つらつらきまま


2005年08月30日(火)
小世界


実家にACアダプタのコンセント部分を置き忘れて帰るという、サザエさんちっくなうっかりミスをしでかしつつ、日曜日に東京に戻って来た。
 乗る飛行機の整備が長引き、30分ほど遅れると知らされた途端、どこぞのおやじが客室乗務員に

 「オレは19時までに〜に着かないといけんとぞ!間に合わんやったらどがんしてくるっとや!」だの
 「オマエに言うてもしょんなかっ!一番えらか奴ば呼んで来い!」だの
 「18時過ぎても東京に着かんやったら、それなりのことばするけんな」だの

 と、喚いたところでどうにもならんことをグダグダ絡むので、乗る前からげんなり。
 そんなに急いでるんならヘリでもチャーターしろ、なんて思う。

昨日から仕事。
 今の私の仕事に関して参考になりそうな知人がいるので話を聞きに行ってみないか、とトリガラ氏が言うので、一緒に行くことに。

 東京に戻ったらもう秋の風が吹いていたのでびっくりしました、とトリガラ氏に私が話しかけたら
 「実家が九州なら、大学も九州なんですか?」
 と訊ねて来た。
 何故唐突に大学の話が?と思いつつ「ハイ」と返事。

 ここから、往復約30分におけるタクシー内での
 「It's ガラ's 悪口&自慢ワールド」
 の火蓋が切って落とされた。

 よくもまぁ、こんなによう、と呆れるほど他人の悪口&己の自慢話が繰り出された。
 一番驚いたのが、人生の長さが私の約2倍にも関わらず、
 「国立二期校を辞めて一期校に入り直した」
 という、30年近くも昔の事が彼の自慢ランキングの上位に入ってたことだ。
 学生だった頃より社会人である長さの方がとうに長いのに、いまだに学歴にしがみつくかね、とぽかーんとしてしまった。

 話を聞いていたら、彼の根底には“東大コンプレックス”がありそうだった。
 恐らく東大を受験したのだろうが、滑ったんだろう。
 彼が言う<二期校>は、今では偏差値もそこそこな関東の国立大だが、当時のガラは“教員も生徒もバカばっかりで、こんなところに埋もれてはいけないと思った”らしい。
 その学校にしか受からなかった現役時代の自分自身を何よりも許せなかったのだと思う。
 かといって、再受験しても東大には入れなかった。
 嘗て通った二期校をけなし、受けなおした一期校へ誇りと愛情を持つことで、東大コンプレックスを無理矢理封印してきてるんだろうなぁ、と必要以上に己の嘗ての母校をけなす姿を見ながら冷静に思った。

 それにしても今頃<一期校>だの<二期校>だのと言われても全く以ってピンと来ないんだが。
 「オレは一期校出身なんだ」と聞いても無いのにカミングアウトされたところで、答えは「だから?」か「ハァ?」だ。

話の矛先は、私の部署移動を助けてくれた元部長にも及ぶ。
 性格もビジュアルも正反対なので、そりゃ話は合わんだろうなぁとは思っていたが個人の確執を私に言われたところで、(知らんがな)だ。

 どうしても元部長の悪口について私に同意させたい感じのガラ。
 大概の事はヘラヘラ従うが、ヘラヘラ出来ないことについての私は、自分でも持て余すほどに頑固だ。
 「アイツは下品だ」とガラが言えば「フランクな方で、開放的な方でしたね」と私。
 「アイツはオレが行ってた二期校出身なんだよな」とガラが言えば、「あぁ、(元)部長は学生紛争で東大入試が中止になった世代なんですよね。確かあの時だけですよね、入試が中止になったのって。よく知らないんで曖昧ですが」と、暗に
 (オマエと元部長では同じ大学入学でも事情が違うんだよ、すっとこどっこい)とすまし顔で皮肉を滲ませつつ返す私。

 好かれたいとは思っていないので、失礼にならない程度の売られたバトルを返す。
 ムッとしたのかどうかは知らんが、帰りの車中では、
 「せりさんにはもっと広い世界で仕事をして大きくなってもらいたい」だの
 「違うところで仕事をすることは大きな刺激になる」だの
 「ここ(訪問先)は、うちの社からも違う部署の人だけど出向してるんだよ。そういう枠があるから。そういう人事交流って大事だよね」だの
 
 と、(コイツ、ひょっとして4月から私をここに出向させる気か?)
 とも取れる発言を連発。
 
 まぁ、1年間コイツの顔を見ないで済むので行ってみたくはあるけど。

そして、こうまでして話を聞きに行った相手は、部署移動しており、現在の部署は今の私の仕事内容には何の関係も無く、嘗ての部署とはあまり付き合いが無いという、あらゆる意味で(さすがガラの知り合い)と思うものだった。
 私の昨日の午前中は何と不毛だったんだ…。

今日は今日で、定例会議に社長が初めて出るということで、来なくても良い副社長やら専務やら常務やらが雁首揃えてお出まし。
 正月に見たきりの社長は、着る人が着れば違うんだろうなぁとは思うクールビズファッションのせいで、ビジュアルがますます金正日に近づいていた。
 そして、社長がいようがいまいが、訳分からん御託を並べ立てる副社長のせいで、会議は延長の一途。
 あまりにバカな発言を聞いた時は流石にコケて笑ってしまった。
 誰も見てないと思いきや、
 「せりさん、思いっきり笑ってたねー。オレ見えてたよー」
 と先輩から言われる。
 「オレもさ、せりさんが堂々と笑ってるから、よしオレも!と思って後に続こうとしたら、周り誰も笑ってないのな。だから止めたけど。でも、あれは笑わねえ方が信じらんねぇよ」
 と先輩が言うと古参社員から
 「そうか、そんなにバカだったか。オレはもう振られないと思ったから、途中から今日のメシどこに食べに行こうかとかいうの考えて聞いてなかった。笑ってなかった人達はみんな話聞いてなかったんだと思うよ」
 と、キャリアに相応しい含蓄あるコメントを頂いた。

 こんなバカ会議が既に今日で8回目だから驚く。
 8回も開いて何の方向性も得られていないことに上層部は死ぬまで気づかないんだろうか。
 死んでからも気づかなさそう。

+++++
放送地域に住んでいないしネットにも数日つなげていなかったので、気づけばMBSの漫才アワードが終わっていた。
 ヤフトピに麒麟が優勝した、と載ってたから、2丁拳銃が負けたことは知っていた。

色んな掲示板やブログ・日記等で今回の2丁拳銃の判定について書かれてあった。
 あまりすっきりするものではなかったらしい。
 「2丁拳銃のほうが面白かったのに!」という理由で敗退納得がいかない、というものについては、私は参考にしない。
 面白い・面白くないはジャリズムの渡辺さんがいうところの「笑いって趣味の問題」だと思うから。
 面白い・面白くないは個人で思っておけば良いものだと思う。

だが、判定の色を間違ってアナウンスし、判定の途中でアナウンスした色が間違っていると訂正しても、判定はそのままだった、というのはやっぱりおかしいと思う。
 今回、もし2丁拳銃の方が多く獲得したとしても割り切れなさが残るだろうと思う。
 “実力”と思っても、“ミスに救われた?”とも思ってしまう。

 正直、(もしかしたら今回は…)と思う面はあった。
 今、あらゆる方面に貪欲だし、ファンの贔屓目からしたらそんなに悪くない風が吹いているようにも思えるので、このまま行くんじゃないかなぁ、と。

 最初に知ったのは、<1回戦で落ちた>という事実だった。
 意外だった。
 最近、頓に“うめだ=アウェー”と言ってるので、審査員のお気に召さない漫才でもしたのかしら、と思った。
 経緯を詳しく書かれたところを読み、そういう事情だったことを知った。

 ネタに全く関係ない部分で足をすくわれたことは残念だし、切ない。
 でも、事情がネタとは関係ない部分だから、どこか救われるところもあるような気がする。
 私は本編を見てないから分からないが、2丁拳銃についてファンorアンチor中立の感情を持つ人が見て、(こんなに良い漫才をしたのに…)と思ってくれるような漫才を2人がしてくれたのなら、それだけでも勝ちに似たような気になる。

 もちろん、賞はとってナンボ。
 来年もまた出れるんなら出て、すっきりと勝ち負けの決着をつけて欲しいし、(MBS以外にも賞レースはあるんじゃ!)とMBSに見切りをつけ、節操無く色んな賞レースに片っ端からエントリーするならそれも面白い。
 東京に出て来て5年。そろそろ東京で何かの賞をとった2丁拳銃を見てみたい。

久しぶりに2丁拳銃について熱く書いた気がする8月30日。
 新しいジョージアのCMは、丸山弁護士が出ることより、和田アキ子と信じて疑わなかったCMソングがサンボマスターだったことに驚いた。
 似すぎ。色々複雑な問題が絡むが。



2005年08月27日(土)
予想の斜め下を行く展開にカンパイ


曲者@大阪に行って来た。
 ハイ、実は行っていた。
 21日〜28日まで夏休みを申請した後、何かの拍子に26日に大阪で曲者があることに気づき
 (あ〜、行こうと思えば行けるなぁ)
 ということで、チケット&新幹線フリープランをサクサク手配。
 その頃の私は“行こうと思う”人だったということ。
 1人だけ行くのは何故か気が引けたので、曲者には誘わないものの大阪旅行をしようということでチチと一緒に金、土と大阪観光してきました。

曲者@大阪。
 FCで取らなかったが、割と整理番号は早かった。
 だが、お昼に大阪市内を歩いていたらどうも軽い日射病になったみたいで、とてもじゃないが前の方で飛び跳ねる体力と気力が無かった。
 水分を取っているのにカラカラ。
 なので、後ろのブロックで時々もたれたりしながらの参加。
 
 後ろだから分かったが、開演時間はやっぱり早すぎる。
 前半1時間の集客率は8割程度で、フロアの後方はスカスカだった。
 (これ、赤字だろうなぁ。残念ながら)
 と、日射病のぼんやり頭でそう思った。
 「何か…寂しいなぁ」「何か空いてんなぁ」という会話もちらほら。

集客率よりも気になるものが1つ。
 いつの間にやら季節限定を通り越して、2005年の定番系になりつつある悪寒がする“サマ様”。
 
 来てるだろうとは思っていた。
 予想というか覚悟していた。
 「修士様〜」に関しては、覚悟を決めていた。

 
 だが。


 まさか。


 「修士」と書かれた看板持ちまで現れるとは予想しておらずorz。


 ご丁寧にレタリングまで施してあるのを見つけた時は、2丁拳銃のイベントなだけに“鳩が豆<鉄砲>を食らったら恐らくこんな顔”という状態に。


実を言うと私、“サマ様”の顔を知らない。
 インストアの時、修士さんが「あっ、あの子や」と言っていたが、その当時はまさかこの方がここまで大物だとは思っていなかったし、聴覚に加えて視覚までこの方について記憶を留めたく無かったので、敢えてその方向を見なかった。
 でも、今思えばちらっとでも見ておけば良かったなぁと少々悔やむ。
 看板持ちがサマ様と同一人物なのか、それとも分家が出て来たのかの識別がはっきり出来ないからだ。

もし、看板持ちがサマ様と同一人物だとしよう。
 「修士様〜」という場の雰囲気を一瞬にしてぶち壊すこの発言について、(声に出して思いを打ち明けるからいけないのね)と分析した結果の看板なら、もう完敗である。
 何をどうしたらこう人の予想の斜め下を行く行動が思いつくのか、と。
 
看板持ちとサマ様が別人だとしたら。
 本家だけでもまだ衝撃覚めやらないのに早くも分家1号が誕生しているということは、今後の分家誕生の勢いがますます加速を増すということもある意味予言しているとも考えられ、眩暈を覚える。
 
出てくるのが当たり前だと思っていて、単独ライブで対象が登場しているのに<キャー>の1つも飛ばさない客層よりは、「修士様〜」なんて熱い志を持っている人の方が見方によれば良いファンなのかもしれないが、限度があるだろう。

 声援は無いよりある方がそれは良いに決まっている。
 だが、タイミングや場の空気を考えず、ただ自分の思いだけをひたすら連呼することは、もうそれは“声援”じゃなくて“騒音”だ。

 看板を作るには、時間もお金も掛かるだろう。
 どうしたら見てもらえるかをかなり考えただろう。
 でも、あれを高々上げられると後ろの人間は迷惑だ。
 (立ち見のライブなんだから見えやすい前の方に移動すれば良い)
 とかいう問題じゃない。
 どうしても自分の方を見てもらうために視覚でアピールしたいなら、物凄い目立つ色のTシャツに、アップリケやらラメやらスパンコールやら蛍光塗料やらで“修士”を縫い取ったものを着たら良い。
 “アイタタ”加減ではどちらも同じだが、看板よりはまだ他人に与える害は少ない。

うたツアー4公演にサマ様は全部行くらしい。
 平日17時開場18時開演の公演に、東京だろうが大阪だろうが駆けつけて“修士様〜”と叫ぶ行動力を持ってらっしゃる方だ。
 その頃まで今のテンションを持ち合わせていたら、きっとやるだろう。

 10月か11月のGBに修士さんがゲストで出るらしい。
 愛しの修士様のソロゲスト出演だ。
 サマ様は絶対に駆けつけるだろう。


 私はといえば、サマ様が来ると思うと最近停滞気味だったライブへのテンションが輪を掛けて下がって行く。
 (これには絶対に来るまい!)と思っているというかある意味祈っている後藤さんと小堀さんのライブで、
 「小堀様〜」という、たった3回しか聞いていないのにすっかり覚えてしまった声が聞えたら、うめだの真ん中で「**(自主規制)〜っ!」と終演後絶叫するかもしれない。

 (一番は修士様だけどやっぱり2丁拳銃を応援する気もあるし)
 という気持ち、この方に関してはあまり持って欲しくない。
 修士様だけに抑えてもらった方が被害の拡大が防げる。

それにしても、せっかく一般人には予想もつかない発想や、その発想を行動に移せる実行力と度胸を持っているのだから、それを違う方向に生かせば良いのになぁ…とつくづく勿体無く思う。
 何故、こうも全てを見当違いの方向に動かしてしまうのかがある意味不思議でしょうがない。


曲者東京公演&大阪公演。
 メモを取っていないので、今回レポートを作るかどうか微妙です。
 何せどの公演でも一番印象に残ってるのが素人の言動と行動なので。

東京と大阪で違ってたのが、GBが「東京」を唄わなかったこと。
 2丁拳銃が「青風」じゃなく「青色」でシメたこと。
 キム兄、ジュニア、大輔さん、小堀さんらにネタにされようとも、大阪でも「オマエらの好きな色何色や〜!(×3)、聞いて下さい、『青色!』」をやったシュウちゃんは律儀だと思った。
 テンション上がったコホリロックは終いには上半身裸になったが、相変わらずなんともいえない真っ白ガリガリだった。
 ライブで裸になったのは随分と久しぶりな気がする。

 FUJIWARAはトップで出てきてトラジハイジの「ファンタスティポ」をやったが、1曲で終わったのでファンからブーイング(笑)。
 ブーイングで始まるライブというのも凄い。
 後藤さんはミスチル2曲。
 後藤さんの後を継いで出て来た心さんは阪神への愛を込めたオリジナル曲2曲を熱唱。
 ビッグポルノは名前どおりの歌を3曲やり、EDでは久しぶりにHGではない住谷を見た。
 盆地で一位の人気は不動。

終わった後は、サイトで知り合った方と食事。
 なんば周辺は意外と早い時間で店じまいするので、結局めしや丼に行く。
 オアシスな時間。
 



2005年08月23日(火)
すいません、ウチの…


HDDに録画していた日曜のサザン特番を見る。
 マジメでロックでエロくてカッコイイ。
 いいな〜いいな〜とため息。
 「BOHBO No.5」のフリもそれなりにわいせつだよね、なんてチチと話していたら、
 「そういえば、『バクタレ!』を編集する時にもちらっと最近映ってるなぁ」
 という報告があがる。

 「BOHBO No.5」のCMかと思いそう言うと
 「いや。
 お父さんはCMカットの編集ばするために倍速再生しよるけん、どがん企画かはよう知らんけど、確実に最近2丁拳銃の顔白い方が女の子相手に凄いきわどいポーズさせて写真撮っとるなぁ」
 と。
 「(オイオ〜イ、これは良かとか!?)と思うけども、結構感謝しとる男も多いっちゃないかなぁ。ある意味素晴らしい企画」
 とも。

 小堀さん、福岡・佐賀ローカルで深夜とはいえ、アナタは何を…orz。
 で、とうちゃん、“ある意味素晴らしい企画”ってアンタも何を。

 とりあえず、東京だろうが福岡だろうが順調にコホってるよう。

台風対策を何もしないで来てしまったが、果たして東京の家は無事だろうか。
 ガラスとか割れてたらどうしよう。
 



2005年08月21日(日)
夏休み


ずらして休みを取り、今週1週間は実家。
 実家ではあまりPCを触らないので、あまり日記を書くことは無さそうな気が。
 ちなみに今月書いたのは10日分ほど。
 1ヶ月全部書いた月というのは確か無いので、今年中には達成したい、とは思っております。

ちなみに昨日はJ-WAVE2000+5 LIVEに行って来ました。
 レミオロメンは6曲ほどやったものの、私がライブで聴きたかった曲は「3月9日」以外やらなかったり、7年ぶりにライブで見たSpitzが結構年相応のビジュアルになってたりでしたが、行って良かったなぁと思った。
 トリのウルフルズは圧巻。
 音楽って良いなぁ、素敵やなぁ、と心の底から感じた5時間でした。

ちなみに東京の「曲者」は4時間か4時間半近くありました。
 大阪に参加される方の参考になれば、と。
 



2005年08月19日(金)
サマ様考


曲者@SHIBUYA AXに行く。
 着くと2丁拳銃に限りなく似ているけれど2丁拳銃じゃ無いらしい兄弟漫才師の前説漫才が始まっていた。
 20年前でも見つけるのが難しいと思われる典型的漫才師スーツに身を固め、ベタなツカミギャグ。
 うーん、売れんやろうなあ、残念だが。

出演順は(1)SBPF→(2)間慎太郎→(3)アップダウン→(4)GB→SPゲスト(GO!GO!7188)→(5)jeal.kb→(6)2丁拳銃。
 GO!GO!7188は同性の目で見ても凄くカッコ良くて惚れてしまった。
 アッコちゃんは侍のように勇ましく、ユウちゃんが持つ独特な空気はたまらなかった。
 GO!GO!7188のセットリストは

 (1)とかげ3号
 (2)浮舟
 (3)サンダーガール
 (4)(竜舌蘭に入っていたが、どれだったか思い出せない…。「赤い月に吠える夜」か「百日紅」か)
 (5)C7
 (6)文具

 だったと思う。
 「こいのうた」を聴きたかったけど、割と昔のアルバムからやってくれて懐かしかった。
 2丁拳銃もGO!GO!7188も好きで良かった〜と心底思った。
 全身を耳にして楽しんだ。
 夢みたいだった。
 良いものを見た、と心から思った。

もう1つ見た“良いもの”は「元・チャイルドマシーン」。
 もみのさんがMステの作家さんだからか、トップで出て来たSBPF。
 出番が終わると楽屋インタビューとなるが、スクリーンに映ってるのはリポーターのあべちゃん&ヤマモ、トータル&宗田さん。
 作家の仕事があるから帰った、ということでこの5人でしばらく話が進んでいたが、やっぱり現れてくれたもみのさん。
 山本さんの右横に座る。
 見慣れたチャイルドマシーンの立ち位置。
 客席から歓声と「チャイマコール」が起きた。
 楽屋でも芸人がわんさか懐かしい2ショットを拝みに集まりだしたそう。
 最初は何だかぎこちなく目を合わさない2人だったが、「in the park」とか懐かしいフレーズが8ヶ月ぶりに聞けたりして、拍手喝采だった。
 ちなみに「チャイマコール」に関するヤマモの反応は「バーカ!」だったか「うるさ〜い」だったような。
 
 曲者に行かないと見かけないもみのさん。
 もう芸人時代の顔とは違う。
 何となくそれで良いんだよなぁとも思う。

いいものを見たら、悪いものも聞く。
 予想通りおいでなすってた、「修士様〜!」。 
 今日は2回叫んでおりました。

 私はこの人を“サマ様”と心中勝手に呼んでいるが、この“サマ様”は本当に何なんだろうか。
 「曲者」終わりについつい真剣に考え込んでしまった。

  人の呼称は色々ある。
 「川谷さん」「修士さん」「修ちゃん」なら、長期に渡って“いら〜っ”とはしないと思う。
 「修士くん」なら、ちょっと引く。
 「川谷くん」なら、(同級生?)と一瞬思う。
 「修士」「川谷」は、(オイオイ)と即座につっこむ。
 「ダンナちゃ〜ん」なら、「ヨメちゃ〜ん」とちょっと後を引き取りたい。

 「修士様」は、唖然とする。
 まず“様”がイカン。
 丁寧な呼称だが、手紙の宛名ならまだしも耳にしても違和感無いのは、病院や銀行の受付が呼び出している時ぐらいだろう。
 ライブやインストア会場で聞くと、うすら寒さが漂ってくる代物だ。

 で、何でまたサマ様は突如として「修士様〜!!」と叫びだしたんだろうか。
 私がルミネで2丁拳銃を最後に見たのは先月の「拳(GU)」だ。
 それまでサマ様とは遭遇していない。
 7じ9じに行っていたのは今年の3月までだが、少なくとも3月には見ていない。
 サマ様本人かどうかの確認は出来ないが、7月か8月のルミネで「修士様ー!」と叫んでた人がいた、と教えてくれた人がいるし、今月のうめだでもサマ様本人かサマ様の遠縁っぽい人が出没したようだ。
 となると、今夏から活動開始をしたっぽい。

 2丁拳銃のファンが多くて、並みのファン活動をしていてもあまり目立たず埒が明かないと思ったのだろうか。
 とりあえず修士さんには顔を覚えて欲しいんだろうか。
 それを踏まえての「修士様〜!」なんだろうか。
 サマ様が叫ぶ「修士様〜!」には悪気や確信犯めいたものがあまり感じられず、それがますます分からなさやちょっとした怖さを募らせる。

思ったことを正直言うと、サマ様がこのまま「修士様〜!」と叫び続けたところで良い結果が返ってくるとは思えない。
 (まぁ、微笑ましいわね)などと好意的に捉える人は、砂漠でコンタクトレンズを見つけるぐらいに難しいと思う。
 偶々2丁拳銃のファンが分別をわきまえた人が多いから、反感や失笑を買うだけで済んでいるが、これがもし武闘派精鋭集団で構成されるファン層だったら、暢気に「修士様〜!」と叫んだライブ帰りに1人で歩いてたら無事に帰るかどうかはあやしい。
 それぐらいのことをやっている。

“様”以外ならどうだろう。
 “様”を使わないが“様”同様に目立つ呼称。
 まず真っ先に思いついたのが「殿」。
 でもこれは確か目上の者が目下の者に使うものなので、今更失礼も何も無いような気はするとはいえ、あまりふさわしいものではない。

 ならば“氏(うじ)”。
 「恋してたもう」ならば、うってつけの呼称ではないか。
 できればシャドー蹴鞠つき(もちろん座って)で「修士氏(うじ)〜」と叫んで貰いたい。

 実際にその姿を想像する。
 「44口径」が流れました、さぁニチョ出てきました、そこでサマ様が叫ぶ、

 「シュウジうじ〜!!」

 …余計に腹立たしさが倍増か。

小堀さんが“様”と“summer”を引っ掛けていたが、ファミレスのメニューにも秋ものが登場する今日この頃。
 そろそろ秋風に押されて欲しいものよ。

話は変わるが、最近道を歩いていたらやたらセミの死骸に遭遇する。
 セミってあんなに堂々と道の真ん中で死んでたかなぁ。
 玄関開けたすぐそこでも死んでいて、(うわっ!)と思いつつ、足でちょっとずつ追い出す。

明日はJ-WAVEライブ。
 今日の会場と目と鼻の先の会場でまたも弾けよう。
 あぁ、レミオロメン。嗚呼spitz。  
 
 

 
 




2005年08月15日(月)
びっくりサマー


新宿タワレコでの2丁拳銃インストアイベントに行ってきた。
 ここ最近の客層からいって、10分前に行けばさすがにぼちぼち人も集まるだろうから、それまで色々視聴しようと思いつつ18時15分頃着いたら既に人垣が。
 いつの間にか2丁拳銃人気者。
 あらら、と思いつつ前の方でも後ろの方でもない位置でポケーッと立って待つ。
 文庫本を持ってくれば良かったなぁとちょっと後悔しつつ。
 客層は10代後半〜20代前半の女性が多かった。
 ちなみに私の周りの10代っぽい子は軒並み忍耐力が無く、始まるまで色んなものや人に八つ当たり。
 「2列前の女の背が超高くて超ムカツクー」なんてわざわざ言わなくてもさぁ。

覚えてる範囲内でのレポートをブログなりHPなりに載せる予定なので、概略だけ書くと、リハでは1.8曲(1+0.5+0.3)。本編では3曲披露。
 そして、一瞬の沈黙を逃さず、「修士さま〜!!」と叫ぶ方が1人いて、いささか引く。
 この手の人を間近に目撃するのは随分と久しぶりだが、まだこういうタイプはいたのか。
 どうやらここ最近、2丁拳銃のイベントに出没しているご様子。

 “好き”の表現方法はそりゃ人それぞれだ。
 でも、ネタの前に叫ぶことだけは絶対止めて欲しい。
 2丁拳銃だけ出る単独ライブの時にやられるのはもちろん嫌だが、他の芸人も出るライブではなおさら。
 家やカラオケボックスの中で1人ほとばしる胸の思いを叫ぶ分には誰にも何の迷惑も掛からないが、今から舞台が始まる時に“修士”と名前を上げて叫ばれると、2丁拳銃のファン以外の人達には「2丁拳銃のファンってアホが多いんだね」とか「2丁拳銃ってあんなファンしかついていないんだ。バカだねー」と思われることがあることに気づいてるんだろうか。
 気づいてないだろうな。気づいてたら怖くて出来ない。
 2丁拳銃を私は好きだし、2丁拳銃を好きな人のことも基本的に好きでお近づきになりたいと思うが、“好き”の表現方法にもよる。
 打ち解けて話し合ったら凄く気が合うのかもしれないが、少なくとも表面に出ている行動面だけを見たら、出来ればこのまま交わることなく終わりたい。

 もっとも、早ければ3ヵ月後ぐらいには違う人に「〜様!!」と雄叫びをあげてるかもしれないけど。

今日のインストアに行けて良かったことは、小堀さんのハーピストの顔を存分に見れたこと。
 特に即興で吹いた「赤とんぼ」は、4年ぐらい前の福岡ローカル番組でも吹いたことがあって、それを聴いた時(こんなに赤とんぼがカッコよく聴こえたりするんだ!)と驚いたことを思い出す。
 本人も自分で自分の演奏に感動していた(^^ゞ。
 



2005年08月14日(日)
肩からも汗


何日か前の新聞に、夏の東京はマニラ並みの暑さが将来的に続く都市になるらしいという記事が載っていた。
 元から汗っかきな方だが、今日は特に凄かった。
 肩の辺りが汗で濡れてひんやりするほど。
 地球温暖化に加勢することは心苦しいが、汗は大敵なので夜もクーラーを弱の28度にして寝る日々。

今日は新宿で久しぶりに買い物。
 服&CD。
 CDといえば明日はニチョの握手会。
 握手会に行けない方から整理券を頂いた(ありがとうございました)が、買ってないのにイベントにのこのこ顔を出すのは心苦しいので、「ティラノ〜」を発売後3週間も過ぎてやっと購入。
 エライもんで、イベント棚に置いてあったのは私でラストだった。
 札は「二丁拳銃」と残念だが、ポップには「吉本興業が誇るシンガーソングライター・2丁拳銃〜」てな紹介が書いてあり、何かちょっと笑えた。
 シンガーソングライター…。
 
 一番最初にパッと惹かれたのは「こっちにきて」だった。
 詞が好きなのは「トンビ」。
 2丁拳銃の歌部門では、私は修士さんがメインを張るものが好きらしい。
 2丁拳銃の曲を聴くと、もっとブルースハープを練習したいなぁという気持ちになる。
 でも、私がブルースハープを習いに行ったことがあると話すと大概の人から笑われる。
 「そんな地味な楽器の教室があるの?」とか「そこって、宴会芸でも教えてくれるの?」とか。
 その時はへらへら笑って交わしているが、心の中は歯軋りするほどくやしがっている。
 小さくて目立たないが、凄く奥が深くて、吹く人が吹けば本当にぞくっと参ってしまうほど曲に深みと幅を持たせる凄い楽器なのに。

久しぶりにルミネtheよしもとのテレビ通りに行ったら、CD・DVDコーナーが独立していたり、芸人グッズのUFOキャッチャーが出来てて驚いた。
 チラシラックにあったフライヤーは東京NSC6期生以降のイベントが主。
 足も気持ちも遠のいていきそう。

 そういえば、昨日・今日とプラン単独@東京だった筈。
 いつ発売日だったのかは忘れたが。
 私はこのチケットを果たして取ろうとしたのかな。
 取ろうとしたけども結局取れなかったのかな。
 それすらも思い出せないなんて。
 まぁ、9月はプレミアの前にスタンダードも行くが、それは「芝居もん。」がプランとリットンだから、という理由なので、まだプランに対する興味は消えていない。
 去年は帰省中で東京では見れないから、という理由で「ジャリズム☆ナイト」明けに徹夜で大阪に見に行ったが、あの時のテンションが高すぎた。

 元チュパのトークライブチケットのハケ具合の勢いが凄まじくて、若干ビビリ気味。
 
tvkで約10日遅れの放送となる「ワイ!×3 水曜」にジャリズム登場。
 再びこの2人がジャリズムとして活動している姿を自分の目で1年以上見ているのに、いまだ再結成したことが信じられない。
 凄く良いけど悲しい夢を見てるんじゃなかろうか、なんてことを思ったり思わなかったり。
 それはそれとして、オイシイとあれば譲ってもらったGパンのポケットに入っていた一万円でも人のフレーズでもパクる山下さんの盗人ぶりは健在だった。
 渡辺さんは髪が伸びていた。
 いつぞやの虎乃門では(渡辺さん、また髪切ったなぁ)と思った覚えがあるから、この1〜2ヶ月でエライ伸びている。
 「カリカ室」の朝顔に分けて頂きたいほど。
 あの朝顔、何も触れられないまま夏を過ごさせて、最終回&秋到来近くになったら、既に種に変化して現れそう。
 
 



2005年08月13日(土)
ハリガネロック in 最後の漫才ライブ


タイトルにあげたライブを10月8日(土)にルミネでやることが決定予定らしい。
 情報ソースは3ヶ月ぶりぐらいに再開したユウキロックブログ
 ブログを始めたことも止めたことも風の噂で聞いたぐらいなので、今回も自分で見つけた訳が無い。
 ナオさん、いつもありがとう。
 
元からブクマをしていなかったユウキロックブログ。
 ブクマをしていたおーうえ日記→おーうえブログから辿ろうと思いつく。
 相方のブログなんだから更新はされなくても一応リンクぐらいは貼ってあるだろうと。
 
 結果、タイガースと天才のことは事あるごとにぽかーんと書かれていても、相方のブログアドレスは皆無だったので、検索を掛ける。
 大上さんもひなたくんこと天才もお誕生日おめでとうございました。
 遅れに遅れてますが。

そうして辿り着いたユウキロックブログ。
 相変わらず事細かな感じで、(そこまで書く必要あるのかな)と首を傾げてしまう箇所が無くもない。
 書いて形にしてしまうと後にひけなくなるから、逆に9〜10日のことは書いたのかもしれないけど。
 どうするどうなる松口祐樹…という興味はあまり無いが、良い方に転ぶことに越したことは無い。
 良い方になったら、色んな日記でおめでとう日記が書かれるだろうから、それらで知るだろう。

夏にすると言っていて延びた単独ライブ。
 こういうタイトルだが解散はしないらしい。
 壮大な釣りタイトルか、真正面の宣言か。
 当日までにじわじわ分かるか、まったくのお手上げか。

 もう漫才をしないなら、それでも良いと思ったりもする。
 漫才とコントの二刀流よりも、漫才なら漫才、コントならコントを究めてくれた方がすっきりする。

 漫才でもコントでも無くても良い。
 とにかく、“ハリガネロックはなんといっても○○”と言える領域を見せて欲しい。
 
 こういう偉そうで不遜な考えを問答無用に蹴散らしてくれる、力強い舞台をやっている姿を10月8日以降も見せて欲しい。
 それだけで良い。



2005年08月11日(木)
SBPF=ソーセージバタフライ○○○フェスタ


tvkの何週遅れでやってるのかわからない「プリプリプリンスDX」。
 最近野球中継でつぶれることが多かったので久しぶりに見た。
 テーマが「青春」で、ダイノジが1位。
 よく見るとおおちさんがSBPFシャツを着ていた。

 それを見た私の感想。

 (あ〜、おおちさんが“ソーセージバタフライポークフェスタ”のシャツ着とる)。

 大谷氏が着てたら絶対に間違えなかったと思う。

それにしてもこのDX。
 OPで流れる挑戦者映像を見たら、ハリガネを発見。
 ベタに「えっ!?」と思わず声が出た。
 でも、MCもネタ見せするとかいうのをどこかで見たような覚えがあったからきっとその映像だろうと思ってたら、挑戦者名みたいなロールのとこの最後にしっかり「ハリガネロック」とあり、何かちょっと嫌な予感。
 (最近、何してんだろうと思ってたらこんなとこにいたとは…)と、少々複雑。

 そしてランク発表。
 ベスト5どころか14位なんていう中途半端なランクに今度は「えぇ〜っ!?」と驚愕。
 お情けみたいな感じでネタ映像が流れたので見たけど、正直な感想はあ〜ららだった。
 今もやってるのか知らないけど、私が見てた頃のオンバト風にいうと、350KBも取れるのかどうかという感じ。
 ライブで見たら面白かったのかなぁ。
 笑い声は起きてたけど。
 なんだかなぁ…とかなり複雑。

 ハイキングウォーキングの松田さんがメガネで出てた。
 カリカのワイ!×3に告知できた時もそういえば掛けてた。
 あのメガネ、結構好き。
 カリカのワイ!×3は、林さんのドSぶりが毎週楽しみ。
 どこを切っても爽やかさのかけらも無い水曜日。
 どんな経緯であのMCにカリカが抜擢されたんだろう。
 もうすぐ交代だけど。
 ピースとパンクブーブーあたりが来そうな気がするがどうだろう。
 次長課長もそろそろFandango!でメイン番組の1つぐらい持っても良い気がするが、次課長は地上波にどんどん出て行くのかな。
 次課長がこんなに東京で弾けるとは思わなんだ。
 そして、そのことがやっぱり嬉しい。

最近、また出勤前にアジカンのライブDVDを見たり、PCに取り込んだアジカンやレミオ、ゆらゆら、サンボマスターなどを再生しながら作業をしている。
 素敵な音楽が多すぎて、時として気持ちの処理が追いつかない。
 私はピアノもギターも弾けないし、ト音記号とヘ音記号の違いも理解出来ないほど音楽を知らない。
 知らないが避けることは考えられない。
 ジャンルは辛うじて“ロック”で括れるが、アプローチはどの人も似ていない。
 バラバラだが、それぞれに引っ掛かるものがあるので近づかずにはいられない。
 
 ただ、どんなこともいつかは消えて無くなるものだと思うから、「No ○○ No Life」という言葉は怖くて使えない。
 「〜が無かったら生きていけない」よりは、「〜が無くても生きていける」人間でありたいし、生きていけるものだと思っている。
 なくした対象がモノであれ、人であれ。
 生きていかなきゃいけないと思っている。
 
 だけど、対象がモノであれ人であれ「〜があるから、少しでも長く生きていたい」という気持ちは常に持ち続けようと思っている。
 その気持ちを忘れてはいけないとも思っている。

 相手もそう思ってくれるのかどうかは分からないが、少なくとも私自身はそう考える。



2005年08月08日(月)
それでも31


現時点でのライブ参加数をフト数えてみた。
 31公演。
 31/8=約4公演。
 なんだ、少なくとも週1ペースでは行ってる計算じゃん。
 ちなみに去年の7月は1ヶ月だけで11公演(苦笑)。
 去年の私は猛暑の中ヤケに頑張ってたんだなぁ…。

午前中、突発的に大ボスと仕事の打ち合わせ。
 虫の知らせか、チマチマとプレゼン資料を作りかけていて良かった。
 ちなみにこの仕事、<コツコツ長期に渡り根気良くデータを収集・分析〜>という発注依頼があり、これを見た段階で(何かこれ私、振られそうだなぁ)と思ったら案の定だった。
 コツコツちまちま。
 そういうイメージを持たれている。
 途中までは確かに“コツコツちまちま”だが、だんだん面倒くさくなってきて“帳尻合わせ上等!!”的気質になるところがある、なんていうことは内密にしておこう。
 
 そしてプレゼンや経過報告を聞いた大ボスが
 「君、案外利口やったんやなぁ」
 と捉えようによってはかなりの失礼感想を吐いたことは忘れよう。



2005年08月07日(日)
後藤氏悲願達成(?)


秋分の日のうめだ花月チケットが取れた。
 プレミア&スタンダード。
 これ以上無いだろうと思うほどサクサク繋がり、5分も経たぬ内に購入完了。
 私が行くライブはいつもこんな感じだなぁ…と思ったが、夜覗いたらプレミアはなんと完売。
 (すげぇ〜)と思うと同時に(あっ、やった!)とも思った。
 この分だと今回は後藤さんが日記で不特定多数にライブ出席を呼び掛ける必要はあまり無さそうじゃないの、と。
 完売は気持ち良い。
 自分が取れたからだろ、と言われたらそれまでだけど。

 それほど追わなくなったと言ってるそばから大阪に行くなんて、我ながら矛盾してると思う。
 単に遠出したいから、ということが1つと、東京以外の場所で面白そうなことをやってるみたいだから、ということが1つ。
 東京じゃしばらく見られなさそうだし。
 最初から予定に無かった東京は良いが、いったんは予定に入っていた名古屋の方は複雑だろうなあ。
 栄が閉館しなかったら夏は3人で行ったのかなぁ。
 キャーキャーを貰えてにんまり熱い夏、の予定だっただろうに。

 調べたら角座のチョップリンの出番日とはあたらなかった。
 残念。

週刊ポストの中刷りが電車にあったので何気なく見ていたら
 「謎の芸人・ハードゲイの正体 フゥー!」
 なんて特集が目に入った。
 グラサンでHG住谷がにこやかに笑ってる写真も小さく載っている。
 (謎?謎も何も住谷でしょ?今年の12月で30歳で、同志社のプロレス同好会出身で、2丁目のオーディションを受けた時は生協に就職が既に決まってたレイザーラモン住谷のどこに謎が?)
 と、びっくりする。
 どちらかというとHGで売り出していける今の空気が謎だけど。
 プロレス系UG芸人のイメージがあったレイラモが新喜劇に行った時も驚いたが、気づけばUGが1人HGになってるのも驚いた。
 住谷に相方(出渕さん)がいることがトリビアみたいになったら嫌だなぁ。
 2年前の賛否両論激しかったハリガネ単独@ワッハホールでは、大上さんとレイラモでヒロタのシュークリーム大食い対決をやってたのが嘘のよう。

RIJFに行ってるナオさんからメール。
 アジカンは1曲目で後藤さんが眼鏡を壊してしまい、裸眼でやったそう。
 裸眼の後藤さんは結構男前だったらしい。
 羨ましい。
 そして、サザンはかなり凄かったらしい。
 心底羨ましい。

後2週間でJ-WAVEライブ。
 わくわくとレミオロメンを待つ。
 Spitzの一番新しいアルバムは2、3回しか聴いてないのでもうちょっと聴き込もう。
 Spitzのアルバムで一番好きなのはどれかを考えたら、「ハチミツ」と「インディゴ地平線」で迷う。
 
 そういえば昨日、ファミマに入ったら有線でGO!GO!7188の初期の曲が掛かっていた。
 曲名は思い出せないが「こいのうた」で無かったことだけは確か。
 あんまりGO!GO!〜を有線で聴いたことが無かったので、ちょっと嬉しかった。
 昔、九州8局ネット制作のローカル番組でデビュー直後のGO!GO!〜のドキュメンタリーがあったが、録っておけば良かったと今頃になってちょっと後悔。

ビデオも大分減ってきた。
 しかし、処分用にしていたビデオを違う番組を探すために再生したら何故かフットが初めてゲストに来た時の「しんや君」がまるまる残ってたんで夜中に1人びっくりした。
 何でこのビデオがうちに?しかも何故上書きされずに無傷?と。
 2001年6月8日の放送。
 ゲストを紹介する時の第一ヒントが「男前とブサイク」だったが、これを見た途端、答える側のアシスタントの女の子が「2丁拳銃さん!?」と言っていて、ちょっと笑った。
 言われるほどブサイクとも男前とも思わないんだけどなぁ、正直のところ。
 上には上がいるし。



2005年08月06日(土)
いずこじゃ〜っ


従妹の誕生日プレゼントを選びに原宿・渋谷へ。
 事前にリサーチしたら「BEAMSのリュック」が欲しいという。
 色や大きさは「お姉ちゃんが選んでくれたものは何でも嬉しいからお任せする」とのこと。
 将来働き出したら、初給料で自分の親兄弟よりも先に私に何か買ってあげると決めているほど、私が好きらしい。
 私にとって彼女は9年待ってやっと生まれた待望の同性の従妹なので、他の従兄弟達とは違う感情が確かにある。

それにしても求める形や色が無かった。
 ボストンは結構良いのがあったから、どうしてもリュックが欲しいのか電話で聞いたらどうしてもリュックが良いという。
 原宿のBEAMSでは“これ”というものが見つからなかったので足を伸ばして渋谷へ。
 結局PORTER×BEAMSにする。

BEAMSで“2丁拳銃”バッグ発見。
 ピンクで小さめ。
 目に入った瞬間、(あっ、2丁拳銃!)と脊髄反射的に反応してしまったのは、もはや刷り込まれた習性。
 あれがTシャツとかだったら買ったかもなあと思う。
 バッグ自体お手ごろ価格だったのだが、あんまり私が普段持ち歩くデザインではなかったので、買わなかったけど。

リュックを買った後、「Three Minutes Happiness」にフラフラ入り、見事なまでの価格破壊に度肝を抜かれる。
 最初、あまりに安いからちょっと危ない系のご商売のアンテナショップ化と思ったが、コムサ系列の雑貨らしい。
 結構楽しかった。
 DVDラックを買おうかどうしようか迷ったが、一応保留。

 PCにインストールしてあった「DVD Creator」の使い方、何となく分かって来た。
 別にシーン削除をしないで良いなら、ナオさんから教えてもらった「DVD Decrypter」でやっちゃった方がはるかに楽だけど。

J-WAVEライブのチケットが届いた。
 楽しみだ〜。

原宿に出たついでに新宿に行って、「ティラノ〜」を買おうかと思ってたのに忘れてた。
 私が「ティラノ〜」と今月号のマンスリーを手にする日はいつになるやら。

HDDに試しに撮っていた「家族」という映画が結構面白かった。 
 出演者の設定が長崎人というだけで見ようと思った映画だったが、全員殆ど違和感無い長崎弁だった。
 笠智衆さん、井川比佐志さんのお二方の長崎弁は、イントネーション・語尾ともネイティブのようだった(笠さんは熊本出身らしいが)。
 倍賞千恵子さんも9割8分ほど違和感が無かったので嬉しい。
 名優って凄いなぁと今更ながらに思う。
 しかしこの映画、北海道に行く途中で1歳ぐらいの長女が突然亡くなり、北海道についたらじいちゃん(笠さん)まで亡くなるなど、長崎〜北海道間を列車・船を乗り継いで行く数日でここまで起きるか、と思うほどハードロードムービーだった。



2005年08月05日(金)
青い空は

TBSの「ヒロシマ」特番。
 見ている内にどんどん引き込まれる。
 広島と長崎に関係する人達以外はどうなんだろう。

恥ずかしいことに6月23日が何の日なのかを知ったのはつい最近だ。
 1945年の3月10日に東京で何万人もの人が亡くなったというのに、そのことについて深く考えたことが無かった。

 自分のことと結びつけて考えればそんなことはない。
 自分のことと結び付けなければ、他の色んなことと同じようにいつかは流れ去って忘れてしまう。
 忘れることはとても恐い。
 他人事はとても恐ろしい。

原爆を深く教わったのは小学校だった。
 当時はまだ被爆者の教員が現役だった。
 そして私の学校は被爆校だった。

 8月9日は登校日。
 教室から体育館に向かう廊下には、被爆者や被爆者の遺体写真、黒こげの馬、何も無い街の写真がずっと貼ってあった。
 そこにそういう写真が貼ってあることは事前には言われない。
 
 生まれて初めて原爆が落ちた当時の写真を見た私が、その時何を思ったのはか覚えていない。
 多分唖然としてたんじゃないだろうか。
 自分と同じ人間だとは思えず、物のようだった。
 実際、その写真に写っている遺体は熱線で一瞬にして焼け焦げて炭化しているので、組成的には物体に近いものだったかもしれない。
 
 その写真は40年前の今日のこの場所だ、と言われてもあまりピンと来なかった。
 しかし学年を経るにつれて、徐々に自分に置き換えて考えることが出来るようになった。
 今、原爆が落ちて自分だけ生き残ったらどうしようとか、今、戦争が起きてお父さんが戦場に連れて行かれたらどうしようとか、どこか突拍子も無い仮定だが、8月9日が近づくにつれてそういうことを想像しては時々とても不安になった。

 自分は原爆で死にたくないし、自分の親も原爆で死んで欲しくない。
 友達も大好きな先生も原爆で死んで欲しくない。
 非常にシンプルな願い事を8月はよく祈っていた。

 そういう気持ちで9日の登校日はいつも「青い空は」という歌を大声で唄っていた。

 googleやYahoo!で検索すると結構MIDIも歌詞もヒットした。
 その中の1つをクリックしてみた。
 中学校以降では「原爆を許すまじ」を集会では唄っていたから、メロディを聴いたのは15年ぶりだ。
 
 15年ぶりに音楽を聴きながら頭の中で歌詞を思い起こしていたら、いつの間にかボロボロ泣けて来て、ちょっと困った。
 初めて教わった時、
 >あの夜 星はだまって 連れ去っていった
 という歌詞について、どういうこと?と親に問うと
 「長崎でね、原爆が落ちたその日の夜までにいっぱいの人が亡くなったってことばいいよっとよ」
 と教えられ、子供心にガーン!と来たのを思い出す。

 あの頃、「伝えたい」と願われた対象だった私は、「伝えたい」と願う側となった。
 これだけは絶対に伝えなきゃいけない。
 途絶えさせてはいけない。

ちなみに「原爆を許すまじ」はあまり唄ったことが無い。
 MIDIを聴いて頂けたら分かるが、「青い空は」は原爆のことを歌ってる割にあまりおどろおどろしくない。
 だから小学校で教えたのかもしれない。
 中学校に入って初めて「原爆を許すまじ」を聴いたとき、あまりのおどろおどろしさに面食らった。
 正直言うとあまり好きにはなれなかった。

 今回、どんな歌詞なのかを改めて検索したら、1番から4番まで全面的に凄み溢れる歌詞だった。
 どこか哀愁が漂う曲調とは対照的に、歌詞は拳を握って堪える怒りにも似た思いを感じる。
 でも、恨みは無い。
 許さないけれど恨まない。
 忘れはしないし忘れられないけど、立ち止まったままではない。
 市井の人々が持つ底力を感じ、また悲しくなる。
 広島も長崎も、原爆が落ちた年の秋には電車が走ったり市が立ったりし、混乱の中をそれでも生き抜く人達が確かにいた。
 力を持たない筈の人々が圧倒的に強かった。

今年、広島の原爆碑の文字の一部が傷つけられた。
 傷つけた犯人は自首した。
 「過ち」の文字が許せなかったらしい。
 同じ日本人が作っておきながら「過ち」とは何だ、と腹が立ったことが動機らしい。
 
 あの“過ち”は勝ち負けに対する“過ち”じゃないと私は思っている。
 “戦争”を起こしてしまったという、全人類が決して忘れてはいけない“過ち”。
 もうあれ以降“過ち”は起きていない筈だが、“過ち”は続いている。
 こんなに人間は忘れてしまう存在なんだろうか。
 




2005年08月04日(木)
踏ん切り

1日の「星田vs宮川Vol.4」のチケットを持っていたが結局スルー。
 今となっては(やっぱ行きゃ良かった)と思うが、その時は(行こうか行くまいか)と駅に向かって歩きながら考えつつ駅に着いたら18時。
 まだ間に合うといえば間に合う時間だったが、新宿に上手いこと乗り継げても相当バタバタしなきゃいけないし整理番号も後ろの方だし…とネガなことしか考え付かず、(もーえーか。暑いし)と、ふざけた理由でスルー。
 最近こんなことばっかり。
 ほっしゃん。ライブ、2ヶ月連続スルーしてる。
 ほっしゃん。、むしろ好きなのに申し訳ない。

 こういう感じで徐々にフェードアウトしていくんだろうなぁと思う。
 あれほどのめりこんでいたのに。
 いや、まだ片足どころか両足の太ももあたりまではまだ突っ込んでるけど。
 それでも、以前に比べると淡白になった感は否めない。

 そんな現状でも単独をするのかしないのかが気に掛かる人たちはいる。
 この人達を見に行くことは、これからちょっと先の未来の私の行動基準にデフォルトで組み込まれてるんだろうなぁと思う。
 2丁拳銃とハリガネロックは、どうあがいても結局動向が気に掛かる。
 今は特にハリガネ。
 今は何をどうしてるんだろう。
 @ぴあで検索してもルミネしか引っかからない(今日検索したら広島の公演が見つかったが)。

 地方ばかり行ってたら行ってたで(どうした、ハリガネ)と思うし、地方公演が減ったら減ったでこれまた(どうしたハリガネ)と思ってしまう。
 夏にやるとか言っていた単独ライブはどこに消えた。
 会場なんかどこでも良いから、ぐだぐだした気持ちがいっぺんに吹き飛んでしまうような小気味良い漫才をやってる姿をそろそろ見たい。
 ストーリー性全無視な、キテレツ全開コントでもいいから。
 それが見れるのならあのシアターDにでも行く。

シアターDで思い出したが、ジャリズム☆ナイトはまたやるのかなぁ。
 ジャリズムブレーンからお誘いメールは再び来るのか。
 笹塚周辺は気に入ってるが、あのライブが無いと笹塚に行かないから、そろそろ笹塚参りをしたい。

2丁目時代の番組をDVDにダビングするついでについつい見てしまうが、11期のまとまり感は何だかカッコイイ。
 2丁目閉館特番もダビングしたが、メイン司会のナイナイが当時の2丁目主力メンバーを殆ど知らない結果、大上さんや溝、小堀さんの名前を何度も言い間違えたりするなど、微妙な空気が全開。
 それが松口さんにMCが代わった途端、客席の空気が劇的に変わって盛り上がるのが何だか痛快。
 ばくてんライブVol.3で陣内さんがやった立てこもり犯のコントでは、小堀さんが声の出演をしていたり、2丁目告別式に駆けつけたぴのっきおさんやリットンさんの予想を裏切る言動・行動の数々に、会場の客・芸人ともども笑いを必死でこらえてるのが丸分かりだったりと、今は無い雰囲気に触れるのも楽しい。
 過去を振り返ってばかりもいけないが。

朝、会社に行く途中、ベビーカーに乗ってる1〜2歳の子と若いお父さんを見た。
 お父さんは一応子守をしているが本を読みながらなのでおざなり。
 子供は退屈して立ち上がろうとしていた。
 (危ないなぁ)と思いつつ通り過ぎたら、程なく背後で何か動いたな音と子供の大きな泣き声が。
 咄嗟に振り向きながら私が思ったことは

 (おっちゃけた!?)

 だった。
 
 “おっちゃけた”。
 漢字で書くと“落っちゃけた”。
 標準語だと“落っこちた”か。
 人間、幼少期に覚えた言葉のクセは抜けないんだなぁと思い知った。
 人生の3分の2は長崎人。



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