つらつらきまま


2003年10月31日(金)
「罪滅ぼし」という訳では無いけれど

仕事終わり、ミカコさんとルミネへ行く。
 関西出身のミカコさん。
 ベテランの人のネタでも
 「あれやったら、そこらでやってるフツーの立ち話と一緒やん」
 と、中々手厳しかった。

 “ベテラン”=“面白い、うまい”
 と、無意識的に思いこみながら舞台を見ていた自分を反省。
 若手系だったら、多分そういうことはしないだろうと思うけど。

 そんなミカコさんのお気に入りは、ブラザースだった。
 “ブラザース”という文字を見ると、実際に手振りは行わなくても

 「ブラザースが出てきたよ〜、ノッポとメガネが出てきたよ〜」

 と心の中ではノリノリでそりゃ言っている(^^ゞ。
 刷り込み、あるいは条件反射。
 
 バッファローさんがやったネタが数年前のオールザッツで見て好きだった
 「何でも屋タケキム軒」だったが、客層には合わなかったようで残念。

 次課長は代表的ネタだけど久しぶりに見た「補習シリーズ」。
 井上くんはSPコントだけではなく自分らの本ネタでもチョケていることを知った(^^;。
 面白いキャラになりつつある井上くん。

今日の新喜劇は2丁拳銃が出ていた。
 修ちゃんがかなり出ずっぱりだと聞いていたが、9割出ていたんでびっくりした。
 「シュウジ」「シュウちゃん」と、かなり名前も呼ばれていたし。
 ほんこんさんは時々ボケもしていたが、修ちゃんは全編通してツッコミ担当。
 話の流れが変わりそうになった時はさりげなく流れの修正もしていた。

 小堀さんは、ヘタレで小憎らしくて、ちょっと情けなくて、いじられ&いじめられキャラで、それでもイキリで…といういつも通りの役柄。
 小堀さんが、舞台上で誰かから可愛がられてるのってもしかしたら私は見たことないかもなぁ…(苦笑)。
 少しイキったら、100倍の勢いで返って来る文句に何とか反論しようと、頭をかきむしっている姿を何回も見た。

そんな小堀さんに笑ってるお客さんの声を聞きながら、ふと
 (今の2丁拳銃のネタはどんな感じかなぁ)
 と思った。
 偶々とはいえ、ネタを見に行った時、連続してネタ運びに“ざらつき”や“いらつき”を感じたから。
 最近、私も仕事が忙しくてルミネへ行ってなかったので、今はどうなのかなぁ、と思った。

 そのために「NUTS」がある、という指摘もあるでしょうけど、それは無理なので、2日の4じ6じに行こうかなぁ、と思った。
 “確かめ”でも“見きわめ”でもなく、“最近、どうしてんのかなぁ”的気持ちで。
 やっぱり、気になる。

今日のルミネは次課長&バッファローさん以外は漫才だった。
 センターマイクを何回も見た。
 <センターマイクに狂った男達>という「マンザイマニア」のサブタイトルを思い出した。
 どんなに狂おしく愛しても、センターマイクはごく僅かの選ばれた者にしか微笑みを見せてくれない。
 年末、センターマイクの微笑を見るのは誰だろう。

 



2003年10月29日(水)
わっかんねぇ〜!

なんとなくYahoo!のミュージシャンカテゴリを覗いて見た。
 右側に見ゆるは、今週のシングルチャートTOP5だかTOP10。


ぜ、全部分からん!(驚愕)
 曲名は全滅。
 曲も恐らく聞いたこと無かろう。
 ミュージシャン名は辛うじて聞いたことはあっても
 (ロック?J-POP?日本人?グループ?ソロ?)
 と、全く意味不明。

 ちなみに、内訳は↓

1. ビバ★ロック
2. 雪の華
3. 歩行者優先/濃
4. メリッサ
5. DOUBLE(DOUBLE/Midnight Parade/Milky Way〜君の歌〜

 唄ってるのは、上から順に
 ORANGE RANGE/中島美嘉/ゆず/ポルノグラフィティ/BOA
 でした。

 ちと、笑えたのが8位にランクインしていたゴスペラ-ズの曲名。
 その名も「新大阪」。

自分が中高生だった時
 (なんで大人ってこうも今の音楽情勢を知らんのだ。
  大きくなってもあぁいう大人にはなるまい)
 と思っていたのになぁ。

 “自分が好きなミュージシャンが創る音楽”が好き。
 あんまり一般受けしなくても、自分が好きならそれでいい。
 それ以外の人が創る音楽まで目を向ける余裕ってないなぁ。
 悲しいが。
 
 竹内まりやのニューアルバムが家の近所のCDショップでいつも流れてて、良い感じだなぁと思う。
 だけど、多分私が久しぶりに買うCDは11月に出るKICK THE CAN CREUのベスト盤だろうな。
 KICK〜の言葉選びのセンスが好きなので。
 ちゃんと意味がある言葉遊びの歌詞だから。

学園祭情報を色々集めたけど、多分東海大代々木校舎しか行かなさそう。
 学園祭ってそういえばあんまり好きじゃなかった。

“好戦的”な人って、毎日退屈しないだろうなぁと仕事をしながら思った。
 いや、退屈で刺激が欲しいから“好戦的”なのかも。

 敵というか吹っ掛ける相手が見つかった時のあの喜びよう。
 あの浮かれよう。
 あの楽しみよう。

 周りにもこの楽しさ分け与えん、とばかりに盛んに同意を求めてくる。

 “オレたちの方が絶対正しいこといってるよな!?”
“いやぁ〜、楽しくなってきたなぁ。なぁ!?”


 私は、ちっとも楽しくも嬉しくも無い。
 勝手に他人の感情を決めつけるな、バカモノ。

 少しでもこの浮かれた独白が聞き流したかったので、仕事に集中しようと、いらいらいらいらしながら無表情にPCのキーボードを打ち続けた。

 打ちながら

 >ぼく奇麗な虫のように 生きたいんださりげなく
 >ただそこにある物のように 生きたいんだ意味もなく
 >頭振っても楽しくない 腰を振ってものれない
 >ぼく本当はいろんなこと いつも考えてたのに(ゆらゆら帝国「昆虫ロック」より)

 このフレーズがご多分に漏れず、頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。
 

先ほど、googleで「ゆらゆら帝国」を検索していたら、フジテレビの音楽番組でこの「昆虫ロック」をライブ形式で唄っているゆらゆら帝国を発見。
 
 リアルプレーヤーで試聴。

 …アカン、ライブに行ってこれ唄われたら、ものすごくハマる予感。
 「昆虫ロック」を唄わなくても、ライブに行ったらかなりハマってしまいそう。
 



2003年10月28日(火)
着々と進行中

(1)JTBで新幹線+ホテルパックの手付け
(2)「ハリガネロック緊急ライブ〜失われた週末〜」発券
(3)金曜のルミネ観劇用チケット確保
(4)仕事で必要な本を購入

 以上のことを仕事終わりで全部片付けられた自分に乾杯。

あぁ、1週間前までは大阪に遊びに行くなんざぁ、思ってもみなかった。
 発売日の土曜日だってそうだ。
 日曜の昼間も。

 何がどうなってこうなったのか。
 いやぁ、人生というのは“流れ”もしくは“勢い”。

わたくし、一度は「ホテルモントレ大阪」に泊まってみたいから今回も狙ってたんですけど、いざ、決めるとなるとびみょーに気恥ずかしくなったので、止めました(^^;。
 すっごくムードあるんだけど、絶対私の服装とか髪型は合わない。
 結局、以前泊まったことがあるホテルにした。
 ちなみに大阪で私が一番快適だったのは「ホテル新阪急」。
 東京は「京王プラザホテル」。
 どれもパックツアーだから手が出せたというもの。
 
 ホテル新阪急といえば、中川家&ハリガネ&ニチョ、という素敵メンバーでディナーショーを再来月にやる。
 それは良いんだけど、myon*さんのとこに貼ってあったリンクからディナーショー紹介のHPは、“爆笑”の一言に尽きる(^^;。

 だってー、2丁拳銃が“吉本興業のSMAP”って、それはないだろう。
 いくらなんでも。
 
 ニチョケンがアイドル芸人だった頃は
 “吉本興業のKinki Kids
 と、今思えばこっぱずかしい以外何物でもない言われ方をされていたのをなんとな〜く思い出した。
 
 ちなみにハリガネロックは自称“吉本興業のタッキー&翼”。
 
 あー、「モントレ」といわず、「帝国」やら「ヒルトン」やら「オークラ」に颯爽と泊まれるような雰囲気が身についたらなー。

関西、なんとなく好きなんですよね。
 小さい時、母親が独身の頃よく関西に出張に行ってたという話をしてくれてて、それが本当に楽しそうで。
 梅田の紀伊国屋に行った時、
 (あー、ここがお母さんも行ったことがある紀伊国屋かぁ)
 と思ったら、嬉しかった。
 お母さんが見たものと同じものを私も見れたぞ、みたいな。

 去年の年末に行った大阪2泊3日は本当に楽しかった。
 じわじわと湧いてくる幸福感と楽しさを歩きながらしみじみと味わった。
 何がそんなに楽しかったのかはよく分からないんだけど
 (あぁ、良いなぁ…)
 と思ったものだ。

 ビキアフターで、ケンコバに罵倒されたことも。
 2丁拳銃FCイベントで、なんとなく2丁拳銃に頼もしさを感じて嬉しかったことも。
 ハリガネM-1敗退が物議をかもしてることも露知らず、友達と梅田でチャイを飲んだことも。

 全てが楽しかったなぁ、うんうん。

 今回の2泊3日がどんな思い出になるか、楽しみです。

サイトの訪問者数が50000越えました。
 ありがとうございます。 




2003年10月27日(月)
「失われた週末」を取り戻す

風邪を引き掛けてるのか体調不良気味だったので早退。
 主任には迷惑掛けました。
 今度は取り戻します。

15時頃からうとうとし、起きたら18時半。
 寝たらすっきり。
 栄養があり且つ消化が良さそうなもの…ということで、煮込みうどんを作って食べた。
 そう、1人暮しは結局自分で何もかも調達しないといけない。
 オチオチ病気も出来ないわさ。
 今年はインフルエンザの予防接種打とうかなぁと思ってるもんなぁ。
 「風邪引いたら長く休めてラッキー」は義務教育までの感覚だなぁと思う。
 
 平日の昼間に布団を敷いて横になってたら、小学生とか中学生の時に学校を早退した頃の気持ちを思い出した。
 しんどいけど、みんなが勉強している時間に、自分は布団に入りお母さんにジュースとか好きなものを枕元まで持って来てもらうのは何か楽しかったなぁということを。
 まま、皆様、風邪には気をつけて。

えー、やはり私、11/14は「失われた週末」を見に来阪します!
 ゴメンね、2丁拳銃。
 というわけで、ガスホールのチケットが1枚余ってるんですが、行きたい方はどなたかいらっしゃいます?
 1階席I列です。
 
珍しくも2丁拳銃公式BBSで「マナー」論議。
 結構意外だったのが、

 「嬉しいのは分かるけど、周りに配慮しないで騒ぐことは良くない」

 という意見が多数派だったこと。
 なんとなく、

 「みんな、それぞれ違うんだから、それぞれの楽しみ方にケチつけないで下さい!!!!!」(←「!」が全角で無意味に多いのがポイント)
 
 てな意見が多いかなぁ、と思ってたので。

 <出て来た時の声援が1個も無いライブ>というのには結構私は当たる方だ。
 今年の「チャカ〜銃歌〜」もそうだったし、「プロペラ〜」も。
 「プロペラ〜」なんて、暗転が明転する瞬間は本当にシーン!としていたなぁ。
 
 騒ぐことより騒がないことの方が難しいよなぁ、と私は思う。
 やっぱ、好きな人を目の前にしたらテンションも血圧も上がる。
 抑えようとしても抑えられず、訳分からん雄叫びだってやっちゃうし。
  本当に偶然でも、誰かが舞台上の芸人さんと目が合ったような気がしたら対抗心だって燃えるだろうしね。
 「今日をすっごく楽しみにしてたの!お願い、少しだけで良いから私のほうを見て!滅多に私は来れないんだから!!!」
 とばかりに、アピールもしたくなるだろう。

 でも。

 <ファン以外からも「キャーキャー」言われることが人気のバロメーター>
 だとしたら、

 <「キャーキャー」騒がず落ち着いてライブを聞いていられるファンの数は芸人とファンの間の信頼感のバロメーター>
 と、私は思っている

 その人達の“姿を見ること”よりも、その人達の“芸を見ること”が楽しみで劇場に行く。
 騒ぐところじゃないところでは騒がない。
 本当に面白い時は、拍手も笑い声も惜しまない。
 
 黄色い声援が目立つライブよりも、笑い声が目立つライブの方がカッコイイ。
 
 後、<素直なファン>というのも中々素敵。
 他の芸人さんも一緒に出てるライブの時、自分のお目当てさんよりもその人達が面白いと思ったら、素直に笑える人。
 お目当てさんがそんなに…だった場合、無理して笑うことをしない人。

 そういうファンでありたいなぁ、私自身は。

ダイエーが優勝しました。
 もちろん、ダイエーファンの私。
 故藤井選手の遺影もちゃんと胴上げに参加していることに、チト涙。

いとし師匠のお別れ会。
 いとし師匠が亡くなってから、あんなに泣いているこいし師匠を初めて見た。

 「夢路いとしという人がおったことをたまには思い出してください」か。

 忘れない。
 忘れられない。



2003年10月26日(日)
うっそ〜

夜にまた色々更新すると思いますが、とりあえず衝撃はこれ。

ハリガネ単独@ワッハホールのチケットはぴあで絶賛発売中…

頼む!完売してくれ!

さぁ、仕事するか…。


更に、“うっそ〜”なもの。

「NUTS」チケを持っているのに「失われた週末」のチケットを電話予約で取ってしまった自分…

 私、今もしかしてハリガネモード?
 ニチョに戻るかハリガネに走るか、引き換えまでにじっくり考えますわ。
 もっともじっくり考え過ぎたらパックツアーの締切に引っ掛かるから早めに決断しないと。

 「失われた週末」ねぇ。
 今の私にぴったりの単独タイトルだわ。

考えてみれば、ハリガネ目当てでルミネに足を運んでいないなぁ、相変わらず。
 だけど、大阪単独は足を運びたくなった。
 今まで、遠征するため足を運ばせていたのは主に2丁拳銃だったけど。
 
 多分、2丁拳銃がNGKかどこかでライブが決まり、それが土曜日だったら、相変わらず大阪には足を運ぶと思う。
 <大阪遠征>の基準にハリガネも加わった、ということか。


というか、既に遠征する気満々ですね、わたくし(^^;。
 浪商遠征がかなわなかったので、リベンジです。
 
仕事は相変わらずひゅぅ〜となるぐらい出来ていませんが、胸に秘めた向上心だけはアリアリです。
 帰省計画もやる気満々。
 最初は東京にチチを呼ぼうかと思ったけど、九州で暢気に年越ししたい。
 ルミネカウントダウンの素敵企画が発覚する前に飛行機のチケットを取っておこう。
 でないと、決心が鈍る(^^;。
 
 2000年の初ライブは千原兄弟。

 2001年の初ライブは2丁拳銃。

 2003年の初ライブはvelvet under//misin。

 2004年の初ライブはハリガネロックとなるよう、チケ取り励みます。
 「ハリガネ初笑いおめでとう@ゴールデン劇場」となりますように。

 



2003年10月25日(土)
職業病

休日出勤でした。
 私の当初の予定では、今日は大阪へ旅立っていたのに(悲)。
 あー、遠くへ行きたいわー。

仕事終わりに、コンタクトを作りに新宿へ。
 色々検査をしたけど結構ショックだったなぁ。
 薄々気づいていたけど、私は角膜に何やら異常があるらしい。
 そんでもって、ドライアイらしい。
 だって、PC使わないと仕事にならないんだもん…。
 どうりで、お昼過ぎたら目がかすむ訳だよ。
 コンタクトを装着するのに支障はないけど、絶対12時間以上は点けないように、と釘を指された。

 で、昨日、すごく右目が充血していて、寝不足か結膜炎かと思っていたら、目に傷がついているらしい。
 いつの間に。何がなにやら。

 セイコーの酸素透過レンズを購入。 
 8000×2=16000。
 安くなったよなぁ。
 私がコンタクトをし始めた頃って3万ぐらいかかってたような覚えが。

ミロードのぱすたかんでお好み焼きでも食べて帰ろうかと思ったら、えっらく行列してたんで変更。
 地元の大戸屋で豚しょうが焼き定食。

 帰ったら20時45分近くだったので、原西さんには間に合わなかっただろうと思いつつめちゃイケをつけたら、真っ最中。
 すごいなぁ、私。
 
1月3日にハリガネが福岡へくる。
 チチの誕生日だし、飛行機のチケットが取れたら福岡帰るか。

吉本TVにハリガネが出る。
 それだけで、思わず素敵さんにメールを送ってしまった。
 テンション上がるんだなぁ、やっぱり。

 で、違うことをしてても、出囃子が耳に入ったらピクッ!と反応し、そちらのほうをむいてしまう。
 こういうのはもう条件反射なんだなぁ。

昨日、久しぶりにオンバトを見た。
 ブラマヨの杉竜の太り具合に唖然(^^;。
 
 



2003年10月24日(金)
もう信じな〜い(笑)

FUJIWARAの原西さんが去年の6月に結婚していたらしい。
 原西さんは猫と戯れたまま、還暦も喜寿も突き進むと思ってたのになぁ。
 「女っ気ない」とか「女嫌い」というイメージがありありなのに、フジモンより早かったか。
 これからは、こういうイメージを前面に出してる人のことは、いくらモテないエピソードや女っ気ゼロエピソードを語っていても、半分は疑ってかかろう(笑)。
  
 でも(結婚してたらしい)と知った時は、なんか面白かった。
 (そうか〜、原西さんもちゃんと結婚するんだ〜)と。
 
 それにしても、F拳は2人が既婚者ですか。
 1人はもうすぐ1歳の男の子のパパやし。
 来年の5月は全員30代。
 時は流れるなぁ、本当に。

24歳まで、ストライクゾーンが狭かった。
 ±2歳までが限度だった。
 
 それがどうしたことか。
 25歳になってからは、27歳も30歳も35歳も同じように思えてきた。
 こうやって、どんどん高かった壁を自らガンガン低くしていくんだろうなぁ…。

給料日なのに、「月イチDVD購入計画」を実行していないことに気づいた。
 せっかく新宿に行ったのに。
 
 小田急で「桃太呂」の豚まんを40個買ったら、
 「小分け用の袋はいくつ入れますか?」と聞かれた。

 「1人でわしわし食べるから入りません」とはなんかいいづらかったので
 「あっ、では4袋ほど…」と頼んだ。

 もちろん、誰にもやる予定なし(^^;。
 いっぺんに40個はさすがに食べれないので、冷凍。
 小腹が空いた時や朝食に温めて食べる予定。

 あぁ、早く小腹が空かないかなぁ。

ルミネはカウントダウン企画は1日だけみたいですね。
 お正月企画が気になるけど。
 これだったら福岡帰ろうかなぁ。

 12月は木村班の新喜劇を見にがっつりルミネへ行きたいですが、私が1週間で一番忙しい火曜に当たってる日が多いなぁ。
 なんとかでも見に行きたい。
 引っくり返るぐらい、素敵メンツ。
 キム兄、千原、ニチョ、リットンさんだなんて。
 笑いの神様、ありがとうございます。



2003年10月23日(木)
大道、松中、井川

↑は私が好きな選手。
 井川はゴメンナサイ、顔です。
 AERAの表紙を見て
 (フツーっぽいのに何か良い顔してるなぁ)
 と、思い発作的に好きです。
 多分気まぐれだけど。

大道は良い仕事をするんで好き。
 松中はウチのチチと何か似てるんで好き。
 あの頭の後退具合が他人とは思えない。

大分落ち着いてまいりまして、仕事も順調とはいえないけど、苦にならなくなりました。
 2週間ほど前、あのウツウツとしていた自分に教えてあげたい。
 
 「トンネルはいつか抜けれるよ。大丈夫だよ」と。

あぁ、大阪行きたいなぁ。 
 関西にふらりと遊びに行きたい。

私が今まで食べた中で、ここ以上に美味しい豚まんは知らないぐらい、まさに長崎が全国に誇れる豚まん屋
 「桃太呂
 が、10/22〜27日まで、新宿の小田急百貨店でやってる物産展に出店しているそうです。
 給料も出るので、明日仕事帰りに行って、がっつり買ってきます(^^)。
 11/13〜19は阿倍野の近鉄百貨店の物産展に出るらしいので、関西の方も是非どうぞ。
 ハリガネ+桃太呂、という組み合わせはイケると思いますよ。



2003年10月22日(水)
2丁目拳銃とハリガネ緊急単独

「2丁目拳銃」と本当に間違える人に今日出会ってしまった。
 (本当に間違える人っているんだ〜)
 と何なら、新鮮な感動すら覚えた。
 2丁目劇場のことについて話してた時だったので、間違えるのもしょうがなかろう。
 「ちょっとちょっと、2丁目拳銃さ〜ん」
 と漫才で小堀さんが言ってた口調がポ〜ン、と浮かんだ。
 (小)「後な、“ちょっとちょっと、2丁目建設さん”」
 (修)「間違い過ぎですね」というやりとりも。

いとし師匠の追悼番組を何度も繰り返し見てしまう。
 仕事のパートナーと肉親を一度に失ったこいしさんの気丈さが悲しくてカッコイイ。

 「漫才は2人の喋りが基本。これは無くしてもらいたくない」
 と最後当たりに言っておられた。

 深く同意しながら、それをもうやれない(もしくは、やりたくない)と、本人達が思ってしまったら、やっぱり解散とかはしょうがないことなのかもなぁ…と思った。
 
昨日までは確かなかったように思うハリガネの大阪単独ライブ情報が@ぴあに出ていた。
 この日は「NUTS」に私は行く。
 一瞬、「NUTS」を蹴ろうかと思ったけど、発売日が休日出勤で、キャパや演者を考えるとすぐ完売するだろうから、おとなしく銀座ガスホールへ行くことにする。
 「NUTS」も今回を逃したらいつ行けるか未定だし。

 嘗て、2丁拳銃の公録とハリガネらbaseメンバーの福岡公演がかぶったことがあった。
 自分たちがやってるからあっち(劇場)はあんまり入ってへんらしい、と嬉しそうに休憩時間の時に言ってた小堀さんだったが、
 (えっ!?ハリガネもルートも劇場に来てんの?)
 と俄かに客がざわめきだすと、
 「ハリガネが良かったん?こっち無料や〜ん」
 と拗ねていた、そういえば(^^;。
 そしてどっちの客が多いとか少ないとかいうのには相変わらず興味がなさそうな修士さんだった。

何度も日記やBBSに書いてるけど、ハリガネがM-1に今年も出る、と聞いても別に何の感慨も浮かばなかった。
 むしろ
 (出ないって言ってたやん。
 何だ、結局今年も出るんだ)
 と、非常に冷ややかだった。
 
 「ハリガネらしい漫才を見たい」と何度か書いたけど、これも、本心で思ってる訳じゃないよなぁという感じだった。
 M-1でどんなハリガネを見たいのか、というイメージが何も浮かんで来ないから、どんなことを書いても、嘘っぽかった。

が、ワッハ上方ホールで急に単独をする、と知った時はうれしかった。
 そして変な話だが、この単独をやるのなら、M-1に出るハリガネに対して、素直に
 (頑張って欲しいなぁ)
 と思うようになった。

 ワッハ上方ホールのキャパは約300。
 ハリガネロックだったら難なく集められる数だ。
 これ以上のキャパでも多分そこそこいける。
 NGKでも大丈夫だろう。
 けれど、「ワッハ上方」だから私は嬉しかった。
 
 ワッハ上方のHPには「ワッハ上方」の理念について

 >(上方演芸を)「残す」「楽しむ」「挑戦する」がワッハ上方の理念であり、全国でもめずらしい「笑いと演芸」をテーマにした公立施設です。

 と書いてある。
 
 「残す」
 「楽しむ」
 「挑戦する」 

 これは、私が一番見たいと思ってるハリガネロックの姿と同じかもしれない。

2人のしゃべくりで世界を織り成すという、まさしく“話芸”そのものである<漫才>をいつまでも見せ続けて欲しい。

 試行錯誤をしながらも、常に自分たちに合う新しい試みをして欲しい。

 一方で、<昭和の香りが漂う>オーソドックスなスタイルの漫才も忘れないで欲しい。
 
そういうことをハリガネロックに望んでいて、ハリガネロックならそれをやってくれるんじゃないかなぁ、と思っている。





2003年10月21日(火)
あれ、もしかして次課長ファン?

ライブレポートのもくじページを見ていたらあることに気づいた。


(私、別に意識して行ってないのに、なんでこうも次長課長出演日にあたってるんだろう…)

私が
 (今日、ルミネ行こうかなぁ)
 と思う時は、まず2丁拳銃が出る日かどうかを見る。

 2丁拳銃+ハリガネorカリカor千原だったら、そりゃもうほぼ決定。
 後は仕事を定時で終わらせられるかどうか。
 
 だもんで、他の人には目がいかず。
 しかし、あらためて見直したら
 (私、無意識的には実は次課長の隠れファンなのかも…)
 と思うほどのバッティング率の高さ。

 ちなみに、ミカコさん(関西出身の先輩)と今月、会社帰りに行く約束をしてるのだが、今チェックしたらその日も次長課長が出る日だった(^^;。
 今更、「ぽちゃ〜ん友の会」とかいうタイトルのHPでも作ったりして。

世の中には朝刊と夕刊の切抜きだけで年収1400万もらってる人がいると知り、中々複雑。
 世の中は不公平だ。 





2003年10月20日(月)
「伝わらないと意味無くねぇ?」

新南口の紀伊国屋に探してる本があるとのことだったので、会社帰りに買って来た。
 分かりやすい。
 というか、今頃になって
 (私、こんな仕事しよるんや!)
 ということに気づいたというのはどういうことだろう(^^;。
 明日からハードウィーク。
 主任に厳しく鍛えられながら1つひとつ身につけていく。
 …気概だけはいつもあるんだけどなぁ。
 その気概が空回りするというのはきついわぁ。

で、帰りの電車でその本を読んでたら、男の子(20歳前後)2人の会話が耳に入った。
 どうやら、学祭でバンドデビューを考えているよう。

 (A)「オレさぁ、やっぱ音楽の中心は“ロック”って思うんだぁ。
   こぉ、ハードコアなソウルが震えるっつーか。
   やっぱ、熱いハートがビリビリ、みたいな」
 (B)「…オマエ、ギター弾いたこと無いんだろ?」
 (A)「…ん」
 (B)「楽譜も読めねぇって言ってたよなぁ。
   間に合うかなぁ。オレもそんな人に教えられるようなレベルじゃねぇしなぁ」

 (A)「オレさ、楽器出来ねぇから、作詞しようって思うんだぁ。
   良くねぇ?
   英語でさぁ、“Hey,Yo!”みたいな感じで始まって、こうノリのいいフレーズを繋ぎ合わせて…」
 (B)「…それは止めよう」
 (A)「なんで?」
 (B)「何をいいたいのか全然分かんねぇじゃん。
   ただの言葉遊びじゃつまんないよ。
   ロックしたいなら、尚更さぁ、伝わらないと意味無くねぇ?

この会話で分かるように、Aはちょっとおポンチなんだけど憎めない調子乗り。
 BはそんなAに対し冷静で的確な助言を返して行く。
 この2人のやりとり、嘗て教室で似たようなやりとりを誰かしてたなぁ、と思うとほのぼの。
 
 まぁ、Aが作詞すると、“ロックバンド”が“コミックバンド”に捉えられそうなので、それはやはり止めた方が良いとおもう。
 
家で、微妙に懐かしい曲ばかり入ってるMDを聴いてたら、「Last Smile(byラブサイケデリコ)」が流れてきた。
 この曲を聴くと、反射的にハリガネを思い出す。
 この曲を使ったネタをしていたから。
 どんな感じだったかは今はあんまり思い出せないけども。

 多分この頃(2001年春)は、私が一番ハリガネロックに対してはしゃいでいた頃だろうと思う。
 毎月福岡に来るのが当たり前だと思っていたのにそれが途切れてへこんだり。
 「笑点」に初めて出るからと、友達や親戚に宣伝メールを送り、録画してんのにTVの前で正座して見ちゃったり。
 福岡ー大阪と離れてるんだからクリアーに聞こえることが珍しいのに、
 (ブンリクが今日も途中から聞こえん!)
 とむくれたり。

そういう感情がいつのまにか消えちゃったなぁと思う。
 多分、この“はしゃぎモード”の頃にM-1が行われていたら、そりゃぁもう、TOPから「M-1一色」にしてたんじゃなかろうか。
 “バイク”は“センターマイク”だっただろうなぁ。
 「M-1決勝進出発表まであと○日!」みたいなカウントダウンやってただろう。
 リンクページにM-1オフィシャルページを速攻貼るだろう。

2001年の秋ぐらいから、ハリガネロックに対して風が吹き始めたが、どうもそれは思っていたのとは違っていた妙なもので、M-1終了後は台風並の暴風レベルに発展した。
 あれは凄かった。
 
 はしゃがなくなったのは、あまりにも風が凄くてやばいなぁ、と思ったから。
 じっくり腰を据えないと、好きなものが嫌いなものに変わりそうなぐらいだった。
 
 あちこちで似たようなフレーズと似たような反応が飛び交うようになった。
 最上の褒め言葉だったものが陳腐な言い回しに変わってしまったのは虚しかった。

 私は、自分の目で見たことやこころで感じたことは、常に“自分の言葉”で現したいと思っている。
 同じ言葉で現されるものでも、そこに流れてる感情は使い手次第で微妙に違う。
 “違う”ということを説明するには、落ち着く必要があった。

 極端なまでの絶賛や賞賛が一時期多かったから、逆にナナメから見るようにしていた。
 そういう面もあることを覚えておいたら、後で勝手な裏切り感や失望を感じることはいくらかは減るだろうと思った。
 
そういう風に、意識して一歩引くようにしたら、今のような感じになった。


 ただ「好き、好き♪」とはしゃいでいた頃は何も考えなくて良いから楽しかったなぁ、と思ったり。
 
 はしゃがないテンションだからここまで来れたのだろうとも思ったり。


 まぁ、どっちもどっちか。


千原ライブの開場待ちの時。
 前売り券を持ってるのに、続々開場30分前から訪れる人多数。

 会場整理の人に
 「当日券の方ですか?」と聞かれた人が

 「イイエ。ただ早く来ただけです」と答えてたのがなんか面白かった。

 “ただ早く来ただけ”のクランケの列はその後も途切れず。
 “ただ早く”来るぐらい力入ってるのに、待ちの間は持ってきた文庫本とかを静かに読みふける人の多さに、会場整理の人はいまいちテンションが掴めず困惑しているようだった。

 
 




2003年10月19日(日)
寝ても谷井、覚めても谷井

千原ライブの余韻に浸るべく、「囚」DVDを見直した後、NHKを点けたらオンバトサマスペの再放送をやっていた。
 途中から見てて途中で消したけども、私が見ていた時間は8割エレキが出ていたように思う。
 色んなやっつんを見た。
 ハリガネが出てたやつも見れたけど、(ハテ?)という感じだった。
 
で、朝からなんとなくテレ東を点けたらストリートミュージシャンの発掘番組みたいなのをやっていて、ぼーっと見てたら、出て来た男、それはやっつん。
 寝る前、最後に見たのもやっつんなら、起きた後、最初に見たのもやっつん。
 こころに隙間がある時なら、これをきっかけにエレキが気になってしまい、色々当たっちゃうのかもねー。
 これ以上広げる間口は無いけども。

プロペラ〜で、靖史さんが
 “悪気は無いが腹立つヤツ”
 という設定の役をやるコントがあったのだが、チハラトークでも話題になっていた小堀さんに対して腹が立ったエピソードが使われていて笑った。
 間接的出演、とでもいおうか。

 その後、じっくりとパンフレットを見てたら作家の南山さんの制作日記のとこにも
 “タイミング悪い電話の相手”
 として、小堀さんの名前が出ていた(笑)。
 松本真一さんが誕生日なので掛けてきたらしい。
 全然悪いことではないのに、運悪く、みんなのテンションが乗ってきてたところに繋がったらしい。
 気の毒だなぁ。
 そういえばJr.の電話番号はどれぐらい教えてもらえたのだろうか。

 このパンフレット。
 本のようなとてもしっかりした作り。
 このライブを見に来るような客は3人の写真よりも文字を読みたいだろう、という読みで作られたので、文字がぎっしり詰まっていて読み応えがある。

専門書を買いに紀伊国屋へ行ったが、求めてるものは無かった。
 そのかわり、軽めの文庫本を買い、帰りの電車の中で読む。

 電車といえば、昨日乗った車内で聞いた会話が面白かった。

 (A)「星野さん辞めるらしいね」
 (B)「そうそう。何か病気らしいよ」
 (A)「何の病気?」
 (B)「え〜とねぇ、確か…、高…血ナントカっていってた。
   何だったけなぁ」

 (えぇ〜!
 そこまできたら、後は“圧”しか無いやん!?
 何で、そこで止まるん)←私の心の声

プロペラ〜最終日は、林さんと鈴木おさむさんが来ていたのを見た。
 一緒に見ていた人によれば、他の日は雨上がりの宮迫さんや、カンクロウさんも来ていたらしい。
 「中村ですか?宮藤ですか?」
 と思わず聞いてしまった(^^;。
 中村ではなかろう、と思いつつももしかしたら歌舞伎に千原テイストを取り入れようとお考えになったのかも…と思い。
 もちろん、クドカンであった。

BS-11で、夢路いとしさんの追悼番組放送中。
 もう、夕方からタイマーセット。
 しかも標準
 最近じゃぁ2丁拳銃にもしない特別待遇。
 だって、最後だからしょうがない。
 いとしさんの追悼番組を見れるのは関東では今日ぐらいしか無いだろうから。
 ここで奮発しなくてどうする、私。

 画面を見なくてもイメージが、ばーん、と想像できる。
 お2人のしゃべくりだけで、世界が動く。世界が色づけされていく。

 何気ないセリフの言い回しや口調を聞いてたら、
 (フフッ)とか(ククッ)と笑ってしまう。
 無防備な笑い。楽な笑い。
 安心できる。ゆったりした気持ちになる。
 

 漫才は笑いながら見るもの。
 悲壮な顔をしながらやるものでも見るものでもない。
 ましてや
 (どうかこのコンビが上がって来ませんように)
 などと、邪なことを思いながら見るものではないな、と思う。

 (勝って欲しい)
 という心情はやっぱり無い。 
 
 けれど、
 (カッコ良くあって欲しい)
 と思う。
 漠然としていて好きな言葉では無いが、こういう時は便利。  
  

こいしさんが、ゆかりの場所を訪れ、穏やかに思い出を語る。 
 しかし、NHK大阪ホールに来ると、微妙に声が変わった。
 色んな思いがこみあげてきたようだ。
 すかさず、カメラが寄った。
 瞬間的に、私は(寄るな!)と思った。
 (映すのが仕事なのは分かるが、見て見ぬふりせぇ)
 と、無茶苦茶なことを思った。
 無茶苦茶だな、本当。
 それが仕事なのだから、失礼なことを思ってしまった。


番組を見終わった後、しみじみ思う。
 (長〜く、長〜く、好きな人達の芸を味わえたら幸せやなぁ…)と。
 芸歴40年とか50年とかまでいきついたら、1つや2つの賞レースの結果に一喜一憂していたことなんて、
 (そんなこともあったなぁ。若かったわぁ、あの頃は)
 と、のほほんと笑い飛ばしてるのかもなぁ。
 そうありたいわぁ。


夢路いとしさんの存在の大きさをリアルに感じることが出来て本当に良かった。
 うちの母親はいとしさんのピン芸を天国で見てるのだろうか。
 それとも、いつかは必ず来る“第2の世界でのいとこい漫才復活”に備え、ネタ作りをするいとしさんに感服してるだろうか。
 羨ましいが、まだまだそれを見る自分は先でありたい。
 “若手芸人”がどうにかこうにか“中堅クラス”に移る様を見たい。
 “大御所”にはならなくてもいいから、とにかく“若手脱却”。 


 






2003年10月18日(土)
聞こえた声は…

M-1の出場者規定、「結成10年目以内」が「結成10年以内」に変わったらしい。
 日本語ってややこしいですねぇ。
 何で今更変えたのかも分かんないけど。
 規定変更で笑った人や救われた人は多いのかな。
 ちなみに、今日の結果も把握してないですが、多分、今日は笑ってるでしょう。
 今日で終わってたら、びっくりだわ。

「プロペラを止めた、僕の声を聞くために」
 へ行ってきました。
 千原兄弟“3年半ぶり”の単独ライブ。
 千原兄弟に興味を持ち始めたのが3年前からである私にとっては、初めての単独ライブ。
 
“千原兄弟+渡辺鐘が目の前で創り出す世界”だけを本当に見てきた。
  思ったことも「面白くて好きだった」というシンプルなもの。
 
 ライブに行った後、あーだこーだと語ることが多い私だが、今回は何とか表現しようにも、言葉が邪魔になってしまう。
 「面白いには色々ある」というのが一番近いかなぁと。
  
 ブラックだったり、アホっぽかったり、何か切なかったり…。
 ライブの感想は“面白かった”けど、その面白さの中身は各々全て違ってた。
 「面白かった。また単独をしたら絶対行く」
 と小学生のようなことしか書けないのが残念だが、こういうふうな“参りました”ライブは嬉しい。
 
ルミネにスキー・スノボツアー告知チラシあり。
 12/22から1泊2日でハリガネ&アップといっしょに湯沢。
 29800円だそうです。



2003年10月17日(金)
謎、謎、謎

朝から仕事をしてたら、部長がいきなり

 「どうしてこんなにパソコンがうるさいんだーっ!

 と怒鳴り出した。

 (そんなこと言われてもなぁ…)
 (オマエの怒鳴り声の方がうるせぇよなぁ)
 (昨日も先週も先月もずーっと同じだよなぁ。何を今更言い出すんだ?)

 と、みんな困惑ありありといった感じでお互い顔を見合わせた後、また全員キーボードをカタカタカタカタカタいわせて仕事に戻る。


 オオボケがとうとうエライことになったか。
 どうしよう、月曜会社に行った時、

 「せりさん、ワシのメシはまだかのぉ」とか
 「せりさんがワシの財布を盗むんじゃぁ」とか言い出したら。


======================
2丁拳銃の公式BBSで、
 「ニチョケン、今年もM-1出るんですね!」
 なんていうカキコミがあったんで、

 (去年のやつを見間違えてんじゃないのか?)
 と9割9分思いながら検索掛けてM-1の公式を見たら本当に出るんでびっくりした。
 しかも、大阪。
 (何で?東京所属なのにどうして東京で闘わないの?)
 ということを一瞬思ったが、そういえば後藤さんのライブのゲストで大阪に行くんだよなということを思い出した。

 で、他にもう1組
 「吉本興業東京本社所属」
 なのに大阪会場2回戦に出るコンビがいて、それが
 「ハリガネロック」(苦笑)。
 揃いましたなぁ。
 どうしましょう。

このようなサイトを開いておきながら言うのも何だけど、正直、ハリガネが今年も出ると聞いても、

 (嬉しい!)とか
 (今年こそ勝って欲しい)とか思わなかった。

 (でるんか。…う〜ん)と、微妙だった。

 同じく、結成10年目を超えてる筈の2丁拳銃が何がどうなってこうなったのか知らないがともかくまた出る、というのを知っても

 (あぁ…そうなんやぁ。あららぁ)

 程度の感想しか、今のところはない。


当たり前ながら、「落ちる」よりは「受かって」欲しい。
 けど、手と手を胸の前で合わせて目を瞑って必死に祈っちゃうほど思ってるのかというと、それは無い。
 申し訳ないけど。

 「勝って欲しい」
 と書くけれども、本当のところはそんなこともそれほど思ってはいない気がする。
 「勝つ」とか「負ける」とかいうフィルターを通して漫才を見ることは、正直私は苦痛だ。
 好きな人達の漫才だったら尚更で、
 (何で好きなこのネタを悲壮な面持ちで見なきゃいけないんだろう…)
 と思うと、虚しくもなる。

M-1が近づくと私は
 「楽しみでわくわく」というより
 「うんざりでいらいら」という気持ちの方が強い。
 「面白い」か「おもんない」で本来は終わるものなのに、それ以外のものを無理矢理押しつけてこられる感じがして息苦しい。
 
だからといって、M-1を楽しみにしてる人の気持ちを否定する気はありませんので。 念のため。
 でも、おそらくテンション高いレスは望めないか、と思います(苦笑)。
 
 普段はあんまり見ることが出来ない(というか見に行っていない)他事務所の人の漫才をいっぺんに見る良い機会でもあるし、準決勝ともなればかなり期待できそうなので、

 (準決勝は自分が好きな人が残っていても残ってなくても見に行こうかなぁ)
 と、思いつつも、

 去年は、徹夜で並んだ人もいたとかどうとかいうのを聞けば、
 
 (そんなエネルギーを注ぐぐらいなら、違うものにエネルギーを注ぎたいわな)
 と、いう気持ちのほうが勝ってしまう。
 確か、値段もそこそこ張るし。

長々と書いたものを一言で言うと

 「お笑いは好きだが、M-1はそないに好きじゃない」

 か。
 30文字以内で収まることを本当にまぁ、長々書いてすいませんね。





2003年10月16日(木)
4000円の覚悟

ルミネへ行って来た。
 やっぱり、もう一度あのSPコントを見たかったから。
 自称「ケチ」の私が、「当日4000円」を出しても良い覚悟で行くぐらいだから、本当に好きなツボをぎゅいぎゅい押してんだなぁ、とあらためて思った。

 もっとも、“裏ワザ”を使い、4000円よりも3500円よりも安い値段で入場しましたけど。
 それでもいつもよりは高かったが、まぁいいか。

私の後ろはカップルだった。
 彼女はお笑い知識ゼロ。
 彼氏は中途半端にかじってるようだが、その知識が中途半端なだけに、全て間違ってるから、結局はゼロだろう。
 まぁ、お笑いの知識なんて大抵の人にとっては、なんちゃってトリビア程度(もしくはそれ以下か)ぐらいだから、別に良いんだけど。


 何なんでしょうねぇ。


 ゼロ同士は足しても掛けてもゼロにしかならないのに。


 何で、ネタ中にゼロ知識の広め合いをやっちゃうんでしょうねぇ(ため息)。


周りに気を使ってるのかどうか知らんが、ひそひそ声の会話こそ耳障りなものって無い。
 しかも、そのどれもが間違ってるから、よけいに
 
 いらいらいらいらいらいらいらいらいらいら
 いらいらいらいらいらいらいらいらいらいら
 いらいらいらいらいらいらちらちらいらいら
 いらいらいらいらいらいらいらいらいらいら

 してしまう。


 「トータルテンボス」を
 「森三中」と間違える人は初めてだった。
 しかも、その理由が
 

 「似てるんだよねぇ」


 ってちょっとちょっと。
 性別、人数、ネタの系統。
 どこをどうとっても似てませんぜ、ダンナ。


 で、彼女も優しいのか何なのか知らないが


 「あぁー、言われてみればなんとなくそうだ〜」

 って。


彼女は彼女で、


 (何でそこを聞き逃すんだ!)
 
 と、こちらが頭をかきむしりたくなるほど、肝心なとこを全て聞き逃す。
 で、その度に彼氏に

 「え?え?今、何って?」と、聞き返す。

 2丁拳銃のネタか、オマエは!と、思うこと度々…いや、しばしば…もしくは殆ど。
 2丁拳銃の漫才に無かったですかね、「聞き逃す」と何かを掛けたネタ。


 そうそう、この彼女。
 いわゆる「掛かってるネタ」が全て意味が分からなかったみたいで、その度に彼氏に

 「えっ?今のどういう意味?」とか
 「何で、みんな笑ってるの?」と聞いていた。


 (後から私がまとめて教えてやるから、今はとりあえず黙って聞いとけ!)
 と、胸倉を掴んで言い聞かせたいほど、いらっとした。

 ネタの意味を説明するほど、間抜けで興ざめなことって無いよなぁ。
 彼氏は語りたがりらしく、嬉々として説明してたけど。

 SPコントでも、小堀さんが噛んだセリフの語尾を強引にギャグとして押し通すことに成功した時、

 (女)「えっ?なんで今みんな笑ってるの?」
 (男)「コリがセリフを噛んじゃって…」

 という説明が始まり、この調子でこの後も続きそうだったので、空いてる席にそろそろと移動した。
 余韻をぶち壊されたら泣く。

SPコント。
 1回目の衝撃が凄かったせいか、2回目となる今日は結構落ちついて見れた。
 「まがいもの」の余波(笑)で、小堀さんの声が若干ガラガラだった。
 昨日、うたライブだったんだなぁということを実感。
 
 河本さんにしろ、小堀さんにしろ、カッコ悪いビジュアルの役の時ほど、なんだかカッコ良く見えてしまうのはどうしてか。
 “贔屓目”か。

ネタ組で、ダイノジとショージさんのユニットがあった。
 ネタの中でネタをする、という二重構成だったが、
 
 「漫才・ダイノジ」

 と、スクリーンに文字が映った時、私は非常にときめいてしまった。
 (あっ、やった!)と。
 
 「漫才をやってるダイノジ」もしくは「ダイノジの漫才」
 がどうやら私は好きなのらしい。
 それが今日初めてわかった。

 2丁拳銃やカリカの場合は逆に、明転の時にセンターマイクが見えなかったら、非常にわくわくしてくるんだけど。
 



2003年10月15日(水)
キムラ祭り、ふたたび

東京に来てから、テレビ雑誌を見なくなった。
 唯一見ているのは「TV Bros」だが、これもテレビ欄よりも「はみだしブロス」目当てに見ているものだし。

 何故に見なくなったか、というと話は簡単。


 「楽しみが無くなったから」。


福岡にいた頃は、
 (おっ!上方漫才大賞が入る!既に結果は知りまくりだけど)とか

 (あ〜、ZAIMANが気まぐれ的に入るやん)とか

 (おぉ〜!JACKSONが何故か福岡でもやる!)とか

 (きゃぁ〜!FUJIWARAリゾートが始まる〜!)

 と、いうように地元局以外の番組がもしかしたら深夜とか土日のたるい昼下がりのあの枠に入るのでは…という楽しみがあった。

 けど、東京は在京5局がキー局なものだから、枠がかっちり決まっててつまらない。
 そんなこんなで、全然テレビ情報を追いかけていなかったのだが、私はうっかりしていた。


それは「UHF局」の存在。
 我が家はMXテレビ、テレビ神奈川、テレビ埼玉が入る。
 千葉テレビだと、「えみちゃんねる」とか関西系の番組を割とやってるだけに、これが映らないのはちょっと寂しい。

 何気なく、風呂上がりにいつもは見ないUHF局欄を見ていたら、

 何と!

 「水曜午後7時:『木村WEB堂』


 でかした、テレビ神奈川!といそいそとつける。
 生憎、と気づいたのが7時55分だったので終わりかけだったが。
 でも点けた時が、「楽屋ニュース」のコーナーで、

 「修士とユリオカ超特急は似ている」説
 を、キム兄が語ってるところだったのが、ちょっと面白かった。
 間接的ながらニチョケン情報にうまいことあたるのね、あたし、と。
 もっともこの回は素敵さんからビデオに撮ってもらってたので知ってる話でもあったが。

 これから、毎週水曜は19時からキム兄、21時からはトリビア、深夜はカリカ、という素敵な夜を過ごそう。


今日、でっかい地震ありましたねー。
 うちのチームは全員
 (部長、エレベーターに閉じ込められてしばらく帰って来んかったらエエのに…)
 という思いで意見が一致していた。

 その部長はといえば、今日


 「渋谷セルリアンタワー東急ホテル」へ


 「あー、もしもし。
 
  渋谷セロリアンタワー東急ホテルさんですかね?」

 と、電話していた。


 “セロリアン”。 
 何か、中華料理みたいですね。
 とろっとしたあんかけとセロリのしゃきしゃき感が妙、みたいな。

 私としては、このオオボケに対し、セルリアンタワー東急ホテルの人がどんな返答をしたのかが気になる。

 「ハイ、セロリアン〜でございます」とは言ってないだろうから
 「ハイ、セルリアン〜」とさりげなく訂正したのかな。

 “セロリアン”かぁ。
 博多銘菓・チロリアンと響きが似てるせいか、どのみち美味しそう。

昨日、夜の22時過ぎに父から電話があり、長々と喋る。
 叔母から何か連絡があったのかどうか知らないが、うまいタイミングだと思った。
 チチ、朝起きたらトイレの水が9時間ぐらい流れっぱなしだったことに気づき、へこんだらしい。
 親子で何かしらへこんでいたんだなぁ。


大学の同期が何人か東京にいて、そのうちの1人から
 「いつかメシ食いに行こうなぁ」と誘われてた。
 “いつか〜しよう”なんて、社交辞令だと思ってたので、
 「そうだね〜」なんて軽くメール交換していたのだが、あっちは本気だったらしく、予定を聞かれた。

 “いつか〜しよう”が社交辞令じゃなかったのは初めてに近い経験だった。
 この人が東京組を繋げてるようなものなので、大まかな予定をメールする。

 そういえば、在学中、私は何故かこの人を
 (小堀さんに似てる)と思っていた。
 それをお笑い友に言ったら、同意者多数だったので、仲間内では彼を「コホリ」と呼んでいた(本人には○○君とちゃんと名字で呼んでいたが)。
 でも、今思えば全然似てない(^^;。
 そのことを当時一緒に呼んでいた友達に言ったら
 「そうなのよ、私も途中でそう我に帰った。
  でも、その時は違和感なかったのよねぇ。
  何であの時はそういうふうに思っちゃったのかしら」
 と、2人で首を傾げた。
 何が似てたんだ?

ネットのお友達の日記で、衝撃(というか笑撃か)的目撃談を見る。
 見た瞬間、
 (何ぃ〜!ひゃぁ〜!)と驚いたが、何だか後になったら笑えた。
 (高校生かい、アナタ達は)みたいな(^^;。
 でも、普通に道路にいるだけで
 (あっ!○○さんだ!)
 と分かるもんなんだなぁ、と驚いたりもした。
 意外とオーラ出てんのかしら。
 
 



2003年10月14日(火)
ウイルスにはご注意を

異常なまでのローテンションの日記ばかりでスミマセンでしたm(_ _)m。
 とりあえず、今は普通のテンションです。
 ウツウツと過ごした3日間は、今振り返っても恐ろしいばかり。
 気をつけよう。

結局、3日間の内の2日間は仕事をしていたようなもので、
 (3連休?ケッ!)
 てな感じで出社したが、休みの間にわが社のネットワークはえらいことになっていた。

とある1台がウイルスに感染し、それがえらい勢いで広まっていることが発覚し、昼は殆ど仕事にならない状態。
 SEは軒並み青ざめ、猛スピードで駆除と予防に追われていた。

 幸いにもうちの班は奇跡的に全員セーフだったが、結果的に部の8割は感染していた。
 感染源はとあるオババのPCだったのだが、そのオババが
 (最近、何か変ねぇ。何かしら)
 と放置していたため、感染が拡大したらしい。

普段、PCが使えないオジイやオババのここぞとばかりのSEいびりは圧巻だった。
 率先していたのはいうまでもなく部長だったが。

 曰く

 「パソコンなんてものに頼り過ぎるからこういうことですぐ仕事が出来なくなるんだー」

 「何で軽い内にちゃんと直しておかないんだー」

 「オレのようにPCに頼らないこころ構えが必要だな、やっぱり」

 「コジマ(私と同郷・同学年のSE)、オマエ、これが江戸時代なら切腹だぞ」etc…。


いやぁ〜、
 「何も分かってないバカは黙って茶でも飲んでろ!」
 と言いたくなるほどのおポンチぶりでした。
 ものすごく目がきらきらしてたからなぁ、これらを言ってる時。
 自分に責任が無い他人の失敗ほど嬉しいんだろうねぇ。


感染源のオババもいけしゃぁしゃぁと

 「何よ!私が悪いっていうの!?私に言われても分からないわよ!」
 と逆ギレしていた。


感染した人は、感染源のオババじゃなく、SEに
 「あぁ〜、ずっとアップデートしてなかったわ。
  えっ!?今日メール使えないの?困る〜。
  ちょっとぉ〜、今日の仕事、どうしてくれんの〜」
 と当たっていた。


ウイルス対策をしていたため、感染を免れた人は軒並みSEに同情した。
 (私(俺)なら、キレて辞めるわ…)と。

 
嬉しそうにSEをいびっていたオジイ・オババどもは、SEから
 「このCD-ROMをPCにインストールして下さい。
  インストールが完了したら再起動かけて下さい」
 と言われた途端、目がうつろ。


 なんとかドライブを探そうとあちこち見るのは良い方。


 大半は人差し指にはめて、クルクルと所在投げに回していた。
 何の芸や。


 中にはAドライブに無理矢理ROMを突っ込もうとするオジイもいた。
 2次被害防止のため、さすがに助け船を出したが。
 大体目測で分かりそうなもんだがなぁ。
 入りそうか、入らなさそうか。





2003年10月13日(月)
完全に弱気モード

色んなことが不安になり、昨日は実に2時間も鹿児島へ長距離電話を掛けてしまった。
 電話代が非常に気になるところだけど、お金で色んなもやもやを少しでも消すことが出来たら安いものではなかろうか、と。
 なぜ鹿児島かというと、母の妹が住んでいるから。
 年を取るにつれ、電話の声が母と似てきたので、母と話してる錯覚に陥れるんじゃないだろうかと思ったから。

 電話が繋がった時、開口一番
 「何かあった?」
 ときかれた。
 説明しようとすればするほど、しゃくりあげるだけで、中々声にならない。
 断片的に、色んなことが辛くて色んなことにいらついていることをまず言う。

 思うように仕事をこなせなくて、いつか
 「あなたはいらない」
 と言われるんじゃないかと怯えていることとか。

 みんなの前で当り散らされる対象に私が選ばれるんじゃないか、とか。
 
 知識を増やすことが強くなる第一歩なのに、どこから手をつけたら良いのか分からなくて、混乱していることとか。

 主任やミカコさんとか、みんな優しく的確に仕事を教えてくれるだけに、それをこなせない自分が悲しいとか。

 仕事が出来ないのか出来るのか全然分からないこととか。

 自信が持てない自分が情けなくてはがゆいこととか。


 色んな混乱ごとを泣きじゃくりながらとにかく話す。
 おばは母のように聞いてくれる。
 会社では当たり前ながらこんなこと言えない。
 すごく甘えたことだから。
 
 「徐々にやれば良いんだから。
  歯痒くても焦る必要ないし、いっぱい失敗してもいいから」
 という。
 「頑張れないなら無理に頑張らなくていいから」とも。
 そういわれると、頑張れない自分がとても情けなくなってきて、また泣く。

 こういう堂々巡りが繰り広げられた2時間だった。

「もうすぐ11月が来ることもあるんやない?」とも言われた。
 11月は母が倒れた月。
 12月は母が亡くなった月。
 13日は祥月命日。

 3年前、色んなごたごたに巻き込まれ、心身とも疲れた私は母に
 「全てを捨てて長崎に帰りたい」
 と拗ねた。
 母は
 「どうするかは自分で決めなさい」
 と突っぱねた。
 結局私は福岡に留まって、なんとか事を解決させたが、母は知人にこういっていたという。

 「あの子が初めて“逃げたい”と言った。
  あの子が言うぐらいだからよっぽど辛いんだなと思った。
  だけど、ここで受け入れた方があの子はあとでもっと辛いと思ったから敢えて突っぱねたの。
  もし、もう1回逃げたいと言って来たら、迎えに行ってあの子の好きな料理を作ってあげるつもりだった」

 私はおばに言った。
 「もう1回辛いって言えば良かった。
  だって…もう…食べたくても食べられないんだもん。
  お母さん、…もういないんだもん」

 亡くなって約3年後。
 私は初めて人前で「母がいない」と泣きじゃくった。
 3年前は、あまりに多くの人が泣くものだから、却って私は泣けなかった。
 お風呂や布団の中などで泣きじゃくった。
 それでも声を殺して。

一人っ子だった私は色んな辛いことや悲しいことへのはけ口は母だった。
 それが出来なくなって3年目。
 なんとか1人でそれをこなそうとしたけれど、今はそれがちょっと限界に来ている模様。

 「泣きなさい、泣きなさい。
  泣かないと声も出なくなるからね。
  泣いていいよ」
 と、電話口で叔母がいう。
 母に限りなく似ている声で母がいう。

 現状のぐちゃぐちゃした甘えといまだに癒えない強烈な喪失感が相まり、ボロボロ。
 それでも、他人に少しでも吐けたことで、僅かに楽にはなった。
 
13日は仕事を片づけないといけなかったので、1日引きこもる。
 2丁拳銃が出るらしいどこかの学祭へも行かず。
 泣きたくなったら泣いたので、タオルはぐしょぐしょ、目は腫れまくり。
 どうしたら良いものか。

そんな中、普段は見ない朝ドラを偶々見ていたら驚愕した。
 いとし師匠がでているではないか!
 いつの収録分かは知らないが、あのほっこり・飄々とした笑顔でスケート場の職員役をこなされていた。
 呆然としながらも食い入るように見つめた。
 昼の再放送分もチェックしてしまった。

これまた偶々途中から点けたワイドショー。
 「余命が2ヶ月と宣告されたら」とインタビュー。
 うちの母の3回目の命日まで奇しくもちょうどあと2ヶ月。
 もし、3年前の今日、母はインタビューされていたらどんな答えを返していただろうか。
 持病があったとはいえまさかあんなに突然逝ってしまうなんて思っていなかった。
 でも本人は心の片隅ではいつも覚悟していたかもしれない。
 すごくシリアスな答えをしていたかもしれない。
 そう思うと切なくなり、とても見る気になれなくなったのでTVを消した。

 秋が深まり冬の気配が近づく度に思う。

 (なんでもっと優しくしなかったんだろう…。
  なんでもっと一緒にいてやらなかったんだろう…)と。

 取り返しがつかないことへの後悔ほど薄まらないことはない。

一方では思い出したく無い程の嫌な季節だが、一方ではこのサイトが生まれるきっかけともなったこの季節。
 3年前の明後日、初めて2丁拳銃を見に行った。
 母が亡くなる4日前は、ハリガネロックの漫才で元気をもらった。

 些細なことの一つ一つが後の大事な支えだった。 

 



2003年10月12日(日)
ふぅ

まったく期待されないのも悲しいが、必要以上にプレッシャーを感じがちな私は、最近どうにも辛い。
 仕事は原則、1人でやることが当たり前なのに、1人でするということに過剰なまでの恐怖を覚えてしまい動けない。
 やらなきゃ、やらなきゃと思えば思うほど八方塞がりな気分になり沈む。

 自分の今の位置やこれからのことがわからないから必要以上に恐いと思ってしまうのだろう。
 パターンさえ覚えれば、後はちゃんと出来る筈だ、…多分。
 
 出来る、と思う自分と、何かを必要以上に恐がっている自分が闘っている。
 何を恐がってるのか自分でも分からない。
 けれども、とにかく何かが恐い。
 毎日、そんな弱気な自分と必死に闘う。

=====================
「拳」に行こうと思えば行けたけど、仕事が疲れたし、1回目だからとりあえずスルーした。
 他の人の感想を見て面白そうと思ったら来月行こうかなぁ、と。
 箱入り系統だったら、かなり行く間隔が空くだろうけど(^^;。
 公式のかきこみだったら、
 「ちょ→面白かったでぃす★」
 的かきこみが多そうであんまりあてには出来ないかもしれないが。

 「面白い」という感想は、その人のファンじゃない人が言ってる方が信憑性がありそうに思う。
 「あんまり面白いとは思えなかった」とファンが言ってたら、すごいなぁと思う。
 却って気になる。
 面白い状態を見てみたい、と。

TV欄を見てたら、ウルルン滞在記の番宣文に
 「お笑いタレントの松谷賢示」
 と書いてあって、一瞬誰のことか分からなかったが、水玉のケンさんであることに思いあたり、びっくりする。
 エーゲ海に魚を取りにいっていたとは。

明日も家に引きこもって仕事…。
 連休ちゃうんかーい(怒)!

そうそう。
 私の大のお気に入りの日記を書いてらっしゃるこばやしさんが属するグループが今日から「あるある大辞典」のEDをお唄いになるので、楽しみ。
 
 



2003年10月11日(土)
風が吹いてる?

千原兄弟が出るので、「エンタの神様」を初めてに近いといってもいいぐらいの頻度で点けたら、フットが出てた。
 ファミレスネタ。
 「新すぃ日本語」にも出ているフット。
 最近、私が見るもの全てに顔を出してるフット。
 まさか全国ネットでここまで見る日がくるとは(感慨)。
 そして、千原ネタにも字幕の嵐が襲うか。
 ふぅ。

今日は、久しぶりに神田古書店街に行った。
 買わなかったけど、ぶらぶら見歩くのは楽しい。
 グループの団結ぶりを表してるアイドルが20〜30年後、当時の不仲や泥沼状態を暴露するから、本当人生は面白い。

 漫才ブームの頃のネタ起こし本があり、5000円だったのにはビビった。
 しかし、「落語」や「歌舞伎」関連は多いけど、「漫才」のスペースは本当に僅かだったのには寂しいものが。

関西では小堀さんがピンで色々仕事をしているらしい。
 修士さんが浪商関係で色々出歩くから拗ねてるのかしらん、なんて思ったり(^^;。

 今月は2丁拳銃関連の大きなイベント全てに縁が無い私。
 見事なまでと言ってもいい。



2003年10月09日(木)
気分転換

AM2:00〜5:00まで仮眠。
 しかし、初めて金縛りでうなされる…。
 なんちゃって心理学科卒なので、金縛りが霊的なものじゃなく疲れからくるものだとは知ってるけど、恐かったー。
 本当に今、この部屋に男が侵入して首締められてんじゃないのか、って思い込んだもん。
 で、あぁいうときって無意識的にやっぱり
 「助けてー、お母さーん!」
 って叫んじゃうなぁ。
 現実世界に母親はもういないのに、生きてるお父さんに助けを求めないんだなぁ…。
 可哀相なパパン。
 DVDレコーダーでの「バッテキ!」録画は順調だろうか。

5:00に目覚ましがなる。
 よく起きたなぁ、私、と自分で自分を褒める。
 真っ白といって良いぐらいに仕事が進まないままの仮眠だったので、冷や汗だらだら。
 
 (あぁ、このままバックレたい…。
  めざましテレビでトロが旅してる長崎に私も旅したい。
  “せりのだらだらぶらり焦り旅、おくんち編”とか…)

 と、アホなことを思いつつ、もがきながら仕事。
 シュワちゃんが知事になろうが何になろうがどうだって良かったなぁ、本当。

こんな日に限って職場の席替えが行われるものだから、いつもより45分早く出勤。
 
 今まで


 私ーミカコ\
        主任
 空席ー空席/

 だったが、


 空席ーミカコ\
        主任 
 空席ー 私 / 

 に変わる。

この席替え、私的にはメリットが大きい。
 今までの席からは主任が遠かったので、あんまり何か話しかけられてもよく聞こえないことが多かった。

 
 そして、何よりも何よりも


 視界から部長が消える♪(はぁと)。


今まで、私の視界の先には部長がいた。
 おかげで


 鼻をほじくってる部長とか


 何か仕事を押しつけようと近寄ってくる部長とか


 上海ガニ情報を必死こいて探そうとしてる部長とか


 やっぱり部長とか


 ひたすら部長とか

 
 それでも部長


 あいあむびじー部長


 と、とにかく部長が視界に入らない日が無く、かなりブルーだった。

 今日からは視界の先に見えるのはミカコさんと、時計のみ。
 あぁ、平和。
 あぁ美しいニッポン。

定時に終わったので、家でのんびり。
 暇だったのでリンクを渡り歩く。
 とある個人サイトに行きつく。
 掲示板と日記とリンク、という3点セットの個人サイト。
 何となく日記を読む。

 カウンターがいつのまにか1万越していて驚いた、とある。
 はじめたのが2年前ぐらいみたいなので、あんまり宣伝せずに細々と続けて行ったんだろう。
 
 しかし、次の文を見て驚く。
 要約すると 
 「カウンターは10000越してるのに、感想のかきこみもキリ番報告もない。
  日記だけ読み逃げ(←これは本当に書いてあった)されてるなんて、すごく不愉快だ」云々。

 じゃぁ、公開するなよ。
 感想が送られないのは、自分のせいでしょうに。


世間は3連休というとこが多いらしいが、私は日曜は休日出勤。
 そんな中、友達から彼を実家に紹介しに行くの〜、なんていうメールが届く。
 うまくいけば、披露宴で唄うカップルの誕生かぁ。
 爆笑の日がいよいよ近づくのか?

仕事中は、ひたすら
 「あぁー、しんど。
  あぁー、辞めたい。
  生まれ変わったら、絶対この仕事は選ばん」

 と思うが、良い仕事が出来なかったらやっぱり口惜しい。
 人よりも良い仕事をしたいし、自分のために納得いく仕事をしたい。

 
 …こういったことを仕事の渦中にも思えれば良いのになぁ。
 仕事中はただただ目の前の仕事を終わらせることしか考えられない。
 難産の仕事は、出来映えはボロボロでも愛しい。
 この次はもう少しカッコ良い結果を出せるように、と一応毎回決意する。
 その決意が結果と結びつくのはいつの日やら。





2003年10月08日(水)
持ち帰り仕事中

今日締め切りを明日の朝イチまで延ばしてもらえることが許される時期ではあるものの、明日の朝でも終わってるのかどうか不安。
 寝れないと思えば思うほど眠いし。
 
 仕事が詰まってると

 (ぜーったい、生まれ変わったらこの仕事にだけは就かねぇ)

 と、入社3ヶ月目のクセに固く決意してしまう。
 仕事が片付いた時は全然思わないんですけどね。


これを書いてる暇があるんなら、とっとと仕事に戻れ、という声が聞こえる気がするのでこのへんで。


日曜の出勤が果てしなくブルー…。
 疲れたよぅ。



2003年10月07日(火)
左はおおボケ、右はすっとこどっこい

仕事が1つ、やっと終わった。
 晴れ晴れ。
 「咽喉もと過ぎれば熱さを忘れる」
 の典型である私は、ここ最近落ち込んでたことなんて、今日のこの1日だけでもきれ〜いに過ぎ去ったのであった(^^;。
 久しぶりに昨日は泣き疲れたあまりに寝てしまいましたが。

今日は月に一度の大会議。
 我々(主任、ミカコさん、私)が顧客を増やす広報戦略についての考えを一応、お偉いさんに聞いたところ、


「そんなのはなぁ、若い女の子がさぁ、こう、余計なものをつけてない、自然な姿で映ってる写真でも1枚貼っておけば良いんだよ。
 そんなのでねぇ、多少の広報活動のまずさはおぎなえるんだよ、君たち。
 はっはっはっ〜」


という、それはそれは素晴らしいお答えが返って来た。


そうですか。


そうでございますか。


失せろ!


っていうか、もう死ね!(伏せ字はやめた)

 「生まれてきてすいませんでした」
 と詫び状をさらさら書いた後に切腹なりなんなりしてくれ。
 っていうか、やれ!

会議中、私の左側は、すっかりこの日記では有名人である大ボケ部長。
 右側がこのすっとこ“エロ”どっこい。
 こんなボケどもの給料が私の数倍だなんて。

 会議後
 「っとに…」(主)
 「男ってバカですよねぇ…」(ミ) 
 「っていうか、あの人たちがバカなんですよねぇ…。
  バカでエロって救いようがないですよね」(私)
 「元気出て来たねぇ。
  …あんなのが旦那だったら速攻離婚してやる」
 「慰謝料とってやりたいぐらいですよね」
 「あんなのが父親だったら老後をみてやりません」

 と、非常にアンニュイな会話をぼそぼそと繰り広げた我々だった。
 披露困憊。

オオバカどもとのやりとりの疲労回復と仕事が終わったご褒美を兼ねてルミネへ行く。
 今日のネタ組の面々は素敵なので。
 「お笑いポポロ」の最新号も素敵だった。

今日のネタ組で一番面白かったのは麒麟。
 上手くなってるなぁ、と思った。
 ひきつける力が増えた。
 今日のネタ組で唯一、時間を短く思えた(本当に持ち時間が短かったのなら笑うが)。

ハリガネはお年寄りネタを軽くこなした後、最近お気に入りらしいTOKIOネタで助走をつけ、ヒーローショー漫才で全開。
 大上さんへのヘッドロックをありえないぐらい華麗に決めた自分がツボに入ってしまい、中々戻って来れない、という珍しいユウキロックを見た。
 最後を強引に「センキュー!」で終わらせていた。

 …何か、慣れたなぁ。
 「目〜離れてました〜」も「センキュー!」も。

 慣れるのに2年掛かったけども(^^;。
 しかし、人がやっとのこさ慣れたと思ったら、ツカミを変えようともしてるらしい。
 どうなるのか、ハリガネロック。

2丁拳銃は、土曜日とほぼ同じ。
 違っていたのは、「童謡」に「グリーングリーン」が入ってたことと、小堀さんの「奔放さ」が「投げやり」に近いものに思えたことか(^^;。

 前置きもなく唐突に本題に入ったり、脚本を無視したり。
 また、そういう流れになったような部分もあるとはいえ、お客さんを「お前ら」みたいな呼ばわりをしたり(苦笑)。
 さすがに、お客さんをそういうふうに呼んだ時は修士さんが怒っていた。
 それでも突っ走る小堀さんでは無いのが、まだ救われるか。

 奔放でも投げやりっぽく見えても、大多数のお客さんが笑ってるんなら別に大した問題ではないだろう。
 実際、ウケはちゃんと取ってる。
 けど、見ているこっち(私)が、
 (楽しそうにやってるしなぁ。しょうがないなぁ)
 と思う奔放さじゃないのが、ちょっとだけ引っ掛かる。
 所詮、勝手な勘繰りに過ぎないですけどね。

 さて、現在の修士さんは伸びてきた髪をちょっと金に染めたり、と順調に「おしゃれな短髪さん」の道を歩んでいる。
 松口さんが全然シャレる気配が無い坊主を歩んでいるのと対照的に。
 舞台では、暴走する相方をいさめたり、なだめたり、いじったり、と相変わらずいい仕事ぶり。
 今日も「森のくまさん」をやったが、初めて
 「森のくまさんを振り付きで行う修士さん」
 を見た。
 
 そりゃもちろん(笑)
 「シュウちゃん、か〜わ〜い〜い〜」
 だった(^^ゞ。

始まる前、廊下を通ったら、偶々出囃子のチェック中だったらしく、廊下に聞こえた。
 ガラスが割れるあの音…。
 (ハリガネだ!)
 と、即足を止めた。
 その後の聞こえたのが
 「ちゅっ、ちゅるる〜る、ちゅるる〜る、ちゅるる〜る…」
 というヒロトさんの声。
 ご存知「44口径」。2丁拳銃の出囃子。

 (何か、良いなぁ〜)
 と、しみじみ思いを噛み締める。







2003年10月06日(月)
「大丈夫だから」

お昼前に主任が外勤へ出かけたので、お昼はミカコさんと。
 そこで、ミカコさんから
 「ちゃんと息抜きしてる?」
 と訊かれた。
 どうやら、自分の予想以上に不景気な顔を世の中にさらしているらしい。
 「してるつもりですけどねぇ〜」と答えたら
 「お休みの日ぐらいは、仕事のこと忘れてどこかに出かけたほうがいいよ。
  仕事の勉強ばかりしてても良くないよ」と言われた。

 土曜日は「ルミネ優待券」を求めて新宿放浪。
 日曜日はハリガネ営業を見に池袋。

 この事実は伏せてしまった(^^;。

 けど、ミカコさんならいいか、と思って打ち明けた。

 出来そうで出来ない今の状態と自分に凄くいらいらしていること。
 上役達のどろどろした権力闘争を見てたら息苦しくなることを。

 主任に言っても良いことなんだけど、ワンクッション置いたミカコさんの方がいいやすかった。

 「出来なくて当たり前なんだよ」とミカコさんはいう。
 「今は出来ない自分を出来る自分にすこしずつ変えていく時期なんだから」と。
 今、出来てる人もそういう時期を経て出来るようになっていったんだから、焦らなくて良い、とも。

 息苦しさは、今ちょうどそういう時期だもんね、ということだった。
 そろそろ役員が交代するらしい。
 私は人間関係の駆け引きにはまるで長けていないので、足の引っ張り合いや化かし合いを見ていたら、何か息苦しくなってしまう。
 誰かを落としいれようとか蹴落とそうとかあまり思ったこと無いので、そういう現場を目の当たりにしてしまうと困惑し、混乱する。
 固まってしまう。
 人間に揉まれていない私の弱点だ。

 「自分をちゃんと持ってたら大丈夫だから」とミカコさんはいう。 
 「あんまり仕事で自分を追い詰めちゃうと損だよ。
  大抵のことは大丈夫だから」という。

 そう言われると救われる。
 しかし、その優しさに泣いてしまう(会社では泣かんが)。
 で、色々と自分の状況を考えたら、やっぱりもどかしくて、お風呂の中でぼろぼろ泣く。
 それですっぱり、と思っているのに、お風呂から上がって持ち帰った仕事を片づけてたら、中々期限内に終われない自分が情けなくてやっぱり泣く。
 何をしても泣いてしまう秋の東京。
 どうしちまったんだ、私よ。

これがハリガネを見ても、2丁拳銃を見ても、「昆虫ロック」の一節のように

 >頭振っても楽しくない
 >腰を振っても乗れない
 
 と、思うようになったらヤバイかもしれないが、それに関してはセーフ。
 そういえば、池袋の営業でハリガネを見てたら、凄くホッとした。
 何でだろうな。 

「バッテキ!」のビデオを見る。
 キム兄ゲスト分が3回、FUJIWARAゲスト分が2回。
 録画失敗が続いてたのはFUJIWARAがゲストだった頃か…。
 そして、全くゲストが出てこない回もあり。

 私が見ていた頃とは完璧に趣旨も作りも変わっていた。
 修士さん1人が素人の女の子達とロケへ赴き、小堀さんの出番なんて、30分の枠の中で5分あるかないか。
 女の子達のぎこちない調子乗りキャラは、一度、本気で(きぃ〜っ!)と拳を握ってしまったほど(^^;。
 番組の本来の趣旨は今のスタイルなんですけどね。

 キム兄がゲストの時は、微妙に小堀さんが引いていた。
 萎縮というか。
 FUJIWARAがゲストの回は、投げやりキャラ全開。
 フジモンから注意されてもへこたれず。
 あんまりゲストの絡みは映ってなかったけど、偶に映る時のF拳のきゃっきゃきゃっきゃしたノリは、ほっこり(^^)。
 修士さんがボケ回答した時、フジモンが
 「オマエまでそんなんしたらアカン!」という怒り方が可笑しかった。

========
カリカ・公式BBSを覗いたら、カリカペシロのかきこみ発見。
 …何か、脱力(^^;。

 >私とっても適当なので皆さんも適当にやってください

 というとこを読んでたら何となく、肩の力がすーっと抜ける。

 >泣きたいときは 泣くといい。
 >外に出たくても出れない涙は
 >心にたまって 錆び やがて心を腐らせる。

 とは、とある方から教えていただいた家城氏が書いた脚本にあるセリフ。
 適当といいつつ、時々とっても大真面目でストレート。
 



2003年10月05日(日)
夢見の悪さをずるずると…

ウッチャンの家で爆発が起こり、亡くなってしまうという夢を見た。
 爆弾が入った宅急便を送りつけたのがナンチャンで、事情聴取が開始された、というところで1回目の目覚め。
 その後2回ほど寝直したけど、寝直す度に夢がそのまま続くので、ものすごく気持ち悪く起床。
 そのせいか、1日中テンションが低かった。
 そして今(18:15)現在、
 (また明日から会社…。仕事…)
 と思うと、どどーんと沈む。
 うーむ、何だか息苦しいぞ。
 ヘタレっぷりが情けなくて泣けてくる。

今日は、パルコ別館でやっている古本市&サンシャインの営業を見に池袋へ。
 珍しく、古本を買う。
 98年のManish。
 300円という安さに惹かれたのと、FUJIWARAと2丁拳銃が載ってたので。
 この組み合わせだと安直に「超合金」かと思ってしまったが、そうじゃなかった。
 FUJIWARAは「はビデ2」。
 2丁拳銃は「いつだって…」の取材だった。
 そして、かってから気づいたが、ジャリズムの単独ライブの取材記事も。
 「山下“クン”」なんて書かれてるのが時の流れを思わせる。
 5年後には「鼻油千衛門時貞(後の…)」なんてややこしい芸名になってるなんて思ってもいなかったろう。

サンシャインの営業。
 ものすごーーーーーーーくマナーが悪かった。
 あんまりいいたくないが、
 (なんでこんなアホばっかりなんやー)
 と地団太踏みたくなるほどの。

 「写真は撮らないで下さい」
 とアナウンスされてるんだから、諦めろ。
 何で、始まってしまったらその注意を忘れるの。
 1回カバンにしまったのをわざわざ取り出して撮るの。

 ライブ中、ず〜っと
 「かわいい〜!」「カッコイイ〜!」。
 ステージに立ってる人は何をしてる人?
 
 「私の方、見た〜!!」
 単に視線を動かしただけだろう。

うぎゃぁ〜となるぐらい、イライラしながら見ていた。
 巴投げとか大外刈でカメラ娘共を投げ飛ばしたくなるぐらい。
 でも、ハリガネは最後だったので、これを見なかったら、本当何をしに来たか分からない。
 ハリガネが終わるまで意地でも帰らなかった。

 出て来た時はカメラのフラッシュが光ってた。
 だけど、ネタ中は殆ど光らなかった。
 30代のおっさん2人のビジュアルが敢えて写真を撮るほどでもなかったのかもしれないけど、カメラに意識がいかないようなネタをしていた、と思いたい。
 「カッコイイ方」とか「学校の先生」とかおなじみのネタだった。
 今、JR東日本が新幹線・品川駅の開業で盛りあがっているので、イメージキャラクターのTOKIOのCMがたくさん流れている。
 ということで、久しぶりにTOKIOネタも披露された。
 松口さんは坊主でしばらく行くようだ。

東京に行く日に流れたので実家で撮ってもらった上方演芸ホールのビデオをやっと見た。
 2丁拳銃出演分。
 他はビキ、フット、アメザリなど。
 小堀さんが、な〜んか飄々としてて、笑っちゃうほどの小憎らしさを発揮してた。
 意図的なNHKのカメラワークの不味さで、ライフセーバーの下ネタ部分が映っていなかった(^^;。
 



2003年10月04日(土)
「まったり」、あるいは「クラシック」

ルミネに行く前、池袋に用事があったので寄ったのだが、結果的にナイス情報ゲット。
 休日のハリガネ営業情報。
 土日が休みというシフトで働いている私には嬉しい。
 
新宿に着き、贔屓にしていた金券ショップに行ったらチケットは取り扱い対象外になっていた。
 (う〜む…)と思いつつそこの系列店を探していたら、“お姉さん”からのありがたいお誘いメールが入る。
 喜んでお誘いに便乗させて頂いた。
 ありがとうございました(^^)。

 その後、金券ショップ発見。
 会社帰りにふらっと立ち寄れるように、と1枚買う。
 (えらい安いなぁ…。底値更新だわ♪)
 と、ユウキロックぽく節約用語を入れつつ有効期限見てがっくり。
 今ネットでよく見かける→ _| ̄|○ ばりの。
 “10月15日まで”だった…。
 15日までに後1回、何が何でも見に行かねば。
 もう一度見ておきたい2丁拳銃班のSPコントは16日かい…。

4じ6じは、珍しく追加席も出ず、何なら後ろの方は空席が目立っていた。
 舞台のほうもなんだかまったり。
 “お笑い界のツチノコ”ことテントを短い期間で2回も見てしまった自分に笑う。

 初見のパンクブーブーと、殆ど見る機会が無いライセンスを除くと、今日のルミネ・ネタ組で私が初めて見るネタをやったのはカリカのみ。
 キム兄もチャイマも2丁拳銃も見たことあるネタばかりだった。
 
 チャイマと2丁拳銃は営業系だった(笑)。
 チャイマは「in the park」ネタ。
 2丁拳銃は、「言葉遊び漫才〜好みのタイプ編」と「童謡(お弁当のうた、森のくまさん)」。
 2丁拳銃のこのネタを見るのはライブに行く日の巡り会わせにもよるだろうが、1年近く私は生で見てないような。

 しかし、今日の小堀さんの体調はどん底だったんじゃないだろうか。
 口が回ってなかったし、出て来た時とハケた時は咳き込んでたし。
 そして、頭もあんまり回らなかったのか、ネタ飛びが所々というかしばしばというか(^^;。
 好き勝手なことをし、修士さんがなんども「やりたい放題しやがって!」と呆れていた。
 ネタの展開が頭に入ってる上での確信犯的奔放さではなく、そうでもしなきゃ大事になる、という切羽詰った状況での奔放さだった感じだったけども。
 
 でも「好み〜」も「お弁当」もところどころ、変えていた。
 あの場で変わったのではなく、変えた、と思いたい(^^;。

そういえば、ルミネのチラシラックに噂の映画、浪商のチラシが入ってあった。
 思わず手に取る。
 準主役の筈の修士さんが何故かセンターにいる、という妙な図案。
 しかし、悲しいかな、顔下半分が影になって見えず。
 目でしか判別出来ない修士さんだった。
 大上さん-ユウキロック-修士さん-RIKIYAさん-多田くん、がどーんと並んでいる。

 「スリーアミーゴスみたいやねん」
 というやってる本人である大上さんの軽〜いのほほん口調からして、そんなに重要な役どころに思えなかった大上-修士-多田だったが、なんのなんの。
 めっちゃ重要な役どころじゃないか。
 笑えるぐらい大マジメ。

 そして、小堀さんは、フジモンやよしくん靖史さん達と並んでチラシのリード文にはっきりと
 >エキストラとして参加
 と、書かれてるのに、ここに挙げた「エキストラ陣」の中で唯一、あらすじの中に登場していた。

 しかし、その登場も

 >先輩(小堀裕之)に弁当をカツアゲされても、
 
 と、ここで紹介されない方が良いんじゃないだろうかと思ってしまうようなものだった(^^;。
 小堀さんのこの映画における役柄については、いつもこの“弁当カツアゲ”が出てくる。
 このエピソードはそんなにこの映画の中で重要なシーンなのだろうか。

マンスリーよしもとを読んでて、ちょっとびっくりした。
 「M-1のファンクラブ」。
 1年に1回しかやらんイベントにファンクラブ。
 しかも「年会費2000円」。
 予選までいれたらまぁ、3ヶ月近く引っ張るイベントではあるけれども、
 (年会費で取るかぁ?)
 と、守銭奴のわたくしは思ってしまった(苦笑)。
 
 このイベント、そんなに好きな人が多いのか。
 今年の私は正直言って興味がなく、誰がエントリーしてるだの誰が出るの出らんの誰が優勝候補だの、なんていう情報も一切耳に入っていない。
 「面白い、おもんない」以外のところに引っ張られることが多いイベントは疲れてしまう。
 M-1終了後にやってる「振り返り番組」の構成はどうにかならんものだろうか。





2003年10月03日(金)
ちょっと進む決意

勉強を始めることにした。
 仕事についての勉強。
 もう1回、基礎の基礎から知識を積み上げよう。
 こんなあやふやな知識しかない状況でよく仕事をこなそうなんて思えたものだ。
 
 「はじめての○○」とか
 「基礎から分かる○○学」など、大学の教養レベルの参考書を買って来て、読み始める。
 案の定思い違いをしていた部分や、いわゆるこの世界では“常識”といわれる事項を全然分かっていなかった自分をぼろぼろと発見する。

 知識が無いと何も出来ない。
 知識は最大の武器。

 分かってないことや、混乱した時は、主任にすぐ確認に行く、という当たり前のことも今日から始めた。
 遅いかもしれないけど、とにかく始めた。

 なんとか、少しでも前へ進むため、とにかくやってみる。

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一昨年の10月の日記をなんとなく読み返したら、殆ど全てが2丁拳銃についてばっかりだった。
 そんな自分にびっくり。
 すごく好きだったんだろうなぁ、2丁拳銃を。
 ものすごく他人事みたいに言ってるが。
 ちょっとしたことに、きゃぁ〜きゃぁ〜と一喜一憂していた。
 2丁拳銃に何の興味も無い人が読んだら、面白くもなんともない1ヶ月の記録だった(^^;。

私にしては珍しくおとといと昨日はTVを見ていた。
 一昨日は「新すぃ日本語」。
 フットが恐らく毎週出るので、この時間はちょっとだけ旧base、現うめだの空気を吸える。
 友近もそういえばいた。
 エスティシャン・友近(笑)。

 目当てだったカリカは、家城さんが期待を裏切らない格好だった(笑)。
 私の周りのお笑いを知らない人の間でのカリカの知名度はゼロに近く、いつも説明する時は困っていた。
 
 「ビジュアルはサラリーマンと妖怪さね。
  で、妖怪に似た方は女装とかカッパの格好とかするんだけど、違和感無いの。
  そんな妙な格好してんのに、ネタの内容はものすごく深いんよ。
  …っていうかさぁ、見てもらったら分かると思うんやけど。
  あっ、でも食いつきやすいネタと食いつきにくいネタがあるんよねぇ。
  分かり難い方だったら、10分間ぐらいぽか〜んとしっぱなしかも」

 と、説明しようと思えば思うほど深みにはまっていた。
 今回から、ちょっと楽になるだろう。
 一発で、カリカの良さを分かってもらうのはロシアンルーレットに近いかもしれないけど。
 分かり難い系統でも、あまりの困難さでずっと気になるという利点があるが。

昨日は「ラブ・ジャッジ」。
 家城トークライブで鈴木おさむさんが裏話を色々暴露してたので、面白さも倍増。
 林さんが出ていなかったら恐らく見ていなかったドラマだ。
 SOPHIAの松岡くんがピン子にベタボレという設定からしてツッコミどころ満載の奇妙なドラマ。
 花田勝登場時は、裏話を思い出し、それだけで爆笑。
 林さんは予想以上にセリフがあった。

まだとってないけど、休日出勤するから代休をもらえるので、「NUTS休暇」を決意。
 FC先行でチケットも確保。
 明日引き換えよう。
 明日は、手に入れば株主優待券で4じ6じを見に行くつもり。
 もし入れたら、年内に見る回数は1〜2回といわれているテントさんにまたお目にかかれる(^^;。
 テント運大あり?
 お目当ては、2丁拳銃、カリカ、チャイマ、キム兄です。



2003年10月01日(水)
3年前/満3ヶ月

3年前の今日、千原兄弟を見に行った。
 初めて目にする千原兄弟は圧倒されるほど身長もオーラもでかくて、私を“生の舞台”の虜にさせた。
 これを見に行かなかったら、2丁拳銃を好きになることも、ハリガネロックを追うことも、カリカを知ることも無かっただろう。
 インターネットから足を洗ってたかもしれない。
 何がきっかけになるかは分からない。
 そして、3年後は東京にいるなんざぁ、当時の私は思いもしなかった。

3年後。
 新幹線の品川駅が開通したり、内定式が各地で行われたり、と晴れやかな10月1日。

 私は色んな感じでどつぼにはまり、どん底中。

仕事を始めて3ヶ月。
 焦りや行き詰まりを覚え始める時期なのかもしれない。
 仕事が出来るようで全然ダメな自分に焦り、気持ちだけから回りし、目もあてられない。
 今週1週間、自分の納得いく仕事が何も出来ていない。
 “ダメだダメだ”と思えば思うほど、マイナスの方向に沈むので吹っ切ろうとするけれど、またマイナス思考になるという、嫌なループ状態。

 そんな折、常務から怒られた部長の八つ当たりを全面的に引っかぶるという、もう
 (どうにでもしてくれよ…)状態。

 「これ、○○さんにメールしといて」
 と言われたんで、
 「○○さんですね」
 と言っただけで、何で

 「同じことを何回言わせるんだ!ちゃんと聞いてたのか!」

 って怒られないといけないんだよー。
 っていうか、オマエがメールしろよ、オマエの仕事だろ。

 …てなことを思えないほど、びっくりした。
 ぽか〜ん、である。
 あまりの予想を超えた展開に。
 で、その後もくどくどと、全然関係無いことで延々といびられる。

 だんだん、情けなくなったり口惜しかったりで泣きそうになったが、泣いたら泣いたでまた変な方向にいきそうだったので、ぐっとこらえる。

 しかし、外から帰って来た主任にこのことを報告したら、2人きりの時に
 
 「みんな味方だし、分かってるから。
  落ち込まなくていいんだよ。
  部長の味方より、せりさんの味方になってくれる人の数が多いんだよ」

 と言われた時は、危うく涙が目じりから流れそうになってしまった。
 優しくされる方がきっと泣く。

 そして、この人の期待に応えたいのに応えられない自分が情けなくて不甲斐なくてまた泣く。

 鈍感になりたくないが、打たれ強くなりたい。
 すぐ泣きそうになったり、沈んでしまうヘタレではちょっと困る。

 何で私はこうなんだろうなぁ…。


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あるBBSに、過熱する出待ち/入り待ちのマナーについてのかきこみがあった。
 ある芸人と話した時に、最近マナーが悪くてあまり劇場に来たくないといわれた、と。
 皆さん、ちょっと考えて見ませんか?と。

 その提案は良いことなのに

 「あなたは芸人と話せるからいいかもしれませんが…」
 てなこともレスにあり、ちょっと、う〜むとなる。
 食いつくべきところはそこでは無いと思うのだが。




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