つらつらきまま


2005年03月31日(木)
心新

明日から新年度。
 心新たにまた頑張ろう。
 こうやって日々は過ぎ行く。

本当に明日から新生活のスタートを切る人も大勢いるだろう。
 慣れないうちは、自分だけ何も出来ないのではないかと落ち込みがちになるけど、それは9割9分自分の周りの人達も思っていること。
 いつか、悶々とした状態やもやもやは必ず“過去”になる。
 だから、大丈夫。
 渦中にいる間はなかなかそうは思えないだろうけど。

百式2005のスケジュール発表。
 平日2回公演って元取れんだろうと思うんだけど。

 今年はルミネ1つだけだなぁと思うけど、そのルミネ枠を取れる自信ありませぬ。
 “頑張ろう!!”と鼻息荒く意気込むような気持ちもあまり無く。
 何だ?このローテンションは。

恐らく、今私の関心は明後日に迫ったゆら帝@野音でいっぱいだから、というのが一番の理由だと思うけど。
 キャパからいって、全員無料ご招待という感じなのかなぁと思っていたら意外にそうではなかったよう。
 私は同伴者が決まっているけど、色んなサイトを見たら本人確認が厳重なので転売・譲渡は無理なため、「一緒にいれてくれる方お願いします」というお願いが多い模様。
 同様に
 「一緒に入りたい方はいらっしゃいませんか」というものも。
 この本人確認の厳重さは(そこまでやるんか!?)と驚くほどの徹底ぶり。
 音楽ライブでは常識なのかな。さっぱりご無沙汰だから分からないけど。

 それにしても、何で私当選出来たんだろう。
 最大の疑問点はこれ。

 近年稀に見るミラクルだが、3月はミラクルが多い月だったそういえば。
 「D関」とか「詩」とか「曲者」とか。
 「詩」を見た頃が忙しさのピークだったから、まだあれから3週間ぐらいしか経っていないというのが正直信じられない。

最近、NSC8期〜10期から目が離せない。




2005年03月26日(土)
お笑いわらしべ


ナオさんが諸事情によりいけなくなった、ということで「ダイナマイト関西」に代わりに行って来た。
 「詩(東京公演)」といい、お笑いライブに関しては行きたいライブには最終的に色んな方の心配りによって行くことが出来るこの境遇が申し訳ないというかなんというか。
 おまけにナオさんが取った席というのが、あの激戦のファンダンゴ先行を勝ち抜いて取れたものなので、開場して席を確認した途端、笑いそうになりつつ倒れそうにもなった。
 その席は“かぶりつき席”あるいは“チラ見席”。
 まさか人生で“自分の周囲30cm圏内にケンドーコバヤシがいる”ということが一度ならず二度も起きるとは。
 そして、美貌はやはり美貌だった。
 来年のマンスリー恒例企画の男前部門には迷うことなく井上聡に一票投じようと思う。

 ファンダンゴ!で流れるかもしれないので、あまり詳しいことはいえないけど、一言で言えば“カッコイイイベント”だった。
 “大喜利”という一種の真剣勝負を前にし、芸暦や芸風は関係なしに一戦士として、どの人達も自分の力を全部出して挑んでいるように思えた。
 実況解説では丁々発止のやり取りがノーカットで聞けたので、かなりのお得感。
 “問チェン”は東京でも健在。

 ナオさんから譲ってもらう前は、絶対当日立見だろうしそれもかなり大勢並ぶだろうし、長時間だし...ということで、当日券で入る予定は無かったので、本当にめぐり合わせで行くことが出来たことに感謝。
 こんな素敵なイベントを東京で打ってくれた インタレスティングプロデューサーの木村館長にも感謝。

家に帰ると、待ちに待ったゆらゆら帝国フリーライブ当選ハガキが来ていた。
 割と整理番号は前の方。
 これが吉と出るか凶と出るか。
 男の人に野音で押されても倒れない自信は無いぞ、う〜む。




2005年03月23日(水)
教えてあげたい


ハリガネロック・大上さん!
 あなたが写真日記に書いているCMはク○ネックスのティッシュのCMだよ!
 金髪の女性なのかどうかは知らんが、それに出てた女優さんは名字が三重県の地名の人です。

 偶然に偶然を重ねて3年後ぐらいにひょっこりこの日記が大上さんの目に止まれば良いなぁ。

後藤さんの日記を読んで苦笑い。
 私自身もエエ大人だもんなぁ、いつの間にか。
 枯れた年代のファンが多い方が手を焼くこともなくて良いと思うんだけど。
 チクショウ、泣く子と女子高生には勝てないぜ70年代生まれ。

ルミネ5月スケジュールを見て拍子抜け。
 こんな時こそチクる!来て欲しかった。
 何故に「拳(GU)」は無いの?
 5月は小堀さんが後藤さんとまた何かやるの?
 「百式」はルミネではやらないのか?
 で、17日は修学旅行生の貸切って。
 多分それでも行くだろうけど。
 ハリガネ、ニチョ、カリカと普通に良いメンバーだし。



2005年03月22日(火)
「天国行きのバスなら乗らずに見送って」


ビジュアルはどうにも苦手だが聞かずにはいられないサンボマスター。
 タイトルにあげたのは
 「あなたが人を裏切るなら僕は誰かを殺してしまったさ」
 というなんともいえないタイトルの歌詞の一節。
 「サンボマスターは君に語りかける」というアルバムに収められているだけあり、曲中は折々にVo.が語りかけてくるというか語っている。
 そこにちょっとズルッとなってしまうことを除けば、今一番聴きたくて聴いているアルバムであり曲でもある。

感情は“正しい”や“間違っている”という定義にあてはめるものではない。
 1つの物事について色んな見方が出来るから、色んな感情があって当たり前。
 感情を表明する自由と権利は誰にも冒すことは出来ない。
 だからこそ、表明する側は、形にすることの重さや責任を自覚していなきゃいけない。
 そのことが他者にも伝わるようにしなければいけないと思う。

 “ありのまま”は決して美しいものではないと思うし。

ここ数日の樅野さんのブログが鋭くて痛い。
 “イタイ”ではなく“痛い”。
 つんつん突っつかれる感じ。

今日は梅田で後藤さんのライブ。
 正直、今日後藤さんのライブですねというメールを貰うまでこのことは忘れていた。
 ライブと私の日常は違う世界にある気がちょっとして来た。
 このまま冷めるのかどうなのか。
 気持ちの余裕がちょっとずつ無くなっているというのが本当のところか。



2005年03月20日(日)
生は偶然


20日は大阪ではなく鹿児島か長崎に行く予定だった。
 それが大阪になったのは、

 「お父さんさぁ、宿直明けに新幹線口のとこを通る時に
  (あぁ、これに乗れば大阪にも京都にも行けるとやねぇ)
  って偶に思うっさねぇ〜」

 という父の何気無い一言だった。
 JRの空席検索は使えない時間帯だったので、翌朝6時半に調べたら3連休の中日ということでちょっと厳しめだった。
 おまけに電話予約もネット予約も出来なかったので直接博多駅に行ってみることにした。

最初担当した窓口のオッサンは、私が
 「一番早く出発できる新大阪行きの空席は何時ですか」
 と尋ねたら
 「今日はグリーンしかないです」
 とけんもほろろ。

 2万×2人×往復=8万!

 すごすご後にし、
 「…もともと九州新幹線に乗ってみたかったとやし」「偶には親戚づきあいもせないかんし…」
 とぼそぼそ会話しながら、九州新幹線の窓口に向かおうとしたところでハタと気づいた。

 「始発やけん、自由席のとこに早う並んどったらどうにかなるやん!」と。

再び山陽新幹線の窓口に引き返す。
 今回の担当の方はさっきのオッサンと違って非常に親切。
 大阪なんたらキップという自由席の割引チケットを教えてくれた。
 しかも、指定が残っていたら追加料金無しに指定に換えてくれるそう。
 「今日は休みやから一番早くて8時59分の指定がありますけど、1時間ありますしねぇ」
 と担当の方。
 えっ!?指定が残ってるだと!?、と早速その便の指定を取る。
 「今日はグリーンしかない」とのたまってたオッサンなんて頭がずるむけたらエエねん、と思いつつ。

8時59分発のレールスターひかりの指定席で出発した私達。

10時5分過ぎぐらいにケータイのアンテナが安定したのでチケットを取った。

10時50分ぐらいに友達に
 「急に思いついて大阪に親子で行っております。親子揃って計画性無いねん(^^ゞ」
 なんて能天気なメールを送った。

新神戸に着くちょっと前に乗客の一人が携帯を片手に話しながらデッキに移動した。
 「地震」という言葉が耳に入った。
 震源地は「四国」と聞こえた。
 博多駅で買ったガイド本を見ながら「ミナミ」と「キタ」の違いを必死に理解しようとしている父に
 
 「何か、四国で地震があったごたんよ〜」
 と言いながら確認するため、携帯の「The News」にアクセスした。


「福岡・佐賀で震度6の地震発生」


という見出しが飛び込んだ。
 エーッ!と思わず声にし、父に
 「福岡・佐賀やって、地震!」
 と携帯の画面を見せた。
 エーッ!と父も私と全く同じ反応。

 そこに私の会社の人から「地震」というタイトルで
 「大丈夫!?」という本文のメールが入った。
 速攻「何故か大阪に向かっていた途中なので身体は親子無事です」と打ったが送信が中々できなかった。
 新大阪に着いてやっと送れた。
 
改札を出ると臨時にテレビが置かれてあり、大勢の人が食い入るように画面を見ていた。
 高校の卒業旅行で大阪に遊びに来ているものと思しき女の子は携帯は中々繋がらないし、画面に映る街並みは凄まじいしですっかりパニックになっており
 「なんで〜、なんで〜!?もう訳分からん〜。何で〜…」
 と泣きじゃくっていた。
 さすがの私達も
 (これは思ったより状況はひどいぞ)
 と思えた。

私が真っ先にしたことは、帰りの新幹線の指定の確保だった。
 当時、山陽新幹線やその他の在来線は全線運転見合わせ状態でいつ復旧するか分からない状態だったが、線路に異常が無ければ夜には復旧すると見込んだ。
 その時、何となく自由席よりも指定席を持っていた方が確実に乗り込めるのでは?と思ったからだ。

 20時半頃出発する便の指定を確保し、安全確認のメールと無事報告のメールを友人・親戚に送った後は腹を括った。
 ここでおろおろしても何も出来ないし始まらない。
 福岡に戻る手立てがこの時点ではない以上、無事を信じて動き回るしかない。
 ともかく当初の予定地に向かうことにした。

安否が心配だった人からは全員無事との連絡がもらえた。
 しかし、最長で2時間遅れでそのメールは届いた。
 私の友人達は福岡東部に集中しており、身体は無事でも室内はめちゃめちゃだというメールばかりだった。
 ともかくも無事でよかった。

帰りの新幹線は15分遅れで福岡に着いた。
 新幹線口の階段を下りたとき、停電していなかったので何となくホッとした。
 コンビニもガラスが割れたりしているような形跡は無かった。
 ただ、消防車や何やらのサイレンが遠くでは頻繁に行き交っていた。
 家も物は全くと言って良いほど落ちていなかった。
 収納棚や衣装棚の中には扉が開いていたのもあったが、中身が散乱していることは無かった。
 
 しかし、同じ市内でも中央区や東区・博多区周辺の被害は凄かったようだ。
 福ビルのガラスが割れ落ちる瞬間の映像は思わず
 「えっ、えっ!何これ!?」
 と叫んだ。
 福ビルに入っている丸善にはしょっちゅう行ってたし、前日には結婚式に向かおうとしてたら、KBC祭りだかなんだかを見に行こうとしていた父と偶然このビルの前で遭遇した。
 物が倒れまくっていたコンビニは、多分私が地震前日にいろんなチケットを発券するために立ち寄ったとこだと思う。
 今日になって崩壊の恐れがあることが分かった大名のビルも分かる。
 全てが一瞬だった。

福岡で大地震が起きたことを知った時、本来ならこの地震に遭遇している筈なのに遭遇していない自分の状況が恐ろしかった。
 ぞっとした。
 そして、(福岡に帰ってて良かった)と思った。
 東京にいる時にこれが起きていたら、いくらなんともないと言われても心配で心配でしょうがない。
 東京に自分がいることをとても後悔していたと思う。

もしかしたらではなく、本来なら私はこの地震に9割9分遭遇している筈なのだと考えると、あらためて
 “死は必然。生は偶然”
 と思える。
 生きていることは当たり前のことではない。
 偶々死に至るような事態に遭遇しなかっただけだ。
 冴えなかったり失敗だらけだったりしても、1日無事生きてこれただけで凄い幸運の持ち主だと思っても良い。

いつ自分の“生”が突然終わっても不思議なことではないと考えると、自分がとらわれていたことが何となくバカバカしくなってくる。
 大概のことは“どーでもエエやん、そんなの。ぐだぐだ悩むなや”と思えてくる。
 生きること以上に大変なことは存在しないとも思える。



2005年03月17日(木)
まだまだ続く


大仕事と大仕事の隙間週間になる予定だったが、そううまくは行かず。
 またパワポ。
 やってやろうではないか。

もしかしたらそうかも、と思ってたらやっぱりそのようで、野々村さんは仕事を辞めたよう。
 心底勿体無い。
 あの才能が東京のどこかにある川谷家限定になるなんて。
 あんなについ最近まで活躍してたのに、よく辞めて家庭に入ったなぁ。
 
うちの母は結婚する際、父から「僕は正直安月給だが、それでもあなたには仕事を辞めて家庭に入ってほしい」と言われたので、父の2倍稼いでいた仕事を辞めて死ぬまで専業主婦だった。
 そんな母が好きだったから、私も結婚出来たらその時は専業主婦になるとずっと思って来た。
 そういうものなんだろうなぁと疑いも抱かなかった。
 だが、働き出したらそれが変わってきた。
 結婚したら仕事を辞めてくれと相手に言われたら、何だか嫌だ。
 私が辞めたら会社は私に代わる新しい人を雇うし、自分が思う以上に自分の代わりになる人は世の中にはいっぱいいる、ということは分かっていても何だか割り切れない。

 「仕事をしている私」にいつの間にかしがみつくようになった。
 そんなにバリバリとはこなしていないくせに。こなしていないからなおさらなのか。

なので、バリバリ仕事をこなしていたのにスパッとそれまでのキャリアを捨てて新しい道を歩める人、というのはますますもって尊敬してしまう。
 あー、カッコイイ〜!!
 シュウちゃん、凄い人と結婚してはるわ〜。
 シュウちゃんが本気で羨ましい。
 
 



2005年03月16日(水)
救世主・カンちゃん


どこもいじった覚えが無いのにワードのレイアウトが崩れてめっちゃ右よりに。
 どうにかしようとググっても解決策になりそうなものは見つからず、途方にくれること1時間。
 システム部の誰かに解決してもらおうと、血走った目で廊下に出たところ、都合よくむこうからひょこひょこ歩いてくる同期且つ同級生のSEナガセくんを発見。
 有無を言わさずとっつかまえ、どうにかしてくれと泣きつく。
 ナガセくん、余白の設定がどうにかなったんだろうと細い指でマウスをつかみ、ページ設定をクリック。
 私も真っ先にそれを考えたよ。
 でもね、余白はデフォルトのままなんだよ。
 「文書1」と同じ余白設定なんだよ。

 ナガセくん、小声で「え〜…」と呟いたと思ったら、う〜むと考え込みだした。
 (オイオイ、アンタがそれでどうする)と自分の能無しを棚に上げて心中ツッコミを入れていたら、後輩のカンザキくんがひょっこり登場。
 速攻確保する先輩2人。

 私が1時間、ナガセくんが10分悩んだこの課題。
 私のワードをちらっと見たカンちゃん、
 「最終版のとこが“変更箇所/コメント表示”になってるからですよ」
 と一言。
 “最終版”だけになると、あらら元通り。
 3秒で解決した。
 サンボマスターのVo.とカンニング・竹山と南海キャンディーズの山ちゃんを足して3乗したようなビジュアルのカンちゃんだが、この時は何だかビル・ゲイツのように見えた。

 あまりに鮮やかに解決してくれたので私の心は、カンちゃんへの賞賛と尊敬の嵐。
 「カンちゃん、すご〜い!やっぱり理系だ〜!理系は頼りになる〜!」
 と大絶賛。
 もっとも彼にとってはこれぐらいのことを解決できない方が信じられないっぽいようだった。

 システム部の人達はフロアは一緒だが部屋は私達とは離れている。
 なので、私のゆらゆらPCを見たのは2人とも今日が初めて。
 ナガセくんは
 「なんかさー、見た目はディズニーとかミッフィーとかDLしそうなのになぁ〜。何やろ」
 と、何か言いたげ。
 するとカンちゃんは
 「せりさん、意外とヤクザなデスクトップにしてるんですねー」
 と一言。

 えっ、ヤクザ?ゆら帝はヤクザ?
 バカ姉弟の方がまだ良かったのだろうか。

大学の同期が結婚するので連休は福岡に帰るが、出席する者は「ご祝儀っていくらが相場なん?」ということでひそかに情報交換。
 まだ学生さんもいるからなぁ。
 自分が学部生の頃はD3なんてめちゃめちゃ年上の大人という印象だったから、私の友人も学部生にはそういうふうに見られてるんだろうなぁと思うとちょっと面白い。
 
「修士さん結婚してたねー。でも小堀の時と比べたらショックは薄いでしょ?」
 というメールをよく貰う。
 どっちの時もショックはゼロです。
 それにしても熱いお祝いムードに包まれつつもどこか落ち着いているこの空気は嬉しいなぁ。

4月ジャリナイトが決まる。
 キャパは笹塚と大して変わらないと思うんだけどなぁ。
 「星田vs宮川 Vol.1」も公演決定。
 シリーズ化する。ほっとする。

 Live!チクる東京公演は愛しのチョップリンも出演。
 行きたいがルミネも気になる。
 百式をやるとしたら6月っぽいし。
 去年のチクる!が凄く良かったので今年も参加したいんだけど。
 あれに行ってから安田大サーカスを普通に楽しめるようになったんだ。

三ツ矢サイダーのCMソングが気になっていたら、GOING UNDER GROUNDが唄ってることを知った。
 最近の小太りロッカーは良い曲を作るので油断できない。



2005年03月15日(火)
よんでます

公式に修士さんのコメントがアップされていたので読む。
 サイトとネットに違いがあるのか?と細かいところを嫌らしく食いつきつつも、ますますもって“いーやん!いーやん!”とほっこり。
 だんだん春が近づくこの季節にぴったりのニュースをありがとうございます、川谷夫妻。
 “ダンナちゃん”は、最近の私の携帯の“タ行”予測変換では真っ先に出てきます、ハイ。


“ショックでした”という気持ちは分かるが、それをわざわざ本人が目にするところに書き残す気持ちはよーわからん。
 書いたところで何か生まれるのか?


2丁拳銃のネタや音楽を“深く”愛しているかどうかは自信が持てないが、2丁拳銃が創るものは確実に今のところは好きなものが多い。
 そういうものを創り続けてくれる限りは、2丁拳銃は追いたい芸人の一組にずっといるし、なるべく追おうとするだろうと思う。
 自分が好きなものを作る人の幸福は、外野も嬉しい。
 単純な私はそれぐらいしか思うことがない。


今年度の大仕事がどうにか片付いた。
 ホッとする。
 1つ終わっても、また次の仕事の準備にかからなきゃいけないので忙しい。
 それでも、何となくそういう状況も別に嫌じゃないと思うようになった。
 ようやく“面白み”が分かりかけてきたのかもしれない。

 今にして思えば、新卒で就いた部署は、私がやりたいと思っていた仕事内容だったが、私はその仕事を続けるには向いていなかった。 
 それが最初は分かっていなかった。
 うすうす気づきかけても認めなくなかったので、無理に馴染もうとして自分の首を絞めることになった。

 “向いてない”ということを自分で認めるまではかなり苦しかった。
 認めたら負けだと思っていた。全てが終わるような気がして怖かった。
 認めることは“逃げ”だと思っていた。

 でも、無理は結局続かない。
 “好き”と“向いている”は違うことにやっと気づいてからは、楽になった。
 私は好きなことを仕事に出来なかった。
 それが分かっただけでも、昨年の今頃の出来事は価値があると思う。
 過ぎ去ったからそう思えるのだけど。
 渦中の頃はとても辛くてきつかった。
 もう二度とあんな思いは味わいたくないし、他の人にも味わって欲しくない。


私がこよなく愛する「バカ姉弟」。
 うどんを作る話があるが、それに出てきた小麦粉「つるぴかり」が実在するブランドということを知りびっくり。
 誰がつけたんだろう。
 そして、何でそんな小麦粉があることを作者は知ってたんだろう。
 小麦粉なんて“日清薄力粉”とかそんな類しか知らない。

福岡吉本からのお知らせメールが届く。
 5月のイベント情報。
 フト見たら、3日にはハリガネが!
 思わず「あっ!」と声を出す。
 “ハリガネロック”に無意識的に反応することを今更ながら実感。
 15日って福岡のイベントスケジュール発表日だったなあ。
 福岡にいた頃はかなり楽しみに待っていた日だった。
 時は過ぎ行く。
 
 



2005年03月10日(木)
カモナマイハウス


会社帰りに信号待ちをしていたら、不動産社員と家探しの客と思しき2人の会話が耳に入った。

 社員らしき女性は
 “つい三日前までギャルだったし、っつーか今もギャルだし”
 みたいな髪型と化粧。

 客も
 “っつーかギャル。っていうかー夜露死苦ー”
 てな感じ。

 で、この2人が交わしている会話も

 (客)「さっきのー、マジヤバイじゃないっすかー。駅近いしー」
 (社)「っていうかー、今から行くとこはさっきのとこ以上にヤバイんですよー」
 (客)「えーっ、さっきのとこよりもヤバイんですかー!?えーっ、どうしよー。マジやばいー」
 (社)「ここが気に入らなかったら、もうウチではこれ以上ヤバイとこはご紹介できないです。私だったら即決めて住みますねー。もう入り口見ただけでハンコポーン、みたいなー。それぐらいヤバイんすよー」


 …つくづくこんな奴から紹介された物件にだけは住みたくないと感じた東京在住1年8ヶ月。

4年ぐらい前の「BREaTH」を読む。
 テーマは「金」。

 >夢を追いかけるために親にも頼めない友人にも頼めない恋人にも頼めない金を他人の企業から借りるな、借金が増えていくような夢ならあきらめろ。

 と、きついことを言っているのは修士さん。
 きついけど間違ったことは言っていない。

 ちなみにこの回の修士さんの書き出しは
 >「世の中は金や」子供の時から思っている。
 だ。
 修士さん、結構シビア。

 明日新宿行くからついでにCDを買えそうなら買っても良いんだけどもどうしよう、と思っていたがこのコラムで修士さんが 

 >そして今、一人暮らししている若者達よ(略)、キャッシュができるまで欲しいものは買うな!!

 と忠告をしているので、素直に従おう。
 いい年して1500円の出費をごちゃごちゃ悩むというのも情けない話だが。
 靴買わないかんし。
 レミオロメンはちょっとだけ安く手に入るみたい。
 ひゃっほぅ。
 ビバ・互助会。

明日は関西から友達が来るので嬉しい。
 新宿に行くメイン目的はそれ。
 高校1年からの付き合いであり、且つ私の数少ないバカメイト。
 土曜日はお互い違うライブに行くので夕方でお別れ。
 彼女はGLAY。
 私は曲者。

突如としてgoogleのキャッシュが文字化け。
 googleのせい?IEのせい?



2005年03月09日(水)
ぽっかぽか


暖かくて良い天気の東京。
 こんな日に仕事をするなんて間違っている。
 私が独裁者だったら「晴天午後仕事禁止法」とかいうのを制定するなぁ、うん。
 そんなアホなことを考えながら日々是仕事。
 悶々としてます。
 今回の悶々は自転車購入で昇華する予定。
 本当は原チャリかラクーンが欲しいが駐車場が無い。
 そろそろ自転車で東京をうろうろしてみよう。
 坂が多いのが難だけど。

 仕事中、パートさんが吐いた愚痴がかなりのヒット。
 私も不満に思ってたことだから。
 良いぞ、オバチャン。
 どんどん愚痴を吐いて私の鬱憤も一緒に消化させてくれい。

レミオロメンの「ether」が欲しい。
 欲しいが買いに行く暇と金がない。
 ぶっちゃけどちらも無い。
 再来週は結婚式に行くので更にどっかーん。
 給料日前なのに披露宴。
 入籍済ましてるのに披露宴。
 披露宴&二次会用に買ったショールは私がするとただの胡散臭い占い師。
 仮装大会があったらこの格好でエントリーしよう。

 そんなことはどうでも良くて、話はレミオロメン。
 会社の互助会を通じて買ったら2500円ぐらいで手に入るかもしれない情報を得たので明日聞いてみよう。

 レミオロメンモードなので、ライブ前の「青春デストロイ」購入は無し。
 行きたいライブも満載なので、当座の娯楽費はそちらに回す予定。
 いつかはニチョCDに回す…と思うが予定は未定。
 天下の回り物の筈なのになー。変やなぁー。

ライブドアvsフジテレビを見てたら、一方的にけなす人・一方的に褒めちぎる人どちらも胡散臭いなぁと思う。
 報道ステーションの古館さんの迷走インタビューはアカン。
 あーあーあー、とがっくり。

 テレビに楽しさは欲しいけど、ビジネスまでおちゃらけられたら正直たまらん。
 一線は必要。

一日30分ぐらいの運動と15分ぐらいのお笑い鑑賞は健康に良いことをアメリカの研究者グループが証明したそうな。
 思わずコピー。
 今年に入って健康と笑いの関係に着目した研究が続々発表されており、ちょっと良い感じ。



2005年03月08日(火)
想い出の曲


ヤフトピに“想い出の曲”聴いていたときの平均年齢は18.8歳という記事が載っていたので、私も挙げてみようと思う。

・「メロディ」(サザンオールスターズ)

 →生まれて初めて(この歌好き)と思った歌。
 発売日を見ると当時は小1だったよう。
 歌詞の意味は恐らく分かってなかったと思うけど、幼心に曲調の切なさをとてもきれいだと感じていた。

・「白い恋人たち」(ポール・モーリア・グランド・オーケストラ)

 小1の頃、冬の登校の音楽がこれだった。
 偶然母親が好きな曲だと分かり、余計好きになった。
 家で母親が持っていたレコードを2人でしみじみ聞き入った想い出がある。

・「雪のクリスマス」(Dreams Come True)

 ドリカムの曲で一番好き。
 英語版は見かけるけど日本語版はアルバムに入らず結構探した(確信無し)。
 FMラジオで流れてきたのをテープにとって歌詞起こしをしたことがある。
 シングルがやっと見つかった時は本当に嬉しかった。

・「巣立ちの歌」

 通っていた中学校では代々唄われてきたので自分達も卒業式で唄えると楽しみにしていたのに、何故か学校が断固として唄わせなかった因縁の歌。
 署名運動を展開して何とか唄わせて欲しいと中坊なりに懇願したのに、校長が署名を持ってきた生徒にその署名を投げつけたという話を聞き、怒り心頭。
 当日は、学校が「巣立ちの歌」の代わりに用意した歌も校歌も全く唄わない1人ボイコットを決行。
 昔からそういうことばかりしていた。

・「Yesterday Once More」(CARPENTERS)

 高校生の頃好きだった男の子がこの曲を好きということを聴き、わざわざCDを買って歌詞を覚えた…。

・「俺のすべて」(spitz)

 「ロビンソン」とジャケ写から勝手に作っていたspitzのイメージを覆した曲。
 これを聴いてからspitzが気になった。

・「ハヤテ」(spitz)

 大学受験が迫ってた秋頃によく聴いてた。
 「Yesterday Once More」が好きな彼がspitzも好きだと知り、いよいよもってどうしようかしらと1人で勝手に困っては、当時のspitzにしては分かりやすく恋心を唄っているこの曲に色々感情移入してはため息をついていた。

・「君が思い出になる前に」(spitz)

 母親が大病を告知された頃によく聞いていた。
 (お母さんが“いた”なんてことになってたまるもんか。
 まだまだ思い出になってもらったら困る)
 と涙をこらえながら聴いていたから、あまり嬉しい思い出はない。
 でも大事な曲。

 spitzを聞くと高校生だった頃が浮かぶ。

・「素敵な夢を叶えましょう」(サザンオールスターズ)

 結局最初で最後になった家族3人参加のサザン福岡ドーム公演で、最後に唄われたのがこれだった。
 サザンの大ファンだった母が帰り際
 「桑田さんが“ガンバレ”じゃなくて“負けんなよ”って言ってたのが凄く嬉しかった。
 “ガンバレ”だったら
 “あんたに何が分かると?私もうこれ以上頑張りきれん”
 とか思ったりするけど、
 “負けんなよー!”やったら
 “まだまだ負けとうないし、<素敵な夢>ば叶えたかけん頑張る!”
 って思えるもん」
 としみじみ言っていたのが忘れられない。
 母が叶えたかった“夢”って何だったんだろう。

・「こいのうた」(GO!GO!7188)

 母が意識不明になった1ヶ月間、何となくよく耳にすることが多かった曲。
 
・「旅人」(THE BLUE HEARTS)

 大学院に受かるんだろうかとか、千原Jr.は事故から立ち直れるんだろうかとか、春から2丁拳銃が東京でやる番組ってどんな感じなんだろうとか、とかく色んなことが見えそうで見えなくて悶々としていた2001年春によく聴いていた。

・「Title of mine」(BUMP OF CHICKEN)

 ことごとくステーン!と滑りまくる就職活動に落ち込んだらこれを聞いてとことんまで沈ませた。
 落ち込むときは無理に浮上しようとしないで、落ちるとこまで落ちた方が実は楽。

・「昆虫ロック」(ゆらゆら帝国)

 追い詰められて苦しかった頃によく聞いていた曲。
 びっくりするほど自分の心境にことごとくマッチする歌詞に救いを求めていた。
 環境が変わってからもよく聞く。

 >頭振っても楽しくない 腰を振ってものれない
 >ぼく本当はいろんなこと いつも考えていたのに

 のフレーズは今も実はちょっと切ない。

振り返ってみると“楽しい”思い出より、“悲しい”“切ない”思い出の方が多いというのは、我ながら寂しいが、そういう気分の時ほど音楽に救いを求めて癒されていた、ということかもしれない。
 
  



2005年03月07日(月)
それは正しい

どんな言葉の検索でたどり着いたのかを調べるために時々アクセス解析を見てみるが、これが結構面白い。
 最近の個人的ヒットは

 「次課長 井上 河本 コント 面白い」

 という組み合わせ。
 間違ってないし。

 ちなみにうちの日記がこの言葉でヒットするのは最後あたりでした。
 おまけに検索者の要望には全くこたえておらず。
 無力でゴメンナサイ。

再来週のEPフィルムズで「ジョッカー父さん」最終回配信開始。
 シリーズ化されてるとはおもわなんだ。
 コホラーのくせに何故このシリーズは見てなかったのかといえば、配信された早々パソコンが確かぶっ壊れてしまい、あたふたしていたら配信期間が終わっていた。
 「TEPCOひかり」に加入すれば過去の配信も見れるそうだが、身内にTEPCOのライバルグループの社員がいる以上、TEPCOひかり加入はやれない。
 ということで、最後ぐらいは無料配信期間を逃さないで見てみようと思う。
 “ユミコちゃん”が誰なのかさっぱり分からんが。

 そしてどうでも良い話だけど、EPフィルムズの「ジョッカー父さん」の予告に使われている修士さんの写真は、個人的には何だか寂しそうというか悲しそうな表情に見える。
 どんなシーンの時なんだろう。
 
ちなみに現在(PM22:20)のひかり荘は、松口さんの番組が配信中。
 エアロのイベント紹介を見たら
 「お笑いブームに乗り遅れた6組〜」
 と堂々と書かれてあって、ちょっと複雑に。
 時は既にオンバトじゃないもんなぁ。
 「お笑い好きをバカにしている」、「あんなのお笑い番組じゃない」なんて始まった頃は散々言われていた「エンタ」は毎週20%超。
 数がものをいう世界。
 
フジテレビの日枝さんを見る度に
 「ひえだのきゅーちゃん」
 というフレーズを思い出す。
 ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポンでハガキ職人が送ってきたネタのほんのワンフレーズなんだけど、彼を見る度に
 (おぉ、ひえだのきゅーちゃんではないか)
 なんて思う。
 最近は毎日見るきゅーちゃん。

昨日は「詩」を見た。
 去年聞いたものもあった。
 そして、アレルギーの薬を飲んでいたということと、場内の照明と椅子の具合から、つい…という時が一瞬、とはいえ正直ありました。
 スイマセン。
 千原Jr.というナイフでバラバラに切り刻んでください。

 開演してJr.が出てきた時に思ったことが1つ。

 (この人は、存在だけで他人を黙らせることも感激させることも出来るんだなぁ)

 ということ。
 
 千原Jr.を過剰にカリスマ化させたり同一視したりするようなことは苦手だが、約700人の老若男女がたった一人の男の一挙手一投足を固唾を呑んで見守る姿は、中々壮観だった。

始まるのはまだ先だけども今のうちから色々仕事の資料集め。
 “忙しくなって楽しくなってきたぞ〜”
 という2000年の千原兄弟担当マネージャーのような心境。
 今のところは。
 始めるとなると、時に邪魔が入ったりもするがそれもまた楽し。
 かわせ、かわせ!

大学時代の師匠の教えのひとつとして
 「好きと思ったフレーズを見つけたら、とにかく書き留める」
 というのがあった。
 やってる時はなんてないことだけど、後からそれを見返すと自分がどういうものを好きなのかが見えてくるから、と。
 
 この間買った銀色夏生の新刊を読みながら、そういえば…と思い出した。
 
 >君はやりたいように、どんどんやりなさい。
 >やりたいことを。
 >好きなやり方で。
 >その行為が同時に君を救うだろう。
 >その行為は同時に人も救うだろう。
 >そのことを忘れないで。
 (角川文庫 「詩集 すみわたる夜空のような」P15 「君へ」から一部抜粋)

 私は主観的なものの中にある客観的な視線が好きなんだと思う。

ブログにも書いたが、4月に行こうと思ったライブはほぼ希望通り取れた。
 初めて修士さんが小堀さんと一緒にいない舞台を見る。
 あの3人しか出ない舞台はどんな感じだろう。
 好きなヒーローやゲームのことを熱く3人が語り倒している様子を困惑しながら見ている客、という画が浮かばなくもない。
 翌週はお気に入り総出演の大喜利。
 1週空いて「拳(GU)」。
 うまくいけば翌日はチョップリン東京単独。
 カリカ単独は売れ具合をしばらく様子見。

 サカイストの兄ちゃんの弾けっぷりに興味が湧いたしD関も取れなかったので、いっそのことサカイストの単独に足を運んでみようかしらとも思案中。
 そういえば3月末は「星田vs宮川 Vol.0」を見に行くんだった。
 どんどん好みが深くなっていく。



2005年03月04日(金)
2005年ヨシモトの男前・ブサイクランキング

毎年恒例の吉本男前・ブサイクランキング。

とうとうのんちゃんが3年連続ブサイク1位を獲得したので殿堂入り。
 ヤフトピにも出てたから、フットさんは本当に売れっ子だ。

のんちゃんの殿堂入りを聞いた時
 (さぁっ、来年は来い!)
 と思わず息巻いた。
 初代殿堂入りのほんこんさんから6年間続いた二大巨頭時代は終わりを告げた。
 来年は混戦間違いないが、幸か不幸かブサイクランキングに乗っている芸人の殆どが私の好きな芸人なので、この中の誰かは来年華々しく表紙を飾ってくれたら、

 (オイシイわ〜。よっしゃ〜)
 とにんまりすることはあっても、

 (全然ブサイクや無い!入れた人、どうかしとうとやないと!?)
 とさとう珠緒ばりにプンプンすることは、まぁ無い。

 私が後10歳ほど若かったら、このランキングについて一喜一憂(あるいは一喜一怒)するかもしらんが、そこに回せるほどのテンションは持ち合わせていない今となっては、芸人の顔の造作については、面白いことを噛まずに言ってくれる口さえあればそれだけで良い。
 なかなかいないけど。

 
ちなみにのんちゃん以外はどうなってるかというと、

 2位に家城さん、5位に小堀さん、6位に千原兄弟のお兄ちゃん、9位にフジモンが入っている。
 家城さんがエライ大躍進だが、ワイ!ワイ!ワイ!で全国のファンダンゴ視聴者に強烈なインパクトを与えてしまったんだろう、恐らく。
 家城さんは“セクシー”とは思っても“ブサイク”とはあまり思わんけどなぁ。
 美醜の形容詞とは遠いところで生きている感じ。

個人的に一番オイシイと思うのは何と言っても小堀さん。
 僅差(20票差)だったとはいえ、靖史さんよりもブサイクと世間には思われているということで、これはライブで色々愚痴というかイキリが聞けそう。
 手っ取り早く「フジケン」でワーワー言ってそうだけど。
 フジモンも数年前は男前に載ってたのに。
 原西さんが男前13位という時代もあったのに。

 我が家には2000年〜2005年の男前・ブサイクランキング号があるが、フジケンでは小堀さんだけ1回も「男前ランキング」に入ったことが無い、という可哀相な事実に気づいてしまった。
 あらら〜。
 抱かれたくないランキングに入ったのは3年前。
 地味に最近。

男前ランキングは、よっきゅんも殿堂入り。
 全裸でバラを1輪口に挟んでいる、というナル全開の写真を見たのはついこの間という感じなのに。
 
 シュウちゃんは今年もランクインで7位。
 梶には劣るが菅ちゃんよりは男前らしい。
 6→8→→14→17、と順調に落ちていってたので、若い力には勝てないかと勝手に決め込んでいたら、2004年は10位に返り咲き。
 で、今年は更にランクアップ。
 ベスト5に入らないのが2丁拳銃という感じ。
 「抱かれたいランキング」も2年連続2位。
 1位のハイキングウォーキングの松田さんを初めて見たのはベルベだったが、その時遠目だったとはいえ修士さんに似てるなぁと思った覚えがある。

 ふと見ればうめだの「抱かれたい〜」10位は灘儀さん。
 灘儀さんだと顔芸や鋭すぎるからだの動きにつき合わされるのにめっちゃ疲れそうな気がするが。



2005年03月03日(木)
「マリモ」


昨日の日記にも書いた新潮文庫の「マリモー酒漬けOL物語」を買った。
 「格闘する者に○」も面白かったが、設定年齢が今の私と近いというのと、企画会議などの描写がウチの会社と似ていたりもして、「マリモ」の方がすんなり読めて楽しかった。

 “ただ与えられたその日を精一杯生きようとする人間としてのプライド”
 という一節に、ぐっと来る。

とりあえず来年度手がけるものの1つが決まる。
 仕事とはいえ、“新しい”ものはそれだけでちょっとワクワクさせる。
 まぁ直に、ぐわぁ〜っとイライラしたりへこんだりするんだろうけど。
 
 “目に見えないものを見えるようにする”
 今の私の仕事をリクルート用の入社案内パンフレットに載せるとするなら、そういうコピーがつくらしい。
 数字の羅列をあれやこれやと分析し、そこからいえる特徴や傾向をいかにわかりやすく説明するか。
 “A型几帳面(2丁拳銃の漫才より)”とは必ずしもいえない私は、何度もイラ〜ッ!としたりうき〜っ!となったりするが、何か説明が出来そうな突破口が見つかりそうになると、現金なものでちょっと楽しくなる。
 無い、無い!と思ってたパズルのピースがひょっこり見つかるような。

 仕事にかこつけた私情や色んな切り口が自分次第でいくらでも出来るといえば出来るので、見聞をとにかく広めたい。
 それ込みの「日本笑い学会」入会である(^^ゞ。
 友達に
 「私さ〜、こういうのに入ろうかなぁと思っとるんやけど、同級生としてどう思うよ?」
 と試しに聞いたところ、

 「自分やったら100%入らんけど、友達の1人ぐらいはそういうのに入っとっても面白いっちゃないかなぁ。自分やったら入らんけど、どがんもんか興味は湧くもん。自分やったら入らんけど」 

 と、“自分やったら入らん”を3回も強調された。
 まぁなぁ。

Fandango!のサイトを見てたら、「拳(GU)」の1回目が配信されてたので見る。
 今までの「拳(GU)」で唯一私が行っていない回。
 この頃からちょっとずつココロが疲れつつあったというのもあるが、「箱入り娘」の最終回が個人的に最大級にどっちらけだったので、告知Vやチラシを見ても(また似たようなイベントでしょ〜。もういいわ〜)と思ったことが大きい。
 多分この頃の「拳(GU)」は当日券でも余裕だった。
 今の盛況振りからは考えられないが、そういう頃もあったのだ。
 
 約1年半前の「拳(GU)」を見てまず思ったのは
 (小堀さん(心中は呼び捨てだったが)、ちゃんと1年半前は1年半分若かったんや〜!)
 ということだった。
 モヒじゃない頃。
 修士さんは浪商坊主が伸びて来て、坊主にしていたのを知らない人だったら
 (シュウちゃん、髪短くしたなぁ。「いつだって…」の頃みたい)
 と思うかなぁ、という感じ。

 チャイマもいて、すばらしいコンビネーションを発揮していた。
 次課長はまだレギュラーじゃなかった。
 「青色」の生みの親である小堀さんは、小堀軍のチームカラーが青じゃないことがちょっとご不満だった。
 今の今まで全くそのことに気づかなんだ。

 実際のライブでも思うけど、編集された番組を見てもやっぱり思うのが

 (中2の昼休みや放課後の男子やな〜)
 
 ということ。

 お調子者の男子達がつるんで教室でワイワイ騒いでいるのを
 (また男子がアホなことやりよる〜)
 と呆れながらもその様子を実はチラ見して楽しんでいた頃を思い出す。
 



2005年03月02日(水)


昼食代+夕食代が文庫本2冊に変身。
 「笑伝 林家三平」と「格闘する者に○」。
 後者は初めて読んだけど面白かった。
 そう滅多に幸福にも不幸にもならんわなぁ、というちょっと冷めた感じが気に入った。
 「マリモ」もちょっと気になる。
 
記事を読んでもいまいち意味がよく分からんかったが、吉本がまた何か新しく始める模様。
 新宿に大劇場構想はルミネが出来た当初から言われてる話だが、まだそれは続いているらしい。
 一体どのあたりに出来るのか。

2丁拳銃がF2に出る日だったけど、見事に忘れていた。
 もう3月だなんて信じたくないという自己逃避が原因。
 明日のめざニューに出るらしいが、めざニュー自体分かってない(テレ朝見てるので)。
 「曲者」告知か、青春デストロイ告知か。
 オレンジマークだから今だと何番なのかやってみたら850番台。
 ひぇ〜、どんだけ来るイベントなんだ。
 
 そして、戯れにハリガネ単独も探ってみたらF列が出てきたのでびっくり。
 今回も売れ行き悪いな〜。
 ハリガネがコントってだけでダメなのかな。
 1度きりなら渋々許せたけど2回目もやるんかいっ!みたいな。
 マンスリーの連載も終わっちゃったなぁ。
 本になる気配も無し。



2005年03月01日(火)
御礼


アンケートにご協力して下さった皆様、ありがとうございました。
 初めてアンケートをやってみたので一体どれぐらいの方が参加してくださるのか非常に不安でドキドキしていましたが、実に20名の方に参加して頂き、非常に感謝、感謝です。
 「ふだんはROMばかりなのでこれぐらいは…」
 という方も結構いらっしゃり、嬉しい限りです。
 これからもご自分のペースでこのサイトを楽しんで頂けたら、と思っております。

ちなみに最近の私はサンボマスターの「サンボマスターは君に語りかける」を聴いてます。
 語り掛けすぎやっ!と時々思ったりする部分があったりもしますが、悪いものではないです。
 多分来週はレミオロメンのアルバムを買います。
 フラカンのアルバムも買いたいのですが、何故か行く店行く店売り切れです。
 どうなってんねん。
 フラカンを探してたら普通にFANTANが置いてあるんでますますびっくりよ。
 洋ちゃん、売れてますね〜。
 前からあったのかもしらんが、こんなモノまで見つけてしまった。
 北海道が産んだ大スターに幸あれ。

今日は都立高校の合格発表だったらしい。
 私の地元・長崎県は殆どの高校が卒業式。
 8年前の今日学び舎を巣立ったが、まさか8年後は


 「日本笑い学会」



 なんていう冗談みたいなことを本気でやっている学会に本気で入会申し込みの資料請求をするなんて、当時18歳の私はおろか3日前の私すら予想していないことだった。

 数日前の読売新聞にこの学会のことが載っていたのがそもそものきっかけだ。
 “学会”とついているけど学術的なものではない。
 この学会に入っていることは、話の種にはなっても権威にはならないだろう。
 年会費は1万円。
 正直高い。
 でも月割りだと800円ちょっと。
 NGKの会員割引あり。


 <“笑い”をもっと知りたい>。

 ぴったり合う言葉を見つけることは中々難しいが、入会動機をシンプルに表すなら、< >に挙げたものになる。

 何で“笑い”が免疫力を高めるのかとか、2丁拳銃お得意の“ライム漫才”のルーツはどこに行き当たるのかとか、“はんなり”・“ほっこり”した笑いは西だけのものなのか、もしそうなら東には何故それが生まれなかったのか、東だとどんな笑いになるのかなど、客として“見る笑い”以外に、“知りたい笑い”が私の中に出てきた。

 今年になって、私の仕事分野に“笑い”を絡めたプロジェクトがいくつか誕生している。
 中には行政主導のものもある。 
 “お笑い”が私の趣味の1つであることにはこれからも変わりは無いが、それ以外の面からもちょっと覗いて見ようと思う。


早速検索が来ていた「マンスリーよしもと男前・ブサイクランキング」についてはブログで。
 そういえば被害者の会会報が来てた。
 央人くんがわざとおどけて写ってる写真があった。
 おどけることを覚えたか〜。
 央人くん、どんどん成長中。
 最近はパパの名前よりも「小堀 央人」の検索でここにたどり着く人多し。
 しかも、この子の名前があるサイト40件以上あるみたい。
 2歳児、ヒュ〜ッ!

 生まれてからずっと会報に載ってる央人ショットだけど、何号か前の非常にご機嫌斜めで写ってたやつは可愛かったなぁ。
 いっちょ前に怒ってるんだけど手足はまだくびれが残ってる赤ちゃん、というギャップがなんとも。
 



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