目次過去未来


2001年12月31日(月)  あと5分。

今年中にこれを書いてしまいたいので、ちょっと急ぎ気味だったり。

今日、単純に嬉しかったこと。
紅白で(←見てたことがばればれだが)
和田アキ子が「夢」を歌った。
アッコのファンではないのだが。


と、いうことなので。
明日からもきっといい日になるだろう。
なるはずだ。
いや、絶対にしてみせる。

たとえ、〆切に追われる日々が続いても。


さ〜てと。
今後もよろしくお願いします。
よいお年を。


2001年12月30日(日)  年内のとりこぼしメモ

もうそろそろ1年が終わる。しかし、ただなんとなく生きている身には、「1年」という区切りがピンと来ない。年の瀬と言っても、少しだけ日頃よりも自分の意思に任された、些細な仕事や用事が増えるだけだ。ましてや、21世紀最初の年末、などと言われても。
この時期わずかに高まるのは、年明けの雑煮への期待くらいのモノである。

忘年会という名目で旧交を温められることは、純粋に嬉しい。だが、過去などそうそう簡単に忘れられるわけもなく。また、この1年にあったことを仮に帳消しにできたとして、何か根本的な解決になるとは思えない。

だが、きっと年明け当初にはそれなりの新鮮さを味わおうと足掻くのだろう。そのための、謂わば決算みたいなもの。
まあ実際には、春から使っていた手帳の中に、何か浮かぶと書き残していたメモがあって、せっかくこんないい置き場ができたのだからまとめてしまおうと思い立った・・・ところまでは良かったものの、希代の無精者が日付まで記録しておかなかった故に年末に便乗してまとめた、と。こんなところなので、一貫した主張は微塵もない。いや、そんなモンはいつもないかな?
とにかく、誰かに向けて書いたつもりがないものを、人目に触れるところに置いてしまった。
未練があったとはいえ、ちょっと反省。


***
人に笑われる自分を笑いとばすことのできない人間は弱い。
逆かもしれない。
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全ては己の自尊心のために。
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虚偽のマント。
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暗い衝動とは・・・このことかと思った。
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不安定な人のそばで自分は安定を得る。無理矢理。

不安定な自分を預けきれる唯ひとりの人を探すには、健全な勇気が足りない。
努力も我慢も妥協も時間も、多くのものが足りないらしい・・・。
***


きっと、この流れのままに、いろいろな物事が通り過ぎていくんだろう。
それならそれで構わない。


2001年12月28日(金)  遺伝子/どちらが有利かわからない

男。
見境無く種をバラまくことができる。
同時期に大量の子を作ることができる。

女。
産まれてきた子の血の半分が、
本当は誰のものなのか知ることができる。


2001年12月24日(月)  このまま

こんな二重生活を続けていていいのだろうか。いや、良くないことは理解っている。
こんな生活が、いつまで続くのだろう。こんな生活を、いつまで続ければいいのだろう。

わかっているのは、このことで誰かを傷つけたり殺して(あるいは、使いたくない表現ではあるが「死なせて」)しまったりするのは嫌だ、ということだ。何故嫌なのか。やはり、自分が傷つくからだ。傷つくのが怖いからだ。

誰に何と言われようと、自分の中で何かが変わるまでは、動かせないものもある。

顔に似合わず辛い(hotな)ものは食べたくないのと同じことなのだが、君は責めるだろうか。責められても仕方のないことをしているのはわかっているつもりだ。それでも。
・・・・・・。

「考える」という行為が、こんなに無価値なものだとは。


2001年12月23日(日)  今日も誰かの誕生日。

朝7時。休みの日の東京駅周辺。
日の丸が、きちんと整列している。微かな風に時折揺れる。
街全体が、朝特有の清潔感を与えられて、誇らしげに横顔を輝かせている。

通りに人の姿は少ない。
ふと、ある人のこんな言葉を思い出す。
「正月に、静かに散歩でもしたいと思ったら、
 丸の内辺りに行くといいですよ。本当に誰もいませんから。」
なるほど。

***
この時期、この時間帯に高速道路に入ると、ちょうど目の高さに太陽が来る。
今日もまた、眩しい1日になる。
***

眼下の川を、滑るように1隻の船が行く。
その跡にできる緩い水面の上下に、水鳥はまったくの無抵抗だ。

いま、遠くにくっきりと富士が見えた。真っ白で不動の“不二”。
あんなに堂々としているが、たまには文句のひとつもないのだろうか。
自分だったらきっと思う。「雪つめてーよ!!」・・・・・・。

バスは進む。また、新たな1日が始まるのだ。


2001年12月07日(金)  地平が闇に沈むまで。

薄暮れの向こうの夕焼け空に一条の飛行機雲。
輝き続け伸びては消えるオレンジ。
もっともっと。
闇が彼方を覆うまで。


2001年12月03日(月)  観察と考察

屋外で電話中に、足元に何やら昆虫がいるのを発見。

硬そう・・・。あ、背中触ったら本当に硬い。
色はねぇ、いかにも冬の落ち葉に紛れられそうな茶色で、
形は野球のベースみたいな感じ。羽根って言うより、甲羅のイメージ。
目が、すごく小さい。針の先くらいのが2つ・・・。
(相手は、「ソレどーせ複眼でしょ?」と言った。複眼で何が悪い。)
飛ばないのかな。さっきから歩いてばっかり。
ほっそい脚・・・さすが昆虫・・・。

などと、詳細に実況中継していたら。
「中途半端に言語能力の発達した小学生のよう」*(K.Miyoshi,2001)
と形容された。

なるほど。

発達したのが単に言語能力だけだったら、
もう少しマシな生き方ができたかもしれないなあ。


* K.Miyoshi  Personal Communication.2001/12/2


2001年12月02日(日)  酒と私

上手く付き合えば、とてもいいパートナー。
時々たしなむ程度が最高のようです。
(長寿に効くかどうかはまだ実証されておりませんが。)
本当に相性の悪い人も、たまにはいるかと思います。

ところが、浸かってしまう人がいるのですね。
どっぷりと。のめり込んでしまうのですね。
嫌なことを忘れさせてほしい、と思ったり。
飲んでいるつもりで、飲まれていたり。
一度はまると、なかなか抜け出せないようなのです。

とどのつまりは依存症です。

朝から晩まで。昼夜を問わず。
何かにつけ、「そのこと」が思い出されます。

依存症は、不治の病です。
アルコールの依存症患者が死なないためには、
生涯、アルコールを断つしかないそうです。
トリガー。「引き金」のことですが、
酒を長らく断っていた人が再び飲んでしまった、
そのきっかけの、1杯のことです。
断酒を続けた期間が長ければ長いほど、
油断してもう1度触れようものなら、
反動が大きく、死亡率は高いのです。
歯止めが利かなくなってしまうのですね。
飲み続けることしかできなくなってしまうのですね。
それでしか、救われなくなってしまうのですね。

アルコール依存は、一生、それを断つしかない。

人間への依存は、一体、どうしたら治るのでしょう?


真 |MAIL