つらつらきまま


2006年08月30日(水)
せいじさんを感服させた男とは


学生さーん、今日を入れて夏休みも後2日で終わりですねー。

バリバリ仕事してまっす、的ムードをぷんぷん撒き散らしつつ、定時と同時に脱兎のごとく退社。
 今月こそ仕事でチハラトークを犠牲にしてたまるか。
 
 開場まで時間があったので福家書店に行ったら「リンダリンダラバーソール」が文庫化されていたのでいそいそと購入。
 昔小堀さんが会報で薦めてたなぁ。
 元はもみのさんが小堀さんに薦めたらしいけど。
 確かにコマコが健気で可愛らしい。

私にとって2ヶ月ぶりのチハラトーク。
 せいじさんが淡路島でたまねぎをダンボール1箱貰ったとか、ヌカ部副部長の相変わらずの暴走振りとか、32歳で14歳をもう一度やり直すジュニア氏とか、いつもと変わらぬキレっぷりだった。
 入り口にテレビカメラがいたけど、Fandango!では無いらしい。
 「情熱大陸らしいよ」とかいう会話が聞こえたけど本当だろうか。

ゲストは麒麟。
 もう7年目らしい。
 2丁拳銃が東京に出てきた時がそのぐらいの芸歴だったから、(うわぁ〜、麒麟ももうそんなキャリアなんだ)と、親戚のオバチャンのような感想を持ってしまった。
 いつまでもM-1初年度の「エリートvs雑草(ひどい対決名…)」イメージが抜けない。
 笑い飯もまた然り。

 今までそんなに麒麟に注目してなかったけど、いやぁ〜、面白い面白い。
 田村さんがあんなぶっ飛んだ思考の持ち主とは思わなかった。
 芸に行き詰まりを覚え悩んでた時、自分がひねり出したンコの形に励まされてまたやり直す気になった、というエピソードを笑顔で話したときは、さすがのせいじさんも脱帽。
 今度一緒にご飯でも…とジュニアが誘う横で、自分も一緒に飯食いたい、特に田村とはじっくり話してみたい、ンコに励まされた奴なんて初めてや、と珍しく乗り気だった程。
 「いうたらナンですが、便器(=せいじ)とンコ(田村)でしょ」と、澄ました顔でたいしたこと言う川島さんも良かった。

 今まで「麒麟です」のツカミぐらいしか知らなかったもんなぁ。
 このツカミも本人がやるより東京ダイナマイトの松田さんがやってる方がよく見てるし。

 自分が知らなかった面白さをまた一つ知ることが出来るから、なんだかんだいって劇場通いは止められない。
 今のところ割と長く続いている趣味だ。



2006年08月25日(金)
最高に面白い夏をありがとう


お台場ライブの時間は真っ当な会社員としてお仕事に励んでいたが、退社30分前からデスク周りを徐々に片付け、面倒な仕事を発注してきそうな人とは不自然なまでに視線を合わさぬようにし、退社時刻を告げるチャイムとほぼ同時に実はそない失礼な行為とは思っちゃいないけれども大人の社交辞令として、「お先に失礼します」と告げながら一路、身も心も日比谷野音。
 
 今日の東京は朝は雨がぱらつき、局地的に大雨のところもあった。
 何せ今朝のめざましは雨音だったほど。
 ポツ、ポツ、ポツポツポツポツバラバラバラバラババアドバアという音が聞こえた時、寝ぼけた頭に浮かんだことは
 (うう、やっぱり雨男雨男りんご飴...)
 だった。
 昨日まで東京はまぁまぁ晴れで、週間天気予報も曇りだった筈なのに、野音とめざましライブが入ってる日が雨かいっ!と。
 この“雨男、雨男、りんご飴”というのは「雨宿り」というコントに出てくる一セリフに過ぎないのだけど、割とお気に入りなのでちょくちょく使ってしまう。

 そして私は雨に濡れることが、靴に砂や小石が入り込むことと同じぐらい嫌いなので、百均で買ったレインコート上下&替え靴下&タオル&替えショートパンツも携帯して出社。
 今日の私の会社カバンの中身の実に8割ぐらいは会社や業務に何の関わりも無いものだった。

丁度野音に着いた時が私の整理番号の呼び込みだったのでさっさと中に入り席を取るとブログの告知を見た時から目をつけていたロンTを購入。
 「今のせりちゃんの東京ダイナマイトに対するハマリようは、2丁拳銃にハマっていった頃と全く同じ」
 と、私のお笑い友・カスミちゃんが指摘していたが、何の迷いもなくツアーグッズのTシャツを買ってしまったことは確かに全く同じ。
 このロンT、腕章の裏に「当たり」と書いてあるので何のことかと思ったら、「当たり前→当たり(と書いてある方が)前」ということかということに気づき、にやり。

自分のパソコンが修理から戻って来たらライブレポートを作るつもりであることと、ソフト化されそうなので詳細は省略。
 2丁拳銃はゲスト陣の中ではトリから2番目に登場し、ツカミ&コーラス漫才&ヒーロー漫才とライフセーバー漫才を披露。
 お台場で3時間ぐらい唄って来た(多分)後とは言われなかったら分からないだろうなぁと思うほど、声嗄れも疲れた感じも無かった。
 小堀さんは段々ライブハイと漫才ハイになっていき、修士さんの乳を触っては怒られていた。
 ルミネの通常枠だったらヒーロー漫才で終わりそうなので、メイン漫才2本というのが、いかにも漫才の夏フェスという感じで嬉しかった。
 ブログに
 >最高な感じです 
 と書いてらっしゃったが、見ているこちらもそう思った。
 贔屓目が入るけれど、2丁拳銃が漫才をしている時、よく笑いが起きてた気がして、漫才を楽しみながらそれを聞くことも凄く心地良かった。

本編の東京ダイナマイト漫才は、カバーあり、定番あり、仕掛けありで、本当によく笑った。
 4月のチハラトークに行かなかったら、この日この時間に野音に自分がいることはまず無かったと思う。
 こんなに面白くて素敵な時間と場所を作る芸人がいることを知らないまま過ごしていた。
 そしてこんな素敵なイベントに出演している芸人が、自分が好きな芸人であることが凄く嬉しかった。

 懸念の雨は持ちこたえ、虫の声と涼しい風に囲まれる大変気持ちが良い状態で約2時間の祭りを堪能することが出来た。
 笑いの神様粋な計らいをありがとうございます、と謙虚な気持ちで感謝を捧げる。
 夏の終わりに見たライブ2本は、どちらもお笑いが好きで良かったと思うものだった。



2006年08月23日(水)
代打・IBM


何が原因かさっぱり分からないまま、3代目PCも不具合が生じ、今日の夕方修理センターに引き取られた。
 自分が働いたお金で買った初めてのパソコン(IBM Think Pad T40)は1年7ヶ月で2回も壊れ、2代目パソコン(東芝dynabook TX550LS)は購入後5ヶ月で盗っ人にさらわれ、3代目パソコン(東芝dynabook TX650LS)は8ヶ月で早くもHDDに原因不明の不具合が生じ、初期化をしても復活せず。
 うちはコンセントから謎の電磁波が発生しているのでは無かろうか。
 そうとしか思えん。
 
 初代が修理に出して10ヶ月でまたも壊れた時は早急にしあげばならない仕事があったことと真夏の暑さとあいまってカリカリし、勢いで新PCを買いに行ったが、さすがに今回はそうもいかず、さりとて仕事で使わなければならない状況は同じなので、実家に送った初代(修理済み)をまた送り直してもらった。
 急いで送るから、と言ってくれただけあり迅速に届いたののはありがたいが、本当に急いで送ったらしく、明らかに桃色な空気が漂う名前のフォルダが1個デスクトップにうっふ〜んとあり、どうしたもんかと腕組み。
 気づかなかったふりをしつつそっとマイドキュメントに移動させる。
 臭いものには蓋をして無かったことにする性分。

パソコンと別便でビデオや九州でしか売ってないラーメン等が入った宅急便も届いたのでHDDにダビング中。
 実家で最初まで巻き戻して再生したのに見つからなかった筈の2丁拳銃が出たヘキサゴン!2回分がちゃんと入ってたので思わずきょとん。
 東京はパソコンが壊れ、福岡ではビデオが再生されない。
 電磁波を発生させてんのはもしかしたら私か?
 それはそうとこの「ヘキサゴン!」での2丁拳銃は近年稀に見るほどの突き抜けたアホ回答を連発しており、「でらべっぴん」と答えた時はこの回を録画して本当に良かったと心の底から思ったものだった。
 何せ最後の3組目まで残ったのに正解率が25%。
 なかなか出来るものではあるまい。

2003年の「新春!お笑いカーニバル2003」も3年後の8月末に見るとまたリアルタイムとは違った面白みがある。
 何故このビデオを今まで消さなかったのかと思ったが、出演者が自分好みであることはもちろんだが何より夢路いとし・喜味こいし師匠が出演なさってたからだろうなぁと思う。
 まさか翌年にはいとし師匠がこの世からいなくなるなんて思いもしなかった。



2006年08月22日(火)
ダイナマイト関西の感想

夏休みを9連休も取った後であるため、若干心苦しく思いつつも、それはそれこれはこれ、有休取得は労働者に与えられた正当な権利である、ということで半休を申請し、「ダイナマイト関西オープントーナメント2006」を見に後楽園ホールへ。
 プロレスもやれば笑点もD関も行われる太っ腹な会場。
 私は初めて足を運んだが、エレベーターで一緒になった方は“てんそ”を見によく来てたねえ、と感慨深げに連れと語り合っていた。
 芸歴の分だけファン歴もある。

席は真ん中ブロックのやや左寄りと、中々見えやすい席だった。
 近くにどうやら次課長・井上の熱烈なファンらしい方がおり、美貌が登場するやいなや、大音量の登場曲にまぎれ、周囲そっちのけで「ぎゃ〜、井上さ〜ん!!」と雄叫びと手振りのフルコース、という“おととい来やがれ”的ムード満載な自己アピールをし出したのでかなり不安がよぎったが、D関西の空気を乱すようなことはなかったので一安心。

 マナーモード設定済みとはいえ、着〈受〉信が来たらゴソゴソ探して履歴をチェックし、電源をオフにせずにまた鞄に戻す方がちらほらといたことや、試合の合間の暗転が来るやいなや民族大移動ばりに一斉にトイレに走り、パラパラと戻って来るので、その度にドアの開閉音が聞こえたのがちょいと残念。
 生理現象だから、我慢しろとは言わないけれど“ツッカケ”を鳴らさずに歩くぐらいの心遣いは欲しいわさ。

試合は12月ぐらいにDVDになるので詳細は避けるが、ダイアン・西澤氏の「コロッケ〜」は、日本の夜明けを思わせる清々しいものだった。
 登場曲がACIDMANの「ある証明」だったのも素敵。
 コバやシラの実況中継は木村館長との掛け合いがハマッて面白かった。 
 「15弱」の“レッド・ツェッペリン”といい、近頃の私はどうやらシモが好き。

“ゴチャゴチャ言わんと誰が一番おもろいのか決めたらエエねん”を目的に、530人の頂点を決める最終大会は、約3時間半に渡って行われ、笑い飯・西田さんが竹若さんを下した。
 エンドロールに今回の挑戦者名が流れたが、ベテラン、若手、プロ、ノンプロ入り混じっていて、“大喜利の前に人は平等である”がリアルに伝わった。
 素敵なイベントをありがとうございました。





2006年08月14日(月)
斉藤教授は?


ビデオ整理2日目。
 録画したことはおろか放送されたことすら完全に忘れていた「38回上方漫才大賞」の録画分を発掘。
 チョップリンが優秀新人賞を取り、奨励賞をアメリカザリガニが取った記念すべき回。
 後、しんや君にハリガネが出た回の録画を2回分(4月と6月)。
 どりあんずやバッドボーイズも出ていた。
 2003年元旦放送のヒットパレードは、CMをカットせずDVDに落とそう。
 一本ぐらい東京ダイナマイトが出てるものがあっても良さそうなのに今のところ見つかる気配は無し。
 
斉藤教授がニュース枠から「めんたいワイド」に出るようになってることを知らなかったので、再び時の流れを実感。
 この人、よく料理の山際先生とバトってた気がする。
 栗ちゃんは相変わらずお元気に中継レポーターをしていたが、華丸大吉のネタを見て以来、この人が流暢な博多弁を話す度に(でも本当は山口の人なんだよなー)とか思う。
 

 



2006年08月13日(日)
浜ちゃんから竜馬!


11時発のスカイマークで福岡空港に12時50分頃着。
 隣にバカップルが座っていたが男の方が筋金入りのアホで、空港に到着した時の第一声が
 「やっぱり福岡に着くんだね〜」
 だった。
 どこに着くと思ってたんだ。

東京から前使っていたビデオ+DVDプレーヤーを送ってたので、実家の私の部屋にテレビ+ビデオデッキが揃った。
 丁度父が今日は宿直勤務で家にいないので、前々からやりたかった“ラベルを貼ってないビデオの整理”に取り掛かる。
 “撮った時は必要だったけど、今となってはそんなでもない”、というものもあるし、“おぉ〜、まさかここに隠れていたとは!”とか“え〜っ、こんなの録ってたんだ〜”と思わぬお宝(?)映像も。
 今のところの個人的お宝はJTでやってた「出会いのストーリー」と、録ったことをすーっかり忘れていた「笑いがいちばん(2丁拳銃&ゼンジー北京出演回)」&「爆笑オンエアバトル蔵出しSP(司会:ハリガネロック)」。
 「出会い〜」はどこに録画したのか分からなくなってたので、頭だし再生して見つかったときは思わず「あーっ、あったー」と声に出してしまった。

毎年帰省の時は大概特番に引っ掛かってるので見れなかった「ナイトシャッフル」を久しぶりに見たら、浜崎アナから福岡アナに変わっていて、時の流れを実感。
 それでも今井さんと華世さんは続行なのね。



2006年08月11日(金)
嗚呼、定時って素晴らしい


先月から何か知らんが私のくせにちょー忙しくて、タイムカードの退社時刻を見たらばりばり時間外が並んでんのに、残業代は一銭も出ねーよ、コンチクショーな日々を送っている。
 でも、明日から「夏休み+有休+土日×2回=9連休」だ、ワハハ。
 9連休を無事に過ごすために今日も色々と下仕事。
 あの資料はこの棚にあります、この回覧文書は何時に部署BOXに届きますから取りに行ってください、読み終わったらこのBOXに入れて下さい、あの文書は共有サーバーの私のフォルダにこのファイル名で入れてあります…って何だ、旅行に出かける母のようなこの細々としたお知らせメモは。

お盆前の会社は社内外にけだるさとやる気の無さが漂うのが恒例、ということで久しぶりにお外が明るい内に退社出来たのでプラン本公演を見にサンモールへ。
 今回はam/pmまでたどり着いたのにそこから迷った。
 我ながら信じられん。

 プラン本公演は明後日まであるので詳しくは書けないが、個人的な感想を言えば、話の展開というか方向性がなかなか掴めなくて困惑しきり。
 まっ、そういう時もありますわな。
 私の隣に座ってた人はばっちり自分の好みと合った作品だったらしく、エンディングに力強い拍手を送ってらっしゃったのは良いが、普通の拍手で納まる私をちらちら見て来たのには困った。
 拍手ぐらい自分のテンションでやらせてくれ。

チャットモンチーとかGO!GO!7188とか、以前にも増して女性Vo.を好んで聞くようになった。
 去年の東京曲者のシークレットゲストにGO!GO!7188が出た時、この人達を呼べる2丁拳銃と呼ばれるGO!GO!7188の両方を好きで良かった〜!とテンション上がったなぁ。

 そういえば去年も休暇中に大阪に「曲者」見に行ったが、今回の休暇も大阪に行く。
 年に1回ペース。
 



2006年08月09日(水)
ジュンジィな人


会社の気の置けない面々(他部署異動者や退職者も含む)と納涼の宴開催。
 星原元部長が若かりし頃、上司のいびりにキレたのでびーっちりと上司の机の引き出しにガムテープを貼って困らせたことがあるという武勇伝を告白。
 当時も星原元部長と一緒の課だったアオキさんは、朝から一生懸命ガムテープを剥がしている上司を思い出す度に笑けるらしい。
 そりゃそうだろう。
 私も、もしツボイが目の前でバナナの皮にスッ転んでくれたら、それをおかずに丼飯を2杯ぐらい平らげそうだ。

 ちなみに、ジュンジィこと高田純次様は名著「人生教典」で、星原元部長がやったこととほぼ同じことを「ダメダメ上司を懲らしめるいいアイデアを下さい」という相談に対する答えに挙げていた(ジュンジィは“引き出しを糊付ける”や、“朝早く来て上司の机にウ○コをする”など、実に下らなくて素晴らしい様々な提案をしていた)。
 身近にジュンジィと同じ思考を持つ人がいたとは不覚。
 星原さん、ビジュアルは古館伊知郎に似てんなぁと思っていたが、中身は高田純次。
 これだけ見たらかなりのいい加減さ溢れる感じだが、実力も人望も持ち合わせているから素敵。
 思えばこの人がいた頃はツボイもおとなしかった…。

「チョップリンがNHKに出ますよ〜」と宣伝メールを送っておきながら当の本人(私)はすっかりそれを忘れていた。
 がっくり。
 見たことがあるネタだったみたいだからまぁ良いか。
 忘れた頃に再放送があるとも限らないし。
 前向きに考えよう。

宮古島に台風が接近、というニュースを聞くと、“防波堤の先で台風に真っ向勝負を挑む千原せいじ”の図が浮かんでしょうがない。
 完全にイメージだけど。

+++++
61回目の長崎原爆忌。
 1999年は私が8月9日に長崎市内にいなかった初めての夏だったが、高速を使えば1時間半も掛からないほど近い福岡の街がいつもと全く変わらないことに大きな戸惑いを覚えた。
 
 追い討ちを掛けたのが、2000年の第82回全国高校野球選手権大会。
 長崎県代表の長崎日大高校は、試合時間が9日の11時開始だったので、1分間試合を中断して、選手や応援団が黙祷を行うことを許可して欲しいと高野連に頼んだところ、「終戦の15日に、まとめて戦争の犠牲者のめい福を祈って黙とうしてほしい」と断られた。
 “長崎と広島は原爆を投下されたけれど、他にも戦争の犠牲となった人達はいる、長崎だけ特別扱いをするわけにはいかない”ということは分かるが、まとめて祈れば良いというのは違う。
 お願いしていることはそんな単純に済ませられることじゃないのに、と当時新聞やテレビのニュースを見ながらとてももどかしかった。
 5年後、長崎日大とほぼ同じことを広島県代表の高陽東が経験したことを知り、違和感と落胆は更に増した。

 長崎や広島の人達が原爆投下時刻に黙祷を行うのは思想とも私情とも違う。
 むしろ“業”や“宿命”に似ていると思う。
 被爆地に生まれた者として。被爆地に育った者として。被爆地に住む者として。
 向き合うことから避けられない。
 
 自分に関わりが無いことには中々共感を覚えにくい。
 被爆者や被爆間もない街の映像が“グロ映像”としてネットにアップされることについては怒りを覚えるが、もし私が被爆地以外の土地で生まれ育ってもそういう怒りをちゃんと覚えるだろうかという不安がある。
 長崎にちゃんと育ててもらえて良かった。



2006年08月08日(火)
正々堂々と…


私の会社の一番の仲良し・クサノ女史が、オツボネツボイ&私の元上司(以降テング)の2人に仕事のことでねちねちいびられる。

 ツボイは30分毎に
 「オーダーした仕事はまだ出来ないのか。何やってるのか」
 というメールを送りつけ、

 テングは周りに人がいることお構い無しに
 「クサノさんにとっては些細な入力ミスかもしれませんけどっ(←この促音便が傍で聞いててとても癇に障る)、プレスリリースなんですからっ、これが会社の意見となるんですっ!クサノさんが責任取れるというなら別ですけどっ!」

 と、ご丁寧に対角線上にあるクサノさんの席に出張までしてのたまう嫌らしさ。
 でも、その資料のミスというものも元はといえば、ツボイからクサノさんが作成した資料(本来はツボイが作るべきもの)の最終確認を任されたテングが調子に乗って勝手にやらなくて良い修正をやってしまった結果データがグチャグチャになってしまったからだ。
 会社に泊まり込みまでし、ほぼ徹夜で作った資料を公表1時間半前になって、
 「このページ、表の数値とかグラフがおかしいんですけどっ!」
 と、もはや原型を留めてないプレゼン用資料をいけしゃぁしゃぁとテングから持ち込んだ時のクサノさんの驚愕と焦りといったら。

ツボイとテングのやり口で一番許せないのが、相手のプライドのことを考えないことだ。
 どんな人でも最低限のプライドがある。
 それはどんな人でもけなしちゃいけないしそこなってはいけない。

 クサノ女史は芯が強いしっかりした方なので、どれだけ理不尽に仕事を押し付けられたり罵倒されたりしても、“仕事は仕事”として今まで割り切って来たけれどさすがに今日は堪えていた。
 「せりちゃん、今日何も無いなら夕飯食べない?」
 と誘われたので、例え先約があっても今日はクサノさんを優先します!という勢いでお誘いに乗る。
 なるべく会社から離れたお店で鬱憤吐きまくり大会開始。
 ハヤシダさんといううちの部署で一番気骨がある中堅社員が、「今誰よりも仕事を頑張ってるのがクサノさんだよ」と言ってましたよ〜、と何気なく私が言っただけで、「嬉しい…。分かってくれてる人がいるってだけで安心出来るよね…」とうっすら涙ぐむほど今日は会社で気が張っていたクサノさんだった。

 ちなみにツボイの元部下だった人は、3年間の部下生活を振り返り、ツボイの人間性を
 「正々堂々と卑怯な人」
 と、10文字以内で的確に表現した名言を残して去り、現在は新部署で伸び伸びとお仕事をしているらしい。

 <正々堂々と卑怯な人>。
 まさにこれに尽きる。
 このコピーをつけた選挙ポスターを作りたいほど。


「ひかり荘」を聞きながら持ち帰り仕事…って、私は毎回毎回「ひかり荘」の日は仕事を持ち帰ってないか?
 修士さんのやっさん役は最初フリかと思ったら本当にやっさん役をやるようで。
 そういえば何故か長崎の実家にはやすきよが1980年に「文化庁芸術祭 優秀賞」を受賞した漫才のレコードがあった。
 プレーヤーがあったので早速家族3人で聞いてみたが、2人のしゃべくりを聞いてたら段々無い筈の画が見えてくるような感じがして、お笑い好きの父子2人は「凄か〜…」「やっぱ、一世ば風靡しただけあるばい。お父さんは、やすきよだけは他の漫才師と何か違うって思いよったっさね。…何が違うとかといわれたらよう分からんけど」としみじみ唸った記憶がある。
 修士さんにやっと役者のオファーが来たのも喜ばしい。
 小堀さんが5年ぐらい前に出た「賢者の贈り物」は、岩井俊二が担当したという点は楽しみだったが肝心のストーリーが全く以って掴めず凡人は困惑するしか無かったが、きよし師匠とヘレン夫人の物語ならそんなことも無いだろう。
 全国ネットのゴールデンタイムのドラマにシュウちゃん。
 数年前ならわくわくと張り切って標準録画していたと思われる。

 エクセルをいじりながら、今頃クリーンキャンペーンか〜い!と苦笑交じりに思わず心の中でつっこむ。
 件の写真、ネットをやってたら嫌でも情報が入ってくるので見たけども、(勘繰ってしまうようなものとは思うけれど、何故赤の他人がそこまで騒げるかなぁ…)と、よう分からんものだった。
 舞台を大幅に遅刻した、など表に出て来る仕事に関することではいくらでも腹は立てられるけれど、舞台を降りた後のことまではよう知らん、というのが正直な心情。
 面白かったら何をやっても良い、とも思ってはいないけれど。

 「ラブロック」の帯、歌詞カードに挟んでまだ持ってるわ。
 (初めてのアルバムだもん!大事にしなきゃ☆)的なファン心が為せるワザ。
 あの頃のピュアなファン心よ、少しは戻っておいで。
 少しは“キャァ〜っ!”と言ってた筈。



2006年08月06日(日)
宝探し

昨日BOOK OFFに行ったら横浜の伊勢佐木モールに最大規模の新店舗がオープンしたとチラシがあったので、のこのこと横浜まで行ってきた。
 途中、ゆずが路上ライブをやっていたマツザカヤがあったので、記念にi shot。

 伊勢佐木モール店は4階建てで確かに最大級だったが、私が買おうと思っていたものは残念ながら未買取だったよう。
 それは良いとして、中々見つからないのでAmazonのマーケットプレイスで注文した「人生教典(高田純次著)」が650円台で3冊もあったのにはがっくり。
 「千原史」「漫才少年」も1冊ながらあった。
 「漫才少年」はますだおかだの漫才台本形式の本ということが、Amazonのブックレビューで判明し、それなら買っとけば良かった、と今頃になって少々悔やむ。

 「BREaTH」が創刊号、創刊第2号、2002年のもの、と3冊あったので2002年のものを手に取ってみた。
 まだまだ連載タイトルが「2丁拳銃のふたりごと」だった頃。
 BREaTH主催でやったライブレポートが載っていた。
 もちろん2丁拳銃も出演し、出演メンバーと即興で作った「ニチョパンより愛をこめて」を披露って懐かしい…。この頃だったんだ。
 この号は「LOVE ROCK」発売時期にやった「2丁拳銃BREaTH20ページジャック」号(Vol.21)と並んで2丁拳銃の露出が著しいのに、何で当時の私はこの号を買わなかったんだろう、と不思議に思ったが、出た時期が2002年の冬頃だったので、恐らく2002年M-1にまつわる2丁拳銃大爆発にへこんで、2丁拳銃に関するものとちょっと距離を置いてたんだろう。
 それか、単純にお金が無かったか。
 「2002年12月13日にegg siteで音楽イベント決定!」と小さくある告知イベントが、「まがいもの(当時は平仮名表記)」なんだよなぁ。
 飛び入り参加のカリカ・林さんがスーツでスピッツを唄ったり、MCがオバチャンコホリだったりと、音楽と同じぐらい笑いの要素が多かったイベントが、芸人・ミュージシャンの垣根を越えて本気で音楽をする人達が参加し、武道館を狙うこともあながち夢物語では無いと思える様な大イベントに成長するとは、当時は思う由も無かった。
 東京でしかやらないなら、見に行く機会も無いだろうなぁと思ってたし。
 今じゃ、リストバンドに2丁拳銃バッジを2つつけて率先して参加してる。 

伊勢佐木町周辺を歩いて思ったことは、(佐世保に似ている)。
 ちなみに北九州市門司港周辺は長崎に似ている。



2006年08月05日(土)
見極めの難しさ


もしかしたら盗撮犯を取り逃がしたかもしれない。

 下北沢に行くため新宿乗換えで小田急線のホームに向かおうとJRの階段を下っていたら、前を行く男性のカバンのチャックが開いているのが目に入った。
 (あ〜ぁ、新宿駅でカバンを閉めないって無用心だなぁ。財布とか盗まれないとも限らないのに)
 と思ったが、チャックの隙間から見えているものはよくよく見ると“ビデオカメラ”…。
 しかも、レンズキャップはされてないし、チャックの隙間はレンズの大きさとぴったり。

 (…も、もしやこいつはあのタシーロと同じ手口で“ミニにタコ”を作ろうとしてないか!?)
 という疑惑が一瞬のうちに芽生えたが何分にも証拠が無い。
 普通レンズキャップはまず嵌めるだろうとは思うけれどもこの人がサザエさん並のうっかりさんとも限らない。
 
 後ろから肩をポンポンと叩いて
 「あのー、つかぬことをお伺いいたしますが、アナタ盗撮するつもりですか?(もしくは盗撮しました?)」
 とも聞けないしなぁ。
 「そうですが何か?」
 と言われても困るし。

 何か気になるので後ろをしばらくつけたら、乗って来た電車の反対側のホームに向かったのでますます怪しさをぬぐえなかったが、階段を登りながらカメラを女性のスカートが見えるように持ち直すということは無かったので、そこで追跡を止めたが、気持ち悪さというかモヤモヤは拭えない。

 もしあの人が盗撮犯だとしたら、私は1年以内に強盗と盗撮、というしりとり犯罪に関わることになったか。
 嫌だなぁ。
 しかも今書いて気づいたが、盗撮の“サツ”がつく犯罪って後1つしか無い上にそこでしりとりも終わるではないか。
 ヤダヤダヤダヤダ!
 気づかなきゃ良かった…。

TVでやってたので釣りバカ日誌や寅さんをついつい見てしまった。
 釣りバカ〜は1990年代前半の作品で、スーさんに携帯電話が掛かってくるシーンがあったので、もしや伝説のバカでかいショルダーフォンか!?と期待したが、別に今でもおかしくはないサイズだった。
 しかし、みち子さんがハマちゃんに電話を掛けるシーンは公衆電話からだったので、まだ一般庶民にはあまり普及してなかったことがうかがわれた。
 寅さんは、JRがまだ国鉄とかJASが飛んでるとか、そういう今は無いものを探すのが楽しい。

NHKでやってたさだまさし特番が長崎から生放送だったので見た。
 稲佐山のコンサートも20回目を迎える今年で一旦終了。
 うちの両親は長崎にいた頃欠かさず見に行っていて、一回客席中継で写りこんだことがあった。
 昨日も歴代のコンサートを振り返るシーンがあったのでそれが流れないか期待したが、当たり前ながら流れず。
 あの客席には間違いなく30代だった父と母がいた、と思うと少々切ない。
 拡大して探してみたい衝動に駆られた。

 このライブが始まった頃、「やじうまワイド」で
 “長崎原爆忌は9日なのに何故さだまさしは広島原爆忌の6日にするんだ、映画製作の借金を抱えたさだの売名行為と思われも仕方ないんじゃないですかね”
 と、事もあろうにこんな暴言をのたまったすっとこどっこいなコメンテーターがいた。
 顔も名前も忘れてしまったのが悔やまれるが、この発言とその当時覚えた憤りはこの先もずっと執念深く覚えている自信がある。
 長崎原爆忌にかこつけた“売名行為”なんてことを図々しく出来るような長崎人は少なくとも私の上の世代にはいない。
 もしこのコンサートがそんな薄っぺらな動機で行われているなら、夏の暑い稲佐山野外音楽堂をシャトルバスが何往復もするほど人が大勢集まる訳が無い。
 そんなことを見抜けないほど長崎人は間抜けじゃない。

 9日の長崎は国内外から大勢の人が集まるので、そんな日に野外コンサートをやったら警備に迷惑が掛かるから、という理由でさだまさしは6日にコンサートをやることを選んだ。
 9日ではなく6日に行われることで、自然ともう1つの被爆地・広島にも目が向く。
 6日にこのコンサートが行われることで、広島も同じ痛みを抱えていることに私は気づかされた。

 東京に出て来て初めて、自分のアイデンティティは長崎にあることに私は気づいた。
 実家は福岡になり、思い出がぎっしりある長崎には帰りたくても帰る家が無いため、余計に思いが募る時がある。
 そんな時にさだまさしの「長崎小夜曲」を聞くと泣けてくるが、帰る家は無くても帰る場所はあるということに気づく。
 母と手を繋いで買い物に行った商店街や、よく塾帰りに買い食いをしていた公会堂前電停付近のローソン、よく食べに行っていたマルシェ、みの屋、ながさこ、麦ばたけ…。
 いつかは帰りたい場所だ。
 



2006年08月02日(水)
コドモ


親の名前から取る、というのは名付けのポピュラーなパターンだが、そことそこをくっつけたか…と、朝から力が抜けたのが、葉加瀬太郎&高田万由子夫妻の長男の名前。
 どっちかがマスコミに送った直筆FAXには、マンタのイラストもご丁寧に添えられてたから、確信犯的な命名とみた。

亀田興毅の試合を見たけど、幼児期の亀田興毅の可愛らしさに驚いた。
 未来って分からないものだ。
 そして、観客のワンパターン応援に失笑。
 サッカーの応援パターンから抜け出せないんだろうか。
 
 ランダエタが勝ったか引き分けかと思ったんで、亀田がチャンピオンというのは意外。
 でも結果が不満だといって、何故TBSに抗議の電話が殺到するのか。
 TBSはただの中継担当にすぎないだろうよ。 



 Written and  arranged by  seri   || スキン by エンピツスキンニュース++