おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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2007年03月31日(土) 脅威の小宇宙・人体

………四日ぶりに飯を食った。
いや金が無いからとかダイエットのため、というわけでもなく(結果的にはそうなったが)、土日のドンちゃん騒ぎが答えたのか火曜日の夕方に昼晩兼用に駅のスタンドでカレーライス(これが意外と馬鹿に出来ない。材料費をケチるため筋肉をしっかり煮込んでいるのでいいだしがでている)を食い、眼精疲労を癒すためフレッシュのブルーベリージュースを最後に4日間全く腹が減らなかったのだ。
 便利は便利だったが不気味は不気味だった。この大ぐらいのワシが全く腹が減らないなんてどうにかしている。何か体に故障でもあるのかひょっとして胃病なのか神経がおかしくなったのか。
 ようやく今日の昼になって猛烈な空腹を覚え、(鍋の残り)の餃子を水餃子にして食いました。
 なんだったんだろうあれは。この反動でかえって大食いするようになったらどうしよう。うーむ。

久々の一行知識
○ギリシアの哲学者ディオゲネスは自慰をみつかったおり「こんなに楽に満足できるものは無い。できれば食欲もこするだけで収まらないものか」と開き直った。


2007年03月30日(金) べっきぃマジ切れる

 ふじーさんに聞いたんですけど世の中こういう馬鹿がいるらしい。

>選挙公報といえば、外山恒一の広報のはじっこにちっちゃく「そりゃまあ万が一当選しちゃったらそれはそれでマジメにやりますよ」とか書いてありました

 氏ねお前。立候補するだけで東京都は無償で選挙活動費くれてるんだよ??(憲法における「政治参加の平等」つまり貧乏人の被選挙権を保証するため)遊び半分で都民(俺はちがうけど)の血税を無駄使いしてんじゃねえ!

 都民の皆様方、お近くをこやつの街宣車が通ったら腐った生卵でも収束手榴弾でも何でもぶつけてやってください。


2007年03月29日(木) スーダラ伝説

さっきTVつけたら植木等追悼記念に「日本一のほら吹き男」をやってたんで観てた。
 なつかしいなあ。これ、大学時代の深夜放送で見たんだよなあ。あ、星百合子の登場だよ。このころの女優さんは本当、凛としたはりがあってきれいだよなあ。そうそう谷啓発明のクーラー電球で最後の大ジャンプ決めるんだよなあ。これ、次の日のゼミで酒飲んでたら(ゼミの後のみにいったのではない。わたしの大学の指導教官は議論が煮詰まると「頭を柔軟にしよう」といって飲みながら話を続けるのである。そー言う人が恩師なんだから私が呑兵衛なのもしかたがない)教官の間と話題になったんだよなあ。趙先生しばらく会ってないけどお元気かなあ。と感慨にふける。

 さて、よく植木=スーダラといわれるが、このスーダラというヤツ。朝から晩まで怠けっぱなしという意味ではない。当時、趙先生とも合意に達したのだが、あくまでも植木等がおちょくっているのは朝から晩まで無駄にエンジンぶん回し、どれだけ仕事に無駄があろうがなんだろうが押し付けがましく「僕はこんなに仕事してますよ〜」と四六時中わめき続けている「モーレツ社員」のかっこ悪さなのだ。
 この劇中の植木はリタイアした三段跳びの選手という設定で、ご先祖の「三段跳びの出世理論」を応用してみごと「モーレツ社員」どもを尻目に出世と恋に成功する。
「三段跳びの出世理論」とはつまり、普段はどれだけ怠けていてもいいが人生要点となるべきところがあるからその時にだけ全力を発揮せよ、ということなのだ。
 たとえば劇中、植木は大企業に入社されたはいいが社史編纂室配属の危機に陥る。ここが正に全力を発揮すべき人生の要点で、植木は一日24時間、会社に寝泊りして社史編纂に没頭して、組合社員の顰蹙を買い、組合員ではない係長へ昇進させることに成功する。
 つまり植木はライオンのオスの様に日頃は居眠りしててもかまわないからやるときにはしっかりやれ、といっているのである
(趙先生も一見(悪い意味での)スーダラ教授に見えるが、日本で最初に35歳の若さで国立大学の助教授になった在日韓国人というすごい人であり、友人との飲みに議論するためレジュメをきっていった伝説の持ち主、という植木のいうスーダラ理論を実践しているような人だった)

 ところが世の中、そういうことを理解できないお利巧さんもいる。
 トラベラーコーナーのリヴァイアサンリプレイをどれだけの人が読んでいるのか解らんが(てか、読め)あれは二回目のキャンペーンなのである。
 一回目のキャンペーンは船長=ボスをプレイした人(奇しくも植木といった)が「俺スーダラ艦長やるから」と高らかに宣言し、はまる氏他の幹部たちの忠告も無視してほんとーに何か問題が起こっていても何もせず、口を開けば部下の神経を逆なでにすることばかり。ついには反乱が起こってしまってキャンペーンそのものが崩壊したのだ。
 組織のボスが全く仕事しなけりゃ部下に怠け意識が伝染するに決まっているだろ?なに勉強して生きてたんだ(先輩のほうの)植木さん?(どうしてそんなプレイを許したかって?指揮官の無能のせいで反乱が起こった例はブライ艦長のバウンティ号の例など枚挙に暇が無いから)
 おかげで二回のプレイでは船長役の後輩もしっかりとプレイして無事キャンペーンは終了した。
 (先輩の)植木さん?あんた当時社会人になって1.2年のときだったけどさ、今もまだ(間違った意味での)スーダラ社員やってんの!?


2007年03月28日(水) 昨日得た情報ですが

クレイジー・キャッツの植木等さん死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=182398&media_id=8


……呆然。ついさっき「これで日本も安心だ」を鼻歌に夕食を作ってたのに……。
彼があの歌を歌ったのは80年代の半ば。「いーまにお前らも親爺になるだろ、そん時泣いてもおらしらね」といわれた「お前ら」とは当時の流行語で言う「新人類」です。
 そして現在、彼らは正に今の子供の親世代。「お前ら」が「親爺にな」ったのです。現在の教育の崩壊を語るとき、その背景には正に給食費一つ払わず、子供が猫を殺して遊んでいるのを叱っても「たかが猫くらいで……」と逆切れし、保護者懇談会の席でメールにいそしむ無責任そのものの親どもがその背景にいるのはご承知の通り。「そのとき泣いてもおらしらね」というしか他に無い時代ではありませんか!。ますます涙なしではあの歌を語れません

今後、私にはあの曲は植木さんを送るレクイエムにしか聞こえないでしょう


2007年03月27日(火) 地震列島日本

 まずは能登沖の被災者の皆様にはお気の毒と申し上げる。もっとも人間の誠意の単位は「円」ですので今の苦しい経済状態の許す中、些少也とも寄付させていただきます。
 実は阪神大震災からこっち主な地震が起こったときにはいくばくなりとも義捐金を送っている。何も偽善とかそういうわけではない。自分でも「いいことしている」というつもりも無い(おそらく。多分)。
 その理由はただひとつ。私が怖がりだから、である。
阪神大震災の折には旧友のおかねやんをはじめとしてすくなからずの知人が被災した。(幸いながら死傷者はいなかったのだが)京都の実家もかなり揺れたらしくいまだに壁に罅が残っている(直せよ親父)。
 そして現在は関東住まい。この土地を終の棲家にするなるならば残りの一生は千葉住まいになるわけである。すると余生が40年あるとして、その間に関東大震災が起こらない、と考えるほうにむしろ無理がある。
 はっきしいって怖いのである。あの阪神大震災の地獄絵図はまず確実にわが身に降りかかってくるのだ。肉体的ピークは過ぎた我が身に。
 この恐怖を逃れるためには「自分が地獄に投げ込まれたときに誰かが助けてくれる」と信じることしかない。そのためには各地の被災者たちに少しでも恩を売っておき、自分が困ったときに救援物資が届く可能性を少しでも高める努力をしておくことしかないのである。つまり私の義捐金は一種掛け捨ての地震保険であり、「お願いだから僕の番にも見捨てないでね〜」との魂の叫びでなのだ。だからこれをごらんの皆様。房総大震災なんてのが起こったら真っ先に私の安否を気遣って生きてたら救援物資を送ってくださいね(土下座)


2007年03月26日(月) 夏草や。つわものどもの夢の後始末(高橋留美子作)

 昨夜は22時には消灯したのだが前々夜以来の興奮状態が続いて今夜も寝られぬままに朝を迎える。今日は新職場のガイダンスがあるのだ。駅前(喫煙禁止区画)でタバコ吸ってた親爺を罵倒しつつ初出勤。ただやっぱり頭はふらふらで降車駅を間違えて10分前集合どころか出勤初日に危うく遅刻しかける。その後もナチュラルハイの状態は続き、矢鱈テンション高い質問したり悪目立ちの限りを繰り返してしまうorz。(上司の方々ー!あれはやる気あまっての上滑りなんですよー!) 
 さらに事務処理で事務員さんと単に機械的に用事を処理してればいいのに、ついテンション高いまま雑談しかけたら、なまりが気になったんでしょう
「あなた、出身どちらですか?」
「京都です」
 すると彼の顔がさあっと朝日が差し込んだように輝いて
「いいなあああああ〜!!」とのお言葉。
 何でも彼は京都は大好きらしく、毎年旅行に行っているとか。(地域振興のためにお礼申し上げます)
 京都談義は延々続き「じゃあ、今度帰省した折には事務の方々にも八橋お土産に買って帰りますよ」
 と、約束する羽目に。
ハイ状態は帰宅まで続き、結局その勢いは深夜まで。大丈夫なのか俺。


2007年03月25日(日) de,

 正午に一同に強制起床を命じ、(これ以上寝てますと今夜練られなくなっていわゆるブルーマンデーになるから)芸も無く二日連続でサイゼリヤで昼食。さすがに夕べの深酒で食欲も無いのでミネストローネだけ啜る。
 二時間ばかりまったりと去年なくなられた声優談義やトランスフォーまービーストウォーズなどの話を語り合い、末代氏は2時過ぎに帰宅。
 本来の予定では午後ははまる氏とシミュレーションゲーム「壬申の乱」をやる予定のはずだったのだが、さすがにゲームに必要な冷徹な判断力なぞのぞむべくもない状態なので夕方まで莫迦話に興じる。最後の最後、はまる氏が2ちゃんねるではやっているという言葉遊び「性的な意味で」(つまり「それにつけても金のほしさよ」をつけるとどんな格調高い俳句も狂歌にはや変わりするように、どんな真面目な話でも語尾に「性的な意味で。」をつけると一気に三流エロギャグになってしまうという話)を紹介すると爆発的ブレイク。いやこんな面白い言葉遊び、大学時代に「獅子は我が子を千尋の谷に落とすのにも全力を尽くす」とか「頭かくして尻拡散波動砲」とかの合成ことわざ(これは若き日の故星新一・小松左京・筒井康隆らが嗜んだSF界の古典的言葉遊び)以来だ。
 はまる氏・ヤマパン君帰宅後は「ダーウィンが来た!」(最近のお気に入り番組)とフィギュアスケートのエキシビジョンを見てから就寝。


2007年03月24日(土) トラベラーの日

 てなわけでいつものセッション。前半9割は予想通り進んだが最後で間違えたかなあ。まあいいややり直しも効くし。
 その後はいつものごとく鍋。今シーズン最後の鍋にふさわしく今日の食材は鮟鱇!フォアグラより旨い鮟肝が美味なのは言うまでも無いが、スーパーで半額に値落ちしていた鱈の白子が実は大当たり。いつもいうたはる「まったり」というのはつまりこういうことやったんかいな山岡はん!これより旨いという河豚の白子ってどれほど旨いんだ??Y田氏の帰宅後、なんかの勢いで男同士の涙あふれて鉄拳制裁飛び交う(いや殴ってたのは俺だけだが)熱き座談会に発展。俺人を殴ったのって小学生以来だよ。
 ほぼ半徹状態で(少なくとも「プリキュア5」のOPは全員見てた)正午まで仮眠。


2007年03月21日(水) あの惨劇から正に10周年……

トリビアブームが過ぎ去った間もない昨今、シュールシュトレミングをご存知の人は多いでしょう。そう、スウェーデン特産の世界一臭い発酵食品です。

 じつはアイルランドに行く寸前までわたしんちには今にも爆発せんばかりに膨張したシュールシュトレミングの缶がありました。
 なんでそんなもんがあったかというと、まいどおなじみの道晴が当時はスウェーデンに本社がある外資企業に働いとって、本社への出張土産にくれたわけです。「これの臭いは半端や無い。キャンプとか屋外で飲むチャンスがあるときに空けろ」といって (あれは本場でもガーデンパーティーとかオープンスペースで食うもんらしい)

 そして今を去ること正に10年前の春分の日。大学院で花見をするというので我々OBも呼ばれたわけです。
 うちの院の教授は包丁自慢の方でして、このときも土筆の卵とじ・たらの芽のてんぷらなどなど春の山菜の料理を山ほど作っていただいて、一同舌鼓を打っていたわけです。一通り満喫したところで「チャンス到来」と思ってしまったんですなそのときは。おもむろにかばんからその缶を取り出してしまったわけです。

 当時はまだそれほど有名じゃなかったんですが、ひとりだけ、海外旅行マニアで、当時JTBに就職していたヤツが缶を見るなりぎゃっとわめいて逃げ出しました。「まさか日本にまでこいつに追ってこられるとは……」とおびえる彼を尻目に興味津々の院生仲間に取り囲まれたわしが缶切りを突き刺したわけです。
 
 ぶしゅー!!

 スチール缶の圧力限界までに高められた発酵ガスが中の汁とともに一気に飛び散る!
 すさまじい臭気!臭いの臭くないのってもうみんな俺を取り残して半径5m以上に蜘蛛の子をちらすように逃げた!!なんちゅうか運子の臭さにくさやの臭気を掛け合わせてそれを100万倍に圧縮して固形化したもので鼻をぶん殴られたようなにおいの暴力。
 しゃがんでいたワシは逃げようも無く涙ぼろぼろこぼしながら何とかふたを開けたわけです。
 結局食したのは3.4人ほど。
 はっきりいって味自体は決して悪くない。サーディーンを濃厚にした味。ただし舌の粘膜が毒ガスにコーティングされていて味蕾が正常に機能しない。結局二匹以上食す勇気のあるものは俺含めて一人もおらず、残った魚は公害となることを防ぐため、あたかもモンティパイソンのギャグ兵器のごとく地中深くうめて処分されたのでありました。

 私は一生忘れないでしょう。春分の日、桜の木の下で日本の最高学府を極めた若者たちが立った一個のスチール缶に恐れて右往左往と逃げ惑ったあの日のことを。


2007年03月17日(土) ♪今日は楽しい同窓会♪

どーもお久しぶり
ついに前のぱそこがぶ壊れまして中古を買ってきました。前のに比べるとどーも重いです。これからしつけなきゃならんこと多いし。
んで本日。美女4人(本当は5人だった)に囲まれて楽しい昼食会。こういうシチュエーションならばサイザリヤの安ワインもロマネ・コンティ以上の甘露です楽しかったよ。また会おうね。


2007年03月14日(水) 復活の日

 事後報告最後の日。
 最重要部品・ヤマパン君が佐倉から到着。申し訳ないので食事と交通費はこっち持ちにさせてもらう。いわゆる「あごあし持ち」である。
 しかし金銭だけでは誠意が無い。そこで先日の「いかチョコ」のもう一箱を取り出して
「ヤマパン君、今年のバレンタイン一個ももらえなかったんだって?惨めね。かわいそうね。あんまりかわいそうだからこれ、あげる!(いかチョコを取り出す)」
「(そっぽむいて)か、勘違いしないでよね!これは、いい、あくまで同情チョコなんだからね!本気になんてしないでよ!それよりも今日はホワイトデーなんだから、三倍返しのつもりでしっかり働きなさいよ!」
と、今流行のツンデレを演じてやったのに頭を抱えるだけでちっとも喜んでくれない。失礼なヤツだ。 
 で、メンテにかかるヤマパン君。さすがに任せっぱなしも失礼だから後ろから覗き込んでは見るものの正に唐人の寝言も同然。結構待ち時間もあるらしくて二人して手近な漫画を読んだりしてたのだが
「べっきぃさん。せっかくだから覚えようという気はありませんか?」
「うん(きっぱり)。あのな、こういうことを誰でも覚えられたら君たちまち失業よ。誰もできないからこそ君らの知識技能に商品価値が発生してるのよ」と常々道晴(ヤツは「何で俺に覚えられたことをお前は覚えへん!」とたまに怒る)にもいっている正論を展開。
 いや実際問題これを仕事にしていない我々が、こういうことをする必要に迫られるのはせいぜい3.4年に1回の事件であり、仮にここで覚えたとしても復習をしないかぎり「次の時」にはきれいさっぱり忘れているのだ。
 で、とにもかくにも作業終了。ようやくこれでネカフェに通う必要もなくなりますばんざーい!



2007年03月12日(月) プロジェクトX〜

 事後報告はまだ続く。
 結局先代プリウスの死により彼を職場用にする計画は頓挫。だが職場用サブマシンは絶対必要である。さらにHDDを回収したはいいがこいつの移植なんて気の聞いた真似ワシにできるはずが無い。そこで素人のPC管理のための最重要部品・友人の出番になるわけだが早々道晴にばかり頼るのもなんである。そこで後輩のヤマパンスキー君(職業SE)に相談したところ、明日なら休めるので来てくれるとの話。さらにサブマシンについても相談すると、彼がはまる氏に数年前に譲った旧世代のシンクパットがはまる家で余剰品になっているはずなのでそれを買えばどうか、との意見。
 さっそくはまる氏に電話して商談を進めたところ快諾を得る。
 「あたしが愛娘の様に可愛がってきた98たんだから大事に使ってね(はあと)」
 いや、そんな電気仕掛けの文房具を女の子のように感じるような病的フェチズムは私には毛頭ないのだが。
 しかし、ビスタが世間を席巻しつつある2007年現在、ほぼ10年前の機種であるWindow98対応機の売買をしているわしらって、昭和19年。最新鋭重爆「飛竜」が配備されつつある当時二世代前の97式重爆の取引をしているようなもんだよなあ。
 もっともワシの職場での仕事内容ではワードとエクセルさえ動けば全部事足りるんだけどな。実際終戦のその日まで97式重爆も現役だったし。


2007年03月03日(土) 訃報

 事後報告ですが悲しいニュースを申し上げます。べっきぃさんご愛用のプリウスさんが入院先の日立サービスセンターでお亡くなりになられました。享年9。4歳までは道晴産の奥様の手元で育ち、後べっきぃさんの家庭で企業戦士として鍛えられ、仕事にネットにHP更新さらにはDVD上映と激務に従事しました。死因は2年前に発症したキーボードの腐食。この腐食がマザーボードおよびメモリに転移して充電機能まで破壊。さらには怪電波を発信することによりアダプタ内のコンデンサーまでを破壊する(この点アダプタが壊れている、という最初の道晴の診立ては正しかった)という正に戦士の最後と呼ぶにふさわしい壮絶な討ち死にでした。
 葬儀は来週の家電ゴミ回収の日の予定。なお故人の意思はHDD移植という形で後継者に引き継がれる予定です。
 謹んで哀悼の念を示します。


べっきぃ