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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年05月27日(火)

キラコタン岬への長い道

1:
釧路湿原は、ずっと昔は海だった。
どのくらい昔かというと、1万年くらい前までだ。
これは日本においては縄文時代にあたり、だからこの土地からは
雨でも降れば縄文式土器の破片や、黒曜石のかけらが見つかる。

さて、海であった時代、キラコタン岬はほんとうに岬だった。
ほかの岬と同じように、入り江に突き出た小高い丘陵だったのだ。
そののち、海が遠ざかり立ち去り、浅瀬は湿地になったが、
丘陵は丘陵のまま残り、今も岬と呼ばれている。

さて、この岬は、立ち入りがたい湿地に深く食い入っており、
簡単にいうと、湿地観察においては絶好の足場なのである。
わたしはここに、でかけることにした。




ヤチボウズの群れ。
ヤチというのは谷地、つまりは湿地のことだが、なにゆえ坊主か。
「いまは春ですから青草がありますが、冬には何もない。
 すると、坊主頭もかくやという様子になるのですよ」
とは案内人氏の言葉。

よく見ると、“坊主”の中には、どこかから種が飛んできたのか
花を咲かせているものもある。なかなかにひょうきんな坊主たちだ。



ゼンマイ。ほどけていく様が愛らしい。
とはいえもちろん、こうなっては食べられない。




ツルマルたちのダンス。
この形は、例のJALの旧マークに似ている。


さて、どれほど歩いただろうか。
寄り道をしてばかりだったから、たぶん二時間か、そこら。
ミズナラとハンノキとシイとカラマツの森を抜けると、そこは緑の草辺。
湿地はすぐ眼前にあり、チルワツナイ川が蛇行しつつ流れている。
案内人氏に呼ばれていくと、草地に大きなくぼみがある。
「縄文人の住居跡です。ほぼ円形で、柱のあとがあります」
そのときここは入り江に突き出したほんとうの岬であったのだ。

岬の突端に沿ってやや上ると、眺望が開けた。
チルワツナイ川は途上に釧路川に合流して満々と流れまた流れ。
ずっとむこうに、釧路市街がある。



さびしい、さびしい眺めだ。
水は暗く、キタヨシは枯れ色。
鉛色に濁った空のもと、ひとつの点のように白いタンチョウが行く。
この春うまれたばかりの雛のために、ウグイを漁っているのか。
このさびしい風景のもと、数限りなく愛し合い、子をうみ育てるものよ。

大正時代に一度は絶滅したと思われていたタンチョウが再び見出された、
キラコタン岬はまさにその場所でもある。

つづきはあした。
ようやく知床にたどりつく。


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- 2008年05月26日(月)

北海道はでっかいどう

1:
というわけで北海道へ行って来た。
なお今月は、キース・ジャレットのコンサートにも行ったし、
新橋演舞場で歌舞伎も見たし、出雲にも行った。我ながらスゲー。

それはさておき、北海道。
昼の飛行機で羽田から釧路空港に飛び、レンタカーで釧路湿原へ。
湿原そばの宿に到着すればすでに落日の時刻。
夕食まではまだ少しあるので、釧路川につきあたるという道を行く。



台風6号がほんの2日前に通過したばかりとあって、道には水たまり。
暮れゆく太陽にハンノキの影が映える。なんたる土の黒さ。




食用にもなるシダ植物、コゴミがあちこちで輪になってダンスをしている。
もっとも、こんなに大きくなっては食べられない。




これは何だろう? イネ科とみたが、イネ科は紛らわしくてわからない。




釧路川。水量の多く、濁っているのは、半分は台風の置き土産だが、
残り半分はいつもという。泥炭の土は細かな粒子で湖水を暗くさせるのだ。




さてそろそろ戻らなくては食いっぱぐれると、踵を返す。
おや、と立ち止まったのは行きに通った泥濘だ。
エゾジカが私の後に来たらしい。見かけはしなかったが。
ああそうか、あのざわめきは風ではなかったのか。それは失礼した。




戻ったら、あ、すっかり日が暮れてら。
おっちゃんに怒られてもうた。


続きはあした。
お題はキラコタン岬への長い散歩。


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- 2008年05月13日(火)

猫について

私はたくさんの猫を飼っているらしい。
このはなはだ曖昧な表現をどうか許していただきたい。
そもそも猫を飼うとはどういうことなのか、というと、
これは犬を飼うというのとはまるで違う。

犬を飼うとは、心を寄せあうことだ。
それは悦びに満ちた献身であり、義務を伴う約束であり、
相互に与え奪うという意味では愛でさえある。
社会生活の中に数えられるような関係といってもいい。
それはときには重く、しかもその重さを愛することを求める紐帯だ。

だが猫を飼うというのは、これとはまったく違うことだ。
もちろん、これもひとつの愛には違いない。
だが猫は缶詰や煮干し以外の物を求めはしないし、
その代わりに我々に献身や忠誠を捧げようともしない。
かれらはときどき、私たちの家にさえ住まなかったりもする。
さてそこで私は自問する。猫を飼うとはどういうことだろうと。
それは実際、とてつもなく複雑怪奇な営みではないのかと。
それとも極めて幻想に近いのではないかと。

犬を飼うような意味では私は猫を飼ってはいない。
そして犬を飼うように猫を飼っている人はいないだろう。
猫は猫を飼うように飼わねばならないのだ。
そして猫を飼うというのは、たぶん、猫を飼っていると信じることなのだ。
ではどうだろう、同じようにしてこんなことは信じられないだろうか。
百匹の猫を飼っているとか、千匹の猫を飼っているのだとか、
それどころかすべての猫は自分が飼っているとか。

もちろんそういうことを信じるには訓練が必要だ。
だが一匹の猫を飼うのと基本は同じことだから、
結局のところ、それは不可能ではないに違いない。
まだいまはあやふやな形容詞が必要だが、そのうちそれも取れる。
そのとき、私はこう言うことができるだろう、

わたしはすべての猫を飼っている。


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- 2008年05月10日(土)

東海道四谷怪談(新橋演舞場):

行ってきました。行っちゃいました。お金ないのに…orz
しかも一等席。しかも花道のすぐ横!
もう播磨屋の褌モロ見え! きゃあきゃあ!


…腐った話はおいといて。


「四谷怪談」「お岩さん」はあまりにもメジャーだから説明は省略。
芝居の白眉はやはり、文句なしに「髪梳き」の場面だろう。
毒薬を盛られて顔のただれたお岩が、お礼まいりのため
鏡の前に座り身じたくを整える、というだけの動きの少ない場面だ。
身じたくを整える、つまりそうだ。怨霊になっていく。
生きながら人間でないものになっていく、成り果てて行く。
悲惨の度を増す容貌、抜けおちる黒髪、はみ出した鉄漿(おはぐろ)。
ぽつりぽつりと落ちる三味線の音色と音色のあいだの不気味な闇。
崩れた自分の顔を鏡で見る女の眼差しは次第に鬼気迫る。

善良な人間、辛抱を重ねた人間ほど、裏切られ踏みつけられた恨みは深い、
という江戸の芝居の約束事がはっきりとあらわれているのだが、
ではザ・悪役で岩の夫、伊右衛門はどうかというと。…色っぽいのである。
悪いのはリチャード三世ばりに悪いのだが、色っぽいのである。
女房に食わせる才覚もまっとうな根性も、義理もないくせに、
金に汚いくせに、血も涙もないくせに…色っぽいのである。
なんだろうこれは。膏血絞られてなおすがりつきたくなるような。
「私がいなきゃだめな人なんだ」でもないし、なんだろな。
もちっと研究の余地アリ。南北の原作読んでみようかな。


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- 2008年05月09日(金)

見世物小屋で切符売りの男が

「100人いる」と言った。
さてそれで、わたしは「おお」と思ったのだった。

なぜ「おお」なのか。

100人というのはひとつのマスだ。
街を歩いているだけで100人ぐらいにはすぐ行き合わせるだろう。
渋谷や新宿、東京駅ならもっと多いかもしれない。
でも、そのとき「100人」と意識しているだろうか。
人の顔を見るように、そのマスの外貌を見ているだろうか。
その大きさ、その質感を理解しているだろうか。
していない。

そしてまた「100人いる」といったときに、何を思い浮かべるだろう。
100人。個々ということはできない。そこで見せるのは100人というマスだ。
思い出や、希望や夢や愛から切り離されマスとなったもの、
人間が個々という側面をはぎとられたとき、それはなんだろう。
確かに、単なる群衆ではないに違いない。以上か以下かは知らないが。
そんなものを、これまで見たことはなかったので、


私は小屋に入ることにして、男から切符を買った。



以上が昨日みた夢である。中のことは覚えていない。
妙といえば妙な夢だとは思わないか?
…と思ったら微熱。オマイガッ、またそのオチか。今度は何の知恵熱だ。


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- 2008年05月08日(木)

群れ飛ぶ翼

 夜半にうたたねして見た夢のことを書いてみよう。
 うたたねは長いものではなかった。せいぜい、時計の秒針が一回りするくらいのものだったろう。だが夢の時間は眠りの長短には左右されないものだ。それとも、物語の王国の法規、最も新しい物語でも最古のできごとを語ることができるというあの寛大な法規に準じるのかもしれない。
 いずれにしせよ夢のなか、わたしは長いあいだ立っていた。たぶん、一世紀かそこらも立っていたに違いない。雨が降っていた。そこは膝まで水のある沼地か浅い湖で、降る雨に水面は毛羽立っていた。少しはなれたところから水中木の木立が始まっており、それら小暗い木々は陰鬱に、輪郭の曖昧な灰色の影を落として雨の中に立っていた。

 わたしは空を見上げていた。わかっていたのだ、わたしは待っていた。ずっと待っていた。天には見えない渡り鳥、すきとおった翼の群が、無限の層をなして地表に近いところから星々の息吹のするところまで埋め尽くしていた。それは地上にあって忘れられた夢やなされなかった約束、破れた愛といった雑多ものからなる群で、それぞれが己が持ち主を見出そうと、もう長い、ながい間迷い飛んでいるのだった。
 この国では、それともこの夢では、だれかが所有することのなくなったそうしたものたちはそのように飛んで行くのだった。あるいは行き場がなくてそのようにさまようのだった。わたしは一度、ファナとネフェルティティの悲しみがすきとおった悲鳴を上げながら、つがいのように木立を抜けていくのを見たことがある。
 翼たちはほとんどがごく透明で、あるいはほんのり淡く色づいているのみで、目に見ることは難しかった。だがわたしや、その国の、あるいはその夢の住人はしばしばそのようにしてそうした翼を空に放っているのだし、人の死に際にはまるで巣を荒らされた小鳥が飛び立つように翼たちはいっせいに飛び立っていく。だからこの夢では、空は常に暗く、翼に満ちている。

 わたしは待っていたのだといわなかったろうか。そう、わたしは待っていたのだ。ひとつの翼、わたしだけのものであり、それ以外のものではないひとつの翼を待っていたのだ。それはなにか、なにか夢のうちの一つの夢であり、忘れてはならないものだったはずなのだ。握りしめたこの手から、はからずも飛び立ってしまったひとつの翼だったのだ。
 夢の中でわたしは翼を待っていた。一世紀かそこら、ずっと待っていたに違いない。そして未来永劫待っているのだ。夢見るものであるこのわたしが死んで朽ちても。わたしはそう宣言する。なぜなら、物語と夢の言葉はたしかに永遠について語ることができるからだ。


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- 2008年05月02日(金)

虎について

わたしは基本的に虎とは争わない。
それは馬鹿げたことであるだけではなく、危険だからだ。
だからわたしは、強いてそれをする理由がない限りは、虎とは争わない。

さてでは、この虎とは何か。
感情、それも怒りや殺意などというものだ。
虎と争わないとはどういうことか。
それが害を及ぼさないようにすべてのこととから遠ざけておくことだ。
あえて静めようとすれば、ますます虎は猛り狂う。
彼がいなくなるか力を失うかするまで放置しておくことが最善の策なのだ。

虎がいる間は、わたしはたいていのことができる。
虎は残酷に、また無造作に、それとも楽しんで殺す生き物だ。
彼がいるあいだは、私はその性質を共有する。
いなくなれば当然、後悔することにもなるが、それは後のことだ。
そして彼についてはある程度諦めを持っているので、
彼が動き出せば、動きだすに任せる。

とはいえ、例外もある。


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