ヤフトピに
“想い出の曲”聴いていたときの平均年齢は18.8歳という記事が載っていたので、私も挙げてみようと思う。
・「メロディ」(サザンオールスターズ)
→生まれて初めて(この歌好き)と思った歌。
発売日を見ると当時は小1だったよう。
歌詞の意味は恐らく分かってなかったと思うけど、幼心に曲調の切なさをとてもきれいだと感じていた。
・「白い恋人たち」(ポール・モーリア・グランド・オーケストラ)
小1の頃、冬の登校の音楽がこれだった。
偶然母親が好きな曲だと分かり、余計好きになった。
家で母親が持っていたレコードを2人でしみじみ聞き入った想い出がある。
・「雪のクリスマス」(Dreams Come True)
ドリカムの曲で一番好き。
英語版は見かけるけど日本語版はアルバムに入らず結構探した(確信無し)。
FMラジオで流れてきたのをテープにとって歌詞起こしをしたことがある。
シングルがやっと見つかった時は本当に嬉しかった。
・「巣立ちの歌」
通っていた中学校では代々唄われてきたので自分達も卒業式で唄えると楽しみにしていたのに、何故か学校が断固として唄わせなかった因縁の歌。
署名運動を展開して何とか唄わせて欲しいと中坊なりに懇願したのに、校長が署名を持ってきた生徒にその署名を投げつけたという話を聞き、怒り心頭。
当日は、学校が「巣立ちの歌」の代わりに用意した歌も校歌も全く唄わない1人ボイコットを決行。
昔からそういうことばかりしていた。
・「Yesterday Once More」(CARPENTERS)
高校生の頃好きだった男の子がこの曲を好きということを聴き、わざわざCDを買って歌詞を覚えた…。
・「俺のすべて」(spitz)
「ロビンソン」とジャケ写から勝手に作っていたspitzのイメージを覆した曲。
これを聴いてからspitzが気になった。
・「ハヤテ」(spitz)
大学受験が迫ってた秋頃によく聴いてた。
「Yesterday Once More」が好きな彼がspitzも好きだと知り、いよいよもってどうしようかしらと1人で勝手に困っては、当時のspitzにしては分かりやすく恋心を唄っているこの曲に色々感情移入してはため息をついていた。
・「君が思い出になる前に」(spitz)
母親が大病を告知された頃によく聞いていた。
(お母さんが“いた”なんてことになってたまるもんか。
まだまだ思い出になってもらったら困る)
と涙をこらえながら聴いていたから、あまり嬉しい思い出はない。
でも大事な曲。
spitzを聞くと高校生だった頃が浮かぶ。
・「素敵な夢を叶えましょう」(サザンオールスターズ)
結局最初で最後になった家族3人参加のサザン福岡ドーム公演で、最後に唄われたのがこれだった。
サザンの大ファンだった母が帰り際
「桑田さんが“ガンバレ”じゃなくて“負けんなよ”って言ってたのが凄く嬉しかった。
“ガンバレ”だったら
“あんたに何が分かると?私もうこれ以上頑張りきれん”
とか思ったりするけど、
“負けんなよー!”やったら
“まだまだ負けとうないし、<素敵な夢>ば叶えたかけん頑張る!”
って思えるもん」
としみじみ言っていたのが忘れられない。
母が叶えたかった“夢”って何だったんだろう。
・「こいのうた」(GO!GO!7188)
母が意識不明になった1ヶ月間、何となくよく耳にすることが多かった曲。
・「旅人」(THE BLUE HEARTS)
大学院に受かるんだろうかとか、千原Jr.は事故から立ち直れるんだろうかとか、春から2丁拳銃が東京でやる番組ってどんな感じなんだろうとか、とかく色んなことが見えそうで見えなくて悶々としていた2001年春によく聴いていた。
・「Title of mine」(BUMP OF CHICKEN)
ことごとくステーン!と滑りまくる就職活動に落ち込んだらこれを聞いてとことんまで沈ませた。
落ち込むときは無理に浮上しようとしないで、落ちるとこまで落ちた方が実は楽。
・「昆虫ロック」(ゆらゆら帝国)
追い詰められて苦しかった頃によく聞いていた曲。
びっくりするほど自分の心境にことごとくマッチする歌詞に救いを求めていた。
環境が変わってからもよく聞く。
>頭振っても楽しくない 腰を振ってものれない
>ぼく本当はいろんなこと いつも考えていたのに
のフレーズは今も実はちょっと切ない。
振り返ってみると“楽しい”思い出より、“悲しい”“切ない”思い出の方が多いというのは、我ながら寂しいが、そういう気分の時ほど音楽に救いを求めて癒されていた、ということかもしれない。