My Cup Of Tea...POO

 

 

はざま - 2002年08月07日(水)

朝、5時に起きて、
森の中を散歩した。

だんだん、その砂利道は車を拒絶する狭さになり、
道の左右に別荘もみえなくなり、
砂利すらもなくなり、
森。
ただひたすら森。そして道。
というより、道らしき平坦な土地筋。

日光は直接は地面に届かず、
あたり一面湿気の棲み家。
あげくというか当然というか
森の中に、そして道の真ん中に、
きのこが生えていた。
茶色。
白。
黄色。
赤。
うわぁなんて色とりどりなメルヘン。
って。
…これ、ほんとに道なのか?!

体にくもの巣が絡みついた時点で、
不安はかなり絶頂付近だったのだ。
が。

突然、むこうにふっと
浮かび上がるようにトウモロコシ畑。
ぴんとひかって朝の空気。
そら、あおい。

いきなり森が横一文字に終わった。
まだ暖かくない早朝のアスファルトの車道が
突如としてそこに切り開かれてあった。
すこーんと、突き抜ける帯状の空白地帯。
急に人間の世界に放り出されて、
視界が白くて、半分放心。

なにやらあちらとこちらの合間にある
溝にはまってしまったみたい。
一瞬考え、一瞬たぶん間抜けな顔をしてから、
とにかくまずは「うわあ。」と言った。
「うわあ。」という価値を視界の風景に与えたら、
それ足がかりにあちらがわにぴょん、と飛んで渡れる。

遭難した人が自力で下山した時って、
こんなふうな心もちなんだろうか。
…んなことないか。あちらはもっと大事か。

でも、一瞬自分の位置を見失うほどの、
開放感。
ほんとうは「うわあ。」なんて余分。
ほんとうはいつまでも渡らないでいられたら、
それに越したことはないのかもしれない。
頭の中まっしろで。
私ん中まっしろで。

しばらくアスファルト上を歩くも、
宿泊コテージまで帰る道が分からず、
あえなく、また森の中を、さっきとちょっと違うルートで帰った。
帰りは、行きより早かった。
きっと、もうそれは探検ではないからだ。

チェックアウト後、日帰り温泉センターによって、
それから道の駅でうどん喰らって、
高速走らせて帰京。


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リフレーッシュ!工事中 - 2002年08月06日(火)

那須に逃避ドライブゴーゴー。

行き着いた先、
日中、35度。

しかも、透きとおった空。
このうえなく直射日光。
物理的に、肌がびりびりと痛い。

避暑って何さ。

土下座して、背筋使ってメリハリで、心底謝れ高原の看板。

とか、短歌を考えてたんだけど。
その後、行った山中の川が、
心地よく澄み渡った冷たさで、
残暑に馴染んで肌に心地よかった。

とにかく、
つれてってくれた友人ども、
あんがと。

豪雨も落雷も停電三回も鉄板焼きも花火も、
オーケーオーケー。
「簡易夏体験キット」で、
いっぺんに夏をお腹に詰め込んでる気分だよ。
ごちそうになります。


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目撃の日 - 2002年08月05日(月)

新宿タワレコ。
試聴しながら、
ヘッドバンキングしてるねえさんを見た。
割りと激しく縦に縦に。

しかしねえさんのヘッドフォンの外、
店内で流れているのは、
見事にV6なのであった。

見事にジャニーズでヘッドバンキング、な、見た目なのであった。

ちなみにその前の店内には
鳥肌実の演説「自己紹介」が流れていて、
鳥肌が「44歳、厄年。山崎パン工場勤務。」とか言ってるときにも
激しくねえさんはヘッドバンキングをしていたのか、
激しく気になるところであった。
ああ無常。

夜、明和電機10周年記念ライブ。
引退した元社長も歌っていた。
相変わらず腹筋の鍛えられるライブ。
わらったわらった。
至福。


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あれ、嫌いでした。 - 2002年08月04日(日)

深夜。

さかんに
にわとりが一羽鳴いてる。

そんなあなたに宇津救命丸。

夜泣き・下痢・胃腸虚弱に。

胃腸虚弱なニワトリって、
ちょっと致命的なまでに文学的ね。
労働階級のあえなき叫びね。

ニワトリ、お前はある意味パンクな鳥なのか。
あんな喉をしゃがらせシャウトシャウト。
生まれながらにモヒカンだし。

でも、そんなあなたに宇津救命丸だし。
ちまちま救われちゃうし。
丸薬、シルバーメタリックカメムシ的に光らせてる意味わかんないし。

これではニワトリのお嘆きは、いや増すばかり。
なのは、重々承知の上なんだけど。

結局、言いたいことは。
ああ、宇津救命丸はある意味シルバーメタリックカメムシ的パンクなのかもしれないというこの衝撃!!ということと共に、

うるさいのよ、アンタ。


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