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( 人間ていいよ )
2006年04月30日(日)


今頃の季節が過ごしやすくていいなあとは思いますが、やっぱり心が躍るといったら真夏でしょうかね。汗をダラダラかきつつ真昼間からよく冷えたビールを飲んで本を読む!さいこうの夏のすごし方です。

最近、何があったというわけじゃないけれど、元来私は人間というものがとても好きなんだなーと思うことが多いです。人間関係に恵まれてるとかそういうんじゃなくて、例えばバスに乗っている時に誰かがおばあちゃんに席を譲っていたりするのをみた、とかそういう些細な事で好きだなあ…、と思ってじんわりします。これはもしかして年をとったのかなあ。あ、でも逆を言うとね、例えば談合とか汚職とかそういう事件をニュースで聞いても、同じように人間ていいな…とは言わないけど少なくとも人間て(おもしろいな)…!と必ずしもマイナスイメージではないものを感じます。不謹慎かな。不謹慎かもしれない。でもね、私の人間論はわりと包括的なものなのでしょうがないのかもしれないな。
誰の中にも欲を追い求めるだけの、人を傷つけるだけの、衝動がある。ただそれが顕在化するかしないかの話しなだけで、とたまに思います。でもそこがきっと重要なんだと思うのです。そして、そうゆうギリギリのところで葛藤してる部分が人間らしくて私は好きなんだろうなー。だから嫉妬とか、憎しみとか、そういうどろどろした生々しい感情を書いたり読んだり観たり聞いたりするのは好きです。暗い部分があってこそ人間だ、という気がするのですよ。

なーんてなーんて観念論ばかりで退屈ですね。
とりあえず言いたかったのは、結果として全体としての人間とかグループとか企業とかでなくて相手の顔が見えるような、なるたけ一対一で触れ合えるような職業につきたいということかな。

最後に付け加えるとすれば、人間の機微について考えるには、何かお話を書いてみたりするのが良いエクササイズですよ。てことだな。





( 9年目の奇蹟 )
2006年04月25日(火)


またしても久しぶりです。
果たしていまだにここを覗いてくれる方がいらっしゃるのか謎ですが、私は元気です。

そして唐突ですが、今朝、9年間家にいたウサギのももりが亡くなりました。昨日まで元気に飛び回っていたのに、今朝起きたらぐったりとしていて……よくあるじゃないですか「昨日までは元気だったのに…」ていう、まさにあのシチュエーションでした。本当に元気だった。けれどあまりにその命の消え方が自然だったので、違和感はありません。多分ここが、ももりにとっての帰路だったのでしょう。と、思える。これまで人間動物含めていくつかの死に遭遇してきましたが、一番すっと心に広がって納得できる、そんな死に際でした。私が成長したのかな。いやでも、それだけじゃない気がする。
今日は断片的に色々なことを考えます。実を言うとこのももりは同じ名前を継承するという意味で2代目でありました。1代目のももりは、私がまだ小学生の頃に小学校で貰った白いうさぎだったのですが、私はこの子が本当に大好きでした。けれど事故でこのうさぎを失ってしまい(そしてそれは半分が私の責任だと思っています)、それから多分私は無意識にこの子を追い続けています。だから、2代目ももりを可愛がりつつも常に距離を取っていた。それが分かったんでしょうね。思い返せば、決して懐いてはくれませんでした。第一、同じ名前をつける事じたいどうにかしてる。でもうちの父母は同じ名前を付けることにある種の信念を持っているようだったので、まあそれは今となっては納得するしかない話です。多分わたしは、自分が思ってる以上に執念深い性格なんだと思います。未だ10年前になくなったももりを忘れられないでいる。そして、たまにひどく悲しくなる。
そして今朝、2度目のももりの死を見ました。果たして彼は(男の子でした)幸せだったろうかと考えかけて、けれど、おそらく幸せだっただろうと結論するのはただ自分を納得させるだけの苦言に過ぎないような気がして、ただ静かに追憶する。
それでも、この後に及んで1代目のももりの記憶と錯綜するこの思考を許してほしい、と思う。おもいます。

4月25日、この日に。






書き人→葉月
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