BSハイビジョンで日本の祭り特集をやっていて、昨日は山笠だった。
博多の街並みも見たかったので、見ていたが、見ているうちに不遜な思いがふつふつとわいてきた。
それは
(山笠は山笠で素晴らしいけど、やっぱり私は太鼓山(コッコデショ)や鯱太鼓にわくわくしてうっとりするなぁ…)
という思い。
太鼓山や鯱太鼓は長崎くんちの出し物の一つ。
Youtubeで検索してみたら二つともあったので、どういうものであるかは実物を見てもらった方が早い。
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太鼓山 →
鯱太鼓 太鼓山は樺島町、鯱太鼓は銀屋町しか奉納せず、奉納をする「踊町」とよばれる順番が回ってくるのは7年に1回だ。
(今年は見に行けなかったから、来年こそは…)なんて悠長なことは言っていられないため、この二つの踊町のファンになったら、大変だ。
我が家は家族3人とも担ぎ物大好きなので、実家が長崎にあった頃は、練習が始まる5〜6月になると家族揃って公会堂などに練習を見に行くほどだった。
うちから公会堂まで車でも20〜30分は掛かるが、そんなことは全然問題ではない。
次に見れるのが7年後で、7年後に自分が生きているなんて保証はないと思えば、どんなところにもおっかける。
今の私の“好きなもの、興味があるものはとことん追いかける”しつこさは、太鼓山や鯱太鼓をおっかけたこの思い出が原風景にあるような気もする。
遠くの方から男衆の野太い声と、一定のリズムで叩かれる和太鼓の音が聞こえれば、もう速足になり、周りは見えないし聞こえない。
神輿を高々と放り投げ、片手、あるいは両手で受け止める男衆を見ると、(ウワァー!!)となんともいえない高揚感に包まれる。
山笠を初めて見に行った時、友達に「なんであれ、投げんと?」と質問し、「投げるわけなかろーもん!」と驚き気味に言われた時は、(えぇ〜っ!投げんと?太鼓山とか鯱太鼓は投げるとに!?)と、こっちもびっくりした。
山笠は高さもあるし、博多人形も載せているので、太鼓山や鯱太鼓のようにはいかないということは分かるが、飾り山を見る度に、(あぁ、これを投げたら、すごかやろうなぁ)という思いがふつふつと沸く。
私の中で“担ぎ物”は、「太鼓」と「放り投げる」がセットなので、山笠を見ると、だんだんとこの二つが恋しくなる。
鯱太鼓は2年前に奉納されたので(奇しくもこの年は「鶴瓶のらくだ」(嘉穂劇場公演)を見に福岡に戻っていたので、翌日は長崎に父と行き、2人で鯱太鼓をひたすらおっかけた)、私の楽しみは2年後の太鼓山に向いている。
メールも電話も全無視している元知人から今度は残暑見舞いが届いた。
「久しぶり!元気かな?近いうちに会いたいね!」と書いてあったが、私はちっとも会いたくない。
そのまま処分。
町内で唯一のCDショップが来月頭に閉店することを知る。
痛いわぁ…と思ったが、最後に音楽CDを買ったのはいつだったか思い出せないぐらい最近は買っていないことに気づく。
割引が効くAmazonか、レンタルで済まるし、私が好きなミュージシャンは1年に1回アルバムが出れば御の字のような人達が多いしな。
ブルーレイ対応レコーダに買い替えて約1カ月。
予想通り、HDDは9割「ドリフ大爆笑」。
ファミリー劇場ばんざい。