おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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はまる氏とアドテク「壬申の乱」を初プレイ。おれ大友皇子。 はまる氏のルール読み違えがあって大友軍が優勢に進む。戦略移動のルールのない世界での兵力動員のもどかしさよ。しかも各部隊が別個に移動・戦闘を行うので連携戦闘がとりにくく、戦略規模での古代戦らしさが出ていると思う。しかしなんといっても兵科ごとの戦闘能力の差の大きさ。いやいや徴兵された農民兵10000人よりも豪族の子弟で構成された騎兵300騎の方が強力とはやや極端。結果的に我が方の軽騎兵集団が大海人皇子の陣取る不破の関を陥落。落ち延びる大海人の首を取って帰参を果たすものが出て我が方の勝利。 面白いゲームなのでまたやりたい。
一月ぶりのセッション 末代氏にはこういうシナリオもあるよーん、ということで僻地探検シナリオをやってみたかったのだが、その前に政府要人に合わせてしまったので自らの手を汚すことなく上からの圧力を利用してシナリオを解決されてしまった。まあTRPGにはコンピュータRPGにはないこういう自由度とアドリブがあるから値打ちがあるのでよし 後は飲み会。ホルモン焼きを魚にホッピー呑み過ぎてリバース。皆様に心配かけて申し訳ない。
| 2007年04月22日(日) |
文春新書『戦争指揮官リンカーン』読了 |
タイトルに惹かれて購入。文章はいわゆる学者ではなくジャーナリストが書いたものなので平易で読みやすい。電車読書でするする完読。 いわゆる「南北戦争」はあらゆる方面で初めての試みが行われた戦争だが、著者はこの中でも「電信」の重要性を重視する。「電信」の発明により、部隊間の連絡のみならず、大統領が各方面の将軍から直接報告・連絡を受け、そうして得た情報を元に大統領自らが命令を下すいわゆる司令部の機能C3&Iが「最高司令官」大統領の下に掌握された最初の戦争と見る。実際リンカーンは各軍司令官・将軍たちにここまで、といいたくなるほどに細かな支持を与え、報告を要求し、自らの手足にならない将軍達を情け容赦なく解雇する(こうやって最後にお眼鏡にかなうのが非情極まりない焦土作戦を命令通り実施できるシャーマンとグラントなわけだが) ここに著者はホワイトハウスからの命令により全世界に作戦を命ずる現在の合衆国軍のあり方の雛形の完成を見る。 南北戦争そのものの通史j対日本ではほとんど発行されていないのでその上でも読んでいい一冊。 ただ問題点は南北戦争全体を捉えた地図が載っていないということ。この本の趣旨からいえば大統領と同じ視点から戦局が見られるように出来る地図は不可欠と思うのだが。
| 2007年04月21日(土) |
新『ゲノム』2巻購読 |
いやーははは。プリティ長嶋さんって有名人だったのね。わしゃマジで知らんかったよははは。しかし出馬の動機とその公約自体は一市会議員に実現可能なまじめな話だと思います。 で、AMAZONに注文した上記書到着。1時間笑いっぱなし。シモネタ・というかセクハラネタのオンパレード。もう日頃なに食ってたらこんな台詞が出てくるのやら。一週間のストレス解消にちょうどよし。ちなみに禁酒5週間目に突入。
我が市川市も来週の日曜日には市議会選挙。町中にポスターが張ってあるのだがこの一週間ずっと気になっていたのは「プリティ長嶋」と称する野球のユニフォーム姿のおっさんだ。ウケ狙いなのか何なのか。なにしろこの市川ではかつてオームのシーパカ正太子が出馬した過去がある。まあこんな色物も出るのもやむをえまいかと思っていたらどうも違うらしい。 何でもこのおっさん、少年野球チームの監督で、以前対戦相手の選手が「心臓震盪」で試合中に死んだということがあって、二度とこの悲劇を繰り返すまいとAEDをもっと市川市に普及させることをマニフェストとして出馬しているらしいのだ。そんな殊勝な理由なら一票を投じてやることにやぶさかはないのだが、長嶋はともかくプリティだからなあプリティ。
| 2007年04月17日(火) |
米国での銃乱射事件について |
朝のニュースを見ていると 「東洋系の学生が銃を乱射。日本人学生が犠牲者に含まれているかは不明」と報道されていたのだが、 この記事を書いた人は加害者が日本人である可能性については考えなかったのか?結果的には韓国人だったが、東洋系としかわかっていなかった段階では日本人である可能性もあったわけだろ? 「日本人がそんなまねをするわけがない」という思い込みはやめた方がいいと思う。とかいってると日本国内でも銃で長崎市長が撃たれているわけだし。
私は小学校3年まで「番町皿屋敷」のことを 番長皿屋敷 だと思ってました。 どんな話だ。番長が子分どもに肝っ玉の太さ見せるために皿屋敷にいって「九枚」まで聴いて見せるとか。あああ、美味く仕上げれば創作落語になるかもしれん。
創作といえばシャーロキアンの私としましては昔ホームズのパスティー小説に挑んだことがある。山田風太郎が夏目漱石vsホームズを書いてるのに対抗して、南方熊楠をホームズと競い合わせてみようと考えたのだ。博物学者の熊楠のほうがよっぽど探偵向きだとは思うのだが。ただ肝心の推理劇のほうが思いつかなくて断念。推理小説自体には興味ないんだよねえ。
ちょっとよそで小耳に挟んだんだけどあんまりおかしい話なんでここに書く。
若き日の桂朝丸(当時)が米朝師匠のお供で列車旅行していたときのこと。 検閲で無賃乗車とばれてしまった朝丸、ここはなんとしてもウケをとらなあかん、と思い(思うなよ)けつまくって「わしのうんちンはこれやー!」と車内にぼとぼと……。 車掌は血相変えて逃げ出したわけですが、さすがに米朝師匠に「ほんまにやったら洒落にならん」としかられたそうな。
この話のすごいところは、一見米朝師匠が常識人に見えるが公衆の面前でパンツ下ろしてけつ丸出しにするところまでは「洒落のうち」として容認している、という点にあると思うがどうか。 落語会では堅物といわれる桂一門の頂点にしてこれである。芸人はやはり怖いなあ。
| 2007年04月14日(土) |
このヒゲ親爺が超強い |
か〜。ギャオでNHKポワロの再放送やってるのを知って見に行ってたんですけどね。やっぱしびれる〜! こないだやってたアニメのじゃなくて(あれもよかったらしけど)英国製のドラマのヤツ。 ポワロはいろんな役者がやっているけど、デヴィット・スーシェ(声.熊倉一雄)以外考えられませんよ。ホームズがジェレミー・ブレッド(声.露口茂)でなきゃならないように)ほんでヘイスティングが故富山敬。この掛け合いがもうかっこよくって。(よくGumby氏がワシのことを滝口順平声というのだが、自分では熊倉の方に似ていると思うんですが……) ほんで依頼人の貴婦人が小原乃梨子。レディの声やらせても聞けるよね、て思っていたら実は悪ボスでポワロに正体見破られたとたん「ちくしょう!」と一気にあばずれ女に豹変。ああ、このために小原さんだったのね。配役だけで見破れなければ〜!(いや話は知っているんですけど) あ、わしホームズもポワロも好きで何度も読み返しているけど、あくまでも推理小説は嫌いなのよ。自分で謎作って自分で解いて何が名探偵だ、て。ただこの二つは「時代小説」として愛好しています。(横溝とか乱歩も同じ)ヴィクトリア朝とエドワード朝のイギリスの空気を堪能させてくれる作品として。 (そういえば、昔おかんと見ていて「何でこの人たちオールドスタイルなん?」と聞かれて答えに窮した。いやオールドな時代だから、としかいえないのだが……) 昔VTRに撮ったんだけどなあ。もう黴てるだろうなあ。これとホームズは全話DVD欲しいよなあ。
| 2007年04月13日(金) |
事件だよワトソン君! |
あー、今日と明日の日記の順番が逆になってますんでそこんとこよろしく 「ポワロ」を見た勢いで「ホームズ」まで見てしまう。「バスカビル」と「最後の事件」ね。ホームズ役者なんて無数にいるけどやはりジェレミーブレッド・露口茂に限りますなあ。この時代考証の重さ。嗚呼猛烈にパブに入ってエールを1パイント注文したくなってきた。ワトソンは長門より福田の方がいいかなあ。いやこれはただ趣味の問題で演技の優劣にあらず。 ホームズコミュを見てるとハドソン夫人(宮崎ホームズ見たいなきれいなお姉さんじゃなくて原作どおりの小母さんね)になってホームズのお世話をしたい、ていう女性がかなりいる。いいのか本当に。あんなシャブ中の社会不適応者を。 しかしこれあるからこそ只だから文句言っちゃいかんのかもしれんが、ギャオのCMはどうにかならんか。もともとNHKの放送だからCM枠がないにしても話の流れにお構いなく台詞の途中でもぶちきってCMいれやがんのな。そのくせ「バスカビル」(もともと前後編)の間にはCM入れないし。何度画面に突っ込みいれたことやら。 あー。コレクション癖はほとんどないんだけど(旅人は身軽が基本なのだ)「ホームズ」と「ポワロ」と「シャープ」と「ガンダム」と「桂米朝全集」と「桂枝雀全集」のDVDだけは欲しいなあ。いや夏の旅行をあきらめれば全部買えるんだけどね。それにつけても金の欲しさよ。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=193985&media_id=2 そういやそんな人いたなあ。腋毛ぷーぷー。そりゃAVだった過去を穿り返されるのは絶対にいやだろうとは思うしこれはどう考えてもプライバシー=情報操作権の侵害で小学館が敗訴するのは当然だけどさ。日本のマスコミが「あの人は今?」と死人を墓穴から掘り出してさらし者にするのが大好きな低レベルなものはわかってたでしょうに。分別ついた大人がそもそもAVに出るもんじゃないよ。
ひさしぶりに鯉朝師匠の独演会です。是非ともご一緒に
> 瀧川鯉朝アワー「春の鯉まつり!」のお知らせです。お時間がございましたら覗いてやって下さい。 > > 鯉朝演目: > 名作山登り落語「愛宕山」 > 実録新作落語「駅前番長(仮題)」 > > ゲスト: > どこを切っても江戸ッ子了見!「柳亭楽輔」 > 計算?天然?大御所なのにヤバすぎる!?「東京丸・京平」 > 家は裕福、落語は綺麗、明るい家庭に低体脂肪…いいなぁ「三遊亭遊史郎」 > 鯉昇一門: > 不思議な男の爆笑新作落語!「春風亭鯉枝」 > 鯉太の前にネタは無い、鯉太の後に話題ができる…「瀧川鯉太」 > > 日時: > 4月27日(金)開場17:00開演17:30 > 場所: > お江戸日本橋亭(地下鉄銀座線、半蔵門線「三越前駅」下車、A10出口を上がり右折、和菓子「鈴屋」角右折、100メートル先、ノボリが目印) > 木戸: > 当日2000円、前売1500円 > 問い: > 03-3245-1278(日本橋亭)
| 2007年04月10日(火) |
中塚明『『蹇蹇録』の世界』読了 |
大学院時代からの宿題であった当初ようやく読了 はっきしいって期待はずれ。蹇蹇録とは日清戦争当時の外務大臣・陸奥宗光の著した当時の第一級の史料とされる書だが、本書では第一章・二章を費やして結局のところ「外務大臣陸奥が自分の手柄を明らかにするため著した」という結論に終わる。 さらに第三章にて同書の批判に入るのだが、つまるところは『開戦当初の王宮占拠から閤妃虐殺にいたるまでの朝鮮人弾圧に対する批判がない、とそれこそ大学院時代馬に食わせるほど読んだ議論で終わり(それはそれ自体そうなのだが)、なぜそうなのか、という検討に踏み入らない。結局中塚は朝鮮近代史研究家の枠から一歩も外には出ていない、というだけの書であった。 あー、これは日本史研究家が読んで朝鮮史家はこんな見方をするのかーと感心するための本なのかもしかして。
日本の「終戦」この日本史上最も暑い日をめぐる日米の思惑を描いた研究書。 日本サイド・アメリカサイドからつき進められていく内容にはドキュメンタリーのような緊迫感が漂う。 大きな問題になるのは「無条件降伏」とは何か?ということだ。うかつにも気づかなかったが歴史上の公式文書において無条件降伏という言葉が登場したのはこの大戦が初めてのことである。(南北戦争でもあったが形だけのものだった)そして日米両者がこの言葉の魔力に振り回されていく。 日本側はこの言葉に「国体」の保証が含まれているのか、知りたいばかりにポツダム宣言発表後の貴重な時間を消費してしまい、鈴木貫太郎首相の口から「黙殺」という「拒否」の言葉が出たように取り違えられていく(実際にignoreという表現を使ったのは秘書官・迫水久常だったらしい)。 そしてアメリカ側は、ルーズヴェルトの急死により、国際政治的にはほとんど未経験といってもいいH.トルーマンが指揮を執るようになり、事実上壊滅し抵抗能力を失っている日本に対して金科玉条のごとく「無条件」を押し通す。本来戦争遂行のスローガンに過ぎなかった「無条件降伏」を戦争の目的に取り違えていくのだ。 この両者の愚考が無駄に戦争を長引かせ、原爆の完成と実戦使用・ソ連の参戦という悲劇を招く時間的ロスを生み出していく。
最もおろかだったのは誰なのか。ローズヴェルトの子分からいきなり超大国の最高指導者になったトルーマンなのか。玉虫色の回答でお茶を濁し、ソ連に講和の仲介を求めた日本指導部なのか。 なににせよ、ひとつの外交用語の解釈が「100万人」の命にかかわっていき、戦後国際社会に現在まで重い影響を与えていることだけは間違いないのだ。
| 2007年04月08日(日) |
岩波新書『民権と憲法』読了 |
本書で著者の持ち込んだ新機軸は自由民権運動を「政府」対「自由民権派」の対決ではなくそこに「民衆」の立場を別に持ち込んだ三つ巴の対決として捉えた点にあろう。特に自由民権運動の動きと民衆の欲求との食い違いは民衆の「儲ける自由」と「餓える自由」が顕在化する松方財政前後に大きく表面化する。その背景で没落から脱出する唯一の方法として「学歴」が注目されていく。これこそが近代日本の特色といえるだろう。 筆者は「自由民権運動とは全日本人を巻き込んで「政治のあり方」、しかも「憲法草案」といった基礎中の基礎から自主的かつ積極的に考えさせた「文化大革命」」と捉える。 しかしその中心人物は地方にあったそれなりの知識層〜いわば「夜明け前」の主人公のような〜に限られているのも現実だった。だが、近代国家形成とは全国民を巻き込まねば成り立たない。全国民に「兵役」という前近代には無かった義務を背負わせるのであるからにはそれなりの飴も必要であり、また自由民権派にとっては兵役の導入は参政権に対する当然の代償と捉えられていた。つまり政府・自由民権派とも民衆の「客分意識」を払拭する点では一致しているのである。 不平等条約改正に通じる「近代国家」成立は在野・政府問わず、明治知識人共通の悲願であった。そのためには日本を「文明国家」と認めさせるためにスペンサー流の社会ダーウィニズム観が持ち込まれ、領土の確定問題と重なってアイヌ・琉球を劣等国民とする「同化政策」が推進される。そして日本国内に「客分」を認めない自由民権家にとっても、アイヌたちは同化され「国民」意識を持つべき存在であった。ここに多元主義が持ち込まれる余地は無かった。ここに両者の手を握り合った結果の最も醜い形・少数民族の抹殺が進められる。 この論理・文明観は朝鮮にも持ち込まれ甲申事変・大阪事件にも現れる。(著者は大阪事件の指導論理をフランスの啓蒙思想がアメリカの独立→フランス革命、と影響を与えたように、日本の啓蒙が朝鮮の革命→日本の利権主義達成につながると見る。この視点が正しいのかは勉強不足で不明) さらに貧困脱出のために重視された学校は規則への絶対服従を強制することにより国民国家形成・徴兵制予備軍の訓練・近代国民としての型への押し込み、といった大きな役目を果たす。 すると当然これらの枠組みの外で教育を施す私立学校の位置づけが重要になるのだが、かなしかな、社会資本の貧弱な日本では私立学校は結局公立学校の補助以上にはなりえなかった。 そして社会ダーウィニズムにくわえ日本独特の論旨として使われるのは「アイヌも琉球も」みな天皇の赤子という一君万民観であった。著者は明治の天皇行幸が国民国家形成に与えた影響も指摘する。 結局のところ、天皇を唯一絶対の君主とし、教育という機会の平等をもってして「一君万民」の体制を教育する形でしか日本の国民国家形成はなしえなかった。こうして民衆の本当の要望とは違うところで立憲君主国家日本が生まれるのであるが、それが完成するためには国家的危機・日清日露戦争を待たねばならない。果たして両戦争の勃発は国家指導者たちやかつての自由民権運動の闘士たちにはどう映っていたのか。
日露戦争前の1900年、元勲伊藤博文と自由民権運動の流れを汲む自由党が手を結び立憲政友会を結成したことを幸徳秋水は「自由党への弔文」を掲げて皮肉ったのが正に答えではないか。
追記.田中正造の提唱する足尾銅山問題について、晩年の勝海舟が極めて的確に(そして勝風に)理解していたのには驚く。流石である。
追追記.著者は「万世一系」を押し通すためには生物学的に側室の存在は不可欠、と述べる。おそらくは昨今の出産騒動に対する嫌味だろうが。
| 2007年04月07日(土) |
藤村道生『日清戦争』読了 |
一言でいうなれば名著。内容もさることながら前書きとまとめにて著者の主張は簡潔にまとめられている。概説書はかくあるべし。
本書では日清戦争を1945年の日本の敗戦ととらえる50年にわたる「日中戦争」の「第一次戦争」である、ととらえる。 そして日清戦争の問題点を特に侵略の危機にさらされているわけでもない日本を何の大義名分もない無名の帥にひきこみ、「圧迫された国」から「圧迫する国」に駆り立ててった当時の首脳部とほとんど無批判に盲随していった国民・議会に位置づける。 さらに自由民権運動の中途半端な終焉により、「国民」ななることに失敗した日本の細民にとって、戦争による愛国心の激昂は格好の憂さ晴らし・国民結集の核となり、条約改正以上の目的を国民に与えることとなる。
著者は日清戦争を3点から論ずる。 1.帝国主義列強によるアジア分割以前に「生命線」(もっと露骨に取り分といってもいいが)朝鮮を確保するための戦争 2.「三国干渉」に代表される中国・韓国をめぐる日本と列強間の間の「戦争に至らない戦争」 3.特に台湾で顕著に見られた占領地帯の民衆抑圧の戦争
1.2.は誰もが知るところであるが3.を強調しているところが著者の面目躍如であろう。一般的に台湾支配は成功面のみ語られるのだが、第一の支配段階には大陸戦以上の抵抗を生んでいることを見落としてはならない。 そして台湾支配の意義をa「南進」の拠点確保 b列強の侵略からの「防衛」c台湾自体の市場・生産地としての価値 に見る。
本書に描かれる戦争の経緯は、なんの目的も伴わない機会主義的な開戦・軍主導のまま引きずられる政財界・と日中戦争の写し絵のようである。唯一つ、軍の手綱を持っていたのが機会主義を絵にかいたような無能の宰相・近衛文麿でなく、軍を(より個人的には山県有朋を)抑える力を持っていた伊藤博文が指導者の中にいたことくらいか。ここが引き際を決める大きな分かれ目になるのだが。正に戦争ははじめることよりも終わらせることの方が難しい。
結論をまとめると日清戦争はこの後50年にわたる日本のアジア政策の短所であり雛形であったということである。戦前日本の問題点はここに凝縮しているともいえる。 本年ついにNHKで『坂之上の雲』がドラマ化され、日露戦争後にほんはおかしくなったとする司馬史観が日本を席巻するだろうこの年、この古典的名著が再販されたアンチテーゼとしての意義は大きいのではないか。
| 2007年04月06日(金) |
『ARIA』10巻購読 |
あいかわらずまーたり。この巻は冬の話。 スール(ていうな)というか師弟コンビの中ではアテナ&アリスが一番好き。大ボケのアテナ先輩の面倒見てあげているつもりの「でっかいお子様」アリスがなんやかんやでアテナに見守られているのな.今回のアテナが窓の外から「私は魔女っ子べフィーナ」と覗いているのをいやそーに見ているアリスの表情が最高におかしかった。「相変わらずなに考えているんだこの人は」て感じがにじみ出ていて。そうそうイタリアでは1月までクリスマスを祝うんだよな。玩具市にはあちこちに魔女のぬいぐるみがぶら下がっているんだよな。イタリア旅行も懐かしい。 春夏秋冬も枕草子の序段をネオベネツィアでやってみました、てのがよくわかって気持ちいい。 最後にますますわけのわからんものに進化していくアリア社長のコスチューム。ぬいぐるみ欲しいなあ。
| 2007年04月05日(木) |
岩波新書『日清・日露戦争』読了 |
さて、本書。全体としては特に目新しいところは無い、と多寡をくくっていたのだが一箇所引っかかったのは清仏戦争において清はフランスに負けていない、という一文。 ??清仏戦争において清はベトナムの宗主権を放棄しベトナムはフランスの植民地になったのではなかったのか? 総務線の中で考えること15分。思わず「あっ!」と声をあげ、家に帰るのももどかしく近くの本屋で『世界史辞典』を紐解く。 そこには「1885年の清仏間で結ばれた天津条約において清はベトナムに対する宗主権を放棄、フランスの保護権・中国南部における通商、鉄道建設をみとめた」とある。 案の定だ。つまり清はこのとき賠償金を支払っていない。つまり、国際的に敗北を認めていないのだ。 嗚呼、日露戦争のポーツマス条約で賠償金の重みを知っておきながらこのときまでこのことについて考えもしなかったとは?? 一般に「日清戦争の敗北により清は列強に分割支配された」とある。なぜ、清仏戦争のときではないのか。つまり清は日清戦争の下関条約において賠償金支払いを約束したことにより始めて国際的に敗北を認めたのだ。 ほんの一行が己の蒙を啓いてくれることもあるという一冊。
| 2007年04月04日(水) |
岩波新書『幕末・維新』読了 |
今日は首都圏は雪。うちのあたりには降らなかったが関東圏で4月に之なんて19年ぶりとか……俺の千葉大の入学式のときやんけ!あまりの寒さに窓開ければ一面の雪景色。夏用スーツしかもってなかったわしはがたがた震えつつ入学式にいったもんです「とんだところに来てもうた」と思いつつ。 で、本書。取り立てて注目すべき点はなし。ただ200pそこそこ・登場人名60人程度の本にちゃんと中島三郎助が出ているのには感心。時代がようやく俺に追いついたか。 追記.今「そのとき歴史が動いた」見てたら上杉謙信のはなしだったわけだが、織田勢を破った後の謙信の動員の目的は上洛じゃなくって関東制圧・関東管領上杉家の復活にあった、てのが最近の定説じゃなかったっけ?NHKも話を盛り上げようとしていい加減なことするよなあ。
| 2007年04月03日(火) |
新潮新書『幕末バトルロワイヤル』読了 |
やや軽薄なタイトルながらも新潮のブランドに惹かれて購入。 幕末の発端を天保の改革に位置し、ペリー来航に至るまでの、幕閣たちの裏工作などを赤裸々に描いた一種のゴシップ史。水野忠邦・阿部正弘・水戸斉昭・遠山景元・鳥居陽蔵等教科書でおなじみの面々の人間味がにじみ出ていてなかなかに楽しめた一冊。
ヤマパン君の全面協力を仰いで何とか更新しました。 しかし、彼終電に間に合うのかなあ。
とかいってると特高課氏から電話。共通の友人の訃報。享年45.今は何も言いたくない。
| 2007年04月01日(日) |
4月1日ですが本当です |
とにかくPC二台をつなぎ、HPの更新をしようと思ったんですが……画像の編集方法がわからない・サブマシンからどうやってホームページビルダーをつかっていいのかわからない。 解らんわカランおいちゃんはさっぱりわからんよおお、誰か教えて〜!!
べっきぃ
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