つらつらきまま


2005年12月31日(土)
最後


紳助さんの番組は、現行犯で取調べを受けている小堀さんがフリーターだかなんだか答えている場面から見た。
 よって、ブログやライブでも言っていたプリッツの場面は、幸か不幸か未見。
 見たところで(あぁ、それでもやっぱり小堀さん良いわぁ)なんてことは100%思う訳は無いだろうけど、どんな最低具合だったのかはちょっと知りたかった。
 でも、いつぞやの「にっちょび!」では、開始1分も経たずに拳を握り、終わる頃には
 (コホリ、カラスにモヒカンを突っつかれたらえぇねーん!もしくは、男前でもブサイクでもない普通の顔になってまえーっ!)
 と心中雄叫びを連呼し、しばらくは小堀さんを見る度に、いら〜っとしたので、もし今回最初から見ていたら、2丁拳銃に関するあらゆることを投げ出したかも(^^ゞ。
 身元引受人に「相方はダメですか…」と訊ねていた小堀さん。
 奥さんは呼び辛いだろうが、これ以上修士さんの邪魔をするな!と、(シュウちゃんと江崎グリコに謝れ!)と年の瀬に憤ってた可能性大。
 
 >きらいにならないで〜
 も何も、2丁拳銃が“滑ったところを見たことが無い”頃でも、“コホリサイテー”な場面は割と見ていたので、意外性にショック、なんてことは悲しいかな、無いのである。
 余計な免疫だけ増えていくけれど。

私は<360度私公開ブログ>というスタンスを受け付けない読者だったので、松口さんがブログ辞めましたよ、というメールを貰うまでそのことは知らなかった。

 2001年のM-1はハリガネが準優勝という凄い結果を残したのに、私は2001年のM-1グランプリ関連番組や雑誌を殆ど見ていない。
 それが何故だったのかは忘れていたが、昨日DVDにダビングしながら思い出した。
 ハリガネの取り扱われ方が非常に屈辱的なものだったからだ。

 01年のM-1は中川家が優勝したが、中川家の優勝争いに絡んでくるコンビはメディア的にはますだおかだでなければいけなかった。
 だが、優勝決定戦にあがってきたコンビはハリガネロックだった。
 ますだおかだが伸び悩んだ一般票を逆にハリガネは取り込んで上がってきた。
 最後に控えたハリガネが、それまでアメザリが座っていた2位の椅子を奪い、優勝決定戦に食い込む。
 当たり前ながら私はこの展開に異存は無かったが、番組的にはハリガネロックは「番狂わせ」「意外な伏兵」扱いだった。
 ハリガネロックが一番屈辱だっただろうが、それはファンにとっても屈辱だった。
 いつの間にか忘れていたが、そういえばそうだったと思い出した。

 贔屓目はどうしてもあるけれど、当時のハリガネの漫才を面白くないとはどうしても私は思えなかった。
 今見てもそれは変わらない。
 
 ブログには解散を考えていたことも書いてあった。
 結果的に解散は無かったが、もしそういうことになってもしょうがないかもとある程度覚悟というか諦めていた時期はあるから、あまり衝撃は無かった。
 (あぁ、やっぱりかぁ)というか。
 そんなこと書かれてもなぁと思う私は、松口さんにとって“笑わんでもええ”人だ。

 うまくはいえないが、解散があってもそれはしょうがない。
 でも、それは勿体無いし凄く惜しい。
 品が無い書き方になるが、<言葉でイカセてくれる漫才>を経験したのは、ハリガネロックが初めてで、それ以降も無い。
 ハリガネロックが伝えたいこと・見せたいことが何なのかが、今の私には分かりづらいが、個人的にはもっと単純なことのような気がする。
 昔の映像を見ると、(この頃からだんだん変わり出したなぁ)と思ったりもするが、全体的には(あぁ、この漫才好きだったなぁ)とか(この漫才で笑ってすっきりしてた)ということを思い出すことが多い。
 それが過去の出来事のままである訳がないと思う。

松口さんのオススメブログに鐘さんがあるのが個人的には少々意外で、ありがちな間違いがありつつも、修士さんのブログを載せていることがやっぱり嬉しかった。
 修士さんの誕生日特集の会報でも今回の小堀さんと同じ企画をやったら、松口さんだけで1P使うほどコメントを寄せてくれそう。 


とってつけたようですが、2005年は皆様ありがとうございました。
 2006年もよろしくお願いします。



2005年12月30日(金)
メンクイ


九州に帰ると、やたらうどんを食べる。
 そばは東京が本場だし、ラーメンもしょうゆとんこつがあるから良いが、さぬきうどんのような腰を特に必要としていないやわやわうどんは、九州で食べるのが一番美味しいと思う。
 昨日はごぼう天。今日はかしわ。明日は丸天を食べたい。

お昼、買い物に行くついでにちょっと福岡市内をぶらーっとドライブするか、という父の提案に乗り、西新方面に車を走らせた時のこと。
 中洲で信号待ちをしていたら、目の前を華丸さんが通って行き、親子二人で唖然。
 ちょっと窓を開けていたのを忘れて、「華ちゃんや!」と言うと、若干会釈をして通り過ぎていった。
 良い人だ。
 昨日の優勝おめでとう。

今更2001年のM-1後特番をダビングがてら見る。
 フット、チュートリ、麒麟、キンコン、おぎやはぎ、中川家、ハリガネが出演。
 普通に楽しみながら見てしまった。
 頂いた当時は何か生々しすぎてどうにも見ることが出来なかったのが嘘のよう。
 時間は過ぎるから良いものだ。
 それでも1000万贈呈のシーンはちょっとエグイが、ハリガネが取れなかったのは事実だからしゃあないか。
 ますだおかだがNGKに出演すると聞いて驚いたのもこの頃だったと思い出す。

バッテリーの消費の早さに嫌気がさしたので、ケータイを機種変。
 sh901is。
 機種の新しさにはこだわらない。
 “しりとりしまーす”なんて「プッシュトーク」をするほどの友人もいないし。
 …ものすごむなしいなぁ。
 
 



2005年12月28日(水)
@実家

17時20分発のスカイマークに乗って実家へ。
 朝のKBC再放送枠で「あかんたれ」をまだやってることに驚いた。
 「あかんたれ」と「ぬかるみの女」は、いつまで経っても終わる気配が無い。
 昨日見逃した「すべらない話4」が福岡では今夜放送されるので、ほくそえむ。
 うまいこと出来てるわー。

ビデオ類をいい加減どうにかしようと思い、ラベルを貼っていないものは思い切って捨てることに。
 2年半ぐらい再生しなくても大丈夫だったのなら、これから先も見なくて大丈夫だろう。
 私がチョップリンを知るきっかけとなった「浪花の陣」やブラマヨが大賞を取ったNHK新人演芸大賞はDVDに落とす。
 5年前、それだけしか手元に無かったから何度も再生した2丁拳銃の「笑いが一番」出演VTRも。
 
 上京する時、ハリガネのビデオは置いて行ったものも多かったので、や2001年の「M-1グランプリリターンズ〜オレ達の一番長い日」やbjt、漫才まつり、ZAIMANなどもまだ残っていた。
 画質が落ちていないか不安があるが、大丈夫のようならこれも焼こう。
 見ていたらだんだん元気を貰えたあの頃の漫才だ。
 ちなみに、偶然とはいえ出演者にチャイマがエントリーされているものも何本かあり、やはり時間の流れを感じた。

2丁拳銃に関しては、雑誌の切り抜きは実家に置いて上京した。
 久しぶりにそのファイルを見たが、明らかに2丁拳銃の連載記事にしか用が無かったと思われる「GET ON」や「Kyushu Walker」の切り抜き等がどかーんとあり、あぁそうやったなぁと思い出した。
 2001〜2002年頃はBOOK OFFを見つけるととりあえず立ち寄り、過去に連載をしていた雑誌が売り出されて無いかチェックしていた。
 荷物になることを承知で旅先の鹿児島で買ったこともある。
 BREaTHの初期バックナンバーもそうやって集めた。
 今は懐かし「basement press」や「Wachacha PAPER」も何号かある。
 私は入ってなかったので、入っている・入っていた方の厚意によるもの。
 本当に助けられてます。

 過去雑誌をパラパラめくっていたら、時代の寵児になるなんて思いもしなかった頃のレイザーラモンが素顔で写ってたり、ルミネ・薄毛団芸人の希望の星になるとは信じられないほど毛があるブラマヨの杉竜がいたりして、感慨深い。
 たぶん2003年の初頭の頃と思うが、次課長と2丁拳銃の対談なんていう企画の切り抜きもあった。
 小堀さんがしつこくオーバーオールを着ていた。
 大上さんはもうオーバーオール着ないのかね、そういえば。



2005年12月27日(火)
プレイバック2005

帰ったら会報が届いていた。
 相変わらず央人君が可愛くて、ベタに「か〜わいい〜っ!」と叫んでしまった。
 「曲者」2Daysかぁ。
 とてつもなく苦手な出演者が一組いるから、1日で良いかなぁ。
 とりあえず先行では申し込まないでも良いだろう。
 どのみち見るとしたら後ろでまったりロックだし。
 小堀さんの誕生日企画にはりけ〜んずとハリガネが載っていて嬉しかった。
 何せ前田さんは「昭和から舞台に立っていた芸人」。
 伝説の「酔」では修士派として長々コメントを寄せていたらしい松口さんは、6年経っても小堀さんについては100文字もコメントを寄せるのは無理ということが分かった(笑)。
 大上さんのコメントも大上さんならではだ。

2005年に見に行ったお笑いライブを数えたら48本だった。
 行ってない感じだったが、意外と行ったんだなぁと思った。
 お笑い以外のライブにも足を運べたので楽しかった。

 今年一番行って笑ったのは、「星田vs宮川」シリーズだった。
 どんなに落ち込んでも、あのイベントで流れたほっしゃん。のペット番組出演時VTRを思い出すだけで、笑うためにとりあえず後3日ぐらいは生きていたいと思えるから、笑いは偉大だ。
 
 後、チョップリンの単独ライブと後藤小堀ライブも、関東ではなかなか見ることが難しいので、参加出来て本当に良かった。
 
 中々そう上手いこと居合わさないだろう、という点でいえば3月の「曲者」は、いろんな面で思い出す度ににやっとする。
 「シュウちゃんが野々村さんと2年前から結婚してたと発表!!」と、興奮交じりに方々に送ったメールは、なんとなく保護で残している。
 ヤフトピの画面も。

色んな人の色んな芸に参ったり戸惑ったりぞくぞくした1年だった。
 来年は今年よりもう少しフラフラ足を運びたいと思っているところ。



2005年12月26日(月)
付近一帯異状なし


集合ポストに近所の交番から
 「付近一帯をパトロールしましたが異状ありません」
 との伝言紙が入っていた。
 年の瀬に空き巣に入られた女独り身。
 ちゃんと見回ってくれたのね、と嬉しいが

 「12月26日午後5時41分ごろ」

 ってアンタ。
 午後6時前から何かあるような街だったらとっとと引越します。
 
 でも良い巡査さんだ。
 この先、彼らを“ポリ”と呼ぶようなことはすまい。

今日はプラン9の本公演初日に行って来た。
 明日のチケットも持っているが、どうも仕事がやばい。
 同じぐらいに今日もやばかったのだが、まだ明日よりはマシだったので、決行。
 ゲストは原西さんで、ギャグを目いっぱいして帰って行かれた。
 なだぎさんと良い勝負。
 
 なだぎさんといえば、“なだぎ武”になる前の芸名は何だったけなぁと思ったら思い出せず、
 (…ナダギナダだった気がする。いや、絶対そうだ)
 と、無理矢理自分を納得させたのだが、家に帰って唐突に
 (ナギナギオやん!)
 とやっと思い出せた。
 なだいなだのパチモンみたいな芸名を勝手に付けてごめんなさい。

修士さんのブログがめでたく更新。
 小堀さんも短く更新。
 言ってることは二人とも同じなんだけど、やっぱり対照的なキャラだなぁと思う。

 こういうとき、絶対この人は触れてないんだろうなぁと思ったら、案の定ケンコバブログはM-1のMの字も無かった(決勝進出の時にちらっとあったが、中身は虚飾と嘘をちりばめた妄想ワールド全開)。
 でも、ほんの一言だけ、凄い的を射たことを書いてたりするから油断ならない。

 それにしても。

 今回のM-1グランプリの立派な当事者の一人であるはずのジャリズム・山下さんのブログに昨日のことが全く触れられてないのにはびっくりだよ。
 「ナビ買っちゃいました」って知らんわー。
 オートバックスで買ったのなら分からなくもないが、絶対に違うだろう。
 よくよく見たら、決勝の結果発表の時も何も書いてなく、脱力。

よっさんの日記を見る。
 よっさんと顔文字(しかもこんな→ヾ(*'-'*))というのが、どうにも馴染めないけど、嬉しさの中に相変わらず屈折が見え隠れしていて、それこそよっさんだと思う。
 
 自分でも笑けたのだが、べしゃり部の開演まで、いや正直開演中も敗者復活の結果にどきどきしていた。
 どこかで期待していた。
 「恋の毒薬」の歌詞そのままだった。
 もう1回、あわよくばもう2回見たかった。
 本人達も一番思っていただろう。
 勝ったのが千鳥と分かった時、当たり前ながらどきどきはスーッと消えた。
 でも悔しさとか脱力とかそういったことは覚えなかった。

 何も思わなかったということは無いが、(何で○○が受かってハリガネはだめなの?)みたいな見当はずれの嫉妬は少なくとも覚えなかった。
 2001年、2002年に2丁拳銃が落ちた時はそういうことを思ったけど。
 ハリガネに2丁拳銃の分まで上に行って欲しいという気持ちを託して見た。 今思えば失礼なことだが。
 
 私が一番見たいハリガネロック、何の揺れも迷いも感じさせずに堂々と漫才をやっているあの姿。
 あの姿を何回も見たい。
 ハリガネロックの漫才について感じるようになった戸惑いや疑問は、ハリガネロックがやる漫才を見ることで、(あれは全て杞憂だった)と笑い飛ばしたい。



2005年12月25日(日)
3340番


「べしゃり部」に行くので、「M-1グランプリ2005」はHDDに録画。
 去年も外出していたが、去年は録画しなかった。
 今年は録画したのは、やっぱり敗者復活でハリガネが勝ち上がってくる可能性が無きにしもあらずだから。
 なんだかんだ言っても、そりゃぁ気になる。
 父にも敗者復活の結果をメールで教えてくれるようにお願いしたほど。

素人が気になるぐらいだから、同業者もそれは気になるものらしい。
 ジュニアが、舞台裏では敗者復活が気になってみんなテレビを見ていると言っていた。
 なんなら、スクリーンに映すか?と提案されたら、客席から本気に近い拍手が送られたぐらい。
 登場時、「敗者復活のメンバーが決まりました!」と言い、「昭和のいるこいる師匠で〜す」とボケた大谷さんにはルミネにいた人全員から
 (この大事な時にそんなボケすなや〜っ!)
 的無言のブーイングがひたひたと寄せられ、大谷さんは気の毒だった。
 結局、本当の敗者復活メンバーは小堀さんが発表し、「おぉ〜っ!」といううなり声や「えぇっ!」と嬉しそうな悲鳴が聞こえた。

 ただ、もともと出演予定メンバーだったジャリズム・渡辺さんは、M-1に落ちたら駆けつけることになっていたので、ジュニアは「千鳥も可愛がってる後輩やからエエねんけど、送り出したジャリズムがなぁ」みたいなことを言っていた。

到着した渡辺さんは、片方の袖しか通していないボロボロの格好で出て来ると、床にへたりこんだ。
 誰かが渡辺さんが付けていた番号札を見つけ
 「3340番だったんや」と尋ねると、
 「3340。敗者復活の千鳥、…3348。今田さんが『さんぜんさんびゃくよんじゅう…』言うた時、受かった思った〜」
 と一言。
 何ともいえない芸人達。
 誰かが、「点数つけるものと本来違うものやねんから。しゃぁないやんか、な」みたいなことを言っていた。
 このイベントは、前の人が喋ったエピソードの中にあるキーワードを貰って話を続けていく形式で挙手制だが、渡辺さんが手を上げたのは1時間中、1回だけだった。
 その1回も別の人が指名されたので、イベント中の発言はゼロ。
 結局「まだ渡辺さんが喋ってないです」と大谷さんか誰かが言い、最後の最後で喋った。
 いつもの渡辺さんとはどこか違っていて、何だか切なくなり、あまり見ていられなかった。
 復活後のジャリズムしか私は見たことが無いが、その短い期間内には一度も見たことが無い姿だった。
 3年前、M-1で決勝に残れなかった2丁拳銃が随分と荒れた時、正直情けなく思ったが、今日の渡辺さんを見たら2丁拳銃がそうなったのも分かるような気がした。
 嫌なことには変わりないがしょうがなかったんだと今は思える。
 
 今日のイベントでの渡辺さん唯一の発言は、「イタイ」を貰い

 「僕ね、今からイタイこと言います。来年のM-1、優勝します」

 だった。
 感情を取り繕わない渡辺さんを私は初めて見た。
 来年M-1の時期が近づくと、私は今日の渡辺さんを思い出すと思う。
 絶対に優勝して欲しいとか優勝することを信じているという感情はそれほど無いが、渡辺さんの思い、山下さんの思い、ジャリズムの思いが来年報われますようにということは強く思う。

今年のM-1は切なさも覚えたが、嬉しさもそれ以上に思った。
 こんなに嬉しいM-1は初めて。
 イベント終了間際に友達からメールが届き、その内容を見た時は(えっ!?これって…)と、しばらく信じられなかったので
 
 「ブラマヨ優勝!?ボコボコとハゲが!?」

 と、随分と失礼な文面とはいえ、はやる気持ちを抑えきれず退場後速攻、そういうメールを送った。
 その通りという返信が届いてからはずっと友達に
 「すごーい、すごーい。ブラマヨやった〜。嬉しい〜。華が無いコンビがやってくれたよ〜。凄いよ、もう嬉しくてしょうがない〜」
 と、同じことばかり繰り返してしまった。

 ブラマヨは凄く面白いと思う。
 だけど、ほかのコンビと比べるといかんせん、、若さも華も少々足りない感があった。
 NHK新人演芸大賞や上方お笑い大賞の最優秀新人賞など、賞レースでは着実に名前を残しているからまだ良いかなぁ、とは思うものの、もう少しバーンと行っても良い感じなのになぁと思っていた。

 今年のM-1は、ハリガネは落ちたもののブラマヨが受かったので、少々救われた面があった。
 決勝に行ければ良いなぁとは思ったが、グランプリは取らないと思い込んでいた。
 <4年連続準決勝止まりで、今年初めて決勝に行ってそのまま優勝>なんていう華をブラマヨが見せてくれるなんて、思いもしなかった。
 今年はほっしゃん。のR-1優勝に対するうれし涙の貰い泣きで幕開けをしたが、M-1で感動して終われて嬉しい。

 3年前のマンスリーよしもとでよっさんは

 >神様へ 
 >もしもあなたがいるのなら、来世はベッカムみたいにして下さい。
 >ブラット・ピットでもOKです。
 >最低でも、チュートリアルの徳井ぐらいまでお願いします

 なんていうお願いをコラムに書いていたが、今日のよっさんは、ベッカムもブラピも目じゃない。
 もちろん、杉竜もいつも以上に光り輝いて見える。

そうそう、「べしゃり部」は途中でメモがぐちゃぐちゃになって書いた本人も判別不可能なので、レポートは無しですm(_ _)m。
 小堀さんは2回発言しましたが、トップで喋った「23歳のクリスマス(彼女(現:小堀夫人)に時計を王様のアイデアみたいなとこで買ってあげたら、あまり喜んでもらえなかったので車の窓から捨てた」という話も「この間どっきりにかけられた時の話」のいずれも客席に薄い半笑い的なものしか呼べなかったので、靖史さんから“ヘドロ帰れ”宣言をクリスマスに下されてました。
 大輔さん、綾部さん、山本さん(飛び入り参加)、原西さん、木村さんの話がかなり面白かった。



2005年12月23日(金)
今年最後の大爆弾


それは12月21日に起こった…。

Wordで作った表の体裁がぐちゃぐちゃになった挙句、“スマン。ナントカヨロシク”的伝言メールを送って消えた上司からの丸投げ仕事を半ば呆然としながら何とか修正し、家に帰ったのが19時30分ごろ。

(あぁ、今日は央人くんの誕生日かぁ。
 来年は3年保育で幼稚園にも行けるやん。
 人の家の子供の成長は本当早いわあ)

 とか

(今年も後10日ぐらいで終わりかぁ。
 トリガラだったりマウスだったりジジイだったりと、あんまり絡みたくない人と絡まざるを得ない一年だったけど、まぁそんなに決定的に悪い一年だったとは思えない年だったよね)

 等を思いながら家路に着いたのだった、その時までは。

家に着き、食事を済ませ、風呂にも入り、洗濯物を取り込み、さぁメールチェックでもするか、とパソコンラックを見た時、空気が止まった。


無い。


ある筈の物が無い。


何も変わったところがなかった筈の部屋で、唯一そこだけが変わっている。


何と、わたくし、サムターン被害に遭い、買って5ヶ月そこらのノートパソコンを持っていかれました…orz。

顧客や住所録等のデータは入れていなかったのと、今仕事で使っているドキュメント類はwebのブリーフケースに入れていたため、冷や汗が出るようなことはまぁ免れそうなのですが、ノートパソコンのみが家から消えている光景はなかなかシュールでした。

 で、あまりの事態にわが目が信じられず
 (…え?…え〜っ!?うそ〜!…え〜っ)
 と、何度も呟き、とりあえずこたつの下とか果ては食器棚まで見てみたけど無い。
 ある訳が無い。
 恐々と最寄の警察に通報したら、4名も警察官がいらっしゃった。
 玄関は施錠していたものの、上層階に住んでいたので窓は閉めていなかったというと、手すりなどに窓から入ってきたのならついていなければならない足跡や手形が検出されないから玄関から鍵を開けて入って来た可能性が高いです、と言われ、ドアを調べたら針金を滑らせた跡があったので、間違い無くサムターンだとのこと。
 即効、翌日鍵を換え、保険会社にも連絡し、仕事で必要だからまたPCをヨドバシで買う羽目に。
 何が悲しくて買ったときと大して変わらないモデルをまたのこのこと買わなきゃ行けないのか…。
 でも、前のPCより付属品が多かった。
 外付けFDは使うことがあるのだろうか、という気がしなくもないが、無いよりはたぶんマシだろう。

PCを盗られたことは災難だが、命をとられなかっただけでも幸運だよという慰めを大勢から頂いたので、そういわれればそうだなぁ、とポジに受け止める。
 3歳&10歳で死に掛けるほどの大病をし、15歳でひったくり未遂に遭い、22歳で母親と死別し、27歳で空き巣に遭い、2年半でPCは4台も変えた。
 ハハハ、なかなか波乱万丈な人生だ。
 明石家サンタに送る資格はあるだろう。

ちなみにホームページのデータも無事です。
 ただ、後は送るだけだった10月のべしゃり部のレポートデータは消えましたが。
 また作る余裕は正直無いです…。



2005年12月19日(月)
声、音、言葉


12月も残り1/3だというのに、6日分しか書いてないとは。

土曜日に池袋のタワレコに行ったらある曲が流れていて、それがもうベタに射抜かれてそのまま後ろにひっくり返りそうなぐらいに声も音も全てが自分のツボにバーン!と来たので、慌てて購入。
 ELLEGARDENの「BRING YOUR BOARD!!」も合わせて買う。
 「Space Sonic」と迷って「BRING〜」を買ったのだが、やっぱり「Space〜」も良いよなぁ。
 明日ヤマハホールでチハラトークだから買おうかなぁ。
 ついでに博品館でヴィンちゃんキーホルダーも買いたい...。
 今朝ちらっと見たらカエラちゃんもヴィンちゃんもサンタファッションをしていて、どえらく可愛かった。
 今更キャラクターもんを集めたがるようになるなんて、恐るべしsaku saku。

で、池袋で一耳惚れして買ったCDというのがAcidmanの「and world」。
 もともと、ここに時々書いているナオさんがこのバンドのファンなので、何となく意識はしていて、いつだったかPPVでPVも見た。
 そして、偶々「idーイドー」という曲が流れた時間にタワレコに行ったことが決定的。
 「有った〜!」というか「キター!」というか「これだーっ!」というか。
 まぁ、とにかく気持ちと身体が激しく身もだえしてしまうほどに、新しい“好き”を久しぶりに見つけることが出来て、テンションが上がる、上がる。
 家で早速聴きまくり、「ある証明」もかなり好きな曲ということが分かり、何かもう泣きそうになる。
 世の中にはまだまだ“好き”が埋もれていると思うと、わくわくする。
 だから、生きるのは止められない。
 
いっぱい色んな音楽が世の中にはあるのに、その中で“好き”になってしまう要素は何が大きいのだろう、という話になったことがある。
 その時、私は「詞」と言ったのだが、今は「声」だなぁと思う。
 歌詞は凄く自分の好みなのに、いざそれを視聴してみたら(あれ?何か違うなぁ...)ということはある。
 (この声じゃなかったら...好きな曲調と詞なのに。...惜しい)とか。
 澄んだ高い声より、ちょっとハスキーな歌い手が好き。

土曜日は結局最後まで「ひかり荘」を見た。
 ジェントル君はあぁいうキャラなんだなぁと、ちょっと新鮮だった。
 2丁拳銃関連イベントでの前説の姿しか見てないからなぁ。
 ジェントル君のメガネを掛けた小堀さんを見た時、小堀さんが言う前にモニターに向かって「あっ、テントや」と言ってしまった。
 夜中にPCに向かって独り言。
 あぁ〜、わびし〜。
 咳をしても一人〜(by 尾崎放哉)

2月ルミネ。
 やたらレイザーラモンの名前があるが、これはHG&RG、もとい住谷&出渕で良いのかな。
 今朝のはなまるマーケットで、ベッキーがHGの素顔は凄く男前だったと絶賛していたので、首を傾げた。
 ブサイクとはいえなかったとは思うが、かといって男前だった覚えも。
 「鉄板」なる2丁拳銃のイベントは単独なのかな。
 「鉄板」ネタばかり集めたベストライブと思って良いのかな。
 気になる、気になる。
 2月ルミネで欲しいのは今のところこれのみ。
 後、ダイノジ班のSPコントのどれか1つは足を運びたい。
 いや、足を運ぼう。足を運ぶ、多分。




2005年12月15日(木)
モノも思い出も


ぽや〜んとした雰囲気の派遣社員・もえちゃん。
 中堅社員(男)から
 「君さぁ、日本語分かってる?」
 と言われたらしい。

 そう言いたくなる気持ちも分からなくないが、そんなことをわざわざ言う必要あるか?とも思う。
 案の定、もえちゃんはその男性社員と関わる時は傍で見て分かるぐらい緊張し、緊張するのでますますトチ狂ったことを言ったりやったりしてしまう。

 もえちゃんはマウス女の部署配属なので、私は直接関わることは無いが、いる時は非常に親切に指導しながら、いなくなった途端陰口を叩くマウス班の含み笑いつきひそひそ声が仕事中に耳にどうしても入ってくるので、最近はいらいらともやもやが募り、ノックアウト寸前。
 何だかなぁ。
 人間性がどんどん退化しているあの人達って何なんだろう…。
 会社では仕事だけしろ。

何だかねぇ…とこころが疲れる中、雪祈さんのブログを見たら「おしりフリフリ‘66」の感想が書いてあり、それを読んだら(おぉ、そうだ。今の私に足らんのは「おしりフリフリ‘66」だ)と気づいた。
 そう、結局まだ買っていない。
 買った途端に違う店でインストア的なものが行われたらシャクだなぁとかいう、きゃっきゃきゃっきゃした懸念もあり、今まで買ってなかったが、さすがにもう無いだろう。
 よし、タワレコに行ったら買おう。
 違うものを買って来る可能性が無くもないが、その時はその時で。

ニチョCDは買って無くても、本は最近よく買っている。
 ここ10日ほどで、重松清の「トワイライト」、「日曜日の夕刊」、奥田英朗の「マドンナ」を購入。
 奥田英朗はエッセイしか読んだことが無かったからどうだろうと思いつつ敢えて立ち読みせず購入し、吉。
 これなら、「邪魔」とか「最悪」もハマるかも。
 今年は重松清と荻原浩と奥田英朗に随分費やした1年だった。
 
日曜日にある方にお会いしてハリガネ関連の物をお譲りしたが、その中にはハリガネが2丁目時代にやったイベントのフライヤーもあった。
 いらなくなった、とか持っていたくなくなった、とかいうことは断じて無いが、私よりもこの人の方がこのフライヤーを大事に見てくれるんじゃないかなぁと思い、お譲りした。
 これに限らず、割と私はハリガネ関連物(切り抜き等)については執着しない。
 ライブに行き、その都度何かしらを思うことが出来れば、それで充分と思い、それ以外やそれ以上のものを欲しいという気にあまりならない。

 お笑いに本格的にハマった頃、とにかく福岡にしょっちゅう来てたのがハリガネだった。
 大阪や東京などに遠征しなくても見ることが出来たのはとても貴重だったと今は思う。
 特別な用意をしなくても見ることが出来る、という感覚が染みついているので、そんなにハリガネに対して必死になることが無いんだろうなぁ、と思う。

 そう思いつつ久しぶりに「baseよしもと2000大図鑑」やら「2丁目Wa Cha Cha final 大爆発」等のビデオを見てたら、(あぁ〜、そうや〜。この頃は「センキュー!」や無いんや〜)ということを思い出し、ちょっと不思議な感じだった。
 あれほど
 (「目離れてました〜」まではまだ良いとしても、あの「センキュー!」はどうにかならんものかね)
 と、見る度に思ってたのに、いつの間にか慣らされていた。

 もっとも、今でも「センキュー!」を聞くと、(…あ〜ぁ)という苦笑いがどうしても浮かぶが。

日曜日に久しぶりにがっつり漫才を見て、(やっぱり漫才って良いなぁ)と思ったので、来年はもう少しルミネに行く気力と時間と余裕を持てる自分になるように頑張ろう。

松坂の子供の名前のセンスが、COWCOWのよしくんとどっこいどっこいだったというのには笑った。
 そして、仰木前監督の突然の訃報には驚いた。
 ご冥福をお祈りいたします。



2005年12月13日(火)
5年目


5年前の今日、母が亡くなった。
 5年という月日は長いとも思えるし、あっという間にも感じる。
 ただ、“母がいない時間”が増え続けるということには相変わらず慣れない。

 亡くなって1年ぐらいは、夢に出て来る母は病気で倒れて不自由な身体だった。
 それがいくら夢とはいえ寂しくて切なかった。

 いつの頃からか、夢に出てくる母は倒れる前の姿になった。
 夢の中の私は、今の年齢の時もあればもっと幼い頃のこともある。
 いずれの場合でも、夢の中の世界はごくごく普通の家族の日常だから、目覚めた時はやるせない。
 だが、夢の中でしかもう会えない以上、これから先何度も母の夢を見たい。

 つい先日も母の夢を見た。
 私は誰かに毎日厭味を言われ続けるが、じっと我慢している。
 我慢しながら
 (お母さんに後から抱き締めてもらうんだ。そんな年じゃないことぐらい分かってるけど、ご褒美で抱き締めてもらえるなら、いくらでも我慢できる)
 と自分に言い聞かせていた。
 でもとうとう耐え切れずにブチキレたところで目が覚めた。
 夢とはいえ、あの女かなりヘビーないびり屋やったなぁと思いつつ

 (何で、“後で”って思ったんだろう。“後で”が当たり前に来るとは限らない、って知ってるやん)
 と、自分で自分に悲しくなった。

 声を聞きたい。
 手を握りたい。
 抱き締めてもらいたい。

 単純なのにもうかなえられない夢だ。

“明日”が当たり前には続かないことを知ったから、とにかく今日だけでも生き抜く。
 それを1日、1日と続けていく。

 それが、5年前の今日決めた私の目標。

5年前、大好きなのに食べることが出来ないままいった母のために、12月13日になって初めて私はラミーチョコを買って食べる。
 来年もそれが出来るよう、生き続ける。

 



2005年12月12日(月)
えむわん

M-1エントリー権がある芸人の若いファンは、人生は必ずしも全て思い通りになったり上手いこと行き続けたりするものではないということをM-1で初めて知るのかもしれない、なんて。
 2〜3年前のM-1グランプリは、決勝進出者の名前の横に花丸アイコンがついていた。
 自分の日記で思い出した。
 お昼頃覗いたM-1公式ページは、まるで携帯HPのような素っ気無いものだった。
 明日から花丸がつくのかな。

そんなにハリガネが好きという訳じゃない人も、ハリガネ面白かったとブログに書いてたりしていたので、やはりちょっとした期待は持っていた。
 まぁ、名前は無かったけど。
 ブラマヨとかチュートとか、懐かしい名前はあったから良かった。
 10年枠の品庄も楽しみ。
 03年、04年と続けて10年枠芸人は僅差で4位だったから、そろそろ僅差で3位勝ち抜け、というのも見てみたい。

でも、出れる可能性があるうちはやっぱりハリガネを見たい。
 今年で最後なら、<だってハリガネは面白いんだから>という気持ちで見たいと心の中では思っている。
 いざ見たら、(あれ?)とか思ってしまうんだけど(^^ゞ。
 なんだろう、期待と思い入れが実は強すぎるのかしら。

>とても楽しみで背中ゾクゾクするのよ
>あなたの言葉に笑い止まらない

>神様は大キライ いつも裏切るから
>でも今日だけは見えない何かにすがっている
(GO!GO!7188 「恋の毒薬」より」



2005年12月11日(日)
銀座→アキバ→新宿


友達夫婦がもつ鍋をやるというので、土曜日遊びに行き、当然のごとく泊まる。
 私+大学の同期+友達夫婦、の4名分の布団を敷ける部屋に住んでる友達夫婦。
 凄いなぁと思う。
 私にとってのステイタスは貴金属をいくつ持っているかというより、布団を何枚も敷ける部屋に住んでいるかだ。

同期が銀座でお土産を買いたいというので、私はいったん家に帰ってシャワー&着替えを済ませた後再び銀座へ。
 木村屋に初めて入った。
 それにしても、原宿とか渋谷じゃなく、だんだん銀座とか有楽町に自分達好みの店が増え行く今日この頃。
 一挙に飛び越して巣鴨にいきつけの洋品店(ブティック)がある、なんていうことだけは避けるよう頑張ろう。

東京駅の地下街も見るという同期&友達と別れ、私は待ち合わせをしていた秋葉原に行く。
 ハリガネ関連の物を色々渡すため。
 ニチョの一日店長の話も当日まで知らなかったが、ハリガネについても同様。
 だって、ポスターのどこにも顔が無かったんだもん…。
 ルートはあって何故ニチョとハリガネは無いんだろうか。

 まま、思ってたよりすんなりと会い出せ、無事に渡せたのでホッ。
 マックで色々お喋り。
 喋りながら思ったのは、私はハリガネについて“飽きた”という気持ちは無いということだった。

 ハリガネを“面白くない”とは思わない。
 でも、“もっと面白い筈”、“もっと笑わせてくれる筈”とは思う。

一本ぐらい営業を見てから行こうかなぁとは思ったが、腹ごしらえをしたかったので別れた後はそのままルミネへ。
 ルミネ1でだし茶漬けをさらさら食べる。
 最近のお気に入り。

そして、「2丁拳銃の漫才シワス!」を見た。
 2丁拳銃のちゃんとした漫才を見る(除:歌ライブの前説漫才)のは百式以来か。
 他のライブには行っているとはいえ、ネタを見る間隔で言うと、ハリガネと大して変わらない。
 今回はFandango!がちゃんと入りました。

 8組の漫才が最初にあり、その後シャッフル漫才。
 個性が本当出るなぁと思った。
 テツオが絡むと何でどれもがあんな感じに行き着くんだろう(笑)。
 バナナとかおもちゃとか、テツオが言うと違うものに聞えそう。

 大多数でやるネタイベントに行ったのは久しぶりだったが、漫才って本当に面白くて楽しいものなんだなぁと思った。
 合格とか不合格とかを祈ったり願ったりしながら見たくはないなぁ、やっぱり。

 ダビングしたものが、まだ2丁拳銃は芸歴5年以内の仕切られる側の頃だったので、舞台を見ながら(あぁ、2丁拳銃大きなったなぁー)と親戚のオッサンみたいなことを思った(^^ゞ。
 
 その2丁拳銃と同期なのに、今日のCOWCOWは物凄い自由ぶりだったなぁ。
 コンビ漫才枠でやったものまで漫才と呼べるのなら、漫才の枠って随分と緩やかになったのね、知らぬ間に。



2005年12月09日(金)
がんばれ、もえちゃん!


今週から新しい派遣さんが来ている。
 喋り方が山口もえにそっくりなので、心中密かに“もえちゃん”と呼んでいる。

 このもえちゃん、喋り方とは裏腹に中々どうして凄い。

 まず、本来なら先週から派遣される筈だった。
 だが、5日。
 始業10分前に一本の電話がもえちゃんから入った。

 「あの〜、親不知になったので〜、“1週間休みます”〜」


 えぇ〜っ!とかなりたまげた。
 引継ぎのため金曜に来た時は3時のおやつに出されたせんべいをぱりぱり食べとったではないか。

 それでも、久しぶりに現れたunder 25にでれでれなおやぢどもは、

 「いや〜、親不知は大事にしないといけないよ」
 「顔が腫れるから女性は来にくいよね」
 「ゆっくり用心しなさい」

 と、電話を代わらんでもいいのにかわるがわるもえちゃんにエールを送っている。
 やぶ医者にかかったためヘルニアをこじらせ3ヶ月の入院後やっと退院したイトウくんに
 「時短でも良いからでてくれないと困る」「若いのに」「もう腰もあっちも使いものにならねぇんじゃないの」
 と平然と言った人達と同一人物とは思えん。
 
 親不知は上下4本あるので、週に1本ずつ治すのではないかと思っていたが(そういう展開も無責任に期待していた)、そういうことはなく、ちゃんと今週からもえちゃんは出て来た。
 始業20分前に来て、一人ひとりに「おはようございます」と挨拶をしていた。

 (あぁ、良い子だなぁ)
 と思ったが、もえちゃんはやっぱりもえちゃんだった。

 データ入力を任されたもえちゃん。
 やにわに立ち上がると指導社員に


 「すいません、“キタカイドウ”ってどこにあるんですか?」と紙を差し出し質問。


 数秒の沈黙の後、「…それは北海道だよ」と指導社員。


 更に数分後。

 (も)「何度もすいません。これ、何とお読みになるんですか?」
 (指)「…さっぽろ」
 (も)「あっ、そうなんですか〜」


 もえちゃん…。
 何でそんなに北海道に疎いの?

 その後も
 ・ゼロ発信は頭にあったが市外局番をつけないため、「東京以外に繋がらないんです」と総務に電話機交換を打診
 ・クレジットカード会社から身分照会電話がかかった際、「まだ使ってないのにどうして電話してくるんですか?もう掛けてこないで下さい」と発言
 ・部長と課長を間違えること度々

 …と、1週間分とは思えない数々のエピソードを我々の頭に刻み込ませてくれた。
 このもえちゃん話を聞いた友達は「大した人間になりそうにないが、かなりの大物だ」とコメント。
 何か分かる。

 でも、私も入った頃は(今もか?)、かなり周囲をハラハラさせてたんだろうなぁと思うと、もえちゃんを出来るだけフォローしたくなる。 
 最初から何でも出来る訳は無いんだし。
 
 それにしても逸材だ、もえちゃん。

会社帰りにスーパーで買い物をしたら、中国の方がレジ打ちだった。
 まだあまり日本語に慣れていないらしく、

 「いらっしゃいません」
 と挨拶をし、

 「おつり110円ほどです」
 と言っておつりをくれた。

 日本語は難しいね。

米倉涼子がねちねちねちねち厭味を言ってくるので、とうとう耐え切れなくなってキレた、という夢で起床。
 何で米倉涼子?私別に海老蔵のファンでも無いのに。
 しかし、これ以降米倉涼子のCMを見る度に、夢の中のもやもやを思い出し、イラ〜ッとするように(^^;。
 友達は、「何故か皇室に自分がお嫁入りをし、一般参賀で挨拶しようとしたら横にいた雅子様に睨まれた」という夢を見て以来、皇室特番を見ると腹立たしくなるらしい。
 夢って何なんだろう。




2005年12月05日(月)
最近


仕事:大仕事にやっと取り組める…筈。
 やるべき事が多すぎてイーッ!となったりもするが、少なくともこれから始まることは<やってみたいこと>の1つなので、何とか愛しながら進めていきたい。
 自分が関わるものについては、こだわりと愛情を忘れてはいけないといつも思う。
 <くだらねぇ仕事でも仕事は仕事>だし。

チチ:相変わらず私よりエンタ系若手芸人に詳しかった。
 “甘い”という言葉で即座に小沢さんがいないのに“甘〜い”とやれる51歳ってどうなんですかね。

ハリガネロック:90年代中盤〜2002年頃までの映像を最近よく見ているが、見ながら笑うことが多い。
 あぁやっぱり好きだなぁと思うが、それはハリガネロックそのものではなくこの頃のハリガネロックが好きなだけなんじゃないか、ということも思う。
 どうしても分からないことの1つに、松口さんの何もかもを信じきれる人の多さがある。
 相手が見せている部分以上のことは知りようが無い関係なのに、そんなに全て信じられるものだろうか、とどうしてもヒネた目で見てしまう。
 我ながら嫌な性分。

レミオロメン:「粉雪」が流れるのは分かるが、「3月9日」もこの間有線で流れていたので嬉しかった。

saku saku:携帯サイトもお気に入り登録。マイメニュー登録し、ヴィン着ごえをDLするかどうかの葛藤中。
 



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