つらつらきまま


2007年06月25日(月)
息詰まる展開

チケットが取れなかったり残業だったりで随分ご無沙汰だったが、今回は何事も無く、久しぶりのチハラトークを見に草月ホールへ。
 今回は2階席だったが、草月の2階席は個人的には見やすくて好き。

今回の「チハラトトーク」のゲストはハリガネロック。
 「家族」「奇跡」「危機一髪」「怒り」「悩み」についてトークをしていったが、お金の話は正直聞いててきつかった。
 どろどろした澱のようなものがじわじわ迫って来て身体にまとわりつくようだった。
 4、5年前はもう少しからっと話していたからこちらも笑いながら聞いていられたけど。
 世知辛いことを忘れるために劇場に行っているので、現実に引き戻されるような話は正直なところ、まだ頭が冴えている20時台には聞きたくない。
 聞かされるにしても、笑い飛ばせるところに落ち着いて欲しい。

 
 



2007年06月24日(日)
居心地


昨日の晴天とは打って変わって、降ったり止んだりを繰り返す雨模様の中、「百式2007」を見るため新宿へ。
 前枠がネタバラエティだったので、新喜劇、それも某Hんこん班の時と違ってそんなに開場は遅れないだろうと思いきや、色んな事情が重なり結局25分ほど押して開場。

昨秋から分かりやすいぐらいに落語にハマっていったが、それと反比例するように、いわゆる“若手芸人”のライブにだんだんとハマらなくなっていった。
 自分が好きな芸人を見に来ているのに、どこか場違いなところに来てしまったような落ち着きの無さを覚えることが増え、ライブが近づくにつれて覚えていた“ワクワク感”もいつしか薄れ、変な話だが“義務”に近い感情で足を運んでいるように感じることもあった。

 昨年末の「百式」も例外ではなく、他のお客さんが笑うほどには個人的にはさほど可笑しいとは思わない場面がところどころあり、自分の感性が大勢のストライクゾーンから外れて行っている気がした。
 だから今年は、今までのような2丁拳銃にがっつりハマっている被害者というよりは、アウェーの客という感じで見に行った。

恒例のオープニングVが終わり、2丁拳銃+GBバージョンの「44口径」を聞きながら、最近のライブ開演前の心情とどこか違うことに気づいた。
 どきどきはしなかったけれども、(あれっ、居心地悪くない)と思った。
 暗転が終わり、センターマイクの前に出て来た二人を見ても、特にテンションが上がることは無かったけれど、周りの盛り上がりに置いて行かれることも無く(元々おとなしい客層ではあるけれど)、すんなりと100分の世界に入って行けた。

その時々の心境や状況で変わるけれども、大局的に見て、2丁拳銃の芸風や世界観が私は合うのだと思う。
 モノ(グッズや写真など)に執着する時期は過ぎたけれど、2丁拳銃が創るものについて、色々感じ取ることについてはまだまだ執着がある。
 一つひとつを大事に見て行きたい。

ちなみに今年の「百式」の感想は、「『百式』という枠の中で2丁拳銃の単独ライブをダイジェストで見たような感じ」だった。
 詳しいことは後日更新予定のライブレポートで。
 そして、東京公演は103分でした。
 雨が降ったのは東京のみということで、客に雨女(あるいは雨男)がいると小堀さんは疑惑の目を向けていた。



2007年06月22日(金)
女心を掴むには朝7時から

午前中、隣の班から
 「え〜っ!」
 「うわっ、えっ、えっ、良いんですか!」
 「すご〜い!」
 と興奮した声が聞こえたので、何だろうと思ってたら

 「オオジさん(仮名)から差し入れです〜。まずは“女の子”から」
 といって差し出されたのは、あのいつ行っても行列しているクリスピー・クリーム・ドーナツではないか!
 いっぺん食べたいなと思ってはいたものの、あの行列に並んでまで食べたいというほどではなかったので、何の苦労もせず噂のドーナツを食べる機会に恵まれ、私は超興奮。
 噂のドーナツは、元々私は甘党ではないので一回食べればもう満足だったが、噂どおり冷めてもパサパサやもっちゃりとせずサクサクだったのは凄いと思った。

 しかしなんと言っても特筆すべき点は、頼んでいない仕事はもちろんのこと頼んだ仕事も10回のうち1回やってくれれば良い方なオオジ氏が、雨降る朝の中、通勤経路ではない新宿駅でわざわざ降りて、部署の女性社員+若手男性の分まで噂のドーナツを頼んでもいないのに買ってきた事だ。
 仕事もこんな感じで片付けてくれたら良いのになぁ…。

コミックヨシモトは創刊日にコンビニに行ったらあったので立ち読みした。
 その時は三枝さん原作の分だけ。
 それも、M字頭で垂れ目に満面笑顔を浮かべてる上方落語協会広報部長目当てだったが、くまなく探してみたもののどのコマにもいなかったので、(まぁ、そうだろうなぁ…)と思いつつもがっくりしながら棚に戻した。
 2丁拳銃が原案を出している漫画があると知ったのは他の人のブログを見てからだったりする。

 公式サイトのあらすじ紹介を見て、大体の世界観は予想できたが、実際読んでもその通りだった。
 とにかくダメで甘くてだらしなくて夢ばかり見ていて情けなくて、世間一般でいえばどうしようもないダメ人間なんだけれども、そう簡単には切り捨てられないような、何となくバカにしきれない何かを持っているような気にもさせられる父と、父を反面教師にして育とうとする息子の物語。
 限りなく「銃歌」を思い出させる設定だが、あのコントは無名の人達が主人公で、全員名前が無いのだ、ということを当時しつこいほどに主張していたので、2丁拳銃的には「銃歌」と「あとん」は別物、最大限譲歩してスピンオフなんだろう。
 たとえ、あの息子が成長した後、あとんが原因で同級生と喧嘩して頬にお餅をくっつけて帰って来るような場面があっても。
 全く以っての憶測だけど。

パペポTVの名物プロデューサー・白岩氏原案の漫画によく似たものをEPフィルムズで見たことあるような。
 あの映画に白岩氏はもしや噛んでたのか?



2007年06月19日(火)
“でも”女


9時30分始業だというのに、朝、ふと目が覚めてテレビを点けたら9時のニュースをやっていた。
 5秒ほど固まった後、顔を洗い、髪をパーッと梳かすとクローゼットから服を引っ張り出して着替え、メーク道具を通勤カバンに詰め込んで早足で急ぐ。
 普段とそんなに変わらぬ時間に到着したから凄い。
 人間、やろうと思えば出来るものだと、どろどろに疲れ切った顔でとりあえず自分を褒めちぎる。

 ただ、今日はどうもついてない日だったらしく、朝はこのように大寝坊をし、昼に入った中華料理屋では私のオーダーのみ何故か厨房に伝わってなくて、やっと出て来たのは昼休み終了15分前。
 (何でこんな時に限って鶏の四川風炒め定食なんて頼んだのだろう…)
 と、色んな理由で涙目になりながら食べられるだけ食べる。
 そして夜。
 「ジャリズムナイト」終わり、シアターモリエールの出入口の階段で足を踏み外し、左足首をねんざ…。
 恥ずかしかったので何食わぬ顔でその場を去ったが、だんだんと足がじんじん痛み出し、(何でや〜!何で一日でこんな不幸がいっぺんに押し寄せる〜!神様なんておらんわ〜、アホ〜、アホ〜!)とありとあらゆるものを呪いながら新宿を後にした。

オーダーを飛ばされた中華料理屋にはクサノさんと一緒に行ったのだが、彼女の子どもの担任が凄いイケメンで、役員を引き受けたクサノさんは学校行事が楽しくてたまらないらしい。
 今日も学校行事で午前中は遅れて来たのだが、彼女がイケメン教師と楽しく美しい時間を過ごしていた頃、私は、神様がいたずらをしたとしか思えない残念なビジュアルの上役と打ち合わせをしていたので、い〜な〜、い〜な〜、男前いいな〜、と中々来ない定食を待ちながら羨ましがった。
 
 そして、
 「私、自分好みの男前は、いち早く見つける自信ありますよ」
 と何気なく言ったら、一瞬の間の後

 「でも、せりちゃんの究極は鶴瓶なんでしょ?」
 と、物凄い強烈なストレートが疑わしそうな目と共に返って来た。
 しかし、ちょっと失礼だと思ったらしく、慌てて
 「あ、でも、鶴瓶には外見を超えた良さが伝わって来る感じだよね」
 と、まるでフォローになってないフォローが返って来た時は、おかしくてしゃぁなかった。

 これに限らず
 「でも、あなたは○○なんでしょ?」とは、よく言われる。
 「でも、今はお笑いが好きなんでしょ?」とか
 「でも、ニチョケンではコホリなんでしょ?」とか
 「でも、結局アジカンライブより鶴瓶ライブに行ったんでしょ」とか。

 “でも”、そっちの方がすきなんだもーん(開き直り)。

「ジャリズムナイト」は2、3年ぐらい前のような気楽なトークライブ形式を期待して行ったら、漫才2本とコント数本とがっつりしたものだった。
 一本、あつむさんが落語家の師匠に扮したコントがあり、世界のナベアツで見た時は正直ツボが合わなかったけれども、今回は結構ハマった。
 客を弟子に見立てて進めていくもので、(そう来ますか!)と、にやり。
 ほんの僅かだったが「時うどん」も聞けたし。
 そういえば、中村マネもいた。

落語以外のライブに行くと、椅子に半分しか腰を下ろしていないような落ち着かなさを覚えるようになった。
 現在、若手ライブリハビリ中。



2007年06月17日(日)
スリリング人間国宝

仕事も目処がついたので、当初の予定通り「桂米朝一門会」を見に川崎へ。
 米朝一門の手ぬぐいを買おうかどうか迷ったが、松鶴一門贔屓なので結局買わず。
 そのかわり、「桂米朝コレクション」の「事件発生」を購入し、早速開演待ちの間に「らくだ」を読む。

人間国宝の米朝師匠。
 御年81歳とご高齢のためか、一門会だが大トリではなく仲トリでご登場。
 拍手で沸く客席。
 そしておもむろに口を開きだした米朝師匠だったが…。

 枝雀師匠ファンの友達から、最近の米朝師匠の高座についての話を聞いていたが、実際体験してみたら予想以上にスリリングだった。
 
 まず、故意なのか自然現象なのか分からないが、同じ話が3回ほど出てくる。
 かと思えば、言葉が出てこない。
 時々視線がふっとさ迷う。
 どの流れからどの噺に入ろうとしてらっしゃるのかさっぱり分からず、非常にハラハラ。
 やっと落語に入ったら入ったで、サゲまで行き着くのかどうかでまたハラハラ。
 何故そういうサゲになるのか分からなかったが、もうそんなことはどうでも良くなり、米朝師匠が無事高座を勤め上げられたのならば、それで良いではないか、という心境に。

 帰り際番組表が貼られていたので見てみたら、結局予定と違うネタをおやりになったことが判明…。
 最後まで落ち着かせてくれない人間国宝だった。

公演まで約半月なのに一向に情報が出ないので、これはぴあではないなあと思い、ローソンチケットをチェックしたらちょうど発売日の前日だった。
 チケット予約電話番号ではなくインフォメーションセンターの番号をメモしていたため、正しい番号をチェックして電話が繋がるまで20分掛かったものの、無事「サニム」チケットゲット。
 忘れぬうちに発券したら、20分のタイムロスは何だったんだ?と思うような番号で笑ってしまった。
 どんなに早い番号であっても結局座る席は後ろの端あたりを選ぶだろうけど。
 ウキウキした気持ちで“見に”は行くけれど、“会いに行く”、なんていうことはどの人のライブでも思わない。
 知り合いではないのだし、顔を覚えられるにしても、お金を払わないとそれが出来ないのは、やっぱり“会う”とは違うと思う。

彦八まつりが9月1-2日にあるので、今から大阪行きを企画中。
 「落語協会感謝祭〜圓朝記念〜」も気になるところ。
 共に去年は存在すら知らなかったというのに分からないものだ。
 ルミネでジャリズムとメッセンジャーを見た一年後、桂米朝一門会に行くとはなぁ…。

 ルミネといえばどんどんチケットのシステムが変わり、別に会員でいることのメリットが無くなってきてる気がする。
 単に私がルミネ公演にそそられることが少ないこともあるだろうけど。
 やっぱり半年にしとけば良かった…。



2007年06月15日(金)
祝・0.2ミリ越え!


午後から2時間ほど健診で会社を抜けた。
 お年頃なので、今年からは婦人科検診も受ける。
 外見は母親の家系を受け継いだが、体質も受け継いでいたら、がん家系なので、やはり敏感にならざるをえない。

 がん検診もさることながら、個人的なメインイベントは身体測定。
 最近身体を重たく感じてきたので、間食を止めたり、B2階から6階まで毎日階段を使ったりしていたのだが、努力は少しは実ったようで、まぁ前回とさして変わらず。

 しかし何よりも。
 注目すべきは身長。

 「150.2」

 オォ〜!夢の150cm台ではないか!
 1度だけ150.3cmを叩きだした後は、149.7cmとどうしても0.3mmの壁を越えられなかったのに再び150cm!
 
 Welcome、150cm!
 ビバ、150cm!
 ありがとう、150cm!

 ひっじょーに良い気持ちで検診センターを後にしてきた。

R25にGoogleのロゴを作っている人が載っていたが、収入について
 「日々働き続けなければいけないほどの金額です」
 なんて答えていて、実際はどうか分からないけれどもどこか爽やかさを感じた。
 私も日々働き続けなければならず、月曜朝イチの締切に間に合わせるために明日、明後日と自宅で仕事の予定。
 明後日の米朝一門会はスルーしようかと思ったが、これを逃したら本当に米朝さんの落語を生で聞ける機会は分からないので、それまでにはめどがつくように頑張ろう。
 ガンバレ、オレ。
 働くオレ。

「鶴瓶」とブログ検索しちゃったりして、昨日の落語会や前日の練馬の落語会について書かれてあるブログをついつい読み耽った。
 昨日、笑いながら枕を聞きつつ、噺の予想をしている時
 (あぁ、漫才を見に行く時もこういうことやるなぁ)
 と、個人的な落語と漫才の共通点に気づき、ちょっと可笑しかった。
 他の師匠方がやってるのを聞いた時は特にはまらなかったという噺も、鶴瓶さんがやればまた違うんだろうなぁ、と思う。
 鶴瓶さんがやる落語はとにかく聞いてみる、という姿勢で臨んでいるので。
 今までの流れから何故そのサゲに行き着くのかさっぱり分からない噺や、途中から(あぁ、ダメだ、さっぱり分からん…)と途方に暮れてしまうことはまだまだたくさんあり、それがどうも悔しい。



2007年06月14日(木)
神様は見ている?


家の更新と武蔵野市民文化会館に鶴瓶さんの落語を見に行くため、午後から半休。
 良い機会でもあるので思い切って引越しも考えたが、会社からの距離や立地と家賃の関係など諸々を考えると、やっぱりここがベストのような気がして、結局更新。
 4年も住むと街にも愛着が湧く。

落語会の最寄り駅の三鷹駅に着くと雨が本降り。
 最初は徒歩で行こうと思っていたけど、詳しい地図を持ってなかったので、パーンとタクシーを使い、いざ会場へ。
 ロビーにいた上品な老婦人2人が会話をしていたが、1人は「しゃべれどもしゃべれども」を見に行ったらとても面白かったと言っていて、快楽亭ブラック師もブログで面白いと書いていたのを思い出し、土曜日にでも行ってみようかしらと思う。
 うちの父は嘉穂劇場の鶴瓶さんの「らくだ」に備え、今のうちから少しずつ落語に触れてみようと思い、公開初日にこれを見に行ったそうで、「国分太一は上手い!」と絶賛するメールが来た。

今日は開口一番の後、
 ・笑福亭鶴瓶 「青木先生」
 (休憩)
 ・林家正蔵 「悋気の独楽」
 ・桂歌丸 「ねずみ」

 という演目だった。
 お目当ての鶴瓶さんが初っ端に出て来たので、休憩中ちょっと葛藤したものの、せっかくの縁だと思い、最後までいることに。
 
 今日、個人的にちょっと嬉しかったことがあった。
 それは、鶴瓶さんの出囃子をやっと覚えたことだ。
 「44口径」や「ストーンコールドスティーブオースティンのテーマ」のように鼻歌も出来る、という域にはまだ達していないけれども、流れて来た時(あ、これは多分「新ラッパ」)とピンと来るようにはなった。
 
 丁度近くに、有名な鶴瓶ファンの方がいらっしゃったのだが、休憩中にその方が近くの人とお喋りしている内容が自然と耳に入ってきて、ついつい聞いてしまったが、その一つひとつが(そうですよね!私もそう思いました!)と、納得することばかりで、(あぁ…この人とお近づきになりたい…。私も鶴瓶談義の輪に入りたい…)と珍しく親和欲求が生まれたほどだった。
 何というか、(本当にこの方は鶴瓶さんが大好きなんだなぁ)ということが言葉の端々からビンビンに伝わって来て、(“好き”っていいなぁ)と単純なことを今更ながらしみじみと思った。

落語会の帰り道。
 ケータイの電源をオンにしたらクサノさんから留守電とメールが入っていて、珍しいこともあるもんだなぁと思いながらとりあえずメールを読んだら
 
「テングが今月末で辞めます。何はさておきあなたに知らせたいと思い電話したら留守電だったのでメールしました。詳しくは明日」

 と、いつものクサノさんらしい簡潔で分かりやすいながらもどこか興奮した文面だった。

“テング”というのは、私が就職して最初の部署にいた頃の上司のあだ名だ。
 就職して半年ほどは問題ない関係だったが、この人のお気に入りの人がこの部署に異動して来て、関係が急速に悪化した。
 “手のひらを返す”とはこういうことをいうんだなぁ、と実感したぐらいに態度が一変し、“今までは言わなかったが…”の前置きの後、仕事の内容や電話の応対、私の性格、存在価値に至るまでありとあらゆることを叱責・非難し出し、非常に私は混乱した。
 何かすると「余計なことはしないで欲しい」といわれ、手を引くと「自分の頭でやろうとする気はないの?」と睨まれ、どうすることも出来ず、会社に行くことを考えるだけで涙が出るようになった。

 (自殺はしない。でも、何かの事故に巻き込まれて命を落とすようなことがあれば、それはそれでいい)
 
 とまで思うようになり、それをおかしいとは思わなかったのだから当時の私は相当追い詰められていたと思う。

 “こんな生活が続くぐらいなら、もう今いのちを落とすようなことになっても別に構わない”ということを一回でも思ったことがあるという事実は、結構自分の中に重くのしかかった。
 実行に移さなかったとはいえ、またこんなことを思ったりするのではないだろうか、と自分の中に潜んでいるある種の破滅衝動に脅えていた。
 
 去年、青山寄席で鶴瓶さんの「たちぎれ線香」を初めて聞いた帰り道、(あぁ、あの時、死なないで本当に良かった)と心の底から感じた時、自分の破滅衝動を封印出来たと感じた。
 (生きたい。生き続けたい)
 という痛切な思いが次々に出て来た。

半年後。
(生きてて良かった。これからも生きたい)とそのように思わせてくれた人の落語を聞きに行った帰り道、生きることに執着を持てなくなった原因を作った人が結局私の前から再び去るというニュースを目にするとは思わなかった。



2007年06月12日(火)
バリバリ


川谷家の一花ちゃんの1歳のお誕生日。
 世界に一つしか無い花は、色んな愛情を受けながら咲き開いていくのだろうなぁ。
 最近、生まれて24時間もこの世にいることを許されなかった子どもの事件が続発しているだけに、親子愛なんてものを見たり読んだりするとそれだけで泣けてくる。
 
 学生時代、少し発達が遅れ気味の子ども達の発達支援のボランティアをやっていた。
 発達支援、なんていっても一緒に遊んだりリトミック体操をやったりするだけだったが、午前中の2時間ボランティアをやるだけで、午後はがっつり昼寝をせずにいられないほど、へろへろになっていた。
 この時思ったのが、(子どもは大人からありとあらゆるものを吸収して成長するんだなぁ)ということだった。
 お母さんと離れ離れになるのが嫌だと泣き喚く子どもを抱っこして宥めまわったり、隙あらば探検に出ようとする男の子を追っかけたりと、とかくエネルギーを消費するボランティアだったが、1年後再会したら見違えるぐらいにどの子も大きくなっていて、これが“教育”の醍醐味か、とも思った。
 教員養成じゃない教育学部の学生だった頃の思い出。

「鶴の間」でさんまさんがゲストだった回がやっと見つかり、早速DVDに焼いて寝ながら見ていたが、「自分の好きな人と好きな人が好きなことをやっている場面」というものにとてつもなくテンションが上がってきてどうにもならなくなる。
 もし私がネコ科の動物だったら、ほとばしる情熱を抑えきれず、壁紙やら布団やらをとりあえずばりばり引っかくだろうなぁと思った。
 芥川龍之介は菊池寛のことを「私の英雄(ヒーロー)」と言っていたらしいが、私のこの興奮もこれに近いものはある。
 自分で言いながら気持ち悪い入れ込みようだとも思うが、この面白さに去年まで全く気づいていなかった自分の迂闊さは本当に悔やんでも悔やみきれない。
 生まれる前はしょうがないにしても、物心ついてからの空白の30年はでかい。
 
後1ヶ月で「2丁拳銃を知らなかった時期」を「2丁拳銃を知っている時期」の方が追い抜く。
 人生の4分の1以上、2丁拳銃の被害者。
 そういえば、先々週の北海道、名古屋、と百式に行った方からメールが来たが、一昨日は福岡の友達から「天神に行ったら2丁拳銃がいたけど何で?」とメールが来て、全国から2丁拳銃の情報が逐一寄せられる感じがしてなんだか可笑しかった。
 考えたら今回ツアーで回っているところ全てに知り合いがいる。
 ネットを通じて知り合えた方々だ。
 ネットってやっぱり凄い。
 怖いものでもある。



2007年06月09日(土)
チビ太の金庫破り

小学校低学年のとき、「おそ松くん」のアニメがリメイクされて放送されていた。
 そんな折、玉屋だったか浜屋だったか忘れたが古本市が開かれたので母と行き、古本嫌いな父に内緒で1冊だけ買ってあげると母が言ってくれたのが嬉しくて店内を歩き回っていたら、「おそ松くん」が1冊だけあったのでそれを買ってもらった。

 その買ってもらった単行本の1話目に入っていたのが「チビ太の金庫破り」の回。
 番外編のような構成で、チビ太が主人公だった。
 金庫破りで服役を終えたチビ太は金庫破りはもうしないと誓って堅気の職に就くのだけど、刑事のイヤミはそれを信じず、事あるごとにチビ太をつけ狙う。
 そんな折、おそ松くんたち六つ子が金庫に閉じ込められてこのままだと窒息死してしまう場面に遭遇するチビ太。
 葛藤しながらも覚悟を決め、イヤミの目の前で金庫破りをして六つ子を助けるとその足で「金庫破りしたから逮捕しておくれよ」とイヤミのところに出頭する。
 でもイヤミは「何のことざんす?ミーは知らないざんす」とそっぽを向いてしらっぱくれる。
 最後、子分のハタ坊と一緒に新天地に旅立つチビ太をこっそり泣きながら見送るイヤミが印象的で
 (イヤミって本当は良い人やった〜)
 と、妙に感激し、「お母さん、お父さんに内緒で良い本買ってくれてありがとう!」と母親に感謝の言葉を言ったほどだった。

20年後、NHK-BS2の「お宝TV」で作者の赤塚不二夫氏もこの作品が一番好きだったということを知り、あの時感動した胸の疼きを思い出した。
 もう一つ好きだったのが、詳しいあらすじは忘れたけど、チビ太がピンチに陥って大金が必要になり、六つ子の家族がそれを肩代わりするが、チビ太は特に感謝もしなければ謝りもしないまま姿を消す。
 しばらくして、豆腐売りをしているチビ太を六つ子が偶々見つけて袋叩きにするのだが、六つ子の1人が落ちていた通帳を見て慌てて他の兄弟を止める。
 それは六つ子名義の通帳で、チビ太は豆腐の売り上げを全部預金していた。
 「百万円(多分)貯まるまで待ってな!」と怒った感じで通帳を引ったくると再び、ラッパを吹きながら豆腐売りに出かけるチビ太。
 それを見ながら六つ子の1人が「あいつ、本当は良い奴…」と呟いて終わる、というもので、これまた私の切なさ好きのツボをぎゅいぎゅい押してくるもので何度も読み返した。
 こうして考えたら「ドラえもん」よりも読み返した回数は多いかもなぁ。
 「ドラえもん」も読みながら泣いた話はあるけれど、何度も読み返しはしなかった。

 ギャグ漫画とかコントとか、おおよそ“涙”とはかけ離れてそうなものが実は…というものに私は弱いのかも。

渋谷でインストア。
 覚えていたけれども大雨の脅威の方が勝ち、家でゴロゴロ。
 パペポTVのDVDをランダムに見ていたら、ちょうど、何かにつけノックさんの名前を出す上岡さんに鶴瓶さんが「ノックさん、ノックさんって付き合うてまんのか。何かいうたらノックさんか卑弥呼や」という回だったので、ノックさんのお別れの会の時の上岡さん、もとい横山パンチ氏の弔辞を思い出し、うぅっとなる。
 漫画トリオ時代は全く知らないが、うちの父親が言うにはたまらんほど面白くて一世を風靡していたそう。
 私はノックさんの前髪がくる〜んとしていたことすら知らない。



2007年06月08日(金)
ヘデクパウダー


毎日新聞が「呼び名で分かる:地方CM編」という特集を組んでいて、我が長崎県は「みろくや」と「ヘデクパウダー」。
 この記事を読んで

 (えっ、ヘデクパウダーって地場産業だったのか!?)
 と驚いた。

 胡散臭い名前だが、「ヘデクパウダー」は頭痛薬。
 “ク”を“ル”に変えてわざと大声でこのCMソングを唄う子が私の小学生時代には必ずいたが、今もそうだろうか。
 このご時勢に黒線入りまくりのフィルムCMを今でも流しているが、1970年からずっと変えていないとか。
 十一の奈良漬と並んで、昭和40年代からいつまでも抜け出せないCM。

 ローカルCMは、外に出てみて初めてその変わり具合が分かることが多い。
 私が福岡に来てたまげたのは五月人形のCM。
 桃太郎と金太郎がお互い向かい合っているのだが、いきなりブツの見せ合いっこをおっぱじめ、「お互いがんばろーねー」なんて暢気に声を掛けて終わるのだが、初めてこれを見た時は(がんばろーねーって、オイオイ何言ってんだ!?)とかなりポカーンとした。
 でも福岡に生まれ育った友達によれば「あれが流れ出したらもうすぐ5月やね〜と思う」と、ただの風物詩の一つに過ぎないらしい。
 福岡はこの記事にも載っていたが、雪うさぎやら博多ぶらぶらやらまだまだ逝かない天国社やら、個性が強いCMの宝庫。

成海璃子ファンのタナカさん(同僚)、昨日の食わず嫌いに彼女が出るので楽しみにしていたが、ぽっちゃりしてきて何だかがっかりだったよと嘆いていた。
 サンボマスターのボーカル似のタナカさんにぽっちゃりだのがっかりだのと成海璃子も言われたくないだろうと思いつつ、あまりにタナカさんが嘆くので、ついつい「成長期なんですよ。あの位の年頃の子ってすぐ太ったり痩せたりしますよ」とテキトーな感じで慰めたら「そっか、そうだよね。役作りかもしれないし。彼女、凄く役作りするんだよね〜。凄くハマるんだ」と、すぐに復活。
 あぁ良かったと思ったら横から後輩くんが「病気の役をするから痩せる、とかいうことはあるかもしれませんけど、太るための役作りってありますかね?女相撲ぐらいしかないですよ」と余計なことを言い、「そうだよね…、ただの自己管理の甘さかなぁ…」と再び落ち込むタナカさん。

 (私)「あっ、でも、テレビって実際より太って見えるもんですよ」
 (タ)「本当!?(もの凄く希望を持った口調)」
 (私)「鶴瓶さんがそうでしたもん!実際見たらあの人顔ちっちゃいですよ〜」
 (タ)「何だ、鶴瓶か(心底がっかりした感じ)」
 (私)「何だとは何だ!」
 (後輩)「まぁまぁ。あっ、でも鶴瓶って27時間テレビで裸なってましたけど、痩せてるというよりなんか貧相な身体でしたね」
 (私) (オマエまで言うか〜っ!←心の叫び)

 終業5分前だったとはいえ、チト遊び過ぎたと反省。

小堀ブログを見て(あれ、サニムってもう終わったの?)と思ったがまだのようで安心。
 @ぴあや笹塚ファクトリーのサイトを見ても発売日の気配なし。
 もうそろそろの筈だが。

明日のウォーキングは予報が「アウトドアは避けた方がよい」というので延期に。
 計画者は雨天決行なんかものともしなさそうな人なのでこの決断は意外だったが、家に帰って天気予報を見ていたら、なるほどあの決断は英断だった、と尊敬。
 うちの会社では中々お目にかかれない頭がキレる人なだけある。




2007年06月06日(水)
ウミガメの頃 すれ違っただけの


パソコンが壊れたかパスワードを忘れたかのどちらかだろうと勝手にかんぐっていた修士さんのブログが3ヶ月ぶりに更新されていた。
 なんだかんだいってニチョのブログはどちらも毎日覗いていた。
 コメントはしないけど。

 携帯から覗いた時中々表示されなかったのでやきもきしたが、全表示されてその原因が判明。
 一花ちゃんの写真が5、6枚貼り付けられていた。
 それを眺めていたら、修士さんにとって一花ちゃんは本当にかけがえのない宝物だということが写真から伝わってくるように感じ、“できるだけ〜”のところは何だか感激して歩きながら泣きそうになり自制。

 生後3ヶ月の頃、私の父は1ヶ月間会社の研修で熊本に行っていたそう。
 もちろん私はそんなこと何一つ覚えていないけれども、研修が終わり1ヶ月ぶりに帰って来た父が私を抱っこすると、私は手をぶんぶん振り回して笑い転げ、全身で“父、帰る”の喜びを表現しまくっていたそう。
 普段なら嫌がってのけぞり決して乗らなかったゆりかごにも5分ほどではあったがにこにこ笑って揺られたらしい。
 生後4ヶ月でも家族の1人がいなくなり、そしてまた帰って来たことを嬉しく思う感情が備わっているのだから、一花ちゃんは修士さんから受ける愛情を分かってるだろうと思う。
 1歳前のことは思い出せないだけで記憶の奥底には残っているものだと思いたいなあ。
 生物学的にはあり得ないことかもしれないけれど、愛情が科学を超えることだってあるだろう。

朝からローソンで早速嘉穂劇場と歌舞伎座のチケットを引き換える。
 “第一回”だから二回目もあるのだろうか、青山寄席はもうないのだろうかとか、色々鶴瓶落語について考える。
 歌舞伎座は7月からの7じ9じ2人分以上の代金だったりするが、ちっとも高いと思わないから怖い。
 逆は物凄く高いと思ったが。
 いよいよもってルミネから足は遠のく一方。

 大須でやった噺を知りたかったのでブログ検索をしたらお昼の部は「たちぎれ線香」をやったと知り、本当にがっくりと崩れた。
 大須といい、繁昌亭の鶴瓶噺といい、ことごとく私が断念した独演会で「たちぎれ〜」やってるなぁ。
 “鶴瓶版・たちぎれ”で私が調べたい箇所の謎が解明されるのはいつになるだろう。
 しょんぼりしながらYoutubeを「笑福亭」で検索したら1996年のJRAのCMを発見。
 11年前はもう今とそんなに変わりない鶴瓶さんで、何か裏があるような笑顔で本木雅弘に絡んでいた。
 当時住んでいた長崎ではJRAのCM自体流れていなかったので嬉しい。
 にやにやっと見入る。



2007年06月05日(火)
欲しいものは手に入れるの

普段やらないことを偶々その時やったことで道が開けた、ということが私の場合割とある。
 ちょくちょく書いているけれども、7年前の夏、飲み慣れぬ酒を飲んで酔っ払ってしまって中々寝付けず、テレビを点けたら、偶々FBSで丁度2丁拳銃がゲストだった「いろもん2」が始まるところだった。
 この時、部屋のテレビのチャンネルがTNCとかKBCだったら、今の私はいなかった訳である。
 当時は2丁拳銃の存在はロンブーの番組で見る程度だったし、当たり前ながら鶴瓶さんにもハマるどころかかすりもしておらず、第一ウンナンがMCを降りてからの「いろもん2」は興味の対象外だった。

 それなのに、チャンネルを替えることなくそのまま見続けた。
 見続けるうちに(…もしかしてこれが“ハマる”というものか?)という気がしてきた。
 パズルのピースとピースがぴったり合うように、ネタの感じと自分が好きだと思うツボがぴったりと合ってぐんぐん押されるようだった。
 後に素面の時に、改めてこの回のビデオを見たけれども、シンデレラのガラスの靴とは違い、魔法、というか酔いに騙されたことは無いことが証明され、今に至る。

さて、今回道が開けた“偶然”。
 それはオークション。
 別に落札したいものがあった訳ではなくて、(今検索したらどんなのが引っ掛かるんだろう)という他愛無い興味に過ぎなかった。
 「鶴瓶」と入れて検索キーを押してずらずらっと出て来たのが「先行販売・鶴瓶のらくだ」とあるチケット。
 (な、何〜っ!)と慌ててこの言葉でググったらば、なんと、この落語会専用のHPが出来ていてしかも5/29から先行販売中。
 ナイスだ、伊藤園(伊藤園がスポンサー)。
 これからは「六条麦茶」より「むぎちゃむぎちゃ〜」と粘っこいナレーションでお馴染みの伊藤園の麦茶、「生茶」や「若武者」より「お〜いお茶だ」。

 チケット委託はローソンチケット。
 青山寄席の前例があるにも関わらず、@ぴあのプレリザーブやe+の先行のみ頭が行き、ローソンチケットはノーチェックだったこの1週間を悔やみつつも立ち止まってる暇は無いので、速攻嘉穂劇場と歌舞伎座を確保。
 完了してホッと一息ついたのでざっと見たら、ゆくゆくはブログも開設予定のよう。
 メールすら覚束なさそうなイメージの鶴瓶師が…と思いつつ、鶴瓶さんが落語に目覚めて間もない頃に、落語家・笑福亭鶴瓶の存在に気づいた自分の幸福をしみじみと噛み締める。
 にんまりしてしまう。
 何故そこまで…と自分でも謎だけど。



2007年06月04日(月)
病み上がり


先週1週間は風邪でずっと咳き込んでいた。
 先週の月曜に医者に行き、金曜日にやっと8割方風邪が抜けてくれた。
 その身体で「怪獣大行進」を見に下北沢に行って来た。
 後半、空咳が再発しちょっと涙目になったものの、何とか持ち応えたのでホッ。
 それにしても(生き残る芸人とは?)みたいなことをついつい思ってしまうイベントだった。

 というのも、キャリアが浅い人達は、前後の文脈を無視したボケやオチの連発で成り立つネタが多くて、一言で言えば“シュール系”だった。
 そういうネタをやることで他のコンビとの差別化を図っているのだと思うが、そういう展開が多いと、シュールもありふれて来る。
 そして、客を置いて行くシュールさは、結局客について行こうとする気持ちを萎えさせてしまう。
 突き放したつもりが逆に突き放される結果となり、後から気持ちを掴もうとしても、客は割とシビアなので、曖昧な笑いと一緒にその申し出を突っ返す。
 一方通行のボール投げは寂しい。

 そこを行くと、同世代の男の気持ちをがっちり掴む永遠の男の子・バッファロー吾郎はやっぱり凄かった。
 獲物を見つけると真ん中の席に座っている客を捕まえに乗り込んでいく梅垣氏も。
 やりたいことをやっているんだけれども、そのやりたいことが客が見たいことでもあるのは強い。

 ハチミツさんはエンディングで何度も「お笑いブームは終わった」と連発。
 ブームに乗ることなく独自路線を貫いている人ばかり見ているので、お笑いブームの絶頂も終焉も幸か不幸かそんなに実感したことは無かったが、関係者の口から聞くと、そういうものなのか、と思う。
 サイパン旅行に東京ダイナマイトを連れて行ってあげた小力氏も、リアルに仕事が減っている今、もう一度サイパンは難しいらしいし。
 ブームに乗った人は一時的に凄く得するけども、後々が厳しいなぁと思いつつも、これから先“あの人は今?”と聞かれることはあれども“あの人は誰?”にはならないことを思うとうっすらと羨ましく思う気が無い訳ではないような気がしないとも限らないようにも思わないことはないような気も…(以下略)。

「百式」全国ツアーが始まり、既に参加した人から感想メールをいくつか貰ったが、そのどれもがネタバレにならないよう極力詳細をぼやかしていて、気を遣ってもらってる…と嬉しく思う。
 それらを読んだ限りでは、当日終演後勢いで2006のDVDを買わないとも限らなさそう。
 撮影会目当てではなくて単なる財政上と一身上の都合で2006のDVDは未購入。
 Amazonで注文したきらきらアフロ武道館ライブのDVDも結局特典映像の最初しか見ていない。
 相変わらず虜になっているのは「鶴瓶・上岡パペポTV」の録画DVD。
 現在、1990年7月分を鑑賞中。
 17年前のバラエティなのにこんなに面白いなんて、罪。

mixiの招待メールを貰ったので遅まきながらmixiデビュー。
 色々コミュニティを覗いてみたが、何か気後れ。
 この気後れは何だ?と思ったら、学生時代のクラス替えの雰囲気に似てることに気づいた。
 新しいクラスに行ってみたら前のクラスで仲が良かった子とは違うクラスになってしまい、新しいクラスは部活繋がりや前のクラス繋がりの仲良しグループが既にいっぱい。
 どこのグループにも居場所が無くて決まりが悪かったあの感じに似ているなあと思った。
 とりあえず楽しみ方を模索中。



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