My Cup Of Tea...POO

 

 

繭の中 - 2001年08月31日(金)

午後4時起床。
17時間睡眠。

終日、熱っぽい。
寝て過ごす。

なにかするしか能がないのに、
なにもできない自分があわれで嫌だ。




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サークル夏合宿四日目 - 2001年08月30日(木)

2次会は、お宿の離れのコテージに移ることになった。
お酒はみんなに持っていってもらって、
少人数で会場のお片づけをしているうちに、
すとんとテンションが落ちてきて、
きっとこのままだとコテージのノリに耐え切れないだろうということを自覚する。
…年だろうか。

このまま寝てしまうのも悔しいけど、
あんまり人間が多いところに行きたくもなくて、
なんとなくお宿の玄関に座り込む。
ボンドさんも座り込んだので、
自分ひとりじゃないんならまあいいや、と、動く気もなくなる。
私ひとりいなくたって、2次会がどうなるってものでもあるまい。
「人間嫌い〜」とか、わけのわかんない、
でもそのときの気分としてはちょっと本音をいいながら
横になってごろごろして、
しばらくお休みしてからテンションを回復しようかと思っていると、
どんどんへたれ組に加わる人が出てきて、
5人ばかりで円になって、何を話すでもなくまったりと話をする。
酔っ払いが玄関を時折出たり入ったりするので、
そのまま酔っ払って玄関で寝入ってしまう人なんかもいて、
それを観察して、みんなで笑うのがとっても面白い。

途中、Mちゃんが中座。
1時間したら起きてくるということだったが、起こしても起きず、
みんなで切ながる。
でもなにが切ないって、私が切ない。
紅二点のうちのMちゃんがいなくなってしまったので、
野郎の中に取り残された。
人数がまた増えても、なぜかやっぱり野郎ばかりで
konocoちゃんがたまに来ては、帰っていくくらいで、
一向に女の子が増える気配なし。
まぁいいけどさ、とか思いながら、野郎のする話なぞを聞いていると、
なんだか非常にとんでもないことを言っている。
なんだかもう、馬鹿オンパレードなお話で、
男の子の馬鹿っぷりと可愛いさっぷりに、
かなりな勢いでげっぷがでそうである。
面白かったから、私もげらげら笑ってたし、いいけどね。

4時半にお迎えが来て、就寝。
ところが、8時に目が醒める。
自分が信じられない。
3時間半しか寝られないなんて…やっぱり年だ。

私がいなかった所でなにやら事件が起こったらしいことを朝食の席で知り、
寝る前のまったりした時間が、すこしだけ恋しくなる。
その上、朝刊に「Gateway日本撤退」の記事を見て、
非常なショックを受ける。
私の愛用しているこのPC「牛」はGateway社製品で、
Gatewayは買った後のケアがしっかりしているから、という理由で
購入したというのに、だ。
行き場を無くした牛のことを考えて、余計に哀しくなる。

落ち込みそうな気分を、出発前に川に入って洗い流そうとする。
足が昨日より痛くなってることに気付く。
でも、それが感じなくなるくらいに水が冷たい。
一昨日のござさんやsugarくんよりも
よほど上手に石投げをするZAZAくんやshotaroくんを眺めながら、
帰りたくないな、なぞと思っていた。

でも、帰らないわけにはいかず。
帰りのバスでは眠りつづけ、朦朧としながら、
東京に戻ってきたのだった。

適度な濃度の、適度な合宿だったんじゃないかとおもう。
楽しかった。
へびくん、sugarくん、おつかれでした。
3泊中、
一度も星が見えなかったことだけが心残りだ。


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サークル夏合宿三日目 - 2001年08月29日(水)

お勉強の日。
絵本展の準備のため、パートに分かれてそれぞれ活動。
文芸パートチーフとしては、とっとと活動終わらせて、
当然、川で遊ぶつもりである。

ところが、原稿用紙10枚以上の作品が11篇も集まってしまったがため、
延々と作品を読み続ける。
1時半から一時間、川に入るも、
その後、勉強ケイゾク。
みんな眼精疲労にぐったりしつつ、4時に終了。
その後、「五行戦隊エレメンタルファイブ」という戦隊ものを自作しようと、
一部の人間で無駄に熱狂して、
他パートの人間からいぶかしがられる。
紅一点、ゴージャスゴールドの髪型は、
絶対たてまきロールだろうということで一同同意。
でも実は八百屋の娘らしい。
人間、いろいろ悲しい過去はあるものである。

余談であるが、間近に迫った就職活動への逃避からであろうか、
私はかなり前からときどき「八百屋になりたーい!」発作に襲われる。
八百屋になりたくてたまらない。
じゃがいもが売りたい。
とまとが愛しい。
とまとが愛しくてしょうがない習性は、中学生からずっとだが。
やまいもが愛しいのは、最近なんじゃないかと思う。
誰か、私と一緒に八百屋をやってくれる人はいないもんだろうか。
魚屋は臭いがあるから、ちょっと嫌だ。
なんなら豆腐屋とかでもいいや。
ああ、豆腐屋いいなぁ。ぷー、ってあのラッパ鳴らしたいなぁ。
ラッパ、という点ではラーメン屋でもいいんだが、
ちゃるめらは吹くのが難しいというから、
やっぱり豆腐屋だよね。
要は大豆だよ。
植物だよ。
合宿のお食事は、野菜が不足しているよ。
野菜野菜。八百屋だよ八百屋。八百屋のやつめ。えーい八百屋。

夕飯後、きもだめしをするために、
お宿から2キロ離れた山奥へ、マイクロバスで送ってもらう。
今回はなんやかんやいって、全員参加になった。
うれしいうれしい。
街灯もない山の中。おばけたちのスタンバイを待つ間に、
やっぱり雨がぱらついてくる。
これで3日連続、夜には雨。
雨人さんがいるに違いない。

私はひとりゴール地点で待機、ということになった。
ゴール地点には給水塔があって、
一本だけ街灯が立っていた。
ここで、初めの組がやってくるまで、ひとりぼっちである。

待機場所は坂になっていて、
普通に立っていると、少々足にこたえる。
気を紛らわそうと辺りを観察すると、
坂の下の方が、妙に白くぼんやりと浮かび上がってきて、
何かいるような気分になってきた。
目を逸らして、上のほうを向くと、そこには給水塔。
そのなかにもし何かが揺らいでいたら。
もし白い足が。
手が。
髪の毛が。
携帯を取り出して、くだらないメールをchocoさまに送った。
私は外につながっている。
大丈夫。

最初の組がやってきた。
足が辛かったので、普通にお出迎えした。
マスターからちょっとつまらなそうな顔をされた。
なので、マスターに後はお任せしたら、
嬉々として次の組を脅かしていた。
雨脚が強くなる。

私はポンチョしかその場に持ってきておらず、
ポンチョはどんどん浸水してくる。
髪の毛がすっかりぐっしょりとして、袖が冷たい。
どしゃぶりになって、
4組目が帰ってきたところでとうとう中止になった。
2キロの道のりを歩いて帰る。
坂を下る。足にくる。
自棄になって、
仙台銘菓ちゃんやござさんと馬鹿っぱなしをしながら歩いていると、
ふうと雨脚はよわくなって、
正面、いっしゅん滲むように明るくなって、
月が見えた。

お風呂で体を温めて、
最後のイベント、コンパがやってくる。
日が変わる前の1次会は、お宿の食堂にて。
あえて全部の名前は残さないが、
どうしようもない兄さんC・H・G三名が早くから暴れていた以外は、
和やかに過ぎる一次会。
私の目の前では、マスターとsugar君がラブラブである。
どうしてウチのサークルというやつは、
酔うと男の子同士でこうもラブラブになっちまうんだろう。
いや、女の子にからむよりは、よっぽど性質が良いんだけれども。
Mちゃんと二人して、食べられるしゃぼんだまを飛ばして、
みんなが鯉みたいにぱくぱくしゃぼんを喰らう姿をみて大笑いしているうちに、
ちょうど、12時になって、
1次会お開き。


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サークル夏合宿二日目 - 2001年08月28日(火)

尾瀬ハイキングの日なのである。
具合がよくなったら行こうと願って、
ちゃんと帽子やらリュックやらを用意していたのに、
行けない時のためにと思って、
用意してきた文庫本やら原稿用紙やら広辞苑やらが、
とっても役に立っちゃいそうな気配。

私のほかに、ちょうどおんなじようにござさんが捻挫していて、
二人して容赦なく見送り組と相成り候。
悔しいから
どっかあんまり歩かなくても行けそうなところに行こうかという話になり、
お宿の人に相談すると、
丸沼高原あたりはどうかという。
ゴンドラがあって、高原を散策できますよーなんだか乗り物もありますよー
って言われたって、…歩けないんだってば、あなた。
一応バスの時間を調べてくれたが、
7時のバスは出てしまったので、後は1時になるという。
…今はまだ9時。
二人して微妙な顔で、宿の人に一応お礼を言ったところで、
突然颯爽と救世主登場!
会計のsugar君である。
sugar君は免許を持っていて、お宿のオーナーは車を貸してくれるという。
とたんに一件落着である。
sugar君がハイキングに行かなければ、尾瀬に行く幹部はへび幹事長一人。
大変申し訳なかったのであるが、背に腹は変えられぬ。
sugar君はわれら捻挫組二人の希望の星なのである。

というわけで、拉致(というより自発的誘拐)成功。
そこでハイキング断念組は、
非常ににこにことみなを見送ろうとしたが、
登山道の入り口まで見送ったらどうだとオーナーに勧められて、
結局、つっかけにパジャマ姿(←パジャマはござさんだけね)で
バスに同乗して、鳩待峠までみんなを送っていった。
つっかけで鳩待峠まで行くなんて、
かなりとんでもなく尾瀬をなめきった姿をしていると思われたので、
尾瀬の神様を怒らせないうちに、とっとと下山。

オーナーが貸してくれると出してきたのは
大きなワゴン車で、sugar君、ちょっと動揺。
でも、試しに走らせたら十分運転できるということで、
まずは丸沼でも観に行こうかということになる。
sugar君に運転させておいて、後部座席でふんぞり返るだけのござさんと私。
いやぁ、まったく楽でよいねぇ。
丁寧で危なげないsugar君の運転で、30分で無事に丸沼に到着。

丸沼は、のどかに静かだった。
有名な観光地でないのか、釣り人と、それからまばらな人々。
碧色の湖面は森に囲まれていて、
縁の方では枯れた木が、すらりと骨のように飛び出て、空間に突き刺さっている。
砂と小石の白い岸辺にはオオバコやらアカマンマやらが生えていて、
川の流れが幾筋にも小さく分かれて、
するすると足元を流れて湖面へと向かっていく。
手漕ぎボートが2つばかり、てんでに浮かんでいる。
とんぼが飛んでいて、バッタが跳ねた。

男性二人が湖面に向かって、石を投げはじめた。
釣り人にはさぞかし迷惑だったんだろうけど、
そんなこと気にせずに、揺らぐ綺麗な光に向かって石をいくつも投げ込んだ。
sugar君の石が3段飛んで、ござさんは2段で、
私は生まれて初めて2段飛ばした。
死んだ魚を見つけて、とんぼの目を回そうとして、
自分が大人の年齢であることを、忘れかけた。

湖畔のピクニックゾーンのベンチで
お宿が作ってくれたしょっぱいおにぎりを食べながら、
突如これから日光にいってみようか、という話になった。
ここまでのぼってきた車道は、そのまま行けば日光に通じているので、
合宿で尾瀬に行ってきたはずなのに、なぜか日光に行っちゃった、
ってのもどうせだったら馬鹿馬鹿しくてよいなぁ、ということで。

くねくねと山の中をのぼっていく道は金精峠を越えて、
栃木県に入った。
硫黄の匂いがどこからかしてきて、温泉があるのかな、
なんて話をしているうちに
見覚えのある草っぱらが見えてきて、
どうもこれが戦場ヶ原ではないか、という話になった。
有名な観光地なのに、どうしてこんな間抜けな話し合いをしているかというと、
なにせ、私たちがもっている地図は、
金精峠を越えた辺りで切れていて、
それもまぁいいよね手探りのまま日光に行こう、なんて
かなり大それたことをやらかしちゃっていたのだ。
スワンボートが岸辺にひしめく大きな湖の周りをぐるりと走って、
急にお土産屋さんの立ち並ぶ都会に出てきちまったので、
車を脇にとめて、お土産屋さんのひとつで付近の地図を買い求めると、
果たしてこれが中禅寺湖であった。

なんだか現在地からだと華厳の滝がとっても近いらしい、
ということにようやっと気付いて、
選択の余地なく観に行くことにする。

お金を払って、30人乗りエレベーターに乗って、
降りた先には見事に長い階段があった。
そういった類を避けたいと足がしきりに訴えたが、
知るか。無視無視。
着いた展望台は、華厳の滝を下から見上げる白い鉄骨のステージで、
滝からは結構距離があるのに、しぶきが降り注いでくる。
前日の雨のせいか、滝はかなりの水量があり、
白い狂暴なかたまりが、とぎれることなく滝壷の水面をえぐる。
激流が白濁しながら激しい音で流れ下る。
自殺の名所だといわれているのを思い出したが、
私は華厳の滝よりも、昨日の吹割の滝のほうが、怖いと思った。
華厳の滝にとび込むには、
その威風堂々とした風貌に勝つだけの覚悟が必要だろう。
吹割の滝は、その気がなくても、
ふう、と自分の弱いところが呼ばれて引き込まれて
何気なくでも永久に、その流れに巻き込まれていきそうな気がする。
華厳の滝は観賞用だ。安心して観ていられる。

そんなことを思いながら一番前の手すりでじいっと滝を眺めていたら、
ござさんの手に、とんぼが止まって、動かなくなった。
どこから来たんだろうね、なんて上を向いたら、
柱状になった岩が組みあわさった絶壁が見えて、
視線をもどしたら、また一匹、とんぼを見つけた。
秋なんだな。

地上に戻って、尾瀬組のために、
「NIKKO」という嫌味的にでかでかとロゴの入ったクッキーをお土産として買う。
いろは坂を通って、東照宮に行きたかったけれど
時間が微妙なところだったので断念。
中禅寺湖という名前は有名なのに、そういえば、中禅寺はどこにあるんだろう、
といういかにもどうでもいいことが疑問にのぼって、
買いたての地図を眺めるも、中禅寺という名はなし。
ますます疑問になって、ぜひとも中禅寺に行きたい、という一念で、
その後、中禅寺が立木観音という名前で地図に載っていることを突き止める。
そこだったら、華厳の滝から非常に近い。

というわけで、謎の中禅寺へ。
県営の無料駐車場に車を止め、
参道らしきものの脇にならぶ、お土産屋さんの軒先を歩く。
お土産屋さんのほとんどは、日光彫りを売ったもので、
店先では、背中をまるめたおばあちゃんが、
分厚いめがねをかけて、こつこつと丸い木のプレートを彫っている。
私たちが前を通っても、顔を上げない。
店内は暗く人気はない。
木彫りたちはじっと、木だったころの時間を気配に滲ませている。
なんだか、時間のとまってしまった不思議の町を通り過ぎるようで、
歩いている自分のほうが、不思議なもののような気分になった。

参拝料を払って、赤い鳥居をくぐると、
大きな木や、木の瘤や、水場や、愛染明王のお社やらに
いちいちありがたーいご説明がついていて、
おまけに、しゃくなげにまで「高山植物」という説明がついていて、
なんだかすべてがお仕着せがましくて、微笑ましかった。
ご本殿の入り口にくると、人数が集まったらご案内いたしますので、とのこと。
境内は、私たちのほかに、人影もないように思われたから、
果たしていつ案内してもらえるのか、と不安になったが、
すぐにもう一団体がやってきて、中に通してもらえた。

入るとすぐに、噂の立木観音があって、説明を受ける。
日光で一番古い観音様です、なんて説明のあとに、
ありがたーい小槌が登場してきて、いったい何かと思ったら、
ここでこれを販売していて、おひとついかがですか、とのこと。
ほかにもその観音様が手にもってらっしゃる
杓のレプリカやらなにやらも売ってるらしい。
あまりに露骨な商売っけに内心爆笑。
何も買わずに階段をのぼると立派なご本像があって、
ここでもありがたーいお線香はいかがですか、ときたもんだ。
あまりに商売っ気がない参道と対照的過ぎて、
すっかり中禅寺一帯が気に入ってしまった。

実は今日、マスターが遅れてお宿までやってくることになっていた。
それの連絡役を、居残り捻挫組のわれらが務めていて、
マスターを途中の鎌田というバス亭まで迎えにいくことになっていたのだが、
ここで突如、彼から連絡が入って、
電車で沼田駅までついたがいいが、そこから鎌田までのバス代1600円がないという。
駅まで迎えに行くとしたら、かなり予定していたよりも時間が掛かることになる。
今、日光から沼田駅までいくとしたら、
きっと夜7時からのバーベキューになんぞ間に合わない。
遊びほおけた上に、尾瀬組よりもはるか後に帰ってきた、とあっては、
へび君の逆鱗に触れるであろうことは目に見えている。
慌て呆れたわれわれは、沼田駅のちかくにあるサティの位置をマスターに教えて、
そこでお金を下ろすように言い含めつつ、
あわてて日光を後にしたのだった。

金精峠のあたりは携帯が通じない。
マスターが無事にお金をおろせたかどうか不安がりつつ、
対向車線に大きく膨らみながらカーブを走らせて、
ふもとにおりてきたところで、無事にバスに乗れたという情報を得る。
一安心したところで、鎌田で1時間つぶす。なんにもないところで、
手持ち無沙汰が極まった頃に、
不必要なまでに爽やかにマスター登場。
そうして、お宿に到着したのは6時を過ぎていた。
尾瀬組は1時間ばかり前に帰ってきたばかり。
ゆるされる範囲の遅刻で帰って来れてほっとする。

7時からのバーべキューは、疲れている尾瀬組のためにがんばらにゃぁと、
野菜を焼きまくる。
みんなが満腹になってきた頃に、雨がぱらついてきたので、
あわてて片付けて、花火とミニキャンプファイアーに移行。
煙にむせて涙を流しつつも、大量の花火を消費して、
人だま君を燃やして、はしゃいで、
しゃがみこんで薪がはぜるのを観察して、
火を眺めて、

ああ、なんだか今日はとっても幸せだったな、と思った。

夜は、トランプ。
ダウトで大いに盛り上がる。
3時半にお開き。


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サークル夏合宿一日目 - 2001年08月27日(月)

足を引きずれば、痛みつつものそのそ歩ける程度に回復。
なんだよ、ああ、よかった、
と思いつつ、親のすすめに逆らいきれず、
バックの中に折畳式の杖を忍ばせるPOO(推定21歳)。

最寄の駅まで車で送ってもらって
電車に乗ったとこまではよかった。
ところが、集合は、大学に9時。
つまり、ラッシュアワー帯。
誰だよ、こんな時間に集合設定したの。
と呪おうとしたところで、
自分を含めた幹部連のせいであることに思い至ってしまって、
そうすることもままならず。
当然、座れるはずもなく、つり革につかまる45分。
次第にじくじくと足首が、湿地帯のような粘っこさで悲鳴をあげだし、
大学に到着する頃には、実は顔の微小な痙攣を伴った半泣き状態。
笑ってたんだけどね。嗤うしかなかったんだよね。

こちらの連絡ミスで遅刻せざるをえなくなってしまった
大変申し訳ない人や
こちらのミスでなく遅刻してきた
大変すっとこどっこいな人を含めて、
予想通り、集合時間の1時間後、10時過ぎに全員集合。
というわけで、バスは定時どおり、10時過ぎに出発。
楽しい楽しい尾瀬岩倉へ。

途中、赤城高原サービスエリアで昼食をとり、
高速を降りた後、
吹割の滝、というところを見学する。
吹割の滝というのは、幅の広い浅い清流が
岩の切れ目から不意にすっと引き込まれるように下に落ち込んでいる
天然記念物に指定されている美しい滝である。
水が岩の下に引き込まれるように、
人も水の中に引き込まれそうな気分になる。
普通の滝みたいに荒くもなければ、
水流が激しく早いようにも見えないので、
そんなふうに魅了されてしまうのだろう。

その上、滝口へ向かう歩道は、
水面より、ほんの少しだけ高いところにあるだけで、
そのうえ、流れと接しているのに、手すりすらない。
水は、自分の立っている岩場のすぐ近くから、
さあおいであなたもここからすばやくダイビーングはいかが?的に
下へと吸い込まれていく。
そこにもロープもなにもない。

なんとも豪快な、換言すればいい加減な観光地だ。
その日本らしからぬいい加減さがとてもよい感じで、
時間があったら、そして、理性に自信があるときには、
たぶん一日中でも眺めていられる。
もともと水は好きだ。

その流れをすべて見下ろせる釣り橋で、
かなり長時間、なんだか勝ち誇った気分で
全景を自分の視界に収めてから、
ついでに、駐車場で、夕張メロンソフトクリームを胃袋に収めてから、
満足しきって滝を後にする。

お宿に到着。
お宿はショッキングなピンク色だった。
パンフレットでは白色をしていたのに、
と、ショックを受けていたら、
事前に下見に来ていたsugar君までもが驚いていた。
下見に来た時には、まだ白色をしていたらしい。
いつのまにかアメリカナイズされた大味の壁に、
なんとなくドクターペッパーを思い出して、
もう一生涯ドクターペッパーは飲まない、という自分の誓いを思い出して、
なんとなくおろおろした気分に陥る。

お宿の後ろは川が流れていて、
水好きの私としては、早速、ズボンの裾をまくって、
サポーターも湿布も引っぺがして中に入る。
川の中には、歩きやすいように、
コンクリートのブロックが適当な間隔で置いてあって、
川の真中にある岩に腰かける。
水はべらぼうに冷たくって、じくじくとする足首を麻痺させて気持よい。
しばらくじっと、岩と同化する。

ミーティングの後、行った雑貨屋さんに水風船が売っていて、
Mちゃんが、それをすかさず購入。
私が購入した、ブラックジンジャーという名前の
「辛口炭酸」という枕詞が怪しげなジンジャーエールのペットボトルは
完全に薬臭い失敗作の味がした。

雑貨屋さんへ行く途中から、雨が降り出して、
夕飯時になってもまだ止まず、
今日、予定していた花火は結局中止になった。
急に手持ち無沙汰になったので、
3・4年女子部屋では水風船に水を入れて遊んでいたが、
それだけでは余計に手持ち無沙汰になって、
酒盛りになっていた2・3年男子海賊部屋に
水風船ぽこぽこ投げ込んで逃げてきた。
(投げ込もう、って言ったのは、結局私でした。
 ごめんね、へび君。そして、後でへび君に怒られてたshotoro君?あたりの人々。
 だって、水風船、投げても割れないくらいに丈夫だったんだもん。
 ちゃんと実験済みだったんだもん。そしてなにより、楽しかったんだもん)

えみりーちゃんの持ってきたウノをしばらくやって、
明日のハイキングに備えて、12時半にお開き。
夢も見ずに、すとん、と熟睡。


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ペンギン・ライフ - 2001年08月26日(日)

足が痛くて、ろくに眠れず。

明け方になって、少し楽になって、
結局、今日予定していた試験官バイトを当日キャンセルする、
という最悪の人間になってまで、
ごろごろと雨のあとのミミズみたいに、
ただひたすら惰眠をむさぼりつつ干乾びていた。

午後から、のそろのそろとお仕事。
合宿中に必要な原稿用紙10枚のおはなしを一本、あげる。
おはなしを見直す熟成期間が欲しいのに、
たぶんこのまま人の目に触れそうな気配。
直前まで書かない自分がいけない。
そして、それを平気で人に見せてしまえそうな自分はいけない。

やることがないので、反省してみる。
しかし、反省しつつ、
歩く時はよたりよたりとペンギン歩きで、
あんまり説得力がないのは哀しいことである。

とにかく階段をハイハイせずとも上り下りできるようになった。
おめでたいことである。

明日から、合宿にでてきます。
これ以上人に迷惑掛けないように、
ひっそりと反省し続けることにしよう。
反省し飽きるころには、
きっとペンギン歩きのやりかたも、
わすれているはずさ。


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アブラアセ☆ツラリ - 2001年08月25日(土)

なんだかとっても疲れ果てて
駅の階段を下りていたメランコリック午後2時。

ふっと世界が急速下降。

気がついたら、
みごとにすっころんで、
足首捻っていた。

ばね人形のようにびよんと立ち上がり、
そ知らぬ振りをしつつ歩き出し、
よみきかせに行く。

歩いている間も、満面笑顔。
にこにこしながら街を行く。

だって、一瞬でもお顔を引き攣らせたら、
弾みでどこまでもとめどなく引き攣りそうだったんだもの。
だから笑うのさ。
実はあぶら汗なのさ。
たらたらさ。

帰宅後、腰かけてちょっと休んだが最後、
普通に歩けなくなってしまい、
家の中でも杖突いて歩いているPOO(推定21歳)
「そういや、あんた、
 自転車で転んで前歯駄目にしたのもよみきかせに行く途中だったよね」
とか言いつつ、
その足をいじっていじめて面白がってるPOOの母。
(あ、足は駄目にならんもん…歯だって立派な差し歯やし…)
とか必死で念じてる娘の青春の葛藤なぞ理解せず、
テーピング用テープがないからこれでいいよとか気軽に言って、
てきとうなサポーターをてきとうに娘の足に巻いて、
よろこんでるPOOの父。

嗚呼何と楽しい家族。

捻挫だって言ってるのに、
接骨院に連れてかれそうになるし。
つなぐ骨などありゃしない。

それにしたって、

いたいんだぞー
いたいんだぞー
いーたーいーんーだーぞー

ちくしょぉ。

ちなみに今日は土曜日。
明日は日曜日。
病院なんて、やってません。
そして、月曜からは合宿です。
火曜日には尾瀬ハイキングです。
あはははははぁ。





ちくしょーぉ。




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ROCK IN JAPAN FES.2001 vol.1 - 2001年08月03日(金)

ROCK IN JAPAN FES.2001 1日目。
晴天なり。

水戸の駅に行ったら、
2番バス停から、お迎えのバスが出ていた。
なぜか普通の観光バスだった。
Tシャツ、短パン、帽子にスニーカ、首から財布を下げ背中にリュック。
草刈スタイルの私。
ちょっとびびる。

会場へ10時前に到着。
入り口で3日通し券チケット(「自分の身は自分で守りましょう」と明記されたチケットなんて生まれて初めてみた)
とひきかえに、
うすむらさきの3日間用リストバンドと
首からさげるタグを受け取る。
このタグは、小さいビニールケースに黒いひもを通したもので、
ビニールケースの中には
3日間のタイムテーブルと会場内の地図がプリントされたものが
折りたたまれて入っている。
便利な上に、
ちょっとスタイリッシュなデザインで、いきなり有頂天ぎみ。

入り口入ってすぐには、小さめのLAKE STAGE。
ここは、普通の野外イベント用につくられたスペース。
そこから奥にはいりこんでいくと、
15分程度歩いたところにGRASS STAGE。
GRASS STAGEは広大な芝生広場に、
今回のために、巨大なステージをセッティングした会場。
われわれ、まずはそのGRASS STAGEへ。

STAGE入場口でガッツポーズでリストバンドのチェックを受け、
いざ中に入ると、そこはいきなり、
どこまでも広がる芝生と、
アーティストグッズに並ぶ人の群れ。

なにがすごいって、その規模である。
入ってすぐの視界にあるのは、

芝生の縁を囲むように延々と続く、
食べ物満載のケータリングカーたちと、
HMVのDJブースと、
後は人人人。

ここはまだステージではなくって、
どうやら、くつろぎの場所で、
その奥に、本当のステージがあるらしい。
それも、そのステージには
前方のスタンディングゾーンと、
後方のシートゾーンがあって、
シートゾーンの方は、みんな、レジャーシートどころか、
でっかいテントやらビーチパラソルやらを張って、
寝て見る気まんまんで、めいめいにくつろいでいる。
なんちゅう広さだ。
ライブハウス規模になれている身にとっては唖然とする開放感。
なんなんだここは。

乾いているために、風が砂を含んで少し茶色い。

あまりの衝撃のために、
気が付けば、
白くROCK IN JAPAN FES.2001と抜かれた
黒いオフィシャルTシャツを購入。
背中には、出演する全40アーティストの名前入り。
…日頃にはぜってぇ着れねぇ…
陽射しが強烈で、タオルを出して首に巻く。

11時。
ロッキングオンの渋谷陽一氏の開会のご挨拶と共に、
FESが始まった。
GRASS STAGEでこのイベントのトップを務めるのは
BUMP OF CHICKEN。
最近飛ぶ鳥落とす勢いの藤君の歌声で、
スタンディングゾーンで跳ねる跳ねる。 
賞味30分のステージ。

12:20〜
RIZE @GRASS STAGE。
ボーカル君は、やっぱりCharに似てた。

13:15〜
fra-foa @LAKE STAGE。
GRASSからLAKEへの移動でちょっとばてる。
LAKEはすり鉢上の会場で、平坦なところがスタンディングゾーン、
傾斜があるところが段々状の芝生のシートゾーンになっている。
シートゾーンに腰かけて見ていた。
ボーカルの三上さち子さんの絶叫はあいかわらず凄まじい。
野外で聴く「澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの」の
痛々しい前向きさに、とても暑いはずなのに鳥肌が止まらなかった。
たまらず、途中からスタンディングゾーンへ。
一番良かったと思ったのが、やはり「青白い月」。

―――青白い月笑ってるよ
   ここのあざは
   もう、消えないけど。

の歌詞が

―――ここのあざは
   いつか ひかりとなって

と聴こえた。
あぁ、この人は変わっていくんだな。と思った。
変わっていけるんだな。と思った。
よかった。心底思えた。

15:15〜
AIR @GRASS。
再びでかい会場に戻る。
AIRは以前一度行ったライブで
ちょっとしたトラウマをもらって帰ってきていたので、
どうかなぁ、と思っていたのだけれど、
実際始まってみると、純粋に楽しかった。
さすが車谷氏。年季が違う。
ドラゴンアッシュの降谷くんと一緒の曲で、
当人が登場すると、一気に人が走りこんできて膨らんだ。
で、それが終わると、ドラゴンアッシュファンは、
波が引くように、とっとと後ろに下がっていった。
…付き合い悪いよ、そして怖いよ、ドラゴンアッシュファン。

16:45〜
THE JON SPENCER BLUES EXPLOSION @GRASS。
外人さんである。
ジョンスペ、実は一曲も聴いたことがない。
前のAIRのライブで
一人で前方に突っ込んでいって、ダイバーと化していたあさきが
ダウンして、木陰でレジャーシートでお昼寝していた関係で、
一人でぷらぷらと見る。
そして、実感。
…興味本位だけで見ると、だめだね。
ジョンスペは激しくシャウトしてあおるんだけれども、
その激しさに空回り的要素を感じてついていけず、
スタンディングゾーンで座り込み始める人続出。
後方の3分の1はみんな座っていたんじゃなかろうか。
ちなみに私も、半分くらいから
体育ずわりだった。申し訳ないが。
だいたい、このイベントに登場する大半が日本のバンドで、
ここに来てるのもきっと大半は日頃、邦楽をよく聴く連中なのだから、
どうして外人さんを呼ぶ必要があったんだろう…?

18:30〜
Dragon Ash @GRASS。
ドラゴンアッシュは嫌いじゃない。
CDを買うほどじゃないけど、でもよいんじゃないかと思う、
程度の気持ちで見ていたら、
予想以上に気持ちのよいライブだった。
ちょうど空が青みががって深くなり、
頭の後ろに満月がでる時間帯。
心地よいリズムに乗って、
自分がどこまでも溶けて広がっていく感触。
適度な脱力具合が、野外とぴったりと合っていて、
最高以外の何ものでもなかった。

ここちよい音が途切れ、
満足でいっぱいの心が残った。
と思ったら、

打ち上げ花火。
拳を上げて、
よくわかんない叫び声を上げた。


ふらつきながらホテルの部屋に戻り、
幸せに眠りについた。
つきたかった。
が。
そうは問屋が卸さなかった。
日焼けである。
焼けちゃったのである。
日焼け止め塗ってたのに。
足のすね、と、それから、両腕。
特に腕。見事に半袖焼き。
黒いというより、赤くはれてきて、
その部分の発熱が激しい。
シャワーをお湯で浴びられず、
水でひたすら冷やすも気休め程度。
痛くて痛くてたまらない。
日焼けというより、低温やけどに酷似。
ここ数年来、日焼けしなかったら、
肌がびっくりして悲鳴をあげているらしい。
なにかが擦れるだけで非常な痛みをともなう。
こげちゃった腕を手当たり次第、冷たいものに押し付けつつ、
半泣きで就寝。


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馬鹿のやること考えること - 2001年08月02日(木)

明日から茨城県はひたちなか市・国営ひたち海浜公園にて
ROCK IN JAPAN FES.2001が行われるのである。

「なんなんだ、この横文字はよぉ?!」
と問われれば、お答えしよう。

ROCKと付くからにはロックなのである。
JAPANと付くからには邦楽中心なのである。
FESと付くからにはフェスティバルなのである。

明日から3日間、
終日、野外・炎天下で行われる
Let's go toロック祭り!! なのであった。

で、なぜか私はあさきととともに
3日間とも参加するのであった。

この会場、
茨城県の勝田駅からバスで20分。
水戸駅からバスで40分。
もちろん東京からは片道2時間以上かかる。
日帰り3日間は、地獄であるのは当然のこと。

というわけで馬鹿と呼んでもらっても結構。
前日の今日から、
気合入れて、
実は水戸に宿泊してるんだから。
そう呼ばれる資格は大有りなんである。

12時半に上野駅であさきと落ち合い、
常磐線で2時間10分近く普通列車に揺られて
3時過ぎに水戸着。
ホテルに荷物を置いて、
ぷらぷらと水戸駅前散策。
想像していたよりもこざっぱりとした近代的な駅前だった。
八王子に似ている、というのがあさきの弁。
本を2冊買い、定期入れを買い、
なんで水戸に来たんだかわかんない勢いで
デパートを歩き尽くす。

水戸は納豆の町、という偏見があったのだか、
意外と納豆の陰は薄い。
駅の物産品売り場で
藁に包まれた納豆やら、納豆バーやらを見かけただけ。

しかし、水戸は、
確実に水戸黄門の町なのであった。
駅前には「水戸黄門祭り」という毛筆文字を
紺色でプリントした白いのぼりが立ち、
大通りには仙台みたいな七夕飾りが並んでいる。

どうやらわれわれと全く同じ日程で、
「水戸黄門祭り」なるものが行われるらしい。
基本的な困惑。
水戸黄門を祭りにするって、…何?
水戸黄門を祀るのですか。
それってめでたいことなんですか。
祀っていったい何をしたいのですか。
あんな老人を?
要は隠居だよ?隠居。
印籠がなきゃ、すでに100回くらいは死んでるだろうおじいちゃんだよ。
いまいち用途が掴めない。
福島市内の、「わらじ祭り」と同じくらいにわからない。
かの「わらじ祭り」というのは
夜、何メートルもある巨大わらじを、
みんなで下から支えて
一人一人がわらじむしの足みたいになって、
福島駅前に巨大わらじむしが幾つもただひたすら徘徊する、という
蒸し暑い夏にぴったりな
涼しーい祭りであった。

なんでも祭りにすりゃいいと思ってないか?
いけないよ。
もっとオリジナリティにこだわろうよ。
福島でわらじ、というと熱い寒いは別として、
なにやら得体の知れないインパクトがあるが、
水戸で水戸黄門、というと、
そんなもんだろう、という馴れ合い的気分になってしまうじゃないか。
中途半端にすりよってはいけないさ。
だからせめて、われわれにあやかって、
「水戸黄門フェスティバル」
どうだろう。少し華やかな気分になりはしないだろうか。
「水戸黄門カーニバル」
ここらへんだと、いかにも大量の水戸黄門がサンバを踊りだしそうな気配。
しかし、水戸黄門ではいかにもインパクトに欠けるだろうよ。
「印籠カーニバル」
ほらいっそいかにも強そうだ。字面も偉そう。むしろメインは助さん格さん。水戸黄門さんよりぜったい強いし。
しかし、カーニバルという洋風文字がいやなら、
いっそ和訳してしまえば良いのだ。
「印籠謝肉祭」


………少なくとも私は絶対に観に行くけどね。


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