つらつらきまま


2007年05月30日(水)
べーしすと熱点火


断固として午後休を取り、有楽町のよみうりホールへ。
 念願の「東西落語研鑽会」。
 おまけに今日の私は一番前のど真ん中。
 これがしょーもない仕事で行けなくなったら泣くに泣けないではないか。
 
 今日の鶴瓶さんは私落語第一作の「長屋の傘」。
 初めて来たというお客さんが帰り際「鶴瓶が一番面白かったけど、落語っぽくないね」とか言っていた。
 だから私落語なんだよね…と思う。
 秋の研鑽会名物・鶴瓶大ネタは「死神」に決まったそう。
 うぅ、行きたい。これに行けなくてどうする、朝の19時半からぴあに並ぶーっ!と熱く決意。
 ロビーで買ったかわら版にもノーチェックだった公演があり、これまた情熱がめらめら。

ZARD・坂井泉水さんの訃報に関して鶴瓶さんがコメントを求められていたが、何の取材だったのかは分からなかったので気になっていたらnaoさんから情報を頂いた。
 <第一回落語大秘演會 鶴瓶のらくだ>の会見だった!
 全国8か所を回るとのことで、その中には福岡・嘉穂劇場も。
 日時を見たら3連休の初日ということで厳しいけれども土曜日だから、個人的には凄く問題なし。
 チケットさえ取れれば、チケットさえ取れれば…、と、もう福岡遠征する気満々。
 遠征するほどの情熱はお笑いに関して薄れたなぁ、と2、3日前しみじみ思っていたのに、もうこのテンション。

 だって、日刊スポーツの見出しが凄く凄くそそるんだもの。

 >笑福亭鶴瓶「落語が楽しくて仕方がない」
 

 と、鶴瓶さんが楽しくて仕方がないと思いながらやっているものならば、今の私は見ずにはいられなくてしょうがない。
 何故ここまでのめり込んでしまうのか自分でも分からないし、我ながらだんだんきしょいなぁと思っていたりもするのだけれど、いつまで続くか分からない私の鶴瓶ブーム&落語ブーム。
 とりあえず、動かずにはいられない。



2007年05月28日(月)
生存本能


高校生の頃受けた生物の授業で、今も忘れられないことがある。

熱いものや尖ったものを触ると、思わず手をひっこめる。
 いわゆる「無条件反射」だが、これは生物が生きていくために備わっている反応で、どんなに気持ちが弱って自暴自棄になっていても、これだけは絶対にやってしまうものらしい。
 ウニのような頭をした生物教師はそう説明した上で、更にこう付け加えた。

 「生まれてきた者は全て、生きていくように出来ている」。
 だから、自分で自分を殺すな、と。
 ましてや、他人のいのちを邪魔するな、と。

 この教師の人間性は嫌いだったが、この授業に関しては受けてよかったなぁと今も思う。

 今日のように、生きようとしてかなわなかった人と、生きることに決着をつけた人のニュースが同時に飛び込んできた日は尚更。

先週から鼻がグシュグシュしていて、黄砂の影響かと思っていたら今朝から咳き込みだしたので、風邪と確定。
 それでも仕事はあるし、電話は相変わらず誰も取らないし、でホトホト参る。
 マウス女は相変わらず自分の目の前の電話が鳴っているのに知らん顔。
 私も底意地が悪いので、マウス女の部署の電話が鳴ると、マウス女がいるのかいないのか確認し、いる時だったら絶対に取ってやらないことにしている。
 取ってやらなきゃいけない義理なんて、よくよく考えたら全く無いのだ。
 あっちの方が何年か入社年次は先だが、役職は私と同じヒラだし。
 他部署のことにまで構ってる余裕は無いわい。
 相変わらず、挨拶しても絶対にガン無視だし。
 なんじゃ、アイツ。



2007年05月19日(土)
復調


6月の東京ダイナマイトプロデュースライブのゲスト第一弾発表。
 バッファロー吾郎が決定したとのことで、読みながら思わず「よっしゃ!」と声が出た。
 そして、何となくにやり。
 (おぉ、何か徐々にこちら側を楽しむ気持ちも戻ってきてる)と実感した。
 去年の11月から今日まで落語や鶴瓶さん以外のことについては殆ど興味を持たなければ関心も湧かず、色々ライブはあっても食指が動かなかったのに、何故かこのライブだけは久しぶりに興味が湧いてチケットを取ったのだった。
 
 バッファローさんが東京ダイナマイトのライブのゲストに出るということが特に嬉しい。
 東京ダイナマイトの呼び掛けに他事務所の大先輩が色々調整をして応えてくれた。
 どちらにも“男”を感じた。

10分ほど見逃したが、偶々NHKにチャンネルを替えたらストレイテナーがトップランナーに出ていたので見る。
 ストレイテナーやELLEGARDEN、ASIAN KUNG-FU GENERATIONは、歌は好きだけどその部分にしか興味を持っていなかったので、ホリエさんとナカヤマさんは実は私と同じ年で、且つ長崎市出身ということを初めて知り、結構びっくりした。
 長崎市公会堂とアトムレコードぐらいしか無かったところでもロックバンドは生まれるんだなぁ…としみじみ。



2007年05月17日(木)
晴れ渡り雨少なく それでも潤って


日記を読み返したら、大体この日は晴れていることが多いよう。
 今でも修士さんには青空が似合うと思う。

 という訳で、2丁拳銃・川谷修士さん、33歳のお誕生日おめでとうございます。
 昨年は“ちぃちゃいちゃんがもうじき誕生”というサプライズニュースがブログで発表されたが、PM22時現在、ブログ更新なし。
 相方がここのところマメに更新しているのと比べ、本当に対照的なコンビ。




2007年05月16日(水)
目のつけどころ…


私が好きなバンドのELLEGARDENのステッカーやリストバンドが、雑誌「ELLE」を発行しているフランスの会社から商標権侵害であると訴えられ、それが通ってしまったそうだ。
 バンド名に関しては使ってもいいみたいだが、何か釈然としない。
 この会社は「ELLE」と「エル」を含む商標を400以上登録していて、<ELLEGARDENが結成された98年当時、日本でこの「ELLE」は著名な商標になっていた>というのが判決なのだが、だからといってELLEGARDENのグッズを見てELLEを連想したことなんて1回も無いよ。
 何をかいわんや、という感じ。

喜味こいし師匠を更に寂しくさせる訃報。
 漫才師のはな寛太師匠死去。
 はな寛太・いま寛大コンビはいとこい漫才の継承者で、新しいいとこい漫才がまた見れるような気がしてこちらも楽しみにしていた矢先だった。
 夢路いとし・喜味こいしが2回解散してしまったような感じだ。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。
  



2007年05月14日(月)
ロッククライミング


小堀ブログを見たら、6月9日にインストアイベントがあるらしい。
 6月9日。ロックの日。

 晴天ならば私は会社の皆様と10kmウォーキングの日。
 海を山の上から見るという贅沢なのかなんなのか分からない行程で、気づけば参加者は15人に跳ね上がったが、どう見てもノリノリ(死語)なのは主催者の友田さんと私とクサノさんぐらい。
 友田さんの直轄の部下は
 「9日は捻挫をするか雨を降らせるしかないと思うんです」
 とシャーマンのようなセリフをぽつりと私に呟いた。
 私は雨女を通り越して雪女なんですよね〜と言ったら、「せりさん、頼りにしてます!」と“逆てるてる坊主”の役割を任された。
 さて、どうするどうなるロックの日。

終業30分前になって違う部署のチーフから呼び出され、何かと思えばその部署の仕事が滞っていて明日までの納期に間に合わないので手伝って欲しいということだったが、“ヒラのアンタ達は部長職のオレ様の命令を聞いて当たり前”みたいな態度で言って来られたので、<引き受けてやるけれども正直むかついているぞ、オヤジ。オイ、この短足ポマード野郎>と思っていること丸分かりな顔をしてしまった。
 4年目ともなると、徐々に図太くなる。

 それぞれみんな仕事があり、予定を組んでやっている。
 困っていたり捗っていない人がいれば、もちろんそれは助け合うことが当たり前だけれども、そもそも何故その仕事が滞っているのかといえば、そのチーフの口利きで発注した外注先が依頼どおりの仕事を全くしないで投げ返してきたことが原因である。
 それにこれが初めてではなく、もう3回ほど同じようなことが起きていて、仕事納めの時も手伝わされたことがあることを思えば、何でこちらがこんなにしょっちゅうオマエの尻拭いをしてやらなきゃいけないのか?と思っても別に罰は当たらないだろう。
 そして、“ヒラは上役の仕事を手伝って当たり前”と思っているところが凄く嫌だ。
 本来なら、私達が煩わされる必要が無いことなのに。
 ヒラでも、自分の仕事は自分でこなす。
 何でこんな見通しも自分にも甘いオッサンが私の3〜5倍ぐらいの給料が貰えてるんだろう。
 おかしいぞ、この会社。

ビストロスマップのゲストがジュンジィ(高田純次)だったので7、8年ぶりぐらいにスマスマを見た。
 どっちを選んだのかは見てたのに忘れたけど、過剰じゃない程度に色んな番組に適当な感じで呼ばれるジュンジィが素敵。

 昔、ジュンジィが無責任社員をやってるドラマシリーズがあり、それにハマっていた父は「高田純次のドラマは本当に面白いこれは永久保存版だ」とウキウキしながらビデオのツメを折っていたが、ラベルにかかれてあったのは「高田ユージ 無責任社員」とどこかしょっぱさが漂う適当なものだった。
 そういえば、「適当手帳」も張り切って購入してたけど、いざレジに並ぶ段階になって、「ちょっとあまりに適当過ぎるね」と言い出して、カモフラージュに「憲法九条を世界遺産に」を「適当手帳」の上に置いて購入していた。
 我が親ながら、(エロ本買いに来た昭和の中学生か!)と思う。





2007年05月13日(日)
気分転換


昨日はnaoさんにDVDを渡しに新宿へ。
 3月末に渡す予定だったけれども中々予定が合わず昨日に。
 ハリガネロックがきっかけで知り合ったのに、今では何故か2人とも松竹芸能所属芸人がお気に入り。
 お互いウンナン&ダウンタウンが一緒に番組をやっていた頃をリアルで知っている年代であるため、その系統でも話が弾む。
 私が今でも忘れられないのは
 「バブルが弾けて…バブルが弾けて・・・バブルが弾けて〜〜、関係なかっ!なんでんかんでんバブルのせいにしたらいかんばい」
 という、ウッチャンがやっていた満腹太のセリフ。
 前半のタメと後半のぶっちゃけぶりが何故かツボにハマり、幾年月。

きらきらアフロやパペポなどのDVDが溜まるにつれ、DVDのラベルをちゃんとプリントしたくなり、折りしも父が余ってるヤマダ電機のポイントをあげるよ、とかなり気前が良いことを言ってくれたため、プリンタを買い換えた。
 今までのプリンタは外国製で、インクが切れても近所の量販店には売ってなくていちいち取り寄せなきゃいけないのが面倒くさかったため、今回はCanonを購入。
 今までのプリンタを置いていたところでは奥行きが足りないので、配置を換えたり、パソコンラックと食器棚を入れ替えたりと、電話線を移動したりと4年目にして初の模様替えを決行。
 今まで不便だったことも改善されたが、何で今までやらなかったのか、我ながら疑問。
 こんなもんだろう、という妥協は禁物ということを今更思う。
 中々快適になり、家にいるのが楽しくなってきた。
 こうして定時後直帰→パペポDVD作成、という楽しいながらも地味な生活はまだまだ続く。



2007年05月11日(金)
遺すもの・受け継ぐもの

「落maga」というメールマガジンを昨秋から購読している。
 主に関西地方で開かれた落語会の情報が載っていて、上方落語好きな私にとって、配信される金曜日午後は楽しみな時間である。
 今日、2週間ぶりに配信されたメルマガを読んでいたら、鶴瓶さんのお弟子さんの笑福亭銀瓶さんが桂こごろうさんとの二人会で「たちぎれ線香」を掛けたとあり、思わず(おぉ〜!!とうとう出た!)と食い入るように読んだ。

 師匠である鶴瓶さんが去年の青山円形劇場でかけた「たちぎれ線香」は、私が初めて聞いた本格的な落語であり、青山円形劇場から渋谷駅までの道のりをフラカンの「深夜高速」をBGMに(こんな世界もあったなんて知らなかった〜!あぁ〜生きてて良かった〜!!)と泣きながら歩かせた思い出の落語である。
 あの噺を弟子がかけるようになったのか…と感慨深く読み進めたら

 >師匠・鶴瓶のアレンジは1箇所だけ取り入れていたけど、

 がくっとコケた。
 えっ、1箇所だけ?と。
 その取り入れた1箇所はどこなんだろうと気になる。
 鶴瓶さんが取り入れたアレンジの中で特に大胆なものがあり、私はその部分が好きなのだが、そのアレンジは本当に賛否両論。
 好きな人は本当に絶賛するけれども、そのアレンジが許せない人は徹底的にこきおろすからなぁ。
 たじたじするぐらい。
 
 でも1箇所だけでも“鶴瓶さんのたちぎれ”が継がれていくのは嬉しいことだ。
 何十年後、何百年後の「たちぎれ線香」に「笑福亭鶴瓶版・たちぎれ線香」が残っていき、その中で笑福亭鶴瓶が生き続けるのだから。
 これが落語の醍醐味でもあると思う。

携帯から大概のホームページが見れるので、歩きながら携帯でチェックすることが多い。
 しかし、微妙に対応していないものもあり、その一つがcasty blogの写真。
 クリックしても大きくならないため、携帯から写真をチェックすることは若干厳しい。
 そのため、“フジモンを修士さんと間違える”なんていう現実世界では有り得ない事態も発生する。

 今日も帰宅途中、携帯から色々ブログをチェックしていたら小堀ブログの最新エントリータイトルが「落語」。
 目がきら〜ん☆となり、速攻クリック。
 7月ぐらいにピンのイベントをやりそうで、その参考にDVDを買ったらしい。
 米朝師匠のDVDであることは分かったが、肝心のタイトルが携帯からは見えにくい。
 見覚えがあるものだったので、恐らく間違いないだろうと思いつつも、家でチェックしたらビンゴ。

 「特選!!米朝落語全集第三集 不動坊/たちぎれ線香」
 だった!

 確認した途端、我ながら現金なほどにテンション上がり
 (エライ!小堀さんエライ!)
 と、思いっきり上の目線ながらも出来る限りの賛辞をブログに向けて送る。
 コメントはしなかったけど。

 鶴瓶さんの「たちぎれ線香」は桂文枝師匠のものがベースなので、米朝師匠のものとはちょっと違うけれども、米朝師匠の「たちぎれ線香」は小糸の愛らしさ、いじらしさ、お内儀の凛とした様が凄く伝わり、それをちょっとでも思うとたちまちじわじわと泣けてくる。 
 米朝師匠の「たちぎれ線香」は、DVDも持っているがCDも持っているので、それをSDに入れて長く電車に乗る時などは聞いたりしている。
 サゲの
 「小糸はもうひけしまへん。お仏壇の線香がちょうどたちきりました」 
 に至ると、毎回ため息をつく。
 見事な終わり方だ。

落語のDVDを買ったということは、落語的なものをやる予定なんだろうか。
 2人でたらたら喋ってるだけのものを「漫才」と言われたら頭に来ることと同じで、着物を着て座布団の上で喋っているだけのものを「落語」とは呼べない。
 漫才師やコント師が落語的なものをコーナーでやる場面に遭遇することがあるが、(これを“落語”というなんて、落語に失礼過ぎる)と思うことの方が個人的には多い。
 
 大丈夫とは思うけれども、もし小堀さんのピンイベントが落語ならば、ある意味今までで一番ドキドキしながら行くことになりそう。
 …あら、ワタクシ気づけば行く気満々。
 DJとか歌イベントとかは、とことごとくスルーしまくってるのに。
 私を外に連れ出すには独演会さえあれば良いということか。

小堀さんが弟子入りしようと思った17年前の鶴瓶さんが出ている「パペポTV」をことごとくDVDに焼いて片っぱしから見ているが今見ても十二分に面白い。
 特に鶴瓶さんが仮免に学科で落ちた直後のパペポは何回見ても笑える。



2007年05月09日(水)
ヨミ

立て込んでいた仕事がひと段落着いたので今日は有休とって悠々と過ごす。
 11時ぐらいにひょこひょこと外出し、すれ違うサラリーマンやOLに
 「よー、皆の衆、頑張っとるかね、ワッハッハ」
 と、無責任シリーズの植木等ばりの高笑いをして肩を叩きたくなる衝動に駆られる。
 焼き鳥つまみながらビールとか飲みたかった。
 わしゃオヤジか。

単独ライブの方はあまり触手が動かなかったけれど、プロデュースライブの方は面白そうなニオイを直感的に感じたので、6月の東京ダイナマイトライブのチケットを取ったら、整理番号から面白いニオイが漂っていて笑った。

 去年の秋から私のお笑いに関するアンテナは落語にばかり向いていたので、若手漫才師のライブに気持ちが動いたのは随分と久しぶりだ。
 何故、今回は気持ちが動いたのかというと、<東京ダイナマイトが面白いと思う芸人>が果たして誰なのか全く予想がつかなくて興味があるから。 
 東京ダイナマイトは私がファンになった芸人の中では異色のコンビなので、このライブに行くと自分が今まで知らなかった面白さを教えてくれそうだと思っているが、果たしてこの読みは当たるかどうか楽しみ。

昨日辺りから(うわ〜、好き〜…)と一発で気に入ったCMソングがあるのだが、お友達のブログを見たらその方もこの曲を好きと書いてあり、テンション上がる。
 「私もです!」とメールしようかと思ったが時間が微妙に遅いのでここに書く。

 それはウルフルズの「泣けてくる」。
 (あぁ〜、何か切ない感じで泣けるなぁ)と思ったら曲名もまんまだった。
 これは好き。
 「そら」以来10年ぶりぐらいにウルフルズのシングルを買おうと思っているほど。



2007年05月06日(日)
執念のベリケン


暦通りのGWだったので、後半は実家に帰省。
 とはいうものの、父の勤務の都合上まともに顔を合わせたのは5日のみだったので、何か物足りず、若干寂しさも残った。
 
ところで、私は今携帯に3つストラップを付けている。
 一つはソフトバンクホークスのもの。
 もう一つはダイナマイト関西オープントーナメント2006。
 そして、「きらきらアフロ2005」DVD初回特典の「ベリケン(鶴瓶+ビリケン)」人形。

 おおっぴらに(私はきらきらアフロと鶴瓶さんのファンだ)と言って回ってるようなものを恥ずかしがらずに堂々とつけている訳だが、私の使い方が悪いのか、人形についてある留具が折れて本体から外れてしまうことが手に入れて1ヶ月以内に起きた。
 この時は大戸屋の店員さんが拾って届けてくれた。
 そして今日、付け替えて1週間も経たないのにまたも折れて外れていた。
 空港で気づいた時にはベリケンは影も形も無く、(全然、幸せのお守りと違うやんか〜!)とがっくり。
 見つけたところで、それこそ小堀さんの虎のカウチンのように、“道で落ちても拾わない”物に分類されそうなものだとは思うけれども、どこで落としたのかが分からないので気を落として飛行機に乗ったが、羽田に着いて留守電を聞いたら、車のシートにベリケンが鎮座していたと父から入っていた。
 
 ほっと一安心だが、落としても必ず見つかるベリケン。
 故意に落としても見つかりそうな気がしてちょっと怖い。
 “捨てたらアカンで〜”という鶴瓶さんとビリケンさんの執念が盛り込まれているのでは無いだろうか、なんていらぬ妄想まで抱いてしまう。

帰ったら会報が届いていた。
 央人くんの誇らしげな幼稚園入園の写真。
 撃ちっぱなしでも話題に出てたりしてるのだろうか。
 少なくとも今年に入ってから「撃ちっぱなし」は見ていないので、「百式2007」は去年にも増して分からない漫才が増えていそう。
 
 そういえば4日に大学の同期と会った時、彼女がその日20代最後の誕生日というので、
 「私の20代って2丁拳銃に費やしたようなもんだったなぁ」
 と私が言うと、
 「だね〜。本当そうだったね〜」
 としみじみされた。
 
 10代は生きていればいつかすぐ終わるものらしいが、20代もまた然り。
 予想していたよりも20代は激しくてそれなりに波乱も挫折もあったが、決して悪くは無いものだった。

 「母親の死」という非常に強烈な出来事から、私の20代は始まったようなものだ。
 多くの人は後2〜30年先に経験するようなことを何故私はこの年齢で経験しなくてはいけないのか、と運命や神を呪った。
 
 しかし、もう二度と私は「母親の死」を経験しなくてもいい。
 「母親の死」は、リリー・フランキーの「東京タワー」を引用すると、
 >悲しみの始まりと(オカンが死んでしまうという)恐怖の終わり
 である。

 死別という喪失感を完全に埋めることは無理だけれども、色んな人や思い出や作品によって救われた。
 自分という存在を否定されて自分を見失ったり損なったりしそうな時期もあったが、誰かが必ず救いの手を差し伸べてくれた。
 それらを経験出来ただけでも、20代はかけがえのない時期だった。
 これからもそうあると信じている。

 20代最後の誕生日まで後2ヶ月ちょっと。
 



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