっています。
幸い軽く済んだようですが、目に少しだけ後遺症が残ったとのこと。
その後も体調が思わしくなく、
昨年の秋には腎臓の調子が悪く通院しているとのことでした。

先日、桜の誕生日にお祝いメールをくれたのをきっかけに、
ちょっとやりとりをしていたら、
人工透析をすることになり入院中だと言うではありませんか!
びっくりでした。
その時、あたしも父が亡くなる二日前だったので、
こちらの状況も話し、お互いを励まし慰めあっていたのです。

その後、一昨日の土曜日にまたメールがきて、
日曜日に退院することになったという報告と共に、
父のことを心配してくれたので亡くなったことを伝えました。

生活上、知らせないといけない人以外には、
まだ父の死を話せないでいるあたし。
そんな中、桜の誕生日がきっかけだったとはいえ、
滅多に会えないムーさんにいち早く父の死を伝えることになり、
何か不思議な縁を感じます。

ムーさんはあたしより5歳年上、独身。
数年前、働いていた弁護士事務所の先生が亡くなってしまい、
職を失ったものの、再就職活動でパソコンを学び、
裁判所に勤めることができたのですが、
正社員ではないので、待遇は雲泥の差だと思います。
自営業の実家は、身体の弱いお兄さんと年老いたお母さんが、
何とか続けている状態らしく、
実質ムーさんが支えている部分は大きかったはず。
その彼女が続く大病に見舞われているなんて。。。

いつも明るく前向きな心優しい彼女に、
どうか安らげる日がきますようにと祈らずにはいられません。
会いたい会いたいと思うだけでなく、本当に会いたい。


2009年06月21日(日) 桃、泌尿器科−24。

朝、実家にて朝食。
母と4人で食べているところへ、兄貴とトシコさんも起きてきました。

本当は先週だった桃の予約を今日に変更してもらったので、
朝食後はあたしと桃、二人で泌尿器科へ。
ずっと薬を処方してもらうだけだったのですが、
そろそろ季節的に薬をやめるタイミングではなかろうかと思い、
受診したというわけ。
医師は梅雨時期ということを考慮して、
ひと月分の薬を処方しますが、
その後は薬を飲まないで様子をみてくださいとのこと。
あたしも突然薬が無くなってしまうのは不安だったので、
医師にそう言っていただいて安心しました。

実際、桃の状況はと言いますと、
薬を飲んでいる状態で月に1、2度の失敗。
薬を飲まなくなっても、
この程度の失敗ならそんなに心配することはないと思うので、
来月、若干の薬が残った状態で、飲まなくしてみようと思います。
今度こそ、もうここの病院とおさらばしたいものです。



病院の後、母の希望でまたまた昨日のピザ店へ。
開店20分前で電話注文できたものの、
受け取り時間までは40分ほどあったので、スーパーへ寄り道。
帰宅したら、まだ兄貴たちもいたのでみんなでピザランチ。
さすがに昨日のピザとは違う種類にしましたが、
驚くほど全員ぱくついてました。
母は半額期間内にもう一度、と思っているようです。
さては、来週かなぁ〜〜〜。


母がそろそろ活動し始めることにしたらしく、
午後から町内会の会議に行くと言うので、
兄貴たちも我が家三人も食後、それぞれ帰宅。

あたしは洗濯、桃は外遊び、桜は野活の準備。
3時頃、桃が近所の子を連れて帰ってきたので、
その子のママもお茶に誘い、
狭い我が家に9人でごちゃごちゃと賑やかに過ごしました。
なにせ9人中5人が男子。
そう! その子のママは男児5人の母なのです。
5年生を筆頭に、下は1歳8ヶ月。
長男と次男は、桜と桃の同級生。
ほんの2時間程度でしたが、のんびりできました。


検索WORD = 桃、泌尿器科−


2009年06月20日(土) 実家泊。

いつものように起きて、
いつものように朝の準備、
いつものように会社へ行き、
いつものように夕方帰宅。
掃除をしてから実家へ。

要所要所で1週間前のことを思い出す。
あれからもう1週間。
あれからまだ1週間。


実家にはお客様がいらしていました。
父と小さいとき遊んだという幼馴染みの方でした。
昨年の年末、何年かぶりで会ったばかりとのこと。
半年前、誰が父の最期を想像できたでしょう。


母にピザが半額で買えるというチラシを見せられ、
今夜はピザに決定。
それはデリバリーではなく、テイクアウトならばというもので、
電話注文し、あたしが取りに行きました。
片道20分かかりますが、それでも半額は魅力ですよね。
ピザを宅配中、兄貴とトシコさんも泊まりに来ることが分かり、
帰りに近所のスーパーセンターへ寄り、
鉄火巻きや鮪と鯛の握りをゲット。

夕食は賑やかに過ごしました。
無言でみな絶えずお線香をあげに行ったり、
父のことを話題にしたりしましたが、
我が家らしく湿っぽくはなりませんでした。
何だか父がいつもそばにいるような気がします。


検索WORD = 父の病−


2009年06月19日(金) 父、初七日。

一昨日の朝、実家へ寄り、
お線香を上げ、母に惣菜の差し入れ。
同日の夕方も寄りましたが、
母は顔見知りの魚屋さんとお話し中でした。

昨日の夕方も実家へ寄ったら、兄貴が来ていました。
日中、外周りで街中へ出たときに買った日本酒とイカの塩辛、
父が大好きだったあんぱんを供えました。
日本酒は明後日の父の日を前倒しね。

そして今日も夕方、実家へ。
母は庭の水撒きや室内の植木への水遣りが大変と言いつつ、
それらの仕事によってとても気が紛れている様子。
母を見舞ってくださる方も多く、
お花や惣菜の差し入れがたくさんで食べきれないほどだそうです。
良かったね。

振り返れば、ちょうど一週間前の昼休み、
病院に駆け付けたんでしたね。
午後退院になり、夕方実家で会った父は、
本当に辛そうだった。
でも、あの時の父は、
もう辛いということさえ感じられないほどだったかも。
それだけ衰弱して、朦朧としていたものね。
そして夜中に電話が掛かってきて……。
もう初七日だなんて、いまだにいまだに信じられません。


検索WORD = 父の病−


2009年06月18日(木) おいしく食べよう【カスタードプリン】。

父が闘病中にも関わらず、
日々の生活の中で、お菓子作りをしていたあたし。
……甘いものを欲するのだもの。。。(言い訳?)

以前から作りたいと思っていたプリンに挑戦しました。
レシピを見て歩くと、大体が黄身を多めに使うものが多く、
白身だけを余したくないあたしは全卵で作れるレシピにアレンジしました。
これ、すごくいいぃーーー。
もうすでに3回も作ってます。
ほとんど牛乳を摂取しないあたしと桃には、
時々必要なお菓子かなーと自己満足しておりまする。
(桃は学校給食のみ頑張ってます。)


☆彡 カスタードプリン

●材料
 卵 L3コ(Mなら4コ)
 牛乳 500cc
 砂糖 70g
 バニラエッセンス 少々

 A)砂糖 大5
   水 大2

 湯 大1

●作り方
 �.�ラメルソースを作ります。
  小さな鍋にAを入れ、レンジで5分ぐらい加熱します。
  目を離さないように様子をみて、色がついてきたら出す。
  静かに湯を混ぜる(熱いので気を付けること)。
 �▲廛螢鵐�ップの内側に薄くサラダ油を塗っておく。
  カップのまま食べる時は不要。
  プリンカップにカラメルソースを注ぐ。
 �5軻�はレンジで1分ほど温め、砂糖を溶かしておく。
  よく溶きほぐした卵と混ぜ、裏漉しをしてからバニラエッセンスを振る。
 �ぅ廛螢鵐�ップに注ぐ。
 �テ蕕縫廛螢鵑鯤造戮討�水を1センチ張り、蓋をして沸騰させる。
  沸騰したら弱火で3分、火を止めて15分そのまま放置する。
 �α毒�をとってから冷蔵庫で冷やす。


でもね、でもね、カラメルソースはいまだに成功していません。
鍋で作ってみたり、レンジを使ってみたり、
とりあえず載せましたが、後から変えるかも〜〜。


検索WORD = おいしく食べよう


2009年06月17日(水) 本■ぼくの頭。

最近の読書は、ますます亀の歩みというか牛歩の状態で、
いまだに『ぐるりのこと』を読み終えられずにいます。
梨木さんの本の中では読み辛いタイプ(エッセイ)だからなのか、
心身ともに読む余裕がなかったからなのか分かりませんが、
本を手にしてもなかなか進めずにいたのです。
じっくり読まないと分からなくなってしまう内容なので、
時間が取れるときや、雑音が入らないときを選んで読もうと思うと、
桜の矯正歯科を待っている時だけだったりします。
夜? 睡魔に襲われる内容なんですぅーーー(汗汗)
そんな読書熱が冷めてきた先日、
桜が久しぶりにグースバンプスシリーズを借りてきました。

『ぼくの頭はどこだ』

とりあえず『ぐるりのこと』は一時中断し、こちらを読みました。
ふむふむ、なかなか面白い♪
ということで、この後また『ぐるりのこと』に戻ります。。。


検索WORD = 本■





♪♭♯♪♯♭  余談  ♪♭♯♪♯♭

桜と桃は書道教室とピアノへ。
ピアノは三日も練習できない日があったので、
その理由を話していいよと言っておきました。
ピアノの先生がお線香をあげに行きたいと言ってくださいました。


2009年06月16日(火) 母としみじみ。

早起きし、朝食を済ませてから自宅へ。
桜と桃に学校の準備をさせ、送り出してから、
掃除洗濯などなどなど。
朝8時には、またまた実家へ。

のんびり皐月の手入れをしながら、
時々いらっしゃるお客様の応対や、
実家の洗濯、買い出しなどなどなど。

静かな時間の中、母としみじみ語り合いました。
昨日までの快晴はどこに行ったのか、
今日は小雨交じりの曇り空。
それでも荒れることはなく、
母が庭の水撒きをしなくていい程度。
父の配慮でしょうか。

父の遺体はたくさんの方々に綺麗で若々しい、
美男子だと言われました。
それは、染みがなく肌艶がいいだけでなく、
ほとんど白髪がない黒々とした髪と、
入れ歯じゃない口元がきりりとしていたからでしょうか。


桜と桃は昨日一日欠席しただけで済みました。
始終、年上の又従姉妹(はとこ)に相手をしてもらって、
うるさいくらい楽しそうにしていたり、
父の遺体や遺骨を目の前にし、目を泣き腫らしたり、
気持ちは揺れ動いていたようです。
でもお線香を欠かさないようにしてくれたり、
大人の話をきちんと聞いたり、
二人にとってちょっぴり成長するきっかけになりました。


夕方、母を一人にして実家を後にしました。
日中はお客様がいらしたり、
皐月の手入れなどをしたりして、
気が紛れるかもしれませんが、
夜、一人で食事をするときなど、
母は寂しくなるのだろうなと思いながら、
我が家と兄貴たちは、
通常の生活に戻れてしまうことを申し訳なく感じます。

母ももう少ししたら、今まで休んでいた様々な会に復帰し、
忙しくするつもりだと言っていましたし、
桜と桃のことに関しても、動けるからと言ってくれました。
ありがとう。。。
あたしもしばらくは週末、実家に泊まるつもりだし、
今まで以上に頻繁に実家に顔を出すようにしたいと思います。
あたしも明日から仕事。
忌引きがないから辛いわ。


検索WORD = 父の病−


2009年06月15日(月) 父、火葬。

朝4時半、母が起きる音であたしも目が覚めてしまいました。
まだ眠っている人たちを起こさないよう、
静かに静かに母にコーヒーを淹れ、あたしも朝茶を飲みました。

その後、目を覚ました伯母さんと母が話し始めたので、
あたしは室内にあるパソコンでネットサーフィンしたり、
お線香をあげたりしているうちに、みんな起き出し、朝8時朝食。

朝食中、従兄が戻ってきました。
この従兄は、昨年亡くなった伯父様と伯母様の息子で、
自分の親の一周忌法要を行うため仙台に来ていたのですが、
元々父の見舞いをしてくれようと思っていたそうで、
このような形になってしまった今、
一周忌法要、その後のいとこ会(宿泊)などで抜ける以外は、
ずっと父に関することで動いたり、母の相談に乗ってくれたりしました。
心温まる手助けに思う存分甘えられるのは、
兄貴が伯父様と伯母様の葬儀の際、いっぱい手伝ったからというのもあります。
いい関係ですね。


午前10時半、数人の親戚がまた集まってくださり、
父の棺に花を供え、最後のお別れをしました。
献花の豪華な花々の中に、父が作った皐月の花がたくさん。
相変わらず眠ったままのような綺麗な死に顔。
そこから火葬場へ車で移動。

炉に入るとき、もっともっと泣けるかと思ったのに、
不思議とあたしは涙ぐむだけで号泣できませんでした。
うんと我慢しているわけでもないのに、
よっぽど昨年の伯父様や伯母様の時の方が泣いてました。
そういうものなのでしょうか。

待つこと1時間半ぐらい。
控室で昼食を振る舞い、お茶菓子などで休んでいただいているうちに最初の呼び出し。
兄貴とトシコさんとあたしの三人で遺骨の確認。
そこには、とても白くて立派な大腿骨や頭蓋骨がありました。
本当に逞しく、綺麗な、父そのもの。
ちょうど炉の担当だった方が父の知り合いだったらしく、
遺影を見て、ピンときたと声を掛けてくださいました。
父は定年後の数年を、
この火葬場に隣接している墓園の管理事務所で働いていたのです。
多分、その時の顔見知り。
母は知らない人だったようです。
もう10年以上も前のことなのに、その方は覚えていたのですね。
当時父は、この墓園内にある市民墓地を購入しました。
元気だった頃、墓石の話を兄貴としていたそうです。

確認した後、今度は遺族全員での収骨。
気丈にしていた母ですが、さすがに胸に詰まるものがあったようです。
あたしと一緒に頭蓋骨と喉仏を拾っただけで、あとは他の者に任せていました。
全てのことにショッキングな桜と桃も一生懸命収骨しました。
骨壷に納められ、ずっと遺影を抱えている母に続いてあたしが遺骨を手にしました。
兄貴は人には任せられない自分の車の運転があり、
あたしの車は何年かぶりだというトシコさんが運転してくれることになりました。

そして帰宅。
火葬場から帰る親戚が居て、ゆっくりお別れというわけにはいきませんでしたが、
実家に来てくださる方が数人いて嬉しく思いました。
しかし、それぞれが家に帰り、実家には本当の身内だけになり、しみじみと夕食。


先週、梅雨入りしたというのに、この三日間は天気に恵まれました。
母は父が晴男だったからとみんなに言っていました。
今日も火葬場で、車に荷物を取りに行ったとき、
眩しいくらいの青空と入道雲、心地いい風を感じました。


死に様は生き様とはよく言いますが、
父の生き様が表されていると思えてなりません。
癌と確定してから50日間。
半分を病院で、半分を自宅で過ごしました。
ずっと辛かったでしょうけど、
最後の4、5日が苦しみのピークだったと思います。
母が後悔しない程度の介護を受けてくれて、
自宅に戻るのを待っていたかのように息を引き取った父。


あなたの思いは、今どこにあるのでしょう。
あたしはあなたの娘で良かった。
42年間、本当にありがとうございました。


夕食後、兄貴とトシコさんは自宅へ帰っていきました。
あたしたち親子は今晩もお泊り。
明日早起きして一旦自宅へ帰り、桜と桃を学校に送り出す予定。
あたしは明日までお休みをいただいているので、実家へ戻り母と過ごします。
夜、母と桜と桃は早々にベッドへ入り、あたし一人がゆっくりお風呂。
のんびりテレビを観ながら髪を乾かしました。
振り向くと父の遺影。
まだ信じられません。

(記載 6月18日)


検索WORD = 父の病−


2009年06月14日(日) 父、お別れ会。

何も拘らないという母の言葉通り、
昨夜は通夜だというのに全員ぐっすり就寝し、今朝はすっきり起床。
起きて横たわっている父の姿を見ることで、引き戻される現実の世界。

昨日も一日中そうでしたが、
お客様への挨拶、お茶だし、鳴り響く電話応対、買い物、送り迎え、
身内への三度の食事、娘たちの身の回りの世話や洗濯などなどなど、
忙しく動けている間は悲しんでいる暇もなく、有り難くも思いました。


昼過ぎ、棺に皐月の花も供えたいと母が言うので、
トシコさんや、叔母さん、娘たちと一緒に花摘み。
気が紛れているうちに、葬祭会館の方がいらして納棺。
ここでも母の意向で釘打ちはなし。
何もかも希望通りで、外野の煩わしさがないことが嬉しかった。


父が乗った車を先頭に、数台連なって葬祭会館へ行き、
夕方から極々親しい身内だけによるお別れ会を行いました。
母が喪主の挨拶をしただけで、
バイキング形式の食事を振る舞い、父を偲びました。
市内に住む親戚は集まってくださいましたが、
遠方の親戚たちには無理をさせたくないと言っていた母、
それでも先週、病院に来てくれた函館の兄夫婦が来てくださり、
母はどんなに嬉しかったでしょう。

前々から両親は、死んでから慌てたって意味がないから、
生きているうちに交流を持ちましょうと言っていました。
両親ぐらいの年齢になると入退院は当たり前に繰り返されていますし、
どの家庭にもそれぞれの事情があるのだから、
亡くなっても連絡しませんよと。

実際、関東に住む弟はヘルニアの手術をしたばかりだと言うし、
(父の妹の夫が)連絡したけど音沙汰ない弟が居たりします。



夜、葬祭会館に泊まるものだけになりました。
母、兄貴とトシコさん、あたしと娘二人、函館の伯父さんと伯母さん。
バイキングで残ったお料理を食べながら飲み直し。
心許せる関係だけで集うその中に、寡黙な父がいるようでした。
仕切ることなく、
でしゃばることなく、
決して接待上手ではないけれど、
誰にも嫌悪感を抱かせない父がひっそりと混ざっていたはずです。


夜、何度もお線香をあげに行き、父の顔を見ました。
その顔は20代の頃のように痩せて面長になってしまった分、
高い鼻がますます強調され、
染みのない色艶のいい肌のままで眠っているようにしか見えませんでした。
今にも目を開けて起き上がりそうな父。
父が亡くなったことを、信じられない気持ちのまま。。。

(記載 6月18日)


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2009年06月13日(土) 父、逝去。

夜中12時半頃、自宅の電話が鳴りました。
携帯ではなく、固定電話。
母からでした。





お父さんが亡くなりました。





急いで桜と桃を起こし、実家へ。
酸素を外し、苦しみから解放された父が安らかに眠っていました。
母と、桜と、桃と四人で父に触れながらいっぱい泣きました。


  母はこれからの介護に備え、いつも1錠飲む安眠剤を2錠飲み、
  寝室のベッドではなく父の姿が見えるソファに横になったそうです。
  12時前に一度目が覚め、父の様子を見たときには相変わらずの状態だったので、
  またソファに戻り、うつらうつらしてしまった後のことだったと言います。
  酸素を付けていても父の精根は尽きてしまい、生涯を閉じたのです。
  退院して半日も過ごさないまま。


夜中にもかかわらず、介護センターから二人の介護士が来てくださいました。
担当医も駆けつけてくださり、父の死亡診断書を書いてくださいました。
部屋の中にあるたくさんの皐月の花を見渡し、
介護士と担当医は、自宅で看取りたがった我が家の意思を納得していたようです。

担当医は病院に戻り、残った介護士の方と一緒に父の身体を綺麗にしました。
あたしは顔、腕、胸、背中、足の指などを丁寧に拭きました。
痩せ細ってはいましたが、介護士の方は身体が綺麗な状態だと言っていました。
髭を剃った後、着替え。
肝臓を悪くしたのに黄疸が出ず、色艶のいい肌でしたから、
母とあたしの意向で化粧はしないことにしました。
返ってそれがあまりにも自然で、ホントに眠っていると錯覚しそうでした。

お父さん、いびきかいでいいんだよ!


すっかり整えていただいた後、介護士の方たちは帰っていきました。
本当ならこれからずっとお世話になるはずだった方たち。
短い、ホントに短い間でしたけど、母とあたしにとって、
介護士の方や担当医の行動、言葉一つ一つが有り難く感じられました。


桜と桃は父の身体を綺麗にする前に母の寝室で寝かせておいたので、
母と二人きりになり、お茶を飲みながら父の最期をかみしめました。
これが病院での最期だったら、ろくに父に触れることもなく退室させられ、
父の身体を一緒に拭くこともできなかったでしょう。
そういうことを全部全部含めて、母は自宅で看取りたがったし、
父もそのように息を引き取ったので、両親の思い通りになったと思います。
それだけが救い。


朝3時、お茶を飲んだ後、朝まで少し休むことにしました。
母は父の近くのソファに、あたしは娘が眠っている寝室に横になりました。
しかし全然眠れず、
朝4時、あたしは会社へと車を走らせました。
少しでも多く休めるようにと、前日残した仕事を片付け、
休んでいる間、できるだけ迷惑をかけないように段取りし、1時間で退社。
その足で今度は自宅へ。
宿泊や喪服の荷物をまとめ、洗濯をし、
洗濯が終わるまでの間、風呂掃除をし、
洗濯を室内に干し、除湿機を掛けてから自宅へ着いたのが、朝7時。

そこからは怒涛の流れでした。
両親は元々、一般的な葬儀を出すつもりはなく、
いろいろ省き、シンプルにすると言い切っていたので、
あたしと兄貴は母の好きなように任せると話してあります。
そういう意味では、父への思いに関係ない煩わしいことは最小限になるはず。

とりあえず今夜はこのまま自宅で通夜。
新聞掲載も、祭壇も、僧侶も、戒名もなし。
告別式を簡略化させたお別れ会をしてから火葬にしたかったのですが、
明日は火葬場が一年に一度の炉の点検日に当たっているとのことなので、
火葬とお別れ会の日程が逆になってしまいますが、
その分、父は長く自宅に居られることになります。

良かったね、お父さん。



道路や玄関に葬儀の案内札を立てなかった割に、
近所の方々や、親戚などがお焼香に来てくださいました。
夜遅く、お焼香に来る方はもう居ないだろうという夜半過ぎ、
泊まってくれた従兄、兄貴、母、トシコさん、あたしの順でお風呂に入り、
2時過ぎには、全員就寝。


ここまで母が堂々と簡素化できる理由は、
父の書棚から出てきた遺言があったからです。
それは、A4を四つに切った位の大きさで、
筆ペンで書かれたメモ書きのようなものでした。


   遺言
   尊厳死
   無理な延命しないでください
   無駄な治療しないでください   
   葬儀無用 ソウギムヨ

   

いつ書いたものなのか分かりませんが、母は数日前に見つけたそうです。
明らかに父の手書き。
お世辞にも綺麗とは言えない走り書き。
正式な遺言としては通用しませんが、紛れもない父の遺志。
疑問な顔をする人たちに、母がこの遺言を見せることによって、
誰もが納得してくれるという強力なものになるでしょう。


お父さん、あなたという人は本当にすごい人ですね。

(記載 6月17日) 


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2009年06月12日(金) 父の病−退院。

昨日の朝、母にメールで父の様子を聞いたところ、
お昼になってから返信がきました。

昨日今日とても悪く、酸素しているし、痰とりもしているし、
目も開いてとろーんとしているので出来るだけ付いているのよ。
退院は先生が絶対させてくれると信じているけど心配。
今もしかしてのお泊まり介護に備えて私の薬を取りに帰ったのです。
では


居ても立ってもいられず夕方、娘二人を連れて病院へ行きました。
三日、病院に行かなかっただけで、
父はあっという間に何年分も悪化してしまったようでした。
もうあたしに何かを訴えることさえできない状態です。

延命処置はしないと言い切っていた母ですが、
どうしても明日退院させたいと言い、酸素吸入させています。
父は口を大きく開け、鼻からの管を付けて息をしています。
それは激しく、苦しそうに。
目は薄っすらとしか開けられず、話すこともできません。

大きな声で話し掛けたり、父の手を握ったりすると、
まだ様子は分かっている感じです。
桜と桃との三人で泣いてしまいました。

時々、力を振り絞って必死に管を取ろうとする父。
もう息をするのが苦しそう。
あたしは父の思うままにしてあげたいという衝動に駆られましたが、
母はなんとしても明日退院させたいと思っているらしく、
管を外さないようにと言います。
あたしは退院することが父のためになるのだろうかと母に聞くと、
もう、そうじゃないかもという返事。
退院するに当たって、介護の必要性が出てきたための諸手続きに日数が掛かり、
週明けが週末になってしまった成り行きが残念だと言います。
自分がめげなければ、
最初から入院させることもなかったとも思っているようです。

もうこれは死期を選ぶのは父と母に委ねられていると思いました。
これだけ父に尽くしている母が納得するということも大切なのだと。
父のベッドの隣りには母の簡易ベッドが用意されていて、
母は泊まることにしたと言います。
あたしが居ると、外したがっている父に任せてしまいそうなので、
1時間ほどで病院を後にしました。

桜と桃とあたし、三人の顔は泣き腫れていたと思います。
そんな雰囲気で帰宅してからの桜の誕生会だったというわけ。



そして今日。
朝、とりあえず病院の母に電話をしました。
少し弱くなったけれど、昨夜と同じような状況とのこと。
病院に掛け付けたい気持ちを抑えて仕事へ。
15日締めの書類作成は所長の出張の関係で今日仕上なければいけないし、
父がいつどうなっても対応できるようにしておいた方がいいと判断し、
朝は仕事へ向かいました。
すっかり終わらなかったものの何とか形になったので昼休みまた病院へ。
状況によってはそのまま早退できるようにしたのですが、
病院での父は相変わらずで、酸素によって呼吸させられているという感じ。
あたしの呼び掛けにも分かっているのかいないのか。

それでも午後、退院させてもらうことになり、
当初、点滴のみというのが、昨日の段階で酸素もということになったそうです。
午前中、シャンプーしてもらったそうで、
衣類も着替えてあり、帰る準備が整っていたところでした。

退院できるならということで、あたしはまた仕事へ戻り、
まだすっかり終わっていない仕事を片付け、定時よりちょっと遅れて退社。
その足で実家へ。

皐月に囲まれた座敷の中央に、介護用ベッドが置かれ、
父が酸素吸入を受けながら横たわっていました。
もう目はうつろで、何も表現できない状態です。
この状態が長く続くことが、本人のためとは思えないのですが、
兄貴が来週まで秋田に出張中のこともあり、
ここであたしがどうのこうのと言う立場ではないと思いました。
母はソファに横たわり、見舞いに来てくれた近所の友人と話をしていたので、
また明日の朝、来るからと言って帰りました。
母は退院にあたって、点滴も投薬もすべて断ったそうです。
酸素も断ったそうですが、
担当医に酸素だけは付けてあげた方が本人がラクですよと言われたそうで、
酸素を付けたままの帰宅になったのですが、
あの呼吸を聞いているのはとても辛い。
でも、それを母はこれから四六時中なのかと思うと、
それもまた辛く思いながらの帰宅でした。


検索WORD = 父の病−


2009年06月11日(木) 桜、11歳。

先週の土曜日、兄貴の誕生日でした。
あたしは日中、携帯にグリーティングカードを送りましたが、
母は夜、あたしたちに言われて気付いたようです。
そんな母に、桜の誕生会を話題にすることができず、
今年は三人で自宅でお祝いすることに決定。
桜も快く納得してくれました。
せめてせめて、桜の好きなメニューにしようと考えた結果、
やっぱり焼肉!

滅多に使わない波型ホットプレートを出して、
スーパーで買ってきた肉を焼いて食べました。

一応、ケーキのことを聞いたら、シンプルなのだったらと言うので、
比較的桜が気に入っているケーキ店のイチゴのショートも買ってきました。

プレゼントは前々から欲しいものをアピールされていたのですが、
どれもあたしの予算を上回っているので、まだ用意できず。
日頃、デスク周りの片付けや、
やらなくてはいけないことを言われなくてもやるという課題を、
桜がこなせていないという理由から当分お預けとしました。

辛いね、11歳。
でも世の中そんなに甘くないのだよ、11歳。

プレゼントに関しては、
後ほど、母から何らかのアクションがあるでしょうから、
あたしの予算と一緒に検討したいと思っています。
親としてはちょっと苦い誕生会ではありますが、
耐え忍んでくれよ、桜。

でもねでもね、
桜の誕生を喜ばしく思っていることに変わりはないのです。
11年前の今朝、あなたが生まれた日のことは決して忘れられないのですから。。。


♪ お誕生日おめでとう 桜 ♪





♪♭♯♪♯♭  余談  ♪♭♯♪♯♭

本当はね、泣いてばかりの誕生会でした。
夕方、三人で父の病院に行き、
楽しくお祝いできる雰囲気ではなくなったのです。
それでもあたしは今日という日を大事にしなくてはと思い、
家での誕生会をしたわけですが、
お風呂上がってから三人でケーキを食べるときは、
どうしても父のことが頭から離れなくて泣いてしまいました。
娘としてのあたし。
母としてのあたし。


2009年06月10日(水) 父の病−退院準備。

昨日もあたしは病院へ行きませんでした。
行かなかったというより、行けなかったというのが本音。
頼みの綱の母からのメールも全然来なかったので、
夜8時頃、こちらから送ったところ、後でというだけの返信。
誰かと電話中か、誰かが訪問中なのだろうと予測し、そのまま就寝。
今朝になって母から長文のメールがきました。

担当医、病院の介護支援専門介護師Tさん、
●●地区包括支援センター所長Hさん、●●北訪問介護ステーションO主任、
訪問介護師Aさん、8階A棟介護師Kさん、
ダスキン福祉用具専門相談員とで相談し、打ち合わせした結果、
10日ベッド搬入、11〜12日点滴の抜き方を私が覚え、
12日1時30分、介護タクシー手配してくれているので、
ストレッチャーの形で家へ帰ります。
毎日介護師が点滴に来てくれて、終わったら私が外す。
入浴も早めに入浴車に来てもらうよう依頼する。
担当医は15日9時10分往診の約束してくれている。
担当医がこの看取りについて100パーセントサポートしたいと言ってくれ、
私が参らないように包括センターのHさんに頼んでいました。
昨夜は近所の友人T本さん、M代子さん、K子さん来てくれ、
少しアルコール入りのお見舞いをしてくれました。
私の主治医の先生にも相談し、安眠剤を増量しました。
皐月も益々咲き揃いました。


8人もの人が集まって、
父の退院後の介護について話し合いをしてくださったのですね。
特に担当医の言葉は単に事務的なものではないことを感じ、
心から有り難く思います。
両親とも担当医を信頼している理由が分かります。
父の介護認定のレベルが分からなかったので、母に返信で聞きました。

明日判明、なれどすぐ見直しさせて、
いろいろな福祉が該当出来る様に手配してくれているので安心。



日中、母からきたメール。

泌尿器科にて軽い膀胱炎とのこと。
以前ホルモン不足による痛みの症状と、婦人科で完治したことも話す。
その上で2〜3日の経過をみるための薬が出る。


母の膀胱炎はもう何年も続いています。
治りそうで治らず、総合病院の泌尿器科、婦人科、
個人病院の泌尿器科(桃が通っている病院)と、
あっちこっち行ってみているのですけどね。
今度こそ、きちんと治るといいな。。。
膀胱炎は疲労も要因だから、なかなか無理だろうけど…。
父が病室を変わってからまだ行ってないけど、
明後日退院と決まったのだから、
今日も明日も病院には行かないことにします。
その代わり金曜日からは実家に朝夕、顔を見に行くつもり。
いまだに父のためにしてあげられることが探せないでいますが、
せめて父に尽くしている母を支える側にならなれるかもしれないと思って。


夕方、母よりメール。

今日は見舞いはしなかったかな?
退院が待ち遠しい、頑張って欲しい。
病室で一緒に頑張っています。


多分、病室からのメールだったのでしょう。
あたしは詳細を述べられず、退院したら朝夕行くよという返信をしました。
母は心細くなっているのかもしれない。
だとしたら、
そう思わせているとしたら、
あたしは母を支える側にもなれないということでしょうか。


検索WORD = 父の病−





♪♭♯♪♯♭  余談  ♪♭♯♪♯♭

仙台、梅雨入りしました。
平年並みということですが、昨年より12日早いそうです。
鬱陶しい空の下、気が滅入ってしまいますが、
紫陽花を探したり、雨上がりに心躍らせたり、
それなりに工夫しようと思います。


2009年06月09日(火) おいしく食べよう【あずきなこケーキ】。

前の前、実家に泊まりに行ったとき、
バナナケーキにレーズンを入れて焼いたものを持っていったら、
帰り際、3切れだけ残っていたものを、
母が置いていって欲しいと言うくらい珍しく気に入ってくれたので、
先日はバナナレーズンケーキをアレンジして、
小豆ときな粉入りのケーキを焼いていきました。


☆彡 あずきなこケーキ

●材料
 ホットケーキミックス 200g
 きな粉 50g
 小豆 50g(缶詰でもよい)
 牛乳 100cc
 卵 1コ
 マーガリン 30g
 砂糖 30g

 トッピング用きな粉 少々
 トッピング用小豆 少々

●作り方
 �.棔璽襪縫曠奪肇院璽�ミックス・きな粉・砂糖、
  室温に戻したマーガリン・溶いた卵・牛乳を入れて混ぜ合わせる。
 �∈�ざったら小豆を加え、つぶれないように混ぜる。
 ��バウンド型に紙を敷き、��を流し入れる。
 �い�好みでトッピングに小豆を乗せたり、きな粉を振ったりする。
 �イ△蕕�じめ170度に温めておいたオーブンで40分位焼いて出来上がり。


あたしとしてはなかなか美味しいと思えたし、
桃も喜んで食べていたのですが、
母は前のバナナレーズンの方が好みらしく、
半分残ったのは我が家で持ち帰りました。
母は、薬のせいで口(味覚)が悪いうえ、
元々甘いものをたくさん食べる人ではなく、
少しだけ食べれば満足なので、
大抵、甘いものは我が家に流れてきます。
ですから、前回のはよっぽど気に入ったということですね。
次回はまたバナナレーズンケーキを作って持っていこうっと。


検索WORD = おいしく食べよう


2009年06月08日(月) 父の病−認定待ち。

朝、母からのメール。

昨夜9時就寝、ぐっすり眠った。
今朝3時、4時、5時うつらうつらなり。
眠りは足りているのでしょうね。
えいっと、5時起床。
ライスカレー、なすのしぎやき、デザート、栄養ドリンク、薬も飲む。
担当医に会って指示あおぎます。
父、突然ベッドの外に起き出したりするので、
そんな時ナースセンターに届く感知機つけました。
天気悪く植木に水かけ無し分、楽です。



昼前、またメール。

父、801号の二人部屋に移りました。
今までの部屋は女性の部屋でした。
担当医に会って相談しました。
退院は介護認定を急いでしてもらい、ベッドや訪問介護師の手配が出来次第。
早くても2〜3日かかるでしょうと。
手配が出来なければ、妻だけでは無理でしょうと。
担当医も介護センターの方も急いで手配してくれてます。



前回退院した時は、まだ庭に出られるほどでしたが、
今回は明らかに介護が必要な状態なので、
的確な介護認定を受けてからの退院になるようです。
その方が父にとっても母にとってもいいでしょうから、
あと2、3日、待つことにしましょう。


仕事の帰り、実家に寄りました。
月曜は生協の宅配が届くので取りに行ったのですが、
介護センターとの約束があるから居ないだろうと思っていた母が、
約束は明日の午後に変更になったからと庭で雑草取りをしていました。
これから夕食の時間に合わせて父の病院へ行くとのこと。
結局、今日あたしは病院に行きませんでした。
母には聞かれませんでしたし、理由も言いませんでしたけど、
あたし自身、毎日病院へ行くことが少しでも父のためになることなのか、
ただただ自分の気休めなのか迷いためらっています。
でも退院したら、実家には毎日行こうと思います。
実家なら父を起こしたり、父に直接聞いたりしなくても、
母に一日の様子を聞くことができるし、
寝顔を見るだけであたしの心が休まります。

あたしなんかは全然介護しているとは言えない立場ですが、
介護が必要な人を目の前にして言葉一つ難しいということが想像できます。
時々耳にする介護疲れの話題や、それに伴って起きてしまう犯罪などは、
介護される人と介護する人、
それぞれ当人にしか分からない心痛を抱えているのでしょうね。
とてもデリケートな世界なのだということを改めて感じています。


検索WORD = 父の病−


2009年06月07日(日) 父の病−ショック。

午前中、実家にて家中掃除機をかけました。
今は父が丹精こめて育てている皐月が見頃。
雨が花に当たると傷んでしまうので、
毎年、父と母は二人で皐月の鉢を部屋の中へ運び入れるのですが、
今年母は父が入院中、一人であたしが下ろした簡易ベッドを二階に戻し、
十以上の大きな鉢を運び入れ、
和室とサンルームを皐月だらけの部屋にしていました。

どんなに重労働だったのでしょう。
母の疲労が容易に想像できます。
そこまでして母は父を喜ばせたい、
父を安心させたいっていう思いに溢れているのでしょう。


昼前、自宅に戻り、雑用をこなした後、
桜と桃の用事を済ませるために出掛け、その帰りに病院へ。
寝ている父の手を取ると一度目を開けたものの、またすぐ目を閉じました。

熱あるの?
どこか痛い?
苦しいの?


そう聞いたあたしに父は、

毎日同じこと聞くな!

そう言い放ち、目を閉じたまま息苦しくしていました。
顔を近付けないと聞き取れないくらい小さな声でしたが、
父があたしに伝えようとしている強さを感じました。

とてもショックでした。
そうよね、そうだよね。
良くなる状況じゃなくて、毎日毎日しんどくなっていくだけなんだものね。
熱はあったりなかったりだろうけど、いつもいつも苦しいんだものね。
だから、そんなこといちいち答えたくないよね。
父は、死に向かっているんだものね。
会うことしかできないから、
父の顔を見たいから、
それだけの思いで、毎日、娘二人と一緒に足を運ぶこと、
それはあたしのエゴではないかと思わせられた言葉でした。

帰り際、父にそっと声をかけましたが、
眠っていたからなのか意識的になのか目を開けませんでした。
父のことを分かってあげられていないことが悲しくて、
改めて無力さを痛感しました。
明日、退院しなくても病院に行くのはやめようと思います。
退院できて自宅に戻るようなら、
母を励ます意味で実家へ顔を出そうと思いますが、
父の顔を見たからといって、
父のためになることは一つもないのかもしれません。
そっとそっとしておくべきなのか、どうしたらいいのか混乱しています。


検索WORD = 父の病−


2009年06月06日(土) 父の病−実家泊。

夕方、まずは病院へ。
父が居るはずの病室に居ないどころかベッドが綺麗にされていました。
母にメールで聞こうと思いつつ、ナースステーションの方へ歩いていくと、
その近くに父の名前の札。
中に入ると、少し辛そうに寝ている父がいました。
開口一番、
毎日来なくていいから! って。。。
何もできなくても、ちょっとだけ顔を見たいだけなんですけどね。

部屋が変わった理由は昼過ぎに転倒して頭を打ってしまったらしいです。
CTで検査してもらったところ、頭部の異常はないそうですが、
看護のレベルでいうと、転倒危険度が最高になってしまったようです。
無理して自力で何かをやりたいのでしょうけど、
これからは何でも看護士を呼ぶようになるでしょう。
話を聞いている間に母も来ました。
母も午前中に来ただけだったので、
倒れたために部屋が変わったことを知らなかったらしく、
慌ててナースステーションで問い合わせたそうです。


母は担当医から退院を促されているようで、
父に話し掛けたら意外な返答をしました。

お父さん、今(皐月の)花が綺麗だから家に帰ろう!
先生も一度退院していいって言ってたよーー。


お母さん大変だから、駄目だ。
二人で倒れちゃうから駄目だ。


そんな風に言う父に驚いた母が、

お父さんが4、5日入院していた間にすっかり疲れが取れたから大丈夫だよ。
帰ろう、ね、帰ろう。


そう言われて父はきっと目を見開き、

ホント?!

と、あたしに聞いてきました。
あたしが頷いて、同意していると、

じゃ、月曜か火曜な。 って。。。

父の本音を知ったような気がします。
ホントの本当は家に居たいのでしょう。
でも母が疲労困憊になったのが分かり、
面倒を掛けたくなくて入院することにしたのでしょう。
どちらも父が決めたことではあるのですが、
思いやりに溢れる両親の姿に胸を打たれました。

当初2週間の目安で入院したのに、
こんなに繰り上げて退院することの真意は何でしょう。
もし本当に週明け退院できたとして、
1週間前みたいにもう自力で動くことが困難になっている父。
母がどれだけ頑張れるのでしょう。
介護のレベルが重症の方に改定されれば、
介護士に来ていただいたりできるようで、
母の荷が少しは緩和されるんじゃないかと思います。

何にしても元気になって退院というのではなく、
まだ意識や余力のあるうちにという医師の心遣いなのかもしれません。

父の嬉しそうな顔を母と実感しながら、病院を後にし実家へ。
今日もお泊りします。
夕食は手作り餃子。
母にスタミナを付けて欲しくて!

それから昨日の親戚とのことも聞かされました。
函館の伯父さんは、母から父のいきさつを聞いて涙してくれたそうで、
母がすごく感動していました。
が、想像していた通り、
妹夫婦(特に叔父さん)が心無く仕切っている様子に腹が立ったとも言っていました。
市内にいる弟(五男)夫婦も病院に呼び出されたそうですが、
弟自身、春に肺癌の手術をしたばかりで、
抗癌剤の影響ですっかり頭髪が抜けていたそうです。
無理に呼び出されたのは明らかで、母が申し訳なさそうにしていました。
どうして妹の夫がそこまで強要する必要があるのだろうかと。
他にもいっぱいあるのですが、記すのも嫌なくらいです。
だから叔父さんには父の病気のこと伝えたくなかったというのが本音。
今後、父の件でこれ以上出しゃばらないで欲しい。


検索WORD = 父の病−


2009年06月05日(金) 父の病−兄弟。

父は8人兄弟の三男。
長男、次男、三男、長女、四男、五男、六男、七男という七男一女。
長男はもう三十年位前に、四男も数年前に他界しています。
次男は子供に恵まれなかった叔母さん(祖母の妹)に養子に出されたので、
苗字が違いますが、あくまでも次男は次男。
次男は北海道、五男、七男は関東、長女と六男は仙台に居ます。
長男、四男、六男、そして父の四人が癌。

今日、次男である函館の伯父さんが来てくれたそうです。
妹夫婦が空港に迎えに行ってくれたのですが、
この叔母さんの夫が曲者なので、
我が家では気を付けて付き合うようにしています。
なんて書くと嫌らしいですね。
悪い人ではないのでしょうけど、
出しゃばるというか、仕切りたいタイプの人なんです。
それが出来る人であるのは認めますが、
出しゃばる立場じゃない場合も平気で前に出て行ってしまうのが困るところ。
なので、父はなかなか妹夫婦に病気のことを話したがらないでいました。
親戚との付き合いは、ホント難しいです。

母は函館の兄夫婦のことは信頼しているので、
わざわざ来てくださると知り、喜んでいました。
少しでも父の意識があるときで良かったと、あたしもそう思います。

函館の伯父さんたちとあたしたち親子は、
入れ違いのように病院へ行ったので会うことはできませんでした。
夜、母からのメールでは、
明日あたしたちが実家に泊まりに行った時に話すからと、なんだか意味深。
久しぶりに市内の弟(六男)夫婦も来たそうなんですが、
この叔父さんも年明けに癌で手術をしたばかりだそう。
放射線治療が終わったばかりだという頭髪は、
まだほとんど生えていない状態だそうです。


夕方父の顔を見に行ったものの、
父は相変わらず目を閉じていることが多く、
あたしたち三人に気付いたものの、何もできない感じ。
足を伸ばしたり、手を伸ばしたりしていましたが、
袖からはみ出ている腕の細さに改めて驚きました。
あっという間に骨と皮だけになってしまったなんて。
あんなに力強く、逞しい父の姿がか細くなっていて、
切なさがこみ上げてきました。

いつも無関心を装う桜が瞳にいっぱい涙をためていて、
それに気付いた桃もぽろぽろ泣き出し、あたしもじんわり。
泣いているところを父に気付かれないように、
普通に振る舞い、目を閉じている父に声を掛け、
病室を後にしました。
また今日も手を振ってくれた父。

帰りの車の中で、2ヶ月前は元気だった父を思い出し、
クリスマスにはサンタクロースの格好をしてくれたこととか、
桜と桃が小さい時、一緒に住んでいたこととか、
いろんなところに出掛けたり、ご飯食べたりしたこととか話しながら、
三人で泣きじゃくってしまいました。
そして夜、母からのメール。
担当医より退院の話が出ているとのこと。
来週明けにでもと言われたそうです。
それが意味することとは…。
気疲れしているだろう母に突っ込んで聞くのは明日にしようと思い、
詳細はまだ分かりません。


検索WORD = 父の病−


2009年06月04日(木) 父の病−病院へ。

夕方、桜と桃を連れて病院へ行きました。
ちょうど駐車場に車を入れたとき、
母も来たところだったので、一緒に病室へ。
朝一度来て、雑用をこなし、
夕食時に間に合うようにまた来たとのこと。

前回は外科病棟でしたが、今回は内科病棟。
またもやドア側のベッド。
なかなか窓際にはならないものですね。
前回と同じく4人部屋ですが、
みなカーテンを閉め切っているので、
どのような方たちと同室なのか全然分かりません。

1ヶ月前より、
明らかに明らかに小さくなってしまった父。
でも入れ歯を付けていないし(全部自分の歯)、
髪は歳の割に黒々としているので、
顔つきが痩せても老けた感じがしません。
それでも、表情は冴えないし、
横たわっている身体全体の雰囲気は、
この1ヶ月で10歳も歳をとってしまった感じです。

ベッドの脇に来ても、父は目を瞑ったまま起きませんでした。
1ヶ月前なら、テレビを見ていたり、
毎朝母が持ってくる新聞を読んでいたりして、
あたしたちが顔を出すと、
無理にでも起き上がろうとしていたのに、
今は上半身を少し高くした形でうずくまるように眠っています。
あたしたちが来たことに気付いても、
時々目を開けて、返事をしたりしますが、
目を開けていることも辛そうに、再び目を瞑ってしまいました。

途中、父がベッドで飲めるように置いておくお茶が無かったので、
談話室のポットに入れに行って戻ったら、
ベッド脇の簡易トイレで用を足すところでした。
母が居たので、介助してもらいたかったのでしょう。
桜と桃と一緒にカーテンの外に出て待っていました。
オムツを付けたり外したり、便座に座ったりしている様子を、
娘たちも知ることとなったわけですが、
みんなでじっと見るより、
様子が伝わるだけにしたほうがいいと思ったのです。

その後またベッドに横になったのですが、
何を話すわけでもなく、眠ろうとしているので、
三人、代わる代わる握手をしてから部屋を出ました。
その時は父も目を開けて手を振ってくれました。


なんだろ、何ていう切なさなんだろう。
家に居るときとはまた違う現実を突きつけられたような、
そんな父の状態。
窓際がいいなんて思う余裕もない感じです。

父が昨日、入院前に母に言った言葉。
花どころじゃないさ。
という一言に父の心境が凝縮されているのでしょうか。
ホスピスという形で、
自宅で好きな花を見ながら過ごそうという時期は過ぎてしまったというのでしょうか。

桜と桃に
明後日また来よう
と言ったら、
桃が
明日も来たい
って囁きました。
そうだね、明日も来ようね。
できるだけ毎日来ようね。
じぃじに会いに来ようね。


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2009年06月03日(水) 父の病−再入院。

朝、実家へ行くと、
カーテンが開いているのに玄関の鍵が掛かったままだったので、
勝手口から中に入り、両親の寝室へ行きました。
寝室のドア越しには目隠し用にレースのカーテンがあり、
いつも父に気付かれないように寝顔を見られるので、そっと覗いて見ました。
その時、母は父のオムツ交換の最中でした。
一人でトイレへ行っている時から、ちょっとした失敗をすることもあったので、
それ用のパンツを履いたりしていたのですが、
数日前からはオムツを付けるようにしたそうです。
が、それでも昨日はできるだけトイレでしたいと歩いていき、
自分でオムツが外せないでいるうちに、あっちもこっちも汚してしまったようです。
昨夜も尿意は頻繁にあったらしいのですが、出るのはほんの少し。

母が、そのままオムツにしていいんだよ、と声を掛けることによって、
何度かオムツに用を足すことができたそうです。
そのおかげで、前夜よりは眠れたという母。

あたしは父のオムツ交換を手伝うことができませんでした。
あたし自身もそうですが、父も嫌だろうと思ったのです。
でも交換し終えた母から、
腰を上げるの、手伝ってくれたら良かったのに。
と言われ、
あたしはまだ綺麗ごとにしておきたいのだなぁと実感したのと同時に、
母に悪いことをしたなぁと反省しました。
父の意識はというと、少し朦朧としているようで、
水を飲みたいとは言ったものの、
交換してもらっている最中は目を瞑ったままでいましたから、
どこまで朦朧としていて、どこまで意識があるのか分かりません。

次、交換する機会があったら、母を手伝わなくてはと思います。
そして、一人で交換してあげられるくらいにならなくてはとも思います。

それにしても、痩せ細った太ももやふくらはぎ。
胸を詰まらせながらの出勤でした。




昼前、母から届いたメール。

粥3口、ヤクルト1本、 茶おかわりの朝食。
自力で歩き、歯を磨き、顔洗い、髪の手入れする。
オシッコだけは、オムツにする事を覚えたみたい。
私は、いつもはらはらのし過ぎなのかしら? ね。
今日の病院、点滴は行かないと言う。
皐月の見えるソファーで休んでいます。
看取りの形や病状の姿を実感して学んでもいる訳だから、
気を楽に持たなくては体が持たない事もわかった。
対人関係のストレスや、またそのための話合いの精神的な気遣いや、
それに削く時間、すごーく嫌だったし、すごーく疲れた。
昨日でそれらが解消された。
無理しないで頑張るからネ。
心配させてごめんネ。
また明るく行こう。


最初、極々親しい人にしか父のことを話さなかった母ですが、
携っているいろいろな会(集い)に関わる人たちへ話さなくてはならなくなってきた中で、
心の底から分かり合える人と、
逆撫でされるような言動をする人などがいたため、
母がいつも以上にナイーブになってしまっていたようです。
それが昨夕、2件ほど解決したという内容を含んだものです。

母ぐらいの年齢になると、
同じように旦那さまを介護中の人もあれば、介護したことのある人、
同居している義母に対して冷たい態度を取ったまま看取った人、
同じ経験をしているが故に母以上に感情的になってしまった人など、
いろいろな人がいるものですね。
母は一つ一つあたしに話してくれるので、あたしも勉強になります。

とりあえず、まだまだ介護は続くでしょうし、
母の体力と気力が気になりつつ、そこに頼るしかない自分が歯痒いのですが、
どう足掻いても、あたしにできることしかできないわけなので、
できることを探して、少しでも役に立てるようにしたいと思います。

母のメールに対してあたしが送った返事と、それに対しての母からの返信。

母は心身ともにいっぱいいっぱいなのだから、
ナイーブになってしまってても仕方ないことだと思います。
だけど寝不足による疲労が心配。
最初にホスピスを決める時点で、
どうしても母の負担が大きくなることは分かっていたので、
できるだけ力にならなくてはと思っているのですが、
なかなか役に立てなくてごめんね。
気楽にと言ったら軽々しく聞こえてしまうだろうけど、
あくまでも共倒れにならないよう無理しないで欲しい。
対人関係一応の解決、良かったね。
明朝また顔出すね。
自分の薬ちゃんと飲んでね。


あなたの優しさが心潤うわ。
ありがとさん





そして夕方、母からのメール。

入院になりました。
状態が心配なので担当医に連絡。
毎日点滴500の加療にお願いしました。
2週間の目安。
良くしてお花の家に退院しましょうと言ってくれました。



入院するということは、何かしらの加療を強いられるので、
点滴と痛み止めのみということになるそうですが、
夕方、病院帰りの母を夕食に誘い、入院に至った状況を聞きました。

日中も朦朧として幻覚をみているようで、母との会話が成り立たなくなってきたり、
食事の量がどんどん減ってきたりしている様子から、
母が担当医にどういうタイミングで往診をお願いできるのかと電話したら、
連れてこられるなら、外来に来てみてくださいと言われ、
ヨタヨタしている父をやっとやっと連れて行き、そのまま入院になったそうです。
病院に行く前の両親のやりとりを母が泣きながら言い、
あたしも泣きながら聞きました。

午前中、点滴に行かなかったけど午後からでも行ってみよう。

そのまま入院になるかなぁ。
その方がお母さんもラクできるもんね。


入院になったら、こうしてお庭のお花を見ていられないんだよ。

花どころじゃないさ。

言葉が少なく、あまり感情を表に出さない父。
でも先日、あたしにお礼を言ってくれたように、時々きちんと伝えてくれる父。
母に対しても毎度毎度言わなくても、母のしんどさが分かっていた父。
あんなに大切で、あんなに大好きな植木のことを、
花どころじゃないって言った父の心境を思うと、辛い。

夜、なかなか眠れませんでした。
父が、病院で一人かと思うと、
そして母が自宅で一人かと思うと、
どうしようもない切なさがこみあげてきます。


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♪♭♯♪♯♭  余談  ♪♭♯♪♯♭

ぴーちゃんの命日でした。
午後になってから気付きました。
朝、お線香あげれば良かった。


2009年06月02日(火) 父の病−母の負担。

昨日の朝寄った時は、まだ静かに寝ていた父。
最近は早起きしなくなりましたね。

夕方寄ったら、庭で菊の芽付けの続きをしていました。
今日は父の担当医が外来の日だったし、
痛み止めの錠剤が無くなっていたので病院に行ってきたそうです。
点滴をしてもらったからなのか、少し体調が良かったみたい。
帰宅し、コーヒーを飲んだ後、庭に出たそうです。

父のそばに行ったとき、
朝に晩にありがとね。
って言われました。
それはちょっと意外な言葉でした。
調子が悪いと、いつも以上に口数が少なく、
あたしが実家を訪れている理由が分からなくなっているのではないかと、
思い始めていたところだったのです。

お礼を言われたいわけではなく、
兄貴みたいにお金を使って何かをしてあげることができないあたしは、
ただ単に父が心配だから、父の顔を見たいから、
会いに行くことしかできないと思っているだけなんですけど、
そのことを父が言葉で表現してくれたことがすごく嬉しかったのです。

先週の木曜日、あたしと一緒に菊の芽付け用に作った土には、
ずいぶんたくさんの菊の芽が挿してありました。
それぞれ一列ずつ違う種類のようで、名札みたいなのが挿してありましたが、
最後の一列に挿す名札をあたしに書いてと頼んできました。
 赤・小菊
と言われた通りに書いたら、少しして間違っていたことに気付いたらしく、
もう一枚、
 黄・小菊
と書くように言われました。
それ以外は、父がもっと元気な時に自分で書いたであろう札が挿してありました。
今は字を書くことも覚束ないようです。



今朝も父は静かな寝息で眠っていました。
逆に、朝から大量の洗濯をしている母の瞼はとても腫れていました。
男子用トイレの足元のカーペットが濡れていて、
その部分がめくり上げてあったので、何となく察しは付きました。

点滴を受けてきたからなのか、
昨夜の父はいつも以上に頻繁にトイレへ行ったようです。
そして今までは汚すことなんて無かったのに、
昨夜は行くたびにパジャマや下着を汚してしまい、
しまいには足元のカーペットも汚してしまったそうです。
心臓疾患のある母は、本来、安眠剤を飲んで眠る人です。
その母が父の呼吸が心配だからと安眠剤を飲まずにいるので、
ここ何日もきちんと睡眠が取れていないところに、
昨夜のようなことが起きてしまい、寝不足のピークになってしまったのでしょう。
朝方、動悸が激しくなり、とりあえずニトロを服用したとのこと。
朝食よりも何よりもとにかく薬を飲もうと思ったら、
昨日一日、薬を飲んでいないことに気付いたそうです。
薬を飲まなかったせいもあるでしょうが、
母の疲労はマックスになっているのでしょう。。。
心臓だけでなく、
前々からなかなか治らないでいる膀胱炎も悪化してきたようだと言います。
明日、父の担当医が外来の日なので、父を病院に連れて行くと言う母。
そして、父の入院を頼んでみようかと思うと言い出しました。
自宅で看取りたいと言っていた母が、
ここまで言うのだから、よっぽど体調がすぐれないのでしょう。
父が退院して3週間。
痛み止めを処方されている父よりも、
四六時中、身も心も休まらない72歳の母の負担がどんなに大きいのか、
今更ながら感じます。
しかし、今になって父が入院を受け入れるかどうか、
あたし自身、もっともっと母の力になれればいいのでしょうけど、
そうもできない現実。
最初にホスピスの話が出た時、
母の体力と気力については確認していたわけですが、
想像と実際では違かったという事実を受け入れなくてはいけません。
お母さんの好きなようにしていいんだよ。
そう言うしかありませんでした。
それでいいと心から思っています。
後ろ髪引かれる思いで、朝、会社に向かったわけですが、
一日中、様子が気になって仕方がありませんでした。


夕方、また実家へ寄りました。
日中、正直に父に疲れていることを話し、
母自身も時々ソファに横になったと言ってました。
それでも父はトイレに行きたくなると、寝ている母を起こし、
付き添うように言うのだそうです。

母は明日、父が点滴を受けに行きたいと言えば連れて行くけど、
そうじゃなければ行かなくてもいいかもと言い、
病院に行かなければ入院の話もできないのではないかと聞いたあたしに、
もうちょっと頑張れそうだからと微笑みました。
朝より幾分睡眠が取れたせいか、そんな風に言っていましたけど、
ちょっとの仮眠で取れるような疲労でないことは分かっています。
ましてまだ続くわけですから。。。
日に日に弱る父と同じように、母も日に日に辛そうになってきています。

例えばあたしが夜、実家に泊まったとき、
母の代わりに父と同じ部屋で寝たとしても、
多分、日頃のあたしからして、あっという間に熟睡してしまうような気がします。
(介護人、失格ですが、あたしも毎晩睡魔に襲われているのです)
例え、父がトイレに行くときに起きれたとしても、
トイレでのあれこれを父が娘に託したいとは思えないのです。
これは母も同意見。
やはり妻である母にだから甘えられることのようです。
母もそれが分かっているから、もう少し頑張りたい気持ちになるのでしょうか。


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2009年06月01日(月) マミちゃんとランチ51。

いつも行きそびれているラーメン店は、月曜日が定休日のはず。
なので今日もそこへは行けず、反対方面へ車を走らせ、
ずっと前、ちょっと気になる店構えだったところに飛び込みました。
そこは梵天食堂という居酒屋。
メニューを見ると手頃なランチがたくさんありましたが、
今日は日替わりランチのエビ天丼にしました。
マミちゃんも同じ。
3尾のちっちゃいエビは大きく見せるという技が施されていて、
他には茄子とオクラ……だっけかな?
トレーには味噌汁と長ひじきの煮物とちょっぴりの白菜漬。
天丼自体はまぁまぁ平凡な味。
この手のは最悪胸焼けコースになりかねないので、平凡というのはいい方。
それからドリンクバーだったので、
食前にアメリカンコーヒー、食後はエスプレッソコーヒーを飲みましたが、
どちらも激薄でした。。。とほほ
マミちゃんが飲んだウーロン茶も薄いって言ってました。
ま、787円だからしょーがないか。


マミちゃんが父の話を聞いてくれたので、この1ヶ月間の様子を話しました。
やっと最近、父のことを口に出して言えるようになったあたし。
それまでは口に出すだけで泣いてしまいそうだったのです。
ずっとあたしの話を聞いてくれたマミちゃんですが、
食事後、会社に着き、車を降りようとした時に爆弾発言ーーーー♪

3歳年下、バツイチ君とお付き合い始まりそうな感じだって。
でも、相手のことがイマイチ信用できないんだよねって。
信用できないっていうのは、自分に問題があるんだよねって。
そう言ってました。
来月、マミちゃんの話を聞くのが楽しみ。
進展してるといいなぁ〜〜〜。


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