委員長の日記
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| 2003年05月18日(日) |
素敵な出会いをありがとう!!なんじゃもんじゃの日 |
今日はいよいよ『なんじゃもんじゃの日』 岐阜県から西尾さんご夫妻を迎えて、1日2ステージ、それも全く違う内容の演目での公演・・という、劇団にとっては地獄のような1日が始まった。
“さよなら△またきて□まる” 可部児童館 まず午前中は、すったもんだの末に、『今回限り・・』という条件つきで使用を許可してもらった児童館での『さよなら△またきて□まる』の公演。 事前の取り組みで、会員のみんなもがんばってくれたのだが、なかなかチケットの売れ行きは伸びなかった。 しかし、そんな中でも、地域の子ども会が、昨年の『ベッカンコ鬼おに』に引き続いてレクリェーションで取り組んでくれ、約40人の子どもたちが参加してくれたのはとてもありがたかった。
朝早くから会場に入り、お手伝いの中学生や小学生に助けてもらいながら、舞台の設営、受付の準備。 今日がお披露目の、真新しいのぼりを取り付けて・・ いよいよ、怒涛の一日の始まり始まり・・・
第1部『さよなら△またきて□まる』
△や□、○の形をしたさまざまな大きさの紙を使って、動物や魚などいろいろなものを表現してくれる、とても単純な舞台なのだが、ついたてをはさんだ二人の息がぴったり合っていて、そのタイミングの素晴らしさに、子どもたちも後ろに人がいる・・って分かっていても、思わず歓声が上がる。 随所に子どもたちとのやり取りを挟みながら、盛り上がったところで、次の演目の準備に入る。 でもその間も休憩ではなくて、奥さんの“なんじゃさん”が舞台前に出て、子どもたちを数人呼び出し、簡単な手品のワークショップ。 その人柄と話術で、待っている間も飽きさせない。さすがプロ!!
第2部『青虫くんとなんじゃもんじゃの木』
この作品は、梅田瞬作さんの「ゆきみち」という絵本を原作にしていて、私自身、作者の梅田さんには10年近く前に、講演会でお会いしたことがあり、その人柄も作品も大好きだったので、とても楽しみにしていた。
そして、期待通り、雪の中をお父さんの足跡を追いかけながら、おばあちゃんのところへ向かう少年を熱演する“なんじゃさん”の演技に、子どもたちは釘付けになり・・ラストのシーンでは、何人もが涙をぬぐっていた。
そしてなによりも驚いたのは、最前列で見ていた二人2歳児が、公演の間中全く愚図らずに、お母さんから離れて、食い入るように集中してみていたのだが、ラストのシーンが終わったとたんに、堰を切ったように大きな声で泣き始めたことだった。
決して怖かったからではなく、それまでのストーリーをちゃんと理解していて、はらはらしながら見ていたのだが、ラストで、少年が家の中に入って行くところで本当は、お母さんに会えたという説明があったのだが、その言葉が聞き取れずに、とても不安になって泣き出したのだ。
偶然かもしれないが、この二人はどちらも会員で、お姉ちゃんと一緒に鑑賞にも参加し、童謡コンサートやパントマイムなどの幼児向けの企画の常連さんでもある。 だからこそ、1時間のあいだ、お母さんから離れて最前列で集中していることもできるし、内容も理解できたのではないかと思った。 その様子を見ていた二人のお母さんも、幼いわが子の反応に改めて感動していた。
いつもなら、ここで公演の感動の余韻に浸りながら片づけを始めるところだが…
お昼休み 今日は、まだ夜の公演が控えている、とにかく急いで撤収して、次の会場の可部学区集会所へ荷物を運び込まなくちゃ!
ここで活躍してくれたのが、中高生グループ“空”のメンバーたち。 午前中の公演終了直前に会場に来てくれて、撤収を手伝い、次の会場での搬入や会場設営を手伝ってくれた。 とにかく次の会場へ移動して、荷物を下ろしてから昼食タイム。 今回は時間がないということで、メニューはカレー。 「いつもなら“食”にこだわる可部なので、もっと豪華なメニューが並ぶんですよ…」と言い訳しながらも、なんじゃもんじゃさんと、スタッフや中高生とが机を囲んで午前中の感想やお土産にいただいた“なんじゃもんじゃの木”の苗の話で盛り上がりながら、わきあいあいの昼食。
昼食後、西尾さんたちは、夜の公演の仕込み二時間がかかるということなので、留守番のスタッフと数人の高校生を残して、ほとんどの大人のスタッフは、いったん自宅に夕食の準備をしたり、家族を迎えに帰って行った。
やっぱり可部だね!“小夜食パーティ” 私も、いったん自宅に戻り、夕方会場へとんぼ返り。 事前の打ち合わせで『夜の開演前には、簡単な小夜食を用意してください。』ということだったので、サンドイッチなどの小夜食を手配し、スタッフにはいつものように持ち寄りで何か1品を…とお願いしてあった。
夜の公演は、内容も重いものだし、1日2ステージという過酷なスケジュールでもあるので、西尾さんたちには、別の部屋でゆっくり休んでもらいながら食べてもらおうということになっていたのだが… 会場に着いて、2階の控え室に上がると…昼食のままのセッティングの机の上には、山のような(?)ご馳走の数々!!簡単なものを持ち寄ろう…というはずだったのだが、山菜ありサラダあり、お肉料理にお魚料理・・炊き込みご飯に、おにぎり・・・デザートにはプロ顔負けのケーキとゼリーまで用意してある。
やっぱり可部は“食”にこだわるねぇ!!
『せっかくだから、一緒に食べようよ!!』という西尾さんたちのお言葉に甘えて、お昼に続いて、夜の公演のスタッフで小夜食を囲んで開演までのミニパーティ。
“悔悟の記録”可部学区集会所 あっという間に時間は過ぎ、会場時間が迫ってくる。 スタッフミーティングを終え、それぞれの持ち場にスタンバイ。
今だからこそ取り組まなければいけない作品がある 今回の公演は、1日に対象年齢も内容も全く違う2つの作品を実施するということで、取り組みがとても難しかった。 本来なら、低学年対象と高学年対象ということで、それぞれを本会計の事業としてチケット売りに取り組むところなのだが、それではスタッフの力の配分が難しく、どっちも赤字ということになりかねない・・・ でも、2001年9月の同時多発テロ依頼その後のアフガニスタンへの侵攻や、対イラク戦争・・・それに伴い、成立されようとしている有事法案・・ 今、私たちが子どもたちを育てていく上で、本当に伝えていかなければならないことは何なのか? 世界で始めての被爆地であるヒロシマに住んでいる私たちが、発信しなければならないことは何なのか? 自分自身に問い続け、どうしても、この作品に取り組みたいという気持ちが強く、委員会のメンバーにも問いかけたところ、みんなが賛同してくれた。 けれども、赤字は出せない。 そこで、“悔悟の記録”については、実行委員会を立ち上げ、最終的には赤字になったら実行委員が責任を持とう!という覚悟で取り組むことになった。 言い換えれば、それだけの強い思い入れがこの作品にはあったということになるだろう。
そのことは、西尾さんにとっても、いろいろな意味でプレッシャーになったということだった。 『最初は1日2ステージなんて、絶対無理だと思ったんだけど、ヒロシマの劇場が始めて呼んでくれるんだから、頑張るしかないよな!』って奥さんに話していたそうだ。
そんな演じる側と、企画する側双方の強い思いが形になった“悔悟の記録”は、西尾さんの淡々とした語りと、瞬間的に土屋(元憲兵)と入れ替わり、遠くを見つめうつろなまなざしで過去の罪業を語る様子に、見ていた私たちは、今、あたかも目の前に土屋さんが現れて、私たちに語っているかのような錯覚に陥るほどの鬼気迫る演技だった。
夜の公演は、参加人数は約60人だったが、とても充実した空間を共有できた1時間だったと思う。
終演後も、皆なかなか帰ろうとせず、背景に使われている、実際に土屋さん本人が実家に送ったという虐殺の写真や、捕まえた中国人の写真などを、食い入るように見つめていた。
とはいえ・・・会場の使用時間は決まっている、さっさと片付けて、いざ事後交流会の会場へ!
これがあるからやめられない!?“事後交流会” 前回の“北京一さん”の公演終了後も、事後交流会に参加した青年の反応がとても良かったので、今回も中高生や青年にも参加してもらいたかったのだが、疲れ果てていらっしゃるであろう、西尾さんの意向も伺わなくては・・と思ったら。 『僕は、ぜひ中高生の感想が聞きたいんですよ!』と言われたので、参加できる人は残っても良いよ!と、中高生に声をかけてみた。 参加したら、もちろん乾燥などの発言を求まられるし、作品の内容も強烈だったので、しり込みするかな・・と内心不安だったのだが、なんと7人の中高生&青年が参加してくれた。
乾杯の前に子どもたちの感想が聞きたい…と西尾さんが言われたので、一人一人に水を向ける。 普段の中高生の集まりではなかなか意見が出ない子どもたちが、それぞれに自分の思ったことや感想をきちんと言葉にしてくれた。 中でも、しょっちゅう顔を合わせているおばさんたちでも『彼の声を聞いたことがない』と言われるほど寡黙なK君の発言の番になると、それまでおしゃべりをしていたおばさんたちも思わず口を閉じて聞き耳を立ててしまった。
すると、今年大学生になって、青年の仲間入りをした彼は、見違えるほど立派に自分の意見を述べてくれたのだ。 おまけに、乾杯の発声を西尾さんから指名されたK君が『みなさん!お疲れ様でした!!』と大きな声で乾杯の掛け声をかけると、彼を小学生の頃から知っている、私を含む何人かのおばさんたちは、その思わぬ成長振りに、なんだか目頭が熱くなってしまったのだ。
今回のように鑑賞事業を通じて出会うたくさんの劇団のみなさんとの楽しい交流はもちろんだが、こんな風に長い年月を通じて、わが子だけでなく他の子どもたちの成長を実感できるのも、この活動に携わってきたからこそのご褒美なんだな…とつくづく思った夜だった。
再会を願って 子どもたちがご主人の“もんじゃさん”と盛り上がるのを横目に見ながら、私たちおばさん組は、奥さんの“なんじゃさん”と負けずに盛り上がる。 同年代の子どもさんを育てながら、公演活動をしていらっしゃる奥さんの子育ての方法などを興味深く、また共感しながら、主催者と出演者という関係以上の親しい会話が飛び交う。 時間はあっという間に過ぎ、いよいよお別れの時間。
『ぜひ、またお会いしたいですね!』 『岐阜にいらっしゃい!なんじゃもんじゃの木が待ってますよ!』 そんな会話を交わしながら、お二人は夜の町を宿舎へと帰っていかれた。
怒涛のように過ぎた1日だったけれど、やはり、今回の取り組みを実行してよかった…心からそう思えた一日だった。
| 2003年05月06日(火) |
私たちにできる反戦の意思表示 |
イラク戦争が終結したと、アメリカの大統領が自慢げにテレビで演説をしていました。 しかし、いまだにフセイン大統領とその家族は行方がわからず、大量破壊兵器も見つかっていません。 空爆で傷ついた人たちは、湾岸戦争以降の経済封鎖で、薬が極端に不足しているため、麻酔薬の代わりに頭痛薬を投与されているそうです。 戦後処理のための暫定政権をめぐって、石油の利権を背景として、誰が主導権をとるかということで国と国との力の綱引きが始まっています。
しかし、メディアからは、一般の民衆の声は聞こえてきません。
何時の時代も、国と国との大きな力の影で、私たち一般市民はあまりにも力弱い存在なのでしょうか?
この5月18日(日)の夜19:00から上演する『悔悟の記録』は、 第2次世界大戦のときに、虫を殺しても罪になると信じていた青年が、憲兵として中国大陸に渡り、当時の軍隊の中で、人を殺したり、拷問したりすることがどんどん平気になっていく様子を、ひとり芝居で演じる作品です。 この作品の存在を知ったのは、3年前でした。 戦争を知らない世代がどんどん増えていく中で、このような作品に取り組むことが私たちの義務かもしれない…と考え、いつかは必ず取り組みたいと思っていました。 そして、2001年9月の同時多発テロ以降の世界の情勢を見るに付け、私たちが活動を通じてできる反戦の意思表示とは一体何なんだろう?と考え、今回の企画が実現しました。
しかし、昨年度交付されていた社会福祉医療事業団の助成事業がおわり、今年度からは、一つ一つの鑑賞事業で不足金を出すことは出来ません。 午前中に企画している、小学生以下対象の「さよなら△またきて□まる」は、鑑賞事業として例会企画していた作品ですが、「悔悟の記録」については、検討段階でした。 同じ日に二つの作品に取り組むということは、演じてくださる劇団の方はもちろん、スタッフには倍以上の負担がかかります、対象年齢が違うとはいえ、声賭けをする範囲は限られています、しかし不足金を出すことは出来ません。 それでも、委員会で話し合った結果、この作品を取り組むことは、親として大人として大切なことだということで意見が一致しました。 そこで、「悔悟の記録」については実行委員会形式で取り組み、不足金が出た場合は実行委員会で責任を持つという形で取り組むことになりました。
平和都市と呼ばれる広島では、連日のように様々な形での平和集会や、取り組みが行われています。 そのどれもが、取り組む人たちの心からの表現方法であることは確かです。 そして、私たちが私たちの活動を通してできる小さな平和へのアピールとして、今回の作品をより多くの人たちと一緒に鑑賞し、考え合っていきたいと思っています。
委員長

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