つらつらきまま


2012年12月24日(月)
一番馬鹿だったこと


今日は片付けたい仕事があったので外出しなかったが、ルミネでは百式が行われていた。
 ナタリーの紹介記事によれば、「19年間の選りすぐりネタをセルフリメイク!」ということだったので、興味はあったのだが残念。
 2丁拳銃の漫才を見たのは2010年の百式が最後である私にはちょうどいい機会だったのに。
 2丁拳銃の漫才は、「おかんと銭湯」と「花火」が私の中では鉄板で、それこそビデオテープが擦り切れるぐらいまで見たものだ。
 DVDだと「傷が入って読み取り不能になるぐらいまで」とかいうことになるのだろうか。

親族にミュージシャンがいるという人とこの間食事をしたが、怖いファンということで、「全国どこにでも顔を出すファンがいるんだって。関東に住んでいて平日仕事をしているなら絶対この時間に来れる訳ないだろう、という日程でも平気で客席にいるんだって」という話が出た。
 へ〜、凄すぎる情熱ですね〜とその時はやり過ごしたが、内心は身に覚えありまくりで冷や汗たらたら。

 2000〜2010年はとにかく漫才と落語に費やした10年で、いろんなライブに行きまくった。
 遠征も度々したが、振り返ってみて我ながら(馬鹿だなぁ〜)と思ったのが、2007年1月20日の「第一回たかいし名人会」。
 高石市の市民寄席で一般には殆ど出回らなかったらしいのに、e+で見つけてしまい、高石市市民でも大阪府民でもないのにノコノコと鶴瓶さんを見たさに出かけてしまった。
 約2週間後も大阪に2丁拳銃のライブを見に行くにも関わらず、チケットを見つけただけで逆上してしまい、光の速さで落語会のチケットもホテルも新幹線も予約した覚えがある。
 しかし、ミナミにホテルをとった覚えはあるが、どうやって高石市までたどり着いたのかは忘れてしまった。
 たった20〜30分の高座を見るために、わざわざ東京から約3万円出して2時間半新幹線に乗って駆け付ける。
 今思い返してもあきれるが、当時は何も不思議に思っていなかったのだから恐ろしい。



2012年12月23日(日)
いや、春の声をふきかけてあげる


私が通っていた高校は校区が広くて約8割の生徒がバス通学だったが、朝の交通ラッシュの関係でバスの到着時間がマチマチだったことから、朝はホームルームをカットして8時50分スタートだった。
 そんな中「学校が近いことの何が良いかといえば、ポンキッキーズを最後まで見てから登校しても間に合うことだ」と豪語する友達がいた。
 私はポンキッキーズを見終わってから家を出ると完全にバスに間に合わないし、わざわざビデオに録画することもなかったが、

 「♪パーパラパッパパパ パーパーパパッパパパ(×2) おはようさ〜ん 皆さん準備はいいですか〜?「はーい!」 行きますか〜! 元気〜! 勇気〜! ポンポポンポポンポッキキーズ」
 というCMはやたらと見かけた上に、そのノリの良さと軽さはいまだに耳に残っている。

YouTubeを色々視聴していたらふと上記のCMを思い出したので検索してみたら、CMそのものは無かったが、原曲の動画が見つかったので視聴してみたら…凄くイイ(・∀・)。

 ANI(スチャダラパー)、TONPEYS(現:かせきさいだぁ)、BIKKE(TOKYO NO.1 SOULSET)、四街道NATURE、脱線トリオ、JUDO、ナオヒロック&スズキスムース、イシグロ(キミドリ)、クボタ(キミドリ)、BOSE(スチャダラパー)、THE CARTOONS、渡辺俊美(TOKYO NO.1 SOULSET)、ナマロイ(A.K.A. ナマルマン)&ヒラノブラウン、が各々パートを歌って繋いで行くのだが、最初のANIからかせきさいだぁの部分や、最後の渡辺さんの「♪なつかしいはずの あの夏の声で 今も変わらず またささやいてきた 冬の歌声を 聴かせてくれだって いや、春の声を 吹きかけてあげる」の部分が特に好きで、何度も繰り返してしまう。
 2010年のライブでは、渡辺さんは息子さんの登生くんと一緒に登場していて、登生くんの成長具合から、過ぎ去った時間の長さを改めて思い知る。

他の曲も聞いてみたいとTSUTAYAに行ってみたら、何枚か貸出し中。
 この狭い街で私以外に今頃スチャダラパーを聞きたいと思った人間が別にいたのかといささか驚いたが、「スチャダラ外伝」と「CAN YOU COLLABORATE」を借りて来た。
 「今夜はブギーバック(smooth rap)」の小沢健二バージョンとハナレグミバージョンを聞きたかったことと、グループ魂とコラボした「勃発!バンド内抗争/グループ魂にスチャダラパーまで」を聞きたかったことが、選んだ理由。

 「今夜はブギーバック」は色々な人がカバーしたバージョンが豊富だが、オリジナルの小沢健二のバージョンが、smooth rap、nice vocal共々一番しっくり来ると思う。
 「勃発〜」は、中村屋まで出て来て最高の一言。



2012年12月18日(火)
あれ?


検索を色々辿っていたら「草月ホール」の案内に辿りつき、(草月ホールと言えばチハラトーク。チハラトークといえば、遅刻を許さないお兄ちゃん(千原せいじ氏)だったなぁ…)と、妙に懐かしい気分になり、チケットぴあで「チハラトーク」を検索したら、来月分はもちろん、明日の開催分まで「チケット余裕あり」のマークだったので、少々びっくり。

 比較的チケットが取りやすい上に、良い意味で値段と質が見合っていないライブでお気に入りだったが、当たり前ながら千原兄弟のメディアの露出が増えるにつれてだんだんと取りづらくなり、私がお笑いライブに足を運んでいた末期の2010年には発売と同時に瞬殺となるプラチナチケットになってしまった上に、おかしなテンションの客(きゃー、ジュニアさーん、カッコイー、みたいな)もちらほらと湧き始めたので、足も遠のいていたが、また元に戻ったのか。

 試しに明日の分のチケットを検索してみたらC列が出て来た。
 これが休日だったら何の躊躇いもなく予約するのだが、平日なので会社を出るタイミングを逃し遅刻しようものなら、せいじ氏に100%どやされるからなぁ(^^;。
 今どんなことをやってるのかも検索してみたが、私が見に行っていた頃と変わりないようだ。
 10年以上、同じことをやっているライブってそうそう無いよなぁ。

 …あ、「百式」も“10年以上、同じことをやっているライブ”でした。

ここ数日、「突発性昔昔亭桃太郎落語所望症」になり、手持ちのCDはもちろんながら、某動画サイトに上がっているのも聞いたりしている。
 「寝床」好きだなぁ。
 今頃になって「金満家族」も好きになった。
 そして、野球を見ていなかった頃は全く反応しなかった「働かない野球解説者」のくだりも今はとても面白く反応する。
 ただ、桃太郎師は巨人ファンなのが、個人的には相容れられない。



2012年12月13日(木)
アップデート


母の命日なので、実家に命日用の花を贈り、母が好きだったラミーチョコを買って帰る。
 生きていたら来年は還暦か。
 50歳になった母は想像出来たが(享年47歳だったので)、60歳の母は想像出来ない。
 先に逝った人の年齢に近づいて、やがて追い越す日が来るのもそう遠くないだろう。

殆ど使っていないVistaをWindows7にアップグレードし(Officeも2007→2010にする予定)、父に譲ることにしたので、色々と設定作業。
 アップグレードは3時間ぐらい掛かったが、無事設定完了。
 心なしか、Vistaの時より反応が良い感じ。
 
来年の2月の3連休に盛岡に行こうと思い、色々と情報収集中。
 最近寒さが増してきたので、どうせ寒いのならいっそのこと一番寒い時期に北国に行ってしまえ、と思ったのが動機だが、雪道や凍結した道を歩き回れるだろうか…と不安も。



2012年12月03日(月)
あきらめられずある心よ 永くとどまれ


母の13回忌が執り行われたため、11月30日〜12月2日まで福岡に帰っていた。
 お寺やお墓では母を偲んで泣く親戚もいた。
 
 私は通夜や葬儀の会場では泣いたが、お寺やお墓で母を思い出して泣くことは殆ど無い。
 その代わり、といっては変だが、お風呂場で髪を洗っている時とか、冬の寒い夜道をぶらぶらと歩いている時など、日常のふとした瞬間に、”母がいない”現実が突然目の前に大きく立ちはだかって、どうにもならなくなり、母を狂おしいほどに思い出して、涙をこらえられなくなることがある。
 これは多分、私が息を引き取るまで続くのだろうと思う。

 10年後は23回忌。
 いよいよ、母と過ごした時間よりも母がいなくなった時間の方が長くなる。
 旅立つ人達を見送ることが増える、ということがだんだん現実味を帯びて感じるようになった。

昨日は福岡国際マラソンだったが、駅まで送ってもらう途中の道がマラソンコースだったので、初めて現場に遭遇した。
 沿道の人達の“わくわく感”が、車の中にいる自分達にもどんどん伝わって来て、何だかほんわかとした気分になった。
 名前が気に入った黒木文太選手を応援していたが、割と良い順位に食い込んだので嬉しかった(本人は納得していなかったみたいだが)。

 そして、新幹線の電光掲示板でラグビーの早明戦が劇的な結末を迎えたことを知ったので、再放送で確認。
 ロスタイムで32対26が32対33になって明治の逆転優勝。
 ラグビーは本当に最後の最後にひっくり返されることがざらなので、最後まで気が抜けない。
 私は紫紺のジャージの明治派なので、この劇的な結末は非常に嬉しい。

 昨年の早明戦は、チケットを譲ったので父が観戦しに上京したが、1年経った今でも、国立競技場で早明戦を生で見たことを思うと胸が熱くなるらしい。
 軽い気持ちで譲った試合にこんなに長いこと感動されるとは思わなかった。



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