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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年06月29日(日)

肌の調子が悪いので

石鹸を変えてみた。
なに、泡を立てろとな。
泡くらいいくらでも立てているが。

(サイトを見に行く)

ごめん、私が悪かった。
こんなに熱心に泡たてたことないわ。
ていうか、これが泡たてるってことなら、泡たてたことないわ。
手のひらいっぱい泡ためろって…そうか…。


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- 2008年06月25日(水)

サナギの中で

あの乾いた、小さな角のような殻の中で、
モンシロチョウと青虫のどちらでもない生き物は、
いったいなにを夢に見るのだろう?

かれはもう青虫ではない。
そしてまた、チョウでもない。
記憶が夢を産むなら、かれは青虫であったころの夢を見るだろう。
ホルモンやそのほか、体と小さな脳の機構そのものが夢を産むなら、
多少なりチョウじみ、多少なり青虫じみた夢をみることになるだろう。

それともあの眠りは、あの死に近いような深い眠りは。
体の根本から作り変えられるあの変身の眠りは。
チョウでも青虫でもその中間段階などというものでもまったくなく、
むしろ一個の小さな生き物の夢というよりは、
生命のすべての根源に根差す、大きなものの夢なのだろうか。

ああした眠りを人間は知らない。
日ごと夜ごと育つ赤ん坊さえ、あのような死と再生の眠りを眠りはしない。
その眠りから目覚めたときにこれまでの人間でない何か、
たとえば惑星や夜明けや土星の淡い輪になっているような、
それとも一羽の烏か、目には見えないミジンコになっているような、
ああそんな眠りの中に私はいる。

目覚めはどこだろう。


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- 2008年06月24日(火)

いろいろあって

日記をまたつけてみることにした。
ひとつには、書かれなかったことは残らないということがある。
もちろん、日々刻々と変わる感情を書きとめることに意味があるか
それともないのかについてはまた話が別だが、それはともかくいい。
ここでの意味というのは私にとっての意味でしかないのだから。

わたしは少し、疲れている。
これはどういうことかというと別にどういうことでもないのだが
孤独であるということは、自分自身の手足を食べ続けることに等しい。
孤独でないということは、自分自身を失うことに等しい。
私はGG流の計算を必要とするものだからだ。

海へ行こう、山へ行こう。
永遠の時間がそこに横たわり、恐るべき問いがそこにあるから。


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- 2008年06月23日(月)

水の無限

これはいったいどういうことだろう?
と、私はしばしば問いかけるのだが、このときもそうだった。



真昼、海上を行くシーカヤックは観光船とは異なる視界をもたらす。
アイヌが見たままの知床、流氷と火山の作った崖。
ドン・エンガスよりも泥くさく、力強く、
凝った叫びか、振り上げたまま落とし所のなかった拳の流れ着いた先。
まあちょっとそんなふうに見える場所。

さてそっから知床五湖へ。
あっちこっちに「クマ注意」の札だらけ。
暗い湖水は眠りのようだ。悪夢にうなされた眠りのようだ。
これらの湖には注ぐ川も流れ出る川もない。




夕刻、知床峠を越えた。
山頂はまだ冬で、そして山裾は春だった。
初めて桜を見たような気がする。
確かに、初めて見た桜だったのだ。
日本人が山々に、初めて見た桜だったのだ。
このようにして新緑のうちに灯りのともったよう、ぼんやり咲くさまを。
そして女神を見たのだ。あるいは単に神性を。
色彩とは、そうだ、奇跡だ。奇跡だったのだ。そもそもの初めには。




さあ、これでおしまい。
ずいぶん長くかかったね。


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- 2008年06月22日(日)

ダケカンバと魔女の歌

早暁3時半、目が覚めるのが早いのは旅の空の常だ。
レンタカーの赤いフィットを駆って岩尾別温泉へ。



なんとも野趣に富む温泉ではないか。
脱衣所も囲いもなんもない。
それでも入りましたよ。いい湯でしたよ。それがなにか?
見上げれば知床連山。これぞいい湯じゃねェか、熊八ッつぁん。



さて、体温を上げて体を起こしたところで羅臼岳登山口へ。
山道を登る。照葉樹と針葉樹の混じった山道は思わぬほど静かだ。
なんという静けさだろう。風もない。鳥がときおり歌うばかり。
朝の光は斜めに射して木々の上にまだらの模様を作る。



途中、岩のでっぱりがあったので登る。
すると眺望は360度に開けてなんともはや無限。



向こうの青はオホーツク海。
手前は俺の足でござんす。踏ん張ってたのよ。
ちゃんとしたトレッキングシューズでなかったのは内緒です。

照葉樹林帯の上に広がるのはダケカンバの白い幹。
ダケカンバのねじれた樹形はさながら歌う魔女の群れ。
新緑を枝先に飾っていればこそ、どことなくユーモラスだ。

午前6時を過ぎると、風が吹き始めた。
それ以上先に行くと雪渓があるのは聞いていたので引き返すことにする。
わたしはそこで花一輪摘みはしなかったが、
この場所はじつに印象強く、満月の夜には夢に見る。
ああ今夜あたり月に照らされているだろうなと、
ふと思い出される場所があるのだ。そういう種類の場所なのだ。
一度おとなえば、永遠に魂の一部がそこに置かれてあるような。


あしたは知床の湖と海。
たぶんほんとにそれとももしかして?



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