WELLA
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2000年02月13日(日) 誰がためのエコ

買い物に行くときは布袋を持参する。
バッグの中にも小さくたためる携帯用のメッシュの袋を忍ばせている。 商品を受け取る際、過剰な包装は極力断るようにしている。

そう書くといかにも環境のためを考えているようだが、そんなことはない。 ただ、物を買ってくるたびにいわゆるレジ袋や紙袋が無尽蔵に増えていくのがいやなのだ。油断するとわらわらと増えていくそれらを整理するのが面倒くさい。今は隣がスーパーという絶好の立地条件なので、水気を帯びやすい品物を入れてくれるポリエチレンの袋も断る時がある。
そうは言うものの、においの出やすい生ゴミを小分けに捨てたり、ちょっとした保存の時はポリエチレン袋は重宝である。最近はダイオキシンが出にくい炭酸カルシウム入りのレジ袋もあるし、今住んでいる地域は、東京都推奨のゴミ袋ではなく「ふたつきの容器」か「中身の見えるポリ袋」に入れればよいことになっているので、大き目のレジ袋も便利である。 貯めてある袋が底をついてくると、だまってせっせと袋をもらってくるようになる。
しょせんその程度である。

わが家の周りは、ずいぶんその数が減ったとはいえ都心部にしては個人商店が多く、下町情緒が多分に残っている地域である。近くにはスーパーも何軒かあってそれなりに繁盛しているが、依然個人商店の買い物客も多い。いまだレジの機械などつかわず、天井から吊り下げたカゴの中に売上金もつり銭も無造作に入っていたり、 消費税が(外税で)つかないところもある。そういう店では「今日は何にしようか」とか「何が安いよ」とか言葉を交わしながら買い物をしているので、時に買い物が滞りがちだが、ぬくもりがあってなかなかいいものだ。
商品を買う段になって「おばちゃん、袋いらないよ〜」と言いながら(「袋は結構です」なんて言っても通じない)、さっさと持参の袋に詰めていく。おばちゃんは「あら、いつも悪いねぇ」など言ってくれて、ちょっとした常連気分になれる。
しょせん自己満足である。

それに加えて週に何回か、農家のおばちゃんが軽トラックにとれたての野菜を満載してやってくるのだが、そのおばちゃんも袋はいらないと言うと10円、20円おまけしてくれたりする。 そもそも一回の買い物が200〜300円の小額なので、それなら儲けがいくらにもならないだろうにと思うのだが、このレジ袋の単価も10円、20円するらしいのだ。前述した個人商店でも値引きしてくれたり、景品やサンプルをおまけにつけてくれたりするところは結構ある。余計な袋は増えないわ、愛想よくしてもらうわ、おまけはしてもらえるわ、いいことづくしである。 もっとも、絶対的なスペース不足から厳しく持ち込み制限をしているわが家にとって、使わないものやサンプル品が増えていくのはまたそれはそれで悩ましいのだが、相手のご好意であるので「あら、すみませんねぇ」などといっぱしのベテラン主婦気取りでありがたくいただく。
しょせんままごと感覚である。

ところで、スーパーや個人商店はそれでなんとかなるのだが、体面を重んじるデパートやホテルは厄介である。
特に、赤い牛の背模様のような包装紙に絶対のステイタスを持つあの老舗のデパートは難関である。デパート自体は簡易包装を顧客に呼びかけているのだが、あのデパートの店員さんは本当に包むのが巧い。年配の女子店員など、こちらが止めるまもなくあっという間にくるくると包み終えている。 商品を包装紙でくるみ、それを小さめの紙袋に入れ、さらに大きい手提げ袋に入れてくれるたりする。 私は心の中で「ぬかった!」と思いながら、その鮮やかな手さばきを感心しながら見つめている。そして家に帰り着くと、狭い部屋の中に包装紙や紙袋が散乱するのである。
それらをたたみながら私は、昔母が両手いっぱいにデパートの紙袋を下げてふうふう言いながら帰ってきたのを思い出す。 普段忙しく働いていた母は、たまに出かけるとここぞとばかりに子供たちの服からお惣菜から、時に物産展で見つけた好物を買ってきたりしていた。 母と一緒になって、紙袋から包みを取り出してはいちいち開いていくのが楽しかった。中から現れる品物に大喜びしたり期待はずれだったり、 時に母ですら何を買ったかわからなくなるようなちょっとした騒ぎの中で、母のくたびれたような満足そうな顔がうれしかった。

今にして思えば、デパートの過剰な包装は確かに豊かさの象徴だった。そして過剰包装を拒否していくことで 古参の店員たちが新人の頃苦労して身に付け熟練してきたであろうこの技術は廃れていくのだな、と思う。もっというとこの人たちと、包装用品一切を収めている業者から職を奪いかねないと思う。スーパーのレジ袋しかりである。
このようにリサイクルがブームとして蔓延すると、製袋業の人たちはかなり圧迫されるだろうと思う。使う側(商店)にとってはコスト減にしても、売る側にとっては何しろこういうものは薄利多売である。じゃんじゃん使って捨ててもらわなければ回っていかないのだ。 最近では小売業と製袋業者とが共同で、さまざまな材質のレジ袋を開発しているところもあるらしいが、時流に乗り遅れた業者にとっては死活問題だろう。

私が子供の頃のように、容器を持ってお豆腐を買いに走ったり、買い物かごに一升瓶を入れてうんうんと運んだり、一皿いくらのみかんを買っていた時代とは違う。昔はそうだったじゃないかと言っても、買い物客の便宜のために過剰になり、その間に膨れ上がった産業はなかなか元に戻らないだろう。現時点からは退行でしかないのだから。
それは一方ではある産業をおびやかし、景気停滞の遠因にもつながる一面を持っている。


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