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1997年11月30日(日) 1997年12月04日(木) 地名の掟

ひょんなことから、 埼玉県深谷市のホームページを見た。
正確には深谷市の教育委員会が作っていて、市内の中学校のホームページのリンクや市の文化財のページなどがある。どのページも大変重い。
ところで深谷はネギの産地であるが、祖母の里でもある。
祖母は深谷の「ちゃーらいじま」の生まれで、澁澤栄一の縁続きだと聞いていた。私も幼い頃遊びに行って曾祖母という人に会った記憶がある。
今では父のイトコ達が住んでいて、祖母が亡くなった時には「ちゃーらいじま」の親戚が、喪服姿でネギをたくさん積んで軽トラでやってきた。「喪服・ネギ・軽トラ」という三題話のようなとり合わせだが、当事者はいたって真面目である。深谷のネギはおいしい。故人への供養である。

文化財 のページによると、渋澤栄一は「榛沢郡(現・深谷市) 血洗島の農家の生まれ」とあった。写真を見ると晩年の祖母の面差しと似ていて意外に思う。
それにしても「血洗島」である。どうやらこれが幼い頃から聞き知った「ちゃーらいじま」の正式名称らしい。ずいぶんとホラーな地名である。「ちゃーらいじま」には「ひょっこりひょうたんじま」を彷彿とさせるお茶目な響きがあるが、「血洗島」では「ひょっこりひょうたんじま」どころか「獄門島」である。今にも事件が起きて金田一耕助が乗り込んで来そうではないか。

地名とは兎角こういったものであるらしい。呼称の音便化は慣れ親しんだ証である。口にすればするほど音便化が進む。
私の生まれ育ったところには「上馬」と「下馬」という地名があって、子供の頃から「かみゅーま」「しもーま」と呼び習わってきたが、もっと上手がいることを知ったのは20代も後半になってからだ。2キロほど離れたあたりに代々住まっているという会社の同僚(♂)が、そんな言い方は聞いたことがない、あれは「かみンま」「しもンま」だと言い放ったのである。
おお、なるほど。
それはいかにも通(ツウ)っぽい呼び方だ、信憑性がある。
そう伝えると得意げに不精ヒゲの頬をゆるませた。

今住んでる能美郡辰口(ノミグンタツノクチ)は、隣の町では「ノングリのタツクチ」と言うらしい。「どんぐり」ではない。「ノングリ」である。能美の「ノン」はまだしも、なにゆえに「郡」を「グリ」と読むか。
地元の人に聞くと「ほぅ、そーいやノングリっていうのぉ」と、さして不思議がるでもなく笑った。

さてご本人はなんと言っているか…?
…「むら」である。
そもそも自分の住む土地から出ない限り、その地名を口にする必要はない。


1997年11月26日(水) 頑張ってくださいねぇ

というわけで、歯科通いを始めました。隣の市まで行ってるので、片道30分位かかります。
別にそこまで行かなければ歯医者がないような、無医村に住んでるわけじゃないんですよ。立派な歯科医は近所にもたくさんあります。隣町は待合室が畳敷ってとこもあるらしいですが、この辺りはどこも個人医院は門構えが立派なので、別に

「立派=流行っている=腕がいい」
とは言えないらしいです。つまり見分けが肝心。そこにはさる信用できる筋からの口コミで、通うことになりました。

ところで通う手間ですが、道は簡単だし空いているし、遠いという感じはなかったのですが、考えてみたら遠いですよね。空いてるのに30分かかるんだから(泣)。
往復だと1時間ですな。で、待ち時間やらも入って診療時間およそ1時間。帰りにスーパーに寄ったりして、また1時間。あれやこれやで結局3時間位ってとこでしょうか。
今はブラッシング指導を受けたり、歯型をとったりしているから時間がかかるのかも知れませんけど、診療中はなんとなく全身に力が入っているので、終わると気分がぐったり。

ま、それはともかく。歯科は久しぶりなのでいろいろと物珍しく、お蔭様で楽しく通っております、って誰に言ってるんだか。その歯科は歯科衛生士というんでしょうか、先生の他にピンクの白衣(!)を着たおねーさんがウロウロしていて、いろいろと説明したり、世話をしてくれたりします。

診療中に、先生が「はーい、お口、あーん」というと横にいるおねーさんも 「お口、あ〜ん、ですよぉ」などと、甘くささやいてくれます。
あらま。これって若い男の子だったら、結構うれしいかも…っていうより、困っちゃうかもな〜などど思いながら、言われるままにアガアガしているわけです。まさに俎上の鯉。
先生がドリル(っていうの?)を片手に「はい、ちょっとひびきますよ」というと、 「すみませ〜ん、ちょっとひびきますよぉ、我慢して下さいねぇ」と、いかにもすまなさそうなこだまが返ってきます。つまりは先生の指示を復唱しているのですが、そこにピンク声が加味されるわけですね。愛だわぁ、愛。

アガガガガ…ぎゅいぃ〜ん、ぎゅぃ〜ん、 ぎゅいんぎゅぃん

ううむ。無心。無心。
私はなぜか、こういう場合に妙に可笑しくなってしまうという困ったクセがあるので、笑いを押さえるために無心を自分に言い聞かせていると、唐突に 「頑張って下さいねぇ」と、祈るような声。
へ?頑張ってください?これからもっと頑張らなきゃならないような事態に発展するわけ…?。うううぅ。力が入るぜ。

アガガガガ…ぎゅいぃ〜ん、ぎゅぃ〜ん、ぎゅいんぎゅぃん

観念して力を入れていると、再び祈りの 「頑張って下さいねぇ」。え?また?いやぁん。もっとなのぉ?
ううむ。無心。無心……

…「はい、終わり」 「終わりましたよぉ〜、おつかれさまでしたぁ。楽にしてくださいねぇ〜」

へ?終わり?もういいの?はぁ〜、なんだ大したことないじゃん。まる子、きんちょーして損しちゃったぉ。
ま、確かに今時の歯科の治療で「痛くないですよぉ」などと、患者をだまくらかして無理矢理削ったりするわけもなく、他に言うこともないんでしょう。

はじめは奇異に聞こえたものの、この時折唐突に入る「頑張ってくださいねぇ〜」 無しでは、もはや私の歯科通いは成り立たないといっても、過言ではありますまい。病み付き。


1997年11月19日(水) 冬がくる

紅葉はここ数日ですっかり落ちてしまったようだ。
燃えるような紅葉や黄金色に輝く銀杏の葉が一面散り敷いたようになっていたのが、数日来の雨ですっかりほとびている。まさに濡れ落葉。
この辺りでも、兼六園のような雪吊をした木を見かけるようになった。雪が降り出す前に、やっておかなければならないことが沢山ある。
タイヤの交換、粗大ゴミの処理、大物のクリーニング、歯科通い… 雪に覆われてしまう前に、土の上を存分に歩いておこう。
少し早いけど、点検がてらタイヤ交換の予約をした。
この間駐車中に傷つけられたドアも、ついでに塗装してくれるという。ありがたい。雨や雪が降り始めるとそこから水が入り込んで、実に情けないらしい。
タイヤの交換は死活問題。雪が降ったらどこへも行けない。交換したところで、雪が降ってしまえば機動力はガクンと落ちるのだけれど…。
そういえば最近家の前の道で荷物を満載した軽トラをよく見かける。引越しかな、と思ってたけどゴミ処理場に行くんだな。この間は朝からゴミ処理場の入口で開門を待つ人達が車を停めてたし。雪が降ってから粗大ゴミを出しに行くのは正気の沙汰じゃない。

同じ理由で、いい加減ほったらかしてある歯もなんとかしなければ。どこが痛いというのではないけれど、悪くなっていないわけがない。これも雪に閉じ込められてからでは難儀なことだ。
意を決して予約をする。東京でかかっていた歯科の先生に「友達で腕がいいから」と教えてもらった歯科で、隣の市で開業しているという。

タイヤ交換の日は朝から雨だった。翌日歯医者に行こうとしたら、激しいあられが降ってきた。車を停めて道を渡ろうとしたら、通りを走っていた車が突然スリップして、歩道にいる私の方へ向かってきた。縁石に乗り上げて止まる。タイヤを交換しておいてよかったと思う反面、なんとなくイヤな気持ちになる。あられはさらに激しさを増し、暗澹たる気分を演出してくれる。ふぅ。
歯科は期待通り手際のよいスタッフで安心する一方、検診の結果が思ったより悪くて落ち込む。

結局その日はずっと氷雨が降り続いていた。
ハンドルを握りながら、思わず「♪呑ませて、ください、も、お、すこしぃ〜」とうなって、同乗者にたしなめられる。帰りがけに近所の家に寄って世間話。
「こうやってあられやひょうが降ると、大根とか葱とか、冬の野菜がうーんと美味しくなるのよ」だ、そうだ。なるほどねぇ。


1997年11月14日(金) 君の瞳にどきどき

いやー、まぶしいもんですねぇ、青春っていうのは。
っていきなりオヤヂなこと言ってますが…。
というのもですね、最近、手話サークルの関係で町の行事に呼ばれることが多くて、今回は中学校の文化祭で手話体験コーナーに協力して欲しいって言われてちょこっと手話を教えて来ました。
ちなみに先週は福祉まつり参加。「指を動かす手話はボケ防止にいいですよぉ」などといいつつ手話体験コーナーをやって、ついでにお年寄りに交じって骨密度を測ったり、腰痛体操をやったりしてきました。お土産つき(災害時非常持出袋)。
先月は高校で手話教室と、講演会のお手伝い。なかなか地域に貢献してますな。惜しむらくはこれが隣の町だということです。

で、青春に話を戻すと、高校生は大人になりかけ。手話をやっても照れ臭そうにモジモジしてるところとか、屈託のない笑顔とか、すれてない態度とか、ピチピチしたお肌とか(これは手話には関係ないか)、なにかと新鮮で2〜3日余韻に浸ってたんですけど、今度はさらに若返って中学生。
なにしろ敵はティーンエイジャーの入口に立ったばかり。
身体もまだ小さいし、髪の毛は黒くてまっすぐ。お肌はつるっつる!のピッカピカ!ちょっと血色の悪いくちびるさえいじらしいんだわ。だってスッピンなのよぉ。
ちょっとしたことで、ケラケラと笑いこける。面白いと言っては笑い、間違えたと言っては笑い、突然思いだし笑いをして吹き出し、笑いは隣の友達にも伝染して笑いころげる。
ピチピチとしてまさに若鮎のようですね、君達は。

こちらを見つめるひたむきな眼差し。眼は澄んで、白眼が蒼く冴え々えとして、テーブルを挟んで向かい合っているとなんだか、どきどきしてしまいます。
あ、そんなに真剣に見つめないで。こっちはいい加減な生活してるんだから… といいつつ見つめられて、眼がそらせない。
給食の残り香漂う午後のランチルームで、大人たちはそりゃもうムキになって教えたのでした。
…ふぅん、そう。そうやって、すぐ覚えちゃうのね、君達は。


どうやら日頃、オッサン臭い院生とか本物のおばさんとかとばかり接して、どんよりと暮らしていたものですっかりティーンエイジャーに対する免疫がなくなっていたようです。
昔はそのくらいの年代っていうのは、自分を含めてどうも薄汚いイメージがあって、嫌悪感すら抱いていたんですが。地域の差なのか年齢差なのか、一連の彼らとの交流には胸がシビレっぱなしです。
確かに学校では問題のある子もいないわけじゃないらしいですが、その感受性を、そのしなやかさを、どうぞいつまでも保っていて下さい、と思ったのでした。ありがとう。


1997年11月11日(火) 秋の夕陽に

晩秋であります。
私の家の回りは針葉樹林が多いのですが、街路樹は広葉樹なので今やいい塩梅に色づいてます。東京にいた頃は街路樹で季節を感じてたりしましたが、考えてみると街路樹ってなんて人工的。あんなもので季節の移り変わりを知っていたなんて、ちょっと自分が不憫になったりする今日この頃。

この辺だと紅葉の名所は「白山スーパー林道」と言われています。私も2年前の秋に通ったことがありますが、この「白山スーパー林道」というのは、豪雪のために毎年6月から10月ぐらいまでしか通れなくて、しかも冬の間にあっちこっちが壊れるので通行料がめちゃくちゃ高いという、スーパーわがままな奴なんであります。
スーパー林道まで行くとちょっとした遠出になってしまうこともあって、なんとなく出かけるには二の足を踏んでいたのですが、やっぱり紅葉は見たい。などとうじうじしているうちに、スーパー林道はとっくに冬期閉鎖してしまったのでした。となると、意地でも紅葉が見たくなってくるのが人情というのもの。うーむ、どうしたものか…。


…ぽん!(膝をたたく音)

あったよあった、町内遠出気分。
私の住んでいるところは、町内でも一番高い場所に位置する集落ですが、それは人が住んでいるということで、実はもっと高い山があります。その高い山の両側にある和佐谷と鍋谷という、名前からして低い位置の集落を結ぶ、その名も和佐谷〜鍋谷ルートという林道があります。全行程ダート道(おおっ)、未舗装っていうか砂利道ね。しかも山道はかなり急(おおおっ)。
しかし今の時期は全山夢のような紅葉です。見上げても振り向いても見下ろしても、色とりどりの、しかも調和のとれた不思議な模様が広がっています。紅葉に陽が射して輝いている様子ったらアナタ、思わず「♪あ〜きのゆーうーひぃーにぃ」と口をついてしまうことでしょう。そして気の利いた同行者がいるのなら、輪唱になること間違いナシです。
頂上には一応展望台があって、車を停めて息を切らして登って行くと、まず自宅があるサイエンスパークが丸見え。日本海は小松方面からは金沢、内灘湾まで見渡せます。反対側には遠く雪を被った白山の頂きも望むことができます。
これだけ楽しめて通行料はもちろんタダ。さらに「白山スーパー林道」に比べての利点は、ズバリ白山が見えることですね。あと通行量が少ないので好きなところで駐停車オッケー。

全行程ダート道ったってそれもまた楽しでは、ありませんかあ!
さあ、あなたも雪が降る前にでかけましょう。
セダン?大丈夫大丈夫。車がちょっと「お腹痛い」っていうかもしれないけど、気にしない気にしない。
んーでも、パンクには気をつけないとね。
ほら、誰も通りかからないかも知れないでしょ?人里離れてるし、公衆電話もないし、携帯の電波も届かないかもよ。日が落ちると山道はあっという間に暗くなるしね。

さぁ、スペアタイヤを確認して、ゴーゴー!


1997年11月05日(水) あたしが若い頃は…

連休を挟んで東京の実家に帰ってました。
いやー、すごいですね、女子高生。ワイドショーで事前に仕入れたネタだと、もうルーズソックスは流行らないとかいわれてましたけど、まだまだ健在じゃありませんか。しかも、どんどん顔が黒くなって、スカートもほとんどギリギリ。うーむ。
あたしの若い頃はねぇっていうのもナンだけど、スカートはできるだけ長く、ソックスはくるぶしよりちょっと上ぐらいでぴっちりソックタッチでとめるのが基本だったわねぇ。まぁ徐々に短いスカートの制服とか出始めてだけど。
この間高校の同窓会誌を読んでたら、私達が一生懸命長くしようとしていたあの制服も、今ではスカート丈を短くしてルーズソックスをはいて頑張ってるコ達もいるんだって。同じデザインで多様なスカート丈に適応するほど有能じゃないぞ、あのジャンパースカートは…。

ところで、女子高生っていっても、私はつい最近ワイドショーで知ったんですけど、随分年齢層が広いのね。下は14〜5、上は20位まで「女子高生活動」をしているそうじゃありませんか。あと年齢的には高校生だけどガッコーやめて、プータローしながら昔の制服引っ張り出して着てたりするのね。私服の学校のコでも「カワイイから」とかいって、わざわざ友達の制服借りて着るんだって。制服きてたらお酒飲みに行けないじゃないのって、もう関係ないのかしら。

私の現役女子高生のときは女子大生大流行りの時で、大学に入ったら女子高生がちやほやされる時代に移行しちゃったから、あんなにマスコミで動静が注目されることってなかったけど、制服が商品価値っていうのは面白い現象よね。昔は…ってあらホントに昔だわ…どっちかっていうと、大人びた格好してるけど実は女子高生、っていうのがポイント高くて、制服っていうのは遊びのジャマだったんだけどねぇ。コインロッカーで着替えたりする人もいたのよ。

高校の時に女子大生ブームだから、そのまま大人っぽい格好をめざしてバブルの時代をつき進んだって感じよね。特に派手な子じゃなくてもパンプス履いてお化粧して学校通ってたし、男の子達もブランド品持って身ぎれいにしてたし、間違っても地面に座ったりしてなかったわ。今はそうじゃないものねぇ。

あの頃ならダサイって思ったような服で若いコ達が街を闊歩する姿を見ると、もうついて行けなくていいの、っていう気になるわ。そうか、これがもうおばさんってことなのね。


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