My Cup Of Tea...POO

 

 

B級賛歌 - 2001年05月26日(土)

1時に渋谷のツタヤでchocoさまと落ち合う。
そのままレンタルビデオコーナーへ。

なぜかというならば、
大槻ケンヂの日記「オーケンののほほん日記」の中に
紹介されていた映画の数々を、是非みてみたいですねー、
という話を前々からしていて、
明日、そのオーケンお薦めの映画たちを含めて
持ち寄り映画ビデオ上映会をしよう、
ということになっているのだ。

で、我等今日はそのための借り出し隊。
暇なのかと聞かれたらそのとおりである。

まずは邦画コーナーにて、割合容易に2本ばかりを収集。
「直撃!地獄拳」と「爆裂都市」。
「子連れ狼・死に風に向かう乳母車」や「狂い咲きサンダーロード」もあったけど
それは次の機会ということに。

つぎに洋画コーナーに行く。
ところがここでのビデオ探しがえらく難航した。
なにせ、ない。置いていない。
ちょうどビデオ検索の機械が調整中で、自力で探したのがいけなかったのか、
オーケンがマイナー映画を好むのがいけないのか。
「金星人地球を征服」なし。
「戦慄! プルトニウム人間」なし。
「フォートレス 未来要塞からの脱出」なし。
「マチネー 土曜の午後はキッスで始まる」なし。
…観たかったのに。ほんとに観たかったのに。
ちなみに「新Mr.Boo!アヒルの警備保障」はあったけど即却下。
落涙梅雨の如し。

文庫版「のほほん日記」を片手にもった女二人が
延々とあーでもないこーでもない、と棚の間から抜け出せず、
抜け出せないうちに
悪趣味コーナーに並ぶB級映画の数々に心惹かれてみたりして。
ちなみに「のほほん日記」の表紙は漫画家の蛭子さんの絵で、
賢明なchocoさまはカバーを掛けてらっしゃったが、
馬鹿ちんのわたくしめは剥き出しのまま、
蛭子絵を大衆に曝しておったのであった。
輪をかけて不審だ。
全てがB級テイスト?

結局、本に載っていた「恋はデジャ・ブ」か、
悪趣味コーナーの「トホホもの」という棚に並んでいた
「ベルリン忠臣蔵」のどちらにしようか、ということになり、
また延々と悩む破目に。
そこでなぜか、へび君に決めてもらおう、ということになり、
へび君に電話するも通じず。

なんというか「ベルリン忠臣蔵」が異様にくだらく面白そうで、
あまりのゲテモノパワーっぷりに
それだけを借りる勇気はとてもなかったのだ。
で、結局、
ええい両方借りちまえ、って開き直った我々は、
「ベルリン忠臣蔵」と「小さな恋のメロディー」とを借りたのであった。

その後、タワレコに行ったり、お洒落なカフェに入ったりと
普通の若者じみたことをするも、
我々の手提げの中は、
「直撃!地獄拳」やら「ベルリン忠臣蔵」やら「のほほん日記」やら、
とにかく根本から胡散臭いのであった。
これでいいのか?
…これでいいのだ。
たぶん。
あー明日が楽しみ。



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ねろ。 - 2001年05月25日(金)

525の日だ。

気付いたらものすごく嬉しくてしかたがなくなってしまった。
424も636も嬉しくないのに、
525はひどくすてきだ。

睡眠4時間。

1限から頭朦朧でハイになり、
午前の授業中はずっと小説を書くのが止められなかった。
テーマは「体育ずわり」。
2限に書き上げて横にいる友人に読ませたら、
静かにウケていた。
まともでない状態の方が、
まともなエンターテイメントを書けるのか。

こうして授業をサボる癖。

3年生になってから加速がついた。
気がついたら4・5限は、
カラオケで歌っていた。
部屋には赤い唇のオブジェがあって
そこから鉄製の舌がのびていた。
塩酸をかけたら楽しいんじゃないかと思った。

文芸パートで、すこしカンブリア紀の話をした。
魚類戦隊ウオレンジャーの話もした。
こんぶブラック、私を救いに来て。


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ちゅうぶらりん - 2001年05月24日(木)

この間、
新しいサンダルを買ったのに
和風の小花のサンダルなのに
玄関でためしに歩くたんびに
たぱたぱとあまりに音がするので
また、履いていく勇気がなかった。

母と色違いのお揃い。
彼女に先を越される前にね、
たぱたぱ人間になるんだ。
ただしもうちょっと覚悟を固めてからでいいかな?



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その前に、美容室に行けよ。 - 2001年05月23日(水)

また水曜日が雨だ。
バイト先の人に笑われた。

最近、顔の横の方の髪が伸びてきて、
俯きがちになると、もっさりと目のほうにかかってくる。
帰りの電車、硝子に映る自分の顔をみて、
「あ、鬼太郎」
とっさに口走りそうになった。

いかんいかん。
反省せねば。


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切実 - 2001年05月22日(火)

満二年間使った携帯電話が昨日壊れかけ、
がんがん叩かないと電池を吸わなかったので、
このままある日突然、完璧に充電を拒否するようになるのかもしれない、
というもっともな恐怖を覚える。

で、わざわざビックカメラまで買いにいったのに、
なぜか大学生協のほうが安い、
という理不尽な目に遭遇し、
しょぼーんと帰ってきたのだった。
ほんとにしょぼーん。

お願いだから、私の携帯、
拒食症にならないで。
もうちょっとだけ頑張って。
私のお財布は頑張れないの。


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ひとやすみ - 2001年05月21日(月)

部室でお昼を食べた。

うちの部室というやつは、
人間からあくせくとした気分を奪ってしまう
シールドが張ってあるらしく、
みんなでとりとめなく昨日の100ハイの話なんかして、
まったりとしているうちに、
なぜか、3限自主休講突入。

同じく3限自主休講を決めた人と、
4限自主休講決定の人とともに、
親泣かせ連合軍。

そうして、くだらないことを話している拍子に、
私がここ数年、
徐々にプレッシャーを感じていたあることについて、
他の人も同じような立場にあることが判明したのだった。
不謹慎な話かもしれないのだけれど、
それを知ったら、
なんだか少し楽になった。
何にも変わりはしないし、
やっぱり心のどこかで不安は染みのように滲んでいるけど。
そんなにはたいしたことじゃないのかな、って思えてしまった。
ありがとう。

授業に出なくっても、
いいことだってあるね。



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100キロという距離 - 2001年05月20日(日)

100キロハイクをお迎えに行こうと、
午後5時、有志が集まった。

それ以前に私が電話で得た情報によると、
すでに仲間うちの2人がリタイアしているとのこと。
100キロというのは、生半可な距離ではないのだ。
あらためて思う。

声を聞く限りではかなり元気に思えたが、
歩きつつ胃の腑を弱らせている人が多いらしく、
電話口で、いちごやらヨーグルトやらばかりをやたら欲しがるので、
結局、みんなでそうめんを作った。
付けあわせに薬味を刻み、タマゴを焼き、鶏肉を湯がき。
それぐらいはさすがの私も得意満面で出来るのだが、
…料理したとはいいませんね、そんなの。

焼き鳥を大量購入し、
りんごやらいちごやらブルーベリーやらを用意しているうちに、
予想外に早く、第一陣二人が到着しそうという連絡。

準備途中のまま、7時半過ぎに、
みんなで慌てふためいて、大隈講堂前に飛んでいくと、
ナース服を着た男性やら、王子みたいなブラウスを着た仮装参加者やらに混じって
既に二人は到着していて、逆に私達を迎えてくれたのだった。
日に焼けて、鼻は赤く、でも想像以上にしゃきっとしていて、
安堵することしばし。
そのまま、みんなで車座になり、武勇伝を聞く会が即興で出来上がる。

約二時間後に、3人目から、もうすぐ到着するという報告がある。
あわてて拠点に戻って、そうめんの仕上げをしているうちに、
3人目を連れて、みんな戻ってきた。
3人目の彼は、疲労の度合いが激しく、
生まれていたばかりのお馬さんみたいに、
足がもつれてふらついている。
なにもしていない私が、いったいどんな言葉をかけられるというのか。
笑顔とともに、ひたすら「お疲れ様でした」を連呼していた。

とにかく座って、食事をすませ、
数人はサポートに残り、
私は終電に乗って帰ってきた。

翌朝、起きたら、携帯電話に留守電が入っていた。
「ただいま、到着しました。現在、0時55分。
 ありがとうございました」
ぼそぼそした疲れきった声だった。
最終到着の2人が、電話をくれたのだった。
電話を握って、私は頭を下げた。
こちらこそありがとうといいたかった。

ほんの少しでもお手伝いさせてくれて、
ほんとうにありがとう。
貴重な空気を体験できたし、何よりも
歩きとおしてしまったあなたたちの気迫に、感動しました。


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通り雨に打たれて、700円の傘をユニクロで買った日。 - 2001年05月19日(土)

何したんだか分からない程度に忙しい日、ってのが確かにあって、
今日は確かにくるくるいろんなところに寄っていた。

午前中、夏のライブイベントのために宿泊先をさがして
生協の旅行カウンターにいったら、
行く先告げたとたんに担当のお兄さんが
エスパパのミスターフレンドリーみたいな困り笑いを浮かべ、
どうやら、私の行く先の地名すらよく知らなかったらしく、
一生懸命探してくれたあげくに、
「…一週間ほど待ってください。がんばってさがしますので」
あのさ、ロッキンオンジャパン、
そんな僻地でイベント開くなよ。おい。
ちなみに白亜紀の恐竜かなんかが出土したところらしい。
…ようは、観光スポットはそれだけ、ってことね。
私、恐竜より、カンブリア紀の生物の方が好きなんだけど。
ハルキゲニアとかオパビニア(きゃぁラブリー♪)とか
オウム貝の変種とかに出会えたら、
そりゃあライブイベントいかなくってもいいくらいに幸せだけどさ。
でも、がんばります。
今月の給料、おかげで全部そいつに飛びますが。
若気のイタリー。バスタ推奨。

で、午後は、よみきかせに行き、
その後、後輩の子のおうちに明日のお出迎え準備の下見。
ちなみに今日から明日にかけて、
我が大学では100キロというイベントが行われていて、
文系へろりーんサークルであるはずの我が児童文学研究会の7名が、
なにをとち狂ったのか、歩いていたりするのだった。
なのでせめて、歩かない者も、明日お出迎え隊をしようじゃないか、
ということなのだった。

心配性の私は、帰宅後に、
励まし&状況確認&興味津々の電話を数名に入れて、
みんなが一応無事に歩いて
60km地点にあるその日の宿泊所につけそうなことを確認し、
安堵しながら、両親に事情を説明しているうちに、
すっかり面白がったあの人たちは、
炊き出ししなさい、とばかりに
6合のお米をビニールに詰めてくれたのだった。

なので、明日、天敵ながらも料理を作ります。
…何ヶ月ぶりだ?
むしろ100ハイ参加者の体調より、
そっちのほうがよほど心配ではないのか?
五体満足で料理をし終わって、
五体満足で食べて欲しいです。




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いや、そもそも、ディアボラって何だ? - 2001年05月18日(金)

文芸のパート活動のあと、
OBが二人いらした関係で、
みんなでお食事に行った。
もちろん我等貧民であるからして
OB大明神さまの経済力におすがりするつもりである。

というわけで、いつものファミリーレストラン、
いつもはミラノ風ドリア(290円)を頼むところなのだが、
もちろん今日はそんなものに目もくれない。

メニューを三往復した末に、
いつもひそかに憧れていた
ディアボラ風ハンバーグステーキ(490円)なんてものを
一大決心して頼んだりして。

出てきたハンバーグは、
見た目は明らかにハンバーグ以外の何ものでもあり得なかったが、
なんというか、
従来のハンバーグからはかなり飛躍してしまったお味がした。
つまり、牛のひき肉よりは、あからさまに豚のひき肉で、
ハンバーグというよりは、むしろ、そう、
つくねの食感。
レストランというよりむしろ赤提灯の味。
何事も流行の最先端というものは、
理解されがたいものなのだ。
きっと。

教訓。
ファミレスは、安いものは安いなりに開き直って美味しく、
中途半端に高いものは中途半端に工夫をしようといろいろ手を加えるので、
結局得体の知れないものになるのであった。
でも付け合せは美味しかったよ。ミックスベジタブルは永久に普遍です。
ビーフシチュー(790円)を頼める勇気が出る日は、いつ訪れる…。

いいたい放題言っているが、
とにかくご馳走になったのであった。
ありがとうございました。
…自分がOGになったら、遊びにきたくないな。
切実に思う、自分たちの欠食児童ぶり。


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カレーとししゃもの食べ合わせはいかがなものだろう、母よ。 - 2001年05月17日(木)

あまりに良い天気なので、10時まで寝てました。

昨日の夕飯がカレーでしたので
今日は、食事ごとにカレーを食べてました。
日本印度化計画推進は、疲れます。

カレーにきのこが入るのは構わないのですが、
今日はしめじだったのでよかったのですが、
そういえばこないだのカレー、
なめこが入ってました。
後味がねばねばするカレーでした。
母の豪快さが遺伝しているような気がして
ちょっと自分の将来が不安になるお年頃です。


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雨降りの朝で - 2001年05月16日(水)

げんきー!!

バイト先で
電話取りをほとんどしないで済んだら、
今日はちっともへこんでない。
電話というのはきっと、
気力をむしゃむしゃ食べる芋虫を
回線のあちこちに飼ってるね。
こわやこわや。

おだんごやさんがあって、
寄ってみたら、
みたらしだんごが30円だった。
うれしさのあまり、
奮発して、
ずんだだんご50円
草だんご50円
テーマカラーは緑。
買ってお昼に食べた。
五目いなりもね。
下町のお昼な感じさ。
都電も走ってるし。
おいしいです。
探検するのが楽しくってしょうがない。

ところで、水曜にバイトをはじめてから、
ほとんど毎回のように天気が悪い。
水曜日の神様、
私は雨おんな、というイメージが憑きつつあるのですが、
どうしてくれようか。


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マルピーギ小体って何? - 2001年05月15日(火)

サークルの部室には、
いったい誰が置いたのか、
人体の各パーツがちょっとばかりきちんと書かれすぎた
「玄白」というカードゲームがあって、
要はトランプなのであるが、
そのカードをみるたんびに、
私は、中学時代に、私のノートに絵を描いてくれたAさんを思い出す。
Aさんは私のノートに余白を見つけるや、
頼みもしないうちに即座に描いてくれたのであるが、
何を描いてくれるのかと思っていたら、
出来上がったのは、
理科の教科書も蒼ざめる
それはそれは見事な心臓の細密画であった。
どこの世界に、ノートのど真ん中に描かれた心臓の絵を
消しゴムで消す度胸のある中学生がいるだろう。
窮地に立たされて表情を選び損ねている私に向かって、
「みてみて〜心臓〜ここが左心室でねー血管がねー」
一目見て分かる絵を
うっとりと解釈してくださったAさん(推定中学生)が
…忘れられない。
トラウマという南蛮語は、おそらくこういうときに便利。

その胃袋やら筋肉やらが
余計なお世話な具合にフルカラーで刷られたトランプを使って、
大貧民をした。
2回目にして、大富豪にのし上がった。
体に囚われる下民どもを打ち捨てて
勝ち逃げした。
いい日だった。



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さつきのやまい - 2001年05月14日(月)

南の海に似た青さのスカートと、
黒いサンダルをはいた。

食費を削って昨日買った森博嗣の新刊を読了して、
すこし手持ち無沙汰になった。
ひょこっと、
今月に入ってから
会いたい人たちの多くに、会っていないことに思い当った。
先週の水曜以来、人恋しい病に懸かってしまったみたいだ。
好きな人たちのことを
今まで考える余裕のなかった自分を懲らしめるために、
爪先で軽く蹴り上げるみたいに、
いつもより大きな歩幅で歩いた。


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こんなバイトでいいんですかね - 2001年05月13日(日)

試験監督のアルバイトだった。

私が配属されたのは300人以上の大教室。
3時間半にわたる長い試験で、
その間、ほぼ巡回するだけの時間。

受験生は、真剣な表情で試験を受けている。
なかには筆箱の中に、
白塗り顔の鶏のトサカみたいな髪型のオニイサンたちの写真を
たぶんお守りのつもりで入れている人なんかもいて、
(…これ、たしか司法試験だったよな)
確認する。
人生ひとそれぞれである。

で、がんばってほしいなー、なんてあくびをかみ殺しているうちはよかったが、
3時間半もあれば、
そりゃいろいろなことを考えてしまう。
前半は筋肉少女帯の「蜘蛛の糸」攻撃に悩まされた。
「蜘蛛の糸」の曲の出だし、
 だいじょぶ だいじょぶ だいじょぶ だいじょぶ
 だいじょぶ だいじょぶ だいじょぶだよねぇ
が、頭の中でエンドレス。自己分析するに、応援歌なんだろうな。私の中の。
しかし、受験生は私に「蜘蛛の糸」を歌ってもらって、
はたしてはげましになるんだろうか。
だって、
 蜘蛛の糸をのぼって いつの日にか 見下ろしてやる
 蜘蛛の糸をのぼって いつの日にか 燃やして燃やし尽くしてやる
だ。
もし、この歌聴いて元気になる人は、頑張ってぜひ私の弁護人になってほしい。
この歌がテーマソングの弁護士さんは、きっと相手が恐れをなすので。

筋少に耐えられる体力がなくなって、
ぼーっとたたずむ後半戦。
しかし、ふと後ろを振り返ると、
足元に「黒板消しクリーナー」
なんだかとてつもない懐かしさといとおしさが
がしゅーんと襲ってきてギプスのように私は捕らえられる。
黒板消しクリーナーなんて単語、思い出したのすら3年ぶり。
そうか、おまえは健在だったのか。
そういえば、おまえはすごーい音で、放課後の教室に響き渡っていたっけな。
そうだよ、おまえの存在価値は、
あのぐおーんという象顔負けの音にあったっけな。

…鳴らしたい。

この静寂の教室に、
もしここで、スイッチを入れたら、
きっと例のすごーい音が響きわたり、
忘れ去られた学問の原点の響きの壮大さに
300人の受験生はいっせいに顔を上げ、
しばらく黒板消しクリーナーなんて存在には思い至らないだろうから、
きっと人生かかった何人かの受験生はヒステリックに卒倒し、
見つかったら私はつまみ出され、
バイト代を取り上げられ、

…でもバイト代程度ですむんだったら…

…鳴らしてぇ。

ちなみに無事に試験が終了し、黒板消しを掃除するために
その機械のスイッチをONしたら、
ぷおー、となにやら頼りなげな脱力音が
受験生のいなくなった大教室の片隅にへなりと伸びた。

鳴らさなくってよかった。


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この夏流行の髪形。 - 2001年05月12日(土)

コタツをしまった。
我が家は5月にコタツをしまい、10月にコタツを出す。
なにやらヤツにめろめろである。

とにかくコタツがないのだから、
もう夏なのである。

電車に乗った。
目の前に中学生風の制服白シャツの男の子たちが座った。
4人が、空席ぎりぎりに、きっちりと座った。

やつらは全員じゃがいもみたいに、
にこにこほこほこ笑っていて、
やつらはなぜか全員坊主頭だった。

…ぼうずだ。
いまどきぼうずだ。
それも4人。
ころころしたまるーい塊が4個きちんと並んでいる目の前。
詰め込まれた八百屋のダンボール。
それも満面の笑み。
目を逸らせない。
…ぼうずだぼうず。

ぼうずBは持っていた水色の棒アイスを、
ぼうずAに手渡した。
ぼうずAはそれをがぶりとやって、
ぼうずBの向こうのぼうずCに身を乗り出してアイスを渡した。
ぼうずCはそれをがぶりとやって、
となりのぼうずDに手渡した。
ぼうずDもがぶりとやって、それからぼうずBにアイスを返した。
全員ニコニコしたまま、
いったいなんの儀式なんだ。

そのぼうず4人組の前を、
これまた白いシャツが視界を横切った。
ぎくりとして見上げたら
…ぼうずだった。

気が付けば、
あちらの座席にもぼうず、
そっちのドアにもぼうず、
となりの車両にもぼうず、
通路をあるいていくのもぼうず、

…ぼうず列車。



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シカゴ・プラグマティズムの有効性に関する一考察 - 2001年05月11日(金)

「日本を印度にしーてしまえ!」
そう叫びたくてたまらない現在1限・社会学の講義中。
集合行動論、
机の下に潜りたくてたまらないレベルで理解できず、
連日の疲れの蓄積の反動で、
どうにも狂暴な気分になってきている。
さっきまでは皿を投げつけたくて仕方なかったのだが、
当然、皿は手の届く範囲になく、
POOちゃんそれはどうやら諦めた模様。
代わりに、電子レンジにかけられちゃったタマゴみたいに、
突如はじけて飛び散った内心の叫びが、

「にほんをいんどに、しーてしまえぇぇぇ!!」
from 筋肉少女帯。

どうしよう。ほんとうに叫びたい。すっくと立ち上がって絶叫したい。
にほんにほんにほんいんどいんどいんどいーんーどー
皿の代わりに自分がぶっ壊れるぜ、ハンプティダンプティ。
私がここで叫んだら、秩序崩壊だ社会解体だ社会的感染だ先有傾向ぐあーー。
暴動は類が友を呼ぶ形式、1人が叫べばみな叫ぶ。
さあ諸君、インドを呼ぶんだ。
手を打ち足を鳴らし頭を振り骨を鳴らせてインドを呼ぼうさぁさぁ。
どうだ先生、そのまま教室イッコ研究材料だよ嬉しいだろやーい。

でも落ちつけ自分。
私がここでインドを呼ばなくったって、
すでにインドはやってきているに決まっている。
スライドのために降ろされたこのブラインドの向こう、
漏れ出してきている光がもう、インドじゃないか。
インドだ。友よ。インドだ。
ガンジス川だ牛が流れていくよターメリックなドザエモン。


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燃え尽きちまったぜ - 2001年05月10日(木)

5限がいきなり休講となり、
友人と「シャノアール」のビックパフェに挑みに行った。
入学してからずっと憧れていたのであった。
何に、ってその大きさと安さに。

ラズベリーパフェを頼んだ。
30センチにそそり立つ冬山登山家もびっくりのパフェがすかさず出てくる。
まず一番上層はソフトクリームだ。
普通のコーンの上に乗ってるようなご立派なやつが
10センチくらいの空間を占めている。
ラズベリーソースがその上に、四筋の繊細な道をつるつると描く。
第二の層、はりはりとコーンフレーク。
第三の層、生クリームかと見せかけておいて、
やはりソフトクリーム。すでにラズベリーソースなし。
第四の層、…コーンフレーク。最下層、……ヨーグルトでなくむしろソフトクリーム。

おさらいをしよう。

第一層 ソフトクリーム
第二層 コーンフレーク
第三層 ソフトクリーム
第四層 コーンフレーク
第五層 ソフトクリーム

…やってられっかあ!がっしゃーん。

第四層で力尽きた。ダンテの神曲の「地獄」編を、切ない上目遣いで想いつつ。
飽食の時代、食べ残したわたくしめは確かに
罪深い畜生の一人に過ぎないのでございましょう。
でもさ、この食べ物を考えた人、
最下層のソフトクリーム池の底に沈め。永久にだ。とわに。


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くるま はぐるま くるわばくるえ - 2001年05月09日(水)

バイト先の出版社の本が、
北海道新聞のコラムに取り上げられたとかで、
終日、北海道からの注文の電話に忙殺される。
マスコミの力が怖い。

色んな人の声を聴いたが、
生身の人間とろくに話をしなかった。
笑いたい。人が恋しい。


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アンドロイドは電気羊の夢を見ないのね。 - 2001年05月08日(火)

市立図書館に行って、レーザーディスクで「ブレードランナー」を観た。
なぜか「ドイツ文学講義」のレポート課題なので。
SF世界で生活臭を出すための舞台づくりが見事で
類型的なSFイメージとは一線を画していて面白かった。
以前読んだ原作とはコンセプトが全く違っていて、
別物として楽しんだ。
クレオールのさらに進んだような混じり合っていく言葉や、人種や。
日本文化の要素もびっくりするくらい各所に取り込まれていた。
未来、
文化の混合が進めば、アジアの中で一番力強くはっきり形を残していくのは
中国の文化ではないかと思う。
何せ中国は、今ですら12億人。
中国の香りの染みた12億人が世界に雲みたいにすうすう流れていく時代がくれば、
その香りが他の文化と融合する部分もあれば、
他の文化を飲み込む部分もでる。
中国は立派な胃袋と立派な喉で、飲み込む力が強そうだ。
それに比べれば日本はおそらく飲み込まれる要素のほうが多そうで、
だから「強力 わかもと」なんてものだけは残るのだ。
そんな日本要素を取り込むことで、
退廃的な雰囲気が生の感触で匂ってくる。

「ブレードランナー」舞台は2019年。
それまでは何としても生きたいものである。


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きりぎりすの悩み - 2001年05月07日(月)

すばらしい勢いで、
体がぎこぎこいっている。
昨日の潮風で錆びついたらしい。

錆び溶かしにはどんな薬が効くものか。
無色透明に近い、なんだかすさまじい匂いのする半液体が効くような気がする。
・・・ゼラチン?
むしろ煮こごり?
動物性蛋白質を摂取せよとのレティクル座からの指令か。

遊びすぎといううわさは
きいてないもんね。

そして、財布の閑古鳥にはどんな薬もあるものか。


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おまけに大観覧車にも乗りました - 2001年05月06日(日)

葛西臨海水族園のペンギン山の前でだったら、
半日は過ごせる自信がある。
よのなかでおおよそペンギンほど、
素でエンターテイメントな動物はいないと思う。
私のような、なで肩好きにはたまらないあのフォルムと、
フォルムから連想するのそのまんまの
なんの工夫もこらさないぺてぺて歩きと、
水の中を空と信じきって飛び回る丸い翼と、
あれが究極の天然ぼけちゃんのお姿だと信じてやまない。
そのうえ、…ちょっと美味しそう?
しかし、今日はサークルの遠足で来ているのであって、
ペンギンばかりに蕩けていられないのであった。

ペンギンから意識をべりべり引き剥がし、
セサミストリートのシートを芝生に広げて
16人でお弁当を食べる。
しばらくボール遊びをしたり、てんでに探検したりしたあと、
いざ、橋を渡って、東京湾に弧状にせり出した渚へと。

風が強くて、波もほどほどに威勢良く、
そして、なにより水平線の先になにも見えなかった。
不安定な硝子のかけらをちりちり吹き流す海面。
ぶぉうふぉう吹き付ける風。
ぽっかりとした開放感。
陽射しに黄色が混じり始めた時刻。
とつぜん靴を脱いで波に向かって歩き始める人。
どこかからスコップをもってきて無心に砂の小山を築きはじめる人。
ただひたすらけらけら笑いながらメガネを潮風で白く染める人。
腰に手を当てて、傾く宙吊り太陽を眺める人。
叫ぶ人。
走る人。
…みんな私の知ってるはずだった人たち(含む自分)
加山雄三のことが、今だったらすっごく理解できる。
そりゃ、彼だって「幸せだなぁ」とか臆面もなくいうはずだ。
海は人を幸せ青春Hey!大馬鹿さんにする。
針振り切れちゃってもとりかえしがつかなくなっても
おかまいなしに。
なるほど、
若大将を生み出すにはそれくらいのテンションがなきゃやってらんないのだ。

で、即席若づくり大将らは
砂浜を端から端まで、くまなく歩いた。
いろんなものが打ち上げられていた。
貝殻。
板切れ。
パイナップルの皮。
温州蜜柑1個。

靴の中に砂が入って、
いろいろなところに入り込んで、
たぶんこれからしばらく私は東京湾を踏みつけながら生きるだろう。


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gogoの日 - 2001年05月05日(土)

たする主催の下北沢ふらふらツアーがあった。

下北沢、という町をはじめてうろついた。
なんだかナフタリンのしわしわした匂いのしそうな
せまくてすこしくたびれたあちこちの路地に
さまざまに趣向をこらした小さな若いお店が
ぱらぱら埋め込まれていて 
妙なちぐはぐさが
コンブだしと味の素を混ぜたみたいに味をだす町だった。

欲しい帽子があって、
欲しいスカートがあって、
欲しいバックがあって、
欲しいネックレスがあって、
欲しいTシャツがあって、
欲しい食器洗いスポンジがあって、
欲しいドラムがあって、
結局、買わなかったですが。

さんざ歩き回ったあと、
4人でカラオケに行った。
くるりやBUMPなんかの合間に、
筋肉少女帯と戸川純系をサンドウィッチしたら、
みんな大受けしていたくせに、
終わった後になってから、
「POOは昔はそんな歌を歌う人じゃなかったのに。
 もっとこう爽やかだったのに」
と、悲しまれた。
…あたしも一緒に悲しんでいいですか?

そのまま女4人で、呑み屋に突入。
なぜか養老の瀧。
おやじギャル、という一昔前の言葉を思い出したものの、
ギャルというものから途方もなく離れたところに生態系を描く我々、
ギャルを取ったら、
おやじしか残りません。
軟骨唐揚げ、美味かったです。
そして、冷奴ラブです。


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MUSICDAY "K.M.C+1" - 2001年05月04日(金)

誰が決めたのか知らないが、
5月4日は音楽の日であって、
その日は東京の主要なライブ会場では、
ライブイベントを行うところが多く、
その機会をこのわたしが逃すはずもないのであった。

ちゃっかりと、
日比谷野外音楽堂で行われた
招待制「無料」(←ココ大事)イベントに行ってまいったのでした。

今年の野音のそのイベントは、無料とは信じがたいほど
充実したブッキングだった。

なにせ、オープニングアクトに、
いきなり忌野清志郎率いるラフィータフィー登場。
そのサックスには武田真治がいたりして、
しょっぱなから過剰なまでの客サービスっぷり。
発売間近に、急に販売中止が決まって有名になった清志郎さんの
「パンク 君が代」も聴けた。
で、パフォーマンスに大爆笑。
だって、「苔の蒸ーすむーすムース」と連呼しながら
まじもののヘアームースを取り出して、じゅばーと頭に振り掛けたかと思うと、
「ジェルジェルジェルジェル」なんぞと歌いだし、
ジェル取り出して、頭髪にぬりぬりなすりつけ、さらに
「ポマードポマード」「ワックスワックス」「ムースムース」…
サイコー馬鹿でした。

続いて、
クラムボンの郁子ちゃんは可愛く、
MO'SOME TONEBENDERの半ばキレちゃったボーカルと轟音っぷりがぶちまけられ、
Hi5はごりごりのスピード感でおまけにキーボードの彼がとっても可愛く、
ずっと観たかったバンドが、マジックの旗みたいに
するする次から次へと出てくる。
ずっとのりのりだった私も、
次のGO!GO!7188で少々疲れて、
それでも最後のIN THE SOUPでは「ロック グリーングリーン」を全員斉唱し、
骨の髄まで楽しんでしゃぶりつくして満足して帰ってきた。

実は去年も私はこの無料イベントに行ったのだが、
そのときのバンドのメンツで同じだったのが、
GO!GO!7188だった。
去年のGO!GO!は、そのイベントの一番最初に出てきて、
彼女達目当てのお客さんはほとんど会場におらず、
それでも初々しく一生懸命な姿だったのを覚えている。
ところが、今年、彼女達はたくさんのファンを
会場に呼び込むだけの力と知名度とを身に付けて、
良い意味でふてぶてしくなってその場に帰ってきていた。
ああ、一年が経つというのはこういうことなのだ、と思った。
去年、このイベントにいたBUMP OF CHICKENなんかもそうだ。
一年前、この野音のステージ上で、
会場いっぱいのお客さんを沸かせていたインディーズバンドBUMPは
今、ヒットチャートの上から数えた方が近いところで、
日本中の聴き手を沸かせている。
これが一年という重みなんだ。

バンドの成長で、はじめて気付くことのできる一年という実感。
自分の何が変わったのかなんて、ちっともわからない一年。



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取った狸の皮算用 - 2001年05月03日(木)

無印良品で注文していたCDラックとMDラック、
とうとう自分の部屋に運び入れる。

CDをつめる。
120枚、つめた。
…入りきんない。

MDをつめた。
ケースは捨てて、
100枚弱、つめた。
今までのは辛うじて入りきった。
が。
…あと10枚も入んない。

ほうぜん。

見通し甘すぎ、先月の自分。
今までのCDをラックに入れて、
あとはラックの余裕を考えつつ買うのを自重するようになりゃ万万歳、
と計画してたんじゃなかったっけ?
なのに、なんですか、これは。
最初の時点で既に、ラックに入りきらないでやんの。
あからさまにCHAGE&ASKA、多すぎです。
中高時代の私の情熱の半分だから、もうふくらむふくらむ。
何枚、ベスト版もってりゃ気が済むんだろう、中学生の私。

まだ、旧型のCDシングルが40枚以上…
もう一つ、ラックを買うしかないんだろうか。
そしたら、今度はかなりラックに空きがでて、
きっと私は喜んで買いまくる。
悪循環悪循環悪循環!!

いっそのこと、ラックなんて実数の見える形にしないほうが、
精神安定上のためだったかもしれない…。




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TEAM PARTY 2001 - 2001年05月02日(水)

夕方に乗った新都市交通「ゆりかもめ」。
右手に薄紅に発光する東京タワー、左手に凪いだ東京湾。
薄青色の一日の終わりはとても綺麗だった。

でも、私の今日一日はそこから始まるようなもの。
すなわち念願のくるりのライブに行ったのだ。

ぺかぺか光る大観覧車のふもと、
Zepp Tokyoにて。

高校3年の時から好きだったのに、
というか、今のマイナー音楽ジャンキーの私を作ったのは
半ばくるりのせいで、責任とって欲しいくらいなんだが、
実は生くるりは生まれて初めてで、
ステージから最初の音が聴こえたとたんに、
私の全身は鳥肌総立ち。

最初は、初期くるりを髣髴とさせる、
シンプルで骨太なギターとベースとドラムの重なり。
そのうえにボーカル岸田君の声がのびる。
初期くるりの音は、飾りなく、そっけなく、それでいてどことなく切なく、
これが聴きたかったのだ。
そりゃもう、これが聴きたくてたまらなかったんだ。

しかし一方で、
くるりはりっぱなテクノ小僧に育っていた。
ライブの中盤からは、嬉々としてテクノを披露しはじめるくるり3人。
田舎から出てきた純朴な青年達が
都会の新しい機械技術に驚愕し薫陶されて心酔する様子、
もしくは新しい玩具を手に入れた子供ら、
に、少し似ていて、なんか微笑ましかった。
でもその中にもくるりの泣きメロがすんなり融合して、
彼らは本当に曲を編むのが上手だと思う。
テクノで始まって、いきなりデビュー曲の「東京」を歌いだしたときには、
全身に痺れるような感じが走って、実は少し涙が出た。
「東京」、生で聴いてしまった。
わたしの一番好きな曲。

アンコールの「ばらの花」では、スーパーカーのミキちゃんも登場して、
最後までみっちりと聴かせてくれた。
どうして、いままでくるり、聴きに行かなかったんだろう。
ほんとうに悔やまれる。
また絶対に行ってやる。
最初の素朴なロックくるりも好きだったけど、
今のテクノ系くるりもやっぱり好きなんだと再認識してしまったので。

そして、Tシャツ2枚とキーホルダー、
計6500円購入なり。
今月始まって2日目にして、財政逼迫倒産寸前くるり万歳。


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少し働いてみたりしたのでもう満足 - 2001年05月01日(火)

3月半ばからからずっと
HPを更新してないんだよ、

といったら、大学の友人Fどんに
黙って薄笑いを浮かべられる、

という夢を見て
妙に落ちこんで目覚めたのだった。

自己反省?
それとも被害妄想?

とにかく一念発起し、
ようやっとちょこちょことコンテンツを増やす。
なまけものらしく、
ほんとうにちょこちょこと。

本日のBGM、
オセロケッツとGAKU-MCと佐藤竹善。
爽やかにね。



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