My Cup Of Tea...POO

 

 

今日は何日なのだ - 2001年03月31日(土)

一晩中、いろいろ話していた。
で、5時頃、雨戸を開けた。

雪。

それも吹雪。

桜咲いてんのよ?
昨日、そこそこ暖かかったから、みんな春コートなのよ?

そしてここ、友達んちなんすけど。

どないせいと。
テンパって、あわててTVの天気予報を探した。
それによると、今日は雪か雨。
一日中。

Pardon?

まさか3月最後の日に遭難するとは思わなかった。
そりゃ、エセガイジンにもなるってーの。
しかたなく友人に傘を借りた。
セーターを借りていた人もいた。

10時に私一人、友人の家を出た。
ほぼ雨に変わっていたが、冷たいことには変わりなく、
再び大学に直行するころには、また吹雪いていた。
桜の花に、大きな雪片。
言葉にしたら綺麗だけれど、綺麗だけでは人から好かれないのを知っている?

しぶしぶ新勧のビラを学内に貼ってまわる。
指先がかじかんで、ガムテープが上手く切れない。

私は今が春だと思っていたけど、どうやら勘違いだったらしい。
桜が咲こうが、春に雪なんか降るもんか。
きっと、カレンダーが勘違いしているんだ。
今日は2月だ。
空が嘘をつくもんか。
エイプリルフールでない限り。



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紅いチャイナの女たち。 - 2001年03月30日(金)

日中、サークルで働いた後、
相模大野で一人暮らしをしている高校の友人のところに遊びに行った。

彼女のアパートはとても広くて、キッチンも立派で、
とても住み易そうだった。
というより、むしろ、私が住みたいくらいだった。
小学六年生並みの大きな白いクマのぬいぐるみも同居してたんだから、
私も同居できないことはないだろう。
とりあえず、友人が帰ってきたときに
「おかえり〜」ってイソジンCMのカバさん張りで迎えてあげるから、
私を雇ってくれないものかね。
料理も掃除も洗濯もしないけど、「おかえり〜」は大事だと思うんだよ、うん。

5人で、たまたまテレビでやっていた映画「ケイゾク」を鑑賞後、
なぜかそのおうちのクローゼットから、チャイナドレスが出てきたので、
みんなで着回して(わたしは着なかったけど)、
ポーズをつけて、ばちゃばちゃ写真に撮った。
ポーズへの注文が、だんだんみんなオヤジ化してきて、歯止めがきかなくなって
「おお、うなじうなじ」
「もうちょっと足出して。そうそう見せちゃえ、いやーん」
ついには脚立まで出して、上から下から斜めから。
・・・・セクスゥィー(のような)写真量産。
誰に見せるんでしょうね、いったい。
その前に、現像に出したとき、
いったい写真屋のおやじは何を考えるんでしょうね。
「はい、内容の確認お願いしますねー」なんて笑顔で言われても、
深夜にうつした写真、
昼間の光にかざしちゃ、写真とこちらの両方から
けふけふ妙な化学煙が出そう。
アルコールとスモークチーズとオレンジシフォンケーキと珍味イカの
かほりのハーモニーつき。

ちなみに私は高校時代から「ぷーはオヤジ」というレッテルを貼られてきたが、
あの・・・・私だけじゃないだろう、ということが分かった。
みんな、自分がオヤジなのを隠したくって
私のことを生贄隠れ蓑にしているだけなのだ。
いくら私が座る時に「どっこいしょぁー」とかついつい言っちゃっても、
電車に揺られて体勢を崩して、「きゃぁ」とかいわずに「ごふぇ」とか言っちゃっても。
そうにちがいないのだ。


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Spicy Chili Rock vol.3 - 2001年03月29日(木)

夜、HEAD PHONES PRESIDENTのライブがあった。
HPPは、ござさんのお友達がドラムをなさっている関係で知ったバンドだが、
音がごりごり厚くて好みなのだ。

場所は渋谷CYCLONE。
連れて行ってもらったそこは、ほんとうにちいさなライブハウスだった。
HPPのボーカルのアンザさんが、ふつーに受け付けにいて、ふつーに笑っていた。
たぶん、私が今まで行った中で、いちばん小さい。
せまくて暗くて、あなぐらみたいなところが好きだ。
居心地がよい。安心する。
すぐに手の届きそうな質感が好きなのだ。きっと。

その晩のライブは、HPPが主催しているイベントで、
6バンドがステージに上がった。
私たちは途中から入ったので、3バンドばかり、見ることが出来た。

ピンクフラミンゴMGというバンド、面白かった。
ボーカルとベースとドラムの3ピースバンドなのだが、
ステージの格好が凄まじい。
ケンタッキーのファミリーパックの丸底の容れ物を頭にかぶり、
その下には東急ハンズあたりで購入と思われる白いファントムのお面をかぶり、
ぴょこぴょのしのし、と変な動きをしながら、すごい感じでがなっていた。
かっこいいのか何なのか思考停止状態で見ていたが、
インパクトはあったから、それもバンドの実力なんだと思う。

HPPはトリに登場。
新曲を聴かせた。
音が、ずしりとおなかにこたえて、幸せだった。

ライブ後、一緒に行った4人の中で、
へび君だけが難聴になっていた。
残りの人間、ござさんもchocoさまも私もよくライブに行くから、
それもオブリで酷い耳鳴りを体験済みだから、平気だった。
今回何にも予備知識の無いまま、ノリだけで半ばいきなり連れてこられたへび君だけは、
まるで老人のように会話を何度も聴き返し、耳に手を当てて会話を聴き取ろうとし、
おじいちゃんで面白かった。
すこし気の毒ではあったけれど。でもやっぱり、面白かったんだ。

ちょっと落ち着かない気分にもなる。
へび君の鼓膜が、きっと普通なんだろうな。
私の鼓膜は、慣れたというより、むしろ悪くなったと言うべきかもしれない。
きっと50代くらいになったら難聴になって聴こえなくなるんだ、ってござさんが笑った。
50代になっても、
その時代の音楽をきけちゃうようなおばさんになりたいんだけど。
でもウォークマンもライブも当分やめられない気がするから、
今はせいぜいときどき耳休めの時間を作ろうかと思う。
・・・・たぶん、今日、思うだけ。



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お耳復活!! - 2001年03月28日(水)

耳鳴りも収まったところで、
chocoさま主催の渋谷カラオケに行く。

今日のカラオケの目的は、みんなでゲテモノを歌うこと。
略してゲテカラ。
この略称が普通にウチのサークル内で使われてしまうのだから恐ろしい。

2時間ほどまともなものを歌ったころ、
メンツもそろったので、ゲテモノアワー突入。
ゲテモノと言うとほぼ筋肉少女帯しかしらないわたくしは
ひたすら筋少アワー。
蜘蛛の糸やらモコモコボンボンやら悲しきダメ人間やら元祖高木ブー伝説やら。
風邪が治りきってない喉を叱咤激励雨あられ。
そして、他の人も
あかおにとあおおにのタンゴやらみかんのうたやら嘉門達夫のさざえさんやら、
なんだかよくわかんないことになっていた。
店に入ってた筋少、知らない数曲以外、みんなで唱破した。
もう一生ないんじゃないかとおもう、こんな経験。
よい経験した、というのには抵抗があるが、
でも無駄な経験ほど記憶に残るものだ。

2時に入って、出たの8時。
それから渋谷の町をうろついて、センター街のもんじゃ焼きの店に入る。
焼く。
切る。
めったまぜ。
煮る。
焼く。
食べる。
食べる。
食べる。

店出たの、11時半。
ちなみに、私の終電、高田馬場で0時1分。
内心焦りつつも、馬場に11時55分に到着。
どうにか間に合った。
終電は怖い。
乗り過ごしたらTHE ENDなのに、
容赦なく眠くなる。
遊園地のスリルアトラクション並みの恐ろしさ。
でも、遊園地みたいにお金がかからない分、気軽に利用してしまいそうで
なおさら始末に負えない。
なるべくなら、もう乗りたくないものだ。


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耳を鳴らして3日目 - 2001年03月27日(火)


夜、バイト先の塾に行った。

いつも私が教えるはずの2階の教室のドアが閉まっていた。

あれえ?

塾長が私の気配に気付いて、階段のぼってきた。

やつは笑いながら言った。

「あらぁ、今日ないんだよ。春休みに入ったから」

あんた、いつそれ言いました?

たった今。

よねぇ?

今月、これでバイト入ったの1日のみ。

来月5000円でどうやって暮らせと。

・・・・ふざけるな。

失礼。言葉が汚かったですね。

いいなおします。

くたばっちまえアーメン。


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耳を鳴らして2日目 - 2001年03月26日(月)

成績発表があったさ。

無事に3年になれることになった。
おとした授業なし。
がんばったやん、自分。
満足すべぇ。
語学も卒業。サヨナラドイツ語。
ドイツ語好きだったから、すこし哀しい。
かといって、また授業をとる甲斐性はなし。
でもまたドイツには行きたいぞ。
でもドイツはかなり英語が通じるぞ。
というわけで、やっぱりサヨナラどいちゅ。

今日からサークルの新入生勧誘の準備が始まる。
耳鳴りがするので、MDウォークマンが聴けない。
すこしだけフラストレーションが灰色の埃みたいにたまる。
埃は吹けば、どこかに舞い飛びます。
きっと床にたまって、それに私は気付きません。
お掃除はきらいです。
なので気付かないつもりです。


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耳を鳴らして1日目 - 2001年03月25日(日)


すごい耳鳴りがする。
パソコンのモーター音が聞こえない。
MDコンポのスピーカーが、自分の耳と同じ次元にいない。
2層下あたりから、音楽が這い上がってくる。

どうやら昨日の赤坂ブリッツと言うヤツは、
とても音が悪くって有名なところらしい。
こんな耳鳴りは初めてだ。
耳に宇宙が棲んでいて、
何か力が入った拍子に
隕石どうしがおはじきみたいにぶつかり合ってる。


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赤坂の夜なんです - 2001年03月24日(土)

OBLIVION DUSTのライブが夜にあった。
赤坂ブリッツにはじめて行った。

ところで前にも書いた気がするが、
私が取ったチケット、整理番号が異様に早くって、
60番台が3枚。
そんなわけだから、どんなに前で見られるだろうと思いきや、
なぜか「整理番号のまえにアルファベットの付いたチケット」なんて小癪なモノがあるらしく、
しかもそれを持った人がたくさん、どころでなく
実に1400人もいるらしく、
私たちの目の前で数珠みたいにざらざらと会場内へとヌケガケしていく人たち。
それを見ながらいつ入れるのかとじりじりしていた私たち。
500人に先に入られてしまったあたりで笑うしかなくなり、
ネオン映す赤坂の夜空に向かって、ひたすらひくひくと笑いを放っておったのであった。
さすが赤坂でやるライブだけあって、
そのシステムはこんなワセダの田舎ものには理解しかねる。
きっとファンクラブの人専用チケットが
その「入場優先アルファベットチケット」だったのだろうけど、
だったら一般発売で、プレーン番号を付けないでくれよ。もう。
騙されたよ。
都会の人は怖いです。

会場の真ん中より後ろのあたりで見た。
なんだか前座のバンドが出てきて吃驚した。
もうバンドの名前を思い出せない程度のレベルだった。
楽器の音ばかり聴き取れないくらい大きくたって、印象に残るとは限らない。

かんじんのオブリのライブ。
スピード感が心地よかった。
ほとんど最初から最後まで流れに浮かんで、疲れもせず跳ねていられるライブ、
というのはなかなか体験しない領域で、
楽しいことこの上なし。
ちゃんと激しさに揺られる客の体力も考えているのか、ライブは普通のものに比べて短かった。実質1時間30分もやっていなかったと思う。終わったとたんに、客電もついた。アンコールもなかった。
その潔さが新鮮で、かえってカッコよく思えた。

会場の音が大きかったせいで、
ライブが終わった瞬間から、世界の音が遠いことを実感し始める。
耳の中で硬い鉱物のようなものがぴーんとうなっている感じ。
それはそのまま帰りの電車の中でも続き、
ためしにウォークマンを聴いてみたら、
始まった筋肉少女帯は、
遠く冥界で、こもったように鳴り響いていた。
耳が死にかけてるのが良く分かった。
慌ててイヤホンをもぎ取った。
葬送行進曲に筋肉少女帯は、さすがの私もいただけない。


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3月うさぎ - 2001年03月23日(金)

掲示板、新しいのを借りてきた。
短気といわれりゃそれまでなんだけど、
まあ、桜も開花したことだし、リニューアルの時期でしょう。
と、勝手に決めた。
頭が風邪薬のせいで全音符みたいに矢鱈のんびりして、
難しいことを考えたくなかったので。

今日もまた、春ごもりの日々。
先われスプーンみたいな声で。

矢鱈と眠い。
そして、さっきから矢鱈を連発しているうちに、矢鱈という字面に感動する。
矢と鱈。
なんだかよく分からないけれど野性味エキス溢れる取り合わせ。
下界の香り。鱈を矢で突き刺して踊るヒグマだ狩猟感謝祭の気配。春だからお花見の席で召し上がれ。
ああ何を口走ってんだか分かんなくなって来た。
危険だ。矢鱈のせいで、むやみに外が恋しくなってきた。
家ごもり2日にして、もう飽きた。
短気といわれりゃそれまでなんだけど、
まあ、桜も開花したことだし、私もリニューアルしてもいいんじゃない。
遊びに行きたいナ。


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風邪をひいた拍子に - 2001年03月22日(木)

熱が出た。
これを書いてる現在も、37.3度。

追いコンが無事終わって、気が抜けたか。
おもえば、昨日の呑みの最中に無口になったのは、
すこし疲れていたから、どころの話でなかったのかもしれない。
体も動かなかったし。
そのあと反動みたいに元気になったのは、単に限界を超えちゃっただけ?
・・・非常にそれくさい。

体に力が入らない。
自分じゃないみたいで面白い。
老朽化したジェットコースターみたいになんだか震えも走るし。
「脳髄がおはぎのようだ」なんてオーケンの台詞を口走るあたり、
すでに尋常でない。
喉の瘤状の痛みだけが、どうにも不快でたまらない。
瘤取りじいさんのほっぺみたいに、
ぺっと取れてしまわないものか。

今日も掲示板に入れない。
もしや、私が体調不良で念が送れないせい?


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祭りの後。 - 2001年03月21日(水)

追いコンの続き。
21日をまわって1時間を過ぎたあたりで、突如スイッチが入る。
先輩やら同輩相手にいろいろ語り、
気づくと5時。

早朝の渋谷の町は、かなり人の気配がある。
そんななかを、お開き。

家にたどり着いて、時間感覚全く無視して、就寝。
昼過ぎ、おきたら、喉が焼けたみたいに痛くなってた。
しゃべりすぎか?

しゃべりすぎにしては、痛すぎる気がする。
風邪薬を飲んでおく。

そういや、あのメンツでああやってオールすることは、
もうないのだった。
もっといろいろ話しておけばよかった気もする。
喉が痛くなるのなんか、いくらでも後で直せるんだから。
女子限定のOGを囲む会、やれたらいいですねー、って
英理さんと話してたのを思い出す。
ほんとにやれたら、みんな弾丸のように喋るんだろうなー。呑むんだろうなー。

感傷的になりつつネットを開いたら、
自分のところの掲示板に入れない。
せっかく優しい気分になってるっちゅーに、なんでやねん。
私が遊びまわってるから、すねたのか?
そうなのか??
そんな軟弱モノを飼ってる覚えはありません。まったく。


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追い出しコンパ - 2001年03月20日(火)

サークルの追い出しコンパがあった。

一次会は、渋谷のイタリアンのお店を貸しきった。
立食パーティーをするにはかなり小さいお店で、
44名、ひしめき合って時間を過ごした。
そもそも部室が狭いので、みんなでひしめき合うのは慣れている。
でも、下見に行った時はこんなにぎゅうぎゅうになるとは思わなかった、
ってのが正直なところで
あからさまに、私の想像力欠如に責任がある。
もし、あの狭さを不快に思った人がいたら、申し訳ないことである。

最近お会いしていなかった先輩もいた。
よく遊んでいただく先輩もいた。
今年卒業される方々は、私がちょうど入部した時以来ずっと、
とってもとってもお世話になった方々で、
出て行ってしまうのかと思うと、ひどく淋しい。

それにしても、追いコンは全員正装、
なんていったい誰が最初に決めやがったんだろう。
それが伝統になっているので、私たちの代でも正装をみんなに伝達したけれど、
で、きちんとした格好で送り出そう、という心意気も分かるんだけれど、
かーなり、うざったい。
大学に入ってかなり痩せたので、
入学式の時のスーツはもうだぼだぼで格好がつかず、
そもそもスーツに合うような靴がなく、
午前中、母のクローゼットの中をあさりにあさって、
どうにかワンピースとジャケットを引っ張り出した。
母の少女趣味が、はじめて役に立った。ありがとう、母よ。
これでK大生ならカクテルドレス、とか着ちゃうんだろうが、
W大生はコレで充分。雑草パワーは強いのだ。
私同様、参加者は、スーツやらワンピースやらのレベルだった。
そんなもんだろな、と思いつつ、
正装を嫌がる自分を棚に上げて、ちょっと残念だったりして。
だれかタキシードとか紋付とか振袖なんか着てきてくれたら
面白かったんだけどなー。
すっかりコスプレ大会を期待するノリで。

2次会は、24名で和風居酒屋に流れ込む。
美味しいお店だったのに、予約ナシの24名がすぐに入れてしまう余裕があるなんて。
なんか謎なお店だった。

皆が話しているのが楽しくて、
ただにこにこしながら聴いていた。
なんだか無言のエアスポットにはまり込む時、ってのがときどきあって、
そういうとき、言葉が奥に引っ込んで、自分の言葉が空っぽになる。
自分がそこにいるんだかいないんだか、うつろな感じが、時々とても気持ちいい。
ちょうどそれだったみたいだ。
それまで色々みんなのお世話を張り切って、すこし疲れていた、ってのもあるだろうか。
とにかくちびちび呑む。

卒業生に、とてもまつげの長い男性がいて、
みんなでよってたかって囃し立て、
ビューラーをかけてしまった。そして、マスカラまで付けてしまった。
信じられないくらいぱっちりお目目になって、
横からみると、局地的にまつげにだけ突風が吹いてるみたいになびいてる。
お目目だけまさにパリコレクションかはたまたロンドン橋か状態。
うらやましいを通り越して愕然。


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時差式啓蟄 - 2001年03月19日(月)

暖かかった。
大学に出かけようとして、家を出たら、
庭の沈丁花のそば、急に匂いだまりに突っ込んだ。
いつのまにか7分咲きになっていた。

すっかり嬉しくなって、
駅から大学までの道のり20分を
とことことことこ散歩した。

春になると、ときどき無性に歩きたくなる。
動物ですから。
晴れていれば、探検僕の町を気どって、
知らないいろんな道を、無駄にずんどこ入り込んでいく。

エセアウトドア派だから、4月5月限定だけれど。
とにかく気分はもう4月。
今年の4月はたぶん忙しくて、何時の間にやら過ぎていそうだから、
前借利子なしで、楽しんじゃう。

大学では、もう桜が咲いていた。
気の早い私のお友達。


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エンターテイメント漬け一丁 - 2001年03月18日(日)

渋谷で中国映画「グリーンデスティニー」を見た。
話の筋を大まかに言うと、
むかーしむかしの中国、
剣の達人の男と彼の女同志が、2人の長年の敵を討とうとして、
そこにその達人男と同志女の秘めた愛と、
別件だった貴族の娘と盗賊の青年の恋物語とが、からんじゃってあーら大変、
という内容のちゃんばらだった。
・・・私が説明すると、まるでエンターテイメントコメディーの香りがするが、
この映画はれっきとした一大抒情物語、なのである。

映像と音楽と、
そしてなんといっても戦いの場面がとても美しかった。
蝶のように飛び、
ハチドリの羽根のように鋭く優美に剣で突き、
そしてハットリ君のように壁を垂直に駆け上がっちゃったりするのだ。
・・・私が説明すると、まるで映画「マトリックス」と同じ気配むんむんだが、
全然違うものなのだ。
「マトリックス」が西洋人から見た
ウツクシーイトウヨウケンポウノツイキュウ、
だとしたら、
「グリーンデスティニー」は中国人が、
自国の戦いの型を洗練させていった末の、本当の美しい東洋拳法、
といった感である。
とにかく、あんな綺麗なちゃんばら見たことない。

タワレコのインストアイベントにも行った。もちろん映画の後である。
Dope HEADzというバンドのミニライブで、
このバンドのデビューマキシを買った人が参加できるイベントである。
正直に言うと、私はもともとこのイベントに行く予定はなく、
つまりはマキシを買っていないのだが、
行く予定だった先輩が駄目になってしまったので、私のところに流れてきた、
という深くも何ともない経緯がある。
もともとDopeの音を聴いたことがあったし、
なかなかいい重なり具合の音だと思っとったから、
生音タダで聴けるチャンスがあるならコレ幸い!と、のうのうと行ってしまった。

たぶん、そんな私の甘ちゃんぶりへの天罰だろう。
そのイベントは、ライブと銘打ったトーク会だった。
最初にデビュー曲のプロモーションビデオがまるまる全部ながれ、
「ん?」と思ってるうちに、
彼ら4人がステージに現れて椅子に座り込み、
「んん?」と思っているうちに、
彼らは近況等を語り始め、語りつづけ、語り語って、
「んんん?」と思っていると、
ついにようやっと、デビュー曲アコースティックバージョンを歌い、
んで、また語りはじめ、語って、
さよなら。
彼らが消えた後に、セカンドマキシの曲と映像が流れ、
んで、
「・・・・・・」
ほんとにさよなら。

びっくりして、どうしようかと思った。
生音、一曲。
ライブじゃなくって、ほんとに「営業」なんだもの。
ロックバンドは、歌でお客にわかってもらうもの、という認識が私の中にはある。
少なくとも、私がよく聴くようなインディーズやインディーズすれすれのバンドは、
名前を言ったって覚えてもらえないから、歌で勝負するんだ、という流れが当然あって。
でもDope HEADzというこのバンドは、
テレビの企画とも連動したバンドらしく、
そのうえボーカルさん以外の3人は、
ビジュアル系好きな人はほとんど知ってるようなベテラン大物ミュージシャンらしいから、
そんな必要がないんだろう。
商業ベースに乗っかるってのはこういうことなんだ、と思った。
曲だけを聴きに来る、っていうより、
喋ったり歌ったりする「彼ら自身」を見にきてる人が多いんだろうとも思った。
それは悪いことではなくて、ひとつの在りようで。
でも、最初から完全エンターテイメント化されてしまった彼らは、
目と鼻の先のステージに座ってるにも関わらず、
最初から最後までとても遠かった。
テレビで見てるのと、たぶん大差ないくらい。
最初に曲ありき、曲から温度を感じる、のが好きな私には、
あまり馴染まなかった。
歌って欲しかったです。


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こども日 - 2001年03月17日(土)

私は週に一度、サークル活動の一環で
T図書館でこどもたちに読み聞かせをしている。
今日はその図書館で年に一回のお楽しみ会があった。

いつものようにこどもたちに紙芝居をした。
半端じゃなくこどもがいた。
日頃の読み聞かせは、平均2〜3人のこどもがお客様なのだが、
どこから聞きつけたのか、今日はわらわら35人。一クラス分。
幼稚園の先生になった気分で、
アンパンマンとお医者マンと泥棒さんの紙芝居をする。
アンパンマンは私の持ち役。エセ爽やかさが私の砦。
今日も餡のおみそで悪いお化けを懲らしめる。

そのあと、プレゼントを配るお時間。
プレゼントの中身は、一年間図書館が貯めて置いた雑誌の付録だ。
こどもたちの大半はこれが目当てで、
凄い勢いで、プレゼント待ちの行列が出来た。
戦時中のお米の配給みたいに、手渡されるのをじっと待って、
渡されるとぎゅっと逃がさないようにつかんでスバヤク散っていく。
サンタさんというより、こやぎに青菜をやるときみたいだ。

プレゼントが行き渡ると一段落。
最後にみんなでタオルでうさぎさんを作った。
簡単なはずだった。
タオルの両端を輪ゴムで止めてお耳にして、
あとは胴体を整えて、尻尾をまた輪ゴムで丸く作って。
が、どう見ても、私のつくったうさぎさんは
人魂みたいだった。

やんちゃな男の子がいて、
サークルの男の子と、すっかり取っ組み合って仲良くなってた。
あとでサークルの彼の腕を見せてもらったら、
みみずばれになってた。
男の子の友情というのは痛いものなのだなぁ。
ちなみにそのやんちゃ君は私のとこにもやってきて、
「アンパンマンやった人だ」と
さんざ私の前でファイティングポーズを取ったかと思うと、
いつまにか私のおしりをなでて、しばらくなでて、逃げていった。

アンパーンチ!!


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T歯科医院 - 2001年03月16日(金)

T歯科医院はおもしろい。
行くたんびに先生が代わっている。

今の家に越してきて、最初に私の虫歯を見てくれたのは、
T歯科医院のオーナーであろうおじいちゃん先生だった。

次に虫歯になったときに行ったら、
先生は若くなってた。そして、下手になってた。
たぶんおじいちゃん先生の息子さんだ。
彼はかなり筋金入りの下手で、
そのうえ、麻酔するのが大好きで、些細な治療でも必ず麻酔をなさる。
そして、その麻酔は治療が終わった後に効いてきて、
治療後、顔の半分が長時間冷たくなり、血の気が通わない死人のようになる。
「大丈夫か、おい」と毎回危機を感じつつ、
どうにか直していただいた。

次に前歯を2本負って上唇から血をだらだら流して駆け込んだときには、
その若先生は消えていて、
若先生よりは年上そうな、
無口でだけど腕はまあまあの先生に取って代わられていた。
その先生には、上唇3針縫合していただいた恩がある。

そして、今回。
久しぶりに行ったら、私を迎えたのは、みなみらんぼう似の先生だった。
あからさまに前の先生と違うのだった。
そのみなみらんぼう先生は、傍らに立ち、開口一番私に言った。
「どこか痛いところはございますか」
ございますか、と来られてしまった。ございますか、だ。なんて丁重なんだ。なんてセールスマンみたいなんだ。みなみらんぼうのくせに。
ほんとは右奥から2番目の歯がいたかったんだけれど、
みなみらんぼうに下手に出られたら、そりゃ、頭真っ白になるでしょう。
「いえ、特には。今日は定期検診お願いしにきたんですけど」
「では椅子を倒してよろしいでしょうか」
よろしいもよろしくないも、どんな選択肢が他にあるんですか。私は「すぐにも鯉式に口あける」導火線に火がついてる。
第一私が断ったら、みなみらんぼうさん、どうなさるおつもり。
「虫歯はないですね。歯石をお取りしてよろしいでしょうか」
よろしいですとも。よろしいんだってば。こんな大口開けといて、お取りされなくってどうすると。
とことん丁寧なみなみらんぼうは、がりがりきゅいーんと歯石を削り、
ついでに私の歯茎を出血させておいて、
最後にうがい薬コップ一杯までオプションでつけてくれた。
親切だ、親切すぎる。うがい薬が、出血してる傷にしみるぞ。

そして、賞味10分の診察の後、
請求されたのが、2100円。
に、にせんとひゃくえん?
虫歯もなかったのに?
サービス料か!サービス料込みなのかっっ!?
でも先生が面白かったので、いいや。

夕飯を食べた時、
やっぱり、右奥2番目の歯がしみた。
よろしいんでしょうか?先生。ねえ?2100円??


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反省なさい。 - 2001年03月15日(木)

気がついたら、日記を書き始めて、もう1ヶ月過ぎてた。
びっくりした。
どう考えても振り返ってみても、生まれてはじめての快挙である。
がんばってるやん、自分。
暇人やん、自分。

ところで、昨日から今日にかけて、
いろんなところから借りてきているCDを
暇な時間に狂ったように聴きまくっている。

ノーナ・リーヴス2枚、人間椅子3枚、マリリンマンソン、ババメイニア、たま、
ミッシェルガンエレファント、グレープバイン、AJICO、number girl。
それから自分で買ってきてたYOGURT-poohとBUMP OF CHICKENの新譜。

聴きたいと思って手元に集まったCDたちだから、
それぞれどれも悪いはずがなかったけれど、
グレープバインの「lifeime」が特によかった。
私がもっている「here」より好きかもしれない。
そして、びっくりしたのがたま。
10年以上前のアルバムを借りたのに、シンプルな構成の音作りをしてる分、
ぜんぜん古くなかった。
今でもぜんぜん通用する。ただしあからさまに大ヒットしそうではないけれど。
インディーズ仕様なら断然いける。

ところで、うちの市立図書館はあからさまにへんだ。
上のnumber girlのCDはそこで借りてきたのだが、
メジャーデビューする前のインディーズ版と思われるものが入っていた。
メジャー版、見当たらず。
その図書館には、他にも、
インディーズで有名なバンドがちらほら入っている。
それだけならまだ納得できるが、ときどき、
インディーズでも絶対無名だろコイツラ、ってなCDが紛れ込んでる。
絶対にCD担当者の趣味だ。
お偉いさんなんて、CDの流行り廃りなんてほとんど分かってないんだろうから、
そこにつけこんで、自分の好きなインディーズを買いまくってるんだ。
悪いやつである。
すごく近しいものを感じる。


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後始末 - 2001年03月14日(水)

成人式に着た自分の着物を風呂敷に包んで、
着物屋さんにお手入れをお願いしに行った。
成人式は忘れもしない大雪の積もった日だったが、
幸い私の赤い着物はハネもなく、綺麗な状態のようだった。
今度、これを着るのは卒業式だろうか。
その前に、誰かの結婚式がなければ、の話だが。

振袖が似合ううちに、これ、いっぱい着ておかなければ。
と、私はおどおどと考えるのだった。
着物というのは、締め付けギプスじみて、くるしいんだけれども。
あの継続的な圧迫感を体験しない世の男性というものはずるいと思う。
では、着物なんて着なけりゃ良いじゃないか、
という指摘があるのはもっともだが。
でもほら、日本人として、
民族衣装はちゃんと折り目ごとに身に付けるのが筋でしょう?

言い訳です。
ただ自分が着てみたかっただけ。
着てみて、正直、かなり懲りたんだが。
でもそれでもまた着ようと思うのは、
「せっかく作ったんだから・・・」という貧乏性何でももったいない精神がなせる技である。
しかし、結婚式のたびに着付け代が3万近くかかっていたら、
はたしてそれは経済的にみてどうよ、どうなのよ、
とも、重なる諭吉さんの行方を考えてしまう貧乏症の我であった。
とりあえず、ここ数年は、結婚式なんてないといいんだ。
馬に蹴られたくないし、私の希望でどうなるものでもないけど。



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ありがとう。 - 2001年03月13日(火)

今日は、新宿でお買い物だった。
半分以上、サークルのお仕事だったんだけど。
でも、面白かった。
お買い物が好きなんだから、いくらおっさんくさいといわれても、
わたしゃ女の子なのである。

サークルの男性三人が、
バレンタインのおかえしにって、癒し系グッズをくれた。
びっくりした。
そういや、ホワイトデーイブだったんだ。
あんなちょっこりチョコにお返しなんてとんでもないお話なのに。
とっても嬉しかった。
大事に癒させていただきます。

バイト先の塾に行ったら、塾長からもお返しにってノート三冊貰った。
ありがたく頂戴した。

周りの人たちとのつながりを感じてあったかくなった一日だった。


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迷惑な客でごめんなさい。 - 2001年03月12日(月)

コンビニに電池を買いに行く。

ついでにBOOKOFFに寄って、立ち読みした。
気付けばずっと熟読してた。
3時間以上。


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え゛? - 2001年03月11日(日)

10時からオブリヴィオンダストのライブチケットの発売があった。
家の電話のリダイヤルボタンを押しつづけ、
20分過ぎに奇跡的にぴあに通じた。

とれたチケットの整理番号。
63、64、65。
ちなみにハコは赤坂ブリッツ。
ブリッツって確か1000人規模のハコだったよなぁ・・・・。
整理番号を知った時には、
全ての感情フリーズで、凝固してしまったのだった。
だって、フタケタ。
オブリ以上に気合の入ってた特撮のチケットは300番代だったのに・・・・。
そりゃ嬉しいです。でもさ、どきどきしてますよ、そりゃ。
はたして私たちは最前列で見ちゃうんでしょうか。
へたれな体力、昨日実感したばっかなのよ?

そして、へたれた私は、
いくはずだったキセルのインストアライブ@新宿タワレコ、
ガス欠で行けなかったのでした。
せっかくサイン券、持ってたのになぁ・・・。


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Neo Stream Live vol.2 - 2001年03月10日(土)

夜、ライブに行ってきた。
会場のshibuya-AXはまだ新しくて、
入り口が忍者屋敷みたいに隠れ方式だった。

出たのはまずfra-foa。
ボーカルさんは上手い以上に、すごい歌い方をする人だった。
詳しくは、BerryFieldで書いたのでそちらで。
鳥肌が立った。特に「青白い月」。泣いている人も結構いた。
私が立っていたのはボーカルさんの正面。真ん中よりは遥か前寄りのあたり。
西武線の朝のラッシュくらいのつまり具合のところで、
ずっと聴いてた。

次がキセル。辻村兄弟のユニットなのだが、
兄弟の人柄と京都弁が、そのまま音楽に現れているようだった。
ほのぼのとして、ふわふわ眠くなる。
「おきてますか〜」「ねてもいいですよ〜」
って、兄弟は呼びかけていた。非常に和んだ。
そういえば、バックバンドはなく、ベースとギター以外は
カセットで流してた。
それもみんなの前でカセット入れ替えてた。
さすがキセル。
楽しみにしていたことだけはある。
お客さんが中央線の朝のラッシュくらいのつまり具合になって、
だいぶ苦しみつつ聴いてた。

トリ。BUMP OF CHICKEN。
この日のお客さんのほとんどがBUMP目当て。
山手線のラッシュ以上に押されまくって、
半分、聴くどころの話でない。
体勢を崩した私の前の女の子が、踏み潰されそうになってた。本気で怖かった。
命からがら後ろに逃げて、やっと楽しんで聴いた。
BUMPは一年前の5月に見て以来だった。
曲がいいのはもちろんその時と同じだけれど、
演奏、上手くなっててびっくりした。
そして、ボーカルの藤君のカリスマ性も相変わらずだった。

好きなバンドばっかりでるイベントライブは、ほんとに嬉しい。
でも今回は、ずっと満員電車みたいな3時間(そのほとんどが動けず)だったから、
心底疲れ果てた。
体力ないなぁ・・・自分。


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異邦人 - 2001年03月09日(金)

3年ぶりくらいに、駅の近くのスーパーに行った。
駅の無料駐輪場に土曜から放置しっぱなしの
9年ものの愛車チャリを引き取りに行くついでだった。

びっくりするくらいさびれていた。
かなり大手系列のスーパーのはずなのに。
店内、飲食物を売っていると思えないくらい、薄暗い。
ナマモノコーナーなんかはやけに白々と照明を入れているのだが、
乾物系コーナー、省エネ極まれり。

血の気のないおせんべいやら乾ししいたけやらが、
うじうじと影背負って陳列されていた。
かなりまずいんじゃないかと思う。
どうして誰も指摘しないんだろう。

暗がりの向こうから、滲むようにお芋の匂いがした。
スイートポテトでも焼いてるパン屋が入ったんだっけ?
と、香りに引かれていってみた。
そこにはひっそりと焼き芋コーナーが置かれていた。
ちゃんとステンレスの焼き芋機(?)に石敷き詰めて、
そこにお芋をもぐらせて。
係りの人、誰もいない。
普通のスーパーの店内で、
普通を装いつつ、ひたすら無言で現在進行形石焼き芋だった。
ぜったい何かが間違っているような気がした。
それとも3年も来なかった私が、
ひとり置いてけ堀を食らっただけなんだろうか。


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ツキヒハハクタイノカキャクニシテ・・・・ - 2001年03月08日(木)

案の定。

かえってきたら、
サークルのお仕事がたまっていた。
これからノンストップで片付けていかねばなんねえべ。
ぷー。

お土産に買ってきた、ロイズの生チョコレート「オーレ」
家族でむぐむぐ食す。
相変わらずうまーい。
しかし、じつは他の味2箱も買い込んでおり、
その他にも数点土産を持ち帰っており、
当分我が家は北海道フェアであろう。

今日は、人間椅子を聴こうと思った。
気力が無くて、挫折した。
マリリン万村を聴こうとも思った。
体力が無くて、挫折した。
みんなお借りしたものだから、はやいとこ聴こうと思うんだけれども。
でも本能がいま聴いてはいけないと言ってる。

結局、ART−SCHOOL聴いた。
前にタワレコで買った200円カセット「ガラスの墓標」と「ロリータ キルズ ミー」
それからHMVで買った1500円アルバム。
BUMP系若者的音楽だけれども、
BUMPよりもはるかに脆い感じでゆらいでいる。
すごくいい見つけものをしたと思う。


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JR!?スキースキー!ルスツデスキー!(4) - 2001年03月07日(水)


午前中は懲りずにイゾラへ。
今日が滞在中で一番天気がよかった。
うす曇で、そんなに寒くなかった。
山頂の気温、マイナス16度。
振り返ると、向こうに凍った洞爺湖が見えた。

たするがゆっくりながら
ひとりですべれるようになったので、
たするが1本滑る間に残り3人は2本滑ろう、という取り決めのもと、
3.5キロのイゾラグランコースをスピードに乗って滑ること5回。
外国のスキーコースだと20キロのコースがあったりもするらしいから、
それだけ滑っても、外国では1本にも値しないわけだ。
いつか絶対カナダかスイスあたりにいってやる。

2時過ぎに上がって、帰る支度。
4時、お昼というにはあまりに過ぎた時間の栄養摂取。
後は帰るのみ。千歳までのバス移動の前、到着後の時間はお土産購入。
北海道は美味しいおみやげ物があるから、買いすぎで困る。
みんなで膨らんだお土産袋をぶら下げて、
北海道最後の夕飯摂取。最後の「うまーい」感動、仕納め無事完了。
そのままごきげんで搭乗ゲートのボディーチェックを通ろうとしたら、

キリ以外のみんなが引っかかった。

私は、ポケットに入れてたガムのアルミ紙で警報機をならして。
たするは、ふで箱に入っていたカッターで鳴らして。
たかはらは、筆箱に入っていたカッターと目打ちで鳴らして。
・・・・北海道へさえ、自然にふで箱内に目打ちを常備させているたかはら。
確かに目打ちを機内に持ち込まれちゃ困るんじゃなかろうか、と私は納得したが。
彼女の相手をした係員さんは、かなり納得いかない気分に襲われたことだろう。

10時55分。定刻どおり、羽田に到着。
まさかと思ったが、
日頃乗っている西武線の終電に見事に間に合わなかった。
やむおえず、JRで帰ることになった。
「JRスキースキー」という今回の旅行の標語に
ぴったりした終わりを迎えたわけだ。
北海道では一度もJRに乗らなかったんだけれども。

本州にスキーに行くよりもはるかにお高い旅行だったが、
その分は充分満喫したように思う。
3月と思えないくらい雪質よく、食べ物おいしく、
喰う、ねる、滑る、の生活。
ゲレンデが溶けるほど濃い死体、にもならず。
「元が取れる」というのは大事なことだからね。

今度は夏にぜひ皆で北海道、行きたいものだ。
食い倒れの方向で。


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JR!?スキースキー!ルスツデスキー!(3) - 2001年03月06日(火)


朝からスキー。ひたすらスキー。

私は垂れ耳のうさぎ帽をかぶり、
たかはらは困った笑顔を浮かべたかえる帽の下にサスケのような覆面をつけ、
キリはパラッパラッパー激似の全身スタイルで、
たするはえせ爽やかな薄紫の旧型スキーウエアーで。

今日もゴンドラ乗り継いで、イゾラのお山で楽しくスキー。

昨日よりは天気が安定していた。
昨日は30分おきに変わった空は、今日は1時間おきに変わった。
昨日は全く見えなかった下界の景色が見える。
見渡す限り、山と雪っぱら。

初心者たするの特訓でほぼ一日が終わった。
たかはらが先生。私とキリは見学者。
たするが上達していくさまは、
バンビが歩くさまを学んでいく過程に似て、
彼女が転ぶたんびに、「立ち上がれ、立ち上がるんだバンビ!!」の
掛け声が進呈された。

疲れたたするとキリを4時にホテルに返し、
馬鹿みたいに元気な残りの2人は、ホテルの裏山スキー場で
短いコースをばんばん滑った。
そのころにはすっかり夕焼けで、あまりに太陽がまぶしくて、
たぶんそのせいで歯止めが利かなくなったのであろう我々は、
人を殺しはしなかったが、
赤紫に染まった雪山やらホテルやらを背景にして
他のまともなスキーヤー・ボーダー尻目に
お山のてっぺんでナチュラルハイ的ポーズの写真を撮り合った。
1時間ちょっとで効率よく疲れ果て、
膝より先になぜだか顔の笑いが止まらなくなり、
ホテルまでけたけた笑いながら帰った。
けたけた笑いながら部屋に戻って、けたけた笑いながらお風呂に直行した。
お風呂からでたら、笑う元気まで洗い流していた。

夕飯は北海道まるごとバイキングと銘打った代物で、
「北海道は美味しいね」というボキャブラリしか持ち合わせていない哀れな我々は
その言葉をひたすら呪文のように呟きつつ、
いくら丼やら毛がにやら石狩汁やらアスパラガスやらを
しこたまお腹と記憶に詰め込んだ。
毛がに、うまかった。
でも身を鋏でじょきじょき取り出す時間
「うんしょ、うんしょ、うんしょ、いてっ」
食べる時間
「ばく」
まったくつりあわず。
かにはもっと食べやすい形態に即刻進化すべきだと思う。
いくらを見習って欲しいものだ。


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JR!?スキースキー!ルスツデスキー!(2) - 2001年03月05日(月)

ルスツスキー場にはお山が3つあって、
昨日は、そのうちのホテルのすぐ裏にあるちいさなお山で
適当なシュプールを描いておったのだが、
今日からは遠出して、
大き目のお山2つに出かけることにした。

お山にはホテルの脇からゴンドラが出ていて、
ゴンドラで5分(推定)行くと、
でっかいお山のふもとに着く。
さらにゴンドラを乗り継いで、一つ目のお山のてっぺんへ。
この2つのお山は双子山で、途中でくっついている。
連絡コースを通って行くと、もう一つのお山へもいける仕掛けである。

このお山たちは、イゾラと呼ばれていたが、
ひたすらコースが長かった。
なにしろてっぺんからふもとまで一気に滑り降りられるコースがごろごろ。
一番長いイゾラグランというコースが3.5キロ。
眺めよろしく、ひたすら気持ちがよい。

はずであった。

天気が安定していたらの話。

最初は曇って、はらはらと小雪が舞い落ちていた。
それがなにがどうスイッチが入ったのか、
急に思春期少年のように荒れ果てて吹雪横殴り。
そして反抗期が収まりかけて曇るかと思うと、
またごうごうと雪のカーテン。
そんなふうに30分おきにスイッチが切り替わった。

一時は吹雪いたあげく10メートル先が全く見えなくなった。
滑る人の背中が、白い世界の中に吸い込まれて消えていく。

そのときちょうど我々は、枝分かれの多いコースにて、
一歩間違えると上級コース突入、
二歩間違えると崖に突入、というなんとも完璧な北国北海道状態におかれており
身動き取りかね、肩をすくめて立ち尽くしていた。

ルスツスキー場にはやたらにフード付き4人乗り高速リフトが多いわけを、
身をもって体験したわけだった。
確かにそんな吹雪のなかで、フードもついていないリフトに長時間乗っていたら
(ルスツはコースが長いだけあって、リフト乗車時間もかなり長い)
いつのまにやらフローズン
終点のころにはおりるすべなく
そのまま体は再びふもとへ魂はそのまま天上へ
などということになりかねない。

ちなみにところどころにはフードなしリフトもあるわけで、
我々を襲った最初の吹雪は、その野ざらしリフトの上。
乗ったあとになって急に荒れて、
そして、ちなみに、
リフトをおりるころには、吹雪は収まりかけていた。
どうにかおりた。
ゴーグルの内側がクリスマスデコレーションのように
粉雪でコーティングされてた。
この世のものじゃない綺麗さだった。
魂抜けかけてた。抜けかけた魂、なびかせて滑り続けた。

4時くらいに下山し、魂を解凍し、
夕飯は郷土料理屋に入った。
頼んだもの。「御子様膳」。3200円。それも4膳。12800円。+サービス料と税金。
つまり、女子大学生4人(推定ハタチ)全員御子様膳。
だっていろいろ入っていて美味しそうだったんだもの。
実際、やってきたものは超絶豪華な代物だった。
旗もチキンライスもなく、お上品な器たちの上には、
エビフライ・コロッケ・ピザ・ケーキ・オレンジ。牛角ステーキ。お刺身。茶碗蒸。かに汁。鮭いくら丼。そして、デザートに雪見大福イッコ。ケーキは主食であってデザートではないのであった。
運んできてくれたお店の人が、私たちをながめて、
それからギョッとした顔で伝票を確かめていた。

美味しかった。どうしようもないくらいお腹が膨れた。
お子様は確実に食べきれない。
エビフライに一同一斉に感動。
エビフライ、衣と身が分裂しなーい!
やわらかーい!!
日頃われわれの食べているエビフライは、いったいなんだったんだ。
そして、身がすかすかじゃなーい、なぞと本気で感動して
旅行中、ことあるごとに思い出して
感動しつづけていたわれわれはいったいなんなんだ。

お金を払う時、伝票をみた。
伝票には、綺麗な字で
「御子様膳×4」とだけ大きく書かれていた。






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JR!?スキースキー!ルスツデスキー!(1) - 2001年03月04日(日)

朝、3時40分起き。
朝の時間帯ではないがねむさのあまり気づかない。
メノシタクマー。
4時40分、山手線の始発電車に乗る。
ねむさのあまり、危機感を覚え、電車の中ではおきっぱなし。
きっと起きていなかったら、山手線を3週はできた。

7時羽田発飛行機。
我々乙女4人(内訳:たかはら・きり・たする・我)を待ち受けていたのは、
どどーんとポケモンジェットだった。
7時だからして、おこちゃまは機内に見受けられない。
可愛げのない大学生らをつめこんだポケモンジェット内で、
ポケモンエプロンをしたにこやかなスッチーさんから、
ポケモン紙コップでオレンジジュースを貰った。
「ゲットだぜ」
とお義理程度に心の中でおろおろ呟き、
次に意識が戻った時には、千歳に到着していた。

千歳は雪は積もっておれども、寒くなかった。
バスに乗って、途中でトイレ休憩に降りた。
とたんに吹雪いていた。ぐほーと風唸りびちびちと耳を何かが殴る音がして、
目の前には淋しいレストハウス一軒。あとはのっぱららしき雪原のみ。
余計な添加物一切なし。
とたんにそこはストイック北海道だった。
憧れていたけれど、いきなり心の準備がないままに放りだされ、
せめてと覗き込んだ自動販売機には、期待していた北海道限定のジュースはない。
北海道の素人は、あまりに予想を越えた北海道の北海道っぷりに
感動することも忘れてバスに飛び戻り、コートをかぶっていたのであった。

午前中のうちに、ルスツリゾートに到着。
宿泊はルスツタワー9階10903(とおくをみ)号室。
入ったとたん黄色い歓声の上がる二階建ての豪華な部屋で、居間と寝室2つ付き。
ここで、3泊4日を過ごす。

スキーウエアに着替えて、リフト券売り場に行ったら、
今日は悪天候で、リフトが3本しか動いていないという。
時間が2時近かったせいもあって、4日券を買うのももったいないような気がして、
どうしようかとうじうじ悩みぬいていたら、
「俺たち、もう帰るから、これあげるよ」
という声。
見ると、今風の兄さんたちが、当日券を我々に差し出しているではないか。
これをもらわずして
何が無理してゴージャスな旅行に出てみた貧乏な女子大学生か。
というわけで、ありがとうありがとうと涙しながら、
ちゃっかりいただいた。
こういうときは女の子でよかったと思うのであった。

ところで、
あとで知ったことなのだが、リフト券の贈与は、法律に引っかかるらしい。
いくら私たちが只でもらっちゃったとしても、だ。
でもその時は知らなかったんだもんねーだ。
そういえば、リフト券を受け取った私たちに気付いて、
メガネの優しそうな警備員さんが、
「ねぇ、きみたち、それ、あの人たちから買ったんじゃないよね」
って私たちのために心配してくれていたっけなぁ。
「いえ、ただでいただいたんです」っていったら、
納得して離れていったっけなぁ。

そして、そのリフト券、
あとで気づいたのだが、
ちっちゃく「自衛隊専用」と書いてあった。
・・・・? 自衛隊・・・・?
ありがとう心優しき自衛隊の兄さん(違法行為つき)たち。

リフトが3本しか動いていないだけあって、
さすがに天気が悪すぎた。
雨だった。北海道の癖に。
2時間滑って、グローブをしぼったら、ぼたぼたと水が滴った。
本州のスキー場でも、そんな体験したことなかった。
北海道の癖に。

夕飯。
サーロインステーキ。
食す。
寝る。

1日目。終了。


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桃の節句 - 2001年03月03日(土)


ひな祭り。
今年も我が家のおひなさまは屋根裏にしまわれたままだ。
そろそろ虫干ししてあげないと、可哀想だ。
そう思いつつ、はや数年。

翌日から北海道へスキー旅行に行く。
そのフライトが早朝過ぎて
どんな始発電車をつかっても
どんな始発バスをつかっても
どうやっても間に合わない田舎ネズミの私は、
図書館での読み聞かせ活動の後、
たかはらのおうちにのこのこ泊めていただいた。

たかはらのおうちには
お母様のお内裏様とお雛様、彼女自身のお内裏様とお雛様があって
ことしも可愛らしく外の空気を吸わせてあげていた。
瞬間的に凄い罪悪感だか焦燥感だかに近いものに襲われた。
(来年こそは、ほんとうに、ほんとうに。)
瞬間的にそうぼそぼそと唱えたら、とたんに落ち着いた。
・・・・来年まで覚えていないであろうニワトリ的オノレ。ああう。

ところで、夜、「文体練習」という本を借りて読んだ。
一つの文章を、色々なパターンで書き直すというものだが、
これがべらぼうに面白かった。
特に英語風に書き直したパターンがお気に召した。
「ある日のお昼頃」が「R he know oh eel gallows」。
「〜でした」が「death eater」。
「〜ました」が「math eater」。
こんな調子で最後まで日本語の音にあわせた似非英語の羅列。
もう。
最高。


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君の名は? - 2001年03月02日(金)

今日、遊びにお邪魔したお宅に、
すっごくおっきな猫君がいた。

それはそれは立派な猫君で、
子犬どころか、小型犬くらいあって、
むにむにどっしりしてらっしゃった。
私はむっちりがっしりした猫が大好きなので、
彼はその点、かなり理想に近いプロポーションをお持ちだった。
その時点で、私はすでに有頂天。

その上、何事にも物怖じしない男性らしく、
こちらが食事姿をしげしげのぞきこんでいても、
素知らぬ顔でお食べになる。

長いしっぽがチャーミングすぎて、
本能のまま、しっぽの先っちょをちょちょっといじったら、
最初は振り向かずにしっぽだけぴくぴくしてらした。
ぴくぴくしっぽはとっても魅力的で、
しっぽだけでも真剣にお持ち帰りをしようかと瞬間思いつめた。

で、あまりに当方が真剣にいじるので、
かの猫君もさすがにうるさくなったらしく、
振り返ってじっと目を半眼にして
とうとうこちらをご覧になった。
いわゆる人間で言う「メンチ切り」であろうか。

その姿がカッコよすぎました。
惚れました。
私が雌猫だったら、「嫁にしてくれッ」と
即座に言ったことだろう。
今日の自分が人間で残念でした。

ところで、その猫君の名前を知らないことに今気づいた。

・・・・・。



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恐ろしい疑惑 - 2001年03月01日(木)


アンパンマンの頭の中に入っているのは、
あれはもしかしたらアンではないのかもしれない。

不二家レストランのグッズコーナーを見ていたら、
ペコちゃんの顔の缶にミルキーを詰めて売っていた。
その隣。
アンパンマンの顔の中にもミルキーを詰めて売っていた。
アンパンマンの頭の中には小豆ではなかったか。
なかったのか。そうか。

じつはアンパンマンの頭の中には、
しっかりミルキーが詰まっていて、
「さあ僕の顔をお食べッ」
と促された少年はかじりついた瞬間、
彼はパンとミルキーを頬張っているのだった。
ミルキーは簡単には食いちぎれないから、
少年の歯はぬちゃくちゃと大変なことになっているのだった。

芸名アンパンマン(本名ミルキーマン)。
今日も彼は渋谷の不二家レストランにて
営業に励む。
ごめんね、買わなかったよ。


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