つらつらきまま


2006年12月31日(日)
今年もお世話になりました


仕事納め後そのまま実家に帰り、暇さえあればずっと寝ている。
 このまま冬眠するんじゃなかろうか、と危惧するほど。
 実家のホットカーペットも枕も寝心地が良すぎて困る。

今年印象に残ったイベントは

 2月...50分押しスタートにびっくりだった「ラ・テ欄」。
 4月...「撃ちっぱなし」の配信を聞いて興味を持ち、行ってみたらなかなか面白くて満足だった「いのもっちゃんと。」&芸名しか知らなかった東京ダイナマイトにハマるきっかけとなった「チハラトーク」
 6月...「ハリガネロックいうたら漫才やないですか!」というフットボールアワー・後藤さんの名言を聞けた「フットボールアワーとか」
 7月...勇気を出した「2丁拳銃ファンクラブ感謝祭'06」
 8月...“鶴瓶ウォッチャー”となるきっかけでもあった「きらきらアフロin大阪城ホール」&主催者・ゲスト共々ここまで好みの人が揃うことはなかなか無い、素敵な夏の一夜となった「東京ダイナマイト祭り」
 11月...衝撃だった「第五回青山寄席 笑福亭鶴瓶落語会」

 だった。
 特に11月の青山寄席は、今年一番印象に残った。
 “好き”や“興味”の幅が一気に広がり、本屋やCDショップに通うことが今までの倍楽しくなった。
 関連する事項を調べていく作業がここまで面白いとは思わなかった。
 多分、これは来年も続く“わくわく”。

06年秋以降、自分でも予想していなかった方向に進みつつあります。
 どうしようか迷い中でありますが、根本の“好き”は変わらないので、白黒を明確につけることはひとまず置いておいて、ネガなことであれポジなことであれ、書いたものに対する責任と覚悟を常に忘れずに、つらつらとレポートや日記を作り続けたいと思っています。
 こんなサイトでよろしければ、これからも宜しくお願いします。
 そして1年間ありがとうございました。

今年最後に今年初のことを実行。
 1月16日のお礼もこめて。



2006年12月26日(火)
最強運


出席したら却って苦々しい思い出が増えるだけだということが容易に予想される会社の忘年会は早めに欠席を申し出ていたので、1日で1か月分の雨量だという暴風雨の中を急いで帰宅し、ぬくぬくとした部屋でまったりと夕食。

 するとnaoさんからメールが届いたので見てみたら
 「ロンハーにつるべさん出てます」
 とあり、読み終える間もなくテレ朝に切り替えて3分ほど浮かれて過ごす。
 唯一鶴瓶さんや2丁拳銃の出演スケジュールを載せてくれたテレビステーションはもちろん、テレビ欄を見ても「笑福亭鶴瓶」なんて一文字も書いてなかったから、見逃すところだった。
 ありがたい。
 色んな人に助けられている。
 でも、「本当に鶴瓶さんにハマってるんですね」と改まっていわれると、そんな自分に恥ずかしさを覚える。
 鶴瓶に一生懸命になるより、もっと真剣に考えなきゃいけないことが山ほどあるのに。
 
 そう思いつつも一度火がついたら中々消せないため、放送日を知ってからずっと楽しみにしていた「Happy!2」はオンタイムで見て且つHDDに録画までしてしまった。
 もう一度見返すのか?CMカット編集してDVDに落とすのか?と葛藤はあるけれども、総出演時間は10分にも満たなかった1とは打って変わってサンダー牛山は大活躍だった。
 怪しい英語調アクセントと粘っこい声で繰り出す「べいびーちゃ〜ん」は中々のインパクトで耳について離れず、このままだと声だけ夢に出てきてうなされそうなので、アジカンやエルレをランダムで聞いて洗い流し中。
 それにしても1であんなに出まくっていた宮迫さんの出演シーンは対照的にかなり減っていて、これはスケジュールの都合というものだろうかとかいらんことをつい考える。
 「Happy!」の撮影はきらきらアフロでもよく出ていたので(おぉ、これが息を吹き込むのではなく吸い込んでしまい、“チュッ!”と音まで出た人工呼吸か)とか(ボコボコに殴られたメークのまま食堂に行ってみんなをびっくりさせたと言ってたのはこのシーンのことか)と色々振り返ったりもした。

鶴瓶ウォッチャーと化したため、実家からわざわざ送って貰った「ザ・テレビジョン(福岡・佐賀版)」と「TVステーション(関東版)」をチェックし、年末年始の録画番組をピックアップするという、自分でもこんな28歳嫌だと思えるバカ計画を細々と遂行中。
 30日の「朝まで生つるべ」と2日の「鶴瓶の日本一なが〜いお正月!実は丸々一年ず〜っとロケしてたんやでSP!!」さえちゃんと録画できれば満足。
 この「日本一なが〜い...」は関テレ制作とはいえ、MCが鶴瓶&ロンブー淳、ゲストにおぎやはぎやら八嶋智人さんやら、果ては鈴木宗男まで出る豪華っぷりなのに、関西地区以外でこの番組を放送するのは秋田、高知、鳥取、島根、福岡のみ。
 殆どの地域で「西遊記」が放送される中でのTNCの英断に敬意を表します。
 ありがとう、TNC!

福岡のテレビ事情は個人的に凄くハマるもので、(最近2丁拳銃気になるなー)と思った矢先にFBS・福岡放送で福岡・佐賀ローカルの「バッテキ!」が始まった。
 メイン番組だったし色々と公録もやってくれたので、場合によっては関西・関東地区よりも2丁拳銃事情は多分良かった。
 (お笑いっていいなぁ。漫才っていいなぁ)と思い始めた2001年から1年間は「しんや君」がTNCで始まり、ハリガネ、コバ、$10といったbase芸人(当時)のネタを深夜の生放送で見ることが出来た。
 意識しては見ていなかったけれども東京進出前の「きらきらアフロ」も時々は見ていた。
 
自分が面白いと思う芸人に関する運は自分が持っている運の中で一番強いと思う。
 行きたいライブのチケットがずっと売り切れで諦めていたのに、たまたま覗いたらキャンセルや追加席が出ていたので手に入れられたとか、残り1枚だったチケットをタッチの差で購入出来たとか、絶版や品切れになってたので諦めていたビデオや本が偶々入ったリサイクルショップで美品且つ安価で売られていたとか、そういうことは枚挙に暇がない。
 他のことに関する運はあまり保証できないが、笑うための運に関してはどうにかしてあげようと、自分の中にいる都合のいい神様が人肌脱いでくれているのではなかろうかと思うほど。



2006年12月25日(月)
ニューへアープリーズ!(byフット・のんちゃん)


今年最後のお笑いライブであるチハラトークを見に草月ホールへ。
 その前に眼科で診てもらったら、両目とも傷がかなりついているとのことで、ソフトコンタクトにして早くも2回目のドクターストップが掛かりがっくり。
 コンタクトレンズ、ダメなのかな...。
 注文したばっかりの1か月分どうしましょ。

今日のチハラトークはセリーグ話もJリーグ話も殆ど無く、“色んな人間”話がメイン。
 家族って何なんだろう...と思わず考え込んでしまうような試練を懸命に乗り越えてここまで来たある芸人のエピソードは、生半可な言葉で言い表すことはとても出来なかった。
 必死に耐えて生き続けることに限界を覚え、死ぬ道具持参で旅に出たその方を思い留まらせたのが、大好きだったダウンタウンの松本さんが初主演したドラマのある回だったそう。
 その人がダウンタウンのファンじゃなかったら見てなかっただろうし、見たところで死ぬことを思い留まったかは疑問が残る。
 「伝説の教師」はもちろんのこと、ダウンタウンのファンということも自分を救う結果にもなった。
 “好き”は凄い力を持つ。

チハラトトークのゲストはフットボールアワーだったが、かなりハマった。
 後藤さんの怒りツッコミはシュッと決まるし、のんちゃんのもっちゃりボケもハマる。
 題に挙げたセリフは海外で買った育毛剤を機内に持ち込もうとしたら断られたのんちゃんが空港職員に必死でアピールした際に出たもので、「“new”と“hair”と“please”を一緒に言うたんはのんちゃんが絶対最初や!」とジュニアは大爆笑。
 先輩・同期・後輩とどの絡みでもハマるフットボールアワー。
 笑い締めに相応しいコラボだった。



2006年12月24日(日)
趣味の問題


とりあえずは敗者復活、その結果次第では決勝だけ見れば良いかと思いつつ、今年もM-1グランプリにチャンネルを合わせた。
 敗者復活で上がったのがライセンス。
 東京に来たのを契機に役割転換をし、それが原因で荒れてた頃もあったあのライセンスが10年枠でやっと...と思うと妙に感慨深くなり、決勝進出メンバーが確定するまで見ることにした。

 ザ・プラン9の漫才の前半部分に何となくしっくりとしないものを感じた。
 オーソドックスな設定だから、他にもこういうネタをしている人達はいるんだろうけど。

 今回一番笑ったのが「変ホ長調」だった。
 台本丸読みが丸分かりというのは置いといて、今日聞いた中では一番聞き取りやすく落ち着いた漫才だったから。
 
 でも彼女達の漫才をボロカスに思う人も当然いるわけで、逆に私はクスリともしなかった漫才が大絶賛されたりもする。
 面白いとか面白くないとかは、個人の好みの問題なのだから永遠に解決される訳がないのに、M-1の評価をめぐって大論戦が勃発しているのを目にすると冷めた目になる。
 「笑いって趣味の問題」というジャリズム・渡辺さんの名言が今更ながら染みる。

天皇誕生日且つ鶴瓶誕生日である23日に「Happy!」が再放送されたので、今日の「『Happy!2』番宣」と一緒に見る。
 「Happy!」はあまり出てないと聞いていたが、確かに総出演時間は5分あるか無いかだったが、鶴瓶さんがやる“サンダー牛山”は見事に気持ち悪いエロおやじ役だった...。
 「『Happy!2』番宣」の出演時間も似たようなもので、専ら相武紗季さんと田口淳之介さんがメイン。
 当日の番宣(はなまるマーケットやイブニング6など)もこの2人だろうなぁ、当たり前だけど。

クリスマス前々日の奇跡。
 プレリザーブ2回、一般発売1回とことごとく撃沈したあるチケットが急遽追加発売。
 それを知ったのが発売当日午前9時59分。
 バクバクしながらチケット確保。
 笑いの神様ありがとう。
 今年の私は割と強運だった。
 行きたかったのに結局行けなかったのは11月の東西落語研鑽会ぐらいだったし。

今年も漫才やトークでいっぱい笑ったが、来年は落語を重点的に見て回りたい。
 私が噺を聞いてみたい噺家さんは上方が圧倒的に多く、しかも四捨五入すると還暦以上の方ばかりなので、(早く見ておかないと間に合わないのではないか)と縁起が悪いけれどもつい焦ってしまう。
 まだまだ大丈夫と油断していたら遂に間に合わなかったいとこい漫才の轍を踏みたくない。
 そして、落語は口伝なので、もし当代が弟子にその噺の稽古をつけないまま亡くなった場合、噺も当代に伝えた師匠の存在もそこで消えてしまう。
 噺を聞きにいくということは、弟子に語り継いだ歴代の師匠の噺を聞きにいくということにもなる。
 それが今の私にはとても魅力的に思えて、楽しくて仕方が無い。

 来年以降、あまりにお気に添えないサイトになるかもしれません、ということを先に申し上げます。
 



2006年12月16日(土)
スジナシ


祝・メッセンジャー「第35回上方お笑い大賞」大賞受賞!&上方落語協会「審査員特別賞」受賞!

友達からメールが来たが、友達の友達が渋谷でエライまたブッサイクなものを発見したという内容で、もし見つけたのが私ならあまりのブサイクぶりに脱力するなぁ、というシロモノだった。
 何でそんなものが…と思ったが需要があるからか。
 しかしまぁ、よくうまいこと見つけたなぁとある意味感心してしまった。

DVDレンタル半額セールだったので、本放送は見逃した「タイガー&ドラゴン 『三枚起請の回』」と、興味は前々からあった「スジナシ」の男優編を借りたが、両方とも面白かった。
 落語の「三枚起請」自体が好きな噺ということもあるけれど、全く以って落語に興味を持たなかった連ドラ放送時と比べ、今はおぼろげながらも落語の世界に興味を持っているのでちょっとした設定にも遊び心やリアリティを感じることが出来たことも一因だろう。
 六人の会から2人出てるし、出囃子も実際に使ってるやつだしなぁ。
 また再放送無いだろうか。
 主要キャストが新ドラに出れば再放送される確率が高く、丁度鳴り物入りの「華麗なる一族」に西田さんも鶴瓶さんも出るけれども、さすがにこの絡みでの再放送は無いだろうなぁ。

「スジナシ」は大杉漣さんの回に興味があったので「男優編」だけとりあえず借りたけれど、「座長編」も「女優編」も借りてくれば良かった、と少々後悔。
 父から丁度電話があったので「スジナシ」を借りたことを話すと「あ〜、そいなら見たことあるよ」と意外な返事。
 何と、福岡でも不定期でやっていたらしい。
 言われてみればそんなこともあったような気はするがはっきりとしたことは覚えていない。
 父が「ヒデヨシ」と間違えていることを何故か少々期待したが、「あれやろ?即興で芝居ばしていって、終わった後鶴瓶さんとゲストが見直して〜」とか言っていたから、間違いなくそれは「スジナシ」だ。
 あ〜、うらやましい。
 「スジナシ」に関する記憶だけ父から私に移行出来るものならお願いしたいぐらいだ。

 それにしても素から芝居へとスイッチが切り替わった時の役者さんには、本当にゾクゾクする。
 本業を持ってる方は強い。

これを打ちながらフト思い出したが、私が2丁拳銃にハマったのは鶴瓶さんやWコウジが司会をしていた「いろもん2」を見たことがキッカケで、トドメはこの時2丁拳銃がネタをやったことだった。
 私が見ていた限り、当時の「いろもん2」はトークが主でゲストがネタをやっていたことは殆ど無かったし、ネタをやってもそれは大御所・師匠クラスだったと思う。
 だから、先輩がMCの番組でネタをやらせて貰えることはそれだけ2丁拳銃は買ってもらえてるんだなあと思ったし、2丁拳銃の漫才は私がテレビで初めて意識して見た「現役で漫才を舞台でやっている漫才師の漫才」だった。

 それまでTVで見たことがある漫才は「嘗て舞台で漫才をやっていた人の漫才」か「舞台で漫才をやったことがない人の漫才」で、昔はウケていたギャグを連発されても特に面白いと思えないし、テンポや滑舌が悪くて聞きにくかったりただの会話としか思えなかったり詰まるとすぐにシモやどつきに走ったりで、「漫才」と「会話」の境界すらあやふやなものもある。
 だから当時は(漫才って古臭い。ちっともおもんない)と思っていた。
 でも2丁拳銃の漫才は耳にすんなり入って来たし、オーソドックスな設定で放たれる何気ないフレーズに自然と笑ったりして、(漫才って本当は生き生きしたものなんだ)と思った。
 あの番組で本業をしている2丁拳銃を見れて良かった。

明日、舞台で見る本業はどんなものだろうか。
 



2006年12月15日(金)
クレージー37歳


世界のナベアツを見に仕事終わりでシアターモリエール。
 久しぶりに自分の本来のフィールドにいるような。
 何せ、予定が入っている来年のお笑いも1月の拳(GU)以外は全て落語という状態。
 結局あちこちで絶賛されている百式2006のフライヤーも手に入れることはおろか現物を見てもいないまま日曜日を迎えてしまう。
 どうにも最近の私はぐだぐだというかダメだ。

 話を戻して世界のナベアツ。
 これがFandango!やDVD化されることがあれば、その英断を下した人はよほどの大物だと言い切れるほど、狂った世界満載だった。
 このライブをしている人が「笑っていいとも!」なんていう日本の平和なお昼の象徴的番組の構成をしていたというのはとてつもない冗談のような気もする。

 何せ、衝立越しとはいえ舞台上に37歳男性が素っ裸で立ってるコーナーがあるイベント。
 明らかに高貴な方をモデルとしており、時代によってはその筋の人を敵に回しかねない不敬罪感満載のコントもあった。しかも再演。
 「魔王」の大熱唱やカッコイイ男10段実技披露は見事なまでにステーンと滑っていた。
 ブラインドタッチで「世界で一つだけの花」の歌詞を入力させたら一行目から真逆の意味の歌詞になるというミラクルにはお腹が痛くなるほど笑い転げさせて貰った。

 私はジャリズムの第一期時代には間に合わず、そんなに熱心なファンという訳でも無いので、よく分からないところもあった。
 でも、解散後ずっと渡辺さんは作家でいくだろうと思っていたから、あの渡辺鐘(解散当時の表記)の舞台を見て色々感想をいえるというこの状況は凄い贅沢だと思う。
 渡辺さんがどんなコントを作るかということを知っている人以外は中々誘いにくいものではあるけれど。

写真週刊誌の熱愛スクープの見出しを見て何気なく手に取ったらハチミツさんの記事だった。
 ご本人もライブで交際宣言なさったみたいなので書くけれど、ハチミツさんの名前を見つけた時、何故か(でかした!)という思いが浮かんだ。
 何様だと思うけれど、事件の当事者とかいうものでこういう雑誌に載ったら暗くなるが、恋愛はめでたい。

M-1グランプリ2005の再放送があるそうな。
 毎年やってたっけ?
 あまり再放送にそぐわない番組だと思うけれど。
 ちなみに「M-1グランプリ」と聞くとGO!GO!7188の「恋の毒薬」が連想で浮かんで来る。
 
 >とても楽しみで背中ゾクゾクするのよ
 >あなたの言葉に笑い止まない

 は漫才を見ている時のこちらの気持ちそのもの。
 
 >神様は大キライいつも裏切るから
 >でも今日だけは見えない何かにすがってる

 は決勝進出メンバー発表や決勝の審査結果を待っている時の気持ちにぴったりだった。

 >次の日目が覚めたらきっとあなたは
 >私のことが忘れられなくなる
 >そんな冷たくしていられるのも
 >あと数時間足らずなのに

 の部分は、ダークホース的存在だったのに一夜明けたらブレイク…という状況に似てなくもない、なんて聞く度に思う。
 
 GO!GO!7188には申し訳ないけれども、こういう勝手な思い込み含めて私はこの曲が好き。
 
 



2006年12月13日(水)
ラミーチョコ解禁日


大好物だったラミーチョコを食べることが出来ぬまま6年前の冬に死去した母を思い、それ以来母の命日までラミーチョコは食べないようにしている。

母を思いながら、今年初めてのラミーチョコを食べた。
 お酒が強いこのチョコの美味しさを私も分かるようになった時、母は喜び、2人でよくラミーチョコを分け合いながら食べていた。

 亡くなって6年も経てば、だんだんそれが感情を伴わない事実として受け入れられるようになってきたように思えたけれど、お風呂上りなどにコタツに入りながら、冷蔵庫から持って来たラミーチョコを分け合って食べたなど日常の些細なことを思い出せば、いまだに自然と涙がはらはらと零れてくる。
 戻りたくても戻れない、誰にも汚されたくない宝物だ。

銀座らくごアーベントで鶴瓶さんが、母親の十三回忌の法要の際、読経中にろうそくが切れてしまったのでお兄さんが代わりのろうそくを探しに部屋を出たと思ったらバースデーケーキに立てるようならせん状のカラフルなろうそくを持って戻ってきた、という話をしていた。
 ここまではきらきらアフロでも聞いたことがあったが、この話には続きがあり、住職さんにこんな陽気なろうそくですいませんと謝ったら、住職さんは「いえいえ、今日はお母様が仏様の子供になった誕生日でもあるんですから、このろうそくで良いんです」とおっしゃったそう。
 (そんな誕生日、来ていらんわ!)とも思う一方で、鶴瓶さんの言葉通り「モノはいいようですな」ということも思う。
 何にせよ、12月13日はいのちや生について色々と考える。

ザ・テレビジョンとTVぴあが年末年始特大号だったので、いそいそと立ち読みチェック。
 今年も「朝まで生つるべ」が放送されることを確認し、テンション急上昇。
 何としてでもこの録画だけは失敗しませんように。
 「東京電力・原因不明の長時間停電」、なんてブサイクな事態になりませんように。

 それにしても年末年始、やたらと長時間の生放送に駆り出されている鶴瓶さん。
 55歳でもこんなに出ずっぱりなんだから、上がつかえにつかえてる状況が分かるような。
 チェックが間に合わないのでタレントインデックスで調べようと思ったら鶴瓶さんの項目は無く、(おのれ角川書店&ぴあめ!)とか思ったが、ラ・テ欄に名前が無かったらその番組には出ない、という位置の人だからか、とも思い直す。
 今まで、(名前は載ってないけれど、この番組何か出そうな気がする)と、第六感を働かせながらラ・テ欄を見ていただけに、何だか新鮮。
 ちなみに2丁拳銃は年明けのTBSのお昼の番組に名前があったが、番組名というか番組コンセプトはテヘヘというか苦笑いが浮かぶ感じだったのが若干気になる。
 ネタ形式の番組でありますように。

 そういえば意外と、といったら失礼だが年末年始のラ・テ欄にやたらと千原ジュニアの名前があった。
 千原兄弟、ジュニアだけ先行ブレイク?



2006年12月11日(月)
結果


M-1グランプリの決勝進出者発表は準決勝後すぐ行われるということをすっかり忘れていて、ヤフトピに載ってたのを見るまで今日が発表日ということを知らなかった。
 東京ダイナマイトの名前は無かった。
 ザ・プラン9の名前があってびっくりした。
 OLコンビ以外は全部吉本でちょっと物足りないというか正直言って何だかな〜という感じ。

 2丁拳銃やハリガネロックのようにがっつり入れ込んで見てしまう人はM-1出場権保持者に今のところいないので、歓喜や失望ということも覚えず、それほどの興味も無く。
 思えば11、12期が私の青春だった。

「家族に乾杯」も今年の放送が終わってしまい、しょぼん。
 来週、再来週の楽しみが一つ減る。
 職場の忘年会を再来週に開くというお知らせが回ってきたが、ハウル(ハゲでウルサイ)のおっさんとセキ(セクハラキモイ)のおっさんが○で良い出欠の印を揃いも揃って◎をつけていることに萎え、色濃く×を記入。
 リアルでセクハラオヤジに囲まれるなら、ヴァーチャルのセクハラオヤジ・サンダー牛山を暖かい部屋でワクワク見ていたい。
 ちなみにサンダー牛山は「Happy!」の鶴瓶さんの役名。
 セクハラ整体師の役らしい。

2丁拳銃の新アルバム。
 慎太郎さんとやる曲名、もしPVを作ることがあるならその際は東京ダイナマイトの出演を希望。



2006年12月09日(土)
直前


友達の家で食事会のお誘いを受けたため、花形演芸会の前半のみに行ってきた。
 目当ての東京ダイナマイトの出番が前半だったので。
 赤と白の着流し姿で現れた彼らはビール、二郎父の手紙、シリビア等のネタを披露。
 割と長くやっていたように思う。
 M-1グランプリ準決勝と掛け持ちだったからこの出番が終わった後すぐルミネに行くんだろうなぁと思いつつ、年配のお客さんを湧かせたこの勢いがM-1の審査員にも伝わればなぁ…とも思った。

 今の私は落語も楽しみに演芸会を見ているが、ある噺の時、前半部分になぞめいた行動をする登場人物が出て来てその行動がいかにも噺のカギを握ってそうな感じで、きっとサゲでこの人物の謎が明かされるんだろうなぁと楽しみだったのに、この登場人物は単なる脇役に過ぎず。
 私が脇役だと思い込んでいた登場人物が主役で、サゲを言って落語家さんがハケられた時、(アイツ、全然関係無かったのか!?)と唖然とした。
 中々難しい。

20cm髪を切ったら、アンガールズ・山根状態に。
 どこで間違ったかなぁ。



2006年12月08日(金)
不定期・2006年を振り返る


今年は「上半期の東京ダイナマイト/下半期の笑福亭鶴瓶」
 に尽きる。

 まずは「東京ダイナマイト」。
 2004年のM-1は見てなかったし、ビジュアルがどうも私が好きな系統の芸人のようには思えなかったこともあり、どちらかというと食わず嫌いだった。
 唯一持っていた情報といえば、小堀さんがハチミツ二郎さんを好きらしい、ぐらいだった。

 毎年新しい人にハマっているが、これまでは他の人のブログや雑誌記事等から(この人達、私が好きそうな系統のネタやってるんだなぁ)とある程度の事前情報を得ていて、実際見てみたらやっぱり好きな系統だった、という入り方だったけれど、東京ダイナマイトは芸風に関する事前情報を全く持たないで見てハマった、という珍しいパターンだった。

 だから、4月28日のチハラトークに東京ダイナマイトがゲストで出た時も至って普通のテンションで最初は舞台を見ていたが、終演近くには身を乗り出してトークを聞き、帰り際は(ますおかに惹かれて取ったとはいえ、明日のお台場でやるますおかと東京ダイナマイトのイベントチケット取っておいて良かった〜!ありがとう、あの時のミーハーな私!)と、自分で自分に礼をのたまうほど心を奪われながら家路に着くほどだった。
 松田さんの突き抜けているボケと、ハチミツさんの冷めているけれども拗ねてもヒネてもいないツッコミがかなりツボにはまり、(あぁ〜、好きな芸人がまた一組増えた〜)と、ネタを知る度に嬉しくなった。
 8月の「東京ダイナマイト祭り」は2丁拳銃はゲスト出演したが、先輩である2丁拳銃が後輩の東京ダイナマイトについて「ファンです」「大ファンです」なんてコメントしていたのをCS放送で見た時、後輩にそういうことを言える先輩、先輩にそういうことを言わせる後輩、の両方とも好きで良かった、なんて思った。

鶴瓶さんにハマることがあるとは自分でも思っていなかったけれど、笑福亭鶴瓶落語会をきっかけに、(私には一生分からない)と思っていた落語の面白さや魅力が徐々にだが分かるようになり、それがなんともいえず嬉しい。
 落語、それも上方古典落語に対する興味はますます募るばかりで、文献、CD、DVD、ビデオ、レコード、カセット…と関係するものはなんでも見つけたい。
 一つでも多く、噺を聞きたい。



2006年12月07日(木)
子供は何でも知っている


育休中の先輩が3ヶ月の息子さん(コウちゃん)を連れて会社に遊びに来たので女性一同赤ちゃんの取り合い。
 3ヶ月微笑の真っ最中ということを差し引いても本当に良く出来たお子で、誰に抱かれてもにこにことご機嫌で、時には「あー、うー、うぶー」なんてお喋り遊ばすほど。

ところがどっこい。
 <こんなにも“高慢ちき”という言葉が似合う人はいない>
 と本人を除く女性社員の間で見解が一致しているA女史が(どうやったらそんな声が出んねーん!)とツッコミたくなるほど猫なで声で

 「や〜ん、赤ちゃん、可愛い〜。抱っこさせて〜。私、赤ちゃん好きなの〜」
 
 といいながら抱き上げた途端、コウちゃん大号泣。
 おろおろと揺らしたり声を掛けたりしてみるA女史だが、されればされるほどコウちゃんは泣き喚く。
 「そろそろお腹が空いて機嫌が悪くなる頃なんです。お騒がせしてすいません」と、先輩がA女史に説明する横で私は
 
 (赤ちゃんって邪悪なものに敏感なんだな〜)
 と1人感心していた。
 コウちゃん、グッジョブ!

幸いにも泣かれることが無かった私は色々コウちゃんに話し掛けたりしていたが、終業間近になってフト気になりクサノさんに
 「私、コウちゃんをあやしてた時、方言になってませんでした?」
 と質問したら
 「なってた、なってた!せりちゃん普段方言出ないから、(あぁ、ご家族やお友達の前ではこんな風に喋ってるんだろうなぁ)と微笑ましく思いながら見てたのよ」
 とのこと。
 無意識の時はやっぱり方言が出てくるもの。
 ちなみにその時私が言っていたのは

 「ん〜、コウちゃん、どうしたと〜。何(なん)がそげん面白かとね〜。そうね〜、楽しかと〜。人のいっぱいおるもんね〜。楽しかね〜」
 だった、と思う。

東京にいる時は標準語、地元や地元の友達と会う時は地元の言葉、と使い分けているが、高校を出て関東の会社に就職した頃の年子の従弟は、里帰りをしても絶対に標準語で通していた。
 当時は(なん、こいはカッコつけよっとやろか)なんて思ったりしていたが、今は分かる。
 18歳の子が大都会で1人一生懸命働いてた。
 都会に慣れるためにいつも気を張っていた。
 方言を出したらもう二度と関東に戻りたくなくなると思ってたのかもしれない。
 標準語は彼が都会で生きるための意地みたいなものだったのだろう。

 結局3年働いた後Uターン就職で地元に戻って来たが、我が子同然に可愛がっていた甥が戻って来るのを楽しみにしていた私の母は彼が戻る4ヶ月前に亡くなった。
 葬儀に出れず年末に焼香を上げに来た従弟は「どうしても出たかったとやけどね…」と寂しそうに呟いた。
 もう語尾やアクセントは長崎弁だった。

郷土の星・さだまさしの「案山子」を聞くといつもあの頃の従弟が浮かぶ。
 父はあの頃の従弟と今の私を思い浮かべて泣くらしい。
 それを聞いて私も泣く。

 >元気でいるか 
 >街には慣れたか
 >友達できたか
 >寂しかないか 
 >お金はあるか
 >今度 いつ帰る



2006年12月05日(火)
走りたくなーい


もう5日なのにやっと
 (やっべ、もう12月じゃーん!結局今年も何も変わらない1年だった…)
 と愕然。
 何かついこの間まで半袖着て暑かった気がするのに、もうコタツ出してホットカーペット出している。
 コタツとホットカーペットは就職して初めての年に自分で買った初めての生活用品なので、何となく愛しさを覚えながら冬支度をする。

 働き出した頃は“仕事”や“自分のスタンス”や“展望”がまるっきり見えなくて、どう進めばいいのか分からなくて、いつも心の中は半泣きだった気がする。
 今だって自信は無いけれども、“分からなくて呆然”という状態に陥ることは少なくとも無い。
 過去には戻りたくないけれど、特に就職した初めの一年にだけは夢の中でも戻りたくない。
 それぐらいに苦しかった。

シュウちゃんのブログの更新が滞ることは、(イヤミでもなんでもなく)特に珍しいとは思わないけれど、小堀ブログの更新が今までの頻度から考えると“滞っている”部類に入ってたので、(私が見たり聞いたりしていないところで評判が悪くなって、活動自粛中なのかしらん)とか余計なことを思ってたら、本日2人とも更新。
 2丁拳銃が佐賀で何の仕事だったんだろうかと、「佐賀 2丁拳銃」でググったらNHKの番組表のキャッシュが引っ掛かり、それを見たら2丁拳銃&チョップリン&ザ・プラン9、という見逃したら死ぬほど後悔する取り合わせだった「上方演芸ホール フレッシュライブ-GO!GO!−」のO.Aが先週月曜だったことに今更気づき、死ぬほどとはいかないまでも、若干はがっかりした。
 月曜日は「家族に乾杯」&「きらきらアフロ」のことしか考えない日だから、そりゃ見逃すか。
 せめて「笑いが一番」だけは見逃さないようにしなければ。
 というか、チョップリン、なかなか東京に来ないなぁ。
 東京で単独を2回もやった去年が特別だったのかな。

大阪百式を見に行った人から、まだ東京が残っているから詳しい感想は言えないけれど今回も面白かったですよとか、行って良かったと思いましたよ、と言える範囲で精一杯ぼやかした感想を教えて貰い、何かほっこりする。
 昔、お笑いを見た感想は“面白い”であって“楽しい”であってはいけない、なんてことを誰か芸人さんが言っていて、その時は納得したけれど、別に“楽しい”であっても良いと最近は思う。
 面白いものを見せられたら同時にわくわくしてきて、その状態が楽しかった、ということもあるし。
 感じ方は人それぞれ。

 百式も今年で5回目(除:2002年の年末ルミネ「百式改」)。
 今回こそ、アンケートの「小堀に一言」欄にまともな感想を書きたい。
 4回連続、自分でも(何でそれをわざわざ伝えようとしたかなぁ…)と思うぐらい、どうでもいいような感想を終演後のハイテンションと早く劇場を出ねば、という焦りのコラボレーションによるめちゃめちゃ汚い字で書いて出しているので。
 軽い嫌がらせに思われても仕方がないぐらい。
 速記とペン習字を習おうかしら。
 後10日ぐらいしか無いけども。

東京ダイナマイトが出るから今月の「花形演芸会」のチケットを取ったけれども、この日はM-1準決勝日。
 本当に決戦直前の東京ダイナマイトを見るんだなぁ…。
 2丁拳銃やハリガネロックの時とはまた違う肩入れ具合だけど、願わくば24日、全国ネットで見たいなぁ。
 ジャリズムも。
 敗者復活でも上がれなかったのでそのまま出演予定だった「べしゃり部」に渡辺さんは来たけれど、あんなに落ち込んだ渡辺さんの姿はやっぱり今でも忘れられない。
 カギは山下さんかぁ…。はぁ…(長く深いため息)。



2006年12月04日(月)
電車ある?JR!



すっごいくだらないフレーズなんだけども、「baseよしもと2000大図鑑」VHSをDVDに落としていたら、COWCOWの漫才にこのセリフがあり、久しぶりに聞くと妙にツボに入り、頭の中から消えてくれない(笑)。
 これに限らず、COWCOWの漫才に出て来るセリフって、下らないけれどもツボ、というものが多い。
 「お待たせ〜」「お待たされ〜」とか。
 ちなみに6年前のbase芸人が所有するケータイは殆どがストレート型でした。
 当然モノクロ。

陣さんは結局無事ゴールイン出来るのかな。
 陣さんの噂が確定なら、現在芸人として活動している元11期で本当に未婚の男性は松コバだけになるのか。
 それぞれ落ち着いて行くんだなー、としみじみ。

ある芸人さんのブログを見て、「曲者」が何故2月に行われるのかの理由が何となく分かった。
 そういうことだよなぁ、多分。
 周知の事実ならスイマセン。

5枚で1000円セールだったので、米朝一門(米朝さん4枚/枝雀さん1枚)のCDを5枚レンタル。
 本当はDVDを見たいのだけど。
 「鴻池の犬」、「らくだ」、「地獄八景亡者戯」と聞き応えあるものばかり。



2006年12月02日(土)
はじまり


大阪百式公演日。
 噂によればフライヤーもカッコイイものが出来てるらしい。
 上方落語にのめりこんでいる場合ではなかった。

 だけど今日も上方落語の本を求め、神保町の古書店街を13時〜16時まで色々回った結果、約20年前の「落語界」という雑誌を1冊買い、今月号が落語特集なので1年ぶりぐらいに「マンスリーよしもと」を書泉で買うなど、やっぱり落語中心の日だった。
 夏までの私なら、絶対に買わないし読もうともしないものだっただろうに、のめり込むとは恐ろしいもので、古典落語と仁鶴さんの章なんて舐めるように読むほどだった。
 
落語を面白いと思うようになって改めて思うことは

 「落語よりも先に漫才の面白さに気づけて良かった」

 ということだ。

 寄席では、落語家は黒、漫才師やコントは赤の文字で出番表に書かれている。
 落語家以外=色付きの文字から“色物”という言葉が出来た。
 漫才より先に落語の面白さに気づいていたら、まさか、とは思うけれども、テレビや舞台で漫才を見ても(でも色物だし)と、嫌な先入観を持って見ていたかもしれない。
 
 面白い漫才を知っているから、安心して落語にのめりこんでいっているような気もする。
 今まで落語に触れる機会は皆無に近かった分、とにかく知りたいこと、見たいものが今はありすぎて、それらの一つ一つが片付いていく様子を想像するだけでわくわくする。
 
昨日、何の気なしに深夜テレビ東京を点けたら「千原兄弟のリーダーを決める」という企画が放送されていた。
 “セリーグ”、“Jリーグ”という千原語が堂々と使われていて、当然両リーグの代表選手(Jリーグにヌカ部副部長がいたかどうかは分からなかったが)も出演していたが、なかなか濃くて良い人選だった。
 コバ、ヤマモ、バッファローのお2人、タケト、etc...。
 せいじBar配信もルミネもご無沙汰な私にとって、一番の驚きはブラザース・谷やんのビジュアルの変化だった。
 思わず「えっ、谷やん!?」とテレビに問い掛けてしまったほど。
 谷やん、黒髪の短髪が似合うと思う。



 Written and  arranged by  seri   || スキン by エンピツスキンニュース++