つらつらきまま


2009年11月26日(木)
今年のキーワード


まだ今年が終わるまで1カ月ほどあるが、私にとって2009年はどんな年だっただろうかと考えたら、“脈絡のなさ”という言葉がしっくり来る1年だったように思う。
 (ドリフって面白い)と今さらハマってしまい、怒涛の勢いで、DVD鑑賞したり、CD聞いたり、志村魂を見に行ったり、CATVに加入してファミリー劇場でやってる「ドリフ大爆笑」を熱心に録画したり、その流れから(昔のドリフってどんなだったんだ?)という疑問が湧いたので都内古本屋巡り&古本市巡りを毎週のようにやり、ドリフ関連の資料本を買い漁ったかと思えば、(このつかめなさが…癖になる)と、昔昔亭桃太郎出演落語会に顔を出すようになったり、かと思えば、(歩きたい!緑を見たい!登りたい!)と、にわか登山者になったり…。
 私、何を目指してるんだろう。

寄席やお笑いライブに足を運んだ回数が昨年までに比べて激減。
 定期的に見に行くライブというのが年々減っているから当たり前と言えば当たり前か。
 しかし、鶴瓶さんより桃太郎さんを見た回数の方が多かったなんて。
 桃太郎師のらくだを聞くと、「鶴瓶版らくだ」の熊や紙屑屋のドスの利き方は、悪べえモードの時の地が出てらっしゃるのでは?と思う。
 そういえば、桃太郎師は「らくだ」の稽古が嫌で嫌で仕方なかったらしい。
 「長講の会」でネタ卸しをしなければいけないので、やらざるを得ない、というのも余計に嫌気がさすのかもしれない。
 鶴瓶さんも「死神」をやるようにと小朝さんから言われたのでありとあらゆる人の「死神」を聴いたがどれもこれも辛気臭くて嫌になったとか言ってたなぁ。
 「死神」は何故か今流行ってるので、色んなバージョンのサゲもあるが、オーソドックスだった喬太郎師の「死神」は好きだった覚えがある。
 陽気な噺もすれば、不吉なオーラを持つ死神にも化ける器用さが聞いていて凄く心地よい。 



2009年11月25日(水)
桃太郎のらくだ(!?)


定時で上がれたので、練馬まで「喬太郎、鯉昇、桃太郎3人会」を見に行って来た。
 自分の会という自覚がない桃太郎師は今回も前座さんの後、早々とご登場。
 今日の演目はネタおろしだという「らくだ」!
 まさか桃太郎バージョンの「らくだ」を聞けるなんて…それもネタおろしに立ち会えるなんて…と感慨。
 桃太郎師の「らくだ」は、ひやまで行かないもので、紙屑屋も酔っぱらって豹変するし、奇想天外な筋書きでなかったが、噺全体が“飄々”とした空気全開で、これはこれで面白かった。
 サゲは桃太郎師だからこそ許せるもので、桃太郎師以外の人がこれをやったら、(…オイ!)とつっこまざるを得ないだろうなぁと思った(^^ゞ。

 二番手は喬太郎師で「幇間腹」。
 「幇間腹」は鍼に興味を持った若旦那と、若旦那の実験台になる羽目になった幇間持ちの一八の噺。
 幇間持ちという役回りならではの一八の悲哀がからりと表現されていて、面白かった。
 喬太郎師の生の高座に立ち会えることは、私が味わう数少ない贅沢の中の一つだと、本当に思う。

 トリの鯉昇師は「二番煎じ」。
 マクラでの「インフルエンザと家族」は、どこかぶっ飛んでいて、(柳昇一門って、ファンキーな人揃いなの!?)と思ってしまった。
 寒空の中、しし鍋やお酒を役人に見つからないように楽しむ場面の描写がリアルで、(あー、鍋食べたい)と何度も思った。

トークショーは、すっかり私服に着替えてリラックスモードの桃ちゃんと、和服姿のままだが緊張感は皆無である後輩2人とでスタート。
 今日の桃太郎師は今まで行った中で一番ぺらぺら喋っていたが、ゲストがこの二人だと本当に楽なので嬉しいらしい。
 しかしその“楽”という理由は、「某一門を呼ぶと、勉強のためなのかどうか知らないが弟子を何人も連れてくるため、弁当の手配とか色々考えないといけない。その点、この二人がゲストだったらそんな心配しなくていいから」というもの。
 現在は芸協所属となった元従兄弟弟子の話や、最近不祥事を起こした(らしい)協会所属噺家の件などを、天然なのか故意なのか謎だが、桃太郎師が不意に話を振って来るので、その度に日本語が聞こえなくなる喬太郎師。
 最後は「打ち上げの時間だから」という理由でトークライブはしめられたが、鶴瓶さんや昇太さんなどの仕切り屋がいない方が、桃太郎さんはやりやすそうだな、ということをあらためて思った。
 トークコーナーで活き活きしている桃太郎さんを見たのは初めてだったので。

今年は今のところ、次のライブの予定が入っていない。
 となると、今年は桃太郎で始まって桃太郎で終わる年…。 



2009年11月21日(土)
ここを越えたら、もうすぐだ


仕事のスケジュールが変わり、3連休はちゃんと3連休として休めるようになった。
 嬉しい…。

 ということで、高尾山にまた行って来た。
 この休みがなかった1ヶ月間、(これが片付いたら高尾山…。このヤマを越えたらもうすぐ…)と、そればかり念じていたので、嬉しさもひとしお。
 あまりの嬉しさに、6時半起床の予定が5時にはパッチリと目が覚めたほど。
 6時半には家を出て、京王線を乗り継ぎ、8時20分にはもう稲荷山コースの入り口に着いていた。

 途中、ウェストポーチのサイズがなかなかはまらないのでサイズ変更を試みたりしたロスタイムがあったものの、9時には第一展望台に到着。
 そこでおやつのミニマドレーヌを食べてエネルギーを補給し、歩く歩く。
 非常に良い天気だったので、前回は見られなかった富士山も今回はばっちり。
 眺める富士は非常に美しかった。

 山頂まであと一息、というところに待ちうけるのは200段の階段。
 この階段、幅も高さも微妙に異なるため、結構きつい。
 (ここを越えればもうすぐ。これを越えればもうすぐ…)と、呪文のように何度も繰り返し心中呟きながら登り終えた眼に映ったのは、紅葉と、人・人・人!
 9時45分の時点でこんなにもういるのか!?と一瞬唖然としたが、ところどころベンチが空いていたので、しばし休憩。
 ここから見える富士山もまた大きく美しかった。
 もみじの紅色もくっきりとしていて、(きれ〜い)と見とれた。

 しばらくしてやまびこ茶屋に行き、名物のカレーライスを食べ終えると、下山。
 帰りは楽に1号路。
 稲荷山コースを登ってみたら、1号路がハイキングコースに分類されるのが理解できた。
 サンダルやブーツでやって来る人が多いのも無理はない。
 ただ、1号路と同じ感覚で下山ルートを稲荷山コースにしてしまった結果、ブーツを履いて憮然とした表情で下山している女性もちらほらと見かけた。
 ルート選択は慎重に。

帰りは日帰り温泉に立ち寄ったりして、15時ごろ帰宅。
 その後買い物に行ったりし、再び家に戻ったのは17時半過ぎ。
 テレビをつけたら「お笑いアフタドゥーン」をやってたので見ていたら、女装姿の人が出て来た。
 (あー、小堀さんだー。…あーぁ)と思ったが、よくよく見たらまったんだった。
 お互いに失礼だったなぁと思ってしばらくしたら、ご本人が出て来たが、さほどまったんと変わりなかった。
 今回は前半部分を見逃したので、ゲストがフットであること以外は話の筋がまったく分からず、残念。
 次回に期待。

久しぶりの休みをとことん満喫しようと、家の近所にある天然温泉に行き、ボディケアなんかを受けてリラックスモードの中帰宅。
 ぼーっと「出没!アド街ック天国」を見てたら、見覚えがあるビートルズがひょっこり予告に映り込んで来たので、(へっ!?)と思ったら、「何してはるんですか〜」と礼二さんにつっこむ修士さんも映ったので、(え〜っ!?ニチョケンこそ、この番組で何やってるんだよ〜)と、意味もなくうろたえてしまい、とりあえず、ニチョケナーにメールしてしまった。
 心の準備なく2丁拳銃を1日2回もテレビで見ることが出来、幸先いい連休初日だと思えば思えなくもないようなそんな1日。 



2009年11月19日(木)
最近


土日も結局仕事になってばかりで、本気でやばい状況。
 今週も…。
 3連休なのに…。山に行こうと思ってたのに…。

 心おきなく山に登れる日はきっとまた来るという願いを込め、登山用のレインコートをネットで購入。
 傘よりも雨を通さないらしい。
 ただ、アウトドア用ウェアは遭難防止のためただでさえ眩しいほどの原色使いなのに、Sサイズで即入荷がそれしかなかったため、私が買ったのは、アマガエルかカメレオンか、と思うほどの目に眩しい黄緑色。
 その名もピスタチオカラー。
 断じて普段の私の趣味の色合いではない。

 ついでにいえば、縦型洗濯乾燥機も購入。
 これで雨続きや曇りがちでいまいち乾きが悪いときでも心おきなく洗濯が出来る。
 東京で一人暮らしを始める際、父が誂えてくれた家電とまた一つさようなら。

始まる前は(誰が見るんだ)と思っていた「空から日本を見てみよう」。
 なんだかハマってしまい、毎週録画するまでに。
 テレビ東京のバラエティ番組は、本当にニッチを探し出すのがうまい。
 日光、いいなぁ。
 行きたい。歩きたーい。

セーター&コートで出社したら、会う人会う人「あったかそうだね」と声を掛けて来た。
 今日の気温と天候からいったら、そんな張り切り野郎の部類には入らないと思うのだが…。
 お昼を買いに行こうと外に出たら雨が降り出していて、傘を取りに戻るのも億劫だとおもっていたところに、異動した同僚がやって来たので傘に入れてもらう。
 「あったかそうだね」と言って来た相手は、ワイシャツの袖をまくりあげていたので、あなたは寒くないのかと訊ねたら「僕は、腕に何かまとわりついてたらだめなんだ。腕時計もしないぐらいだから」とのこと。
 難儀だね、と言ったが、本人はさほどわずらわしいと思っていないよう。
 人それぞれか。
 
ニトリで買ったフリースこたつ布団。
 意外と暖かくて嬉しい。
 あぁ、ぼーっと冬眠したい。
 毎年言ってるけど。

たかぎなおこさんのWEB日記のバックナンバーを読んだら、浅草の鶴瓶さんの落語会に行っていた!
 しかもその日は談春さんのゲスト出演日。
 この方、ゆらゆら帝国のライブにも行ってたし、身長は150cmだし、物凄い勢いで親近感を湧かせてしまった。

「愛しあってるかい!」がフジテレビ739で再放送されだしたので、ドリフ大爆笑と被らない時は見ている。
 バブルの余韻が残っているため、出演者もドラマの世界も能天気。
 このドラマがオンタイムで放送された時、私は小学生だったが、毎週毎週それはそれは楽しみで、月曜日は非常にわくわくしていたことを覚えている。
 スペシャルで帰って来ると知った時は友達と一緒に歓喜に湧いたものだが、“クロスネット”という地方の宿命に踊らされ、スペシャルが放送されるまで1年3カ月も待つ羽目になり、泣いたものだった。
 
 とりあえず、記憶に残ってた以上に陣内さんのキャラは暑苦しいが、このテンションとヤクザ映画を同時並行でこなしていた陣内さんは凄いと思う。
 そして私は、コメディとヤクザどちらもいける陣内さんの大ファンだったので、「愛しあってるかい!」をわくわくしながら見つつ、レンタルビデオで「疵」も借りつつ、「さらば愛しのやくざ」をどうしても見たいと親に懇願し、場違いな東映の映画館に連れて行ってもらったりもした。
 この頃から何かを間違えていたような。



2009年11月10日(火)
陽は沈みまた昇り

かなりの馬車馬モードで仕事中。
 ワーカーホリックになるつもりなんてさらさらないが、仕事は待ってくれないし、ほっといたら消えてくれるものでもない。
 しかし、本屋をふらっと訪れる時間もないのはしんどい。

そんな毎日を送っていたが、今日は少しだけ時間があったので、帰省の新幹線予約と乾燥機付き縦型洗濯機のパンフレットを貰いに行こうと池袋に行ったら、BOOK OFFが出店するという広告があちこちに。
 東急ハンズの近くに出来るとあったが、見たところ新しいビルはなさそうだけどなぁと思いつつ歩いていたら、HMV池袋サンシャイン店が8月末に閉店したのでその後に入った模様。 
 (HMVが閉店したの!?)と、そちらの方が驚き。
 4、5年前にニチョケンもインストアをやった思い出の店よ、さようなら。
 2か月も知らなかったけど。

土曜日は大阪に行き、鶴瓶さんと談春さんの落語を鑑賞。
 談春さんは「妾馬」で、鶴瓶さんは「らくだ」。
 東京公演と演目を変えた談春さんににやり。
 マクラでは円楽さんの思い出を語っていたが、談春さんによれば円楽さんは「立川談志の方がはるかに常識人ですよ」というほど、ぶっ飛んだ思考の持ち主。
 若かりし頃、歌舞伎町のお寿司屋さんで飲んでいたら偶然円楽師匠と鉢合わせしたそう。
 円楽師匠は、談春さんが家元のお弟子さんということを知っており、師匠の方から声を掛けてくれたそうで、談春さんは恐縮したそうだが、円楽師匠が満足げに別れ際に発した一言は、周囲を困惑の世界に連れて行くほど、唖然とさせるものだったそう。
 そのやり取りを再現してくれたが、確かに笑点での円楽師匠とは180度違う、ファンキーな発言だった…。

東京公演の「文七元結」とはまた違う「愛」の噺だった「妾馬」。
 隣に座ってた方が「良いなぁ、談春の落語は。聞きながら目の前に情景が浮かんでくるわ」と感慨深げにしみじみと同伴者に呟いていたが、非常に共感。
 聞きながら嬉しくなったほどのしみじみさだった。

「らくだ」は完全に鶴瓶さんのものだった。
 鶴瓶さんの凝り過ぎるサゲは賛否両論が起こりがちで、それを聞いたり見たりする度に(えーい、誰がなんといおうと、私はこのサゲもありだと思うのだーっ!)と、心中吠えまくる私だが、年々、鶴瓶さんの落語への批難や批判は、少なくなってきているような気がする。
 鶴瓶さんの落語を聞きに行き始めた頃は、失礼な落語通たちに毎回と言って良いほど遭遇し、何度、絹のハンカチを噛みしめながら地団太を踏みたくなったことか。

 今回は帰り際に「鶴瓶の落語は、聞く度に落語らしくなってきてるなぁ」「そうやなぁ。聞かせる落語になったなぁ」と、心がじんわりと温かくなるような会話を聞いた。

こうなると、松鶴師の生の高座も見てみたかった。
 あの笑福亭鶴瓶を、“この人の弟子になりたい”と思わせた高座はどんなものだったのだろう。



2009年11月05日(木)
難しいことは風まかせにしたい


久しぶりに、というのも変な感じだが、個人的繁忙期で忙しい。
 頑張ろうと思う自分と、頑張りたくない自分と、頑張れない自分が交互に押し寄せて、割と厄介だ。
 僅かな救いは、落ち込みモードや不安定期に入っていないこと。
 
 そんな最中、取りたい資格があるため、6年半ぶりに学生にもなることになった。
 期間は1年。
 不安はあるが、学費を自分で出すから、何としてでも卒業し資格を取りたい。

「ブラバン」、「借金取りの王子」、「吉野北高校図書委員会」を購入し、少しずつ読み進み中。
 「ブラバン」と「吉野〜」は高校時代が舞台。
 私も何か高校時代にやっておけば良かったなぁと思ったが、あの頃は今よりも人見知りで挑戦心もなく、自分の世界はクラスだけで手いっぱいだったということを思い出した。
 それでもそこそこ楽しかったしなぁ。
 私が通っていた高校は、「長崎のチベット」と評されるような山の上にあったので、秋から冬にかけて寒くなり始めると、なんとなく母校の寒さを思い出して懐かしくなる。
 長崎県の財政がどん底だったのに、増え続ける人口対策で創立しなければならなかった結果、あろうことか“廊下”を作る予算を削られて完成した我が母校。
 
「R25」に志村けんさん登場。
 速攻入手。
 ドリフ棚にうやうやしく保管。

 「鶴瓶ファイル」は切り抜きやフライヤー等を集め過ぎた結果、シートがだんだん剥がれ出して来た。
 「噺家編」と「タレント編」と2冊作るべきだろうかと考えつつ、何か、そんなどうでもいいことを考えなきゃいけない自分が少し嫌になる。

明後日の大阪行きもノートPCを持参し、終わった後はホテルで少し仕事をする予定。
 あー、こんな予定ではなかったのにーっ!



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