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2000年08月07日(月) 第7話 警報のいざない

未明にサイレンが鳴った。
続けて無機質な館内放送が流れる。あらかじめ録音してあるものらしい。ただならぬ出来事に耳をそばだてるが、「警報が鳴りました。ってことはどこかに異常があるようです。たぶん避難したほうがいいでしょう。」というようないかにも緊迫感のないアナウンスである。
「はいぃ?」「避難、するの?」「うーん」「荷造り、する?」「いや、身軽なほうが…」「むー」
廊下の様子をうかがうと、何人か避難をはじめているがこれまた緊迫した雰囲気はなく、まぁ避難しとけ、という感じである。学会に参加している人なのか、軽い旅姿となっている人も居る。ドアの下にはすでに朝刊が差し込まれているが、それを持って避難するのは不謹慎な気がしてそのまま部屋を出る。

人々のあとをついていくと、その先は非常階段である。煙もないようだし、タオルを口にあてる必要もないだろう。無言でぐるぐると階段を下りていくと2階の前庭のようなところに出た。出たはいいが誘導も説明も何もないのでそのまま三々五々そこら辺に腰をおろす。海を渡ってくるひんやりとした風が気持ちがいい。さわやかな空気の中で新聞を読んでいる人もいる。しまった、やっぱり持ってくればよかった。おだやかな中にも静かな、何の情報も提供されない不確かな緊迫感が漂っている。
見るともなしに、非常階段から出てくる人を眺めていると、バスローブを着て頭にタオルを巻きつけた親子連れもくる。足元は裸足である。とるものもとりあえず避難してきた姿勢は評価できるが、もう少し考えないものか。
当日から学会のメインのプログラムが始まるので、前日からかなりの人数が宿泊しているはずなのだが、それにしては避難してくる人数は少ない。

しばらく前庭でぼんやりしたあと、何人かがホテルの建物に入っていった。別に何か起きている感じはしないし、第一ここにいても何の案内もないのである。館内放送も聞こえない。われわれも見切りをつけて中に入ることにした。ホテルのロビーに降りるとやっとホテルの従業員が一人いた。何もなかったのが当然というような表情でしれっとしている。何人かが窓の外を指差しているので一緒になって覗き込むと、ホテルの前に赤い消防車が一台停車している。うーん、やっぱり何かはあったんだ。近くを歩いていた若い女性が「I like it!」といって笑う。これといった出来事がなかったのは幸いだが、確かに消防車ぐらい見かけないとあまりにもむなしい避難行動である。

変な時間に起こされてしまったので、いまいち調子が出ないが、今日はボストンの運河を渡って反対側にあるハーヴァード大学を見物に行くことにしてある。
ハーヴァード大学はもちろんアメリカの一流大学として有名だが、隣にあるマサチューセッツ工科大学(MIT)とともに、所在地の地名がケンブリッジであることはあまり知られていない。というか私も以前は知らなくて、イギリスでとある会合で顔を合わせたMITからきたアメリカ人に「僕達もケンブリッジから来たのさ。」とからかわれてはじめて知った。ここボストンがあるニューイングランド地方には、ポーツマスやプリマスなど、清教徒がイギリスからそのまま持ってきた地名が多い。ここに大学を作ったとき地名をケンブリッジにしたのもうなずける話である。
今回の旅行ではこのハーヴァード大学があるアメリカのケンブリッジとイギリスのケンブリッジに行くことから、この読み物の「だぶるけんぶりっじ」というベタなネーミングが生まれたのだが、つまりそういうことである。
ちなみにハーヴァードというのは大学の創立者ではなく、貢献者の一人の名前である。イギリスのケンブリッジ大学のハーヴァードさんが卒業したコレッジのチャペルには、彼の姿が描かれたステンドグラスがある。
余談だがハーヴァードがイギリス人であるという事実は知らないアメリカ人も案外いるらしい。
英ケンブリッジでガイドをしている女性が米ケンブリッジをガイドの女性に案内してもらった時にその話をしたら米ケンブリッジのガイドは「違う違う、ハーヴァードは純粋にアメリカ出身のboyよっ」と言い張ったそうだ。あら、それじゃインディアンじゃないの、ぷぷぷ。とは私と一緒にその話を聞いたアメリカ人女性の弁である。

とにかくというわけでハーヴァード大学へ行くべく地下鉄に乗る。


2000年08月06日(日) 第6話 海の幸を追え

ボストンは港町なので、海産物がおいしいらしい。特にロブスターやあさりのクラムチャウダーは有名である。
初日は夫が昼休みに見つけておいた景色のよいシーフードレストランに行く。ここは有名人の客が多いらしく、オーナーが歴代の大統領や芸能人と一緒に写した写真をたくさん飾ってある。 プリンス・ヒロも微笑んで写真に収まっている。内装も立派だし、客層もよさそうである。しかしウエイターに飲みもののメニューを見せてくれと頼むと、うちには何でもあるし、メニューなんてないという。不遜な態度である。しかも他のテーブルではワインリストを見ている客がいる。
ロブスターは行く店を決めてあったし、生牡蠣は私が昼間見たオイスターバーがよさそうなので、ボストンの刺し身とクラムチャウダーとフィッシュチャウダー、それからメインディッシュに牡蠣フライとタラをソテーしたものを頼む。なんだかどれもピンとこない味である。料金は高いわ、ウエイターの態度は大きいわ、こんなものでお腹がいっぱいになって苦しいのが口惜しい。唯一の救いは東南アジア系の顔立ちをしたボーイが極めて親切だったことか。同じアジア人である我々を気の毒がってくれたのだろうか。

翌日はオイスターバーに行ってみた。ここはかのウェブスターも常連だったという老舗中の老舗で、店の構えは重厚でいかにも美味を提供しそうな雰囲気である。ボックス席に通されてさっそく生牡蠣とクラムチャウダーを頼む。さて肝心のお味だが、生牡蠣は、まあ生牡蠣である。でも有難味がない。やはり能登半島の新鮮な生牡蠣に慣れてしまったこの身の因果だろうか。別に「いやぁ、能登の牡蠣を食べちまったら、他の牡蠣は食えないねぇ」などと猪口才なことを抜かす気もないのだが…。あれ?それ以前に今はAugust、“r”のつかない月じゃなかったか?食べていいんだっけ?でも、Mayにどっちゃり生牡蠣を食べたこともあるし、まあいいんだろう。
クラムチャウダーもまあまあである。まずくはないが、これなら私が作ったほうが満足のいく味になると思う。ふーむ。たしかにおなかはいっぱいになったが、それほどの感動は味わえないまま店を出た。収穫はむしろ店内にある売店で買ったロブスターの小さなぬいぐるみである。はさみの部分に指を入れて動かせるようになっている。これはかわいい。さらにせがまれてロブスターをかたどった木製のノッカー(knocker)を買う。職場に飾るのだという。うーむ。

結局、今一つのまま時間は過ぎ、ついにロブスターである。ロブスターは市内にいくつかチェーン店もある専門店に行くことに決めている。それでレストランに行くと、入り口にはすでに人が並んでいて、待ちリストに名前を入れると順にポケベルを渡される。30分弱待たされたあと、席につく。愛想のいいでっぷり太った黒人のウエィトレスが注文を取りに来た。私たちの席は彼女の担当らしい。注文するたびに満足げにうなずいてくれる。自然と「よーし、食べるぞー」という気持ちになってくる。クラムチャウダーとロブスター、他にサラダとビールを注文する。隣りの席では、幼い子供がロブスターの姿におびえて泣いている。面白がった親たちに時々ロブスターを近づけられては、火が点いたように泣き喚く。確かに真っ赤で大きなはさみのついたロブスターの姿は恐ろしげである。その恐ろしげな姿のものを丸ごと食す我々もなんと罪深いことか。

しばらくして運ばれてきたチャウダーは、これぞ求めていた味である。量を少な目にボウルではなくカップで頼んだのを悔やみながら「んめえ、んめえ」とペロリと平らげる。 サラダは一つだけ頼んだつもりだったが、同じ物が二つ来た。まあこういうことは多々ある。時を同じくしてロブスターも登場し、テーブルの上は満載である。ロブスターの絵のついたビニールエプロンを着けてもらう。つるつるした素材に印刷されたロブスターは、デジタルカメラで撮ると妙にくっきりと浮き上がって見える。胸元にリアルなロブスターをつけて笑みを湛える東洋人二人。
ロブスターには櫛切りにしたレモンと溶かしバターが添えられているが甲殻類はレモンのほうが合うと思う。味は蟹よりやや淡泊だろうか、弾力のある真っ白い肉がたっぷり詰まっていて、味噌の部分はとろりと意外とイケる味である。バリバリと殻を壊し、むしゃむしゃと食べる。その繰り返しに疲れたころ、急激に満腹感が押し寄せてくる。最後はほとんど機械的に口に運ぶ。

例のでっぷりとしたウエィトレスがやってきてデザートはどうかと聞いてくるが、とてもお腹に入るものではない。お茶だけ頼んで、あとは大袈裟に手を振って断ると愉快そうに笑う。お茶はポットサービスで、面白いことに南部鉄瓶に入れられている。ウエィトレスにこれは日本のヤカンである、と説明すると「それティーポットなんです」と答えが返ってきた。ええ、わかってます。
お茶もたっぷり2人前以上ある。テーブルでお勘定を済ませて、なんとかそれを飲み干し、チップを置いて席を立つ。例のウエィトレスは他のテーブルで接客していたが、私たちの姿を認めると、にっこり笑って「Thank you!」と握手を求めてきた。
もっとチップを置いてくればよかったかと少々悔やむぐらい、心身ともに満ち足りた晩だった。


2000年08月05日(土) 第5話 自由への足跡

今日はFreedom Trailというアメリカの独立にまつわる様々な史跡を歩いて辿るコースを行くことにする。丁寧に見て回ると一日かかるというが、ボストン歩け歩け運動には最適である。出発地点は街の真ん中にある観光案内所なので、そこへ行ってまず地図をもらう。
ガイドブックには、この地点からさあ出発!という印が案内書の目の前の地面にあると書いてあるが、見当たらない。せっかくの気分がそがれたがかまわず出発する。はじめは金ぴかのドームを持った州立会議場。ここでボストンの名物をもう一つ見つけた。JFKである。州立会議場の庭にはアメリカ建国に寄与した様々な偉人や、Websterなどの教育者の銅像が並んでいる。その中の一つにニカっと笑った首だけのJFKの銅像がある。JFKは郷土の誇りである。 JFKの名がついた道路、建物は至るところにあり、JFKの博物館、多忙な公務の合間を縫って家族で休暇に戻ってきたという家もあるらしい。さすがアイドルさすが貴公子である。

Freedom Trailは、順路に沿って道路にペンキか煉瓦で赤い線が示してあって、ともすれば赤い線だけ見つめて進みがちだが、その線を辿ってちゃんと目を上げて歩けば古い教会や墓地、集会所の跡などを順に見ることができる。墓石が朽ち始めている墓地には案内人や案内板が用意されていて、きっとアメリカ人が多いのだろう、観光客が建国当初に尽力した偉人たちの墓石をひとつひとつ興味深げに見て回っている。夏休みのシーズンとあって、家族連れや留学生らしい若者の姿も多い。私にとっては遠い国の昔の事情なのであるが、彼らにとっては祖国の尊厳、自分たちのアイデンティティに関わる史跡である。熱心になるのもうなずける。

日本よりかなり涼しいとはいえ、やはり日中はかなり日差しが強い。途中にスターバックスコーヒーが3〜4軒あって、思わず吸い込まれていく。小休止のあと、古い煉瓦造りの建物が見えてきた。これは当時の州会議場で、その前の交差点にはボストン虐殺事件の現場に丸い大きなプレートがはめ込まれて保存されている。ふむふむなるほどと感心した後改めて建物を見ると、見覚えがある。なんと初日に地下鉄に乗った駅舎ではないか。集会場のように見えたのも無理はない。元が会議場だったのだ。こんな歴史的な建物の地下を駅にしてしまうとは、さすがアメリカ人、身も心も太っ腹である。

さらに歩き続けるとピザやエスプレッソの看板が増えてきた。リトルイタリーと呼ばれる地域らしい。イタリア系の移民が多く住むのでカトリック教会もある。そういえば他にチャイナタウンもあるし、ニューイングランドだといって、英国系清教徒の移民ばかりではないのだと初めて思い至る己の無知。
道は起伏を繰り返しやがて港を見下ろす墓地に出る。この後イギリス人に奇襲をかけた合図が灯された教会、最古の軍艦、砦の跡に立つ記念塔などを順に見て回る。それぞれに逸話があり、イギリスとの戦いにおいてここを舞台にいかなる出来事が繰り広げられたか、自国を勝ち取るということはどういうことか、考えてみる。それらの史跡にはそれらを見つめ、記憶に刻み続ける人々の思いが込められている。

丘の上から街を見渡す。そちこちで星条旗がはためいている。この地で晴天に翻る星条旗は、ひときわ思い入れ深く誇り高く掲げられているような気がした。


2000年08月04日(金) 第4話 ボストン茶会事件

宿泊先はボストンの市街地からは少し離れた埠頭付近にある。ホテルの内部こそ近代的設備がそろった快適な空間だが、一歩外へ出ると人通りはまばらで車通りは激しく、廃屋と再開発らしき工事の他は何もないところだ。ボストン、という言葉の響きから受ける古い落ち着いた佇まいとは裏腹な立地である。
さて、やっと観光(というより探索)の始まりである。ガイドブックや地図を片手にひたすらあたりを歩き回る。新しい場所に引越した猫になった気分である。(c.f "What's Michael?") 地図を見ると、最寄りの駅まで歩くなら街の中心部まで行っても大差ないようなので、今日一日ひたすら歩くことに決める。

まず見えてきたのは古風な帆船である。近づいてみると傍らの小屋に「BOSTON TEA PARTY」と書いてある。おお、世界史で習った「ボストン茶会事件」か。
ボストン茶会事件とはこれまたわけのわからない直訳をしたものだが、つまりイギリスからの紅茶に対する高い関税に怒ったボストン市民が原住民を装って闇に乗じて停泊中の船を襲い、積み荷の紅茶を海に投げ捨ててしまったという歴史的な事件である。別にここでお茶会があって、事件が起きたわけではない。
この船で事件を再現したアトラクションが行われるらしい。植民地時代の扮装をした女性が案内をしている。船の隣りには「集会所」があり、植民地時代の扮装をした男が、群集(客)を前にさかんにアジテーションをしている様子を外から見ることができる。
群集は男が何か叫ぶ度に、「HEY、HEY!」と拳を振り上げて呼応する。日曜日なので頼みの衆もずいぶん集まったようだ。何を叫んでいるのかは分らないが、おそらく「イギリスの圧政ゆるすまじ〜」とか「もっと安く紅茶を飲ませろ〜」とか「やってらんねーぞー」とか叫んでいるに違いない。
いよいよ船の襲撃となると、群集の興奮状態は最高潮である。昔やった「インディアンごっこ」のような赤い羽根飾りを全員が頭につけて原住民に変装する。「HEY、HEY!」も熱を帯び、階段を降りながら男が「Watch your step!」と注意しても「HEY、HEY!」と拳を振り上げる。
船に乗ってから、つまり襲撃してからもアジテーションは続き、最後に代表者二人が積み荷の紅茶(のつもりの箱)を二つどぼん、どぼんと投げ入れてアトラクションは終わりである。積み荷にはロープが括り付けられているので何度でも使うことができる。

脇にある売店に入ると、ボストンはいろいろな面を持った街である、と思う。
このアトラクションに見られるような、アメリカ最古の街の一つとしての歴史的な面、色濃く残るヨーロッパ的雰囲気、ハーヴァード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)に代表されるアカデミックな街、そしてロブスターなどシーフードが豊富な港町、などであり、それらは観光客相手の絵葉書やTシャツのデザインから見て取れる。夥しい数のハーヴァードTシャツやロブスターのぬいぐるみやマグカップの他に目立つのは、紅茶やティーポット、カップの類である。「ボストン茶会事件」=「お土産に紅茶」?。それはあまりに安易では…。
あなどるなかれ、これらの紅茶は無税なのだ。


2000年08月03日(木) 第3話 まだまだ長い一日

バスは町中にやってきた。窓から外を見ると、古い煉瓦作りの倉庫のような建物に人々が入っていく。大人も子供連れの女性もいる。「さあ、どうぞうどうぞ」というように人々を招じ入れる係の男性も何人かいる。何か集会があるのだろうか?と、バスが止まる。一人降りる準備を始めたので、そこに座る、と他の乗客も次々と降り始める。運転手が何やら大声で説明している。
あれ?ここが終点なのか?はぁ、また聞き取れなかった。
とりあえず駅は向うだ、と説明しているので、そちらの方向に歩き始めることにする。あっちか?こっちか?と指差していると、「お力になりましょうか?」と男性が話し掛けてくる。見ると、先ほどのインテリ女性の連れのようである。こちらも負けず劣らずインテリな男性である。人込みを縫って早足に歩く二人のあとを転がるようについていくと、先ほどの古い煉瓦建ての建物に入っていく。あれれ?これが駅だったのか。
男性はそこに待ち構えた駅員に、「Can I ask some questions?」と話し掛ける。駅員は「Yes, you can!」と答えてにっこり笑う。なんとも礼儀正しい会話である。インテリ男性は私たちの分も質問してくれ、ついでに路線図で一緒に確認してくれる。我々が理解したと見ると、また驚くべき早足で二人はホームを目指して歩き去っていった。どうやら彼らも地元の人ではないらしい。旅先で人の情が身にしみるのはこういう時である。

ホテルは駅の近くだというので安心していた。が、目的の駅を降りてもそれらしき建物は見当たらない。ホテルの地図とガイドブックを突き合わせてやっと彼方にあることがわかる。怒る私に、案内にはminute walkって書いてあったといいはる夫。証拠の紙を出させてチェックする。…複数形のsを見落としていたらしい。力なくとぼとぼとホテルを目指して歩いて行く。行く手に飛行機が離着陸するのが見える。それって、それって、空港のすぐ近くってこと?
チェックインを無事済ませ、機内でおやつに配られた「赤いきつねミニ」を夕食として仮眠をとる。件の飛行機が着くまでまだ小一時間ある。はぁ、いったい空港からここまで何時間かかったのだろう。
目覚まし時計にたたき起こされ、身支度をしてタクシーに乗る。ホテルのフロントの話では料金は10ドル程度だという。そんなに近いのか。夜ともあって、渋滞もなく、10分もしないうちに空港の敷地内に入っていた。トンネルを抜けるとそこはもう空港だったのである。運ちゃんが「どの飛行機に乗るんだ?」と聞く。ターミナルDに行ってくれ、というとそんなとこから出る飛行機はない、と怪訝な顔をする。「出発じゃなくて、到着にいきたいんだ〜」と叫ぶと、ちょうどいい場所に止めてくれた。

飛行機が着いても、荷物が出てくるまで時間がかかるので遅めに出たのだが、コンベヤーのあたりは閑散としている。荷物が届いている気配はない。電光掲示板を見ると、9時45分着の便は更に1時間近く遅れて到着することになっている。いったいいつまで待てばいいのだ。一応周りに置いてある荷物を確かめて、再度バゲージクレームに行く。係りの女性は私たちのチケットを見て、いったいあなたたちどこからここまで来たの?と驚く。いや、これがキャンセルになったからその一つ前ので来たんだけど、荷物がこないので取りにきた、というと、私もさっき交代したばかりで事情がよく分からないけど、乗ってるとしたら次の便でしょうから、あと1時間ぐらいね。ここで待ちます?ここで待つなら食事券を出しますから、空港内でコーヒーでも飲んで待ってくれれば…、と食事券の金額を見ると10ドルと書いてある。高額である。すかさず「待ちますっ!」と答えて10ドルの食事券ゲット。
とはいうものの、空港内のレストランやショップは軒並みしまっている。唯一まともな店はダンキンドーナツだけ。10ドル分使いきるつもりで今飲む用にココアとコーヒー、明日の朝ご飯用にドーナツ半ダース、あまったお金でミネラルウォーターを頼む。店の人も夜中の上客にご機嫌である。清算するとさらに1ドル50セントあまっているという。「コーヒー?、コーラ?」など、向うも買わせる気である。結局小銭を足してミネラルウォーターをもう一本買った。

ロビーでおとなしくドーナツを一つずつ食べ、飲みものをすすっていると、待ちわびた便が到着した。そこからさらに待って待って待って、もしかしたらもう荷物は永遠に届かないのではないかと思い始めた頃、夫のスーツケースがひょっこり顔を出し、まもなく私のキャリーバッグも姿をあらわした。思わず二人で固い握手を交わす。
帰りのタクシーは更に順調に走り、5分後にはホテルに着いた。よろよろと部屋に戻って時計を見ると、もうすぐ十数分で12時を迎えるところだ。日本時間ではもう翌日の昼過ぎである。長い一日はなんとか日付が変わる前に一件落着。終わりよければすべてよしである。


2000年08月02日(水) 第2話 長い長い一日

気がつくと飛行機は降下を始めていて、着陸体勢に入れというアナウンスが流れる。
隣りの韓国人はスチュワーデスに歯ブラシをくれといって首尾よく手に入れる。なるほど、そういうことって頼んでいいんだ。
それにしてもよくも眠ったものである。根性根性、と夫に威張ってみせる。この後もボストンまでの 3時間たっぷり寝てやるぜ。ふふふ。

一方機内で一睡もしていない夫はかなりボケ物質が体内に回っているようだ。ぐずぐずと入国審査を済ませ、のろのろと荷物をピックアップし、国内線乗換えのカウンターに向かう。カウンターではさかんにボストン行きの乗客を呼んでいる。太った黒人の中年女性係員がにこやかに説明を始める。
「ボストン行きの方?ええとね、ボストン行きにキャンセルが出ました。それでその前のこの便に、大丈夫そうならトライしてみてください。45分後の出発です。それと、もっと大丈夫そうだったらもっと早いこっちに乗ってもいいです。こっちはあと15分後に出発です。でも45分後の便がとてもいいと思いますよ。とにかくターミナルに急いでくださいな。荷物はどの便でいってもボストンに着きます」
ターミナルが離れているので、いくらなんでも15分後出発の便は無理だろうと思うが 、どうやら予定していた便より1時間も早く乗れるようなのである。再度荷物を預けてほくほくとゲートに行くとそこでスタンバイのカードを渡された。必ず乗れるわけではないらしい。頭の中を大きな疑問符と不安がよぎる。


どうやら無事に乗り込むことができ、出発時間が遅れたものの飛行機は順調に飛んで、気がついたらお昼の機内食が出され、気がついたら着陸体勢に入っていた。この間、体内時計ではほんの40分ほどなのだが、実際は3時間経っているらしい。日本との時差は13時間。朝家を出たぐらいの時間に戻ってしまったが、ほとんどの時間は寝て過ごしている。夫はやはり機内で眠らなかったらしく、ボケ物質が全身に回っている。
ふらふらと荷物口へ向かう。荷物が出てくる口は二つしかなく、到着便順にどんどん同じ場所に出てくるだけである。あたりにはかなり前に到着した分の荷物が所狭しと置かれている。
…ところで、荷物が出てこないのである。今まで一度も旅先でトラブルらしいトラブルにあっていない私だったが、ついに荷物をロストしてしまったのか?夫の分も出てこない。ただいたずらに目の前のベルトコンベヤーで見慣れた他人の荷物が何度も周るのをむなしく見つめているだけである。
1時間以上も経っただろうか、バゲージクレームに問い合わせると、「多分あとの便で来るだろう」との答え。最初に乗るはずの便に乗ってくるのかと思ったら、その便はキャンセルになって、夜9時45分着の便に乗ってくるかもしれないという話である。キャンセルってそういうことか。ボストンには着きますってそういうことか。
ホテルの予約もちゃんと取れてるかわからないというので、荷物はあとでまた取りに来るとして、ひとまずホテルに行くことにした。この調子だとホテルに荷物を届けてもらうにしてもあまりにも信用できない。空港からはまず地下鉄の空港駅に行き、そこから地下鉄を二回乗り換える。これで後で荷物を取りに来るのは手間のかかることである。帰りはタクシーにしよう。

ボストンは米国最古の町の一つであるので、「米国初」がつくものが多い。ご多分にもれず地下鉄はアメリカで一番古く、路線名は単純にレッドライン、オレンジライン、グリーンライン…、というように色で分けてある。あまり大きくない町なのだ。東京のように色が足りなくなって南北線のような微妙な色合いを設定する必要はないのだな。
とりあえず乗った地下鉄でやっと座れたかと思うと、たった二駅乗っただけなのに次々と乗客が降り始めた。どうやら途中駅止まりらしい。仕方がないので、他の乗客について降りる。ホームには他の乗客が待っていて、この電車に乗り込む様子である。よく分からないので、しばらくホームで様子を見ようとすると、ちょっとインテリっぽい女性が私たちのほうに向かって真っ直ぐに歩いてきて、彼女は「ボストン市内に行くの?」と聞いてくる。そうだ、と答えると「それならバスがこっちから出るわ」という。そういえば他の乗客もそちらのほうへ歩いていく。どうやら電車に不都合があって代替バスがでるようなのだ。
うーん、アメリカ英語ってわかんなぁい。などと思ってみるがイギリス英語だったところできっと聞き取れなかっただろう。とりあえずバスが行きたい方向へ行くのを確かめてバスに乗る。道路は割と混んでいて、途中長いトンネルなどもあって時間がかかる。この道をまた荷物を取りに戻るのかと思うと暗澹たる思いにかられる。


2000年08月01日(火) 第一話 長い一日

それは奇妙な旅の始まりだった。
いつも家を出る直前まで旅支度が終わらずにばたばたする私たちが、今回に限って準備万端整えて普段は連絡をしない実家にまで電話まで入れて余裕を持って家を出た。何かあったらよろしくね、と。
いつもの旅行とは違って何かが起きそうな予感がしていた。

さしたる問題もなく飛行機は無事に成田を離陸した。シカゴ行きユナイテッド便である。全日空と共同運航しているので、UAとANAの二つの便名がついている。同じ飛行機、同じサービスでありながら料金は少し違う。機内をざっと見回すと、さすが共同運行だけあって国際色豊かである。東洋人、白人、黒人ととりまぜて満席である。
夏休みなので里帰りの人も多いようだ。私たちが座った三人がけの席の隣りは韓国人らしい。夫に「日本人ですか、同じ国の人かと思いました」などと日本語で話しかけてくる。そういえば二人とも似たような柄のシャツを着ている。やはり日本人には見えないのか。
もっとも彼は席につく前に、後ろの席の若い女性に「日本人ですか、同じ国の人かと思いました。日本語教えてください。どうです?」などと言っていたのであまり信憑性がない。夫に日本語を教えてくれと頼まないあたりが賢明である。

隣りの客人はハングル文字の新聞を読み終わると日本の漫画雑誌を読みふけり、機内の飲みものサービスが始まるとかなり頻繁におかわりを要求している。私たちは米国の航空会社の便に乗っているつもりでいるが、共同運行なので日本人のスチュワーデスもそれなりの人数が乗っている。彼の話すのを聞いていると英語より日本語のほうが得意らしい。
食事のサービスが始まった。例によって彼は積極的に飲みものを注文している。ワインがお好きなようだ。日本人スチュワーデスが食事の選択を聞いてくる。窓際に座る私はよく聞こうと身を起こすと、日本語が通じないと思ったのか英語に切り替えてきた。恥をかかせては悪いと思ってそのままにしておく。何国人と思っているのかその後も彼女はずっと英語で通し、その都度私は何国人かのつもりで「Beaf!」とか「Thank you!」とか叫ぶ。一方夫はといえば英語で問われては、律義に「チキンをお願いします。」とか「コーラをください」と言ってはその都度彼女を恐縮させる。

英語より日本語が得意な韓国人、韓国人から同胞に間違えられる夫、その隣りにいながら日本語を話さないと思われている私。
この三人の組み合わせはかなり珍妙である。スチュワーデスさんも大変な時代である。

いつのまにか眠っていたらしい、あと何時間乗るのだろうか。
夫に聞くとシカゴまであと7時間ぐらいだという。ぐー、まだ4時間しか経っていない。そこからさらに乗り換えてボストンまで3時間かかるのである。
映画はせっかくジュリア・ロバーツの最近作なのに、座席の背がじゃまになってよく見えない。機内で読もうと思っていた本は預けてしまった。機内誌はちっとも面白くない。
隣りで夫は黙々と本を読んでいる。英文に飽きると和文、論文に飽きると単行本というように、途切れることがない。本人は「本を読んでないと眠くなるから」というが、夫を見ていると、時々お蚕さんが桑の葉を食べている様子を見る思いがする。かまわずに寝倒すことにして、ひたすら惰眠をむさぼる。


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