とどすダイアリー
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2003年07月31日(木) ステーキ

今日は横メシだった。あ、横メシ、ってのは商社の方言かな?つまり横文字をしゃべりながらメシを食うと言うことで、簡単に言えば外国語をしゃべりながら外国人とメシを食うこと、なのである。我々の本業の業界でその基礎技術を作り上げた博士の一人との会合だった訳だ。まあ、日本語をしゃべっていても、難しいことを言う人と100%理解し合えると言う訳には行かないのだから、英語なら尚更である。ま、しかしインターネットの今後とか、FTTH(Fiber To The Home,最近NTTもやっている光ファイバーを家庭まで引き込むこと)のアメリカでの発展は日本と比較してどうかとか、ま色々と話し合った。

それはそうと、表題の如く、その横メシはステーキである。アメリカに来て約1年経過するが、何度かステーキを食したのに美味しいステーキを食べたことが無い。大体ミディアム・レアと言っても大体私の感覚ではウェルダンで出てきやがる。それに肉汁がジューシーで、と言う表現が全然当てはまらず大概がパサパサに近い極めてドライな肉である。当然ながら味は無い。他のメニューもロクなものが無いので(断っておくが、一流のクラブのレストランである)今日もステーキをトライした。それも18オンスと言ってしまった。結果は・・・、同じである。

皆イギリスはメシが不味いと言うが、生まれて50年世界各地でステーキを食ったが、ベストはイギリスはオクスフォードの Bottle & Glass と言う郊外のパブが何と言っても一押しだ。厳選されたスコットランドビーフを熟成させたリブアイは絶品!!

ともあれ、今日も外れだった。それでもウェーターのお兄さんには「んー、最高だ」とか言わなければならない。変なの。食べ終わったら一転して可愛いウェートレスが「デザート」は如何?と来やがった。ダイエットしてるから、とか色々言って断るのだが、「これ、とっても美味しいのよ」と勧めてくれるので、断り切れずに暖かいチョコレートがかかったチョコレートケーキ&アイスクリームを注文してしまった。残念ながら?美味である。

あー、マイウー。


2003年07月28日(月) 裏ピース?

朝のテレビを見ていたら(日本語放送だよーーん)日本では裏ピースなるものが流行っていると。何じゃそりゃ。その昔、ヒッピームーブメントからだったと思うけどピースサイン、ピースマークと言うことで日本流で言えば「チョキ」を掲げたものだったが、その時はチョキの手の甲側が自分の顔を向く、逆に言えば手のひらを相手側・向こう側に向ける形で腕を伸ばしてサインを出したと思う。ビートたけしがパロってやっていたのを思い出すなあ。

それが最近は逆に手の平を自分の方に向け、腕を伸ばさずにチョキを顔の近辺に持ってくるのが流行っているらしい。番組で解明したところ、これはプリクラで写真を撮る女の子が発信源で、曰く「その方が自然な笑顔になる」、曰く「顔の気になる部分を隠せる」とか、どうやったら自分が可愛く写真に写るかを相当研究している。更に、顔を白く・美しく写す為にはカメラに目一杯近付いてストロボの光を目一杯受けると良いのだそうだ。どアップに対する恐怖心は全然無いらしい。
まあある程度のハレーション効果が出るので、肌の細かいポイントは全部飛んでしまうから昨今の化粧テクニックの抜群な子達にはもってこいなのかも知れない。

そしてこうやって撮影すると、腕を伸ばしてのピースサインは不可能となり、腕を縮めての裏ピースが必然となるのか。

いやはや新しい文化の伝搬力は想像を超えている。そしてそれが結局「口コミ」によるものだと思われるところにマーケティングの新展開があるのではないだろうか?(広告代理店のOsapoohさん、読んでたら感想チョーDinah)


2003年07月27日(日) 昨夜はすき焼きパーティー

一時Hiro師匠のBBSで築地の若大将と大いに盛り上がったすき焼き。Hiro師匠ご夫妻をお招きして第一回の開催であった。朝日本食スーパーへ買い物に出かけ、メインのお肉は相当美味しそうなのをゲットした。と、と、ところがである。何とネギが売っていない!!何故だ〜〜〜。前菜のお刺身とか卵豆腐とか色々買い込んだがネギが無いんじゃ困る。春菊が無いのはアメリカだから仕方ないと諦めていたが。それじゃあもう一軒のスーパーへと車を急がせ、片隅でネギ君を見たときは安心した。アメリカで長ネギは一応買えるのだが、残念ながら美味しいとは言えないのだがすき焼きにネギ無しじゃあネ。
準備整ったところでご夫妻登場。暫しビデオを見たり音楽を聴いてビールで歓談。そしてお食事はお刺身・卵豆腐でスタートし、メインコースのすき焼きへ。色々と流派はあるようだが、一応阪神の強い関西に今年は特に敬意を払いお肉だけを最初に焼いて一口頂く。これで納得した後に野菜・焼き豆腐・白滝などを入れて更に料理は進む。醤油・砂糖・お酒で好みに合わせて味付けするのが基本なるも、楽しく頂くことを主眼にして市販の「すき焼きの割り下」を活用した。これじゃ築地の若大将に怒られそうだ。この日記見てるかなあ??チョット不安。
でも材料の選定(特にお肉)に気合いを入れたので美味しかった。師匠ご夫妻にもご満足頂けたと思う。次回は若大将責任監修のすき焼きが食べたいな。そう言やあ浅草じゃの目に行く途中に今半があったっけ。
しかし師匠はやはり根っからのギタリストだ。真剣にDinnerを食べている間を除いては、ずっと私のES135を抱えて何らか弾いていらっしゃる。食事後は杉本若大将のCDに合わせて弾いたり、私の新兵器Yamaha サウンドスケッチャーっていういきないMP3に録音出来る機材で多重録音遊びしたりと夜は更けていった。
そして遂に杉本篤彦さんにお電話して少しだけ楽しい会話を。NYに遊びにおいで、と声を揃えてお誘いした。実現するかな??


2003年07月26日(土) ボーカルレッスン開始

今日は小田裕一郎先生のボーカルレッスンの始まり。以前Jazzギターのとっかかりを教わり敷居を低くしてくれた先生であり、Linkでも紹介している通り松田聖子、サーカスなどのヒットを生み出した作曲家だしご自身のボーカルアルバムも出しているので歌のレッスンはお手のもの。
まずはイキナリだがジョージベンソンの3曲録音が終わってねえ、その中でスティービーワンダーが参加しているものがあるので聴く?と披露してもらう。その後ボーカルとは?発声とは?横隔膜を広げるとは?胃の上で共鳴させるとは?安定した発声をするための唇の形は?など幅広く小田理論のとっかかりを教えて貰いながら、Misty, All of me, It's a sin to tell a lie などなどを素材に「節」、「民謡」、「スィングとは」を教わった。
いやー、先生の歌は幅広い!!アフリカの音楽(何語だったんだろう?)から細川たかしの民謡まで。先生の言葉で「日本人はせっかく黒人と同じような歴史と節を持つ民謡と言う素晴らしい文化があったのに戦後アメリカの影響で完全に捨ててしまった。それからのカラオケで更にダメになった。西洋音楽も良いが、細川たかしが真剣に民謡を歌っているのを聴くべきだ」と言うのは深い(多分)。
まだまだ体で感ずるところまで行かないが、5回のレッスンで何かつかめれば良いのかなあと思っている。さてどこまで安定した声が出せるようになるか。お楽しみ。


2003年07月25日(金) 3回目のレッスン

さて、今日はHiro師匠の3度目のレッスンになる。日本からHelpのメールを入れてあったのでいきなり特訓開始モードとなった。レッスンの準備でCDや教材を揃えていてくれていて師匠の気合いも感ずる。うかうかしてはおれないゾ。コードをばらしてアルペジオの指使いを練習し、普通のFの押さえで一音一音弾いて行きながら上下させるとギターに必要な握力が不足して音がビビってくるのが分かる。基礎的なトレーニングの必要性を感じる。更に次はFのブルース(おいしゃん、そのうちやるからね。)をNow's the timeを例にバッキング。それからソロ作戦に移行することになっていく。何をどういう順番でやって行くかを明示してくれるので教わる方もイメージが湧いていいな。一段落したところで私のES135を調整してもらう。ピックアップの高さ、弦高、ネックの微調整をやってもらい、実験としてラウンドワウンドの弦を張ってみた。その間、Hiro師匠のAbe Rivera Scepter を弾かせて貰いビックリ!!同じAERのアンプに接続しているのに全く音が違う。サステインと言うのではないが音が自然にポーーーーンと鳴る。それでいて音は太く柔らかいJazzのサウンド。何がどうなっているのだろう。100万円クラスの手作り品で一本一本作っているそうだが、客として気に入られなければ幾らお金を出しても作ってくれないそうだ。
ともあれ今回もみっちり教わった。アフターで杉本篤彦さんのプレーを聴いたり、Hiro師匠の録音を聴いたりして楽しく過ごした。頑張ろう。
そして明日は待望のすき焼きパーティーだ!!


2003年07月24日(木) 祝!!シニアツアー入り

と、言う訳で今日7月24日はTodosの誕生日なのだ。
両親から来たメールによれば、当日の東京は35度の暑さでうだるようだったとか。でも今から50年前は扇風機も未だ普及していなくて、曾祖父がどこかから借りてきてくれたそうだ。それでもアセモだらけで育ったらしい。現代ではエアコンの普及でアセモと言う言葉も死語になりつつあるのかな?でも我が家が扇風機を買ったのは私が生まれてから8年経過してからだったそうだ。
そして私がこの世にオギャーと登場したのが午後1時06分、3190グラムと言うから当時としてはデカかったのだろう。その遺伝子がTodosに繋がっている。(と、自分のデブへの道を遺伝子のせいにしてはいけないのは分かっているが)

私がプロゴルファーなら、この節目でレギュラーツアーからシニアツアーに移行出来るのだが、残念ながらこの夢はイギリス駐在中に頓挫している。しかし、山田プロと一緒に何かゴルフ関係のことをしようd(^-^)ネ!、と言う気持ちだけは持ち続けているのだが・・・。ともあれ、ゴルフとJazzの2本立てでこれからもやっていくゾー!!皆さん宜しくお願いしま〜〜〜す。


2003年07月23日(水) ボーカルレッスン予約!!

イヤー、先のじゃの目で録音した私の歌の音程は自分でもショックだった。最近はnakaGさんやともぼんさんも歌を唄うと言い出しており、追い上げ急である。楽器がまだ出来ないTodosにとってはある程度のところ仕事も通じて鍛えた歌の世界ではインストでは大学のJazz研ご出身の皆様との差別化を図りたい!!でなきゃ、セッションにも行けやしないゾー。
そんで緊急に小田先生に電話。ギターのレッスンを途中で辞めた形になっているので何となく電話しにい。まずはマネージャーの古賀さんと話したかったのに一時帰国中とやらで直接先生が電話口に出られてドギマギしてしまう。しかし何とかボーカルの話に集中してレッスンをお願いした。早速土曜日から開始。取り敢えず5回で250ドルの出費であるが、やむを得ない。聖子ちゃんを世に送り出した作曲家の先生だからきっとデビューしたての聖子ちゃんにも歌い方を指導したのだろう。ん、Jazzのボーカルじゃなくて歌謡曲になっちゃう??でも良いのだ。発声と音程の安定化がキーだから、多分これで良いのだ。と、言うことを信じよう。(段々自信がなくなってきた・・・)


2003年07月22日(火) NYに戻ったゾー

何故かガラガラの飛行機だった。日本に戻るときは満席だったのにナンデダロー?ゆったりとしていたのに余り眠れなかったのもナンデダロー?
ともあれ12時間半のフライトを終えて11:38にJFKに着陸、外に出るとム、ム、蒸し暑い!!こりゃ梅雨寒の東京以上にムシムシ状態である。正直、気候的には余り住みやすい街では無いネ。ロンドンは天気が悪いと皆言うけれど、冬は雪も降らないし、零度以下に殆どならない、そして夏は湿度が低いので快適である、NYよりはましだと思うなあ。
ともあれ、アパートに戻り軽くシャワーを浴びてからOfficeへ。一仕事片づけてから車のナンバープレートを取り付けにディーラーに行ってカイロプラクティックの先生のところで肩を診て貰う。以前に比べれば大分良いが、まだ動きに制限があることは事実。気長に自分でストレッチしながら直すしかないのかなあ?
夕食後不覚にもソファでうとうとしてしまった。これで時差ボケが増長されるんだよねえ。案の定夜中に起きてメールチェック。暫く続くかな??


2003年07月21日(月) 全英オープン

何とタイガーでもアーニーでもなく、ガルシアでもなくプロ入り初優勝を全英でベン・カーティスと言う若者がやってのけた。数年前フランスの若者がほぼ優勝を確定しながら最終ホールで映画ティン・カップみたいなことをやって崩れたが、今回はそんなこともなかった。
思えば1992年にイギリスはマンチェスターに赴任した時にたてた目標の一つが「全英オープンに出場する」だったなあ。間違えちゃあいけませんぜ、オープン競技なのだからアマチュアでも資格を得れば「地区予選」に参加出来るわけで、Todosはその地区予選にでる資格を得る、つまりR&A公認ハンディキャップが1だか2になるのが目標だったのです。表現を変えれば「全英オープンに出場する」に間違いは無いわけで・・・。残念ながらハンディキャップは7.4が最高で夢破れたのだが、この全英オープンは懐かしさを感じる試合であることに違いはない。
リンクスと呼ばれる海沿いの風ビュービュー吹くコースで開催され、毎年7月開催なのに選手がセーターやタートルネックを着ることが多いのが全英オープンである。Todosもリンクスは何度かラウンドしたことがあるが、地元のキャディーさんを雇わなければコースがどうなっているのか?どこへどう打って行けば良いのかも皆目見当がつかなかったりする。中にはパー3なのに丘の向こうにグリーンがあってグリーン面はおろかピンの位置も見えないホールがあった。これが全英オープン発祥のコースだと言うから驚きである。
そういやあどっかの国のO崎とか言う飛ばし屋のプロが「俺には全英は合わない」って泣き言を言ってひんしゅくを買っていましたなあ。


2003年07月20日(日) 教材見つけた!!

昔々カセットテープで出ていたスタンダードジャズカラオケを我が秘蔵のカセット棚に発見した。ボーカルのやり直し宣言のTodosとしては願ったり。早速、これをMDに落とす作業を開始。と言ってもラジカセのヘッドフォーン端子からMDLPの付いているポータブルMDに落とすのだが、作業は結構な手間である。ま、気長にやるか。このカラオケはボーカルにも使えるし、勿論ギターでも使えるものね。バックは甘〜〜〜いストリングス入りだけど。

話変わって今朝は体育館にMDの受け渡しにおいしゃんに会いに行った。彼のホームページに凛々しい姿があるけれど、本物を見たのは私が最初かな?小さな子供から大人まで50名以上の生徒さんが来ていてそれをボランティアで指導している。最近マウスピースに格闘されているおいしゃんの別の格闘である。禁煙もされたし健康的だなあ。


2003年07月19日(土) 大阪の古池さんとの遭遇

いやー、やっぱりWeb友達の輪は凄い。16日のじゃのめバー兄ーセッションで大阪から出張でやって来ています、って一人でぶらっと現れて粋にギターを弾かれていた一見メチャ真面目そうなサラリーマンの方は貝塚のJoe中野さんのお友達で掲示板ですれ違っていた方だったのです。こんなことがあるって素敵です。彼は暫く出張で東京らしいので次回の一時帰国には何とか再会出来るように考えたい。勿論、そのうち中野さんを交えてセッション出来るようにまずは私が練習積まなきゃ。
私の掲示板にSAXOZISANが、バー兄ーさん掲示板にもTodosにギターを弾けと言うプッシュが・・・。緊急事態と言うことでNYのHiro師匠にブルースと枯葉をまず何とかこなせるようにとのお願いをした。本格デビューは年末か?何、遅過ぎる??


2003年07月18日(金) ジャノメの金曜日、田村っすデビュー

今日は朝から地方出張。工場での打ち合わせである。朝早くのドライブなので先日入手した杉本篤彦メロー編を愛車のCDプレーヤーにセットして快適なドライブ。全曲オリジナルでメロディアスな良い感じ!!今夜はジャノメでOsapoohさん他の田村一族のデビューセッションだが、体力的にもチョット無理だろうなあと思っていると、携帯においしゃんからメールが入った。どうも今週に入って2本目のマウスピースを入手したらしく、試しにジャノメへ行きませんかとのお誘い。自分らしい良い音への追求に余念が無い。すごく積極的だなあ。私は、音よりも何よりも楽器を演奏する、と言う最初の一歩で止まっているので・・・。
今日もじゃのめは満員だったのかなあ?


2003年07月17日(木) カラオケまで楽しめない

朝のラッシュを避けて6時半には家を出た。一応弱冷房車を避けて並ぶ。ま、当然だが私の乗る駅から座れることは無いが、人の出入りの少ない中の方の吊革を確保しMDを聴きながら約1時間のライドである。昨夜の反省会の意味もありジャノメのセッションを聴いた。おいしゃんのミディアムテンポはムードたっぷりで○。Wさんのピアノで盛り上がり、彼が席に戻ってからOsapoohさんネタや、仕事がらみでインターネットの普及とコンテンツのありかたなど飲みながらのトークが入っていて音楽とは別に面白かったな。でも自分のMistyはアキマヘン。何でこんなに音程が悪くなったのだろうか?NYに赴任してからと言うモノめっきりカラオケなどで歌う機会が減ったのも一因だと思うし、当然ながら加齢とともに喉周りを始め腹筋など筋力が落ちるのでどうしても音程が悪くなるのだろう。とすればトレーニングしかないのだろうなあと思っているうちに会社に着いた。
朝からいきなりウェストコーストのお客さんと電話会議から始まった昼の部だが、夕方の税務コンサルタントとの打ち合わせまでなんだかんだと忙しかった。が、昼休みを利用して会社の裏の楽器屋さんでボーカルトレーニングの本を買うのを忘れなかったね。
そして25年のお付き合いのマスター兼オーナーシェフのお店でお食事。締めのカルボナーラは絶品である。コツはまず濃い生クリームを使え、と言われたのがおかしかった。そして、満腹になってからお次は馴染みのスナックへ。日本は不況だと思っていたが、食事のお店も某文房具関係の会社の暑気払いとかで満員、そしてスナックも満席である。たまたまとのことだが少しは株価とともに景気回復??しかし音程が悪いのを自覚している今、マイクを持つ気にならない。最後の最後に店のママのリクエストでお約束の「マイ・ラグジャリー・ナイト」を歌ったけどもう一つ盛り上がらず。この歌はその昔真っ赤なマツダのコスモのCMでしばたはつみが歌っていた名曲。他の人は滅多に歌わないTodosの持ち歌なのだ。そのうちジャズ・バラードにして歌おうと言う目標の曲なのだ。
ともあれ、最終一本前に乗ってのご帰還。帰宅は1時。また長い一日だった。ハー


2003年07月16日(水) 2度目のじゃのめだ

今日の夜の部はSAXOZISANに誘われており浅草のじゃのめに行くことになっている。プロギタリスト田辺充邦さんホストのライブだと思っていたらセッションだと言う。と言うことはおいしゃんも演奏するし、こちらにも順番が・・・。
お店に入るまでいろいろあったが、予定通りじゃのめのステーキを食べておいしゃんと一緒に一番乗り、と思ったら一人先客が居た。後から我々と同じ地域のピアノの若者であることが分かった。そうこうしていると12日にnakaGさんとBBで飲んでいたときにやってきたギター青年がやってきた。ギブソンのES175を持ってきている。今日は田辺さんのエキスを吸いにきたのだろう。みんな何か得るモノを求めてやってくるミュージシャンだ。あー、早くギターで参加出来るようになりたい!!
そうこうしていると演奏が開始され、いきなりおいしゃんは当然のようにサックスで参加、ミディアムテンポが気持ちいいね。何度も田辺さんからギターどうぞ、って呼びかけられたが、参加は無理。結局お決まりの歌で1曲だけ参加させてもらった。ピアノは某広告宣伝会社のWさん(Osapoohさんのお友達)ですごい刺激的なフレーズを弾く素人にはとても見えない方、そしてベースは某米系コンピューター会社の部長さん、ギターは当然田辺プロ。バックが良いので結構うまく歌えたかな?と思ったが録音したMDを聴いてガガーーーーン!!音程が悪いのだ。穴が有ったら入りたいとはこんな感じ???ギターが弾けるようになるまでは歌で、と思ったのがJazzの神様に対する冒涜だったかのように、目の前が真っ白になった。こりゃ小田裕一郎先生にボイストレーニングを受けなきゃダメだね。アメリカに帰ったら早速コンタクトしなきゃ。
ともあれ、楽しくも考えさせられた日であった。あー、どうしよう。


2003年07月15日(火) メチャ忙しい一日(仕事もJazzも)

さて、超早起きして会社。朝の8時から私が任されている会社の年次株主総会と取締役会が日米を繋いで行われるのだ。準備も大変だったが、飛び出るかも知れない質問などにキチンと答えなくちゃあならないのでプレッシャーもきつい。案の定、本社の社長からも質問が飛び出す。ま、何とか答えて無事終了。今回のメインイベントの一つが終わり、次は某重要顧客との電話会議が連続して開催。納期短縮の為に我が工場がお盆休みを変更して対応してくれたお陰でなんとか顧客の要望に添えることになったので一安心。英語による国際電話会議は40分くらいで和やかに終えることが出来た。工場の皆さんありがとう。午後は本社の幹部経営会議に第一四半期終了の報告を。パワーポイントでビジュアルな報告を行いこれも無事終了。実はこの間に熊本のWeb Friendであるan弾手さんと初めて電話で話した。さすがに熊本は遠いのでお会いする機会はなかなかないが、何時の日か彼のピアノで歌いたいものだ。これ昼の部。

==============  そして夜の部  =============

経営会議を途中で抜けてArty Artyと言うお店へ。チバリーヒルズ在住のMoritatさんと待ち合わせして夜の部が始まる。ビールを注文して昼の部のストレスを抜いていると長身のハンサムな方がやって来た。おー、ベースマンはやっぱり背が高い、って感じでMoritatさんその人であった。SonyのCrieでMP3音源のキース・ジャレットを聴きながらのご登場である。紺のスーツに身を固めビシッとしたビジネスマンと言う風情。Jazz話に話しが弾んでいるとこの日演奏する杉本篤彦さんから電話があり、これからこちらに向かうとの事。礼儀正しい人である。今日のユニットは木村純さんと言うサラリーマン出身!!のボサノバギターと杉本さんのギブソンL-5でのデュオ。Waveからいきなり入り最高のステージを聴かせてくれた。木村さんのアコギのラウンドワウンドの弦とL-5のフラットワウンドの弦の音色の違い、2人とも指弾きだが4本の指をボサノバ風に弾く木村さんと、独自の人差し指・親指でのアップダウンを行う杉本さんの奏法の違い、しかし2人の優しさと爽やかさと言う共通のパーソナリティーによるブレンドでサイコーの雰囲気。ファーストステージ終了後も我々のテーブルでWesの話に花が咲き、L-5を持ち出して色んな曲のさわりを弾いてくれた杉本さん。感謝、感謝。
ずっと聴いていたかったが、山本剛さんのライブに行く約束もしているので、ここで失礼する。実はMoritatさんはその昔プロになろうという勢いの名手だったらしく、山本剛さんとも共演したことがあるらしい。霞町から竜土町を抜け星条旗通りを歩いて防衛庁前のオールオブミークラブへ。お店に入るとカウンターで山本剛さんと話している女性が居た。彼女が浜松のUiUiさんらしい。山本さんの大ファンでBBSに書き込んだ私のURLを辿ってTodos掲示板にたびたび山本剛ネタを書き込んでくれている。いや、しかし25年前六本木Mistyで大活躍されていてTBMに数々の名演を録音している大巨匠山本剛さんとWebと言う縁で何故か最初から知り合いのように話しが出来るなんてサイコーの幸せである。勿論Moritatさんがここでも仲介役をやってくれているのだが。Webの輪は素晴らしい。終電の関係でワンステージしか聴けなかったが、やっぱり山本剛節である。お約束のDinahも歌ってくれた。練習の成果あってタイミング良く「バカヤロー」と叫ぶことも出来たし・・・。
一人お先にお店を出るときに山本剛さんが「俺、送るよ」とエレベーターに乗ってきてくれて外まで出て握手し、「来てくれてありがとう」って男同士の、んー、出来ればミュージシャン同士の、と言いたいが、法要じゃなかった抱擁をして別れた。「今度アフターアワーで結構ですからMistyを山本さんの演奏で歌えたら死んでも良い」って言ったら「キーはE♭で良いの?いつでもOKよ」って言ってくれた。

仕事とJazzに死ぬほど「濃い」一日であった。(そしてこの日記も最長記録だ!!)


2003年07月14日(月) 結構涼しいではないか

日本は梅雨寒だそうだ。死ぬほど蒸し暑いのではと想像して帰ってきたが、そうでもなくて一安心。でもこういう時ってきっと電車の冷房とかが押さえてあって逆に暑かったりするんだよね、なんて思い出していたのも関わらず・・・、何と久し振りに朝の通勤で並んでしまったのは「弱冷房車」ではないか!!ガガーン。あ、あ、暑い。タオル地のハンカチの威力をいきなり感じた朝であった。会社で一日打ち合わせ、メール対応など行って翌日の株総などの準備も行う。あー、やっぱり忙しいわい。仕事終わって夜はロンドン駐在時代にお世話になった会計事務所の方々との懇親会、六本木のベトナム料理。お洒落だなあ。でも時差ボケで瞬間睡眠したり・・・。ゴメンナサイ。乃木坂の駅まで歩く途中の六本木は外人ばかり、それと交差点を過ぎると呼び込みが、学生時代の六本木は大人のムードの良い街だったのにな。何とか乗り過ごさず帰宅。あー、時差ボケ。


2003年07月12日(土) 日本だあ

14時間のフライトは結構低気圧を通過し揺れた。それでも定時に成田に着陸し7時前には自宅でゆっくりと日本のお風呂。やっぱり深くて追い焚きが出来る日本のお風呂はサイコーです。軽く食事してからG-nakaさんにケニーバレルの新譜を渡すために金町の38へ。ここはG-nakaさんが学生時代にバイトしていたという歴史あるジャズ喫茶らしい。店のドアを開けると既に演奏が始まっていた。客席から「たむらッス」のたむらTbさんがニコニコと迎え入れてくれた。予定は無かったが突然Dsの米さんと乱入したとのこと。いとBさん、阿部さんとのドラムレスのユニット。風変わりな若い学生さんが超ハイになって場の雰囲気が違ったが、2ndセットより米さんがドラムで加わり、最後のセッションではたむらTbさん、Tsの西○さんのフロントも入って盛り上がった。不肖とどすもVocalと言うことでMistyで参加させて頂いた。(PAがボーカル用でなくノーエコーでチョット厳しかったな)たむらtbさんに間奏やってもらいました。早くGtで参加出来るようになりたい。解散後はお約束のBBへ行って持参した新譜を聴きながら又盛り上がってしまい帰宅したら3時半だった。これじゃ時差ボケ調整に余りならないかも・・・。G-nakaさんいつもありがとう。


2003年07月11日(金) 明日から

日本の人口をテンポラリーに1名増やします。ニッポン沈没!なんちゃって。しかし荷造りをしようとカバンを出したけど何も持って行くものが無いことに気が付いた。いつもなら少しは家族に買い物したり、こちらのビデオを持ったりするんだけど今回ばかりは右腕で頼りにしていた部下が辞めたりでメチャメチャな日々を過ごしていて何もなーーい。しかしアタッシュだけで日本に行くのもアヤシーなあ。明日の早朝24時間営業のスーパーにでも行ってオヤジの好物のチーズとか、土産物を買い込むとするか。


2003年07月09日(水) 車が替わったゾー

サブリースしていた車が期限を迎えた。そんで色々悩んだ。時代を反映して節約生活を更に追求するとか、アメ車に乗ってみたいとか、いっそのことレクサスかインフィニティーにしちゃおうとか、周りの人は皆無責任に色んな事言うし・・・。で、まあ結局は前と同じニッサンのマキシマにしちゃった。でも今度のマキシマはエンジンが3500CCの265馬力というフェアレディーZなどと同じエンジンになってスポーツカーみたいになった。タイヤも18インチホイールに何と245と言うサイズ、ビックリだね。乗ってみるとメチャメチャ速い。こりゃホントにスポーツカーだ。でもNYとかNJの道路はガタガタなのでゴツンゴツンと突き上げられるから、疲れるね。その内に写真をアップしなきゃ、だって日本には無いアメリカ専用車だからみんなイメージ出来ないだろうからネ。NYにJazz聴きに来たり、Golfしにくるフレンドの皆さん、新車の綺麗なうちにいらっしゃい。


2003年07月08日(火) 電話会議のバカヤロー

明日9日はHiro師匠のレッスンだというのに電話会議の急な予定が入りキャンセルせざるを得なくなった。ま、仕事だから仕方が無いが・・・。アメリカ西海岸のお客さんと日本の本社と我々東海岸の3点を結んでの電話会議はしんどいものがありまっせ。時差というコワーイ存在が必ずどこかにしわ寄せする。今回の会議はお客さんが夕方の5時から、日本が朝の9時からで共にまあワーキングアワーに入っているのだが、そうすると米国東海岸の我々は夜の8時からの会議となる。2時間もやりゃあ10時だぜ。やすきよのビデオを持って(関係ないか)レッスンに行くはずだったのに、これでまたペースが遅くなる!!(`ヘ´) プンプン。


2003年07月07日(月) G-nakaさんが

久し振りに掲示板に来てくれた。多分、しょっちゅう来てくれているのだろうが書き込みは久し振りである。でも日記も読んでくれているみたいだし、励ましてくれて嬉しいな。この間はサンフランシスコのケニー・バレル情報をこちらから発信して、悩ましちゃったみたいだなあ。明日はニューアルバムの発売日。丁度マンハッタンで打ち合わせの予定があるからHMVかタワーレコードを覗いてみようかな。実はケニー先生の旧譜を4枚発注済みなんだよね。最近作でのボーカルが聴いてみたい。渋い魅力が増してきたよね。
そうそう12日の日本到着日にG-nakaさんはライブやっているんだね。体力が残っていれば行きたいな。丁度時差ぼけ解消にもなりそうだし。


2003年07月06日(日) Web友達

ピアノのOsapoohさんは一時DTMに凝っていたらしい。最近立て続けにサイトにアップされている。作曲の才能も豊かでジョー・サンプルばりの爽やかなフュージョンである。何度か聴くと覚えてしまうようなキャッチーなメロが作れる才能は羨ましいなあ。ホントに周りにはSAXOZISANと言いG-nakaさんと言い、皆さん凄い人たちばかりだ。インターネットで知り合ったアマ・ミュージシャンの方々とこんなにも親しくなれて嬉しいし、どんなにゆっくりでも少しずつ絶対に進歩してやるゾーと思うのだ。どもホントにゆっくりなんだなあ・・・。


2003年07月05日(土) ゴルフ合宿

連休を利用してコネチカットの漁師友人宅へゴルフ合宿へ。初日の金曜日はTall Wood と言うなかなかデザインの良い林間コースのパブリックへ、2日目は名前は失念したがもう少しトリッキーなコースへ。コネチカットあたりへ行くとなかなかパブリックが充実しているようだ。この友人ご夫婦もパブリックコースをエンジョイされている。ご主人は釣りも趣味(だから漁師なのだが)なので週1回のゴルフ、奥様は2回程度やられているらしい。羨ましい。
今回もお二人のレッスンが私からのGive、ご主人が釣った魚のお刺身を始め美味しいお料理が彼らからのGive。こちらもレッスンに力がはいります。今回のお食事はヒラメのお刺身、鯛の塩焼きと釣果を楽しんだのに加えて今が旬の大型ロブスター!!これは買ってこられたとのことですが、これも美味。ワインも美味しく、中学時代の昔話やバンドの話、アメリカ文化論も大盛り上がり。ニッポンの朝バンドの仲間に電話したが、相変わらず仕事熱心なK君、明け方に会社から帰った模様で叩き起こしてしまった。チョット不機嫌だったかな。
2日目の今朝は先ずレッスン会をやった。結果奥様は初の40代である47を記録され、ご主人も前半39でラウンドされた。レッスンプロとしては大満足。やっぱりレッスンプロの資格取って山田プロと一緒に仕事しようかなあ、と真剣に思ってしまいそうだ。
Maximaの新車は快調!!2時間チョットの帰路もケニーバレルと岡安さんのCDを聴きながら楽しんでステアリングを握ってました。さあ、ギターの練習!!


2003年07月04日(金) イスタンブールから怒られた

現在イスタンブール駐在中の後輩からメールがあり、シャフトをXに戻して好調を取り戻した由。イーブンパー近くを連発してトルコの日本人会で畏れられているらしい。まあ、そうだろう実力者である。私が日記に50歳を目前にXをやめてRにしよう、みたいなことを書いたのを怒っている。最近のカーボンシャフトは単に堅さを表すX・S・Rだけじゃ判断出来ないのは事実。またトルクが少ないことを単に礼賛する向きもあったが、しなり感とトルクは微妙にスィングに影響する。トルクが少なきゃ良いってもんじゃあない。フェースが開く方向にはトルクが少しあっても良いのじゃないかな?閉じる方向にはトルクを絞ってある方が良いとも思う。この点は山田プロも同意見だった。
ともあれ、本日クリーブランドのRシャフト(フジクラ製で少しはシッカリしていたが)をトライしたけどやっぱりダメですね。前回のブリジストンのRは良かったのになあ。先日983EのYS6・Sを試したときの方が全然良い。さて、どうしようか悩むなあ。やっぱりシャフトはSで少しロフトを増やす方向での解決が良いのかなあ?


2003年07月03日(木) 2回目のレッスン

Hiro師匠の2回目のレッスン。何故か師匠のリクエストにより若大将シリーズと無責任シリーズのビデオを持ってクィーンズへ。独立記念日前で既にお休みモードのアメリカでは夜になっても交通量が多く時間がかかったなあ。師匠宅でいきなり「今日はギター弾きますよ」と言われ早速チューニングしてアンプに通す。ボリュームやトーンの調整の仕方とか基礎を色々と教わった。中でも最初にビックリしたのはピックの持ち方!!大体ピックなんてえものは弦に平行にして持つものだとばかり思っていたが、若干角度が必要なんて、知らなかったゾー。確かにトーンは太くなるし、全然違う。その角度も言葉では言いにくいけど2種類あるので、どっちが良いかはプレイヤーの骨格とかに寄るものだという。Todosの場合はジョージ・ベンソン風に角度を付けるのが自然だそうだ。こりゃ初耳だし、びっくらこいた。こうするとアップストロークで強い音が出せるのでJazzには良いのだそうだ。何かイキナリ上手くなった気分!!A△7とB♭m7のアルペジオを習い理論も教えて頂いた。100万回弾かなきゃ指が動かないだろうなあ。次回からは録音しながら練習しようと言うことになった。奥様がお帰りになり、楽しい世間話も入ってNYの夜は更けていった。帰りは道路も空いていて新車のハンドリングを楽しんで帰宅。師匠ありがとう!!

そして明日アメリカは独立記念日で休日です。
独立記念日と言えば「花火」、明日は各地で花火が見られます。ところがTodosは以前ここにも書いた漁師のおうちへゴルフとお魚を楽しみに行くので花火は見られないかなあと思ったら、予行演習なのか何なんだか知りませんが9時半を過ぎたらドッカン・ドッカンと始まった。何??しかし私のアパートからは良く見える。玉やー、鍵やーであります。日本はまだ花火シーズンじゃないけど一足お先に・・・。


2003年07月02日(水) 7月の訪日決定

なんか外タレのスケジュール決定みたいな響きだけど、何てこたーない業務での出張なのだ。勿論アフターアワーズにはJazz、Golfも少しは(?)楽しまなきゃね。12日の夕方には成田空港に到着し、1週間ゴチャゴチャと動き回ります。Webに発表されている皆さんの日程をみると余りセッションとか無さそうなのでゆっくりと常磐線沿線グループで酒を酌み交わせるのかな?しかし、里帰り便でも通常の月は700−800ドルなのに夏休みシーズンだからかしら1200ドルもするのでビックリ。混んでいると疲れるのでマイレージを奮発して往復ともフルフラットにアップグレードしちゃった。日本は蒸し暑いんだろうなあ。嫌だけど夏痩せだけはしたいんだよねえ。そうそう今日は娘の誕生日。おめでとうネ。


2003年07月01日(火) かりんとう

NYに戻って食料品の買い出しに韓国スーパーへ。なんか疲れが溜まっているのでお菓子売り場で足が止まる。ダイエッターとしてはいかんいかん、と思いつつも日本製のかりんとうに目がとまった。沖縄産黒砂糖使用とデカデカと書いてある。これは精白糖と違ってオリゴ糖だな、と思い買ってみた。ハッキリ言って美味い。懐かしい甘みだね。何かオジンになって甘さに対する感覚が変わったのかな?そろそろ日本茶に和菓子???


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