No Problem

2002年10月31日(木) お腹痛い

 月末なのに珍しく、銀行ガラガラ。
おかげで余裕で給与振込みできる。
一仕事終えてから、いつものファミレスへ。
退院後初めてのkimkim、kankanとのランチ。
ゆっくり歩くあたしにやっぱり2人は相当驚いていた。
それでも、本当に今週に入ってからはぐんぐん回復している。
なんだかんだと、4時半までおしゃべりし解散。

 今日は5回目の木曜なのでバイオリンはお休み。
息子を皮膚科に連れて行ったのだが、夕方降り出した雨のため道路が大混雑。
おかげで普段なら楽勝の時間なのに、ついた時には閉まったところだった。
仕方ない、明日来よう。
もう少林寺まで時間もないし、夕飯はどこかでラーメンでも食べていっちゃおうと言う事で皮膚科から家までの帰り道ってろくなラーメン屋がないのだ。
 道は混んでるし、回り道しちゃうしで、40分くらいハンドルを握っていたら、さすがにお腹が痛くなってきた。
仕方なく、一度家を通り過ぎて、前から来て見たいと思っていたラーメン屋さんへ。
店の前には「秘伝!創業○○年前からのスープ」みたいな看板が出てるのだ。
でも、お客さんゼロ。
スープ・・・70点。麺・・・20点。あまり好きでない味なのであった〜。
なんか疲れた。

 それから少林寺へ送って行って、体育館は寒いので車の中で待つ。
20分くらい本屋さんで立ち読み。



2002年10月30日(水) 勘違い

 夫は昨夜飲み会だったので、お風呂に入らないで寝てしまったようだった。
9時半にその人をホテルに迎えに行くというので、朝、お風呂をもう一度沸かしてあげた。
Tシャツを洗濯機に放り込み、脱いだトランクスはそのまま脱衣場へ持っていくので「貸してよ、洗うから」と言うと、「いや、ガバガバだから」とそそくさとお風呂へ入っていった。
 ここであたしは、何の疑問も持たず(もちろん、夫が浮気してるっ!?とかいう考えも皆無)100%天然に

 「出ちゃったの?いいよ、いいよ、洗うから」と。

 脱衣場に追いかけて入ると、トランクスはゴミ箱に捨ててある。
そんな〜、あたしとあなたの中で恥ずかしがるなんて事ないのに〜。
夫、風呂の中から

 「ゴムがもうガバガバなんだよ。なに考えてんだ^^; オレは高校生か。」

 一瞬の沈黙の後、2人で大爆笑してしまいました。
その後、2人で「でも、あと5年もたったら、これ息子とやってたりして〜」とまた爆笑。
だいたい、母娘の関係というのはもちろん初潮を迎えたら報告するだろうし、赤飯なんか炊いちゃったりする。娘の生理の周期なんか母親が把握していてあたりまえだろうし、娘もセキララに話すだろう。
じゃぁ、と言って、息子が父親にそういうことをセキララに話すというのは考えられない。
「オヤジィ、俺きのうも夢精しちゃったよ〜」
「おいおい、若くていいなぁ。そういえば父さんがオマエくらいの時は・・・」
なんて会話が始まるのだろうか?まさかね。

 今は息子のパンツの枚数から何から把握しているあたしだけれど、その頃には、じょ〜ずに「知らんフリ」できるようにならないと、息子もかわいそうよね。男の子って自分と違うから難しいなぁ。
くれぐれも「出ちゃったの?洗ってあげるから貸しなさい。ニコッ」なんて事の無いように気をつけなくては。(爆)
だいたい一緒にお風呂に入れるのもあと2〜3年か??
なんか寂すぃ〜・・・・・。



2002年10月29日(火) 空間認識能力の欠如

 朝いちで振込みがあったため、近くのスーパーのATMまで歩いていく事にした。
3分もかからないところなんだけど、道路に足がつくたびに、お腹にずしずし響くのでゆっくりと。
気がついたんだけど、いかに歩いている時ってお腹を軸にしているか。
だって、お腹に響かないようにかばって歩いていると、腰から背中にかけてがガッチガチに緊張して固くなっているのだ。
ちょっとだけの往復なのに、腰が痛くなってしまった。

 今日は洗濯もしてみた。
いつもは、スチールの重いカゴに、5キロ×2回分を「エイヤッ」と2階まで持っていくのだがカゴにいれずに、1回分を半分に分けて手で持って2階に上がる。
結構疲れた。
お皿を洗ったりもしたので、ちょっと横になろう、と布団に入ったら2時間も熟睡してしまった。

 最近やっと「まんてん」がおもしろくなってきた。
宮本信子が出てきて、がぜん引き締まった気がする。
あの、角田さんだっけ格闘技の人、あの人もええ味だしてるし、花子ちゃんは相変わらずかわいいし。
W浅野世代(年が一緒という意味ではない)のあたしとしては、浅野温子のお母さん役ってなんかしっくりこないんだよな〜。
てわけで、ひとり言が鹿児島弁になっています。
「じゃぁ〜ばってん」とか言ってしまう。

 今日のびっくり。テレビで、まさにあたしの事をやっていた。
「字がバランスよく書けない」「物体をイメージすることができない」「部屋の片づけができない」
手紙を書けば、脅迫状と間違われ、とにかく美術・図工が苦手で(遠近感とか質感とかまったく書けない)、部屋はいつもとっちらかっている、これって「空間認識能力が低い」という事らしいんですわ。
ネットで調べてみると「図形やグラフ、関数や微積分などの数学的能力のみならず、その根幹となる論理的思考能力や想像力に直接関連する能力」らしいんです。

 おおおおっ!確かにあたしはこの能力が異様に欠如している。
関数ってなんだっけ。XとかYってやつだっけ。一次関数とかあったねぇ、そいえば。aイコールなんとかかんとかってやつ?微積分って、√とかπとか使うやつだっけ。平方根とかって違うっけ。
う〜ん・・・・・。まったくわからん。
確か、あたしは算数の4年生くらいからつまずいている。
円錐とかの容積だか面積だかを出す所くらいから全然わからなくなってしまったのだ。要するに3次元で物をとらえる能力が皆無なんだろうね。
うちの旦那さんなんか、すっごい絵とか上手で、デッサンとか書けちゃうんだけど、あのエンピツの白黒の濃淡だけで立体感を出すってのがどうしてもあたしにはできない。一筆書きしかできないもん。
 数学的能力・論理的思考能力ゼロ。想像力は無い方ではないと思うけどなぁ。
妄想とか得意だし(違)
物理とかあーいうのも全然だめだもんね。
じゃぁ、いったい何が得意だったのかって?
体育と給食じゃあ〜っ!うりゃあああああっ!!



2002年10月28日(月) 社会復帰

 一週間の始まりだ。
そろそろ普通の生活に戻っていかなくては。
今まで一日中パジャマで過ごしていたが、今日からはちゃんと朝着替えよう。
初めてお皿も洗ってみる。
すぐ腰が痛くなるので、長くは洗えないが、なんかこうやって家事ができるのも、楽しい。

 今日は、退院後初の診察日なので夫が連れて行くよ、と言ってくれる。
まぁ、バスでも行けるし、多分1人で大丈夫といって会社に行ってもらう。
午前中に行ってしまおうと思っていたが、michyから電話がきて、ついつい長電話。
そのままお昼ご飯を食べて午後イチで行く事にした。
つか、出来るだけ病院行くの引き伸ばしたくて・・・^^;
先週も、そんなにお腹が張るのはおかしい、すぐに病院に行くように、と義母や義妹に言われていたんだけど、生返事をしていたのだ。
 だって、「お腹が張ってて痛いんです」なんて言ったら「どれどれ・・・」ってそこをぐりぐり押されるのに決まってるんだもの(涙)
あ〜、でも今日は行かなくては。やだなぁ。

 バスで行こうかと思ったりもしたが、バス停まで歩くのもちょっとしんどいような気がして、車でゆっくり運転しながら行く事にした。
道路のガタガタがまだお腹に響く。
主治医に「お腹が張ってるんです」というと案の定「見てみましょう、横になって。」
うううう〜、押されるのね・・・。
この辺、この辺、と押されるたびに力がはいるもんで、「はいはい^^;力抜いて」と言われる。
「あ〜こりゃ、内出血してますね。5ミリの鉗子入れる所の傷かな。ほら、左のわき腹から背中の方にかけてもずっと青くアザになってる。」とおっしゃる。
「お腹がつれる感じはありますか?」あるんですよ。左側に寝返りうつとき特に。
確かに体中アザだらけなんで、夫と「ほら〜見てよ〜」とやっていたのだが夫は「手術中に動かないように固定されてたんじゃない。麻酔してると手荒になるからなぁ。」と言っていたのだ。
内出血だったのかぁ。
てことは、うまくやってもらったら、こんなにお腹が張って痛いって事はなかったんじゃないすか〜。
そうそう、ちょうど酷い打ち身やると、青アザになって固くなる、あんな感じだもん。
でも、まぁ、子宮や卵巣はちゃんと復活していて、あとは時間がたてばその内出血もひくだろう、って事で診察は終わった。
 先生は「あと1週間くらいで生理になるでしょ。それからは避妊を解いていいですからね。今週期はな〜んにもしないでのんびり構えておきましょう。」といつもの感じで言ってくれた。
う〜ん・・・・・・解くも何も、ここ6年ほど避妊したことないんですがね。(爆)

 帰ってから息子の宿題を見て、テレビを見ているうちにものすごく眠くなってしまい、こたつで爆睡。やっぱ久しぶりに外に出たから疲れたのかなぁ。
今まではシャワーだけだったけど、今日は湯舟に入ってみる。
う〜ん、日本人ならやっぱりお風呂だわな。極楽。
血行もよくなってお腹もはやくへこむかな。
右に寝返りする時、初めてストレスフリーでできた。
左はまだつれる感じがあるけれど。
少しの時間でも外に出た事で、回復も早まる気がする。



2002年10月27日(日) ちょっとだけ主婦

 昨日と同じくだいぶ元気になってきた。
久しぶりにちゃんと朝ご飯を作る。といっても炊きたてご飯(この前の結婚式のカタログで選んだ陶器のおひつで直火炊き♪)、お味噌汁、ネギと卵入りの納豆、おでんの残りだけど。
しっかしあたしご飯炊くのうまいな。
もし、今後履歴書とか書くことがあったら、特技の欄に「炊飯」って書いていいかしら。

 テレビ見たり、通販カタログ見たり。
テレビに向って毒舌が吐けるようになり、カタログ見て物欲がわいてきたりしてきたあたしを見て、夫は復活の兆しを確信したようだ。

 体力を持て余している息子がかわいそうなので、一緒に本を読んであげる。
コンボクッカーのふたで(重いんで持つときお腹に力入った)ホットケーキを焼いてお昼ご飯がわりに。やっぱフライパンより全然ふっくら焼ける。

 夕方は夫が息子を連れ出して買い物に行ってくれたので、ネットしつつだらだら。
夜は冷蔵庫にあるもので寄せ鍋をする。
「どっか行くか!」と夫が言ってくれたが、まだちょっとねぇ・・・。
一口だけビールちょうだい、と言ってみたが、だめ、と言われた。
もうかれこれ20日くらい飲んでないよ。
ま、欲しくも無いけど。

 お風呂を掃除して最初にはいって、湯船につかろうかなぁと思ったけど一応明日の診察で聞こう、と思い我慢した。シャワーだけだと寒いんだもん。
これ、真冬ならこたえるよね。
明日からそろそろ仕事すっかな〜。



2002年10月26日(土) 初コーヒー

 10時過ぎまで寝ていた。だいぶお腹の張りがひいてきた感じ。
やっぱりいつまでも腰をまげて歩いてても、よくないよな。
しかも、寝てはいないけど運動はせず座ってる、ってんで、な〜んか腰周り全体がうっ血してるようなやな感じ。
運動不足だ〜。

 夕方どおおおおおおおしても生クリーム系ケーキが食べたくなったので、夫と息子に近くのケーキ屋さんに買いに行ってもらう。2つも食べちゃった♪
で、ひさびさにコーヒー飲みたくなったんで、いれました。
いや〜、アル中、カフェイン中のあたし。コーヒーが飲みたい!と思ったって事はかなり回復しているのでは。
今日は初めて昼寝もしなかったし。

 夫は夕方から仕事。
「あったかいお蕎麦食べたい」という息子の希望でネギたっぷりの舞茸そば。
食べながらテレビのクレヨンしんちゃんを見る。
これ、前映画館で見たやつだわ。クレしんはテレビはいまいち、マンガはお下劣だけど映画はいいよ。
しかし、暖かい蕎麦が食べたいという小学2年生。飲兵衛になりそうやなぁ。



2002年10月25日(金) 大阪行けるんだわ

 今日も息子と夫が出かけてからお昼までの2時間ほどぐっすり昼寝。
昼ご飯を食べてごろごろしていると、チャイムがなった。
「は〜い」・・・って腹から声がでないんだよね〜。
2回くらい答えたけどまだピンポン押すんで
「くっそ〜、なんのセールスだよ、こっちはしんどいっつーの。」と腰曲げながら
ドアを開けると、会社の配送の女の子だった。^^;
「近くに配達に来たので、お顔を見に寄りました。大丈夫ですか?」と。
いや、この子本当に礼儀正しいいい子なんよ。
誰か、いい男性いますかね。紹介しますよ。っていうか相当いい人じゃなきゃもったいなくてだめだけどね。
見た目は今時の若い子なんだけど、話し方や気遣いがきちんとしてるんよね。
やっぱしつけだね。
 とにかく、とってもうれしかった。心温まる午後でした。

 退院してからネットは覗いてはいたが、キーを打つ気力がなかった。
今日やっと何人かにメールで現状報告ができるようになった。
大阪のホテルを予約したり、ドームでコンサートの時の託児を予約したり。
あらためてインターネットの便利さに感動。
こりゃ、ひきこもりにもなるわ。家の中にいてすべてできちゃうんだもの。
夫がJAFの情報誌を見て、フェリーだと安いツアーがあるというのでそれも調べる。
フェリー往復とUSJパスで大人1人14,000円。
安い。体力的にまだちょっと不安だけど。
でも、来月だもんね〜。この調子で元気になっていけば完全復活よね。

 夕飯はピザをとる。金曜ロードショーでスピルバーグのキャスパーをやっていたので録画。
吹き替えが好かんので、ほとんどこういうのは見ないのだが、息子も最近は映画を一本最後まで見る事ができるようになったので、(ハリポタとかね)、ビデオ屋でもよく吹き替え版借りてくるのだ。
USJにキャスパーのアトラクションがあるかどうかわからんか、一応予習ね。

 相変わらずお腹は妊娠6ヶ月レベルで出ている。
義母にも夫にも盛んに病院へ行きなさいと言われるが、押されるのが恐いから行かないもん。



2002年10月24日(木) もったいない

 午前、午後と2回ずつ昼寝。
二階のほうが日当たりがよくて暖かいので、ちゃんとベッドで寝る。
う〜ん、よく眠れる。
健康な時だってよく眠れるのに、加えて病み上がりときたらもう向うところ敵ナシだわな。(使用法違)

 しかし今日はバイオリン。
月謝を一回平均にならすと1750円。休めんでしょう。
夫はタクシーで行かせろよと言うがもったいないと思う主婦根性。
恐る恐る運転して、連れて行った。
4キロくらい離れているので、1人で歩いては行かせられないし。

 それでも退院の時よりは道路のでこぼこも感じられない。
レッスンの間は車の中で待つ。(教室は4階まで階段あがらなくちゃならない)
その後の少林寺はお休みさせた。
こっちは一回平均620円だから。ってそれでいいのか。




2002年10月23日(水) 笑わせないで

 今日も昨日と同じくごろごろと。
 それにしても、腹筋というのはすべての基本だ。
しゃべるのも、笑うのも、歩くのも。
お腹を切るというのはやっぱ大変な事。
あたしなんか1センチにも満たない傷が4つだけでこれだけひーひー言ってるんだから、大きく開腹した人なんか、どれだけ大変だろうか。
 それと、帝王切開。
あれだけ切って、しかも赤ちゃんにおっぱい飲ませたりお世話したりするって・・・・(@_@)尊敬する。
あたしなんか、自分の事だけで精一杯だったのに。

 夫とあたしがしゃべる時はいつも「どこで突っ込んでやろうか」とお互い笑いを取る事ばかり考えているのだけど、今だけはやめて欲しい。
でも夫は笑わせる。「こんなくらいで笑うと思わなかった」と言ってるけど絶対確信犯だ。
そこであたしが考え出した技は、名付けて「秘儀タマちゃん笑いのがし」。
おかしくて笑い出したいとき、お腹を押さえてぐっと我慢する。
でも、笑いのパワーってのは結構大きくて、くしゃみと同じように、出してしまうかどうにかして逃してしまわなくてはならない。
そこで、考えたのが手を叩く事。
30秒くらい下を向いてお腹を抱え第一波をこらえたら、そのまま手を叩く。
手を叩いているうちにたまっていた爆笑パワーが徐々に放出されて、お腹の痛みが回避できるのだ。
でも、下を向いて頭の上で手を叩いてる姿はまるで、オットセイ。
あ、タマちゃんってアザラシか・・・。



2002年10月22日(火) 寝まくり

 久しぶりに息子を学校に送り出す。
お皿は夫が洗うというので、そのまま。
洗濯もせず部屋も散らかったまま、ゴロゴロ寝て過ごす。
・・・って考えたら普段の生活とあまり変わらなかったりして(恐)

 20日締めの請求書が気になるが、とりあえず最終チェックは事務員にまかせたまま出してもらう。
入院前は、「21日に退院したら、運転して会社まで行って請求書チェックするかな〜」などと思っていたのだ。無謀。

 ネットに久しぶりに繋げてみたり。
あとはずっと寝ていた。
しばらくは夫が早めに帰ってきてくれるというので甘えてしまおう。
それにしても、いつもにも増してよく眠れる。
相変わらずお腹の左側が固く張っていて痛い。



2002年10月21日(月) 腹腔鏡検査 術後5日目 退院の日

 朝ご飯は半分ほど食べた。
今日のお昼ご飯まで会計に入ってるので、食べてからゆっくり退院してくださいね、と言われる。
10時過ぎ頃夫が来てくれたので、ATMにお金を下ろしに行ってもらう。
それからすることもないので、お昼ご飯まで久しぶりにゆっくりお話したり。
夫は、豪華な昼ご飯に驚いていた。あたしはほとんど食欲がないので、「全部食べていいよ」と言ったのだが、これ食べな、これ食べな、とこまめにあたしの口にも運んでくれた。

 料金は全部で162,020円。入院費が108,400円、食事費が3,120円、保険外が40,500円、差額の個室代が10,000円でした。参考までに。
ただし、保険の分は、高額療養費で45,000円くらいは社会保険から還付されると思うので、手出しは12万円くらいかな。
何も保険に入ってなかったのが残念。

 夫に全部荷物を持ってもらって、助手席に乗って家へ。
しかし、車がちょっとでも揺れるとお腹がガンガン痛い。
無計画な道路行政ゆえの末期的掘り返しつぎはぎ道路や、改めて「何でこんなにあるんやっ!!」と驚いたマンホールの数々に乗り上げるたびに痛さに顔がゆがむ。
市電のレールと石畳攻撃が一番激しかった。社会的弱者になってこういうのって初めて知るんだなぁ。

 家に帰ると、とりあえず来ていた郵便をまとめたり、床に落ちているタオルを拾ったり、くた〜っとなってる観葉植物に水をあげたり、なんやかやと動いてしまう。
やっぱり病院って、女にとっては安静にしていられる場所なのだなぁ。
奥の部屋に夫が布団を敷いてくれて、とりあえず横になるように言われる。
あたしを寝かしつける、とか言ってなぜか夫も一緒に寝てしまう。(笑)30分くらい寝たのかな。
しばらくして息子が帰ってきた。
「あ〜っ!!退院してきたのっ〜!!」と満面の笑み。
うん、あたしもうれしいよお。
「今日はママが退院するから、お気に入りのお猿(キュリオスジョージの事)の黄色いTシャツとジーパンはいて学校行ったんだよ!」とうれしそうに話してくれた。

 夕飯はどうしようかと思っていたら、ゆうぱっくで頼んでいたふぐの西京味噌漬がちょうど届いたので、これを焼いて食べようという事に。
冷蔵庫の中がからっぽなので、夫に何か野菜系の焼くもの買って来てと頼む。
いきなり、バーベキュー?^^; いやいやさすがに庭でやる元気はありません。
なんか、炭とか燃やしてまた頭の中の「シューシュー」ならないかなぁ・・・なんてちょっと心配にもなったが。
とりあえず、卓上用の小さな七輪に火をおこす。
ウチみたいな隙間だらけのボロ家だと、一酸化酸素中毒の心配だけはない。
 夫が、買って来たしいたけや長ネギなどを包丁で食べやすい大きさに切ってくれる。
もしかして、20年の付き合いのこの人が包丁持ってるとこ見るの、初めてかも。

 夫と息子はおいしいおいしいと食べているが、やっぱりあたしはほとんど食べられなかった。
そのうち、ソファで寝てしまったらしい。
目が覚めると、なぜか部屋が真っ暗になっていて、夫と息子はテレビに見入っていた。
あれは、プレステか何かやってたのだろうか?
超寝相の悪い、この男たちと一緒に寝るのは自殺行為なので、夫と息子は普段どおり寝室で、あたしは奥の部屋で1人で寝た。暑くも寒くもなくやっぱり家ということで、安心したのかぐっすり眠れた。ま、病院でもぐっすり寝てましたが(笑)

 さて、いつになったら前と同じ生活に戻れるのかな。
とりあえず、左側の下腹部が押すと痛い。固く張っているんだけど、これってみんなそうなのかしら。



2002年10月20日(日) 腹腔鏡検査 術後4日目

 検温、採血、血圧、脈測定。貧血の薬注射。
今日からご飯がお粥じゃなくて普通のご飯になる。
でも、やっぱり7割くらいしか食べられない。
今日は日曜日だから外来が少ないせいか病院全体が静か。
気分もいいし、テレビを見ながらのんびりする。

「洗髪どうされますか?」とコールされる。
もちろんしてもらわなきゃ〜♪いそいそとシャンプー室へ。昨日とは違う人だ。
名前を呼ばれ返事をすると、ノートのような物に記入している。
はっ!!もしかして、シャンプーって有料?!
なんとなく、シャワーと同じく病院の付帯設備だと思ってたけど、考えたら美容師さんにシャンプーしてもらってブローしてもらって、サービスのわけないよなぁ・・・。
ばっかみたい、昨日したから今日は我慢すればよかった〜と貧乏根性が頭をもたげる。
いくらだろう・・・・、2,500円ってことはないよなぁ。それじゃ昨日と今日で5,000円?!
美容院価格じゃないだろうし、1,500円くらいかな〜などと不安になる。
 ま、もう頼んじゃったんだし、ここはひとつお金の事は忘れて気分よく洗ってもらおう。
洗っている途中で、昨日の美容師さんが来た。
お店に指名の客でも来たのだろうか、「○○さんがお見えですよ」と声をかける。今やってくれている人は「すみません、ちょっと変わります」とチェンジして、あたしは昨日の美容師さんに洗ってもらう事に。
やっぱり、この近所の美容院からの出張なんだな。
 それにしても人にシャンプーしてもらうのは気持ちいい。

 でも部屋にもどったらなんだかぞくぞく寒気がしてきた。
ちょっと調子がいいからって連日シャンプーなんかしたからかしら。
しばらくしてまたコール。
「シャワーどうされますか?」と聞かれたけれど、寒気がするし、なんだかちょっとまだシャワーは恐いような気がするので、一応断った。
午後は日曜日だからかおやつも出た。ストロベリーショートと紅茶。
久しぶりの紅茶がおいしかった〜。
まだコーヒーはちょっとヘビィだもんね。

 夕方、義父が息子を連れてきてくれる。
今日は朝から少林寺の大会に連れて行ってくれていたのだ。
いつものように、じゃれついてこない息子。
なんとなくしんどそうな母親にどう接していいのかわからないのだろうか。
(あとで聞いたら「見てられんかった・・・」と言っていた)
ひとしきりしゃべってから、2人は帰っていった。
今日は横浜から最終便で夫が帰ってくるので、それまで息子と温泉センターでも行って夕飯を食べてうちで待っていてくれる手はずになっている。

 看護婦さんが来て、貧血の注射と傷の消毒。「傷はもうきれいね。大丈夫。」と言われた。
明日の今ごろはもう家か〜。
なぜか今日のお通じも柔らかめ。術前の浣腸のせい?
まだまだ寝起きはお腹が痛いし、寝返りするのも一苦労、おまけに寝てばかりいるもんで腰が痛くなってきてるんだけど、昨日、今日でほんとに回復したなぁ。
いつも家ではあまりテレビ見ないんだけど、いや〜見た見た。
しかもBS入るんでおもしろかった。
全然野球には興味ないんだけど、新庄がでていたんでワールドシリーズも真剣に見たりして。
それにしても、民法って訴訟、リフォーム、節約関係の番組ばっかりやね。
でも、やっぱり元祖は「生活笑百科」か(笑)

 最後の夜はもうマンガも読み尽くしてしまったので、ひまつぶしに携帯メールのやりとりの履歴を見てみる。
自分が送った、メールが日一日と回復の度合いを表してるのがおかしい。
術前の日は「何もすることないよ〜ヒマで〜す♪」とかだし、もちろん手術当日は書いてない。
17日の夫に宛てたのなんかなんか、途中で切れてる。「頭の中でせみが   」
恐いよこれ。^^;

 まぁとにかく手術は無事終わって、麻酔からも無事覚めて、まだヨタヨタ歩いてるけれど何事も無く入院生活終わってよかった。
今回の件は本当に仲のいい人にしか教えてないんだけど、息子を預ってくれたりいろいろお世話になった。
改めて、周囲の人に感謝。
そして、自分の体が思うようにならないというつらさは経験しないとわからない。
いつも健康なので忘れがちだが、病んでいる人に対して思いやりの気持ちを持ち続けよう。




2002年10月19日(土) 腹腔鏡検査 術後3日目

 朝、検温して採血。貧血だそうで貧血のお薬も一緒に注射。
朝食が運ばれるのをわくわくして待つ。
7分粥とおすまし、牛乳、梅干し、卵焼き、人参と厚揚げの煮物。
実際食べ始めてみると6割くらいしか食べられなかった。

9時前に外来で診察。
主治医の先生ではなく、オペに一緒に立ち会った先生。
診察台の上り下りがまだ一苦労。
触診がむちゃくちゃ痛い。お腹ぐーっと上から押すんだもん(T_T)
いいのか?そんな事して?
同時に抜糸も。1センチほどの傷3箇所と3センチくらいの1箇所の計4つ。
糸なのか、鉤なのか確認しておこうと思ったけど、自分で今までガーゼとって見る勇気なかったもんで、どっちかわかりません。
他の人の話では鉤が多いようだけど。
でも、でも、抜糸むちゃくちゃ痛かったです(T_T)
普通、無痛だよねぇ。ピリリ〜って皮が引き破られるような痛さ。
これ4回は本当に痛かった。涙にじみました。終わってからも10分くらい痛かった。
あたし、結構痛みには強い方なんだけどなぁ。
いつもは、足上げたまま、お腹中心に半回転して横から降りるけど、そんな事できるはずがない。
片足ずつ足載せ台から降ろし、足載せ台の間に座るようにして、看護婦さんに手を引いてもらってやっと、立てました。

 来る時より腰が曲がってしまったまま、部屋に戻る。
テレビを見つつ、気がついたらぐっすり眠っていた。
ヒマだな〜。友達、来てくれるんなら、今日あたりがよかったのにな〜、などと勝手なことを考える。
でも、昨日まではほんと、人に会うなんて絶対考えられないヒキコモリだったもん。
身体を拭いてもらい(今日は看護婦さんにしてもらった)、顔を洗ってさっぱり。
すると、コールで呼ばれ「洗髪しますか?」との事。
も〜、頭気持ち悪かったし、喜んで1階下のシャンプールームまで降りていく。
シャンプー台に座る時もだいぶ早く動けるようになってきた。
若い美容師さんが(病院専属じゃないよね〜)シャンプー、ブローしてくれる。
う〜ん、さっぱり〜♪
やっぱり、身だしなみというのは大事ですね。
気のみ気のままでごろごろしていたい・・・と思うけれど、こうやってきちんときれいにしてさっぱりすると、気持ちが前向きになる。
こういうのも一種のリハビリだね。

 熱も下がって、ご飯も食べられるようになって、髪洗って、ようやく人心地ついた気分です。
昼ご飯も夕ご飯もお粥がメインで7割ほど食べる。だっておかずの量多いんだもん。
夜はマンガとテレビ三昧。携帯メールも顔文字を使う余裕が出てきた。
さぁ、これから入院生活エンジョイするぞっ!ってもうあさってには帰るのか〜。
なんか損した気分。

夜ははじめてのお通じ。なぜか下痢。一生懸命牛乳飲んだからかな?




2002年10月18日(金) 腹腔鏡検査 術後2日目

 朝の検温で起きる。まだ37度3分ほど熱がある。
「まんてん」など見てみる。
ニュースは北朝鮮から帰国した拉致被害者の人の事ばかり。
テレビ見てると、ちょっと現実に戻った気がする。
まだ頭が痛いので、音は小さく。
採血がある。

 看護婦さんが沐浴材と新しいパジャマを持ってきてくれる。
「できますか?」と聞かれるので、なるべく自分でしたほうがいいのだろうと思い「はい」と言って受け取る。
洗面所に行くかぁ、と思いやっとの思いで起き上がる。
ところが、上半身を起こしたとたんに、また吐き気でむかむかしてきた。
あわててまた横になる。その後は例の頭の中の「シューシュー」だ。また。
なんなんだろう、これ。しばらく落ち着くまで横になっていた。

 だんだんと無理しないようにしながら、顔を洗う。
あらためて鏡に映った顔を見るとひどいもんだった。
髪はぼさぼさ。顔色も悪い。
洗顔してさっぱりして、身体をおそるおそる拭き、髪をとかすとようやく気分がちょっと晴れてきた。
足が冷えているので靴下もはく。
 何かの拍子に気管がむずむずして、咳がでた。
我慢できない!お腹が痛い!
ふ〜・・・・・涙出るわ。死ぬかと思った。
風邪だけはひかんようにせんといかんな。

 まだガスが出ないので昼食も抜き。
「たくさん歩いてね」と言われるので、思い出したように部屋の中をうろうろ回ったりするのだけれど、やっぱりお腹が痛い。
義妹が差し入れてくれたマンガを読んだり、テレビを見たりして過ごす。
それから診察で呼ばれたためエレベーターで1階に下りる。
「まだガスが出ないんです〜」というあたしに、主治医は横になるように言って、お腹を叩く。
「ポン。ポン。」となんとも景気の良いタヌキのお腹のような音が。^^;
「もうここまで来てるけどね〜」と言いながら「気分を変えるためにビデオでも見ますか(笑)」という事で、術中のお腹の中を見る。

 子宮はコロンとしていてプリプリ、ピカピカだった。
自分の臓器ながら「きれい・・・」と思ったあたしは危ない人でしょうか。(笑)
卵巣って、本当にお魚の白子みたいに真っ白で丸いんだね〜。初めて見ました。
筋腫は漿膜下筋腫といって子宮の外側にできるもの。
ちょうど子宮の真下、左右の卵巣の真ん中くらいにコロンとしたのがある。
「漿膜下筋腫は直接不妊の原因にはならないけど、場所的に、卵のやりとりする所だし、邪魔してたのかもしれませんね。」と主治医は言う。
絶対的原因ではなけれど、要因の一つとしては考えられる、という事なのだろう。
だから、これを取ったからと言って、妊娠するとは限らない。
 筋腫をワイヤーのようなので縛り、付け根をレーザーでバチバチ焼いている画面では、思わずお腹がきゅっと痛くなりました。
あたしって結構デリケートかも。

 軽い内膜症が左の卵巣付近にあったので、きれいにする。
癒着や内膜症が酷い人は、改めて開腹手術をしたり、卵採菅(排卵された卵子を子宮に取り込むため、卵管の末端は少し広がっている)がぐちゃぐちゃに閉じてしまっている人などは、広げて縫い付けたりする処置をするらしい。
 あたしの場合は、卵管もちゃんと通っていて、卵巣も問題なく、子宮筋腫以外は特にこれといった悪い所はなかった。
それから、生理食塩水で腹腔内をきれいに洗って終了。
ただし、このように、お腹の中をきれいにするため、この検査のあと半年くらいは、妊娠率があがるそうです。

 主治医はカレンダーを見ながら「次の生理がきたら、妊娠してもいいでしょう。」と言う。
この一言がうれしいんだよね。「してもいいでしょう・・・って、するわけないじゃん。今までできないのに。」と頭では思っても「え?え?できるのかな?」なんて思わせてくれるのである。

 今夜もガスがまだ出ないので夕食が食べられないため点滴。
ヒマなのでテレビばっかり見てるけど、食べ物のCM見るとつらくなるので(だいぶ回復してきたのね)消して、ちょっとトイレにこもってみた。
う〜ん、やっぱトイレ付きの部屋はいいね、こういう時。
頑張った甲斐あって、夜10時ごろちょっとだけガスがでました〜)^o^(
う・・・うれちい。
さっそく冷蔵庫のミネラルウォーターをちょこっと飲む。
あ〜、明日の朝は食べられるのね!!うれしい!

 ところで、昨夜の蚊ですが、レースのカーテンでわからなかったんだけど、窓があいていたんですね。
どうりで、街の音が聞こえるし、蚊も入ってくるわ、ということで今夜は閉めました。
とたんに全く外の音が聞こえなくなった。
熱は37度3分くらいだけど、ちょっとまだ頭が痛いので、今夜も氷枕をもらう。
夜中、なんかおかしいなぁと思って目が覚めたら、枕の留め金がよく閉まってなかったみたいで、水がもれていた。
幸いパジャマまでは濡れなかったけど、とりあえず、ナースコールして、シーツを交換してもらう。
今夜からはもう夜中の血圧測定とかはないので、その後はぐっすり眠った。
だいぶ寝返りも痛くなくできるようになってきたし



2002年10月17日(木) 腹腔鏡検査 術後1日目

 朝まで定期的に血圧・脈・導尿の様子を見に看護婦さんが来るので早めに目が覚める。
血圧を測るために腕を布団から上に出すのにもお腹に力がはいるのでつらい。
それでも傷も痛いけど、とにかくもうちょっとで導尿が終わると思うとそれがうれしくてうれしくて(T_T)
だいぶ意識もはっきりしてきたような。
「あら、枕していいって言われました?」と聞かれたので「いえ、何も言われないけど夫にしてもらいました」と答える。
「枕、ダメなんですよ。麻酔の関係でね、頭上げない方がいいの」だって。
夜の間の看護婦さん、なにも言わなかったぞ。

 携帯を持ち始めてから、時計を持っていないので時間がまったくわからない。
一応院内なので電源は落としてカバンの中に入れてある。
時々、入れてメールのチェックする時に時間も確認。時計持ってくればよかった。
廊下で「ガチャガチャ」と食器のぶつかる音がするので、朝ご飯かなぁ、8時くらいかなぁなどと想像。

 昼近くになり点滴をはずし、導尿カテーテルをはずし、ほっと一息。
看護婦さんが、沐浴材に浸したタオルを手渡してくれたので、顔を自分で拭く。
なぜかとっても小鼻のざらつきが気になる。へんなの(笑)。
それから胸元を拭いてくれるのだが、ごしごしするとお腹の皮膚が伸びて痛い。
足先まで拭いてくれて「悪いなぁ」という気持ちになるあたしは、生まれ変わっても貴族階級にはなれないだろう。
 「起きる練習しましょうね」と看護婦さんが笑顔で足元のハンドルをくるくる回すと上半身が起き上がる。いたたたた、痛いっす。

 今日は、頼んでおいた個室に移る日。ベッドから起き上がろうと思うんだけど、・・・・だ、だめだ・・・起き上がれない^^;
腹筋に力が入れられないもんで。
ベッドのふちにしがみついて、看護婦さんに手伝ってもらってなんとか起き上がる。
廊下にある車椅子まで歩くのがむちゃくちゃしんどい。
お腹全体に無数の切り傷があるような感じ。
(実際は小さいのが4つなんだけど)
車椅子がエレベーターに乗るときの振動なんかでお腹がずきずきする。
部屋について入り口からベッドまでそろそろと歩き倒れこむ。
う・・・・むかむかする。横になると頭の中で「シューシューシュー」とガスがもれているような音が響く。
しばらくおさまるまで横になる。麻酔の後だからかなぁ。枕してたから?
ふ〜・・・・。こんな大変だと思わなかったよ〜ん(T_T)

 部屋はシティホテルの広めのツインくらいありそう。
335号室。ソファセット、冷蔵庫、テレビ、ロッカー、洗面所とトイレが完備してある。
これで1日2,000円しか変わらないんだから、いいなぁ。
電車通りに近いので、市電の警笛や車の走る音がするのでぼーっと聞きながらまた眠ってしまった。
相変わらず、寝返りをうつのが一苦労。血圧や脈の測定も定期的にある。
本当は、ガスが出れば今日から食事していいのだが、でないので何も食べられない。
食欲もないけど。
 喉のチューブに麻酔をいれるので、術後は喉の痛み、痰のからみなどがあると書いてあったが、痛みはない。が、看護婦さんに話し掛けられて答えるとき、最初にちょっと痰がからむ。
ていうか、お腹に力がはいらないので、ほとんど蚊のなくような声だ。

 主治医ではないもう1人の執刀医と看護婦さんが来て、消毒とガーゼ交換。
な、なんでそんなに「ポン!ポン!」と景気よく脱脂綿で叩くかなぁ(涙)
 初めてトイレになんとか歩いて自分で行ってみた。
パンツ下ろすの恐い〜。でも、メッシュパンツなのでのびのび〜。(笑)
おっきなガーゼが2枚でほとんどお腹全体を覆っている。
出血はうれしい事にほとんどナシ。

 夕方義母と夫と息子が来てくれる。
夫に起こしてもらって座ってみたのだが、術中お腹に入れた炭酸ガスが抜ける時に上にあがってくるので、肋骨のあたりに激痛。
すぐにまた横になる。
明日が遠足なので息子のお弁当つくりのために今日はウチに義母が泊まってくれるのだ。ありがたい事だ。
息子は弱っているママを見るのが悲しいのか、なんだか大人しかった。
夫は今日から福岡に行き、そのまま横浜へ出張。寂しいよう。
 主治医が様子を見に来る。
「漿膜下筋腫(子宮の外側に出来る筋腫)取ったよ。あれがジャマしていたんでしょう。」との言葉。
あたしはこの先生を信頼している。
特に優しいわけでもなく、必要なことしか言わないが、なぜか先生の話を聞くと安心する。
ネットなんかで見ると「あんた自分の年考えないと。迷ってる場合じゃないでしょ」とか「今回もだめだろうけどねぇ。ま、とりあえずやってみますか。」なんて事をいうとんでもない医者もいるらしい。
(ここの前にあたしが行っていた病院の先生がちょっとこんな感じだった)
うまく言えないが、「うそやでたらめじゃないけど、なんとなくこちらに希望が持てるような事をさらりと言ってくれる」って感じかな。

 あまり時間の感覚がないので、よくわからないが、夜は点滴を3本ほど。
テレビを見る気もおきない。
携帯メールでkimkimとkankanから「明日、行くよ!何か持ってくものある?」と言ってくれたが、多分来てもらってもほとんどしゃべれないだろう、と思う。
「まだずっとねてる。明日体調よかったらめーるするね」と返事を書く。「めーる」を「メール」とカタカナに変換するのさえ面倒なのだ。
もちろん、絵文字なんて全く使う気になれない。
2人とも、思ったよりあたしがきつそうなので、びっくりしていたらしい。

 いつもは、4時間でも5時間でもくだらない話をし続けるこの仲良しの2人にも「会いたい」という気がおこらない。話したいことは多分いっぱいあると思うのだが、「人と話がしたい」という気がおこらない。
michyにもお花のお礼も言いたいし、こんな感じだよ〜って報告もしたいんだけど、「電話をかけよう」というパワーが無い。
ヒキコモリってこんな感じがずっと続くのかな。

 夜は、昼は気にならなかった街の音が結構気になった。
しかも、耳元で蚊が一匹ぷ〜んと。
さされるとイヤなので、頭まで布団をかぶって寝る。
夜のうちも、血圧、脈、と測りに来るので寝返りできないのもあって何度も目が覚める。
でも、その合い間合い間はぐっすり熟睡できていたと思う。
熱が8度近くあるので、氷枕をもらった。ちょっとラクになる。 

*今は「看護士さん」というのですが・・・やっぱ「看護婦さん」の方がしっくりくるような・・・。



2002年10月16日(水) 腹腔鏡検査の日

 朝5時ごろ一度目が覚めてしまったので、マンガの続きを読む。
30分くらいで読み終わって再び寝る。 
朝7時に採血、血圧、脈測定。
7時半に2回目の浣腸。
もうお腹のなかには何もないからか、昨夜より全然我慢できなかった^^;
昨夜と同じポリ容器に入った200mlくらいの液。

 10時半から点滴開始。ブドウ糖やら乳糖やら。
私は血圧が低いので、絶食してるとちょっと心配である。
夫がなかなか来てくれないので、不安になる。
1時近くにやっと来てくれた。安心してちょっと涙がでてしまう。
思えば、こうやって彼に見守られて手術室に入るのはこれでもう3度目なのであった。
彼のほうは、普段調子悪い悪いと言ってる割りには、大病とかしないのだ。
「あと15分か」と言うので「え〜!!手術まで?うそっ!?」とあわてているうちにストレッチャーが来たりして、あっというまに手術室に連れて行かれるのだった。
看護婦さんが「パンツとかパッドとかありますか?」と聞く。いいえ、何も聞いてませんけど。
「あら〜、言うの忘れたのね。ご主人、受付に行って『あみのパンツとパッドのM』って言って買ってきてください。」と言われ、夫は「??」という顔をしながらも行ってしまった。
ああああ^^;もうちょっと別れを惜しみたかったのに。
まぁ、どきどきしながら時計見てるよりよかったか。

 ところで、この「あみのパンツ」ってのがずっと気になってました。
アミノ酸とかのアミノ?(笑)
答えは次の日わかりました。
「網のパンツ」なのねっ!!術後、あたしは傷口に優しいのびの〜びメッシュのパンツをはかされていたのであった。

 手術室に入り、ドクターたちが「よろしくお願いします」と挨拶しあっている。
看護婦さんも麻酔の担当の女性も優しそうに声をかけてくれるので、安心できた。
口にマスクをあてられ、「○○(薬品名)2mlお願いします」「○○2mlはいります」「だんだん眠くなりますよ、○○8mlお願いします」「○○8mlはいります」という言葉を聞いた後は、まったく記憶がない。

 目が覚めたら、隣に夫がいてくれた。
お腹の中の様子とか聞いたと思うけど、何をしゃべったかあまり記憶がない。
それよりも、膀胱が破裂しそうにおしっこがしたくてたまらない。
お腹がいたいのか、膀胱が張っていて痛いのかわからないほどお腹がパンパン。
導尿しているので、それが気になるのだと思う。
思いっきりしてしまいたい、と思うのだがどうしてもできない。
むちゃくちゃつらい。も〜、全部はずして!トイレ歩いていくから!!って感じだ。
 目覚めた当初はまだ体が麻痺してたのかぼーっとしていたけど、だんだん膀胱の痛みと傷の痛みと息苦しさでものすごくしんどくなってきた。
夫が、「説明受けたよ。筋腫とったって。あと他はすごくきれいだったよ。これでまた長生きするね」と言う。
いろいろ質問したような気もするが、何も話してなかったのかも。
記憶が無い。

 まだ酸素マスクをしてるんだけど、これがつらくて夫に「はずしていい?」と聞くと「でも、酸素かなんか出てるみたいだよ」と。暑くて汗びっしょりかくわ(電気毛布がかけられていて最強になっていたらしい)息は苦しいわ。
熱も少しあるようだ。
 吐きそう・・・と言って夫に容器をもらってもらう。
でも、吐くものも無い。「うぇ・・」となった時に、お腹に力が入って死ぬほど痛かった。
結局吐く事はなかった。時々来る看護婦さんに「おしっこが、おしっこが・・・」と言っていた(と思う)。
何度も夫に(管の先の入れ物に尿が)「出てる?出てる?」と聞いた。
「うん、たまってるよ」と夫は言うのだが、なんだか、嘘ばっかり〜全然おしっこ出てな〜い!って気がするのでなんとか頑張って自分で出してみよう、と思い、夫に「ちょっと離れてて」と何度も言ったような気がする。でも、結局出ないんだけど。

 この時って、尿道にカテーテルが入っていたんだろうけど、すっごく違和感があったので、うまく入っていなかったか、体がまだ慣れていなかったか、どっちかだったのかなぁ。
なんだか、傷が痛いのか膀胱が痛いのか、息が苦しいのかよくわからなくなってきて、呼吸が荒くなる。看護婦さんが「痛み止めの座薬入れましょうか?」と言うのでいれてもらう。

 痛み止めのせいかだいぶ寝たと思う。
起きた時には、膀胱を刺激される感じが消えていた。
ちゃんと入れなおしてもらったのか、私の尿道が慣れたのかわからないが、あの膀胱が破裂しそうな不快感はとりあえずなくなった。
結局吐く事はなかった。
 頭が低くて「しんどいよ〜」と夫に言うと「枕してあげようか?」と言われたので「うん、してして」と頼む。
ちょっとラクになったかな。(あとで看護婦さんに怒られたのだが^^;)
酸素マスクもはずしてもらって、ずっと夫と話していたような気もするが、うんうん寝ていた気もするし、多分夫は面会時間終了の9時までいてくれたと思うのだが、ほとんど朦朧としていて覚えてないのだ。後でよく聞いておかなくては。
でも、サッカージャマイカ戦の様子を何度も夫にしつこく聞いていた記憶が・・・                       ↑余裕だな

 導尿は明日の昼までということで、そんなに我慢できるかなぁと落ち込む。
それでも、違和感がなくなってずっとましになったけど。
寝返りを打つたび、お腹が痛い。大きな水の塊がいくつもお腹のなかにあって、それが内臓の中にぐるりんと入り込むようないやな感じがする。
でも、寝返りを打たないと体が痛くなる。
腰が痛くてたまらない。

 1時間に1回くらい(多分)血圧と脈を計りに看護婦さんが来るので、そのたびに目は覚めるのだけれどあとは結構深く寝ていたのかも。とにかく長い夜だった。
こんなにしんどいとは思わなかった。
下半身がまったく自分のものでないように、重く横たわっている。



2002年10月15日(火) 腹腔鏡検査のため入院

 いよいよ、明日の検査のために今日から入院。
結局、いつものようにぎりぎりまでバタバタ。
家のこと、仕事とも中途半端なまま出てきてしまった^^;
銀行によって振込みを済ませてから行く。
 指定された2時に15分ほど遅れてしまったが、急に降り出した大雨の中病院へ。
術前はこの部屋に決まっているということで、213号室と言う2人部屋に案内される。
ナースステーションのすぐ近く。
 温泉旅館にあるようなビニールのポシェットに入った洗面用具一式と、ピンクのかわいいパジャマ、しっかりした紺のチェックのスリッパを渡される。

 検尿をして、院内の案内をされてあとはやることなし。
持ってきた本を読む。
以前買っていた「わが家の新築奮闘記」。宇宙物理学博士の池内了という人のエッセイなのだが、読み進んでいったら、奥さんの池内靖子さんとはあたしが大学1回生の時の英文学の先生であったということがわかった。
 ご主人が描写する靖子さんの人柄というのが、なんともおもしろい。
一歩間違えば悪口に聞こえるのだが、きちんと愛情が感じられていて、「あぁいいご夫婦なんだな」というのがわかる。

 しばらく本を読んでいたが疲れてきたので今度は友人に携帯メールしまくる。
今日は息子はkimkim家に帰りそのまま夕飯を食べさせてもらって夫を待つというスケジュール。
19時に浣腸の予定なのでそれを考えると気が重い。
浣腸って、お産の時に一度した記憶があるけどイヤな気分だったもんな。
これを趣味でやる方たちがいるとは・・・あたしには絶対わからん〜。^^;
18時頃が夕飯のはずなのに来ない。
忘れられているのかなぁ、19時に浣腸だよ、それまでにお腹にいれとかなきゃまずいんじゃないの?などと気を揉んでいると、18時40分にやっと運ばれてきた。
すげーごちそう。
ごはん、きのこのパイシチュー、サーロインステーキにつけあわせはブロッコリー、ポテト、ニンジン。
大根ともやしの中華風サラダ。トマトのカップに入った卵サラダ。
完食しました。

 食べたばかりなのに、看護婦さんが200mlくらい入ったポリ容器を持って現れる。
お尻からちゅうううっといれられ、「トイレで我慢してくださいね(^.^)」と言われる。
おお〜、トイレで我慢できるってなんかいい。
あ、でも、かえって精神的につらいかも。
5分は我慢しようと思ってカウントしはじめる。3分くらいで「もう、だめ・・・」気分に。
 ・・・・・・・・・・すっきりしますた。

 そうこうしているうちに、8時ごろ夫と息子がやってきた。
夫いわく、息子は病院が近づくに連れて口数が少なくなり、自分の手の甲を吸ったりして、不安になっていたらしい。う〜ん、かわいいヤツめ。
「一緒にジュース買いに行こっか」とベッドを降りようとすると「いいよ、いいよ、ママ安静にしててよ」と。今日はまだまだ元気なんだよ〜ん、と言うとすごくうれしそうだった。
 michyよりお花が届く。木曜日には顔を見に行くね、と言われていたのだが、いろんな人の腹腔鏡検査日記を見てみると、術後1日目って結構しんどそうなのであるので、とりあえず「その日はしんどそうなんで、また元気になったら顔見に来て」と言っておいたのだ。
 21時になり2人が帰った後、看護婦さんから「軽い安定剤ですよ」と薬を渡されその後絶食を言い渡される。ネットで調べたところ、だいたい手術の前の日はこの手の薬が出されるらしい。
あたし、どんなことがあってもがーがー眠れるんだけどなぁ。
あまり無駄な薬飲みたくないなぁと思いつつも結局飲んだ。
義妹の差し入れの漫画読んで就寝。まだまだ楽勝気分。



2002年10月14日(月) 生ポール

 朝から荷物が届く。
夫へのプレゼントのミニギター。
来月の14日で結婚10周年なので、何かプレゼントしたいな、と思っていた。
キャンプ関係のサイトを見ていたら、「アウトドア用ギター」とか言って紹介されてたんで即買ってしまった。
 ミニギターといえば何年か前にぞうさんとか流行ったけど、今、女の子とか子供用にアコギの小さいのが結構流行っているらしい。
入荷まで1ヶ月待ったのよん。
フレットのところはまったく普通のギターだけど、胴体がウクレレ並みにちっちゃいので軽くて邪魔にならない。
これなら、キャンプのとき以外でも、家で弾くのにもよさそう。
音とか気にいってくれるといいんだけど・・・。

 夫のほうも10周年と言う事で、前から「11月17日の日曜日空けといて。デートしよ。」と言っていた。
腹腔鏡検査のあとのご褒美も兼ねているらしい。
きっと、自分がライブに出るか、知り合いの店に誰か来るんだな?と思っていた。
そういえば、谷○さんの店にBro.コーン見に行ってからごぶさただな。
子供は実家に預けると言っていたし・・・。
しかも、預ける事お義母さんに頼んでおいたよ、と言ったら「ちょっと待って、今調整中だから」とかなんとか壮大な段取り組んでる感じ。

 仕事から帰ってきた夫にまずあたしと息子と2人でギターを手渡す。
すごく喜んで、さっそくbluesmanになって弾いていた。
まさかあたしからギターをもらうとは思ってもいなかったようで、ほんとにうれしそうで。
 いや、あたしだってギター弾いたらいかんとは言わんよ。バンド仲間やんか。
(あたし達は同じ大学の同じ音楽サークルで知り合い、4年間を熱くロックに燃えました(笑))
ただ、あたしが愚痴や文句を言い出すと、聞こえないフリしてギターを弾きだすのがいかん、と。
まぁ、指もなまっているようだから、ここはひとつ昔の超絶テクニックで弾きまくってほしいモノです。

 で、夫はまだしばらくは黙っているつもりだったと思うんだけど、もらったからにはこっちもお返しするぜぃって感じで、営業カバンの中から取り出した封筒。
中には、なんとポール・マッカートニーのコンサートチケットが2枚!(*゚∀゚*) 
S席っ!前から13列目!!
で・・でもこれ大阪ドームだよ・・・^^;
行っちゃうの?行っちゃう?まじ?行くよね。ポールだもんね。60歳だもんね。
 夫は密かにエア&ホテルのパンフももらってきていて、「USJのパックが一番安いんだよ。USJは別にいかなくてもいいしね。」と見せてくれた。
熊本大阪往復飛行機とUSJオフィシャルホテル1泊で1人37000円。
USJか〜、じゃ子供も連れて行こう、USJも行ってこよう!というわけで、結局2人だけのデートの予定が家族旅行になってしまった。
ま、今回の入院では息子も寂しい思いをするわけだから、彼にもご褒美あってもいいよね。
でも、コンサートが日曜日の夜なので、一緒に行くとなると学校を1日休ませなくてはならないのが残念だが。
 息子もなんだか親の盛り上がりように自分もわけわからずも盛り上がっていた。

 明日から入院とは思えないお気楽な雰囲気で、しかも相変わらず前日になってもなんの準備もしていないといういつもの調子だけど、なんだか幸せな一夜だった。
その先に大きな楽しみ事があるということは、目の前にある心配事のほとんどを吹き消してくれるんだな。



2002年10月13日(日) 人生はうまくできている

 一日中仕事していたので、だいぶ息子は退屈していたようだった。
帰り際、あたしが自分の車や家の鍵の束をどこに置いたか忘れてしまい、30分くらい必死で探しまくった。
家中のありとあらゆる場所。会社のごみ箱の中まで。
時間はどんどん遅くなっていく。
泣きそうになっていたところ、なんと机と壁の隙間から息子が探し出してくれた。机の上をあたしがあまり散らかしていたので、下に落ちたのに気がつかなかったらしい。
それにしても、よくこんなところ、見てみたもんな。
だてに名探偵コナンいつも見ているわけじゃないな。
なんだか鍵のトラブル続き。

 ご褒美に、帰り道で2時間食べ放題の店に寄る。
8時15分から食べはじめたのが、ふと気づいたら今日は東京に出張中の夫にF1を録画しておくように頼まれていたのだった。遅くとも9時20分にはここを出なくてはならない。あほや・・・。
なんでこういきあたりばったりなんやろう。
 仕方ないので短時間で思い切り食べまくって、ケーキも3個も食べてコーヒーも2杯飲んで元は取ったで〜、と急いで車を走らせる。

 佐藤琢磨に負けないドライビングテクニックでジャスト2分前に到着。
ビデオセットし、またも「あたしってすご〜い」と、反省しない綱渡り人生なのであった。



2002年10月12日(土) 転ばぬ先の・・・

 市民大学の宇宙講座2回目。
まぁ。お爺さまお婆さまばかり。
思わず健康食品のマルチかなんかかと思っちゃいました。
 小学生にもわかる内容、と言っていたけど、やはりいくら星が好きと言っても息子にはまだ無理無理。
確かに市民大学というだけあって、かび臭い中央公民館の地下で聞く講義は20年前のキャンパス(死語)の雰囲気を思い出させた。

 昼ご飯食べてから会社行くか、と思って歩いているとあたしの名前を呼ぶ声が。
おぉ、息子のガールフレンド愛ちゃんじゃん。
愛ちゃんの中2のお兄ちゃんが、この宇宙講座が聞きたいという事で一緒にお母さんと愛ちゃんも申し込んでいたらしい。
出会ってしまったからには、お決まりの愛ちゃんの「ねぇ一緒に遊ぼう!遊びたい〜!いいでしょ〜お母さん〜」らぶらぶびーむ炸裂である。
とりあえず一緒にお昼ご飯食べる事に。
狙ってた、バイキングの店が平日だけということが判明し、一旦車に戻り、近くのファミレスへ。

 愛ちゃんのお母さんと久々にいろんな話。
彼女はあたしより年上で、いつも穏やかでとても感じのいい人だ。
あたしとは正反対のタイプなのだが、親子ともども仲良くしてもらってありがたい。
 昼食の後、なおも遊びたいという愛ちゃんに、「ごめんね〜、これから泊りがけでお仕事にいかなくちゃいけないの。月曜日だったら遊べるよ?」という事で月曜日に愛ちゃんの家で遊ぶ約束をして別れる。

 会社に着いて、ふと気がついたのだが、今日は義父母は大分へ行っていて誰も実家にはいない。
そして、あたしは泊まりだというのに会社の鍵しか持っていなかった・・・・・・(;´Д`)バカ。家入れないじゃん。
んが、歩く危機管理センター我が義父のこと、外のどこかに鍵を隠してあるはずだ、という事に気づき、携帯に電話してみる。
義父は何事もトラブルがないように二重三重に防御策を張りめぐらせておくような人なのである。
絶対に「自分が外出先で鍵を無くしてしまった時のために」この敷地のどこかに鍵が隠されているはずだ。
やっぱり、思ったとおり。無事に鍵をゲットして家の中へ。
いや〜、いつも皆でお義父さんの事を笑っているけど、今日だけは尊敬しました。
あたしも帰ったら必ずどこかに鍵を隠そう。

 誰もいないので、実家の方に書類を持ち込み、息子と一緒に早めに寝る。



2002年10月11日(金) プチ兄弟気分

 午前中、学級委員の仕事で学校へ。
その後kimkimとkankan(2人とも学級委員仲間)と3人で我が家へ移動し、学校に提出する書類を作りながら買って来たお弁当を食べる。

 この3人で話をしだすときりがないんだけど、楽しいんだなぁ。
2人とも、今度の私の入院の件ではすごく力になってくれてありがたい。
kimkimのところの子供と息子は仲良しなので、今日は一緒にウチに帰ってきたのだが、そのまま「泊まって行きたい」と言い出した。

 今日は今年最初の鴨鍋をする予定だったのだが、息子と2人じゃつまらない、一緒に食べようというわけでお泊りする事に。
kimkimの子もウチの子も、暴れん坊というよりはよくマンガにでてくる「ハカセ君」タイプなので、大人しくて手がかからない。
一緒に仲良くお風呂にはいってご飯を食べてゲームをして、歯を磨いて、トイレまで一緒に行って(おい^^;)楽しそうであった。
 夜更かししたそうだったけど、11時には電気を消して寝てしまった。
子供が2人ってなんか楽しいなぁ。よく家族ぐるみで友達が泊まりに来ることはあるけれど、子供単体でってはじめてかも。
息子のパジャマ貸してるので、なんか、同じようなのが2人うろうろしてるのって新鮮でおもしろい。

 鴨鍋がおいしかったので、手術向けて月曜日から禁酒していたのに、缶ビール2本飲んでしまった。いい気分♪



2002年10月10日(木) 風邪かも

 まったく・・・。運動会の日だけ雨でその後ずっといい天気でやんの。(ーー;)
今日は10日で仕入先への支払日。

 めったに体調を崩さない私だが珍しく頭がずきずきするので、生理のせいかなぁと思ったがとりあえず昼寝。
ゆうべも早く寝たのに眠くて仕方がない。
風邪かなぁ。やだなぁもうすぐ手術なのに。

 息子が帰ってきてバイオリンに送っていき、車の中でまた30分ほど寝る。
本格的にやばい感じ。
「ママ熱があるみたいなんだよね〜」と言うと「無理しなさんな」と言われた。
しなさんな・・・って。^^;
 家に帰ったら息子が二階から布団と毛布と枕を運んで降りてきた。
彼はいつも私が具合が悪いとこうやって茶の間に布団を敷いてくれるのだ。
息子が熱を出した時も、テレビ見ながら寝ていられるように茶の間に布団を敷いてあげるので、「熱=茶の間で寝る」という図式ができているのだろう。
でも、こういう優しいところって父親ゆずりで、彼の良いところなのだ。
幸せ幸せ、と布団にもぐりこむ。

 30分ほどまた寝てしまった。
起きて夕食を作り二人で食べる。
食べている間になぜか汗ばんできた。「お、こりゃもう復活だな」と思う。
だいたい私は風邪ひいたかな?と思ったらとにかく何があろうと寝まくることにしているのだが、ほとんどはそれで治ってしまう。
食べ終わった頃には体のじんじんした感じはなくなっていた。

 7時になり、息子を少林寺拳法へ送り、待っている時間に美容院へ。
初めて行ってみたところだけど、いい感じにカットしてくれた。
しばらくはここだな。
でも、カットしながらずーっとしゃべりかけられたのはちょっと疲れたかも。
どうやら風邪(?)も治ったようでよかった〜。



2002年10月09日(水) 模様替え

 今日は朝から部屋の模様替え。
ソファの場所を変えたかったので、いろいろ考えていたのだが、昨日焼肉やでkimkimが「テレビを床の間に置いたらどう?」とアドバイス。
あ〜いいかも、それ。
kimkimはうちの書類山積みの廊下も気になっていて「ここをもうちょっと整理して机とかおいたら仕事するスペースが作れると思うのよね〜」と、なんだか近藤典子氏のような発言をいつもしている。
とりあえずkimkim案で家具を動かしてみる。
 結局テレビやステレオの場所まで1人で全部移動。アンテナからオーディオから配線ばっちりできる私って、もしかしてダンナいらず?
でも、部屋がすごく広くなって気持ちいい♪

 息子帰ってきて大喜び。
「このムードがいいねぇ。」ってオマエ何歳や。
前は縁側にソファを置いていたのでなんとなく狭苦しかったのだが、今度は縁側が何もなくて広々。少し明るくなった。
最近家のこと何もしてないが、いろいろ手を加えたいところはたくさんあるんだよな。
まずは掃除か。



2002年10月08日(火) カーン様(はあと)

 10時半から日曜の運動会の続き。
息子たちの競技は「ベッカム様になりた〜い(はあと)」というやつ^^;
「スタートして段ボールでできたキャタピラで走り、カードを拾い、書いてある数字同士でペアを組み、ビニール袋の中にふたつ入っているサッカーボールを2人で蹴って、カーンが立ちはだかるゴールへ。うまくシュートを決めて憧れのベッカム様になりましょう。」だそうで。
 教頭先生が作り物の異様にでかいグローブをつけて、背中に「カーン」と書いたTシャツを着て立っている。
う〜楽しそう。こういうの大好きじゃ〜。
 
 とにかくあたしはお祭り騒ぎが好きなので、今年の校区運動会もヤル気まんまんだったのだが、なんと10月20日。入院中じゃん・・・。残念。
一昨年はビール早飲み競争で一位で飛び出したもかかわらず、その後の魚釣りで全然釣れず、器用なお母さんたちにどんどん追い抜かれて結局ビリだったという、屈辱的な敗北を喫してしまった。
その後、息子に魚釣りの極意を教えてもらい、密かに練習を積み、自信満々だったのに、なんと去年は毎日の雨で、順延、順延、結局中止という事態に。
 来年こそは一位になってやる。

 息子の方も「僕キャタピラ大得意だよ」と言っているだけあって、一位で飛び出したが、ペアを組むところとボールを蹴るところでだいぶ遅れて結局6組中4位。
どうも親子そろって中盤から息切れするタイプか?
終わってから、息子に「まんがんきを見て」と言われて日曜日からそのままになっている生徒観覧席へ連れて行かれる。
あ〜「万国旗」ならぬ「万顔旗」ね。
一人一人が自分の似顔絵を書いて「最後まで走りぬくぞ!」「綱引きを頑張る!」などと意気込みが書いてありそれが万国旗みたいに飾られてあるのだ。

 息子は去年の夏休みの絵画教室で素敵な先生に一度指導してもらった事で、絵がものすごく良くなったのだが、確かにこの絵も上手だった。
デジカメ持っていかなかったので、とりあえずビデオに納める。

 終わった後はkimkim、kankanと焼肉やでランチ。
手術の時のいろいろ段取りをお願いする。
うあ〜、いよいよ近づいてきたわ。



2002年10月07日(月) 大分へ日帰り

 今日は大分に住む義妹のところへ日帰りで行く事に。
 9時ごろ家を出て、R57で阿蘇から竹田経由で大分へ。
いつ走っても阿蘇は素晴らしい。
もしかして1人でこんな長い距離ドライブって結婚以来初めてじゃないだろうか。
清志郎など聞きながら気持ちよく走る。

 義妹とは結婚当初はなかなか打ち解けられなかったが、子供ができていろいろ
話をするうちに、ものすごくあたしを頼りにしてくれるようになった。
女の姉妹のいないあたしにとっては、本当の妹のようにかわいい存在だ。
お昼ちょっと前頃に到着。
久しぶりに見る甥はますますやんちゃそうになっていた。
2人で、甥をお風呂に入れ夕方までいろんな話を。
といっても、だいたいが義父の話になるのだが。
まぁ、うちの義父はちょっと変わり者というか、だいぶ変わり者というか、
あたし達家族の会話の7割は義父のことといっても過言ではないかも。

 義妹はあたしが遊びに行った事ですごく喜んでくれた。
心配事があったけど、くだらない話で大笑いしているうちになんだか吹き飛んでしまったようで。
よかったよかった。
お義父さんの困ったばなしも、何かの役にたつものなのね。
8時半頃家の近くの店で1人で夕飯。
今日から手術のために禁酒することにした。
 夫が実家から息子を連れて一緒に帰ってきてくれた。
3人で10時ごろ就寝。
往復270キロのドライブであった。



2002年10月06日(日) 運動会

 運動会。朝起きたらお天気が良くなりそうな感じ。
6時に爆竹が鳴る。これは定時に運動会挙行という合図である。
二日酔いで寝ている夫に一瞥をくれ自転車で学校へ場所とりに。
夫は去年も二日酔いだったような。それでも去年は見にきたけれど、今年は研修会のため来られないのだ。
研修を受ける先生の中にも小さなお子さんのいる人もいるだろう。
今日運動会のところ多いからな。
う〜ん、奥さんに恨まれそう、うちの会社。

 義父母のために豪華お弁当を作り(毎年あたしはヨメとして頑張る)お重につめる。くだものやお茶、ビデオなど用意したら結構な荷物。
義父母とあたしと3人で手分けして持っていく。

最初の開会式の時点ですでにパラパラと雨が。
しかも西の空が真っ暗。
でも、急に日が射しこんできたりして安定しない。
運動会では、一学年がだいたい3種目する。
徒競走、表現(ダンスやマスゲームなど)、技巧走(借り物や障害物競争など)
この中で、お笑い系(?)の技巧走は火曜日に延期。
真面目系の徒競走、表現そして目玉の団対抗リレーのみ今日やって、お昼前には
閉会式まで済ませてしまうのだそうだ。
楽器を使うマーチングなどは雨対策のために開会式直後に持ってきたり、プログラムが大幅に変更になった。

 困った〜。
こうやって突然順番が変更になると、ぼーっとしている我が息子、皆が入場門で待機している時に、トイレ行ってていなかったりする。絶対、する!
皆がきれいに輪になって、踊りはじめた頃、ズボンを上げながら走ってくる息子の
姿がはっきりあたしには見える。
だって、人の話や放送を絶対聞いていないんだもの。
あとで、注意しにいかなくては。

 徒競走は6人で走る。
2年生なので、去年のように直線ではなくカーブを走る。
それでも、高学年になると例のオリンピックみたいな、内側は後ろの方からスタートっていう形式でやるのだが、まだ小さいので一列でスタート。
で、息子はなんと一番内側。
これはラッキー、めちゃラッキー。
いいスタートを切って2位でずっと走っている。
んが、最後の最後で抜かされてあえなく3位でゴール。
ま、彼にしては頑張ったでしょう。

 ダンスは「オーレ!チャンプ」「MUGEN」「島歌」をメドレーにしたサッカーワールドカップがテーマ。
はっきりいって、うまいです。我が息子。
走るのは遅くても歌やダンスは上手。
やっぱウチの子だわと大満足。

 雨は小雨が降ったりやんだりしているが、まだまだ競技ができそうなのに11時半には閉会式になってしまった。
いかにも校長先生らしい決断。閉会式とか来賓挨拶とかはずせないタイプなんよね。
あたしが校長だったら、雨が本降りになるぎりぎりまで、子供の競技をひとつでも多くやってしまうね。
閉会式なんてなくたって、そのほうが絶対子供も親も楽しい。
だって火曜日になれば(月曜日はちゃ〜んと代休)、お仕事の保護者は見られないじゃないか。
ま、雨の中競技させても「おかげで風邪をひいた。責任取れ」なんて文句をいうバカ親もおるから難しいところだろうけど。

 解散になったため、家に帰って義父母と息子と4人でお弁当を食べる。
こんなんならお弁当、家において行けばよかった。
それから、息子は義父母の家に。いつも運動会に2人が来てくれたあとはそのまま一緒にお泊りなのだ。
さて、来年の運動会はどうなることやら・・・・・。
あ、順位じゃなくて天気です。
順位はまったく期待してないので。



2002年10月05日(土) 一度で終わって欲しい弁当作り

 月例会議。息子を送り出してから急いで会社へ。
会議は2時くらいまでかかったようだが、私は途中で抜け出して帰宅。
留守番をしていた息子と一緒にお昼ご飯を食べてから家の片付けなど。
明日は運動会で義父母がくるので、一応掃除機くらいはかけておこう、と。

 どうも明日は天気が悪そう。
自慢じゃないが息子の今までの運動会人生4年のうち、一度として問題なく運動会が
執り行われた事が無い。運動会だけでなく遠足も。
雨天順延、場所変更、開始時間変更。
どうせ、明日も・・・と思っていたら天気予報によると「午前中50%午後から80%の降水確率。ところにより雷雨」だって。もう、笑っちゃうしかない、これだけ続くと。
しかも今日まで5日間ずっと快晴。月曜日も晴れ。
日曜日一日だけが雷雨・・・・^^;
しかし、午前中は持ちそうだ。う〜ん・・・難しいところだなぁ。
でも、朝のうち曇りということは多分時間どおりやるだろう。
そして、来賓競技なんかをカットして時間短縮して雨が降る前に終わるのではないか、と予想して、とりあえずお煮しめだけは作っておく。



2002年10月04日(金) 4時間後には起きねば

 自宅でずっと会議資料作りと決算処理もろもろ。
夕方、税理士さんと決算の打ち合わせのため会社へ。
息子を夫の実家に預け23時過ぎまで仕事を片付ける。
普段なら夫の実家に泊まっていくのだけど、明日は土曜日でも運動会の準備で学校があるので帰らねばならない。
いつもは高速を使うんだけど、息子もお風呂もご飯も済ませて車に乗ったらすぐに寝てしまったので久しぶりに国道で1時間20分かけて帰る。
すでに25キロ以上ある息子を車から降ろして2階まで運んでいくのは一苦労。
2時半頃就寝。



2002年10月03日(木) 38歳おめでとう

 38歳の誕生日であります。
 
 朝からお花やら電報やらたくさん届けられる。
毎年夫の仕事関係の方からの決まった贈り物。
社長本人がやってるのではなくデータに基づいて秘書がババ〜ッとやっているのはわかるけど、それでもすごく、すご〜くうれしい。

 実家の母に電話をして恒例の「産んでくれてありがとう」を言う。こっぱずかしいのだけど。
何年か前に流行った「日本一短い母への手紙」という本にすごく感動したらしいうちの母。しっかり送ってくれました、その本を(笑)
他にも「紀子様の育児日記」とか「美智子様 愛と感動の旅路」とかも我が家の本棚にある。
「全盲の画家 魂の叫び」とか「詩画集 小児麻痺なんかに負けないぞ」「暮らしイキイキ 知恵袋」とか、まぁよく送ってくるんですわ。
婦人会で寄付をかねて買うらしいんですが。

 で、その「母への手紙」の中にあった誰だかが詠んだ一節が「産んでくれてありがとう」なのだ。
本にはさまれていた母のメモに「お母さんはこれが一番好きです」と書いてあったので、その次の年のあたしの誕生日に手紙に書いたら、まぁすっかりあたしのオリジナルセリフと思い込んで喜ぶわ喜ぶわ。
顔から火が出るほど恥ずかしいのをこらえて、欽ちゃんになったつもりで、今年も言いましたよ。
「お母さん、38年前の今日、産んでくれてありがとうね」

 う〜ん・・。心で思ってても口に出すのは難しい。
親ももういつ死んでもおかしくない年齢になっている。
お金もかからず手間も要らず、ただ素直に自分の気持ちを相手に伝えるだけで
自分も相手も幸せになる。照れちゃうけど、喜んでもらえてよかった。

 昔、何かの雑誌の投稿コーナーで、60歳くらいのご婦人の話が載っていたのを読んだ事がある。
「昨日は息子の誕生日。遠くに住んでいる孫から電話がかかってきました。
『おばあちゃん!ありがとう』『え?』『ボクが今いるのはおばあちゃんが今日パパを産んでくれたからよ。だからおばあちゃんに感謝しなくちゃダメよってママが言ってたよ』私は涙が出るほどうれしかったです。」とな。

 次の瞬間あたしの頭に浮かんだ言葉。
「うわ〜うまいことやったなぁ、このヨメ」
次回、夫の誕生日にはぜひ使わせていただきます。
あ、もちろん、心からそう思っておりますので、お義母さん^^;

 今日はバイオリンのレッスン日。
息子が5歳の時から使っている今のサイズ(8分の1)がもう小さくなったので
先生に探してもらっていた。
このひとつ上だと、もうすぐに小さくなってしまうため、ふたつ上の4分の1という
サイズにしましょう、と言われていた。
 最初に新品で先生の斡旋で買った今のバイオリンは一式5万円。
今回は、教室の生徒の中古を探してくれると言う事で、お願いしていたのだが
何しろ、未知の世界。いったいいくらかかるのか見当もつかない。
15万円を越えるようならちょっと考えさせてもらおうか・・・と思っていた。
コドモだからそんな高いはずはないだろう、とは思うが、やっぱ小さくてもバイオリンはバイオリンだからなぁなどと思ったりまったく予想が出来ない。

 そして先生が探してくれたのが5万円(元値10万円)のものと8万円(元値12万円)のもの。ケース、弓はあるが肩当(3000円くらい)がついてないので別に買わなくてはならない。
夫と相談して、3万円の差なら高いほうにするかぁということに。
こういうのはやっぱり一人っ子ならではかも。
たしかに楽器というものは、化粧品や洋服と違って「安くてもいいものがある」という世界とはちょっと違う。
楽器はやっぱり高ければ高いほどいいというのが定説であって。

 今日はその新しいバイオリンを受け取る日。
夏休みに実家でたんまりお小遣いをもらっていた息子の貯金通帳から8万円おろして先生に渡す。
ヘタな息子が弾いても音が全然違う。サイズが大きくなってより音が響くようになっているのはもちろんだが、音の質(深みがある)が違うのだ。
表現が出来る余地があるというのだろうか。
やっぱりこれに比べれば、前のなんかおもちゃみたいなものだ。
う・・・でもこうやってだんだん金銭感覚が麻痺していって、50万円とか楽器に払うようになってしまうのだろうか?
あ、でも今50万円って言われても貯金ないけど^^;

 息子はすごくすごく喜んでいた。
この子はうれしい時、こっちが気持ちがいいくらい喜ぶ。
「すごい〜!すごい〜!!うれしい〜!」と満面の笑みだ。
そんなにうれしいくせに、どうして練習をしろというと、ふてくされるのだろうか?
ま、とりあえず、「やめる、やめない」論争はこうして新しいバイオリンを買ってしまったからしばらくお預けだな。
こりゃしっかり練習してもらわないと。



2002年10月02日(水) 定例委員会

 11時に学級委員3人娘でいつもの場所に集合。
ランチとお茶で5時間しゃべりまくる。
帰ってから息子がスイミングに行っている間昼寝。
あ、明日こそ仕事せねば(汗)

 夜、立花・武田ペアのシンクロを見る。
いつも「すげー表情」とか笑いの線で見てたけど、いやいや。
多分この2人は、想像を絶するような練習をしてきて、そして、こうやって
水の中で踊る事が好きで好きでたまらないんだろう、と素人のあたしが見ても
わかるほどの素晴らしさだった。



2002年10月01日(火) 麻酔だって体力勝負

 手術の際、全身麻酔となるため事前のチェックをしに病院へ。
レントゲン、問診、肺活量の検査など。
生まれてはじめての全身麻酔である。

 肺活量の検査は、小さな器械にディスポの紙の筒がついたものを
くわえさせられる。
検査技師がスイッチを入れると、例のよく家電である「ドアガヒライテイマス」
みたいな、器械で女の声を合成したのがしゃべるようになっている。
「ハイ、スッテクダサイ。スッテ〜モットスッテ〜、モットモット〜」と指示されるんだけど、異様にこの声と自分の情けない姿がツボにはまってしまって笑いをこらえながらの検査。
「ハイ、ハイテクダサイ。ハイテ〜モットハイテ〜モットモット〜」
ぎゃ〜!おかすぃ〜!!おかげで実力が発揮できなかったよ。
しかし、これエライ苦しかったよ。
1分×2回の潜水を楽勝でできたあたしなのに、肺活量落ちてるなぁ。

 問診では、喉からチューブを入れる麻酔のため、口がでかく開くかどうかチェック。人差し指、中指、薬指3本縦に並べて口の中に入るか。
こういうの得意なのよね。
既往症や家族の病歴等聞かれる。
病院名と同じ名札をつけた年配の女性院長。豪快な感じで好感が持てる。
あたしのカルテを見ながら「スポーツかなにかされてましたか?」と聞く。
「はい。トライアスロンとかテニスとか・・・」
「あ〜、だからすごいんだ。肺活量とか。」とおっしゃった。
え?肺活量よかったの?あれで?
なぜか体力を誉められるとご機嫌になってしまうのであった。

 行きはバスで行ったので、帰りは市電で帰る。
夫に電話してみて報告を兼ねて一緒にお昼を食べる事に。
待ち合わせてうどん屋に入る。もう店内、エアコンははいっていないのだが、
今日は暑いので汗が出る。
その後別れてから夫に頼まれた用事を済ませ、雑貨屋を覗き、家まで45分くらいぶらぶら歩いて帰る。

 夕方はまたも夫に頼まれたセミナーで使う実習用具を探しに、ホームセンターや
ディスカウントショップ、100円ショップへ。
2時間ほど回ったけど、ちょうどいい物が見つからん。
すっかり夕飯が遅くなってしまった。


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