My Cup Of Tea...POO

 

 

レモンミントのハーブソーダ - 2001年02月28日(水)

新宿にて
おやつを求めて入った某お店で、
上記のようなメニューがありました。

ミントとハーブという、なんとも季語だぶり的な装飾過剰の名前に
抗いがたいものを感じてオーダーしました。

運ばれてきたのは、
縦長のグラスに、
六分の一カットの縦切りレモンが二つ押し込まれ、
ハーブじみた草が中に漂流している
お洒落なんだかワイルドなんだか
にわかには判断しかねるスパークリング汁でした。

そして、お会計の後に
その「レモンミントのハーブソーダ」より
メニューにあった「モスコミュール」のほうが、
80円ばかり安かったことを
しみじみと思い出したりしてみたのでした。


新宿にて
某タワーレコードで、たまった100ポイントをCDに引き換えてきました。
ココバットの「アラーニャ」と
ザ クリエーター オブの「アゲイン」と
ハンサム兄弟の「ハンサムジャナカッタ」。

ついでに試聴して気に入ったアートスクールというバンドの
「ガラスの墓標」という音を買ってきました。
しかし、こまった。
買ったはいいが、そして200円だったのは嬉しいが、
カセットなんだ。
私は3年前からMD人間なので、すぐにカセットを聴くという環境がないのです。
まいった。カセットウォークマン、どこいったっけな。
たしか最後にヤプーズのカセットを聴いた覚えはあるんだけど、
どこを発掘すればよいのやら・・・


-

ばく - 2001年02月27日(火)


ねむってもねむっても
ねむたくて
きっとわたしのなかには
おなかのすいたやせっぽっちのばくが
むくむくとおおきくなるときをゆめみて
ぬれたはなをふくふくとならしている

はやくおおきくなって
いれものからでてみたいんだって
むらさきいろのそらがみたいんだって


-

シンデレラン? - 2001年02月26日(月)


10歳以上も年上の大金持ちのところに後妻に入って、
3人の子供の継母になる夢を見た。

なんだってよりにもよって突如継母?
いったい何の予知夢なんだい??


-

おやきは甘いかしょっぱいか - 2001年02月25日(日)


野沢からお土産に買ってきたおやきを
電子レンジで解凍してお昼ごはんにした。

そのおやき、そんじゃそこらのおやきではないらしい。
なにせお店で売っていた名前が

「縄文おやき」

絶対に縄目の文様がついているおやきなんだ。と
どきどきしながら並んだのに、
見た目は普通のおやきだった。

だからして、味はそんじゃそこらのおやきでないはずだ。
売っていたラインナップはいたって普通で、
買ってきたラインナップも野沢菜・あんこ等、普通だったけど、
きっと生地にはどんぐりとか鹿の肉とか、
なんだかとっても縄文のものがげしげしと練りこまれているのだ。
そして喰らいついたら、
たぶんぴょろーんとなにか筋張ったものが決まり悪げに出てくる。
さすが縄文おやき。がんばれ縄文おやき。

テレビで中継されていた駅伝見ながら、食べた。
遺跡を発掘捏造された関係者の顔で、食べ終えた。
結局、最後までそのおやきから縄文は登場しなかったので。



-

右肩だけが特に痛むの - 2001年02月24日(土)


サークルの読み聞かせパートの活動があって、
普通に大学の近辺の図書館に行った。
前日までの合宿のせいで、体が重力を1.75倍くらい受けている気分。
ぎっこぎっことどこかが唸っている。

小雨の日なのに、子供が4人も来てくれていた。
いつものように、紙芝居を読んだ。

この日記を3日分遡って書いておいた。

雨の日。急に寒い。
なんとなく「ヴェニスの商人」の文庫本を買って満足した。

水族館に行きたい。


-

サークル合宿(3) - 2001年02月23日(金)

サークル合宿@野沢三日目。

前日のコンパは部屋呑みに継承され、
呑んでるうちに日をまたいだ。

使っていたプラスチックコップの底をしげしげと眺めていたら、
底の方に7桁ほどの数字と20という数字があった。
他のコップを勝手に取り上げて眺めたら、
そこにも同じ7桁ほどの数字と、今度は14という数字があった。
手当たり次第に確かめた。
どうやら、コップの一つ一つに連続して番号が付けられているらしかった。

無性に感動した。

だって、それはプラスチックコップに過ぎないのだ。
使ったらすぐに捨てられるに決まっているのだ。
ほら隣の人のコップなんか、もう白い筋がたくさんついてべこんべこん。
そんなヤツにささやかながら認識番号をつけてどうなるというのだ。
それを分かっていながら、
このコップはアイデンティティーなんぞ持ってやがるのだ。
なんていじらしいのだ。コップもコップの製作者も。
作ったその人は、店頭に並んだコップをひそかに手にとって
「おおこの番号はあのときのあのコップたちだ・・・おぉおぉ頑張ってこいよ」
とか頷いているに違いなかった。

ちなみに、私は途中で座を抜けて寝てしまったので、
あれだけ感動したコップがその後どうなったのか知らないのだった。
私の感動なんて所詮その程度なのであった。
ごめんなさい。

で、コンパで病人もださず、無事にお土産も買い、
ついでにみんなでono式雪だるまもつくった。
途中、長野で時間があって自由行動となったときに、
新星堂を見つけてたまらず乗り込んでみた。
明和電機のコーナーがなかった。っていうよりも明和電機のCDすら見当たらなかった。
かなしいね、サバちゃん。

新宿で無事に解散した。
何事もなく終わったことに、心底ほっとした。
ほっとした開放感で、その足でタワーレコードに直進し、
そのままCDを4枚―――くるりとキセルとfrafoaとLINKINPARKの新譜―――
買い込んで、
そして私の合宿はつつがなく終了した。

いろいろな人にお世話になりました。
いたらない幹部で申し訳なかったです。
でもなによりも私自身が楽しめたので、よかったことにしてしまいます。
おつかれさまでした。


-

サークル合宿(2) - 2001年02月22日(木)

サークル合宿@野沢二日目。

スキーなのである。
滑っちゃうのである。
この一日のためだけに自分の道具一式送ったのである。
今シーズン3回目のスキーなのである。
とにかくひたすら嬉しい私なのである。

と思っていたら、いきなり2本目にして、半ばこけた。
場所はファミリーゲレンデに毛が生えた程度のコース。
前にこけた記憶は3年前ぐらいだったから、すっごいショックだった。
老化か。これは果たして老化なのか。そうなのか。お迎えが来ちゃったのか。
金ぴかの船から白髪の好々爺に手招きされる幻覚が見える気配。
だめだだめだだめだだめだ。
絶対その船はフェイクでべこべこのプラスチック製で、
そのじいさんは納豆が好物で、
毎朝私に納豆を食べるように強要するに決まってる。

だからその後は心がけて丁寧に滑った。
おかげで二度とじいさんと再会せずに済んだ。

全くの初心者がへび君一人で、
午前中はその練習のお手伝いをしつつ過ごした。
最初は皆で面倒を見ていたのに、
そのうち私のほかにござさんだけになってしまった。
初心者とマンツーマンでいるより
二人でいるほうがとても心強くて、安心していられた。
そして、いつも私を教えている父の気分が、多少は分かった気分。
全く滑れなかった人がどんどん上達していく姿は
見ていてはらはらするけど楽しいし嬉しい。
これで、スキーを好きになってくれたらもっと嬉しい。
気分はいつの間にか伝道師である。
私自身、大して滑れゃしないのに。

暖かいせいで、雪が重かった。
暖かいせいで、コブもどんどんひどかった。

午後はずっと中級者コースを滑りまくる。
chocoさまとshotaro君と一緒。
二人とも速いし上手い。
自分と同レベル以上の人と一緒に滑るのは面白い。
上級者コースのコブ斜面も一度は挑んだ。
コブをちょっと面白いと思ったのは、これが初めてかもしれない。
でも滑りきったらかなり疲労していた。
らくらくと滑っていけたらカッコいいの極致なんだけど。

まだまだへたれなスキーヤーの自分は、分不相応な夢をいだきながら、
結局ファミリーゲレンデで「いかにも滑れますよ」的な顔をしながら、
パラレルもどきをしてみせるのであった。

ああ、せめてもうちょっとまともにパラレルができるようになりたい。


-

サークル合宿(1) - 2001年02月21日(水)

サークル合宿@野沢一日目。

野沢は遠い。
9時半に新宿を出発して、一般高速バス二本を長野経由で乗り継ぎ
到着が午後3時過ぎ。
「バス二本乗り継ぎ」ってあたりが、
若気の至りお馬鹿的で気に入っている。
ひどい幹部である。

私個人としてはバス旅行はかなり好きだ。
三半規管が強くないので、酔うこともあるのだけれど。
今回は酔っている暇はなかったみたい。
バスの中では、ウォークマンを聴いていた。
旅行にまでウォークマンを持ち込む自分のオンガクジャンキーぶりに
5秒ほどこっそり自暴自棄な目つきになってみる。
ちなみにMD8枚携帯。そのうち3枚大槻ケンヂ系。
野沢にはきっと彼の曲「カモン観音」が似合うと直感が舞い降りたのだ。
結局聴かなかったんだけれど。

旅館は迷路みたいな造りになってた。
男性部屋と女性部屋が、
別館と別館に、ロミオとジュリエット的配置で手配されてた。
そのうえ性別によって公然と差別が激しく、
女性は一般客室2部屋4人−5人で分かれたのに対して、
男性部屋は大部屋+凶暴なまでにブタ箱似の従業員部屋で、
参加した男性9人はほぼみんな大部屋が本拠地だった。
のぞいてみた。
感動的なまでにむさかった。
「むっさー」って正直者は叫んだ。
顰蹙を買った。

野沢は寒くなかった。
道はふつーにコンクリートで、雪で困ることなどなく、
私のダミーちゃんブーツは、さみしかった。
ダミーちゃんから顰蹙を買ったことを、ちっとは自覚してください、2月の野沢よ。
マフラーも手袋もいらないし、夜には雨降るし、
粛々と反省なさい。
おやきと温泉饅頭が美味しいだけでは駄目なのよ。
まったくもってね。


-

明日から旅に - 2001年02月20日(火)


 以前からブーツが壊れていたのであった。

 なので、買いに行った。

 結局、前のと全く同じものを購入して帰ってきた。

 何故って、
 明日から豪雪地帯・野沢に行くにあたって、
 いかにも「雪国耐え忍びます演歌的靴裏仕様」になっているのが、
 それしかなかったのだ。

 上から見ても、下から見ても、斜めから見ても、
 おんなじように見える。

 ダミーちゃんと名づけることにする。

 明日のサークル旅行、
 きっと誰も私が前と違うブーツを履いているなんて、
 気づかない。
 なぜならそれがダミーちゃんだからだ。
 私だけが知っているのだ。
 ふふ。
 ダミーだみーふふふふふ。




-

11時間睡眠 - 2001年02月19日(月)


寝疲れた。

甘酒を飲んだ。

洗濯にだしていたタートルネックのセーターを
久しぶりに着てみた。
緑色が、
前よりも少し鮮やかになっていた。


-

軽井沢プリンスな休日(過大広告なし) - 2001年02月18日(日)


軽井沢で日曜を過ごす。
ブルジョワなことをしてしまった。

ブルジョワはブルジョワらしく、
噂のアウトレットショッピングモールにも行かず、
テニスもせず、
ひたすら軽井沢プリンススキー場を暴走カービングスキーで滑り降りた。

そのスキー場は、山のてっぺんからふもとまで滑り降りられる。
てんぺんからは正面が浅間山で、そのふもとの街並みがよく見えた。
とても気持ちがよかった。
人口降雪、ということと
リフト券が電子形式でなく
むかしながらに印刷された紙を、券ホルダーで
腕にボンレスハムよろしく止めなければならないということを除けば。
そして、プリンスホテル経営だけあって、
昼食が冗談のように美味しかった。

ごはんの美味しいスキー場なんて間違ってる、
と咄嗟にすかさず考えた私のほうが間違っている。
すかさず悲しくなってみる。


-

米かついで走る - 2001年02月17日(土)


ヒップホップ系の兄さんが、
車輪小さめのスタイリッシュ自転車に乗って、
左肩に米袋(たぶん5kg)かついで、
コンビニの手前、左折していった。

学生街の昼下がり。
十中八九、彼はうちの大学の学生だ。

米袋。
(たぶん5kg)。
なんで。
自転車にはカゴついてたのに。
後生大事に左肩、インコのごとく彼は乗せていったのだ。
米袋を。
(たぶん5kg)を。

ヒップホップ系の兄さんが、後生大事にしていたからには、
彼の肩に乗れる米は、普通の米ではいけない。
魚沼産コシヒカリ、なんてものではならない。
きっと
ジャマイカ産アキタコマチとか、
グアテマラ産トチオトメとか、
そういった聞くだにソウルフルなものに違いない。

そして
ヒップホップ系の兄さんが、後生大事にしていたからには、
彼はそいつにきっと名前を付けているはずだ。
エリザベスとかキャサリン、とか、
もしかしたら、べスとかキャッシーなんて呼んでる筈だ。
いや、彼はもしや見た目はヒップホップ系だが、
実はロック小僧であったりするのかもしれない。
そしたら、米の名前は、
ビートルズかクイーンかスティングかマリリンマンソンであるはずだ。

ビートルズ米は食べてもいいけど、
マリリンマンソン米はなんだか嫌だ。


ところで、ウチのパソコン「牛」は
「マリリンマンソン」
と入力して変換すると、
「マリリン万村」
とでる。
すごい面の皮である。
将来大物になると見た。



-

ひのみやぐらに見蕩れる日 - 2001年02月16日(金)


家のそこそこ近所に
消防隊の分署のものらしきガレージがあって
私が問題にしたいのは、
そのガレージの上の、ひのみやぐらなのである。

やぐらといっても、いたって今風で、
すなわち鉄筋製である。
非常階段風の鉄筋階段が、踊り場つきで一階分、ガレージの上に生えている。
階段はもともとはバニラクリーム色だったのが、
いまはまだらにチョコレイト色が混じりかけている。

色だけ描写したらいかにも美味しそうだが、
その階段は
雨風に戦ってきたらしき奇妙な風格と、
微妙に生活に疲れた気配を漂わせる。
まるで組を抜け損ねた哀しき本格自由業さんのようで
こんな哀愁をもつ階段なぞ、そうはあるまい、
と私は勝手に決めた。

その階段の上には、半鐘があって、
たぶん原寸はランドセルくらいの大きさなのだと私は信じる。
しかしこれまた苔むしているのか、酸化の賜物なのか、
遠くから見ても緑色なのがわかる。

いつも、人がのぼっているところを見たことがない。

きっとあの階段をのぼるのは特別な事情の時だけなのだ。
どうしてもどうしても半鐘を鳴らしたくてたまらなくなって、
半鐘をならさなければ窒息してしまう、なんて時に、
はじめてあそこを駆け上ってよいのだろう。

で、半鐘をがんがんならし終えたら、
心おきなくその人は
干乾びるなり溶けるなりできるのだ。

透明な液体になって、舞台からこぼれおちたら、
その跡は、チョコレイト色になって残る。
これは絶対だ。

私みたいに、発作的に鐘を鳴らしたい興味半分人間には、
階段の入り口すら、見つけさせてくれないらしい。
階段は例の気だるいもの悲しさを漂わせて、
もっと思いつめてからこい甘ちゃんめ、
と、買い物がえりの自転車の私に無言でのたもう。

しってますよ、そのくらいさ。
でもさ、
バニラ色とチョコ色と緑色の組合せは、
今日みたいに晴れた日には壮絶に綺麗なんだ。
呆けてしまったって、それは私のせいじゃないんだ。




-

Fool on the planet - 2001年02月15日(木)


the pillowsの新しいアルバムを買った。
ベストアルバム。
ずっと聴いてた。

「確かめに行こう」という曲がとても好きだ。

濁りガラスのビー玉みたいに、
今日は外の世界が何も映らなかった。
pillows聴きながら、自分の中の色のかたまりをいじくっていた。

いじり壊さないようにしよう。


-

トカゲ・ヘッドの名にかけて!! - 2001年02月14日(水)

今日はたかはらとデートだった。

映画館と言うヤツは、水曜になると女性だけは料金が1000円になるところが多い。
その日がバレンタインデーだろうがなんだろうが見境なしに、
ヤツらはきっちりやってくれてしまうのだった。
だったらこっちもヤツらにきっちり付き合うしかないだろうが。

そんなわけで、女二人で映画のハシゴをしてきた。
「party7」&「ギャラクシークエスト」。

「party7」は浅野忠信が見られたからにはもう
「よしッ」(ガッツポーズ付)とする。
この映画のラスト、浅ちゃんのコスチュームは、なんというかそれはそれは破壊的に素敵だった。
その他の印象としては、
登場人物たちがなんだか異様なテンションで
馬鹿馬鹿しいことをひたすら怒鳴りあっていておっかなかったなぁ。
兄貴役のスーツについてたタグ表示「ジョージ・アルマーネ(本物)」が
浅ちゃんコスと並ぶくらいに面白かった。
・・・アルマーネって誰だよ、本当に?

そして「ギャラクシークエスト」。
こちらも実にくだらない。実に私の好きなノリ。
往年の人気テレビドラマ「ギャラクシークエスト」(←スタートレック系宇宙シリーズドラマ)の宇宙船クルー役の出演者たちが、
「ギャラクシークエスト」は実話だと信じこむ本当の宇宙人たちに、助けを求められて
とうとう本当の英雄よろしく敵と戦ってしまう、
という、いわゆる馬鹿話。
いいなぁ。面白かったなあ。
あの映画のなかの「トカゲ・ヘッドの名にかけて!!」と、
「ネバーギブアップ! ネバーサレンダー!!」は
かなり私の中で超局地的ブームな言葉になりそうだ。



-

もの喰う日々。 - 2001年02月13日(火)


今日のお昼は、コンビニ産の
「デラックスハンバーグまん」と
「はちみつまん」
を、食べた。

「美味しい?」って聞かれたら「うーん」
「まずいの?」って聞かれたら「うーん?」
って味。
すくなくとも「デラックス?」って聞かれたら「・・・・ううん?」
って遠い目をするランクのものだったような気がする。

ハンバーグまん、ネーミングだけは美味しそうなのに。
同時に見かけた頭脳パンの「キナピー」の方が、ネーミングは「やっちゃったぁ」
だけど、
反比例して美味しいのかもしれない。
今なら合格お御籤つきだし。

比例と反比例だったら、
反比例の方が好きだ。
最初と最後が決まっちゃってるのが、自己完結的で可愛いと思う。


-

笑殺テンパリング固め - 2001年02月12日(月)

一年に数度、
「これ、用途あからさまに間違ってんじゃないの」ってモノで、
殺されかけることがある。
例えば、今日なんかはそうだ。

月1回の定例会にて、高校の友人たちと集った。
合計11人。
そして今日は2月12日。すなわちバレンタインデーの前前日。

私たちには高校時代から、バレンタインデーになると
自分たちでチヨコレイトを持ち寄って、女ばかりで食い漁る、という伝統がある。
女子高出身だから、いたしかたない。

今日も、チヨコレイト菓子が勢ぞろいした。
それもほとんど手作り。
愛が満載。
美味しかったし、こんなにチヨコを食べるのは1年にこの季節くらいだから、
胃袋に詰め込む。ひたすら詰め込む。

結果。
ふた昔前のニイサンたちのリーゼントみたいに、
ぱんぱんに突っ張った我が内腑。
チヨコレイトで胃袋コーティングされたみたいだ。
愛が痛い。

思えばかつての我々のバレンタインデーには、
ロシアンチョコレートも登場したものだった。
チョコレートの中に、とっても素敵なものが詰まっている、という代物だ。
例えば、キムチ。例えば、御飯のり。例えば、わさび漬け。
そんなカラフルな味の数々が、
チヨコと一緒に終わらない夢のように口の中に広がる。
マヨネーズ入りのチヨコを食べさせられた時には、
私の舌はコサックダンスを踊ったっけ。

今年は、そんなロシアも真っ青なロシアンチヨコレートは登場しなかった。
皆、そんなものに全力を傾けるような若気の至り的暇は、
もうないのかもしれない。

ちなみに私は、トリュフを作った。
なんのことはない。ロシアンチヨコレートを作るのに失敗したのだ。
・・・・来年こそは。


-

My Cup Of Tea - 2001年02月11日(日)


紅茶が好きなんです。

それとおなじくらいの深さで、
日記がきらいです。

最後に日記をかいたのが、
4年前になります。

3日も続きました。

頑張るの、やめます。
紅茶だっていっぱい飲んだら、
きっとお腹をきゅるきゅるいためます。

何事も、いっぱいはいけません。

幼稚園のころ、梅酒の梅をいっぱい食べ過ぎて、
世界がぐらんぐらん
メリーゴーラウンドみたいに愉快に回りました。
呂律もまわらないまま、出動しました。
あんなに幸せな思いをするのは、
5年にいっぺんくらいでいいです。

それ以来、親から梅酒梅制限令が出されたのは言うまでもありません。




-



 

 

 

 

INDEX
 will

Mail BBS