2009年06月29日(月)
古本探索at渋谷
渋谷古書センターに行ってみたが、一番見たかった地下1階は6月から閉鎖し、ネットのみの取り扱いになったとのこと。
手にとって見るのが本を探す醍醐味なのに...と残念。
以前、オクで1000円近くで手に入れた「上方芸能(まだアフロヘアの頃の鶴瓶さんがインタビューを受けている)」が、400円で売っていた。
一瞬、惜しいと思ったが、あの時欲しかったのだから、あれで良かったのだと納得させる。
∞ホール近くのBOOK OFFに行こうとしたら、∞ホール付近は明らかなる出待ちの女の子達がいっぱい。
誰にどんなアピールをしたいのだろう。
BOOK OFFでは「変なおじさん 完全版」を購入。
1998年、2000年に出版されたものを1冊にまとめて2002年に文庫化されたものだが、この時点でいつかやってみたい、と構想が練られていた「バカ殿、コント、藤山寛美ものの泣き笑い芝居からなる舞台」は、紛れもなく「志村魂」のこと。
過去に“いつか〜をやりたい”と書いたり言ったりしていたことを、現実のものにした人は、無条件に尊敬する。
私自身は、有言不実行になることを恐れて、不言実行を選ぶタイプなので。
ドリフの笑いも、今までは何故いかりやさんに他のメンバーが反抗したり翻弄させたりすると笑いが起きるのか分からなかったけれど、色々本を読んだりDVDを見たりして、「いかりやのワンマン体制に服従せざるを得ない4人」という構図があることが分かると、立場が逆転したり、いかりやさんに他のメンバーが一矢報いるような場面で笑いが起きたら、(なるほどなぁ。お客さんはそれを知ってるから笑うんだ)と納得がいくようになった。
ドリフも鶴瓶さんも、見たことない時代が長いから、知らない時代のことが載ってる雑誌とか書籍を探すために最近は古本屋通いが続いてる、と友達に話したら、「そういう文献がいっぱい集まったら貴重な資料だろうから、論文でも書きなよ」と笑われた。
論文は置いておくとしてもとしても、書籍が増えることはこの先目に見えているので、棚をもう一つ買おうと東急ハンズに行って来た。
今日の渋谷行きは、これも目的の一つだったが、新生活シーズンの時には見かけたアイリスオーヤマのスペースユニット(30cm幅or35cm幅)はどこにもなし。
ネットで買おう。
リニューアルしてから、渋谷の東急ハンズは品揃えが減ったような気がするのは錯覚だろうか。
家について携帯を見たら同じ番号の着信が3件。
留守電も入ってたので聞いてみたら知人だった。
元は関東にいる数少ない友達だったから、この人が関東にいると知った時は嬉しくて、上京直後はよく連絡を取っていた。
しかし、選挙が近づくと、この人が支持している政党の候補者への投票を頼んできた。
私はこういうことは嫌なので、やんわりと断り、その時はごめんごめんと謝ってくれるのだが、次の選挙が近付くとまた同じようにお願いの電話が掛かってくる。
その度にうやむやにしていたら、ノルマがあるのかどうか知らないが、久しぶりに会おうよと言われ、私は純粋にその子に会いたかったので快諾したら、「遊ぶ前にさ、不在者投票に行かない?せりちゃんは○○区だから、××でできるよ」と、目的が分かりすぎるお誘い。
この瞬間、我慢の限界に達し、「あのさ、前々から思ってたんだけど、他人の参政権と思想良心の自由を何だと思ってるの?これは家族だってやっちゃいけないことだよ」とぶち切れたら、普段へらへらしている私の怒りように、さすがにまずいと思ったようで、これからはこういうことしないから、友達でいてね、本当にごめんねと非常に真剣な調子で謝って来た。
しかし、それ以降あちらからの連絡は途絶えた。
友情がこういうことで終わるのって寂しいなぁと思っていたが、選挙が近づき再びアプローチを試みてきたところを見たら、結局私の怒りや悲しみは何も伝わってなかったか…とがっくりきた。
会いたいといわれても、別にこちらは会いたくないし、伝えたいこともない。
嬉しいことや楽しいことは、会わない間に色々起きたが、この人にそれを話したいと思わない。
むしろ教えたくない。
さよなら、友達だった人。そして知人だった人。
落語友から、来月中目黒で鶴瓶さんがゲストに出る素敵なトークライブがあると教えてもらう。
来月は27日にも上野広小路亭だかお江戸日本橋亭に出る、ということを「ディア・ドクター」の舞台あいさつで告知していたので調べているが、こちらは一向に情報集まらず。
来月末は非常に忙しくて修羅場なので、どちらも行けない確率大というのが悲しい…。
中目黒の方は、そのキャパに鶴瓶さん呼びますか!?と驚くほど激狭な劇場なので、さぞ豪華な時間になるだろうに。
2009年06月27日(土)
わめぞでドリフ発見!
昨日の夜、突然髪を切りたくなったので、今朝ヘアサロンを予約。
ヘアサロンの最寄り駅に着いたら、ビッグイシューの売り子さんがいたが、今週号の表紙は鶴瓶さん。
形状記憶笑顔がドカーンと迫ってきたので、ふらふらと購入。
髪型は、肩ぐらいまであったものを榮倉奈々さんばりに短くしてもらった。
美容師さんは「大丈夫?大丈夫?本当にばっさり行くよ?」と何度も意思確認。
そのあたりの執着心は薄いので問題ないんだけどな。
軽いし暑くないしすっきりしたので嬉しい限り。
髪を切った後は週末のお楽しみ・古書店めぐり。
今日は18時20分から池袋で「ディア・ドクター」を見る予定があるので、池袋近辺のわめぞ(早稲田・目白・雑司ヶ谷)を巡ることにした。
目的はドリフ関連。
早稲田のキノコクニヤ書店に入ったら、昭和40〜50年代の週刊朝日が大量にあったので、期待に胸を膨らませながら1冊1冊チェックしていたら発見!
「ドリフターズ 『ちょっとだけ』でない人気(1973年4月6日号)」。
210円と手ごろな値段だったので即購入。
志村さんではなく荒井注さんが正メンバーの頃なので物珍しい。
全員集合のネタの作り方や笑いのスタンスについてのコメントに量が割いてあり、良いものが見つかった、と満足。
「ディア・ドクター」は、泣きのツボはそそられなかったが、単純なハッピーエンドや人情ものじゃないところが良かった。
あの落語の一節が使われるとは思わなかったので、にやり。
噺家までは分からなかったが、あの一節だけで(あっ、これは…)と題目が分かったことが少し嬉しい。
2009年06月25日(木)
流れにまかせて
ふと思い立ち、ぴあで「志村魂」の東京公演を検索したら、土日は完売だったが、平日18時開演のものはいくつか残席ありの表示。
Wikipediaとか見る限りでは、これからも続きそうなライブだが、来年も私の中でドリフブームが続いているかどうか分からないので(多分続いているだろうけど)、ちょうどライブが行われる時期に興味を持ったのも何かの思し召しだということにし、「購入する」をクリック。
3階席なので見え方は期待しない。
雰囲気さえ楽しめれば良い。
どんなライブをやる人なのか分かれば良い。
しかし、志村魂を自分の意思で見に行くことがあるとは。
来年あたり欽ちゃん劇団とか見に行ってたりして。
またも新宿駅西口古本まつりに行ってきた。
この間見つけることが出来なかった「東京人Vol.7 東京の喜劇人(企画・構成:高田文夫氏)」を購入。
特集は三木のり平、渥美清、クレージーキャッツ、萩本欽一、ビートたけし、イッセー尾形など。
14年前の特集なので、宣材写真が若いし、今では鬼籍に入られた方もこの本ではまだまだ現役。
面白そうなのでじっくりと読むことにする。
実際には買わなかったけど、ちょっと興味があった企画。
「毒ガス対談!ツービートvsおすぎとピーコ」。
1980年代は何でもアリだったんだなぁ。
2009年06月23日(火)
ファーストシーズン(にんまり)
ローソンチケットのメルマガに驚愕。
>笑福亭鶴瓶 JAPAN TOUR 2009-2010 WHITE 先行情報!
なんなんですか、なんなんですか!?
“JAPAN TOUR”ってなんなんですか!?
“2009−2010”って、年またぎで落語会やるんですか、レッドカーペット噺家の鶴瓶師匠!と、まだ仕事中だというのに早く情報を仕入れたくてそわそわ。
新宿駅西口の古本市で色々物色した後、帰宅してあてにならない公式HPを見たものの案の定当てにならず、ヤフオクで先行チケットが出てないか見てみたら、下のほうに今回のツアーの詳細があったので、
アドレスをクリック。
9月7日〜11日は浅草公会堂、11月3日〜8日はシアターBRAVA!で落語会が決定したとのこと。
しかも、日替わりゲストが超豪華。
鶴瓶師が直接ブッキングしたそうで、志の輔師、南光師、花緑師、談春師、昇太師、三枝会長!
これが<ファーストシーズン>で、2010年春からは全国ツアーとのこと
!
噺家・笑福亭鶴瓶が今年も動き出すと思うと、わくわくが抑えられない。
ちなみに、この詳細ページにある写真は、07年9月に開かれた「鶴瓶と誰かと鶴瓶噺」のフライヤーと同じ写真。
私が「鶴瓶版死神」にある意味取り憑かれるきっかけとなった落語会だ。
新宿駅西口の古本市は大規模なものなので、1時間半ほどじっくり物色。
60年代〜80年代の週刊誌を沢山出しているブースがあったので、1冊1冊表紙をチェックしていたら、私の様子があまりに鬼気迫るものだったのか、店主が近づいてきて、「あのぉ、お客さんが探してるのはこういうものじゃないかねぇ」と言いながら差し出したのは、「オリーブ」のバックナンバー。
私の探し物は、「オリーブ」と語感が似ている以外共通点がない「ドリフ」。
大丈夫ですんで〜、と曖昧な笑顔を浮かべたままとりあえず礼を言い、また物色に戻る。
結局ドリフ関連は見つからなかったものの(1本映画のVHSはあったが、私の想定額より桁が一つ多かった)、「関西の王者ついに東京殴り込み!鶴瓶がたけしに挑戦状!」と、なんとも心躍る見出しが並んでいたので、1986年2月20日号の「週刊明星」を購入。
当時、鶴瓶さん34歳。
この人が、20数年後、紅白の司会もモントリオール映画祭も歌舞伎座での落語会も吉永小百合さんとの共演も、そして生放送で開チンする失態を犯したのに、干されるどころか何故か大喝采を浴びちゃう、なんてことをやっちゃうのよねぇ…と不思議な感じで記事を読む。
そして、表紙と一緒に該当ページを切り抜くと、「鶴瓶ファイル」にファイリング。
30も過ぎて何やってんだと自問自答しつつ。
2009年06月22日(月)
あの夜 あたしは夢見る力 取り戻した
「日曜日のそれ」から届いたふるさと小包便は、「沖縄産マンゴー」だった。
ということは、メールが読まれて且つ一番最後にもう一度名前を読んでもらえたということだ。
嬉しい。
惜しむらくは、記念になるはずのO.Aを見事に聴き逃したこと…。
「日曜日のそれ」に関しては、「『ふるさと小包便』1名様に選ばれること」を目標にしていたので、念願はとりあえず叶った。
これからは、メールを読んでもらう機会がどんどん増えることを目標としよう。
そして、甲殻類アレルギーはあれど、マンゴーアレルギーは持っていなくて本当に良かった。
早速一つ食べてみたが、非常に甘く美味しかった。
「ディア・ドクター」関連で、鶴瓶さんのインタビューが載っている雑誌が増えて嬉しい。
「AERA」にも2P載っていたので、いそいそと購入。
「AERA」と「Switch」、違うライターが構成しているのに、偶然同じような言葉が使われていた。
AERAでは「多忙なタレントとして見られがちだが、軸足は落語にある」。
Switchでは「(鶴瓶さんは)落語を軸に持ちながらも、トークやバラエティに出る時に、落語のイディオムをまず持ち込まない」。
ちなみに、Switchは、タモリさんの発言部分の引用。
タモリさんの発言は、鶴瓶さんのファンになった理由をなかなか大勢には分かってもらえないもどかしさの根源を言い当てていると思った。
テレビの鶴瓶さんしか知らない人は、当り前ながら高座で見せる鶴瓶さんの凄みを知らない。
「家族に乾杯!」で、いつの間にか一般人の輪にするりと入り込んで笑っていたり、「きらきらアフロ」や「仰天ニュース」で松嶋さんに翻弄されたり中居くんに怒られたりしている姿だけが鶴瓶さんだと思って落語会に行くと、完全に裏切られる。
「私落語」はまだ見慣れた鶴瓶さんの片鱗がうかがえるが、古典落語では姿が消える。
甘ったれのボンボンになったり、恋しさ募って命の火が燃え尽きた儚い芸子になったり、年下旦那を好きなあまり愛情を確かめる賭けに打って出る髪結いの女房になったり、初恋の幼馴染と添い遂げるために自分の命も投げ出した狂気あふれる死神に変化したり…と、圧倒される。
07年9月にそごう劇場で「死神」を見た時、鶴瓶さんの落語に私は惚れた。
(あぁ、この人の落語が凄く好きだ。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。一体、私は鶴瓶さんの落語にあとどれぐらい間に合うことが出来るだろう。もっとたくさん、見たくて見たくてしょうがないのに)と、鶴瓶さんが落語に本格的に取り組み始めた時期に僅かながら間に合わなかったことが悔しくてしょうがなかった。
生き急いでるかのように鶴瓶さんの落語を追っかけているのは、空白の時間を埋めるためだ。
奇しくも、最新号のAERAの特集は「独女『マイ消費』狙え」という、独身女性が自分の楽しみのために使うお金の分析。
ちなみにお笑いライブに行き始めてから今まで私が使った金額は…考えるだけで野暮である。
2009年06月21日(日)
棚差しの英雄(ヒーロー)
午前中は大雨だったので、一日ゆっくり過ごそうと煮込み料理を仕込んでいたが、午後からは小ぶりになってきたので、千駄木古書店散策(青山に移転したオヨヨ書林も含む)を実施。
オヨヨ書林には、クレージーキャッツの珍しい本があったが、クレージーキャッツのファンではないので買わず。
時々「〜さんへ ○○」というサイン本を見つけたりするが、見つける度に切なくなる。
その後、面白そうなものは何冊か見つけたが、探しているものではなかったので、買わないまま駅に向かっていたら、naoさんから「Switch」の最新号が出ているというメールをもらったので、新刊書店に入る。
というのも今月号の特集は鶴瓶さん。
表紙も飾っているので、鶴瓶噺で告知ビラを見て以来、毎日心待ちにしていたのだ。
しかし、割と大きめの書店に入ったのに、なかなか肝心の「Switch」が見つからない。
日曜日なので入荷が遅れてるのかと思いながらふと顔をあげると、棚差しで最新号の「Switch」が1冊だけひっそり。
(えっ…最新号なのに?「Switch」なのに?先々月号の加瀬亮特集号とか、先月号の椎名林檎特集号とか、結構ぎりぎりまで平積みで大量入荷してたのに。なんだ、この差は!さてはここの店員、今月号は売れないと踏んで発注を10分の1ぐらいに押さえたな!)と、心中、悔し泣きにむせびながら、貴重な1冊を購入。
50ページ近い特集で、かなりの読み応え。
普段、あまり取材を受けない印象があるタモリさんも、鶴瓶さんの人柄を証言する一人としてインタビューを受けていたりして、全てのページでわくわくする。
相変わらず「全員集合」のDVDを流しながら「Switch」を読んでいたらインターホンが2度鳴った。
2度鳴らすのは大概郵便局だが、荷物を送ってもらう予定はなかったし、新聞勧誘や訪問販売だったら後々面倒くさいので、申し訳ないが居留守を使う。
しばらくして、郵便受けを覗いたら不在通知が入っていたので、(出ればよかったなぁ)と思いつつ差出人を見たら「日曜日のそれ」。
荷物は「ゆうパック 生もの」。
もしかしたら…。
2009年06月20日(土)
しらけるわっ!
どこからか風に乗って、落語の「寝床」のようなうなり声が聞こえてくるので、こそこそとベランダから様子を窺うと、どうもどこかで酔っぱらいが「I LOVE
YOU(尾崎豊)」を感情込めて大声で歌っている模様...。
そして、残念にもほどがあるへたくそ...。
「愛がしらけて〜しまわぬように〜」のところでは、心の中で「しらけるわっ!」とつっこんでみた。
おまけに酔っぱらいだから、ずっと「2人は〜目を閉じるよ〜かな〜し〜い〜(×2。超裏声)愛がしらけて〜しまわぬように〜」の部分をエンドレスで大絶叫...。
目を閉じたまま違う世界に旅立ってこい、まったくもう。
たかぎなおこさんのホームページを見たら、ゆらゆら帝国のライブに行って来たとあって、非常に親近感。
イラストやエッセイを見る限り、とてもゆらゆら帝国のライブに行きそうな方ではないんだけどなぁ。
ゆらゆら帝国のライブの客層の幅が広すぎて面白い。
今週もまた阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪の古書店通い。
今探しているのは、60年代〜70年代のテレビ事情を扱っている雑誌・書籍。
11時〜18時まで歩きまわり、「ヤングタウン14(1988年刊。パーソナリティーはさんまさん、ダウンタウン、鶴瓶さんetc)」「シャボン玉ホリデー〜 スターダストをもう一度」「いかりや長介という生き方」「だめだこりゃ(初版※重版分は既に持っているが、初版だと、著者紹介欄が存命の表記であるため)」を購入。
ヤンタンの本は神保町で何度も見かけたものの、価格帯が1,000円〜2,000円、と(うむむ...な〜んか足元見過ぎ〜)と、その度に心の中で若干舌打ちをしていたが、今日は525円だったので、購入。
構成作家に倉本さんがいたので驚いた。
20年前からひげだったことが分かった。
はがきコーナーのリスナーの住所を見たら、関西圏に交じり北九州とか北海道も。
アンテナや手動式のダイヤルを細心の注意を払いながら操作し、途切れ途切れに聞こえる関東や関西のAMラジオの電波を受信したことがある人とは、少しだけ心を開けると思う。
「オールナイトニッポン2部」という響きに憧れを抱いたことがある人にも。
2009年06月19日(金)
当然、当選
なんてふざけたことをいうと、これから先外れ続きになりそうだが、ぴあのプレリザーブでかかっていた「ディア・ドクター舞台挨拶つきチケット」は第一希望を無事ゲット。
何故、鶴瓶さん関連のものはここまで外さないのだろう...。
NHKのBS2にチャンネルを変えたら、ノーチェックだった上方演芸ホールをやっていて、ちょうど笑福亭松鶴師の「高津の富」がかかるところだった。
もう顔を見ただけで、「あっ、松鶴(敬称略)だ」と言えるようになった。
鶴瓶さんのファンにならなかったら、松鶴師を知るのはかなり先のことか、あるいは知らないままだった可能性が高い。
ファンにならなかったら、鶴瓶さんを「落語家」として見ることもなかっただろうし、落語家としての鶴瓶さんをいまいち信じなかっただろう。
良いタイミングで知ったものだ。
一昨日借りたDVD4本を返却し、新たに「全員集合」を3本&「ドリフ大爆笑」を1本借りてきた。
「ドリフ大爆笑」は絶対入っていると思っていた「雷様」が入っておらず、しょぼん。
仕方ないので、「もしもシリーズ」が入っているものを借りてきた。
今から見ようと思ったら、父から電話が掛かって来たので、しばらく喋った後、「今、私の中でドリフの波が来てるんだけど」と話すと、「今?今頃か?なんでまたドリフの?」と驚いていた。
そして、「お父さんは『全員集合』見た覚えないからなぁ。あまりドリフの面白さとか凄さは分かんないよ。ドリフ見るぐらいなら、コント55号の方がまだ良い。でも、今さら見たくはないわなぁ。30年ぐらい前だろ、ドリフは」とも。
正論すぎる正論。
ちゃんと見たことがないものだからこそ、逆に新鮮なのだが。
(よく言われる『東村山音頭』ってこのことかぁ。初めて聴いたわ)とか。
荒井注氏がドリフのメンバーとしてコントしているのも初めて見たし。
「動画で見る日本のお笑い史」の勉強をしているような錯覚に陥る。
「東京ブックナビ」を購入。
中央線沿線古書店通いの友にする予定。
2009年06月18日(木)
母の倫理コード
昨日借りたDVDを立て続けに4本鑑賞。
合間合間に「笑芸人Vol.1土曜夜8時テレビ戦争」「だめだこりゃ(いかりや長介著・新潮文庫版)」を読みながら。
今、テレビやライブで見る企画は、この番組のオマージュみたいなものも大分あるということが分かった。
この先どういうことになるのか予測がついて案の定その通りになるのに、つい笑ってしまうことも多々あり、普遍的な笑いはあるものだなぁ、とも思った。
「全員集合」というと、PTAが見せたくない番組では不動の一位だった、ということもよくいわれることだが、どういうところが嫌われたのかは、DVDを見ただけではよく分からない。
私の母は、ドリフは食べ物を粗末にするところが嫌だと言っていたが、性的なものを思わせる際どい表現については特に何も言っていなかった。
そういえば私が小5か小6の頃、「良い映画がレンタルビデオになってたから一緒に見よう」と母が誘ってきたので、“良い映画”というから文部省推薦とかの辛気臭いやつかと思ったら「トラック野郎・爆走一番星」と「トラック野郎・男一匹桃次郎」だった...。
星桃次郎(菅原文太の役名)は食べ物を粗末にしない男だったが、下品さ加減でいったら、この映画の方が遥かにひどいし、何より道交法に違反している。
それでも、母の倫理観や教育観では、星桃次郎>ドリフだったのだ。
ドリフが不憫に思える。
しかし、母の血を半分継いでいる私は、「トラック野郎シリーズ」は完全にツボにはまり、コンプリート癖も相まって、全作レンタルした覚えがある。
今も文太さんを見ると反射的に「男の旅は〜一人旅〜」と「一番星ブルース」が浮かぶ。
「全員集合」だけかと思ったら「ドリフ大爆笑」もDVDになっていたので、次は「ドリフ大爆笑」を借りよう。
これは長崎でもやっていたが、「雷様」とか「もしもシリーズ」とかワンコーナーぐらいは見たことがあっても、フルで2時間見たことはない。
ただ、「ドリフ大爆笑」は、母がドリフを好まなかったことも関係あるけれど私自身も特に見たいと思ったことがなかった。
それは、オープニング映像に理由がある。
「ドリフ大爆笑」のオープニング映像は20年間変わらなかったので、1983年で時が止まっていた。
90年代前半までの長崎は、雑誌の発売日は2日遅れ、クロスネットの宿命でテレビ番組の多くは最短で3カ月、ひどい時は2年近く遅れてやっと放送されることが当り前。
流行からは常に取り残されるという気持ちが非常に強く、新しいものに飢えていた。
なのに、「ドリフ大爆笑」のオープニングはいつまでも1983年。
それだけでげんなりし、とてもじゃないが今から大爆笑させてもらえる気がしなかった。
「ドリフ大爆笑」のオープニング・エンディング映像は2003年に変わったけれど、もう変更されることは二度とないことが非常に悲しい。
それにしても、古臭さがあれほど嫌だったのに、その古さを逆に求めるようになるなんて。
週末はまたも古書店通いを予定。
家の更新を済ませたので、西荻窪に引っ越すことはないけれど、もし西荻に住んだら私は街こもりになりそう。
それぐらい、西荻には私が欲しいものが揃っている。
会社にもう少し近かったらなぁ。
2009年06月17日(水)
いまさら「全員集合!」
仕事終わり、naoさんにメールをし、録画していたDVDと、西荻古本屋めぐりで見つけた雑誌を渡す。
一緒に食事をしたが、その際に西荻の面白さと今頃になって知ったドリフのコントについて語っていたら、DVDを見たくなり、帰り際にTSUTAYAで「8時だヨ!全員集合」4本レンタル。
「全員集合」は長崎では1984年からやっと放送されることになった上に、ドリフの番組は母親が好まなかったので、土曜夜8時は「ひょうきん族」しか見ていなかったから、収録されているコントには懐かしさよりも新鮮さを覚える。
公開生放送だった上に、客層は子供たちが多いので、笑い声も驚きの声も反応が早い。
「カラスの勝手でしょ」など、お決まりのフレーズを観客席の子供達がぴたっと息の合った調子で叫ぶところなんて、ある種の痛快さを覚える。
大人達がこの番組を嫌えば嫌うほど、子供達は子供特有の本能で、大人達の攻撃からこの番組を守ろうとしていたのではないかと思う。
DVDに収録されているコントは、全員集合の歴史からしたら、勢いが衰えた末期のものだという。
これで勢いが衰えているのなら、全盛期はどんなものだったのだろうか。
そして、この番組よりも「ひょうきん族」を面白いと思う視聴者が増えていき、結果的に終了に至ったことを思うと、おぼろげで曖昧な記憶しか残っていないことが非常に惜しまれる。
それにしても、ドリフに殆ど触れることないまま30年生きてきたので、5人組が非常に新鮮。
加トちゃんは良い仕事をする人だとか、良い年なのに身体を張る長さん素敵とか、21世紀も10年近く過ぎた今頃になって気づくとは。
ドリフもそうだが、コント55号もクレージーキャッツも、“凄い人”という認識はあるけれど、自分の目や耳でその凄さは実感していない。
週末ごとにTSUTAYAでDVDを借りれる分は借りてみて、本当に面白くて凄い人たちなのかを実感しようかと思う。
2009年06月16日(火)
どんどん遠くなる
ブラザースが解散したとのこと。
6〜7年前、2丁拳銃のオールナイトトークライブにブラザースがゲストで来た時、非常に盛り上がった「12期会ライブ」が開かれる可能性はいよいよもって少なくなってしまった。
さんちゃんや詩津規氏が作家で加わってもらうとか、ナメリカはフリーだから呼びやすいとか、アイデアを聞いていたら、(すぐは無理でも1〜2年以内にはこのライブ行われるのではないだろうか?)と思ってしまうほど、随分と具体的でかつ楽しそうな、幻になるには惜しい内容だった。
ルミネに行くのも年に1回あるかないかに激減してしまったので、劇場に通い詰めていた頃と比べると、空虚感みたいなものはそこまでないけれど、寂しいものはやはり寂しい。
コンビが解散すると、その人達がやっていたネタも消えてしまうし。
この先、谷やん以外が「○○が出て来たよ〜」というツカミをやってたら、(オマエが使うな、オマエが!)といらっとするだろうな。
***
「誰にでも青春18きっぷ」という特集に惹かれ、「旅の手帖7月号」を購入。
あぁ、どこか遠いところへ行きたい。
仕事はまだまだ渦中。
ここ1、2週間を乗り切れば、今の山は越える筈だが、今度は次の山が。
私は一人しかいないのに、本人のあずかり知らぬところで、色々な企画の頭数に入れられてしまい、なんだか毎日がどっきりカメラのようだ。
明日は午前中にマンションの電気点検が入っているので、午前休を取得。
う、嬉しすぎる。
2009年06月14日(日)
笑福亭クッション師匠
お昼は中席、夜は「五代目桂文三襲名披露興行」を見るため、ほぼ一日中国立演芸場へ。
襲名披露興行は、開場前に携帯を見たら上司から急きょ仕事の発注メールが届いていて、テンション急降下。
昨年の「鶴瓶噺を文字通り泣く泣くキャンセルして泣きながら深夜まで仕事」の悪夢がよぎったが、それ以上によぎったのが“『師匠・柳昇の独演会ゲスト』と、『10年に一度のポール・マッカートニー来日公演』が被った結果、ポールを選んだ昔昔亭桃太郎師匠の一言→『どっち選ぶって言ったら、そりゃポールでしょ』”。
私も、今日だけは(今日も、てな気は自分でも大いにするけど)この襲名披露公演を選び、「今日は22時ぐらいまで外出予定なので、帰宅後対応いたします」と返信。
実際、終演後は急いで家に帰り、発注内容をチェックしてみたら1時間程度で片が付くものだったので、一安心。
というか、上司自身が自分で対応できるじゃん...という内容だったけど。
中席は、仲入り前は年配男性のいびき、仲入り後は何でも話に入ってきたがる中年女性達と、どちらも寄席特有のハプニングが連発。
場馴れしているベテランさんばかりだったので、うまくいなしていたけど。
初めて聞いた東京丸・京平さんの漫才が面白くて、やっぱり漫才も好きだなぁ、なんてことを思った。
漫才といえば、今年の百式は9月開催だそうだが、9月18〜27日まで遅めかつ長めの夏休みを取って実家に帰る予定なので、27日以外に東京が組み込まれたら、百式8年目にして欠席ということに。
無理やり、大阪か名古屋にそうなったら行きそうだけど。
今日の中席のトリは昔昔亭桃太郎師。
少子化や天気予報や着物など、お馴染みのマクラをマイペースに繰り出した後、「唄入りぜんざい公社」。
今日は「せこい茶碗だねぇ」が聞けたが、「歩く姿が可愛いっていわれるんだ」はナシ。
今日の客層に可愛らしさを振りまくのは無駄だと思ったのかどうなのか。
夜の披露興行。
今回、奇跡のぴあのおかげで、私の席は1列目ど真ん中。
マンツーマンで落語をしてもらっているような錯覚に100%陥ってしまうような素敵席。
鶴瓶さんに何度うっとりした視線を送ってみたことか(^^;。
今日の「青木先生」は、後ろを向いて喋るところが何度もあるのでピンマイクを国立演芸場のスタッフにお願いしたところ、なんと「別料金となります」との返事が。
「ぜんざい公社」の設定を地で行く国立演芸場。
結局ピンマイクなしで乗り切る。
仲入り後は全員並んでの襲名披露口上。
しかし、幕が下りているときから既に幕の向こう側では何か慌ただしいやり取りがかすかに聞こえてくる。
幕が開くと、全員下を向いていて、拍子木が鳴りやむと、文三さん以外は顔を上げる。
こういうとき、誰か一人は何か笑いをこらえているお調子者がいるが、この襲名披露口上では、笑いをこらえているものがなんと全員。
東京の落語界から一人参加している柳亭市馬師は、“笑ってはいけない”と思えば思うほど自分を追い込んでしまうタイプなのか、まだ始まってもいないのにかなりの臨界点に達している模様。
耳元で「おならプー」とか超くだらないことを囁いたら、かなりの確率で爆発しそうだった。
ただでさえ際どい状況なのに、披露口上の司会が桂きん枝さんだったので、本人は真面目にやる気満々なのにちょいちょい色んなことを間違えていることが発覚し、おごそかで張りつめた雰囲気は雲散霧消。
口上トップバッターの市馬さんが、お祝いに代えて立派な相撲甚句を朗々と謳いあげてしまい、居並ぶ平成の上方落語重鎮(三枝会長、鶴瓶副会長、文珍師)はこぞって困惑。
誰が市馬さんの次にやるのん?と三枝会長が言うと、「大丈夫です、間にクッション挟みますから。では」と、言いながら鶴瓶さんを見るきん枝さん。
クッション呼ばわりに度肝を抜かれながらもきん枝さんをどつく鶴瓶さん。
客は大盛り上がり。
全体に渡ってきん枝さんはこんな調子で、「社団法人上方落語協会」を「財団法人」勝手に変更したり、「2期目を迎えられた上方落語協会会長、桂三枝です!」と紹介したら速攻「4期目や!」と会長本人から訂正が入ったり。
「誰や、この人司会にしたん!」と呆れる鶴瓶さん。
兄弟子の三枝師や文珍師の口上も限りなく暴露話に近いもので、緊張感や悲壮な決意といったものがどこを探しても見つからない襲名披露興行だったが、ここでよく笑ったので、すっきりと気持ちを切り替えることができた。
襲名披露興行での噺は、三若「カルシウム不足夫婦」→市馬「かぼちゃ屋」→鶴瓶「青木先生」→三枝「ぼやき酒屋」(仲入り)文珍「茶屋迎い」→文三「崇徳院」(敬称略)。
久方ぶりに復活した「文三」の名前が平成の世でも大看板となりますように。
2009年06月12日(金)
運命の西荻窪
仕事終わりにフト思いついて西荻窪へ。
最近、「古本道場」や「ぶらぶらヂンヂン古書の旅」、「ひっこしました」を読み返していて、「古本」と「西荻窪」の両方に興味がそそられてしまい、西荻窪の古書店は夜遅くまで開いているらしいので、せっかくだから行ってみることにした。
ただ、思いつきで行ったため、西荻古書店めぐりをする時に持ち歩こうと思っていた「古本道場」はあいにく持ってきておらず、土地勘もないため、まったくの行き当たりばったり。
適当に路地に入ったら、“いかにも西荻”の雰囲気を醸し出している古本屋さんを発見。
童話や文庫本、美術本の他にどこかのデパートの年末大売り出しのチラシや絵葉書などもディスプレイされていて、飽きない。
楽しく棚を見ていると、25年前の週刊朝日を発見。
真っ先に目に飛び込んだ見出しは
「<テレビを斬る>ビートたけし 笑福亭鶴瓶」。
まるで、私に買われるためにここに置かれていたとしか思えない誘い文句。
素早く手に取り購入。
家に帰って、このお店を調べたら、偶然にも「古本道場」を読んだ時にぜひ行ってみたいと思っていた「興居島屋」だった。
この他、「音羽館」など3店に入り、帰宅。
さっそく「週刊朝日(25年前)」を読んでみる。
見出しだけを見たとき、評論家がテレビタレントについて色々批評している記事なのだろうと思っていたが、なんと、鶴瓶さん、たけしさん、横沢彪さん、山内久司さん(「必殺!」シリーズプロデューサー)の4者対談!
まだ鶴瓶さんは「大阪の最終兵器」扱いで、たけしさんも「鶴瓶さん」と敬語を使っていてよそよそしい。
でも鶴瓶さんはがつがつ入り込んだり、萎縮したりすることなく、実に自然な形で対談に入り込んでいる。
そして、鶴瓶さんが自分に課しているスタンスや芸人観はこのころから今に至るまで一貫してぶれていないことが、わずか4Pの記事からも伝わってくる。
たけしさんも、斜めから世界を見る感じは変わっていないが
>「いちばん興味あんのは自分だし、いちばんなりたいのも自分だし、いちばんいやなのも自分だしね」
と、思わずハッとするようなことをさらりと言っていたりして、読みながら充実感がこみ上げてくる。
最後にさんまさんの話題になり、さんまさんは落語家の弟子だったけど落語家ランクを作ったら最下位に近い…という流れになったら
>(鶴瓶)「でも人間ランクつくったらすごいよ」
>(たけし)「それは男ランクね(笑)。さんまの男ランクはトップに近い。女からランクつくったら三十五位以下(笑)。俺はあいつに会うとホッとする」
ということを言い出し、この二人はやっぱりかっこいいと思う。
この二人にそんなことを言わせるさんまさんも。
2009年06月10日(水)
大自慢ブラザーズバンド
“大事MANブラザーズバンド”をググろうと思い、途中で変換したら標記のようなものに。
このバンド名と彼らの最大のヒット曲ほど、半笑いを浮かべられるものはなかなかないように思うが、それは何故だろうという、どーでも良い疑問がフト湧いたので、たわむれついでにググってみた。
結果はしょっぱさが漂うものだった。
この曲は中2か中3ぐらいの時に流行っていたけれど、「墓石」を“はかいし”ではなく“ぼせき”と読ませるところが、何か嫌だった覚えがある。
天候と同じく、なんとなく気分が晴れない今日この頃。
音楽ライブに行って汗を思いきりかきたいが、思い立った頃にはチケットはすでに完売か、ライブ活動なんてやってない場合がほとんど。
あぁ、ままならぬ。
「ディア・ドクター」の舞台挨拶つきチケットを手に入れたいが、狙いやすいのは瑛太さんが出ない回だろうなぁ。
失礼な見込みだけど。
「落語ファン倶楽部」に「柳昇チルドレンの会しょの2」のライブレポートが載っていることを桃太郎師のブログで知ったので、会社帰りにチェック。
文字だけでも伝わってくるゆるゆるぶりと、桃太郎師の気ままぶり。
勝手気ままな桃太郎師に翻弄される昇太師のイーッ!とした表情がまざまざと浮かんできた。
14日はお昼に遊雀師&桃太郎師。夜が鶴瓶さん、という非常に豪華な落語日。
夜の部に出る文珍師の来年の独演会チケットが早くもぴあに出ていたが、鶴瓶さんも登場。
しかし平日昼...。
まぁ、「有給消化」という素晴らしい制度を活用しろということだろう。
こういう時に使わずして何のための有給休暇か。
って、来年4月のことを今から考えるのもどうかと思うけど。
2009年06月07日(日)
できすぎた相手はいずこ?仙台2日目
雨があがったので、松島へ。
仙石線の電車はドアが手動だったので驚いた。
何故自動ドアじゃないんだろう。
そして、石ノ森章太郎号には、一度乗ってみたい。
松島海岸に9時半頃着いたので、10時発の湾内一周遊覧船に乗ってみた。
途中、かなり激しく揺れるところがあったものの、天気が持ち直してくれたので心地よい遊覧となった。
この遊覧船、かもめの餌やりが名物なので、親子が餌を買うといそいそとデッキに出ていたが、最初は歓声ばかりだったのに、だんだん悲鳴が…。
見てみたら、ヒッチコックの映画ばりの光景が出来上がっていた。
野性相手には覚悟がいる。
遊覧船から下船後は、瑞巌寺と円通院に行く。
円通院は縁結びの神様がいるらしい、つーことで縁結びみくじを引いてみたら、大吉!
思わず“!”をつけてしまうところが我ながら情けないが、大吉を引いたのは大学入試前の合格祈願をしに太宰府天満宮に行った際に引いた時以来だったので、何なら軽くガッツポーズも…。
ちなみに私にふさわしい相手は
・同じ年または2、3歳差
・みずがめ座かてんびん座がベスト
・寅年が理想的だが、午、辰も可
・東か南の人
らしく、これらすべて条件を満たす相手は私にとって
>あなたにはできすぎた相手
らしい。
これって、(オマエごときがうだうだ高望みしてんじゃねーよ)と暗に言われてるのだろうか。
いつどこで出会えるのだろうか、私には“できすぎた相手”という御仁。
松島では「たからや食堂」というところで、「あなご丼(お刺身つき 1800円」を食べた。
松島の名物は牡蠣で、私も嫌いではないのだが、そんなに得意というわけでもないので、牡蛎と並んで名物であるあなごを選択。
お刺身は、スズキ、イカ、サザエ、鮪で、どれも美味しかった。
東京でお刺身を注文するとマグロが主なので、白身が出てくると非常に嬉しい。
あなごもやわらかく美味しかった。
食後は仙台に戻り、イービーンズの古本市で「婦人倶楽部・昭和39年5月号(300円)」を買い、ずんだ茶屋で「ずんだロールケーキセット」を食べる。
ずんだもちとか、ずんだソフトクリームとかも食べたかったんだけど、時間と胃袋の都合で断念。
今回の旅はよく食べる旅だった。
その後、お土産の「萩の月」も買い、行きと同じくはやてで東京に戻る。
仙台は初めて行ったが、出会った人たちはみなとても親切で、身構えたりすることなく安心して街歩きが出来た。
今回は初日が大雨だったため、ガイドブックでチェックしていたものの出向くことを取り止めた場所やお店がいくつかあるので、いつになるかは分からないけれどまた行きたいと思う。
楽しい二日間だった。
2009年06月06日(土)
牛タンで終わる恋なんて〜仙台一日目
天気予報も外れることあるし〜とか、雨降りでも小雨程度ぐらいなんじゃないの〜?と、願望を込めつつ仙台に向かったが、福島県内まで持ちこたえていた雲行きもトンネル越えて宮城県に入った途端、大ぐずり。
持って来ていた百均のレインコートを素早く羽織り、荷物をコインロッカーに預けると、市内観光バス「るーぷる仙台」の一日周遊券を買い、いざ仙台市内観光開始。
この「るーぷる仙台」は外観はもちろん、内観もレトロな木目調で素敵なバスだった。
一区間の距離が結構あるため、運転手さんが運転しながらいろいろガイドをしてくれたが、東北大キャンパスも観光名所に入っているところが何だか面白かった。
キャンパスが割と飛び飛びに建っているらしく、そのあたりは九大に似ていた。
街並も何となく福岡市街に似ている気がした。
第一の目的地は「瑞鳳殿」。
伊達家三代を祀っているとのことで、入口に向かっていたら「正宗寺」が目に入り、なんとなく見ていたら、停まっていたタクシーの運転手さんが寺のいわれから歴史までを時折ギャグを入れながら説明をしてくれた。
(瑞鳳殿を見た後はうちのタクシーで市内観光しませんか?とか言われたらどうしよう…)と、内心どきどきしていたが、そんなそぶりは少しもなく、では、ゆっくり楽しんでください〜とにこやかに送り出してくれた。
今度仙台に来た時はこの運転手さんの会社のタクシーを利用したいと思った。
それにしてもよどみない説明ぶりだったので、何年もやっているんだろうな。
瑞鳳殿は太平洋戦争で焼失し、今あるものは昭和54年に復元されたものとのことだが、色使いや意匠の鮮やかさや艶やかさには思わず目を見張るほどであり、圧倒された。
二代目忠宗を祀っている「感仙殿」、三代目綱宗を祀っている「善応殿」も見て来たが、看板を見たら綱宗は21歳で隠居の身になり、芸事に傾倒して70歳まで生きたそう。
50年間も隠居って耐えられない気もするが、この人の場合、政治をやることの方が耐えられなかったのかもしれない。
次に向かったのは「仙台城址」。
伊達正宗の銅像があるので見に行ったが、道路状態がいまいちで、銅像にたどり着くには、半分沼と化したような大きな水たまりを避けながら行かなければならず、雨に加えて風も霧もあるため、仙台市街は殆ど見えないしで、銅像を撮影したら、とっとと仙台駅に戻ることに。
本当はメディアテークに興味があったので入ってみたかったし、「杜の都」のイメージそのままの定禅寺通りを歩いてみたかったのだが、それは次回に回すことに。
仙台駅に13時頃着いたが、おひるご飯時は混んでいそうだから時間をずらそうと思い、ブックオフとイービーンズで行われていた古本市を覗いてみた。
ブックオフでは、ずっと探していた益田ミリさんのPHP文庫収録作品を見つけることが出来たのでほくそ笑む。
イービーンズの古本市は、東京の相場の10分の1という良心的な価格設定に驚き、明日も時間があったら立ち寄ることを即決意。
お昼は仙台駅のすし通りにある「気仙沼あさひ鮨」で2600円のセットを注文。
決め手はえびが入っていないこと…。
寿司やてんぷらのお店に入る時、えびがダメというのは結構選択肢が狭められるので困る。
困るけれど、次にえびを口にしたら呼吸困難とかで死ぬかも、と冗談抜きで思っているのでこれは譲れない。
頼んだお寿司は、うに、いくら、ふかひれ、白身、鯵、鮪、卵焼き、穴子とお味噌汁がついてきた。
私は普段、あまりいくらを美味しいと思ったことがないのだが(後味がどうも苦手)、ここのいくらは美味しいと思えたので嬉しかった。
昼食後は予約していたホテルモントレ仙台へ。
スパと朝食付きのプランで12,000円(じゃらん.net経由)。
せっかく泊まるのだから、多少高くなってもいい部屋に泊まりたいと最近は思う。
朝が早かったので(松島に行く予定だったので、松島行きの時間を考えて10時過ぎに着く新幹線を予約していたため)、1時間半ほどベッドでうつらうつらした後、またも仙台駅へ。
今度は「牛たんストリート」。
選んだのは「牛たん炭焼 利久」。
普通の牛たん定食を頼んだが、肉厚かつジューシーなたんの塩焼きは非常に美味しかった。
(仙台の料理の味付け、結構合うかも)と思いながら食べていたら、隣のテーブルのカップルの空気がなんだかおかしい。
彼氏は歯ごたえがあるものは食べられないと言っていて、彼女の方は彼氏が顎関節症か何かで食べられないのだと思っていたら、彼は顎も歯もすこぶる健康で、単にかむのが面倒くさいだけだったよう。
彼女はいい年した大人である彼氏の食べられない理由がそれ、ということに急速に冷めて来たようで、「牛たん噛むことすら面倒くさいっていうんなら、この先もっと面倒くさいことが起きた時どうすんの?」と言い出した。
彼氏は彼氏で硬いものを噛むことが面倒くさいというだけで、自分の将来すら否定するような言動を発し出した彼女にだんだんむかついてきたらしく、「何でそんなこというの?」といらいらした声で返答。
しばらく会話が止まった後、「…出よう」「うん。もう帰るね」という会話を残して席を発って行った。
店に入った時は、良い感じだったろうに。
破局の原因が牛たん、だなんてあんまり。
色々な人間関係に出会った仙台一日目。
2009年06月05日(金)
むきだしの悪意
初めて“意地悪”という言葉の意味を身を以って実感したのは、幼稚園生の頃だった。
当時から絵心は皆無に近かったが、お絵描きは好きだったので、休み時間になるとスケッチブックに女の子やら動物やらの絵を友達と一緒に描いていた。
友達と見せ合いながら楽しく描いていたら、同じクラスの女の子が近付いてきた。
そして、机に出していたマジックセットから黒のマジックを取り出すや否や、私が描いていた女の子の絵をぐちゃぐちゃに塗りつぶした。
私は何事か分からずポカンとしていたが、周りの友達の方が素早く反応し、絵を塗りつぶした女の子を口々に非難し出したが、本人はひるむどころか、自分より可愛い絵を描く方が悪いんだ、的なことをいけしゃぁしゃぁとのたまい、ますます私は混乱した。
自分が攻撃のターゲットとなったのは初めてのことだったので、どうすればよいのか分からなかった。
物持ちが良い家族なので、そのスケッチブックは実家に帰るとまだある。
そして、それを見る度にその時のことを思い出す。
これ以降、些細ないざこざは経験したもののあからさまな攻撃は受けないまま過ごしてきたが、久しぶりに今日、むきだしの悪意に遭遇した。
相手が私のことをいけすかなく思っていることは、今までの接し方から感じていたが、仕事の打ち合わせに私が同席すると分かっていながら、私にだけ資料を見せまいとしたり、追加資料を後から人数分プリントしてお配りしますね、と言って持って来たのは良いけれど、わざわざ私の横を通りながら、私にだけ配らない、というのは、反則だろう。
学生時代ならいざ知らず、ビジネスなんだから。
「マウスの音がうるさい」と2回もメールを送ったのに、一向に取り替えない私のことがよほど気に食わないのだろうなぁ、あの人。
これからも換えないけど。換える必要性もないし。
この一件のせいで、打ち合わせがあった午前中はいらいらして終わってしまったが、午後から別件で新規プロジェクトの打ち合わせがあり、こちらのメンツは気の良い人ばかりなので気分がなんとか持ち直せた。
このプロジェクト、先月頭にクサノさんが入ると言った覚えはないのに勝手にメンバーに入れられていたと嘆いていたので、慰めていたのだが、知らない間に私もメンバーの頭数に入れられていた。
仕事を任せてもらうのは嬉しいが、「あっ、このプロジェクト、事後承諾で申し訳ないけど、君もメンバーに申請しちゃったから。で、14時から打ち合わせだから会議室に来てね」と当日になって言うのはどうにかしてもらいたい。
まだまだそういう扱いの微妙な立ち位置。
週間天気予報を見たら、明日の仙台は雨だが日曜は晴れのち曇りに変わっていたのでほっとする。
当初は初日に松島、翌日に仙台市街観光を予定していたが、逆にした方が良さそう。
初めての東北。
嬉しいなぁ。
杜の都を満喫しよう。
2009年06月04日(木)
身体で覚える日本地理
じゃらんnetから宿泊日前の最終確認メールが届く。
いよいよ明後日に迫ったが、天気予報は無情にも曇りから雨に...。
濡れた靴のまま移動したくないなぁ。
今まで東北は全く行ったことがないので、ガイドブックを読んでもいまいち距離感が分からない。
蔵王連峰は山形県のみにあると思っていたら宮城県とも跨っていることを今頃知る。
学生時代、地理は不思議なほどに理解出来ず、テストの度にブルーだった。
1年間習っても時差の計算方法を覚えられず、気の良い地歴科担当の教師から「もう、無理して地理は勉強せんでいいよ。苦手なものを無理に覚える暇があったら、得意な公民に費やしなさい」と、お手上げ宣言を出されるほどだった。
いまだに日本地図で確実に位置関係を埋められるのは九州・沖縄と北海道だけだし、上京するまで東京都の場所をずっと神奈川県だと思っていた。
日本の首都があの小さいやつだとは思わなんだ。
JRに乗ると、貼ってあるJR東日本路線図を見ながら、関東近郊の位置関係を覚えるようにしている。
そういえば、太陽が昇って沈む方角も覚えられなかった。
東と西が絡むことまでは覚えられたが、その方角がどちらであるかとなると、「天才バカボン」の歌詞と混乱し、1/2の確率なのに外すことが多かった。
東から出て西に沈む、と間違わなくなったのはこれも上京してからで、九州だとまだ真っ暗な時刻なのに東京はもう明るいなぁと思ったとき、太陽は東から出て西に沈むということをやっと理解した。
海外旅行に頻繁に行くようになったら時差の計算も間違わなくなるかも。
出勤早々、上司の仕事指示メールの文言に少しカチンとしてしまった。
普段なら別に気にしないようなことだけれども、面倒くさい交渉事や事務作業などを気付けば9割方私が担当せざるを得ない状況であるため、(その内容も組み込みたいのは分かるけど、それをやるための調整はあなたやらないんでしょ?この仕事の面倒くさい部分は全部私任せで、問い合わせやクレーム担当も結局私なんでしょ?何かおかしくない?)と。
人間のやる気は些細なことで湧き起こりもすれば、萎えたりもする。
なるべく上機嫌で気持ち良くいたいけれど。
今日見聞きしたニュースの中で一番どうでもいいなと思ったもの。
「愛称はイケシオに決定!」。
ムカムカするのがばかばかしくなるぐらい脱力するニュースだった。
ムカムカ亭、もとい昔昔亭桃太郎師の独演会が決まったが、遅い夏休みで実家に帰っているので見に行けないのが残念。
「寝床」聞いてみたかったのに。
2009年06月01日(月)
こつこつとだらだら相半ば
とにもかくにもホームページ開設満8年。
開設当初の頃に比べると、本屋さんとかCDショップに行くことと同じように、ライブや寄席に行くことはあまり特別なことではなくなった。
この8年間で300本以上の公演を見に行ったけれど、本当に忘れられない公演というのは、片手の指で余るぐらい。
その公演があまりに好きすぎて忘れがたく、いつまでも覚えていたかった。
出来るならば自分と同じ感想を抱いた人とその思いを共有したい、と思った。
まだ見たことがない、あるいは存在を知らないという人には、(お節介だけれども)「そんなに良いなら一度見に行ってみようか」というふうに思ってもらいたかった。
そんな思いを抱きながら続けて来た8年間であり、明日から9年目を迎えます。
これからもよろしくお願いします。