とどすダイアリー
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2004年10月31日(日) インディアンサマーな一日

今日のハロウィンはインディアンサマーな一日でした。(Indian Summer : 小春日和、夏じゃないのに温かな日、って学校で習ったよね)気温が20℃を超えて半袖でOKだったのですが、天候不順なNYのこと、万が一&念のためと思ってセーター+上着を持っていたのがメチャメチャ邪魔でした。

何故かブルーノートに行く地下鉄の路線をA・Cに乗るつもりが1・9に乗ってしまいお陰でウェスト・ヴィレッジの朝の散策が出来ました。≧(´▽`)≦アハハハ。それでも11時半にはまだリハ中のブルーノートに入り、 井上智(g)  百々徹(p)  中村健吾(b) ・ジョーストラッサー(ds)のカルテットを2セット堪能。ブランチライブお約束のハンバーガーも美味しかったし、JALファミリークラブで10%引きになるのもオイシイっす。こんな素晴らしい演奏を2セット丸々聴いてチップ払って20ドルだもの、やっぱNY♪♪
空調の関係かブルーノートの中も暑くて演奏している皆さん可哀想なくらい汗でベトベト。それでも気合のプレーは聴いていて清々しかった。両方のセットでフィーチャーした井上さんのオリジナル「55」。さあ何だと思います?55番と言えば松井選手の背番号、ゴーゴー・ゴジラって応援する曲なんですね。そして55ですから5拍子になっていると言うのもお洒落なJazzっぽい引っ掛け。ソロの途中でテイクファイブも出てきてご機嫌でした。

そして夜の部はイリジウムで タック&パティ 。8時開演の予定がお店の都合で8時45分になったのは参った。妙な前座っぽいステージを見る羽目になっちゃった。だからホントはダブルヘッダーの予定がトリプルヘッダーだったのです。ま、ともあれ、タクパティのPAは何か非常に特殊な感じ。ペダルボードとアンプヘッドにギターは繋がっているみたいですけど、ボーカルマイクも何かそのアンプに繋がっているみたいだし、何かワイアレスの機器も繋がってるし、耳に何か付いている感じもする。ただスピーカーは舞台の前に小さなのが2つ設置してある。何か非常にハイファイな音作り。一説によると完ぺき主義の奥様パティが相当にうるさく、旦那には1曲ごとにギターのチューニングを義務付けているし、音程を完璧にする為に、声の返りをワイアレスで耳に仕込んだレシーバーに送っていると言う話も・・・。ホントかナァ??

そしてタックのギターはCDのジャケットで見る使い込んだL−5でした。弦はラウンドですね。大体はフロントとリアのピックアップをミックスして使ってるけど、曲によってはリアのみ!!でフロントのみって使い方はしなかったナァ。ともかく独創的なギターです。ハーモニクスも多用するし、パーカッシブにフレットボードを叩いてのコード&ハーモニクスも凄かった。超絶技巧ですね。風貌もスタンフォード大学卒と言う学歴も何か全てに宇宙人を感じさせる人です♪

パティーのボーカルは凄いソウルフル。愛・地球・母・・・みたいな歌い上げをやったり、何か宗教的と言うかダウン・トゥー・アースな凄みがありました。スキャットも凄いし、ギター抜きのアカペラでのブルースには圧倒されました。引き込まれる魅力のあるボーカリストです♪

今日は銀塩カメラで撮影したのでアップはチョット時間かかります。ストロボ無しの撮影、チョット自信ないけど。


2004年10月27日(水) 岡安芳明さんの話題

ともかく明るい話題は、ニッポンを代表するギターの名手である岡安さんがチョット長かった療養生活に終止符を打ち復帰に向けて動き出されたと言うこと♪TODOSは岡安さんのDearと言うアルバムが大好きで毎晩ベッドに入る前に小さめの音量でCDをかけるという日課がもう1年近く続いているんです。長髪の優しい目をした岡安さんがご自身のお子さんをいとおしむ様に見ているジャケットも秀逸!!

夏に仙台でベースの金子健さんとお話しした時は来春発売の金子さんのリーダーアルバムに2曲ほど岡安さんにゲストで演奏してもらうことが決まった、って聞いたんですが、その録音が今週行われているらしい。HPには年末のギグの予定もアップされていた。

おめでとう、岡安さん♪♪

偶然とは奇妙なもので、先週末ビデオのDVD化をやっていたら「セレクト・ライブ・イン・ジャズ」にモンキー小林って書いてある回があったのでMPEGに落としてみると、最初に刈り上げヘアでアイバニーズのナチュラルカラーのGBモデルをバリバリ弾いている若者が映ってる。すっげー上手い。音は分厚く太くゴリゴリと快速演奏だ。一瞬テロップに目を疑ったんですが、なんと

岡安 芳明

って書いてある!!そう、15年前の岡安さんなんですね。Dearのジャケットの写真からは何か想像出来ないイメージ。優しい目と言うよりは若干スペシウム光線出てるんじゃない、って感じで何かを求めている鋭さがある。

多分 naka-G さんなら昔からの岡安さんをご存知だからナントも思わないのかも知れないけどTODOSにはびっくりでした。でもその後げDearを聴いてみると随所に15年前の面影を感ずるフレーズが出てくる。

ともかく、岡安さんのギグを生で聴いてみたい!!って思っている今日この頃です。


2004年10月25日(月) RSVP

RSVPってナーンだ??

VSOPならお酒好きはブランデー、ジャズ好きはハービー・ハンコックの Very Special One-time Performance と言うマイルス・トリビュートのバンドを思い出すのかな。

アメリカ・イギリスで招待状を貰うと大体最後の行に書いてあるのが、これ「RSVP」です。その後に日付が書いてあったり、電話番号が書いてあったり、又 Regrets Only なんて書いてあったりします。もっとも身近な例は子供の誕生日会の招待状かな。生活の知恵で知っていたのは「お返事してね」って意味なのです。日付は返事の期限、電話番号は電話で返事してってこと、Regrets Only は来れないなら連絡下さい(逆に言えば連絡しなきゃ、来るってカウントするよ、って半脅迫)てな風に使います。

日本なら<参加・不参加>とかを棒線で消すとかして意思表示を明確にしますし返信用ハガキが付いてたりしますが、こっち流はRSVP。でもこれだと本当の出席者人数把握がしにくいのが実情。結局、主催者が電話かけまくって確認するんだから・・・・。

ところで、このRSVPが何の略なのかやっと分かったんですよね。
それはナント、フランス語だったのです!!!

“Respondez S'il Vous Plait”

Rは Respond か Request だろうと思ってはいましたが、SVPがお願いしますと言う意味の S'il Vous Plait とは・・・。日本人の頭では理解出来ませんワ。




2004年10月24日(日) 友あり遠方より来たりて

もう20年前になるんだねぇ、私がインドネシアに最初に駐在したのは・・・。(チャンジーになる訳だ、あはは)なんて思い出に浸っているんじゃあ無いのですが、当時ジャカルタで知り合った石油関連企業の駐在員で同年代のS.I.さんがNYに出張して来て一日旧交を温める為に日程を空けてくれたのです。

彼もミュージシャンで歌も上手く、ジャカルタでは生バンドをバックに2人でビートルズをハモリまくったり、日本駐在員バンドを結成してスタジオで練習してみたりと仕事抜きでの親交を持っていました。

マンハッタンで午前中に落ち合ってから、先ずはグランド・ゼロで祈りを捧げた後にサンデーブランチと言うことでヴィレッジの Philip Marie 井上智さん のギグを聴きに。今日は最近井上さんが共演している凄いベーシストの 中村健吾さん にドラムを加えたトリオでの演奏。ツーセット聴かせて貰って堪能!!来週は Blue Note でのブランチ・ギグ と言うことなのでこれも是非に行かなきゃ!!(Ike-Gさん、待ってまっせ、って無理か?)

それから少しヴィレッジを歩き廻ってタイムズ・スクェアへ。ヴァージン・レコードや48丁目の楽器屋街を覗いてミッドタウン観光。夕方になったので我が家で焼肉パーティー。S.I.さんはギターも達者なので色々と酔うほどに弾いておられたが、ジャズはやったことないと言いながらもCDに合わせてコードをシッカリと取ってテンションの入った伴奏をするのは流石に長年の年季を感じさせるナァ。正直、羨ましいヨ。

夜は更け、次は日本でね、と約束して彼は戻って行きました。
単身赴任のNY,

友あり遠方より来たりて又、楽しからずや。。。。。


2004年10月23日(土) 紅葉真っ盛り!!

今日はニュージャージー郊外の Christal Springs Resort と言うところにあるゴルフ場で時差ぼけ解消に精を出しました。航空券の手配をしてくれる会社の企画で楽しい一日。スコアは大したこと無かったけどシッカリと賞品は確保。

だけど寒かった。風が吹きさらす地形だったこともあるけど、結構太陽は出てるのに8℃くらいの気温で風の為に体感温度は5℃くらいかな。でもこの寒さが周りの山々は紅葉でメチャメチャ美しかった。こんなに綺麗な紅葉は良いカメラに収めて置きたいネ。(と、一眼レフデジカメが気になったりするTODOSでした)

この紅葉も1週間で盛りを過ぎるだろうな。明日もちょっとドライブでもして来ようかな。

んー、ギターの話がこのところ全然出てこないナァ。。。。。。。


2004年10月21日(木) 天災と価格

日本では台風のせいで葉モノ野菜の価格が凄いことになってますね。TOMさんも日記でご指摘。確かにTODOSも先週日本のスーパーで驚いたことを11日の日記で書きました。

で、アメリカに戻ってオレンジジュースを買おうとスーパーに行ったのですが、驚きましたネェ。私の大好きなフロリダ・ナチュラルの「高級オレンジジュース」が、ナント・・・

半額セール

日本のジュースとは比べられない美味しさの天然ジュースが約2リットル入りで

190円!!

ガソリン価格はこのところも正直に値上がりを続けていますが、農作物の価格はハリケーンのも負けてないですね。

頑張れニッポン!!






2004年10月20日(水) またまた台風との競争!!

思えば10月9日、台風22号との競争でタッチの差をもって無事日本に到着したと思ったら、NYに戻る予定の20日は23号がやって来た。。。今度は広範囲にわたって強風が吹き荒れると言うことで朝からニュースを見て心配してました。私のフライトは午後7時10分出発予定で、予報によればその頃は多分大阪近辺だろうから大丈夫だろうと思ってましたが、画面でみる九州・四国の暴風雨の様子は凄い!!

成田に5時過ぎに到着したら、定刻で出発すると言うので一安心。天丼食べて腹ごしらえしてからゲートに行くと

閑散!!

そして飛行機の中は

ガラガラ!!

アテンダントの方に聞くと、名古屋からの乗り継ぎ便で大量のお客さんを予定していたらしいが、その便が台風の影響でキャンセルになった為らしい・・・。

と言う訳で今日はエコノミーながら

4席独占完全フルフラットシート

だったんです。従ってヨーク寝た!!

テレビをつけるとヤンキースが負けてる。頑張れヤンキース。


2004年10月16日(土) レンタル禁止

久し振りに日本のCD/DVDのショップ(昔はレコード屋、って言ったもんだよネェ)に言ってみて驚いた。凄くDVDのタイトルが豊富になってる。だけど、レンタル屋ではそんなにDVDが普及してなかったんだよねえ。

と、思ってパッケージを見ていると発見したねぇ、

「レンタル禁止」

の文字。レンタルを禁止するって言うのは、DVDが見たけりゃ

「買え!!」

と言うことなのかいな??

日本のDVDの価格はまだまだ高い。スペシャル特価で1500円でしょ。アメリカだと超新譜が2500円、少し古くなって1500円、特価扱いだと2枚で1500円、だから1枚750円だよ。

だからレンタル禁止なんてしていない。レンタルショップで未だVHSが存在するのは、DVDプレーヤーを持っていない人の為。日本はそれよりもDVDを売らんがためのレンタル禁止。

情けない、と思うのはTODOSだけ??


2004年10月13日(水) PDA

ソニーのクリエとかシャープのザウルスみたいなPDAを買おうと思って都内巨大量販店に行ったのだけれども、売り場は隅っこの方でコソッとやっていて展示機種も10台以下。携帯電話の高機能化と小型PCのはざ間でPDAは存在価値を無くしているみたいだね。

欧米では携帯電話の高機能化はまだまだだし、ノートパソコンと言っても主流はメチャメチャ重たいA4を力で持ち歩いているからPDAは便利なツールとしてドンドンと新しい機種も発表されてる。ちょっとしたことで全然市場性が違うのだから面白い。

しかし、これでは困った。中古を探してみるかなぁ。それともアメリカで購入して日本語化ツールを使うか・・・。


2004年10月12日(火) もう一本のNY−NRT線

9日の台風とのクロスプレーは何とかセーフだったTODOSですが、NY発がTODOSの乗ったJL047より3時間ほど遅いJL05に乗った同僚の体験は凄かった。まさに

死ぬかと思った

そうです。

このフライトは4時ころに成田に強引にアプローチしメチャメチャ揺れて着陸をトライしたけど断念して復航し機長アナウンスで

当機は名古屋に向かいます

と告げられ、乗員は安堵したのもつかの間、

東京地区の天候が回復に向かったので羽田に引き返します

と言われ、再度ガタガタに揺れて引き返し羽田に着陸したそうです。

その間、乗客の80%くらいは、嘔吐袋(サイズが小さ過ぎだよ!!)にもどし、真っ青な顔をしていたそうです。と、なれば着陸したら「拍手喝さい」なのですが、羽田でのイレギュラーな入国手続きはしないのが普通なので、成田に戻るのを数時間待ったそうです。結局、緊急事態と言うことらしく羽田で降りることが出来たそうですが、既に8時を過ぎていたとの事。

いやはや、何事も無くて良かったですが、ニュースにならなかった台風秘話ですヨ。改めてラッキーに感謝、です。


2004年10月11日(月) きぬさや

台風の影響で野菜の値段が高騰しているようです。小さな・小さなパックで「きぬさや」が299円の値札が付いておりビックリしたなあ。

後で聞いたらレタスなんかもっと高いらしい。一時的なものでしょうが逆に言うと生産の底の浅さを感じさせますね。フロリダであれだけの被害が出てもオレンジの値段が5倍になった、なんてことは聞かないもの・・・。

分散してリスクヘッジすることも考えなきゃあネ。



2004年10月09日(土) 台風との競争だ〜い

掲示板にも書きましたが今日はチョット間が空いて2ヶ月ぶりに日本に来たんです。出発2日前にチェックした天気予報では特に台風が来るなんて言って無かったのに、前日見ると(((ρT-T)ρオヨヨ!!ナント台風22号が関東直撃コースに乗っているじゃないですか。私の飛行機が到着する9日午後に東海から関東に上陸、10年来の最強の台風なんて、恐ろしい文字が並んでる。

まあジタバタしたってしょうがないので、まな板の上の鯉状態でJFK空港に向かいました。NYの天候は素晴らしく爽やかな秋晴れ。チェックインカウンターで聞くと「今の所の情報では問題無く成田に向かいます。成田地方が台風の影響を受けるのは4時過ぎと聞いてますので、1時に到着予定のこの47便は着陸できますが、次の5便は危ないかも知れませんね」って。普段の自分の正しい行い(?)に心の中で拍手を送り搭乗しました。

またまたラッキーなことに、隣は空いていたのでエコノミーとは言えOK!!映画はゴルフのボビージョーンズ(あのマスターズの創始者)の伝記映画などを楽しんだ。最も北のルートで偏西風の逆風を避けてクルーもとにかく台風より早く到着することに気合が入ってる。途中特に揺れることもなく12時05分に「とみおさん」の仙台上空を通過して12時40分に何事も無かったように成田に着陸!!ラッキー。


2004年10月07日(木) 銀行で

今朝は朝一番で某有名大手銀行(最近日本でも違反とか処分で話題になりましたね)に寄りました。明日から暫く留守にするのでチョット大きな金額のチェックの入金手続きに行ったのです。銀行の開店時間は朝の8時半。2分前に入り口に到着しドアの開くのを待っていました。TODOSは2番目でした。

時間になると係員がドアを開け窓口の列に並びました。ここでびっくり!!

日本なら開店時間には直ぐにお客さん対応が出来るように窓口に係員が座ってパソコン端末の準備が完了しており、笑顔で「いらっしゃいませ」と即座にサービスが始まりますが・・・・・。

こちらでは開店時間になっておもむろに4つある窓口にたった一名の行員が座り、ゴチャゴチャと端末の準備に掛かります。ペンが無いと取りに行ったり、あーだこーだと3-4分経過してやっと「どうぞ」。

確かにこの数分の事なのですが、文化の違いを感じますね。こんなことでカリカリ来ていては、このいい加減な国で生活は出来ません。鈍感であることが要求されるなんて、繊細なTODOSには許せない・・・。


2004年10月06日(水) ヤマハ EZ-TP

イージーなトランペットと言うネーミングの楽器が11月に発売になるそうです。(ヤマハさんのプレスリリースを参照下さい。)

ナント鼻歌でトランペットが吹ける!!MIDIだから色んな音色も出るね。これは楽器シロートのTODOSにぴったりのオモシロ楽器だよね。上手くやればジャムセッションにフロントとして参加出来るもの。スゲー!!

オープンプライスと言うことで値段が分からないのが辛いけど、まあ3万円台くらいがシロート向けに付けられる値段なのかな?(予想当たるかな?)

クリスマスプレゼントに欲しいなあ・・・。(何を子供みたいなことを言っている、と叱られそうね)




2004年10月05日(火) 長袖

なんか急に寒くなった。夕べは布団をかぶって寝たヨ。
まだ昼間は半袖シャツをベースに寒ければ何かを羽織るって感じだけど、もう夜は長袖のパジャマ登場です。

サブ・・・。


2004年10月03日(日) プリンス自動車の思い出

爽やかな秋晴れの日曜日、TODOSは食料品の買出しに日本食スーパーに行った。何の気なしに貸しビデオコーナーを眺めるTODOSであった。彼の目の先にはドキュメンタリーのコーナーの一角を占めるプロジェクトXのビデオがあった。(口調がプロジェクトX風になっているのに気が付いたかな・・・)

TODOSの目に飛び込んできた文字は「プリンス自動車」だった。中島飛行機を母体に発足した今は無い技術主導の異色の自動車会社プリンス自動車には、色んな思い出が詰まっている。TODOSの祖父は商社の現役を退いてから名古屋地区のプリンス自動車のディーラーに勤務していた。当時TODOSは小学生、夏休み毎に新幹線など無い時代に東海道本線の特急おおとりなどで名古屋を往復していた。免許を持たぬ祖父であったが、プリンス・グロリアが日常の足であり幼いTODOSの最も親しみのある自動車だった。内緒の話であるが、祖父がゴルフの間などは駐車場で運転手さんに運転の手ほどきを受けた。従いTODOSが最初に運転した車はプリンス・グロリアと言う事になるのである。(TODOS小学校3年生・・・)

その後、免許を取得し自動車を保有することとなった父母も、この関係や父の仕事の都合もあってスカイライン、ローレルとプリンス系の自動車を乗り継ぐことになり、TODOSも今はアメリカでは日産のマキシマに乗り日本ではプリメーラなのである。源流はプリンス自動車なのである。

さて、このビデオはニッサンに吸収合併される直前に因縁の対決に決着をつけたプリンスR380の物語であった。そしてその源はプリンス・スカイラインなのである。スカイラインはもともとトヨタのクラウンなどと対抗するサイズの車であったが、その役割をさっさとグロリアに渡し、当時黎明期を迎えたモーターレースに適応するスポーツ色を強めた車へと変貌して行った。第2回の日本グランプリを前に高橋国光・砂子義一・生沢徹などの名ドライバーを擁したプリンスチームは日本のGTカーレースでは向かうところ敵無しとなった。

しかし、1964年のグランプリ寸前に突然エントリーしてきたのが式場壮吉の乗るポルシェ904であった。オフィシャルには式場が個人で購入し輸入した、と言うことになっていたが当時より囁かれていたのは「ト〇タがプリンスの圧勝を阻止する為に式場に買い与えた」と言うものだった。それ程までに、箱型の普通乗用車のレースに地面に吸い付くようなデザインのポルシェの参戦は違和感が有ったし強烈なパワーは他車を圧倒した。それでも1周だけ生沢徹のスカイラインがトップを奪ったが、追撃及ばずポルシェの勝利に終わった。しかし判官びいきの日本人のDNAには、箱型のスカイラインが必死に流線型のポルシェを追う姿に、日本の工業技術力を誇りに思いそして酔った!!
(フォーカスのページをご覧あれ)

スカイラインの開発者達はその評価には満足しなかった。そして生まれたのがポルシェと同じ土俵のプロトタイプカーR380であった。プリンスの技術者にとってトヨタやニッサンは全く眼中に無かった。R380は谷田部で世界最高速の記録を打ち立てて行った。そしてリターンマッチである次の日本グランプリにはフォード、ジャガーなどの海外勢にまたもやポルシェの最新モデル906が参戦した。プリンスチームはR380のスペックアップのみならず、当時は余り皆が気にしていなかったピットワークでも秘密兵器を開発していた。ポルシェのピットインが1分近くかかったのに比べ、プリンスチームはなんと15秒で給油を終了しトップに立ち焦ったポルシェのクラッシュを誘った。R380は1−2フィニッシュを決めた。仇を討ったのである。

その後R380は進化を続け、吸収合併されながらもプリンスの技術は脈々と続くことになった。しかし、そのニッサンも経営に失敗、ルノーの傘下に入る。元気の無かったニッサンの開発技術はゴーン体制で息を吹き返した。今のニッサン車の開発にプリンスの源流を感ずるのはTODOSだけだろうか?

マネーゲームでない製造業のモノ造りが息づいていた時代。戻って来い!!


2004年10月02日(土) 日本人?韓国人?

TODOSは100%日本人なのですが、良く韓国人と間違えられます。今日もアパートのエレベーターに乗ったら品の良い初老のご夫妻から韓国語で

「アンニョンハセヨ」(つまり、こんにちは、ですなぁ)と声を掛けられました。こちらも

「アンニョンハセヨ」と答えたらやっぱり発音がネーティブじゃないので、

「ハングクサラミイムニカ?」(韓国人ですか?)と聞かれ

「アニ、イルボンサラミイエヨ」(いいえ、日本人ですよ)と答えたんす。

キャディバッグを持っていたのでゴルフに行くの?と尋ねられ練習場へ、みたいに韓国語で会話が続く・・・。この程度の挨拶くらいなら何とかこなせるんですが、やっぱり最後に「韓国人に見えますよ」とおば様から・・・。
こうなりゃ最後まで・・・、お二人がエレベーターを先に降りる時に

「アンニョンヒ、カシプシオ」(丁寧語でいってらっしゃいませ、なのだ)

日韓文化交流は草薙クンやヨン様だけじゃあ、ないんですからぁぁぁ!!!



2004年10月01日(金) 日本人選手大活躍

松井もどんどん進化と遂げていてNYでは頼もしい限り。そこにイチローの大記録達成のニュース!!
凄い!!アメリカ人が全然知らなかったシスラーなんて選手にスポットライトを当てて、すっと追い抜いていったイチロー。スポーツに関して言えば人種に関係なく祝福してくれるのはアメリカの良いところでしょうネ。

ニッポンのプロ野球も揉めてるだけじゃなくて、楽天でもライブドアでも、どしどし新しい風を入れて停滞を乗り越えて欲しいですね。


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