つらつらきまま


2009年08月27日(木)
ホーム&アウェイ


小堀さんのブログに、小堀さん目当てで昨日の会を見に行っていない方から「ハンカチ」について好意的なコメントがついていて、何とも嬉しかった。
 ホームの苦言とアウェイの褒め言葉は、信頼性があると個人的に思っている。
 ファンだから好意的な感想を持つのは当たり前だと思うが、あまりに持ち上げていたり絶賛の言葉しか見当たらなかったりだと、胡散臭さや集団心理の怖さを時には感じる。
 特に好意も悪意も持っていないニュートラルな人の素朴な感想こそ、真実のような気がする。

iTunesで1990年代前半ぐらいまでのCHAGE&ASKAの曲を10曲ほど購入。
 時々無性に聴きたくなるのは、思春期の頃一番聴いたアーティストだからだろうなぁ。
 車で塾まで迎えに来てもらった時は、CDを録音したカセットテープを流しながら帰るのが定番だったので、その頃のことも思いだす。
 カセットテープの時代だったなぁ…。



2009年08月26日(水)
無駄足

仕事終わりでらくごカフェに行こうとしたら、「前売り完売につき、当日券は発売しません。ご了承ください」というつれない告知を前に、とぼとぼと去る。
 すごいなー、らくごカフェ。
 
 入れないのにいつまでも佇んだところでどうしようもないので、キッチンジローでハヤシライスを食べる。
 最近、ハヤシライスやオムハヤシが自分の中でちょっとしたブーム。
 食後は書泉に寄って、益田ミリさんの「言えないコトバ」を購入。
 スクラッチカードを貰ったのでこすったら50円引きが当たった。
 今日、神保町に行ったのはこの50円引き券を手に入れるためだった、ということにする。

18時半からの開演に間に合うように行ったので、中途半端に時間が余ってしまったため、ポーターでも買いに行くかと、久しぶりに東急ハンズへ行く。
 小さめのショルダーバッグを色々見つくろいたかったのだが、池袋の東急ハンズは、心なしかポーターの売り場が縮小されたみたいで、そんなに選択の自由は無し。
 選んだのは定番中の定番、タンカー。
 古本散策にはもちろんのこと、帰省中の小旅行に使うことを考えると、楽しみ。

「言えないコトバ」で思わずふふっとしたフレーズ。
 >誰が(血液型が)何型でもかまわないって気がするのでした…

 非常に同感。
 何となく質問する流れになってしまったので尋ねてみたら「何型に見える〜?」と質問返しされた日には…。
 (あんたにそんなに興味ないし、この話題から色々広げたいと思ってないんだから、とっとと答えろ!)と心の中で思わずにはいられない。
 ましてや「くわがた〜、あっ違ったO型〜」とか、昭和の小学生だった私の世代すら寒さを感じる駄洒落が帰って来た日には、全てを清算して実家に帰りたくなる。

 「ひとりごはん」の言い換えを考えるエピソードも載っていたが、少し言い換えるだけで、物凄い孤独と寂しさに包まれる単語になることが判明。
 この間、どうしても一人では食事をする店に入れないとかで、特に仲が悪いわけでもないがこういう機会でもなければ一緒に食事をすることもない、という関係の人とお昼を一緒に食べることになった。
 人それぞれだけど、私だったら、そんなに親しくもない人と食事をする気まずさに比べたら、一人で店に入る緊張感なんて無いに等しい。
 誰もそんなに見てはいないと思っている。



2009年08月25日(火)
生きがいがあるのよ それだけでいいの


朝6時半ごろ、テレビをつけながら布団の中でまどろんでいたら、突然、携帯からけたたましいサイレンが鳴り響いたので、びっくりして液晶を見ると「緊急地震速報」というおどろおどろしい文字が。
 寝起きで頭が働かないまま、とりあえずメガネと携帯を手にとり、上から落下するものがない風呂場にぼーっと行ってみたものの、全く揺れる気配を感じないので、部屋に戻り、頭をテーブルの下に潜り込ませた状態で、二度寝。
 結局誤報だったけど、とっさの判断って出来ないものだなということを実感。
 今度からは玄関まで走って、ドアを開けることを優先しよう。

昨日の「夜のらくごのおけいこ」は何をやったのだろうと思ってたら、小堀ブログで詳細を知る。
 「愛宕山」と一緒に掛けた噺は、王楽さんのブログで見たら「長屋の傘」だったよう。
 「愛宕山」は聞いたことないが、「長屋の傘」は聞いたことがある。
 六代目松鶴の狂気あふれるエピソード満開だが、この師匠にしてこの弟子達あり、という笑福亭イズム満載の噺。
 
小堀さんもブログに書いていたが、同じ噺でもやる人が違えは、印象ががらりと変わることがあり、それが面白い。
 「落語家・春桜亭円紫」が活躍する北村薫さんの「朝霧」(創元社文庫刊)という短編集には、「風呂敷」という落語を<セリフは殆ど変えず、表情やしぐさを僅かに変えるだけで、全く違う筋書きに仕立て上げたある師匠>のエピソードが出てくる。

 「風呂敷」は、嫉妬深い旦那が留守中の家で、間男とおかみが逢い引きをしていたら旦那が戻ってきたので、間男は押し入れに逃げ込んだものの、旦那が押し入れの前で座り込んでしまって動かない。
 おかみは困って、ある男に相談を持ち込んだところ、その男が風呂敷を持ってきて駆けつけ、今この家で起きていることを他の家で起きていることのように話して見せ、間男をどうやって逃がしたかを再現させるというと旦那に風呂敷をかぶせ、その間に間男を逃がす、というのが大まかな筋。
 旦那は押し入れに間男がいるとは気づいていない設定だが、“ある師匠”は、全てお見通しである様子をにおわせ、嫉妬深いという元々の設定を、余裕があって周りのドタバタを楽しんている、という設定に変えた、ということになっている。
 これが実際のエピソードかどうかは分からないが、文章を追うだけでなんともわくわくするというか、粋な話芸に感じる。
 「たちぎれ線香」も、桂文枝師匠のお弟子さんである桂あやめさんは、「小糸」の視点から描く「たちぎれ線香〜小糸編」という噺を作っている。
 ある意味、登場人物の数だけ色んなパターンが出来るのが落語の醍醐味。
 
漫才は2人の掛け合いだけで、実際にはそこにない世界があたかも存在するかのように見せていく広がり方が好き。
 話芸も色んなパターンがあることを知ることが出来て良かった。

 短い笑いがもてはやされる少し前の時代に間に合ったことも。
 短い笑い全部が消えるとは思わないが、ほとんどが残っていくとも思わない。
 古典とかベタとかいわれるものの強さには、かなわないと思う。



2009年08月24日(月)
おはよう まだやろう


クリニックに行き、経過報告。
 処方された薬は幸い身体に合っているようなので、このまま続けることに。
 発症中は、まさに大嵐の最中の海のように体調も精神状態も大荒れで、辛かった。
 症状が治まった今、穏やかに過ぎるなんでもない時間がとてつもなく愛しい。
 今回のような大発作はしばらくないと思うが、発症の前兆は掴めるようになったので、予兆を感じたら症状が最小限で治まるように行動しよう。
 上司が症状を理解してくれているので、非常に救われてありがたく思っている。

最近はずっとチャットモンチーばかり聞いている。
 好きな曲は「染まるよ」「CAT WALK」「風吹けば恋」「Last Love Letter」「さよなら Good bye」「シャングリラ」。
 どこか悲しげな曲調の方が好み。
 Walkmanはランダム演奏をさせているので、「染まるよ」の後にGO!GO!7188の「眠りの浅瀬」が来ると、個人的に切なさのツボをつかれるメドレーで、胸がぎゅっとなる。

フジテレビTWOで「オレたちひょうきん族」のリピート放送がまた始まったので、土曜日はひょうきん族、日〜水はファミリー劇場で「ドリフ大爆笑」と、情けないぐらいのテレビ漬けの日々。
 「ひょうきん族」を見ることが自分の中で習慣となったのは、1983年放送ぐらいからなので、馴染みがあるコーナーに遭遇するのはしばらくかかりそう。
 「めんたいワイド」のレポーターかカツラのローカルCMキャラクターのイメージしかない川上さんが、ひょうきん族では「やっちゃん」とか呼ばれて、黄色い声を浴びていた時代があったことにびっくり。

 現在、ファミリー劇場の平日枠で放送されている「ドリフ大爆笑」は1987年のもの。
 当時のいかりやさんの年齢は、現在の志村さんとほぼ同じぐらい。
 「全員集合」などでいかりやさんを「じいさん」だの「おやじ」だのとこきおろしていた志村さんも、今ではひたひたと忍び寄る老いや体力の衰えの自覚などをブログに切々と書き綴っていたりして、時間の早さとある種の残酷さのようなものも感じる。
 志村さんのブログは更新が不定期なので、覗いた時に更新されていると嬉しいのだが、「淡々」というか「切々」というか、読み終わった後に何だかしみじみとした物悲しさを感じてしまうことが多い文調なので、読み終わると「全力で鶴瓶ダンスを踊り切る上方落語協会副会長」とか、「真夜中の生中継番組でくだらないことを全力でやり切る世界のキタノもとい火薬田ドン」とか、など、日本の演芸界の重鎮の動画を見て仕切り直しをしたりする。

来月は待ちに待ったハセガワミヤコさんのアルバムが出るので嬉しい。
 ずっと探していたが見つけられない益田ミリさんの単行本も文春文庫に入ってくれるようだし。
 宮田珠己氏の「旅の理不尽‐アジア悶絶編」「東南アジア四次元日記」は、どうにも見つからないので、諦めてAmazonのマーケットプレイスで購入。
 この人のふざけた文体は結構私は好きなのだが、人をおちょくったような書き方は生理的に受け付けないという人もいるのだろうなぁ。
 他人事ながらもったいないと思う。




2009年08月23日(日)
運命の分かれ目だったかも


普段使いのバッグが無いかなぁ、と久しぶりに下北沢へ。
 ついでに古書店(「古書ビビビ」と「ほん吉」)にも寄る。
 昭和50年代の週刊朝日がたくさんあったので期待したが、探している号はなかった。
 そして、これだ!と思うバッグも見つからなかった。
 
 ちなみに昨日は高円寺に行き、「ZQ」で「僕と長さんは旅に出た―アフリカを愛したいかりや長さん」(ダニーすがの著 主婦と生活社)を購入。
 続々集まるドリフターズ関連本。
 (そんなに集めてどうする)と、思う自分もいることはいる。
 何の抑止力にもなっていないけれど。

久しぶりの下北沢なので、気ままに歩いていたら、本多劇場で行列に遭遇。
 何か大きな舞台でもやってるのかなぁと思い、ポスターを見たら志の輔師の独演会で、牡丹灯籠を掛けている模様。

 (当日券で入れるなら、見て損は絶対にないよなぁ)

 そう思ったのに、なんだか気おくれがしてしまい、通り過ぎてしまった。
 「六人の会」メンバーで唯一高座を生で見たことがないし、久しぶりに行った下北沢でたまたま独演会に遭遇するなんてことは、そうそうなかったのに。
 見ていたら、世界がまた一つ広がったかもしれないのに。
 とはいっても、これ以上広がりすぎたら、自分でも頭の整理が追い付かなくなりそうだから、これはこれで良かったのかも。 

明日、原宿で鶴瓶さんの「夜のらくごのおけいこ」が開かれるが、平日開催は最近、参加が難しくて、今回も欠席。
 どうでもいいが、「落語のお稽古会」に「夜の」という言葉がつくだけで、鶴瓶さんではなくて鶴光さんの会のような感じがする。

 もうすぐ浅草での独演会が近いので、そこで掛ける予定の噺を掛けるのかもしれない。
 今年は何を掛ける予定なのか、まだ知らない。
 別に知りたくない訳でもなくて、先に行った人から掛けた噺の演目を教えられても、問題は無い。
 推理小説を(フーン、犯人はこの人で、こういう結末なのか)と、最後部分を確認してから読み始めるようなタイプなので。
 第一、舞台をやる本人自らネタばれをしてしまうことが多いし(^^ゞ。

「WHITE」も「百式」もまだまだ先だと思っていたのに、後10日もすれば、9月突入。
 来月の今頃は、遅めの夏休みで実家暮らし。
 それを励みに頑張ろう。



2009年08月19日(水)
血湧き肉躍る太鼓の音


BSハイビジョンで日本の祭り特集をやっていて、昨日は山笠だった。
 博多の街並みも見たかったので、見ていたが、見ているうちに不遜な思いがふつふつとわいてきた。

 それは

 (山笠は山笠で素晴らしいけど、やっぱり私は太鼓山(コッコデショ)や鯱太鼓にわくわくしてうっとりするなぁ…)

 という思い。

太鼓山や鯱太鼓は長崎くんちの出し物の一つ。
 Youtubeで検索してみたら二つともあったので、どういうものであるかは実物を見てもらった方が早い。
 →太鼓山
鯱太鼓

 太鼓山は樺島町、鯱太鼓は銀屋町しか奉納せず、奉納をする「踊町」とよばれる順番が回ってくるのは7年に1回だ。
 (今年は見に行けなかったから、来年こそは…)なんて悠長なことは言っていられないため、この二つの踊町のファンになったら、大変だ。
 我が家は家族3人とも担ぎ物大好きなので、実家が長崎にあった頃は、練習が始まる5〜6月になると家族揃って公会堂などに練習を見に行くほどだった。
 うちから公会堂まで車でも20〜30分は掛かるが、そんなことは全然問題ではない。
 次に見れるのが7年後で、7年後に自分が生きているなんて保証はないと思えば、どんなところにもおっかける。
 今の私の“好きなもの、興味があるものはとことん追いかける”しつこさは、太鼓山や鯱太鼓をおっかけたこの思い出が原風景にあるような気もする。
 遠くの方から男衆の野太い声と、一定のリズムで叩かれる和太鼓の音が聞こえれば、もう速足になり、周りは見えないし聞こえない。
 神輿を高々と放り投げ、片手、あるいは両手で受け止める男衆を見ると、(ウワァー!!)となんともいえない高揚感に包まれる。

 山笠を初めて見に行った時、友達に「なんであれ、投げんと?」と質問し、「投げるわけなかろーもん!」と驚き気味に言われた時は、(えぇ〜っ!投げんと?太鼓山とか鯱太鼓は投げるとに!?)と、こっちもびっくりした。
 山笠は高さもあるし、博多人形も載せているので、太鼓山や鯱太鼓のようにはいかないということは分かるが、飾り山を見る度に、(あぁ、これを投げたら、すごかやろうなぁ)という思いがふつふつと沸く。
 私の中で“担ぎ物”は、「太鼓」と「放り投げる」がセットなので、山笠を見ると、だんだんとこの二つが恋しくなる。
 鯱太鼓は2年前に奉納されたので(奇しくもこの年は「鶴瓶のらくだ」(嘉穂劇場公演)を見に福岡に戻っていたので、翌日は長崎に父と行き、2人で鯱太鼓をひたすらおっかけた)、私の楽しみは2年後の太鼓山に向いている。

メールも電話も全無視している元知人から今度は残暑見舞いが届いた。
 「久しぶり!元気かな?近いうちに会いたいね!」と書いてあったが、私はちっとも会いたくない。
 そのまま処分。

町内で唯一のCDショップが来月頭に閉店することを知る。
 痛いわぁ…と思ったが、最後に音楽CDを買ったのはいつだったか思い出せないぐらい最近は買っていないことに気づく。
 割引が効くAmazonか、レンタルで済まるし、私が好きなミュージシャンは1年に1回アルバムが出れば御の字のような人達が多いしな。

ブルーレイ対応レコーダに買い替えて約1カ月。
 予想通り、HDDは9割「ドリフ大爆笑」。
 ファミリー劇場ばんざい。



2009年08月16日(日)
いろんなことがあったけど みんな元に戻っていく


東急東横店と並んで、リブロ池袋店や高田馬場のBIG BOXでも古本市が開かれていて、嬉しい悲鳴。
 仕事の調べ物があったので、高田馬場は次回開催分に期待し、リブロの方へ行く。
 「よみた屋」さんが出店していたので、期待を込めて物色し、「コミック・バンド全員集合!」(レコードコレクターズ増刊・2006年)を購入。
 バンドマンとしてのドリフに焦点を当てていて、仲本さんのインタビューは物珍しい気がしたのが購入の決め手。
 日本を代表するコメディアングループの一員とはいえ、元々バンドマンとして活動していたのだから、音楽に対するこだわりは捨てられず、仲本・高木・加藤で「こぶ茶バンド」を組んだのは自然な流れだったのだなぁということを感じずにはいられなかった。
 加藤さんも高木さんもインタビューや自著の中で、原点に戻って音楽をやりたいと熱心に語ってたし。

立ち戻れる原点があるということは、強み。
 原点があるということは、方向の軸がぶれていないということでもある。
 色々試行錯誤をしていても、立ち戻る原点があるというように感じていれば、安心して見ることが出来る。
 立ち戻れる原点があるように感じられなかったら、試行錯誤は結局ただの迷走で終わる。

楽器をやれない志村さんの加入が、今のドリフの方向性を決定づけたようなことを仲本さんも高木さんも語っていたが、その志村さんを特集した1991年の「Switch」をオクで落札し、それが届いたので同時並行で読んでみた。

 当時はまだ加トちゃんけんちゃんをやっていたが、裏番組の「やるやら」の視聴率に苦戦することが増えていたよう。
 志村さんはパロディにあまり面白みは見出さないようで、ウンナンが何故ウケるのか分からなかった、とインタビューで語っていたことが印象的だった。

 私はこの年になるまで、ドリフやドリフメンバーの番組を見たことは皆無といっていいほどなかったので、1991年当時は、当然「やるやら」を見ていて、パロディ系のネタは凄く好きだった。
 それまで、バラエティで見るパロディは、“全く似ていない”or“特徴的な一部分のみを過剰にデフォルメ”するのが一種の王道だったが、ウンナンのパロディは“限りなく本家に近い忠実なパロディ”だった。
 
 それまで見たことがあるパロディ物は、好きな笑いではなかった。
 クオリティの問題もあるが、パロディをされる側への揶揄のようなものを感じることが多く、見ていて不快になることも少なくなかった。
 だが、ウンナンがやるパロディは、パロディをする対象への愛が感じられた。
 だから、自分が好きな番組やミュージシャンがウンナンのパロディ物の対象になっても、他の人達がやる時には感じる嫌な思いは全くしなかった。
 むしろ、(よくここまで調べたなぁ)と感心したぐらい細部まで忠実に再現してくれて嬉しかった。

 ただ、CMや連ドラのパロディは、時事漫才と同じくその当時だからこそ活きる。
 “元ネタを知らなければ本当の面白さが分からない”というのは最大の弱点か。

お盆1週間はドリフ大爆笑の平日放送が打ち切られて、代わりに何故かVシネが集中放送されたので、1週間ぶりなのに随分とお久しぶりな感じだったファミリー劇場の「ドリフ大爆笑」。
 今週は割と面白かった。
 昨日からは「ひょうきん族」の再放送も始まった。
 1983年ぐらいから「土曜日=ひょうきん族を見る日」という認識が自分の中でついた気がするので、早くその時期の放送に追い付いて欲しい。
 今見たら、どこにそんなにわくわくしていたのか分からなかったりするのかもしれないけど。



2009年08月14日(金)
時代のすき間へとつながるたそがれ


仕事終わりに東急東横店で開かれている渋谷大古本市に行く。
 “大”とついてあるだけあり、かなりの規模。
 1時間半ぐらい見て回った結果、「どんどんクジラの笑劇人生 人気番組で綴るテレビバラエティ史」(塚田茂著 河出書房新社)と「オレたちひょうきん族」(ひょうきんディレクターズ編 サンケイ出版)を購入。
 
後者は言わずと知れたあの番組の番組本。
 前者は、「シャボン玉ホリデー」や「全員集合」などを手掛けた構成作家さんの本。
 ドリフのことももちろん載っていて、長さんとの対談があったことが購入の決め手となったが、テレビのドリフではなく、舞台人のドリフのエピソードが主であることも珍しかったのでここで入手して損は無いと思った。
 日劇の舞台でやっていたコントの触り部分も載っていて嬉しい。

 目次とドリフの部分しか確認しないまま買ったが、よくよく見たらサイン本だった。
 名前を確認したら、某テレビ局のお偉いさんへの献呈本の模様。
 付き合いで貰ったんだろうけど、売るなよ〜という気がしなくもない。

DMM.comのCMがうっとうしいので、流れると思わず消音にする。
 あの4回繰り返すジングルは、生理的に受け付けない…。
 



2009年08月13日(木)
可愛い歳月


従妹の誕生日。
 歳の差、実に9歳。
 9歳も離れていたら、妹分というよりも我が子に近い感覚。
 おむつを替えた覚えはないけど、1〜2歳ぐらいになったら、長期休暇で泊まりに来た時など、私一人でこの子をお風呂に入れていた覚えがある。

 この子が幼稚園の時、花時計や植物の風車などを作ってあげると、「すご〜い、魔法みたい〜」と一々感心してくれたので、ちょうど通っていた塾で「子供文芸全国コンクールみたいなものに団体出品するので俳句か短歌を最低1首作ること」という課題が出ていたことから、そのつぶやきをアレンジして短歌を作ったら、佳作を取った。

 「おさな子の 視点でみれば 何気ない 野の草花も まほうの道具」

 というもの。
 私は学校では型物の真面目女学生だったが、何故か塾では怖い者知らずの大胆集団の一員だったので、「オマエはちゃらけた印象しか今までなかったけど、こういう感性も持ってるやつだったんだなあ…」と、この受賞作に関して、塾講師の一人が実にしみじみと感想を漏らした時は、なんだか複雑だった。
 
 花時計を作る私をまるで魔法使いのように見てくれた従妹も、彼女なりに社会の荒波に揉まれて、酸いも甘いも味わったりしている模様。
 メールのやり取りが主なので、たまに電話が来ると、“誰かにいじめられたか!?”とか、“何かとても辛いことが起きているのか!?”と、身構える。
 たいていは他愛無い電話だけど、何か困ったりどうしようもない辛さを覚えたりしているのなら、一緒にその問題を解決したいし、なんとかしてあげたいといつも思う。
 これは理屈じゃなくて本能に近い。

 しかし、彼女が今の私の年齢の時、私は不惑か…。
 絶対迷いまくってると思う。

小堀ブログから今年の百式のポスターをダウンロードして待ち受けにしたら、時間によってはiコンシェルの“執事君”が百式ポスターを見入ってるような感じになったりして、可愛らしい感じ。
 例年と系統が異なるポスターだが、是が非でもフライヤーを入手する!という気持ちはさほどなし。
 2丁拳銃関連グッズ収集についての欲はほぼ薄れた。
 作風や芸風の変化やこだわりなどを見ていくことの方に関心が高い。

 鶴瓶さんやドリフについては、収集欲いまだ衰える気配なし。
 本やDVD、切り抜きを納めている棚を見やってはうっとりすることしばしば(^^ゞ。
 好きだから集めてるのか、集めることが好きなのか、だんだん怪しくなってきたけれど。
 



2009年08月12日(水)
待ちこがれた「今」


自律神経のバランスが乱れてしまい、治療を受けている。
 この1週間、結構心身ともにしんどかったが、今朝から嘘のように楽になった。
 平穏無事な状態って、何て気持ち良いのだろう。
 この状態がずっと続きますように。

「百式」東京公演のチケットを取る。
 お昼頃取ったので、この時間ならこの席だろうね、という場所だった。
 今年で、「百式」は四季全制覇。

TOKYO No.1 SOUL SET + HALCALIの「今夜はブギー・バック」の着うたをダウンロードする。
 明日から目覚ましに使う予定。
 オリジナルの小沢健二×スチャダラパーは、今聞いてもカッコイイと思う。
 色あせない音楽は良いなぁ。



2009年08月11日(火)
悲しいこともある だけど夢は続く


親戚のお姉ちゃんがお嫁に行ってしまったような寂しさを感じてしまい、松嶋さんの結婚後はほとんど見なくなってしまった「きらきらアフロ」を昨日久しぶりに見た。
 相変わらず奇跡のような毎日を過ごしているお二人のエピソードに笑わせてもらった。

 最近、どうも気分が落ち込み気味だが、考えてみればきらきら〜にハマった時も、ある事態に巻き込まれてへこんでいた時期だった。
 気分安定には「きらきらアフロ」。

志村さんのブログが久しぶりに更新され、9月にバカ殿をやるみたいで嬉しくなる。
 “バカ殿を楽しみにする三十路独身女”、っつーのもいかがなものかと自分でも思うが、今まで全く見たことがなかったので、ある意味新鮮味すら感じている。
 ついでにいえば今年の「志村・鶴瓶あぶない交友録」はもっと楽しみだ。
 気になる2人そろい踏み。

明け方、ふっと目が覚め、(なんで?)と思うまもなく不気味な揺れが来てどんどん強まり、割とがたがたと家具も揺れ出したので、メガネをかけて、頭だけでもテーブルの下につっこんだ。
 揺れが収まったので急いでNHKを点けたら、かなりNHKのスタジオも緊迫していて、背後では緊急地震速報らしきビーコン音が鳴り響いていたので、(あぁ…来るべきものが来たのかも)と寝ぼけ頭ながら覚悟した。
 台風に地震に豪雨。
 自然の恐ろしさをまざまざと感じる夏となりそう。

夏だというのに、考えてみれば古書店にしか行っていない。
 先月はまだ青春18きっぷ買って鈍行乗り継いで信州とか行っちゃおうかしらとか思っていたのに。
 野外ライブもご無沙汰だ。
 今まで行った中で一番思い出に残っているのは、Spitzがやった1997年の「行くぜ!稲佐山兄弟」。
 前年の海の中道海浜公園でのライブは受験生だったので行けなかっただけに、2年分のわくわくで胸がはちきれんばかりだった。
 「夏の魔物」や「プール」など、昔の曲の良さもこのライブで知ったし、「チェリー」などのヒット曲ももちろん聴けて、全身で(Spitz最高〜!ありがとう〜!)と堪能した。

 ところで、この「行くぜ!稲佐山兄弟」が行われた日付を調べてみたら、1997年7月27日。
 くしくも、ちょうどこの3年後の2000年7月27日。
 飲みつけないお酒を飲んで酔っ払ってしまってなかなか寝付けなかったので、「いろもん2」という深夜番組をたまたま見てしまったことが、その後の自分の人生が思わぬ方向に動いていくきっかけとなるなんてこと、1997年当時の私は知る由もないのであった。

 ましてや、年平均50本はお笑いライブを見に行くようになり、若手芸人のみならず大御所の芸の素晴らしさにも今さら目覚めてしまい、同じメガネ男子を見るならば、とアジカンライブを蹴って鶴瓶さんの落語会を選んだり、動画サイトで過去の映像を繰り返し見る内にいつの間にか虜になってしまったドリフの面影を求めて「志村魂」を見に行き、バカ殿のちょっとエロいコントをにやっと笑いながら楽しんでしまうようにまでなるとは、2000年当時の私は予想だにしていない。

 次は何にはまり、動かされるのだろう。
 自分が決めることなのに、少しわくわくする。
 魅力は、ある日突然分かるようになる。



2009年08月10日(月)
目から流れるのは心


福山雅治氏が、自分は被爆二世であることをラジオで明かしたというニュースをネットで読み、結構衝撃を受けた。
 原爆は今もまだ続いているという事実を実感した。

 比較的温和でのんきな人間が多い長崎という街に、何故あんな恐ろしい爆弾が落ちたのだろうと思うが、原爆投下のわずか2カ月後には「おくんち」が行われたという。
 当時の長崎市民の復興に向けたたくましさを思うと、泣いてしまう。






2009年08月09日(日)
あぁそれでもまばゆい世界だ


長崎原爆忌式典中継を見ていたが、麻生総理が喋るところでテレビの電源を切り外出。
 この期に及んでまた読み間違いをしたそうで、ネットニュースを見て呆れかえる。
 素直に訓読みをすればいいものを何故わざわざ音読みするのだろう。

外出先は渋谷。
 従妹の誕生日プレゼントを買った後、雨が降り出したのでおとなしく帰宅したが、帰宅して10分も経たないうちに雷と大雨。
 挙句、夜は久しぶりに震度4クラスの地震発生。
 タイミング悪く入浴中だったので、(うわっ、もしこれで閉じ込められたらシャレにならん!)と慌てて着替えて出てきたが、本棚がたくさんある室内より、とりあえず倒れたら直撃してきそうな大物家具はないお風呂場にいた方がまだ安全だったかも。

日曜夜8時半からはファミリー劇場で「ドリフ大爆笑」「志村けんの大丈夫だぁ(2本)」を見るのが定番になったが、90年代になってからの「ドリフ大爆笑」は、にわかドリフブーム到来中の私ですら(何か勢いがないというかグダグダだなぁ…。まとまりもないし)と、見ながらだんだん飽きてくる。
 記録は貴重だけど時に残酷。

東京ダイナマイトのブログに、キングオブコントの2回戦について、
 >名前のある先輩、何年か前ブレイクしてた奴らや去年ブレイクしてた奴らが続々と落選。

 とあったので、(へぇ〜、結構波乱含みなんだなぁ。何年か前のMBS漫才アワードみたい)と他人事のように思いながら読み流した。
 2丁拳銃もエントリーしていることは風の噂に聞いていたが、アクシデントに巻き込まれた以外の賞レース形式のものの殆どは、準決勝まで行っていたし、それが当り前だと思っていたので、(結果発表は準決勝メンバーが分かってからで良いなぁ)とチェックしていなかった。
 そのため、修士さんのブログで、2丁拳銃がその落選組の中の一組であることを知り、ひっくり返りそうになる。
 (え〜っ!ここで落ちるなんて一体何をやったの!?)と、ブログを読んだ直後は、腹立ちに近い歯がゆさを覚えた。
 時間が経つにつれてだんだん気持ちも冷静になると、(一体何があったの?)と、驚きと不安が混じった疑問も感じるようになった。
 
 おかしなもので、2丁拳銃が順調な時は、昔ほど2丁拳銃の動向は気にならない。
 だが、上手くいかなかったと知ったり聞いたりすると、途端にあれこれ思う。
 あれこれ思うのは、2丁拳銃が作るものに対して、受け手であるこちら側も作り手と同じぐらいの自信と誇りがあるから。
 それが否定されたら、その理由や根拠を自分なりに整理したくなる。
 ただ、今回はどんなネタをやったのか知らないし、2回戦も見ていないから、ただ結果のみを粛々と認めるしかない。
 来年もエントリーするのなら、今年以上のところ(あわよくば今まで以上のところ)に駒を進める姿が見れることを願う。



2009年08月08日(土)
難しいことは明日考えましょう


齢、三十を過ぎると心身にガタが来やすくなるもののよう。
 ネットで検索したら当てはまることが多かったので、医師から診断名とその症状の説明を受けた時も(あぁ、やっぱりそれだったか)という感じだった。
 命に関わるものではないけれど、症状が起きると日常生活に若干支障を来たすようになっていたので、投薬治療である程度症状がコントロール出来ると言われ、ホッとした。
 劇的に症状が短期間で消滅するというものではないので、焦らず付き合っていきたい。
 徐々にでも、辛さを感じることが少なくなればいいなぁ。

気分転換を図ろうと、カットと顔そりに行った後は久しぶりに西荻窪へ。
 「古書興居島屋」→「旅の本屋 のまど」→「古書音羽館」という定番コース。
 Amazonのマーケットプレイスで注文した宮田珠己氏の本が入れ違いで在庫なしになった、とのことで入手出来なかったので、そのリベンジ。
 まだマーケットプレイスには他のお店からの出品があるのだが、プレミア価格がついている。
 ブックオフとかだったら半額〜105円でありそうなので、まだAmazonに頼りたくないし、古本屋散策でもしかしたら見つかりそうな感じなので、これに賭けることにした。

 結果的に見つけることは出来なかったが、古書音羽館の店頭100円均一棚に、少し興味があった「わかっちゃいるけど…シャボン玉の頃」(青島幸男)を見つけたので素早く手に取り購入。
 シャボン玉ホリデーの構成作家として関わっていた青島さんのエッセイで、コントの作り方やクレージーキャッツとの関係について書かれていて面白かった。
 クレージーキャッツはどの本を見てもメンバーが紳士的だったと書いてある。
 動いて喋っているクレージーキャッツは映画でちらっと見たことはあるが、あまりその面白さや素敵さは感じることが出来ず、残念。

通り雨が止んだ後は荻窪に移り、ブックオフとささま書店を覗く。
 どちらも探している宮田珠己本は無し。
 そのかわり、ささま書店で「第5の男 どこにでもいる僕」(高木ブー)を発見。
 (ブーさんには悪いが、500円より高かったら今回は見合わせよう)と思い値札を見たら420円。
 しょっぱくなってしまい、購入。
 いかりやさん、志村さん、ブーさんと、「ザ・ドリフターズ」について本を書いたメンバーは3人いるが、立場がそれぞれ異なるので、見方も三者三様。
 加藤さんがドリフについて本を書いたら、今の私だったら間違いなく新刊で買うだろう。
 長さんと並ぶ最古参メンバーだし、志村さん加入後の変化とか、知りたいことがいっぱいある。

ぴあを見たら、百式東京公演が10月3日(土)で出ていた。
 チケット取らないと。

そういえば、今日髪を切りに行ったサロンの店長さんは偶然、志村さんとダチョウ倶楽部の上島さんが飲んでいる場面に遭遇したことがあるらしい。
 ただ、志村さんが何やら上島さんに注意をしていて、それを上島さんが正座して神妙な面持ちで聞いている、という何ともいえない場面だったので、あまりその方向は見ない&会話は聞かないようにしたらしい。
 凄く豪華な組み合わせだけど、もし自分が遭遇したら、確かにあまりのいたたまれなさに店を早めに出てしまいそう…。

「第二回落語大秘演會 笑福亭鶴瓶 JAPAN TOUR 2009−2010  WHITE」の一般発売日。
 全公演完売していたので、安心。
 嬉しいのは、鶴瓶さんが「落語」について年々手応えや自信を深めている様子が感じられることだ。
 ご自身が目標にしているラインにはまだ到達していないだろうけど、大ネタに取り組むことや大規模な会場で落語会を行うことなどに対する気おくれや遠慮のようなものは、少なくなっているような気がする。

 「1回きり」の公演の貴重さや素敵さを教えてくれる鶴瓶さんの落語会に行けることがとても嬉しい。
 今年も、しっかり心に焼き付けよう。



2009年08月04日(火)
でも誰かに残った思い出は生き続けるよ


金曜日から首が回らない。
 肩こりが首に来たなぁと思いつつ、いつか鎮まるだろうと湿布やら何やらしていたのだが一向に治まるどころか、左側に振り返ろうとしようものなら、真横を向いたままどうにもできないほどに。
 仕事終わりに整形外科に駆け込んだところ、まっすぐな状態でなくてはならない首が僅かにS字型に曲がっているそうで、それで圧迫が起きているのだろうとのこと。
 「筋肉をほぐす薬を出しますので、これを飲んで下さいね」と言われ、わらをもすがる思いで服用し、早3時間。

 (っつーか、薬効き過ぎ!)とツッコミたくなるほどに、あれほど私を苦しめた首の痛みがあっという間に消失。
 現代医学凄いっす。
 こんなに早々と消え去るならとっとと行けば良かった。

 ちなみに首のレントゲンも5枚ほど撮ったが、歯科医曰く「あることはあるが一生掛かっても出てこれない位置。これが出てきたら症例報告をしたい」というところにある親知らずもくっきりと1本写っていた。
 歯の下にまた歯があるのは、我ながら違和感あり。

たまたま手にとって読んだ「ときどき意味もなくずんずん歩く」が面白く、宮田珠己氏の文体は合うなぁと思ったので、Amazonで「旅の理不尽 :アジア悶絶編」を注文。
 私は自分がふざけたがりな方なので、ふざけた感じの文体の本は好きなのだが、書評とかを見ると“ふざけ”の部分について真正面から怒っちゃう人もいるから、迂闊にというか軽はずみにオススメは出来ないなぁとしみじみ思う。

チャットモンチーの「告白」を最近はよく聞いているが、収録曲の一つである「CAT WALK」は歌詞を味わいながら聞くと、とても切なくなる。
 なんでこういう歌詞を作ったのだろうと思うほど。

ふらふらと浅草公会堂公演日は、半休ではなく1日休みを申請。
 8月は馬車馬のように働きますので、それぐらいはお許しを。



2009年08月02日(日)
東西老舗大古書市


CATVのチャンネルを変えていたらGAORAで「ジャイケルマクソン」をやっていたのでそのまま見る。
 陣内さんは離婚済みで、FUJIWARAはレギュラーが無いということになっていたが、一体本放送の放送時期はいつのやつなんだろうかと思いつつ見ていたら、出演者の誰かが「〜がちょうどええねん!」と言っていて、そうなると反射的に2丁拳銃を連想し、(あぁ、こういうことか)と思った。
 私はあまりあのネタにはまだ慣れていないけれど、“ちょうどええ”と聞くと反射的に修士さんの口調で「さぁ、始まりました。クイズちょうどええのお時間です」というものが頭の中で再生される。
 この条件反射が、2丁拳銃に対してニュートラルな感情の人にも行われるようになれば良いんだろうな。

 ちなみに昨日は「穴ぼこ。」終演後、nさんと一緒に食事をし、「コンテスト」や最近のニチョケナー事情などについて教えてもらった。
 色々あり、色々いるなぁと思った。
 そして、“今見ないと今度はいつ見れるか分からない”事情が、私とnさんとでは全く違うことが個人的にはツボだった。
 時間は後どれだけあるだろうと、常に思う。

先月30日から京王百貨店で始まった「東西老舗大古書市」にやっと行って来た。
 今回は関西のお店も出店し、雑誌の取り扱いも多かったので、個人的にはかなり嬉しい品揃えだった。
 色々手に取った結果、「6chは上方文化や(三上泰生著 大阪書籍:1987年刊)」と「ためいき坂くちぶえ坂‐松鶴と弟子たちのドガチャガ(笑福亭松枝 浪速社:1994年刊」を購入。

 前者は朝日放送のエンジニア・制作者として放送に携わってきた方が書かれた本。
 何もかもが試行錯誤の中、放送や中継を行っていた昭和30年代から、ネットチェンジという重大事に直面した昭和50年代まで、朝日放送が携わった番組や関連事業のことなどが分かりやすくまとめてあり、放送開始当時の熱気や空気が伝わって来て読み応えがあった。

 後者は、弟子の立場から語られる六代目笑福亭松鶴についてが前半のメイン、後半は七代目松鶴襲名問題についてがメインで、この時期の松鶴一門の間に漂っていたであろう不穏な空気は、想像するだけで重苦しい。
 パペポTVでも上岡さんがこの話題(含:枝鶴問題)を口にすると、分かりやすく鶴瓶さんは歯切れ悪くなり、時には実力行使で封じ込めたりしていた。
 結果的に七代目は病に倒れて、襲名興行が追善興行となる悲劇で幕を閉じたが、先代のイメージが強烈に残っているうちは、襲名はやらない方が良いのでは、と個人的には思う。

ファミリー劇場は、日曜20時半〜22時は「ドリフ大爆笑」を放送中。
 今週の「ドリフ大爆笑」は1990年放送分だったが、志村さんといかりやさんが直接絡むコントが0本と、2人の間の確執を感じずにはいられない構成だった。
 Wikipediaでこの時期についての説明を読んでいたものの、ここまで露骨だったのか…と驚いた。
 まだ5人で何とかやっていた1980年代前半までのものを見たかったのだが、リピート放送の4週目はあるだろうか。

 そして、名古屋での「志村魂」終了後に志村さんのブログが更新されたが、“体力的にはきつかった”とあり、(あぁ、舞台の姿見ている限りでは全然感じなかったけど、志村さんもそういう年齢なんだよなぁ…)と今さらなことを思った。
 「牛のコスプレをして乳牛から直接乳を吸おうとした挙句、600kgの乳牛に足を踏まれる上方落語協会副会長(57歳)」とか「夜中の2時過ぎの生中継に出る火薬田ドン(62歳)」 が、いつまでも見られるとは思ってはいけない。



2009年08月01日(土)
「穴ぼこ。」と「分」


このところ毎週土曜日は古書店探索に費やしていたが、今日は「穴ぼこ。」を見に京橋へ。
 とはいっても、お昼の部と夜の部の間に空き時間があったので、東京駅地下街の古書店2店にも行って来たけど。

「穴ぼこ。」は3人芝居だったが、同じ役を通しでやるのではなかったため、お昼の部の時は(えーと、今喋ってるのはどの設定のとき?)とか、(この人が孫ということは、あの娘の子どもといとこ同士?いや、そもそもこの人のおじいちゃんと、娘の父は同一人物だったか?)と、頭の整理が追い付かず、お芝居を味わう余裕までには至らず、無念。
 小堀さんが自分でお勧めしていた見どころ部分も感じ取ることが出来なかった。
 客席もどこか固い感じだった。

 夜の部は、昼に比べると演者も客も割合リラックスしたような感じだった。
 まだ勘違いをしている部分は多々あるとは思うが、大まかな話の筋は昼の部でつかめたので、見ながら混乱したり困惑したりすることはお昼に比べると少なかった。
 ただ、ところどころ、登場人物のセリフや説明の流れに(え?そうなの?)とそのまま乗れず首を傾げるような場面展開もあったので、相関図やキーワードを整理した上で、もう一度見たいと思うお芝居だった。

空き時間の間、東京駅の八重洲古書館で「分(ぶ)」というあまり見かけたことが無い雑誌の落語特集号を見つけ、500円と手頃だったこともあり購入した。 
 2003年秋発行で、取り上げられている噺家は、昇太師、談春師、たい平師、志の輔師、志らく師、喬太郎師、花緑師。
 全員、今も第一線。
 誰も消えたり埋もれたりしていないところが嬉しい。
 写真も橘蓮二氏なので、気迫と美しさがあふれていた。
 ここに鶴瓶さんがいたら、もっと素敵だった。
 時期的に落語回帰はしていた頃なのに。
 
 



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