つらつらきまま


2005年11月30日(水)
ULTRA SIMPLE Vol.2


チョップリン単独ライブに行って来た。
 10本ほどのコントを1時間半。
 今回も面白かった。
 面白いライブに行くと、やっぱりお笑いは良いなぁと思う。
 私は西野さんの小気味良いツッコミが好きなので、ツボに来るフレーズを聞く度にすっきり。
 ちなみに今日のライブは小林さんの芸人人生の中で一番の出来のライブだったらしい。
 美味い酒が飲めそうだと、ご満悦のようだった
 そんな小林さんは養命酒を持ち歩いているらしい。
 赤の箱は、小林さんにとってはスタイリッシュらしい。

修士さんのブログ。
 更新してもしなくてもコメントが怒涛のようについていて凄い。
 
気まぐれに@ぴあを見たらキャンセル流れか追加かが出ていたので、プラン最終日を確保。
 そういえば去年は当日でプランを見に行く予定だったけど、ラストチャイマを選んだんだよな…。
 今年はそんなことありませんように。
 
 チャイマといえばもみのさんがブログで挙げていたアーティスト。
 saku sakuのエンディングを唄っているバンドだった。
 さぁ、今日も布団に横になりながらsaku saku見て一日を終わろう。
 早くヴィンちゃんキーホルダーも買おう。
 微笑がえしが日々の生活に必要です。

明日から3日ほどチチ上京。
 withサザンオールスターズ@東京ドーム。
 さっき電話が掛かってきたが、酒も手伝いすっかり浮かれ切っていた。
 51歳は今日も明日も多分元気。



2005年11月27日(日)
何じゃそりゃ


ヤフトピにM-1が25日にあると載ってあり、(あれ?25日のべしゃりって渡辺さんの名前無かったっけ?)と思って見に行ったら影も形も無かった。
 思い込みだったのか。
 もしくは、プラン単独とごっちゃになってたのか。
 そちらの可能性大。
 すると今度は、べしゃりの出演者の大谷さんを見て
 (あれ?ダイノジってもう10年超えてるの?エントリーしてなかったっけ?)
 と新たに気になることが出て来たので、M-1公式を見たら、3組を追加合格しました、というお知らせがあり、その中に「ハリガネロック」が。

イカン。
 それを見ても“嬉しい”より“何じゃそりゃ”という興ざめの方が強い。
 追加合格をどういう経緯で出すことになったのかは分からないが、今までのように敗者復活は1回だけで良いと思う。
 今回の追加合格がハリガネじゃない他のコンビだったらどうだったか?と言われたら、別にそれでも良い。
 追加で拾われたけど25日はまた神宮、というよりは神宮から有明にストレートで行って貰った方がスッキリして良い。



2005年11月24日(木)
タケヤマアヤ


=タケト&山本(吉貴)&綾部。
 チハラトークに行くと毎回この3人のうち1人は必ずいるよなぁと。
 案外、今年一番見た芸人はタケトさん&山本さんになるかも。
 山本さんといえば、雷ライブのチラシが入っていたが、「山本吉貴(元チャイルドマシーン)」と、切なくなる紹介のされ方だった。
 解散してもうすぐ1年なのに、まだチャイマの冠が必要か?と。

今日から派遣さんが隣の部署に入った。
 23歳と若い。
 そしたら今までやったことが無いのにシローが張り切って全職員に彼女の紹介行脚をやっちゃったり、出張中の合間を縫ってガラもわざわざ出先から派遣さんの様子を電話で尋ねてきたりしたものだから、彼女が帰った後、古参女性正社員が一斉に始めた噂・イヤミっぷりたらひどいものだった。
 (私、そんなの全然面白いと思わないし、興味も無いよ〜。仲間に入れんといて〜)と、飛び火する前にとっとと会社を後にした。
 いない人の悪口は嫌いだし醜い。
 まだ本格的な仕事もしていないのに、「あんなフワフワした喋り方する子にマトモな仕事任せられないわよ」と、今から鼻息荒く言うことは無いだろう。
 ねちねち悪口いうオバハンとてロクな仕事を任せられてないのに。

トーク後、池袋方面の山手線に乗ったら建築業と思われる男性二人が声高に喋っていた。
 男性Aがかなり酔っ払っていて、男性Bがまぁまぁと穏やかになだめている感じ。
 Bが降りた後、AはBの後に座った50代サラリーマンにBの悪口を懇々と話し出した。
 サラリーマンは人が良いのか、はぁはぁと聞いてあげていた。
 
 Bが雑で、図面と2ミリずれても平気でいるんだ、と息巻いた後唐突にAが言い放った言葉。

 「ところでさぁ、オレ品川から恵比寿に行こうと思ってたのに、何で日暮里なんだよぉ」


 図面と2ミリずれて平気でいる建築業も嫌だが、自分が逆回りの山手線に乗ったことに20分ぐらいたってやっと気づくような建築業に頼むのもちょっと嫌かも、と思った。

昨日、なるトモ!を見てたら、杉竜の頭の砂漠化が予想以上に進んでいたのでびっくりした。
 ベタに「え〜っ!何!?」と声まで上げてしまった。
 のんちゃんの頭も最近やばいらしい。
 どんどん見ている芸人の老化が進んでいく…。



2005年11月23日(水)
エクササイズ三昧


今日もジム。
 お姉さんからカリカのワイ!×3最終回観覧に行くというメールを貰った時は、(あぁ〜、その手もあったかぁ〜)と少々悔やんだが、時既に遅し。
 水曜の西田さんはちゃんと最終回も来ていたらしい。
 13人なんていう日もあったが、最後は200人も武闘派達が集まったそう。
 凄いね。

1日3つ載せたコホリブログのコメントを足しても、更新していない修士ブログのコメントに負けているということに、何となく笑ってしまう。
 なんというか、ニチョケンだよなぁ、と。
 THE BIG HIPのライブを見に行った時、小堀さんが
 >いっぱいおる いっぱいおる ぼくの好きな人が いっぱいおる
 と心中叫んだと書いているが、小堀さんっぽいなぁと思った。

 私は初めて2丁拳銃を見に行った時、思わず足元を見て
 (あぁ〜、影がある〜!うわっ、本当に今目の前に本物の2丁拳銃がおるんや〜!あの2丁拳銃が目の前で喋って動いてる!)
 とテンションを上げた。
 ライブに行くと、いつも影を確認する。
 で、本物だぁと感激する。

広島の事件。
 男の子が「…守りたかった」とコメントしていて、胸が詰まった。

 小学生の頃、通学路に露出狂がいた。
 まだ小学校低学年だった私は、変な大人がいるとは思っても性的なこととは結びつかなかった。
 なので、変なことしているおじちゃんが時々いて、その前を通る時恥ずかしいんだ〜と、母親に普通に話したら、母親が驚き、何日の何時ごろいたのか、その時私は1人だったのか友達といたのか等詳しく聞き出したので、ちょっと戸惑った。
 そして、母は明日から正規の通学路じゃなく大通りを使って帰って来なさいと言っていた。
 それだと先生に怒られる、と私が言うと、「先生に怒られたらお母さんが話しに行くから、とにかく大通り沿いに帰って来て」と強く諭した。
 当時は何故学校の規則を破ってまでその道を使わせようとするのか分からなかったが、今は分かる。
 通学路は住宅街で、店が無かった。
 何かあってもまず逃げられない。
 大通りだと歩行者も店も通学路の比じゃないほどにあるので、万一のことがあっても、誰かが見ている可能性が高い。
 
 未婚・子無しの私だが、年齢だけは当時の親に近づいている今になってあらためて、親って気が休まる暇が本当に無いんだなぁと思う。
 必死に守って来た子供を理不尽な形で奪われた家族を思うと、本当に切なくてやりきれない。

明日はチハラトーク。
 月イチこのライブに行くことが生活のペースの一部にもなりつつある。



2005年11月20日(日)
4年の月日が変えたもの


2丁拳銃の「うたツアー2005」東京公演に行って来た。
 AXやO-Eastクラスの箱にしかライブハウスは行ったことが無かったので、随分とアストロホールは小さい箱に思えた。
 結構詰め込みましたよ、今回。
 そんな状態でも私は毎度ながら左の一段上前方あたりという好ポジションをゲット出来たので、さほど苦労せず最後まで堪能。

“ツアー”なので、セットリストはここでは書かない。
 ライブレポートも福岡が終わるまではアップしない。
 ただ、グッズを買う予定の方もいるだろうから参考までに書くと、Tシャツが3000円。
 amazonで買うとニチョにいくばくか入る「おしりフリフリ'66」は、物販で買うとサインがついてきます。

4年前のうたツアーは無料だったので、「次からはお金を取ります」と当時シュウちゃんは言っていた。

 >今度は有料ですけど、絶対行きます(^^)。
 なんてことを当時の私はライブレポートに書いていたが、本当に行ったなぁ。

4年前と今回の違いで大きいのは、曲だと思う。
 4年前はアルバムが「LOVE ROCK」しか無かったから、“どれをやるか”よりではなく“いつやるか”の問題だった。
 CDに入っているものだけでは足りないので未収録の曲もセットリストに含まれていた。
 
 だが、今回は(あぁ〜、これやるんだ〜)とか(今回はあれやらなかったなぁ)といった、4年前には無かった楽しみ方が1つ加わった。
 そういえば4年前は<振り付け>なんてものも無かったのじゃないかな。
 もう本人も確信的ギャグとして使っている「青色」のオープニング・「オマエらの好きな色何色や〜!」も4年前は小堀さんの「青い目をしたイギリス人〜」という語りから入っていたし。

 今回参加しながら時々どうしても思ってしまったことが1つある。
 それは

 (うーん、ニチョ、やっぱりオッサン?)
 ということ(^-^; 。
 
参加している私とて四捨五入したら立派に三十路なので他人のことはとやかく言えないが、4年前はもうちょっと続けて曲やってた覚えがあったのに、今回は2曲ごとに休憩、それも結構息を切らした感じ。
 特にシュウちゃんにそれを感じることが多かった。
 シュウちゃんは若々しいイメージが強いだけに、ちょっとした表情や行動年相応以上のものに見えてしまう。
 小堀さんはその点でいくとこれから先得する一方なんだろうなぁ。
 今日は何回もスピーカー(?)の上に上ったり飛んだりと随分元気だった。
 ちょっとだけ上半身を見せていたが、相変わらず薄白い身体つきだった。

 それでも、激しい中にもほっこりとした空気が漂い、楽しくて思わず笑ってしまうライブをまた今回も見ることが出来たのは本当に良かったなぁと思った。
 2丁拳銃のライブを見に行くと、(あぁ、私2丁拳銃を見つけて良かったなぁ)と思うことが多い。

ハリガネがどうやらM-1の準決勝に残れなかったらしい。
 じゃぁ誰が残ってるんだ?と思って公式を見たらジャリズムが残ってたから、何故かビビッてしまった。
 品川庄司ものこっていた。
 ラストチャンス枠に行って欲しいなぁ。

ハリガネの漫才は、M-1の3回戦はおろか今年は殆ど見ていないから、悔しいとかあの感じだったら妥当な結果だとかいう感想も湧いてこない。
 これは正直なところ随分と寂しい。
 
 ハリガネロックからだんだん遠ざかっているが、特に嫌いになった訳ではない。
 面白くないとは思わない。
 ただ、ハリガネロックの全てが最高みたいな雰囲気には、どうしても戸惑いと疑問を覚えるので、遠目から観察中、というのが気持ち的に近い。
 あまりに共感をし過ぎると“自分”が無くなりそうで危険。

ヴィンちゃん(白井ヴィンセント)ストラップ購入。
 CMで見たときは“ツバ”とお揃いの黒が良いなと思ったが、実物を見ると着物の赤の方が華やかだったのでそちらを購入。
 口を閉じてるので“微笑み返し”には至ってないのが惜しい。
 キーホルダーの方は“微笑み返し”をしていたので、そちらもいずれ買おう。
 パペットはやはりでかかった。
 あんなの会社に持って行ったら変人扱いされるな。
 あぁ〜、今平日が嬉しいのはsaku sakuを見れることだわ。
 



2005年11月18日(金)
「ちょっと寒くなってきたけど熱く燃えてくるぜ」



バ〜イmyチチ。
 明日はサザンライブIn福岡ドームなので、熱く燃えていくらしい。
 ヤフードームで1人熱く燃えている51歳を見かけたら、優しく接してあげて下さい。
 一人娘は東京に就職し、嘗ては中学校の同級生でもあった妻も5年前に亡くした後も、決して荒んだり閉じこもったりすることなく、飄々と見えながらも必死に生きている男なので。
 東京ドーム公演も見に来る父。
 私も参加予定。

 かように私とチチは音楽の趣味が合う。
 私経由でチチは大黒摩季を知り、母経由でサザンにハマった。
 今回の福岡公演は、入りたがって資料も取り寄せたのにが入れぬままだった母の遺志を継いで「サザンオールスターズ応援団」に入会したチチがFC先行で取ったもの。
 熱く燃えている50男の傍には、現在進行で魂を燃やしている母もそっと寄り添っていることだろう。

 ちょっと悪ノリしました。
 お母さん、ごめんなさいm(_ _)m。

もう1つチチと私の共通の趣味に「高校ラグビー観戦」がある。
 私とチチは卒業した高校が同じで、チチは先輩でもある。
 チチはラグビー部だった。
 ウチのチチも頃は、ユニフォームすらままならず、相手チームから借りることもあった程だったらしいが、その後割と強い高校に成長した。
 あくまで“割と強い”学校だった。
 ベスト8〜ベスト4には残るが、そこから先にはなかなか行けない。
 行っても、“ベスト1”になることはついぞ私の在校時代には無かった。
 高総体でも観客はまばら。

 “割と強いのに何か報われない”ラグビー部に私は何か惹かれてしまい、チチも自分がやっていた部活にはなんだかんだ思い入れがあるし、母はラグビーをしていた父がとても好きだったから、ということで私達一家はやれ新人戦だ高総体だ花園予選だと何かにつけ足を運んだ。
 幼馴染もラグビーが強い私立に行っていたので、応援席は母親同士のちょっとした井戸端会議の場でもあった。
 そんな様子を尻目に私とチチは母校の試合を本当に身を乗り出しながら観戦していた。
 結局ほろ苦いまま現役時代は終わったが、卒業してもうすぐ10年、長崎を離れて5年以上経つ今でも、高校ラグビー花園予選の結果はネットでチェックする。
 勝てないまま終わったから、今も続いているのかもしれない。
 マイナーという訳ではないが断じてメジャーなスポーツとはいえない可哀想なところも私好み。

小笠原さんの占いが年明け、限定で開かれるらしい。
 い、行きたい…。
 怖いけど占って欲しい。
 



2005年11月17日(木)
イイワケ


R-25を読でたら、「効いた言い訳」のブックレビューが載っていた。
 今まで私が使った中で一番スムーズに出てきた言い訳は

 「昨日は一日中電話の音が消音モードになってたんです」

 というやつ。
 使ったのは高3だったから今から約10年前。
 夏休みなのに毎日朝7時30分から行われる早朝補習にある日どうしても行きたくなく、ならばパッと大胆にサボろうと家族全員で熊本に小旅行に行くことになり、フェリー乗り場から体調不良につき欠席の電話を掛けたたは良いが、周囲の騒音に不信を持った副担任がその日何度か我が家に電話をしたらしい。
 が、誰も出ない。当たり前だが。

 そして翌日。
 暢気に登校した私は早速副担に呼び出され、一家全員不在の理由を尋ねられた。 
 正直に話そうかと思った時、数ヶ月前黒電話からFAX付電話に買い換えた際、
 「おやすみモードにしたら呼び出し音が鳴らない」
 と説明書に書いてあったので試してみたら当たり前だが鳴らず、その設定をしたことすら忘れていたため、「何回電話を掛けても誰も出らんけん」と母の友人が訪ねてきたエピソードを思い出し、咄嗟に

 「設定したおやすみモードを解除し忘れていて、昨日は一日中電話の音が鳴らなかったんです」
 という冒頭に書いた言い訳を口走っていた。
 まだFAX付電話の普及がそれほどではなかったため、副担はよく分からぬという顔だったが

 「最近は色々便利と言うか何というか、色んな電話があるんだね〜」
 と言いながら、もう教室に戻って良いと言った。

 当時はうまく切り抜けたとホクホクだったが、どう考えてもバレてただろう。
 騙されたフリをしてくれた田中先生、ありがとう。

去年のように、寝る時間と食事の時間以外は全部仕事、という日になってきてちょっとユウウツ。
 今年も年末から年始に掛けてパワポと格闘することが増えそう。
 今思えば、20日におしりフリフリの予定を入れて良かった。
 タイトルはアレだが、今まで聴いたニチョの音楽の中で一番すんなりハマった。
 まだ買ってないけど。
 どこにamazonのリンクがあるのかも分からないし。
 ニチョに貢献出来ないわ。

19日に白井ヴィンセントストラップ発売。
 買うなぁ〜。
 本当ならヴィンちゃんのパペットも欲しい。
 ジジイ・ガラ・マウスに囲まれてカリカリするオフィス周りにヴィンちゃんのデカ口笑顔があれば、ちょっとはほっこりしそう。
 でも2625円は高いよ、ヴィンちゃん。
 しかも35cmの体長は流石にでかいよ。ジャマだよ。

 金曜は「どうでしょうリターンズ」→「THE 鈴木タイムラー」→「saku saku」でシメるのがここ最近の習慣。
 tvk三昧



2005年11月15日(火)
好きな言葉


紀宮様と黒田さんの結婚。
 皇后様は紀宮様を抱きしめて「大丈夫よ」とおっしゃったらしい。
 何故かそれを聞いていつの間にか涙していた自分に苦笑。

 <大丈夫>は、私が一番好きな言葉。
 温かいし安心する。

 ちなみに一番好きな漢字は「咲」。
 “花が笑う”という意味が、何ともいえず可愛らしいから。

何のアナウンスも無くPistol Junkies閉鎖?
 「404 Not Found」なんですが。
 キテレツなかきこみが続いてたしcastyが出来たから?
 何だかな〜、あのサイトは2丁拳銃とスタッフとファンが一緒になって作っていったサイトという感じだったのに。
 castyがあるからそっちで今度からやろうよということだったら、納得はあまり出来ないんだけど。
 
 それにしても2丁拳銃って本当に対照的だよなぁ。
 句読点&改行&ツッコミ&反省等など色んなものを取り入れてきっちり書いている修ちゃん。
 改行こそ入れたものの、句読点は全てスペースで代用しふわふわ〜な文章のコホリン。

 あぁ、対照的。

レミ@NHKホール、またも外れる。
 3月のめっちゃ忙しい時期に般若のような形相で横浜に駆けつけている自分がリアルに浮かぶよ…。



2005年11月14日(月)
セツナイ


ヤフトピにレイラモがM-1の3回戦進出とあり、
 (もし今年レイラモが決勝に行ったら数年前のテツトモのような色物扱いされるんだろうなぁ、それはちょっと可哀相だなぁ)
 と思いながらクリックしてニュースを見た。

 レイラモ以外の進出者名に<ハリガネロック>とあり、それを見たら(あぁ…)とちょっとした切なさを覚えた。
 絶対に勝って欲しいとか今度こそ絶対に勝ち残る筈だとかは思っていないけれど、でもやっぱり残って笑って欲しい。

 2丁拳銃は私にとって<勝って欲しい芸人>だが、ハリガネロックは<勝ち続けて欲しい芸人>。
 例え勝てなくても、その事実を逆手にとって笑い飛ばせてくれるハリガネロックの大きさがとても好きだった。
 最近は終わった後に割り切れない余韻を感じることが多くなり、少し離れがちだが、それでも心の底では勝ち続けて欲しいと願っているし、カッコ良くあって欲しいと思っている。
 それは多分いつまで経っても変わらないと思う。

 だから、ハリガネロック、ファイト。

それにしてももうM-1の季節か。
 好きな芸人が軒並み10年以上選手になってしまったので、もうこのイベントはある意味甲子園を見るような感覚に似てなくも無い。

 2丁拳銃が出るのはもう最後ということは確定していたし外出の予定もあったから、2003年のM-1グランプリはCMカットしたDVDで残っているが、再生したのは2回程しか無い。
 どうしても見れない。

また仕事が忙しい。
 ボディコンバットにはなんとしてでも間に合いたいが出来るかな。


 



2005年11月13日(日)
ツキモノ


ひかり荘の配信が珍しく最初から見れた。
 それを見ながら
 (あぁ、私また気持ち戻ったなあ)
 とぼんやりと思った。
 
 飽きたとか気持ちが離れたとかいう訳ではないが、2丁拳銃に限らず、お笑い全般に関して見逃したり行き逃したりしてもさほど以前ほどには悔しく思わなくなって来ていて、このまま徐々にフェードアウトしてもそれはそれで良いかなぁ、みたいなことは正直なところ思っていた。

 そんな生活を3ヶ月近く送り、以前ほどお笑いが入り込まない日常にも特に物足りなさは感じていなかったが、久しぶりにひかり荘の配信を見てたら
 (あぁ、やっぱり良いなぁ)
 と思った。
 何がどうこう、ということは無い。
 でも見てたら、だんだんほっこりしてきてほわんとした気持ちになった。
 どんな大好物も毎日食べてたら飽きてきてそんなに美味しいと思えなくなることと同様に、しばらく距離を置いていたからまた見たい気持ちも自然に増えたのかもしれない。

 とりあえずCDはニチョブログを経由したamazonで購入するかもしれないが、それは来週のライブ終了後で(^^ゞ。

それにしても明日あるという福岡競艇の収録って凄い。
 フットも来るなんて。
 何故それを平日に…。

オリエンタルラジオがどこかのピザ屋のCMキャラクターに選ばれていてびっくり。
 「武勇伝」はウケるものなのね。

プラン本公演が久しぶりに取れた。
 もっとも第一候補だった楽日は2分で完売していたので初日。
 ゲストはバナナマンかなぁ。
 私としてはオクレさんも見たいのだが。
 
今年は今のところ、2丁拳銃で始まってプランで終わる予定。
 去年の最後はチャイルドマシーン最後の日でもあったなぁ…。
 そんなに熱心に追っている訳ではなかった筈なのに、最後の舞台を何とか都合つけてまで見に行くということは、もう後にも先にもあの1回しかしないように思う。
 人垣の間から奇跡的に見えた二人の漫才や、山本さんがシメの言葉を言った後になかなか鳴り止まなかった拍手などは、今でも忘れられない。
 私が自分の意志で見に行った初めての「活動最後の舞台」だったから、というのも大きいと思うが。

 どんなに今は大好きでも、時を経るにつれて感じ方が変わっていけばいつかは飽きるし離れると思って見ているくせに、なるべくならば好きになった人にはいつまでも活動を続けていて欲しいと思う。
 以前のように追わなくなっていても、ふと思い出した時にその対象が活動を続けていてくれていたら、少し安心する。
 勝手やなぁ、とは思うし、出来ることなら好きなままで長くいたい気持ちは十二分にあるけれども、一生変わらず好きでいられることなんてあるか?と思ってしまうのもまた事実。

 ただ、自分が<好き>と思う世界とぴったり合う作品&作り手を人生の割と早い段階で見つけることが出来たのは、人生の貴重な収穫だと自分では思っている。
 お笑いにしろ歌にしろ本にしろ、自分のツボを突いてくるものを見つけられた時の衝撃と興奮は並大抵のものではないから。

色々検索した結果、恐らく底値であろうと思える店を見つけたので、「D-snap」を予約。
 それぐらいなら何とか出せる、と。
 ゆらゆら帝国、レミオロメン、GO!GO!7188は全部入れるとして、他に何をいれよう。
 この間も書いたが、DYNAMITE MAKERの「BUTTERFLY」という曲が今一番のお気に入り。
 10年ぐらい前の曲らしいが。
 これが出た当初、千原ジュニア氏は「これはオレのことを歌っている曲だ」とか言っていたらしい。
 そう言うのも分かるほど素敵な曲。
 言われてみれば雰囲気は似ている。

気づけば紀宮様ご成婚まで後二日。
 世の独身女性に勇気と希望を与える日、ということで紀宮様ご成婚の日は祝日にならないもんかね。



2005年11月12日(土)
活動休止


THE HIGH-LOWSの活動休止はやはりショック。
 そんなに聞き込んでいる方では無いが、彼らを愛している人がいっぱいいることは分かるから。
 今後の活動内容が未定でも、あくまで<活動休止>なのだからそれに期待を持とう。

今日はヨガ。
 かなり気持ち良かった。
 ボディコンバットとヨガは必須にしよう。
 「バクタレ!」観覧を蹴ってまで受けたスキューバは私には向かないということがよく分かった。
 吐くと酸素が入り、吸うと酸素が出て行く、という自分の意思とは反対のことが起きる呼吸法にすっかりパニックになり降参。
 自分の背がつかない深いところには今後も近づかないようにしよう。

白井ヴィンセントのグッズが欲しい。
 キーホルダー買おうかしら。



2005年11月11日(金)
目標


年末までにこれを買う。

 だから、たとえバカ会議が年末まで毎週呪いのように開かれようと、

 「女性職員が増えてからだよなあ。何かと問題が増えてうるさくなってきたのは」
 なんていうオオボケ発言を真正面に座っていたジジイがかましたので思わず靴をその口めがけて放りたくなる気持ちを懸命にこらえた結果、今週もまた新た口内炎が1つ増えようと、

 本来の仕事じゃない雑用が山のように押し付けられようとも

 “愉しみ”のために私ゃ馬車馬のようにボロ雑巾のように働くのだ。
  イラついた時はジムに行ってボディコンバットをして発散するのだ。

 …と決意したところで年俸制の私には残業手当もボーナスも無いという当たり前のことに気づき、再びキーっ!な気持ちに。 
 まぁ、年末調整でいくばくかは戻ってくるのでそれを当てにしながら残り2ヶ月頑張ろう。

プランの本公演ゲストにチョップリンがエントリーされていて、それだけでドキドキ。
 バッファロー、あつむさん、バナナマン、原西さんも日替わりゲスト陣。
 いつかの本公演には確か家城さんも出たんだよなぁ。
 プランのゲストチョイスは私が好きな芸人が多いので嬉しい。

小堀さんのかきこみが連日続いている。
 嬉しいから、これが途切れた時に
 「最近コルしないですね」とか「どうしてコルしてくれなくなったんですか!?」なんていうかきこみがなされなければ良いなぁと願う。

 それにしても
 >小堀 裕之の正直しんどい

 かぁ。
 堂本剛さんの方はしんどそうにしても画面は美しいが、小堀裕之の方は画面からなまぬるい黄土色した空気が漂って来そう。

 今日は外勤で会社にいるよりちょっとだけ早く終われたので
 >ルミネ のぞけるひと
 だったが、この書き込みを見る前だったのでとっとと家に帰って1人鍋してご満悦。
 今ハマっているのはしょうゆとんこつスープのもと。

「小堀 裕之の正直しんどいコル」を見た後、久方ぶりにユウキロックブログを見る。
 私が最後に見た時は、び〜っちり書き連ねているのは良いが、文章から言霊が負の怨霊となって飛び出てきそうなおどろおどろした感じだったのですっかりげんなりし読むのを放棄したが、ここ最近は普通のものになっていた。
 学祭で一緒になった千原兄弟を撮ったものがあり、何かビビってしまった。
 
 ちなみに11/5のブログにあった
 >「俺の栄3丁目劇場が・・・」
 > HOLIDAY NAGOYAってなんだ!?

 という一文が何となくツボに入った。
 最近は福岡にもあまり来なくなったようだが、ゴールデン劇場の跡地を見ても同じ事を思ってくれそうだ。
 あそこも跡形も無くなってしまい、切ない…。




2005年11月10日(木)
貴族ですから

会社帰りにジムに行くというとパートさん達から

 「あら〜、私達なんか今から帰って夕食作らなきゃいけないのに。
  い〜わよね〜、独身貴族は〜」
 「独身は遊べて良いわね〜」

 なんて言われた。

 (私だって毎日毎日ボディコンバットしてないわさ、自分1人分とはいえ週5は会社から帰ったら夕食作ってるよ!)

 ということをおっとり言い返そうとしたらパートさん達は早くもチャリで帰った後だった。

 お蔭様で毎週毎週ボディコンバットは絶好調です。

今のように自分だけの時間は持てるのは確かに独身だからだよなぁ、ということは、ファミマでデジポケに溜まっていたチケットを発券しながら思った。
 発券したのはサザン、チョップリン、チハラトーク、うたツアー。
 なんだかんだいって、やっぱりうたツアー行きます。
 4分6分で行かない感じだったのに(そして「行かない」が6だった)、気づけば何となく。
 週1のボディコンバットだけでは発散できないものがある今日この頃だし、コホリンのかきこみは相変わらず続いているし。
 「起(たちあげ)」の頃も結構な頻度で小堀さんがかきこみをしていてレスもそれなりについていたが、偶に修士さんがかきこむとレスが倍の量でつくので拗ねていたのを思い出す。
 そして私はその展開をPCの向こうで微笑ましく見ていた。
 
 そういえば公式に「バクタレ!」の観覧募集が出ていて珍しく土曜だが、私はその頃ジムでスキューバの無料講習を受けている。
 残念。
 それにしても後半の予定終了時間の遅さはビビる。
 多分あの時間には終わらないと思う。
 それだけ長丁場。ある意味贅沢な収録。
 私は福岡も縁があるので、あの収録に行くと果たして今自分は東京にいるのか福岡にいるのか混乱することもある。
 せっかく福岡でやるのなら、平日の福岡競艇なんていわずに4、5年前の「バッテキ!」の時のように休日のDrum Be-1やドラムロゴスで5時間収録やって欲しいなぁ。

 そういえばあの時は確か卒論提出1週間前で肝心の考察部分が1/4しか出来てなかったのに、のこのこ雪降る中行ったんだった…。
 で、マジメに卒論執筆に励む友達に
 「ちょ〜、聞いて〜!
 5時間もしてくれたと〜!
 そいで、ハープ吹いてくれたっちゃん!
 歌唄うてくれたよ〜!
 知らんやろうけど『逢いたくて』ば唄うてくれたと〜!」
 と、2丁拳銃のことを何も知らない人にとっては時期的に一番どうでも良い情報を興奮交じりに提供したのだった。
 わくわくきゃっきゃきゃっきゃしてその後の1週間を乗り切ったのだから、“喜び”や“愉しみ”が持つ力は本当に凄い。

週刊朝日に載っていたNHKや産経の批判記事。
 意図は分かるがオマエがやるな、とも思う。
 朝日新聞、最近殆ど毎日訂正記事が載ってるくせに〜。

手相の話になり、友達に見せたら
 「わぁ〜、せりちゃんの手相珍しい!」
 と言われた。
 私は両手とも3本皺が独立していて、それが普通なのだろうと思っていたのだが、大概の人は下二本の根元が繋がっていて、まさしく平仮名の「て」のようになっているらしい。
 へぇ〜、と目からウロコ。
 ちなみに私のような手相の持ち主は手相学(?)では「頑固」の相らしい。
 3本独立の印象からそういう分類になるだけなんじゃないのか?と思うが、外れてはいない。

“へぇ〜”で思い出したが、昨日のトリビアで放送していた八女人形会館の五月人形のCM。
 最初見た時私もびっくりしたが、あれが九州だけとは知らなかった。
 “八女”とついているんだから当たり前と言えば当たり前だけど。
 次課長の河本さんも以前、「雪うさぎ」のCMがシュールでおもろい、と言っていたが、あれも他所の人から見たら奇妙な感じなんだなぁと新鮮だったのを思い出す。

中村玉緒さんが出てきた後にジョン・レノンの写真が流れるCMを見て、
 (ジョンと玉緒さんに何の関係が?)
 と不思議に思っていたら、玉緒さんじゃなくてオノ・ヨーコだった…。
 フジフィルムのCMに出ているオノ・ヨーコは玉緒さんに見えてならない。 



2005年11月07日(月)
本物や(笑)

公式BBSのかきこみのある部分を見て、あぁこれは間違いなく本物のコホリン(笑)やと確信。
 それは
 >コルするとこんなにレスがあると 面白いですね
 の“コル”。
 “カキコ”を“コル”と呼ぶのは、2年ぐらい前のひかり荘で2丁拳銃が確か決めたこと。
 あの頃私はまだISDNだったのでブロードバンド放送が見れなかったので音声のみしか楽しめなかったが、それでも修ちゃんのかきこみのどんくささは伝わったのを思い出す。
 あの時修ちゃんがどこぞに飛ばしたかきこみの文章は今頃ネットのどこあたりにさ迷っているんだろう。

朝日新聞に高校生が「その日のまえに」の感想を寄せていて、高校生が買ってるものを社会人の私が買えずにいてどうする!と購入。
 マックや地下鉄で何度も泣きそうになりその度に本を閉じた。
 あらためて家で読み、思う存分ボロ泣き。
 買う前は辛くて読み進めないのではとも思っていたけど、逆に私以外にもこういう体験をしている人はいっぱいいるんだろうなぁという風に思えてきて救われた。
 ただ、この本は“実感”ではなく“想像”で読みたかったなぁということはやはり思う。
 P240やP247なんて、まさしく当時の、そして今現在の私達そのものだった。

 母は倒れる数日前、週末に買う予定の食材リストのメモを作り、それを冷蔵庫に貼っていた。
 そのメモは長崎から福岡に引っ越してきて5年経った今も冷蔵庫に変わらず貼られている。
 
 胃を摘出した母にご飯を食べて貰えるようにと、最初の手術の時に私が買ってあげた茶碗は、今父が使っている。
 5年間、それだけは何があっても割らないように気を使って洗う。

 これが我が家にまだある“断ち切られた日常”。

>僕は、和美のことを忘れる。
>けれど必ず、いつだって、思いだす。
>そのときには、お帰り、と言ってやる。(p288)

 この部分が特に好き。

偶々入った本屋にマンスリーよしもとが置いてあったので買う。
 なんだかんだいって2丁拳銃には弱い。
 仕方が無いの。

M-1の2回戦でルートが落ちたらしい。
 今年のM-1、もしかしたら面白いのかも。

1月末にあるゆらゆら、ギターウルフ等が出るライブのプレリザーブに当選しにんまり。
 ゆらゆらライブは今の私には欠かせない大事な時間。



2005年11月06日(日)
「メリーゴーランド」購入!


友達が川崎でフリマをやるというので行ってみたがあいにくと雨で中止に。
 せっかく来たので、旅先ではいつもやる「BOOK OFF」めぐりをやってみたら、常々欲しいと思っていた荻原浩の「メリーゴーランド」を発見!
 すかさずレジに持って行き、電車や家で楽しく読んだ。

 主人公が働く会社の上層部がうちの上層部とまさしく同じで、もしかしたら私は日本の平均的な職場環境で働いているのか?それともやっぱり小説ぐらいしかお目に掛かれない変な環境で働いているのか?と少し思う。
 いずれにせよ、これから不毛な会議中に私が心で毒づく言葉は「ヘイヘイホー」のほかに「千年先までそうしてろ!」だろうなぁとため息。

 「神様からひと言」「メリーゴーランド」「なかよし小鳩組」は私が何度でも読み返す荻原作品になるだろうなぁ。
 この人の本は私には外れが無くて嬉しい。

本田美奈子さんが亡くなった。
 つい先日病床から直筆メッセージを送っていたから、回復に向かっているんだろうと思っていたので驚いた。

 時々(何で母はいないんだろう)と真剣に考える時がある。
 それは亡くなったからだ、ということはもちろん頭では分かっている。
 でも“亡くなった”ことと“この世にはもういない”ということがまだ完全には頭の中で結び付けられずにいる。
 
 新し物好きな父なので、我が家には1984年からのホームビデオがある。
 休日は従兄弟達も連れてどこかへ行くことが多かったので、映像は従兄弟達と遊んでいるものが多い。
 その中に家族だけで動物園に行った時のものがあった。
 私は幼稚園の年長ぐらいだったが、放し飼いをしているフラミンゴの大群が続々やってくる様子にびびってしまって母におんぶをしてもらう場面があり、それが自分では凄く意外だった。
 母は小柄で病弱だったから、抱っこはしてもらった覚えはあるがおんぶや肩車は父にいつもしてもらっていたからだ。
 ビデオの中の私は母の首にきゅっと腕を回して凄く嬉しそうだった。
 母はビデオを回している父に(まだまだ赤ちゃんよ)というような笑顔を向けていた。

 私は県外の大学に進学したので、地元に帰る時は特急列車を利用していた。
 帰る時はいつも母が駅の改札口で待ってくれていて、私を見つけると笑顔で手を振っていた。
 身体が弱い母だったが、どんなに体調が悪くても迎えに来てくれた。
 初めて母が迎えに来れなかったのが、5年前に脳梗塞で倒れた時だった。
 特急列車がいつもの駅に着いたのに改札には誰もいなかった。
 その時、あらためて事態の深刻さを悟った。
 そしてもう二度と母は駅の改札に私を迎えに来ることはなかった。

 母を思う時、私はこのおんぶのことと改札口の笑顔を思い出す。
 もうあの安心で温かい存在はこの世のどこにもいないと思うと、自然と涙が溢れる。
 年が経てば悲しみは薄れるかといえば、私はそうじゃない。
 生傷はじょじょに薄れているのかもしれないが、喪失感は年が経つごとに募る。

 喪失感や絶望感に襲われて流されてしまいそうになる時、私は母のラストメッセージを思い出す。
 自分でもあんなに状態が悪化するとは思っていなかっただろうから、遺言らしき遺言を残すことを母は出来なかった。
 そのかわり、こん睡状態に陥る前夜、ふと目覚めて私がベッドサイドで泣いているのを見ると、私の手を両手でつかみ自分の心臓の上に置いた。
 母は脳梗塞で右手が麻痺していた筈なのに、不思議とその時に麻痺は無かった。
 そして母の鼓動はとても力強かった。

 私達親族は、母が眠っている間に別室で医師から母の命はもう長くないことを告げられていた。
 1ヶ月は無い、と。
 でも母の鼓動は余命宣告を受けた人のものとは思えないほど、どくどくと刻んでいた。
 言葉を発することは出来なかったので、自分の心臓の上に手を置かせたままただ母は私を真正面からじっと見据え続けた。
 それは(私は生きている)と言っているように思えた。
 そして(あんたも生きなさい)と。
 私は泣きながら「分かった。お母さん、分かった」と言った。
 すると母は手を離し、再び眠った。

 母が亡くなったのは12月13日。
 この日が近づく度、私は(生きなきゃ)と強く自分に言い聞かせる。

2丁拳銃関連の番組をダビング中。
 やっぱり見に行かなきゃなぁと思う。

 そういえばここ数日小堀さんのかきこみが凄い。
 これが本人じゃなかったら笑ってしまうが、どうやら本人らしい。
 どうしたの?と思うが、イベントが近づくとそわそわと違う心境になるのかもしれない。
 そういえば公式がまだ掲示板のみだった頃は、3日にいっぺんぐらいはかきこみしていたなぁと思い出す。
 あの頃は生沼さんも熱心にかきこんでいた。
 そして修士さんはマイペースだった。
 小堀さんがやりたかった公式掲示板のかきこみ順100番をやってしまったあの子は今どうしているだろうか。
 
 




2005年11月04日(金)
「人を誉めるなら 生きてるうちに」

今更ケンコバがブログをやっていることを知ったので見てみたが、ここまで有益な情報が何一つ書かれてないブログも無いわな〜、とある意味感心して唸ってしまった。
 あれだけ嘘を連ねておきながら生年月日は本当だったので驚いた。

頂いたHIGH-LOWSの「バームクーヘン」を聴く。
 元々「バームクーヘン」を聴きたくて頼んだのだが、「死人」という曲が好きだった。
 特に

 >人を誉めるなら 生きてるうちに
 >恋をするのなら 生きてるうちに

 の部分が凄くグッと来た。
 私は、死んでからその人を褒めてもそれは自己満足か罪悪感の解消にしかならないと思っている。
 どうしても合わない人や受け容れることが出来ない人に対しては、必要な場合を除いて無理に近寄らなくても良いと思うが、ずっと付き合いたい人については、ポジなことを思ったらその場でその感情をなるべく表現し続けたい。

最近、寝ながらtvkの「saku saku」を見るのが好き。
 昨日はケイタクがキャナルシティでやったイベントの模様や白井ヴィンセントが作った歌のバックで随分福岡市内の映像が流れたので、かなりキャッキャキャッキャしながら見た。

 折りしも4年前の11月3日は2丁拳銃がキャナルシティでイベントをやった日。
 4年前は今以上にキャッキャキャッキャしたテンションで見に行ったことを思い出した。

 フツーに2丁拳銃がうろついているのにお客さんが全然気づかないことに何となくドキドキしてしまったり、
 1枚だけ撮れた修士さんの写真が私にしては珍しくカメラ目線だったのでこれまたドキドキしたり(これ以降2丁拳銃の写真は撮ってない)、
 (こ、小堀さんに“結婚おめでとうございます”をい、言わなきゃ〜)と握手会を前にかなり緊張しまくったり…

 と、日記を見なくてもある程度のことは今でもクリアーに思い出すことが出来る。

 “大阪や東京じゃなく福岡で”
 “大好きな2丁拳銃を”
 “生で見ることが出来る”

 という事態がたまらなく嬉しくて、始まる前も始まってからも終わってからも思い出す度ににこにこしていた。
 
滅多に生で見れなかっただけに、生を見に行ける時はなるべく逃さずに行っていた。
 (あの頃は本当に“必死ちゃん”やったなぁ)
 と苦笑することもあるが、見に行けたライブの1つひとつはあの頃の私にとって本当に大切な時間だったし、今の私にとっても大切なものの1つだ。

 4年後の2丁拳銃は学祭で福岡だったとか。
 どんな中学だ、芸人を呼べるなんて。
 羨まし過ぎだ。
 私の学校なんざ、“ラスベガスでもNo.1〜2のエンターティナー”とかいう人とか、やたら話に“オチ”をつけたがる予備校の校長ぐらいしか呼べなかったというのに。

色んなブログやサイトで「最後の〜」の感想を見る度に、もう私はハリガネの良さや味を感じ取ることが出来なくなったのかもと思う。
 「失われた週末」は私が当時見たサイトの中では否定的な感想が多かったが、それでも私は満足出来た。
 「復活マンザイマニア」は、(えっ、これ?今のハリガネロックの漫才はこれなの?)と戸惑いと少々の落胆を覚えた。
 まるっきり期待していなかった「white」は、ハリガネロックの笑いで自分の中の屈折やもやもやを完膚なきまでにねじ伏せてもらえて、凄く嬉しかった。

 でも、「最後の漫才ライブ」にはそういう感想が無い。
 ポジにもネガにもいけない。
 “思うところが無い”という訳ではないが、
 「あのイベント行ってたんですか!?私も行きました!凄く感動しましたよね!凄く面白かったですよね!」
 というテンションで話し掛けられたら
 「ハァ…。まぁ…そうです…かねぇ」
 と非常に歯切れが悪くでしか返せない。

 やってることや雰囲気は昔と変わっていない筈なのに、それでも何かが違うように思ってしまう。
 ハリガネバブルだった2001〜2002年頃も(何か違うなぁ)という違和感は覚えたが、あの頃とはまた違う何か。
 半年に1回ぐらいのライブ鑑賞ペースではもうついていけないのかも。

 今思ったが“復活”と銘打っておきながらあれからやってないのね、「マンザイマニア」。
 役割逆転したことだし、心機一転してこれから打っていくのかしら。

タイムカード導入以来一度もタイムカードを押していなかったナガセくんがとうとうガラに呼び出しを食らう。

 “反感の表明”として<タイムカードを押さない>ことを“反抗の手段”に使うナガセくんもどうかと思うが、半年近くもこのことに気づかないガラもガラだと思った。


 それにしてもしょーもない。
 つくづくしょーもない。
 「経費削減」「節約」と他人の顔を見ると同じ事を連呼するくせに、会社では誰も読まない朝毎読日経を朝刊・夕刊購読したり、Yahoo!の路線検索があるのに高価な路線検索ソフトの購入を指示したり。

 あぁ〜、しょーもなー。
 やっぱり跡形も無く消えうせてくれ〜。



2005年11月02日(水)
ボディコン


略せばそうなるさ。
 正式名称は「ボディコンバット」だが。
 早速火曜日にやってみたが、あんなに間が経つのが遅く感じたのも久しぶりなほど、ハードなプログラムだった…。
 とりあえず、どうにかしたいほどに嫌いな人が2、3名いる方にはお勧めのプログラムだと思う。
 何人仮想の敵にジャブ・アッパー・飛び蹴りを食らわせたことか…。

久しぶりにルミネチケ取り。
 昨年の天皇誕生日にシャンプーのてっちゃんから
 「…祝日の昼間からお笑い見に来てる人って恋愛とかしてへんのやろうなぁ…」
 としみじみ言われたのに、懲りずに今年も似たようなもの。
 ニチョ+べしゃり。
 べしゃりは福岡の友達も一緒に見る。
 今のところ私にとっても彼女にとってもナイスなメンバーなので、増えることはあっても減ったり変わったりすることが無いことを切に願う。
 
 知らぬ間にプランの本公演@東京が組み込まれていてびっくり。

昨年の今日は「銃響曲」で、“オフラインでははじめまして〜”のご挨拶をしたり、終演後下北の定食屋で延々ナオさんと熱のこもった感想を展開したのに、今年の私は「銭金」に出る日が今日だったということを知っても特に思うことは無かったりする、ゴメン。
 
 会報も昨日来てたけどとうとう“央人ショット”が無くて、ちょっとショボンヌ。
 このご時勢ゆえパパなりの配慮か子役事務所からのクレームか。
 そういえば、友達の甥がめちゃめちゃ可愛くて私は猫可愛がりしているのだが、誕生日を聞いたら央人くんと同じ誕生日だった。
 あの日に生まれた男の子は美形になる運命か?
 単なる偶然だろうけど。

 そして会報に載ってきた修士さんを見て
 (へぇ〜、今こんな髪型してるんだ)
 なんて思い、ちょっと複雑。
 小堀さんはなんだかんだ言って毎月見てるが、修士さんは8月以来見てないわ、そういえば。

 会報の裏表紙にあるアンケートに答えたらニチョ直筆年賀状が届くらしい。
 またしても2丁拳銃的家内工業。
 そういうところが好きだしあちらから無条件に送られて来るものは受け取るが、応募系や限定グッズなどこちらから率先して取りに行くようなことは、私はこれからしばらくはあまりやらないと思う。
 何がどうということはないが、そういう心境。

Fandango!のサイトを見たら新番組のお知らせ。
 別に5時間番組が始まろうが観覧無料だろうが、それは構わないし未加入者の私には何の関係も無いが、そのお知らせにある

 >しかもこのイベント、料金は驚きの無料!
 >ま、「吉本が無料」ということで、眉唾モノですが実は本当らしいです。

 の、下線タグを引いた部分は読んでたらいら〜っとした。
 その振りおもんないよ、と。

 テレビに出ている人は、1300円出さなくても無料の民放を見れば事足りる。
 入場料だけでも平均して2000円掛かる舞台でしか見ることが難しい芸人が、毎月500円出せばいくらでも見れることにFandango!の魅力はあったと思うが、Fandango!関係者はそっち方面のニーズは薄いと思ってらっしゃるようで。
 何か違う方向に流れて迷走する予感のFandango!改革。
 



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