つらつらきまま


2009年10月31日(土)
生きてるうちに会っとかな


昨年、高円寺のライブハウスで鶴瓶さんは
 「人間、生きてるうちに会っとかな。いつ会えなくなるか分からんのやから」
 と、客に向かって言っていた。
 
 その時鶴瓶さんが会いに行った人は、それから1年も経たないうちに星になってしまっただけに、なおさらその言葉が胸にしみる。

 人に会うのは生きてるうちに。
 人を誉めるなら生きているうちに。

修士さんのブログタイトル(「修士です」)を見たら、反射的に(知ってます)と心中呟いてしまった。
 余弾の時の愚痴は、ひきずるところではひきずられている話題だったことに驚いた。
 そこまで引きずらなきゃいけないような重大事とは思わないのだが…。
 あの愚痴を聞いたところで、出待ちしてどうこうなんていう考えは露とも起らず、終わったらとっとと帰宅した薄情者には理解できないということか。

今日は、秋恒例の笑福亭鶴瓶落語会。
 ニチョケナーのnさんをお誘いしたものの、当日出るゲスト漫才師はチケット発売時点はシークレットだったため、好みではない人が出たり、鶴瓶さんの落語が外した演目だったりしたらどうしよう、と不安な面もあった。

 すると、ゲストは爆笑問題!
 生で見る日が来るとは思ってなかったので、興奮。
 時事漫才を畳みかけるようにやっていたが、凄く聞きとりやすかった。
 滑舌の良さもあるが、使われている言葉はよく聞いてみたら毒舌だけど下品なものではない、ということも大きいと思った。

鶴瓶さんは、オープニングに鶴瓶噺を軽めにやった後、爆笑問題の漫才を挟み日替わり演目を1席。
 そして、仲入り後に独演会共通演目を1席かけた。
 日替わり演目は「堪忍袋」。
 鶴瓶さんがこの演目をやっているとは知らなかったので、聞けて良かった。
 「王様の耳はロバの耳」に似た話で、悪口を言いそうになったら、「堪忍袋」の中にその悪口を吐き出した後、腹が立つ相手ににっこり笑いかけるようにする、というルールを作ってみたところ、笑顔は絶えなくなったものの、堪忍袋の中身はすぐパンパンに。
 そこに一人、どうしても堪忍袋に愚痴を吐きたいという人が現れて…というもので、サゲは少々皮肉な感じ。
 そういえば昔、パペポで腹が立ったら灰皿代わりのバケツに「くそーっ!」と吐くようにしましょう、と鶴瓶さんが上岡さんに提案したら、提案したそばから上岡さんがフォローしづらい発言を連発するので、何度も「くそーっ!」と吠えてたなぁ…ということを思い出した。

 共通演目は、例年と比べたら明るく陽気なお噺。
 上方漫才の王道であるハメモノが満載で華やかだった。

終わった後はルミネ1の「柿安 三尺三寸箸」で食事。
 野菜中心のバイキングのお店だったが、1プレートで結構満腹に。
 デザートやソフトドリンクも豊富で美味しかった。
 こういうとき、一緒に食べる相手がいるのは良いなぁと思う。
 ちなみにお互い一人っ子同士なので、来るべき未来についての悩みは共通。
 何をするのも一人、ということは常に頭の隅にあります。

来週は大阪でWHITE。
 今のところ、今年の鶴瓶詣で(?)はこれが最後。
 今年もいっぱい、鶴瓶さんに楽しみと喜びと感動を貰えました。
 あぁ、幸せ。
 
 
 

 



2009年10月29日(木)
知ってしまった〜


“それ”を知りたくて、でもやっぱり知りたくなくて…という微妙なファン心のまま、Yahoo!やGoogleでブログ検索をしていたが、“当日までのお楽しみに”という感じでぼやかしているものしか見つからず。
 しかし、さすがSNSの草分けのmixi。
 少し検索しただけで、あっさりと、私達が行く笑福亭鶴瓶落語会の日替わりシークレットゲストの名前を発見。
 あ〜ぁ、と思いつつも、(えぇ〜、この人達が出るの!この人達を生でみれちゃうの!?)と、後からじわじわと喜びが。
 (<この人達+笑福亭鶴瓶>を5,000円で見られるなんて…。ピンで5,000円出してもおかしくないのに。わぁ〜実はこのライブ凄いお値打ちだわ)と、静かに興奮中。
 この人達が出る回なら、お誘いした甲斐もある。

 個人的には最終日のゲストにも少しびっくり。
 もうそういう位置の漫才師なんだなぁ、と。
 いつまでも地方の小さい劇場に呼ばれていた感覚が抜けなくていけない。
 
ちなみに、昨日はおぎやはぎ、今日は中川家だったそう。
 何か呼ばれるの分かるなぁ。
 
「やるならやらねば!」がDVDで復活するそう。
 どストライク世代であることと、 悲しい終わり方をした番組なので、もう二度と陽の目を見ることはないだろうと思い込んでいただけに、実に嬉しい。

勘違いだと思っていた<「百式2009」DVD・12月発売予定>は本当のことだそうで、12月23日発売とのこと。
 “定価で買って、握手会、サイン会などの発売イベントの参加券ゲット<27%オフの2,300円台で購入”の方に重きを感じた結果、今年もAmazonで予約。
 それでもまだ、ブックオフに流れて来るのを待つほどには堕落していないファン心、つーことで。
 百式2009のDVDを見ながら、鶴瓶さんの誕生日を祝うとしよう。

落語会のゲストを探していたら、ソニーピクチャーズエンタテイメントが行ったアンケートを発見。
 落語好きの女性と漫才好きの女性の傾向を探ったアンケートだそうだが、漫才好きの女性が選ぶ好きな芸人は美形が多かったのに引き換え、落語好きの女性は
 >落語好き女性の好きな芸人の2位に「笑福亭鶴瓶」が入っている点を見れば、外見重視でないことがよくわかります。
 とのこと。
 
 それって…。



2009年10月28日(水)
純な期待を込めて耳を傾けていた頃

「天使と悪魔」をやっていた時期を知りたくて、昔の日記やライブレポートを読み返していたが、2005年ぐらいまでの私は、2丁拳銃を見に行く度に一々、一喜一憂していたということに気づいた。
 特に、就職を機に上京したことで、行こうと思えば“会社帰りにルミネ”が可能になった2003年頃は一喜一憂のピーク。

 ある時は、どう考えてもアウェイの客層の中、飄々と出て来て、ウケを取りにとって悠々とハケていった、と言っては喜び。

 ある時は、ちょっとずつ呼吸がずれたりネタが飛んだりして、いつもの2丁拳銃の漫才を見ることが出来ないままが終わってしまった、と言っては嘆いたり。

 ある時は、終始いらいらや荒れが漫才のネタ運びから伝わってきて楽しめなかった、と腹を立てながらもへこんだり。

北村薫さんの「胡桃の中の鳥」という短編小説の一節に

 >(自分が落語を繰るときの相手は)若い頃の僕が相手です。一席一席、純な期待を込めて耳を傾けていた僕がね。お客様は全員がその頃の僕だと思って話しています。

 と、登場人物の噺家・春桜亭円紫さんが話すシーンがあるが、当時の私は“一席一席、純な期待を込めて耳を傾けていた僕”そのものだったと思う。
 理屈も理由もなく、ただ、舞台でネタをやっている2丁拳銃を見たくて見たくて、足を運んでいた。

 まだまだネタ中に危なっかしさや危うさを覚えることもあったので、10分という持ち時間を最初から最後までゆったりと構えながら見ていたことは、殆ど無かった。
 時によっては、ネタ以外の言動や行動にもはらはらしたり、むかむかしたりすることもあった。
 ある意味、“目が離せないコンビ”だったことは確かだ。

当時と比べると劇場に足を運ぶ頻度が格段に減り、ネタを見る機会も少なくなったこともあるが、今、2丁拳銃についてそんな感情を覚えることは、考えてみれば殆ど減ってしまった、というか皆無に近い。
 だからといって、今の2丁拳銃に、当時のような“目が離せない”状態に戻って欲しいかと言われたら、個人的にはもう勘弁して欲しいというのが正直なところ。
 やっと、安心してゆったりと2丁拳銃の漫才を楽しめるようになったのに。
 あの危なっかしさやはらはら感は、あの芸歴の2丁拳銃だったからこちらも乗ることが出来た訳で、今だにあの状態だったら、わくわく感より冷やかな目を向けるだろう。
 
渡辺鐘さん曰く「笑いって趣味の問題」なので、それぞれ色んな持論があり、恐らくそのどれもが真実。
 私自身は、派手な見た目や動きで仕掛けていく笑いよりも、じわじわと惹きつけられて、気づけば虜にされる笑いが好き。
 だから鶴瓶さんの笑いにも魅せられるのだろう。

来年4月に国立演芸場である文珍師の独演会。
 鶴瓶さんがゲストに出る日の公演の先行予約があることを鶴瓶さんの落語会に行った方から教えてもらい、申し込んでいたのだが、今日チケットが届いた。
 相変わらずの鶴瓶運。
 今週末はサザンシアターの落語会。
 今回楽しみなのは、鶴瓶さんの落語を見たことが無い方と一緒に見ることだ。
 笑福亭鶴瓶の落語を一人でも多くの人に聞いて欲しいので、ペアが取れた時は、なるべくまだ一緒に鶴瓶さんの落語を見たことがない人に声を掛けるようにしている。
 鶴瓶さんの落語が合うか合わないかは別問題なので、鶴瓶さんを好きになって欲しいとまでは思わない。
 私があんなに感動した先月の「らくだ」も、ブログ検索したら見事に賛否両論だったし。
 自分が好きなものを他人も気に入ってくれることは、奇跡に近いと思っていた方が良い。



2009年10月27日(火)
2年9か月ぶりのピロピロババーン

ファミリー劇場の「ドリフ大爆笑」も、テレビ東京の「きらきらアフロ」も蹴って、0時からNHK総合。
 録画だと視聴率にカウントされないので、作業しながらの“ながら見”を途中までやってしまったが、テレビは最後まで点けておいた。
 あぁ、何といじらしいファン心よ、と自分で言っておく。

 関東は台風が接近しており、時間帯によっては結構強い風雨になっていたので、もしかしたら台風情報で時間がずれるか、最悪、休止ということを少し懸念していた。
 NHKのホームページに載ってるかと思い、NHKのホームページを見たら、「笑・神・降・臨」のサイトにはスタッフ日誌や出演者コメントなどのコンテンツがあったので、へぇ〜と思い、見てみたり。

 結果、台風情報でずれたり飛んだりりすることもなく、定刻通りに開始。

収録では25分漫才をやったと、今年の余弾で言っていたけど、意外にも2丁拳銃バージョンの「44口径」も出囃子で流れたので、(おぉ〜、やるじゃん、NHK)と、これだけでNHKに好印象。
 漫才はここ1〜2年の「百式」からチョイスされた構成だが、「2003年作」のネタが1本入っていた。
 それは、「一生やらない」と約2年前に宣言されたネタでもある。
 封印するに至った経緯はうっすらと分からなくもなかったが、ネタ卸しがされた当時は、2丁拳銃の漫才の中では珍しい系統に属するネタで、それが色んなところで卸されてどんどん馴染んでいった頃だったため、もうやらないと宣言された時は残念に思っていた。
 
 それが、ひょっこりと復活。
 思わず、作業の手を止め、テレビに目をやった。
 (あぁ〜、あれだ〜)と、顔がほころんだ。
 やっぱり、封印はもったいない。

ちなみにこのネタ、「百式」でもやっていたと思い込んでいたら、「百式」ではやってなかった。
 その割によく見てたよなぁ…と思い、昔のライブレポートを引っ張り出したら、2004年の1月はネタを見に行った日全てがこれだった。
 多分、日記やレポートを書いていないライブでもやってる回にちょくちょく遭遇してたのだろう。
 
 それにしても、今年は予定を含めても20本程度しかライブに行かないのに、昨年までのライブの行き倒しっぷりったらなんだろう。
 そりゃ、周りも呆れていた筈だ。 



2009年10月24日(土)
初東京山歩き


東京に出て来て初めて“登山”をしてきた。
 とはいっても、行き先は“東京の小学生が遠足で行く定番スポット”らしい高尾山。
 午後から天気が怪しそうだったので、高尾山に9時半ごろ着き、お昼過ぎぐらいには下山出来るよう動く。
 山歩きは初心者なので、最初から無理は禁物だと思い、京王の「ケーブルカー往復割引付き乗車券」を購入したが、山頂までの往路に設定した1号路は、ケーブルカー乗り口から終点までの経路を歩いていくことで、山歩きの醍醐味を味わうルートだったよう。
 一向に、自分が思う“登山”ならではの苦しさとか冒険心とかいうことを殆ど味わうことないまま、あっという間に山頂到着。

 体力を温存するどころかほとんど消費もしなかったような気がしたので、行きも帰りも1号路を使う予定だったのを変更し、復路は4号路を選択。
 こちらはちょっとバランスを崩したらそのまま崖を滑り落ちそうな、森の中を歩いて行くようなルートだったので、やっと“山”に来た感じを味わえた。
 しかし、いかんせん“復路”なので、すれ違う登山者の方々が息を切らしたり、つえをつきながら登ってきたりしている様子に比べたら、下山者は遥かに楽。
 往路にこちらを使った方が、山歩きの醍醐味を感じられた気がするが、今度は何時間経っても体力回復しなかったかも…。

こんな感じで、高尾山初回は楽しまくりのまま終了。
 次回は、ケーブルカーは復路だけ使い、往路は山歩きルートを選ぼう。

今日は天気予報が微妙だったことと、まだ紅葉のシーズンには早かったこともあって、そんなに混んでおらず歩きやすかった。
 色んなグループがいたが、前を歩いていた人が同行者へ、実に衝撃的なカミングアウトをする瞬間に遭遇。

 「でねっ、長年の念願だったから勇気出して実行したの!いいわよ〜、海をすっぽんぽんで泳ぐって!男の人っていいな〜ってこんなに思ったことなかったわよ。すっぽんぽんで泳いでも許される雰囲気あるじゃない」 

 発言者は40代〜50代と思われる女性。
 すっぽんぽんで泳いでも許される男性は、せいぜい小学校低学年ぐらいまでだと思うが…。
 というか、どんなシチュエーションでその行為に?
 見たところ、そんなファンキーなことを実行するようにはみえないおっとりとした雰囲気の方だっただけに、衝撃度もひとしお。
 目をきらきらさせながら“すっぽんぽん”の素晴らしさを力説する方と、平和な高尾山でそんな告白をされてしまった同行者の困惑ぶりも、見事に対照的だった。
 同行者に“すっぽんぽん遊泳の開放感”を力説しているところで、追い抜いてしまったため、その後は不明。
 それだけに、今でもその後の展開が若干気になる。

健康ランドの日帰り入浴に出かけたり、各停で帰ったりと、のんびりしながらの帰路だったが、それでも16時頃には帰宅。
 その後、雨がひどく降り出して来たので、楽しく山歩きを終えることが出来た天候に感謝した。
 私は、雨に濡れることが何より嫌いなので、雨に降られていたら、山歩きは二度としないと決めていただろう。 
 今はまだ、次の山歩きを楽しく考え中。



2009年10月21日(水)
走れ走れ 時は短い

ニッカンスポーツ、芸能欄はもちろん、スポーツ欄やギャンブル欄、万が一を考えて桃色欄も見たが影も形もなかったので、(もしかしたら、ニッカンじゃなくてスポニチの間違いじゃないか?)と疑わしく思っていたら、掲載が延期になったよう。
最近、大ニュースが続いてるから、そちらが優先されるのは致し方ない。
気長に待とう、と思いつつ、スポニチの間違いではなかろうかという疑いもしつこくまだ抱いている(^^ゞ。
スポニチに吉本の連載枠あったし。

長門裕之さんの記者会見を思いっきり感情移入して泣きながら見てしまったが、画面に映っている範囲内の記者が誰ひとりとして鼻すすったり、目元をぬぐったりするようなこともなく、黙々とメモを取っているのを見て、少し冷静になる。
会見する側も、その様子を伝える側も、どちらも仕事だった。
とはいえ、ニュートラルな感情で見続けるのはとても無理な会見だった。
こういう会見の時、どうしても遺された側に感情移入し、共感してしまう。

しかし、最近は感情移入して泣くことが増えた。
年取ると涙もろくなるというが、相手の立場や心境に共感出来るような経験を積んできた結果だと思っている。
身を以て経験してみなければ分からないことは、嘗ての自分が想像した以上にたくさんあった。
これから経験することもまだまだある…筈。



2009年10月19日(月)
革命の音楽


芦原すなお著「青春デンデケデケデケ」は、主人公の男の子(ちっくん)が、ラジオから流れて来たベンチャーズの「パイプライン」のエレキギターの音を聞き、稲妻が身体を駆けるほどの衝撃を受けるシーンから始まる。

 この小説の時代設定とほぼ同時期、私の母は試験勉強をしながら聞いていた「オールナイトニッポン」から流れて来た、珍妙な声とふざけた歌詞からなる曲に、(な、何、これ!?)と、ちっくんと同じような衝撃を受け、ひっくり返りそうになったそう。

 「ビートルズは、男のくせに髪ば伸ばして、曲もやかましかけん、好かん」と、同級生にいたら間違いなく友達にはなりたくないタイプであるうちの父も、たまたま同じ番組を聴いていて、同じように(な、何や、これ!?)と唖然としたそう。

 日本全国の中高生が衝撃を受け、翌日からは親世代も一緒になって、あの奇妙な曲が入ったレコードを買い求めた、と思うと何だか可笑しくて、それをリアルタイムに経験出来た人達が羨ましい。

 趣味嗜好がまるで違う人を釘付けにし、レコード店に走らせたその曲は「帰って来たヨッパライ」。

中2の頃。
 合唱コンクールで歌う自由曲を決めなければならなかった。
 “自由曲”といいながら、音楽教師がチョイスしてきた7曲から1曲選ばなければならず、7曲中6曲は、実にたるい曲調か歌詞が説教くさくておしつけがましいかのどちらかで、反抗期まっただ中の私達はうんざりしていた。
 しかし、ある曲が流れだすと、「これがいい!これにすーで!」と大盛り上がりになった。

 しかし、“これがいい!”と思ったのは私たちのクラスだけではなく、7クラス中5クラスがこれを希望した。
 そして、我がクラスはあっさりとじゃんけんの1回戦で負けてしまい、しょーもない歌を割り当てられ、そのくやしさをばねに一致団結して優勝を目指すような思考もなかったため、5位とか6位とか、歌と同じくしょーもない順位で終わった。

 90年代初頭の中2を「この曲を歌いたい!」と熱望させたのは、今や定番中の定番となった「あの素晴しい愛をもう一度」。
 今思うに、学校で歌わされるにもかかわらず、「愛」とか「命かけてと誓った日から」とか、あからさまなラブソングを堂々と歌えるということが、ポイントだった気がする。

過ごした時代は違うのに、ほぼ同じ年齢の頃、同じ人達が作った曲に魅せられた。
 誰でも出来ることではない足跡を残したのに…というのは、当人以外の第三者が思うこと。
 肯定出来る行為ではないけれど、この世で過ごした最期の時期が、これから先のことや遺される人々のことなどは何も考えられないほどの絶望と無力感に襲われていたのなら、せめて、一線を越えた今は、全ての苦しみから解放されて安らかに眠り続けていられるよう祈りたい。



2009年10月17日(土)
本物よりもキレイなコトバ 本物よりもキレイなウソ

加藤和彦氏死去の第一報は驚いたが、続報の内容は更に衝撃。
 雲の階段を何故昇り切ってしまったのだろう。

今日は「落語寄席4」を見に浅草花月へ行って来た。
 お客の入りは6〜7割だったが、仲入り後は5割前後まで減っていてびっくり。
 この劇場、採算取れてるのだろうか。
 昼席は観光客とか入ってるみたいだけど。

今日の噺は以下の通り。
 1;笑福亭瓶成/「いらち俥」 2:立川志ら乃/「火焔太鼓」 3;サカイスト・まさよし「告白」(←正式名不明) 4:月亭方正「手水廻し」(仲入り)5:2丁拳銃・小堀「獅子の子」 6:桂三若 「大阪嫌い」(←正式名称不明)

9月の落語寄席に行った人に聞いたら、小堀さんの演目は5月と同じで「ハンカチ」だったそう。
 2回連続同じものをやるのは珍しいので、(今年は「ハンカチ」に本腰入れて取り組むつもりなのかなぁ)と思っていたら、ブログで新作をやるという告知がアップされ、嬉しく且つ少しほっとした。

 タイトルといい、2週間前のとうきょう式で央人響己兄弟を見たばかりということもあり、(去年の「埴輪」みたいな系統だろうか)と予想していたら、アホみたいな声で「けーえーなんや〜(経営難や〜)」と嘆く動物園の経営者が噺の初っ端に登場してきたので、(こ、これは…もしや「動物園漫才」のリメイク!?)と、予想外の展開に少々驚いた。
 噺の内容の大筋は「百式2007」のDVDに入っているので、そちらを見てもらえたら分かるが、「百式」では次のネタへのつなぎを兼ねたオチだった記憶だったので、「落語」ならどんなサゲにするつもりなのだろう、とそちらにも興味を持ちながら聞く。

 サゲは、漫才ではやっていない場面が追加されていた。
 そこで発せられたサゲは、いかにも、という甘いものだったが、このサゲで噺の世界がきゅっと引き締まったように感じた。
 好きな系統過ぎて、何故か若干腹が立って来るほどだった(^^ゞ。



2009年10月14日(水)
ありがとう、ストリートビュー

住民が退去次第取り壊すと聞いていた、長崎にいた頃住んでいた社宅。
とうとう更地になったという報告が入り、父と二人へこむ。
母と過ごした最大の思い出の場所が消えてしまい、虚無感全開。

ただ、世間的には嫌われがちなGoogleストリートビューが今回は良い仕事をしてくれていた。
取り壊す前の、ちらほらながら住民も住んでいた頃の姿を撮影してくれていた。
画像が更新される前にと、急いで何枚か保存。
こんな大敷地、跡地の再利用先が決まってから壊せば良かったのに、と心中ぼやきつつ。

ふるさとの場所は、心の中。
文字通りになってしまった。



2009年10月08日(木)
台風が来た


昨日の段階では、朝は大雨、昼からは強風とのことだったので、レインコートはもちろんのこと、替えの服&靴&タオルを持っていくためのリュックや、電気のみならずガスも止まった場合を考えてカセットコンロセットも買って準備万端。
 しかし、通勤時は風が強い以外はさほど影響もなく、なんだか飛んだ張り切り野郎、てな感じだった…。
 長靴を買うのを止めといて良かった…。
 自分のサイズに合うのは安っぽいヒョウ柄しかなく、それでもしばらく迷ったが結局買わなかったのだ。

930hpa〜950hpa台風が直撃することはザラだった九州に生まれ育ったが、自然災害が発生している時に父親が家にいることはほとんどなかった。
 ライフライン関係の仕事をしていたこともあるが、シフト勤務の宿直日は大型台風が来る日が多かったからだ。
 父は父でただでさえ寝られない宿直日に仮眠を返上する勢いで復旧に当たらねばならなかったので大変だったと思うが、我が家は我が家で母一人子一人で、場合によっては900hpaで風速50mとかいうあり得ないほどの大型台風と対峙しなければならなかった。
 こんな時、母はおろおろすることなく、(夫がいないときは私がこの家を守る)と、武士道一直線のような感じで腹をくくっていた。
 台風が来る前にご飯を炊いて酢飯でおにぎりを作るとそれらをラップにくるんだり、煮返す度に味がしみ込む上に飽きにくいおでんなどの煮込み料理を作ったり、お風呂はもちろんありったけの鍋や瓶に水を溜めたり、立てつけの悪いボロアパートの窓が割れぬよう、布ガムテープで目張りをしたりなど、普段の生活となるべく変わらず過ごせるような対策をてきぱきとこなしていた。
 父がいればいたで安心に越したことはなかったが、母と2人きりでも全く不安に思うことはなかった。
 普段、ぼーっとしている私が、こと台風に関しては色々準備をする頭が働くのは、この時の母の姿を覚えているからだろう。
 <停電になると、水をくみ上げているポンプも止まってトイレが使えなくなるから、お水だけはたくさん用意しておくこと><目張りをするガムテープは紙じゃなくて布><おにぎりをラップに包んでおけば、お皿を洗う水が節約できる>など、母がやっていたことを後追いで再現。
 ちなみに、当時住んでいた家のお風呂は、2丁拳銃の漫才「オカンと銭湯」で「今種火やで〜、2や2」「ガッチャン、ってするやつか?古いで、お母ちゃん」の件に出て来る形式だったので、停電になってもお風呂にははいることが出来た。
 なかなか点火しづらいので嫌いだったが、災害の時は重宝出来るものだった。

会社から徒歩圏内に住んでいる私は普段と変わらぬ時間に出勤できたが、電車通勤組は大打撃。
 午前中はほとんどの人が出社できず。
 私も出社はしたものの、同じ班のメンバーがやっている案件についての問い合わせ電話がピークする日だったので、そちらの対応に追われて、なかなか自分の仕事には集中しづらかった。
 それにしても、入社したての頃は電話応対がなってないなどと先輩からいびられて電話恐怖症になったりしたのに、そんなことは無かったかのように普通に3コール内で出て、クレームにもパニックにならず応対している自分が、なんだかおかしい。
 
オークションで、全員集合を特集していた週刊誌を落札。
 打ち合わせの様子やリハーサル時の写真も載っていて、結構面白かった。
 先月は3時間特番があったが、志村さんのドリフ内での役割が移行する過渡期のコントもいくつかあり、(この頃はこの順番で出て来てたんだ。後になったら、この役割は加トちゃんがやるんだよなぁ)なんて思いながら見ていた。
 30年遅れで全員集合を知ったので、今頃になって知ることが多い。
 火曜日はバカ殿の特番をやっていたが、結構前から楽しみにしていたもののいざ始まったら、30分が限界…。
 ファミリー劇場のドリフ大爆笑リピート放送も、時代が現代に近づいて行くのと反比例して私の楽しみは遠ざかっている。
 どうも私は、“「8時だヨ!全員集合」に出ているドリフ”のみ肌に合う模様。
 実際の放送ではドタバタした回もあったと思うが、DVDや名場面特集等で取り上げられる回を見る限り、生放送とは思えぬ仕掛けやセットのクオリティの高さに脱帽する。
 狭い舞台でパトカーやオートバイが走り回ってジャンプアクションなんて、今じゃあり得ないし。

 全員集合が凄いのは、第二期放送開始から終了までのVTRが全て保存されているということだ。
 TBSチャンネルで放送されるようになったら、TBSチャンネルを契約するのになあ。

12月にある港区での鶴瓶さん出演の落語会が、ぴあでは1分足らずで完売してしまい、度肝を抜かれた。
 かと思えば、絶対即完と思う落語会が意外と直前まで売れ残ったりするから、読めなくて困る。
 
古本や読書を扱った書籍を最近は読みふけっている。
 「本棚探偵の冒険」「本棚探偵の回想」が面白かった。



2009年10月05日(月)
ご姉弟〜


今週号のヤンマガから「バカ姉弟」の連載が再開。
 10日からアニメ化されるので、しばらくは連載も続くだろう…と思いたい。
 早速コンビニでチェックしてみたら、3歳頃のご姉弟だったので嬉しかった。
 大和郷よりもウィーンよりも、巣鴨在住がご姉弟には似合う。

そういえば昨日は早稲田の青空古本市に行ったら、探してた浪速のモーツァルトの対談本が400円で出てたので買った。
 キダ・タロー目当てではなく、対談相手の鶴瓶さん目当て。
 もうここまで来たら私は鶴瓶さん関連のコレクターを目指す。
 古本屋めぐりもオクも続けよう。

 って、別にわざわざ宣言するようなことでもないけれど。

懐かしくなり2002年の第1回目の百式を見直してみた。
 7年も続くイベントの記念すべき第1回。
 2丁拳銃が活動20年とか25年とか節目の年を迎えたら、この回もDVD化されたら良いのになぁ。
 幻にするには惜しいイベントがたくさんある。



2009年10月01日(木)
ぶたさんのとうへんぼくっ!


「今晩のおかずの予定を牛肉からめざしに変えてでも、私は娘に本を買い与えたい」と妻は夫に言った。
 「焼酎のつまみになれば、めざしだろうがなんでもいいよ」と、呑気な夫はそう答えた。

 かどうかは定かではないが、ともかく幼い頃から私の部屋は本で溢れていた。
 それもこれも母の「牛肉をめざしに変えてでも〜」の教育方針と父の理解のお蔭である。

 自分で選べるようになるまでは母が買って来たものを読み聞かせしてもらっていたが、「ノンタン」シリーズは可愛らしくて親子ともども気にいり、割合揃っていた覚えがある。
 その中でも「ノンタンのたんじょうび」は見返しに「ノンタンクッキーのつくりかた」が載っていたので、それを参考にクッキーやパンを一緒に作ったりしていた。
 本屋の絵本コーナーに立ち寄ったら「ノンタンのたんじょうび」は1980年の刊行以降、今でもなお重版が掛かって現役で売られていたので、懐かしくなり買ってしまった。

 友達のくまさん、ぶたさん、たぬきさん、うさぎさん達が、何故か今日はノンタンが話しかけたり遊ぼうと誘っても乗って来ない。
 それどころかみんなしてノンタンを仲間はずれにする。。
  仲間はずれにされて、泣きながら去っていくのだが、今見てもここのシーンは何だか切なくなり、泣けてしまう。
 友達たちがノンタンを仲間はずれにしたのはいじめたいからではなく、ノンタンのバースディパーティーを開くためであり、最後はみんなが作ってくれたノンタンクッキーやケーキを食べたりして、誤解はとける、というのが大体のあらすじだが、何回も読みなおすと、泣けるシーンの中に(おや?)と思う箇所があることに気づく。

 家の中で何をみんながしているのか気になるノンタンが窓からこっそり覗こうとするのだが、それに気づいたみんなは窓を開けると
 「ばあ!」「べ〜っ!」「い〜だ!」
 と口々に叫んで追い返す。

 追い返されたノンタンは憎まれ口を叩きつつ泣きながら去っていくが、そのセリフが
 「くまさんのどてかぼちゃ!」「たぬきさんのおたんこなす!」まではまぁ良しとしよう。

 「うさぎさんのへちゃむくれ!」…巻末のケーキに立ったろうそくの数から、ノンタンは4歳の誕生日を迎えることが分かるが、4歳が“へちゃむくれ”なんて知ってるかな。

 もっとあり得ないのが
 「ぶたさんのとうへんぼくっ!」。
 何度も繰り返すが4歳児。
 漢字にすると「豚さんの唐変木!」
 
 選ぶ語彙の渋さからいって、ノンタン、実は4歳では無くて40歳の誕生日だったんじゃなかろうか。
 
 ちなみに去り際の最後のセリフは「もういいよ。あそんであげないから……」で、次のページが「つまんないの……」と一人うちひしがれているノンタン。
 3〜4歳の頃から変わらず今も、この一連の流れでうるっと来る。

この本、もしかしたら3歳の誕生日に買ってくれたのかもしれないが、確かめる術がない。
 母が亡くなったことで、物心が付く前の“私”がどうだったのかを知ることは困難になった。
 母は2000年の12月に亡くなったので、来年は亡くなってちょうど10年になる。
 (10年近く経っても、こんなに喪失感は生々しいのか)と、時々愕然とする。
 この世の中のどこを探しても母はもういない、ということを何の前触れもなくふっと思うことがあり、それに気づいた途端、無力感と喪失感ととてつもない寂しさがたやすく蘇ってくる。
 恐らく、それは私が死ぬまで続くのだろう。
 思い出すことは辛いが、実感が生々しい間は、母が心の中でまだ生き続けているということ。

唐突に話が変わるが、買い物の予定があったので近所の商店街を歩いていたら、商店街の中にあるお寺の門前で、琵琶法師が何やら琵琶を弾きながら唄っていた。
 もうすっかり暗くなっている門前に琵琶法師。
 正直、びびった。
 買い物が済んだ後、恐いもの見たさで再びその前を通ったら、どこかのお婆さんが深々と合掌しながら聞き入っていた。
 あの年になれば、夕暮れの琵琶法師にも動じなくなるのだな、と少々羨ましくなった。
 ちなみに、この街には不定期に路上三味線弾きも現れる。
 そのうちゲリラ雅楽とか行われるかも。
 御所車から出てくるとか。



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