My Cup Of Tea...POO

 

 

26型 - 2001年09月24日(月)

赤い自転車を買ってもらった。
おもちゃみたいに赤い色。

赤い色がすきで、

赤い髪ゴムで束ねられるまで、
髪をのばしてもいいかなと思った。


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ネパール帽をかぶっててくてく - 2001年09月23日(日)

寒さのあまりに目が覚めた。
しんしんと冷え込む朝で、
秋というより、冬みたいだ。

おきてみたら、とても元気だったので、
恵比寿にある東京都写真美術館に行ってみることになる。
待ち合わせに遅刻される。
昨日から、待ってばかりだな。
何があったかと心配しなくてすむのなら、待つのは特に嫌いじゃない。

とても小さな美術館で、
上の階から順に見ていった。
3階は無料で、日本写真作家協会の展覧会をやっていた。
素敵な写真と、笑っちゃう写真と、余計な言葉の入ったおせっかいな写真と、
いろいろあったが、全体的に素人くさく、
作品タイトルにつっこみどころ満載でお得だった。
一番記憶に残っているのは、
菜の花の上を泳ぐ青空のこいのぼりの写真を見て、
ちいさな女の子が写真にぺったりはりついて、
「こいのぼり」の歌を歌っている姿だった。
あれがいちばん綺麗だった。
2階から、有料ゾーン。
新進気鋭の若手さんの作品を集めた展覧会をやっていた。
廃墟ばかりを写した写真や、
国境ばかりを写した写真が印象的だった。
そんなメッセージ性の強い題材を撮っていながら、
けっして押し付けがましくなく、
むしろ淡々とした気配がそこにはあった。
プロの人と、素人さんでは、腕うんぬんのまえに、
被写体をきりとるアイディアセンスと姿勢がちがってるのが
こんな部外者の私にもよくわかって面白かった。
一番大事なのは、オリジナリティーなんだ。
自分が創るんだから、自分しか創れないものを。
生きたものを。
写真も、文章も。
うん。

1階がフロアホールで、
地下では、影を使った作品の展覧会をしてた。
くじらのひげみたいな形をしたプレートに
下から光をあてると、
人の顔や姿がモノクロームでやわらかく壁に浮かび上がる手法で、
影を絵の具みたいに使ってしまう。
どうやってこんなものを創るんだろうと
作者の想像力に感心しばし。
光源のライトに手を翳して、
光をさえぎってしまいたい衝動に密かに駆られた。
手の中に、影を閉じ込めてしまうんだ。
究極の独占欲?

その後、渋谷に移動。
fra-foaのライブをAXにて見る。
すごい男性率で、まさしく野郎だらけで、
視界をさえぎる障害物がすごい高くって、
背の低い私には、
ボーカルの三上さんの姿はちらちらとしか見えなかった。
俯いて聴いていた。
今日の三上さんは、気持ちが前に向いていて、
明るい気配がした。
そんなfra-foaもいいなと思った。
でもやっぱり一番すきなのは、絶望を叩きつける時の彼女の歌だ。
歌ってないと死んでしまいそうな三上さんだ。

外に出たら、とても寒かった。
野郎の熱気はものすごいことを体感。
爪みたいな形の月が出てた。

8時前に終わってしまったので、
若者らしさを気取って、
しばらく店をひやかし渋谷をぷらぷら。
夕飯に頼んだオムライスの
トマトソースの赤が吸い込まれるように美しくって
色もたまごもとても美味しかった。

有精卵が成長した血まみれ卵を、卵かけご飯にかけてしまった、
という赤い話をされたので、
もうしばらくオムライスは食べられないんだろうけど。


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急に冷え込みの厳しくなった日。 - 2001年09月22日(土)

たかはらに一時間遅刻される。
外で、本を読んで待ち続ける。
高校の学園祭に行く。

ひさびさに会った先生に
「痩せた」だの「スタイリッシュになった」だの言われて、
目に見えてご機嫌。
高校時代の、ぱんぱん風船みたいな自分にくらべりゃ、
そりゃましになったんだろうよ、との自覚はあるがね。
要は最初の基準が悪すぎるんだよね。
でも喜んじゃうんだもんね。

ひさびさの学校は、
なんだかとても幼かった。
去年は「若い」、だったのに
今年は「幼い」、だった。
「大魔人」というあだ名だった数学の先生が、
「さぼてん」という呼び名に代わっていた。
実物見て、ものすごおく納得し、
…得体の知れないダメージをうけた。大魔人がさぼてんか…

異邦人みたいな気分で落ち着かず、早々に逃げ出す。

夜、最後のオブリに行く。
足をげしげし踏まれて、
他人の足をげしげし踏んで、
前で頑張った。
最後までモッシュゾーン内で踏ん張ったのって、初めてかもしれない。
最高だった。
すげーすげー、最高だった。
そうとしか、言いようがない。

好きになって一年経ってないところが哀しい。
もっといっぱいオブリの音に触れてたかった。




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働けどはたらけど - 2001年09月19日(水)

三週間ばかりお休みを貰って、
ひさびさに出版社バイトに行ってみると、
いきなりそこは修羅場であった。

事典の編集と全集の編集と、
本の納入準備と書店の注文と電話クレームとやってきた新聞記者が
入り乱れてやんややんやの大乱闘。

本の取次ぎ会社へ持っていくための、搬入準備を任された。
本の注文を取次会社ごとに整理し、
カウントし、在庫を調べて梱包し、伝票を起こす。
他の人は他の仕事で激走中だから
必然たった一人でやり続ける。
そんなときに限って、
注文は瀬戸大橋の渦潮のような規模で、どどーん、とな。あるわけさな。
やれどもやれどもさばききれず、
トーハン、日販、大阪屋、大洋社、栗田、中央社、
準備すべき取次会社は
芋洗うみたいにごろごろ次から次へと出てくる。
「とーにっぱんおおさかや…」とか呪うように呟いてみても、
終わらん。
オノレの仕事の出来なさっぷりは、
いっそあっぱれなほどである。
やってるうちに、へこむのを通り越して、
楽しくなってきてしまった。
結局、本日は10時間労働。

ところで、今日、すごい事実に直面した。
あの世界的オンライン書店「アマゾン・ドットコム」の注文ってば、
出版社に、すぐさまぴぴーんとE-Mailで届けられるのかと思いきや、
なんとなんと、Fax!で送られてくるのであった。
あんなにネット最先端行ってる書店の注文が、
取次会社を経由したあげく、
ようやっとうちの会社のFaxから、
ぴろぴろぴろーと、丸まって出てくるんである。
で、その注文本の搬入予定日を知らせるためには、
もちろん手書きFaxで返信するのである。
当然、注文本は人間の手で、時にはバイトの手で、
取次ぎ会社の大阪屋さんまで、
てくてく搬入されるんである。
…ハイテクってすげー。
出版業界は電子化に押されてるって言われているけれど、
根元を見れば、こりゃまだまだ、ですぞ?



…あ゛、先月の給料、もらい損ねた…
ハイテク手渡し嗚咽三唱…


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ART-SCHOOLインストアライブ - 2001年09月17日(月)

7時半から渋谷タワーレコードにて。
ART-SCHOOLのインストアライブを見た。

ART-SCHOOLの曲は、生きていかねばならない人の歌だ。
欠落と、あきらめと、人の呼吸のあたたかさと、いとおしさと、揺らぎと、
そんなものを編みこんだ、脆くて強い曲だ。

わたしは決して強くないから、
そんな世界が居心地よい。

そんなの逃げ込む場所がほしいだけだよ、っていわれたら、
たぶんそのとおりだ。

絶望したふりがしたい。
生きていけるようなふりがしたい。

いづれ自分で決めるから、
それまでは揺らぎに浸っていたい。

それは欺瞞だ。
そんなの知ってる。

最初から、ノンストップで曲が続いた。
「MISS WORLD」「ガラスの墓標」「SANDY DRIVER」
メンバーの作る音は、轟音で溢れ出して、
なのにこちらに切なく響いて染み込む。
ギターもベースもドラムもみんな。
ボーカルの木下君は、自分で作った曲の世界と同調するように、
ほとんど目をつぶって歌う。
こちらを見るのが怖いみたいに、
それしか出来ないみたいに、
ひたすら歌を叫び続ける。

途中、5・6曲目のところでようやっと音が途切れて、
木下君が、ちゃんとこちらを見た。
ゆっくり話し始めた、と思ったら、
生まれたての子犬みたいに急に震えて、
うまく話すことが出来ない。
彼の歌詞そっくりだ。
すごく不器用で、すごく綺麗な人だと思った。
なんていとおしい人なんだろう。

全部で1時間、十曲以上演奏は続いた。
すてきなライブだった。

自分に脆いところがあってよかった。
それがあるから、生きていくのが時々しんどいけど、
それがあるから、臆病な私は、どうやったって生きていくんだと思う。
あしたから、またちゃんと呼吸をして行こう。


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一度もサドルを上げたことすらなかった気がするし。 - 2001年09月16日(日)

気がついたら
自転車の前輪がパンクしていた。
どうりで、昨日の帰り道、
いちいち溝に車輪をとられていたわけだ。

哀しくて哀しくてとてもやりきれない。

とかなんとかいう矢先から、
顔が満面馬鹿っ面スマイルになっているのは、
私の顔面神経がおかしいから、
では決してないのだよ。

実に小学校4年生10歳から乗りつづけていた自転車であった。

当然さびている。
ベルもとれている。
後ろの赤くて丸い反射板もとれてる。
かろうじて、動いてる。
リュウマチみたいに、ぎーぎー小さく唸ってる。
交通法なんぞ知るもんか、の無頼者であった。
ママチャリなんだけど。

だがしかし。
そんなことよりも。
こうやって、
11年間乗りつづけられてきたということは。

つまり小学校4年生から、
たいして私の身長は変わっていない、
というこの事実。
哀愁ぶっちぎって屋根から花さかじいさんのごとくもしくは宮城の棟上式のごとくまきちらしてもなお足りないこの事実。

…うん。

でも、
それも壊れちゃった。
残念だね。
うん。
もう尺度になるものはないね。
とっても残念だね。
あはははは。
なんで笑いが止まんないんだろう。





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アキハバラ☆キラリ - 2001年09月15日(土)

敬老に感謝する日である。
感謝せずに、秋葉原に行く。

サークルのMDコンポを買うためである。
秋葉原というところは4年ぶりくらいだった。
道ゆく人々の、あまりの熱狂系執着系男性率の高さに
ちょっとの眩暈と本格的な頭痛。
頭痛は小学校時代からの持病なので、
常に薬を持ち歩いてるし、気にしないが、
それにしたって、家電屋さんでなければ同人誌屋さんばかり。
こんな空気までが濃い町だったっけか。
同行していたのがござさん・ぼんどさん・sugarくん、
男性3人で、ほんと安心できてよかった。
自分ひとりで来てたら、正直かなりへこんでたと思う。

音と値段を比較して、
sonyのコンポか、DENONのコンポにしよう、ということになる。
秋葉原というのは、勉強熱心な町である。
ちょっとお伺いを立てると、
またたくまに、
お値段が表示価格よりも多少なりとも下がってくれる。
安かった他の店の価格を言うと、必ずそれより下げてくれるから、
その下がった価格をもって他の店に行って、さらに下げてもらう。
電機の森のオリエンテーリングみたいで楽しい。

5軒目にして、
私たちがいかにも困窮して疲れ果てている学生に見えたのか、
それともただものほしそうなのがバレたのか、
べらぼうに値段を下げてくれる陽気なおっちゃんがいた。
おっちゃんの人柄と、そこが大手店であるという安心感と、
それからDENONのコンポの音のよさに、
決定。
実はDENONのコンポ、不必要なまでに操作がややこしい。
そんなもん、共用のものに買うなよ、といわれれば
反論の仕様がないのだが、
でも、DENON、予算内の他のコンポと比べると、
ほんとに惚れ惚れと音が良かったのだ。
お金があったら、私が自分で買うくらい。
ただ、領収書で「児童文学研究会」と入れてください、というと、
おっちゃんは一瞬、
心底あきれた顔をした。
…そのとおりです。
児童文学研究会がなんでそこまで音にこだわらにゃぁいかんのか、
私もちっともさっぱり分かりません。

大きな重い箱をキャリーに載せて、そのまま大事に大学までお持ち帰り。
いとおしくて、地下鉄で何度も箱を撫でてみた。
さっそく部室で組み立てる。
音が流れてくると、感動。
部室にちょうどよい具合に音が反響して、
嬉しくて跳びはねたくなるくらい素敵な感じ。
調子に乗って、色々とがんがん掛けてたら、
明和電機のサバオの声が、
少し離れたトイレの中まで、ノイズ漏れみたいに追いかけてきた。
…思わずちょっと背を丸めた。
…サバオだ…しかもサンバ…。

深刻なる問題は、
うちの部室が、サークル部室塔の中で、
文科系サークルの階にあるってことである。
あまりにも大きな音を立てちゃいけないような環境なんである。
切なさ大暴走。
それより何より問題なのはもしかして、
だから児童文学研究会が、
どうしてそこまで大音量高音重低音ずかずかしゃかしゃかどかどか
に、こだわらなきゃならないか
ってことなんだろうか。
おかしいなぁ。

解散後、ござさんと一緒に一路渋谷へ。
タワレコで明和電機のインストアライブ。
ステージの前には、スチールパイプの椅子が置いてあって、
客が座れるような形式になっていた。
私たちのチケット番号、実は20番代後半で、
時間に間に合っていれば前から2列目くらいで見れたんだろうが、
遅れていったので、後ろで立見だった。
…遅れていってよかった。
みんなで、サンバもどきを踊らされた。
前のほうの人、みんな踊ってた。
サバオホイッスルも吹き鳴らしてた。

今、テロがあったら、みなさんが最期にみるのはこれなわけですね、
って、
サンバサバオ(重量10キロ)を肩からはやした社長(重量50.4キロ)が言った。
…嫌だ。ぜったいに嫌だ。
サバオの最近のテーマカラーがショッキングピンクなせいか、
ステージになんだかものすごくあくどいパワーが付帯してきていて、
明和電機、そうでもしなきゃ、吉本の中で生き残っていけないんだろうか。
面白かったけどね。
明和電機は来年が十周年になるらしい。
ほぼ10年間、明和を好きでいる自分。
……。

「サバオになりたいかー!?」って裏声社長が叫んだ。
なりたくねーよ、って心底思った。
なりたーい、って叫んだ男性が、すかさずステージでサバオ被せられてた。
サバオから解放された社長は、すごい嬉しそうだった。
…彼は、いったいなんのためにサバオを被り続けてるんだろう。
やっぱりお兄ちゃんがいないステージは、少しすかすかして見えた。

ステージが終わったら、入り口で社長が待ち受けていて、
握手して、サバオのサインをもらった。
ふかふかしたあったかい手だった。
これで、明和のサイン、3枚目になった。
しかし貰ったところでどうすればいいのかわかんないから、たぶん、
やっぱり3枚纏めてどこかに隠蔽することだろう。
そして、これからもサイン増え続けるんだろうなぁ。
困ったなぁ。

タワレコをぷらぷらと彷徨って、
サインを入れる袋がなかったので、ついでにboatの「RORO」を買って袋を貰う。
夕飯に入ったイタ飯屋で、
イタ飯のくせして、
なぜか山盛りのカイワレと格闘。



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ラスト1日 - 2001年09月14日(金)

本日の学生数、4人。
とうとう、片手の指でもあまる。

1限目にしみじみとテスト。
午後からは、簡単な文章を読んで、
そして、
とうとう、
やっとこさ、
しゅうりょーう!

終わってから、思わず4人で労をねぎらいあう。
気分は共に戦ってきた戦友の引退式である。
最初13人で、残ったのが4人。
そのなかに自分がいるってんだから、
ほんとに私は馬鹿だと思う。
ほんとにすごい。
なにがすごいって、
2週間、ロシアに漬け込まれてきて、
「こんにちは」も「おはよう」も「おやすみ」も「さようなら」も
ろくに言えないんである。
私がわかるのは、
「プーシキンによって書かれた小説『エフゲニー オニーギン』は
 その詩人が生きた時代を反映している」
とか、
「モスクワよ! お前はいつもロシア人にとって人生の象徴であった。
 今や、お前は私にとって勝利の象徴ともなった。
 その勝利は自身ではやってこず、それをたたかいとらねばならない」
とか、
「我々は最上の野菜を買った」
とか、
「友達を売ってもいけないし、買ってもいけない」
とか、
そんなんばっかなんである。
すごいよ。
感動的なまでに、何の役にも立たないよ。
友達買うなよ、ロシア。
なにせ、文法しかやらなかったから。
二週間で、受け身形も完了形も関係代名詞も関係副詞も
なんだかすーべーて、終わったらしいから。
…無茶。

エキセントリックなことを無性にしたくなって、
指先を緑に塗った。
…エキセントリックというより、
むしろナメック星人になった。


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あと2日 - 2001年09月13日(木)

本日の学生数、5人。
とうとう、片手。
着実にサバイバル。

私がロシアにかまけている間に、
アメリカがすさまじいことになっている。

パレスチナの人々が
アメリカの惨状に
歓声を上げている映像が報道されていた。
グロテスクなものを見た気がした。
行き場のない気分になった。

その場所によって、
何が正しいのか、という答えが違ってることぐらいしってる。
その程度には私だって生きてきている。
パレスチナの人たちにはパレスチナでの生活と感情があり、
アメリカの人たちにはアメリカでの生活と感情がある。
私が、そのどちらが正しい、なんてことを言うのは
傲慢がすぎるということもしってる。
言えるはずがない。

ただ、想像力だけは
忘れたくないと思う。
どちらがより痛いのか、なんて、はかることは不可能だけれど、
何がどう痛むのか、
それを考えなくなったら、
私はおしまいだ。

一つの痛みだけしか見えなくなったら、
一緒に痛いと思えなくなったら。
片方の痛みだけわかっていたつもりになって、
それで満足だったら。
世界はのっぺりと単色で、
薄暗い視界で、
偏光ガラスを通してしか光も空気も通ってこないだろう。
そこは、とても楽で、とても幸せな世界だ。
そんな世界で生きていきたくないと思う。

アメリカに留学している知り合いが、
ロスで無事だというメールを読んだ。
よかった。
ほんとうによかった。


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あと3日 - 2001年09月12日(水)

本日の学生数、6人。

良く寝たら、
なんだかすべてがすばらしい。

ロシア語というのは、
どうにも猫に似ている。
メニャーとかムニャーとかスシャーとか、
とにかく猫そっくりである。
猫が角張った活字を被って、
教科書の中にごろごろしてる。


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あと4日 - 2001年09月11日(火)

台風!

遅刻する時間に起きたら、
ちょうど警報発令!

本日のロシア壊滅!

おめでとう!
ありがとう!

午後2時まで眠り続ける。



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今日を入れてあと5日 - 2001年09月10日(月)

ロシア語2週目突入。
本日の学生数、7名。

すごい雨。
台風がそこまで来てる。
自転車に乗って行けずに、駅まで歩いていったら、
コンバースのスニーカが生け花の土台スポンジみたいに水を吸い込んで、
一日中、足がぶにぶにと生っぽかった。
でも、気象警報は出ない。
待っても待っても休講にならない。
友人が、わざわざ事務所まで訊きに行った。
「まだ注意報ですよ」と追い払われた。
お役所仕事め。

今日から、先生が代わった。
私が先週の月曜まで
キリル文字が読めさえしなかったことを
まったく知らないかのようなスピードで1限目を進められる。
シベリアの凍土も砕け散るような無鉄砲具合で、
単語の意味もばんばん訊かれる。
またたく間に芋蔓式ノイローゼに陥る。

そのまま2限から
台風の風に乗ってどっかに飛んでっちゃおうかと
真剣に思っていると、急にペースが落ちた。
ようやっと先生は、われわれの実力にぶち当たったらしい。
なにせ、アルファベット体系すらちがうので、
辞書を引くのすら、非常に時間が掛かる。

しかし、思いやりがあったのはそこまでで、
露訳の宿題が、
大学界隈の定食屋さんも真っ青な具合でてんこもり。

帰宅後、延々取り組む。
が。
6時間かかっても終わらずに、
結局、泣き寝入り。



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Dope HEADzライブ - 2001年09月09日(日)

台風の裾が空にかかりはじめていましたが、
ときどき横殴りの豪雨でしたが、
夕方、お台場に行きました。
chocoさまとござさんと3人で
今日はDope HEADzのライブを観に行ったので。

待ち合わせは浜松町だったのに、
なぜか有楽町で降りてしまって、
しばらくそれに気付きすらしないで改札でぼーとしていて、
…でも気付けば町と漢字3文字しか合ってないやん自分!
とかいう私のぼけぼけな遅刻がありつつも、
無事にお台場に到着。

会場はZepp Tokyo。
かの有名な大観覧車のふもと。
というわけで、高所恐怖症のござさんに有無を言わせず
もちろん乗ってみました。
ちょうど雨も風も落ち着いた凪いだ時間で、
突き抜けた視界がべらぼうに自由で、
てっぺんの方で、chocoさまと一緒に立ち上がって、
すごい勝ち誇りながら、お台場のやつを見下ろしてやりました。
向こうの高層ビルの見えるあたりに、
逃げていかないプラスチックの煙みたいに
黒い雲が幾重にもたれさがっていて、
その立体構造の中からのびるビルの人工の垂直線が
凛としていました。
目が離せませんでした。

チケットの番号が最後の方だったので、
そんなにきばって開場を待つ必要もなく、
パレットタウンでぶらついて、
雑貨屋に乗っ取られそうな本屋に入りました。
中で売っていた輸入物ジュースの中に
「ルートビア」というメタリックサーモンピンクの缶があって、
このジュースに付けられた、店からの説明がすごい。
「おすすめできません。
 まずいです。
 湿布の味がします。」
のような内容。
…しっぷ?!
飲むんすか、しっぷ??!

しばらく逡巡した後、結局やっぱり購入。
Zeppの中で、開けてみたのであったが、
開封一番、ぷーんとだだよう
甘いがたしかに説教臭いその香り。
…しっぷだ。しっぷに違いない…。
一口、飲んでみました。
甘いがたしかにねっとりと説教臭いその味。
…甘いサイダーの中に、しっぷを漬け込んだら、
もしかしたらこんなお味になるかも…。
3人で、5口が限界でした。
速攻トイレに捨てに行きました。
流しに缶を逆さにしたら、
コーラを少し薄くしたみたいな液がしゅわしゅわでてきて、
おまけに最後の方で、
ウーロン茶の出し殻みたいな葉っぱまでぽろぽろ出てきました。
…なんの葉っぱなんだろう。
蛇口を思いっきり開いて、ぜんぶ流しちまいました。
見なかった見なかった。

で、メインディッシュのライブ。
出だしから、
音がすごくきっちりと、当たり前のように安心できる感じで、
ボーカルさんは当たり前のようにかっこよく歌って、
照明は当たり前のようにカラフルにステージと客を煽って、
客は当たり前のように黄色い悲鳴で、
当たり前のように感動しろと言われていて、
…なんて真面目なライブをする人たちなんだろうと思った。
様式美。
豪華なパッケージのライブ盤CDのなかに、
自分が押し込められている感覚があって、
Dopeさんは同じ空間にいるはずなのに、あきらかに私の上にいて、
息苦しくなって、
置いていかれました。最初の数曲。
途中、メンバーさんたちが
それぞれの演奏の腕を見せつけあう場面あたりがかっこよくって、
特にツインドラムの掛け合いが気持よくって、
そこらへんから、追いつくことが出来たけれど。
各人の腕は、ほんと惚れ惚れと素晴らしいのです。
正直、歌がない方が、かっこよかったりするのです。
とにかく、
一度慣れると楽しくなって、最後の方は気持よく跳ねられました。
いろいろなライブがあるもんです。
精進が足りないです。
わたしがおとなげないのかな。

かえりはラーメンをたべて、
忌野清志郎さんがCMで歌ってる「ラーメンをくわせろ」というフレーズを
ひとり密かに思い出しつつ、
大好きなゆりかもめに乗って、楽しい遊園地気分で帰ってきた。

その後、ロシア語予習。
…もちろん終わんない。










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北青山的2001LIVE - 2001年09月08日(土)

ワーナーミュージックが
自分のところのアーティストを集めて
北青山的というキャンペーンをうっている。
その一貫で、無料ご招待ライブが全国各地であって、
今日、6名ばかりで東京会場のライブに行ってきた。
本当は私は、キャンペーンに参加しているクラムボンが本命だったのだけれど、
東京ライブにはクラムボンは出ないのであった。
無念。

というわけで、場所は渋谷ON AIR EASTとWEST。
二つの会場に各6バンド、計12バンドが出演して、
会場の移動は自由にできる。
要は、ちっちゃなフェスである。

まずは、EASTにて。
全員でアナム&マキを見る。
彼女たちを見るのは二回目。
あいからわず、アナムとマキがアコギを下げて登場。
加えて今回は、ドラムとベース。
ベースがあったので、前回よりも深みがあって、好印象アップ。
しかし、会場にいる人々全員で
手拍子をしながら棒立ちで曲を聴く、
というスタイルに
ちょっとどころでなく居心地の悪さを感じる。
このままだともしや、不完全燃焼しそうな予感?
一酸化炭素中毒??

というわけで、2バンド目。
ちいさな隣会場・WESTに、ひとりだけですっ飛んでいく。
こちらのほうが、あまり有名じゃないロック系のバンドが出演する。
ほかの人を気遣う余裕なんてあるもんか。
自分の娯楽だけで手一杯である。
BOATのライブ。到着したら、すでに、一曲目をやっている最中だった。
1曲目からインスト。歌うことなくもくもくと楽器演奏。
2曲目「all」。やっぱり、これもほぼ、インスト。
曲間に客に向かって話すこともなく、
メンバーたちはひたすら曲と向き合っている。
3曲目「雲番人Bと釣人A」に至っても、やっぱり徹底してインスト。
ここまでくると、言葉なんかなくても、
音作りを本当に愛している感じがかえって良く伝わってきて、
なんて愛すべきバンドなんだろう、と思った。
スーパーカーのライブを見たときの感覚を思い出した。
そうしているうちに、3曲目辺りで、
広がっていく世界にのまれて、
胸が心地よく重くなって、
もしかして自分はとても感動しているのかもしれない、とおもった。
思う間もなく、目まで重くなって、
間髪いれずに、ぼろぼろときやがった。
これにはまいった。

あんまりにも羨ましかった。
言葉なんかいらなくっても、
こんなに世界を表現するすべを身に付けている彼らが
羨ましくってしかたなかった。
音に向き合い挑む姿勢と、
客におもねらない、でも突き放しもしない適度な距離と。
なんてバランスを持ってやがる。
そしてそれを、なんてみごとに生で表現しやがる。
言葉ですら、うまく世界を表現することのできない自分のことを思った。
でも、言葉にすがってしか、私は世界に生きられない。
なのに、言葉なんかいらないことを見せつけられたら、
いったい私はどうすればいい?

だから、音楽はこわい。
だから、音楽がすきだ。
崩れていけ。
壊せ。壊しちまえ。

その後、
まだ、EASTの方で、cannabisがやっているかと思い、
行ってみたが、すでに会場は終了の拍手の嵐。
せっかくきたのだから、と、
次のTOMATO CUBEを見る。
これまた、アコギ2本+ドリカムボイス似の女の子編成。
客、棒立ち拍手。
3曲目にして、逃げてWESTへ戻る。
What's Loveがスカ歌謡を演奏中。
しかしそれよりなにより、
いきなりボーカルの人が上半身脱いじゃってることに仰天。

そのままそこに居残って、次のバンド。
と思ったら、
いきなり外人さんたちが出てきてびっくり。
LUCKY BOYS CONFUSIONって名前に見覚えないなぁ、
とおもってたら、洋楽だったのだ。
びっくりびっくり。
ロックにラップやレゲエ要素をぶっこんで
結構楽しいライブだった。CD買いたいとは思えなかったけど。
ボーカルの兄さんの赤いTシャツが、いかにも色落ちしていて
むしろずっと気になって仕方なかった。
新品だった時、きっと色落ちしたんだろうなぁ。
他の洗濯物、きっと色ついたよな。
白いシャツなんて、きっとピンク色に変身だ。

次、IN−HI。
INDIAN-HIという名前だった時代のCDを試聴したことがあり、
ちょっと興味があった。
ロックに沖縄サウンドをうまく取り入れたメロディーの曲が多い。
そういった曲は、あまり他のハードロックバンドにない個性があって、
そうやって、自分たちらしさを追及しているバンドというのが、
私はとても好きだ。
ライブで、
客みんなで沖縄のカチャーシーの踊りの手つきで、
のりのりで、
でもごりごりのロック、なんて、
ちょっと不思議な感じがいいんじゃない?

ラスト。
Hermann H.&The PaceMakers。
長い。名前が。
とても乗りやすい音で、ポップでロック。
その上、ちょっと跳ねてみたら、案外足首平気だったので、
調子にのって、ずっと跳ねてた。
事前に聴いていた曲が、洋楽崩れ、みたいな感じだったので、
どんなものなんだろう、と思っていたら、
意外とメロウな日本要素も入り乱れていて、
ジャンルの境目がよくわからないのが素敵だった。
もともと、何系何系、と音楽をわけるのは苦手だ。
自分が好きなら、それですべて、だ。
「言葉の果てに雨が降る」という曲が、とても好きだった。
帰り道、覚えたサビの部分、ずっと歌ってた。

終了。
しかし、まだEASTの方がやっている気配だったので、
もぐりこんでみると、
超有名どころ、コブクロが最後の曲をやっている最中だった。
客がみんなで声を合わせて歌っていて、どうしようかと思った。
コブクロを見ていた連れのうちの一人の言葉、
「ゆずとどこが違うの?」
…うん、その通りだね。
君の勝ちだよ。

楽しかった。無料でこんなに楽しんでしまって、
いいのかなぁ、と思っていたら、
いいはずなかった。
治りかけの足首がぎこぎこと言っている。
だがしかし。
やっぱり満足。

次は、ぜったい、クラムボンが見たいな。


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帰りの電車は寝過ごしました。 - 2001年09月07日(金)

日本語会話が嬉しくて、
調子こいて深夜3時まで長電話して、

死にかけビニール人形のように
今日一日、朦朧とのびてすごす。
寝れば弾力はもどるだろうから、
まだ、うどんやそばには勝っている。
粉系には負けない。

本日のおろしやの開始時、6人。
あと少しの辛抱である。
あとちょっとで片手で数えられるようになる。便利が一番。

その後、終了時までに10人に回復。




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ヤー イポンカ - 2001年09月06日(木)

授業開始時、容赦なく学生7人。
ラッキーセブンだね、とすかさず思った自分の瞳が昏い。

あとで増えて、結局9人。

ロシアから解放された直後の魂奴隷のところに、
たかはらさまよりお電話が入る。
いまから来ないか、とのこと。
人間恋しや、すっとんでいく。

たするさまととキリPOMさままでいた。
パソコンの画面の前で、
どうやら、たかはらさまに
イラストレーターの使い方を習っていたご様子。
わたしはイラレなんぞ使えるはずもないから、
そこで草団子とシフォンケーキを食っちゃってただけなのだが、

とにかく、日本語ってなんと自由なのだ!!

ひたすら感銘を受けつつ、
ひたすらベットでごろごろしてきた。
月曜からひたすらダメージを受けつづけ、
日本語の本を読む気力すらなかったわたくしにとって、
たかはらの部屋でひさびさに読んだ活字は、
まさしく就活本で、
それすらもとてもいとおしく感じたのは、
まさしくロシアのおかげである。

就活は嫌だが、
就職はわりと楽しみかもしれない。
今日、たかはらとの話のついでに
卑近な目標らしきものが出来たので、
それがあるならやっていけそうな気もしてきた。
目先ににんじんぶらさげられたロバと同レベルで、
ロバらしくぽくぽくやっていこうかとも思う。



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四面露歌 - 2001年09月05日(水)

天気がよろしくない。
雨ふらないだけがまし。

そろそろ日本語が恋しい。

誰かに電話しようと決意して、
一生懸命、宿題をやったのに、
終わったら、みごとに夜12時を回っていた。
…電話すら出来やしねぇ。

ロシアに監禁状態。
ぴったりすぎて目がうつろ。


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はかなもう - 2001年09月04日(火)

耳から南京錠をさげている兄さんを見た。

首からではなく。
まして鎖からでもなく。
耳からである。
南京錠である。
鍵閉めちゃってるんである。
耳たぶが錠の重みでのびて、最新式大黒様の様相を呈しているのである。
何が彼をそこまで駆り立てるというのか。
彼はいったい密かに何を封じている。

それは重大なものでなければいけない。
ロシアの陰謀を封じたくらいではいけない。
彼は世界を救っているのに違いないのだった。
南京錠を外したら、
とたんに彼は正義のヒーロー・ナンキンナゲールとなって
夜明けの空に飛び去っていくのである。
とにかく夜明けの空なのである。
飛び去るのみなのである。
ナンキンナゲールと目をあわしてはいけないのであった。
目をあわしたら、耳から南京錠さげられちまうぞ。

のびきった耳たぶによって 我々は救われている というこの事実。

それより自分の疲労具合の方が心配である。



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知恵熱寸前 - 2001年09月03日(月)

いいかげんにしてくれよ。

(↓ キリル文字変換)

Иикагэнниситэкурэё.


…ほんと、いいかげんにしようよ。

ますますロシアというところが恐ろしくて仕方ない。
ロシアは陰謀渦巻くところだ。
そうでなければ、
アルファベットをこんなに暗号にする必然性がないじゃないか。
ちなみにわたしの名前「ぷう」は、
ロシアにかかると、「Пу」である。
みぐるみ剥がされ骨と皮ばかりじゃないか。目も当てられない。

私がここで、だれかの秘密や自分の秘密を
キリル文字で記したとして、
誰も読めないわけだし、
私もすぐに読み方忘れるだろうし、
おお、
さすが、ロシア。
完全犯罪。

ロシアの脅威に晒されつづけた一日3限分の授業。
ようやっと命だけは無事で開放された帰り道、
ぷらりとたちよった薬局で、
みつけたマニキュア。
色名、その名も、
「小倉ようかん」。
やはりロシアの陰謀としかおもえない。
致命傷である。

というわけで、
今現在キーボードを叩く私の爪先は、
小倉ようかんが
緩慢に乾いていく最中。


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ピロシキとボルシチ以外に単語を知らないので。 - 2001年09月02日(日)

人間はったりが肝要なのである。

ふいに悟ってみた。

どうもさっきからしきりと緊張していて、
どうやらそれは
あしたから大学の夏季集中講座で
初級ロシア語が始まることが原因らしい。

たしかにロシアは恐ろしい。

木彫りの人形の中を
あけてもあけても
やっぱり木彫りの人形が登場するような国である。

油断してはならない。

だがしかし。
あの人形の名前が、マトリョーシカ、というのであれば、
私の綱渡り的記憶でも正しいのであれば、
ちょっとロシアに勝てそうな気もしてきた。
時にははったりである。



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光について - 2001年09月01日(土)

 少しはこの場所に慣れた
 余計なものまで手に入れた 
 イメージの違いに気付かなかった

エンドレスでグレープバインのフレーズが回る。
よみきかせに行く。

私以外に誰も来てくれないかな、と思っていたら、
予想と違い、
ZAZAくんとshotaroくんとボンドさんが来た。

話しているうちに、
いつもの自分の感覚が戻ってくる。
人間と話すのは、
リハビリにはとてもよいらしい。

今日読んだかみしばいで、
幼稚園の夏のおとまり保育の話があって、
キャンプファイヤーやきもだめしと、
やっていることが、一昨日までの自分達とそっくりだった。
…要は、われわれ、ようちえん並み。
でも、ちょっとだけ、納得。

昨日・今日と、TV放映されていた「タイタニック」を見た。
「タイタニック」はそれまで、
沈没のシーンを切れ切れに観たことがあっただけで、
通しでストーリーを追うのはこれが初めてだった。
涙は出来ないけど、
ジャックのお友達の扱いがあんまりだけど、
まぁ、面白いんじゃないの、と思った。
並ばずTVで観てよかった。
その割りには、
映画の途中にかかってきたたかはらからの電話を、
一回生返事ですっぽかしたりしてるんだよね。
ごめんよ。


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