- 2009年06月17日(水) 「韓非」(貝塚茂樹著) 面白かった。 じつに面白かった。 何が面白いというと、ここで貝塚氏が紹介しているのは、 韓非の思想を、老子への理解を軸に、「変遷したもの」とする説だ。 そしてその「変遷」のうちに韓非の挫折と苦悩を描き出した。 なんともなんとも面白いことではないか。 かいつまんでいうと、 韓非は「無為の治」を提唱する老荘の学問を修めた。 しかしその後、韓非は自ら母国・韓の政治に関わるに至って、 老荘の理想が現実において無力であることを知り、あるいは絶望して、 法をもって国を律し人を治める法術の徒へと変遷する。 かれは理路整然として法を述べ、その言説は秦王・政に愛顧されるが、 その秦の現実の政治においても讒言渦巻く政争に破れ、 ならばと自家薬籠中のものとして讒言をしても及ぶものではなく、 ついに秦王から見放されて自殺に至る。 韓非は司馬遷が描いた悲劇の主人公として示されることが多い。 学問を修めながら、吃音のため報われず、同窓の小人に陥れられて死ぬ、 たしかにそれは屈原を彷彿とさせる悲劇中の人物像だが、 それよりも貝塚の示した韓非のほうが強かで、興味深い。 苦悩し、血を吐き、のたうち、しかもなお死なねばならぬ人間がある。 そこに、その思想の軌跡がある。生きた人間の軌跡が。 時代のうちに生き、自ら光を求め、ついに得ることなく死んだ、 その人間の軌跡としての思想が。 -
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