- 2008年04月27日(日) スカートのたたり 先日、ほぼ1年間、仕事着として着たきりすずめだったジーンズが破れた。 さすがにブロークンジーンズは…というわけで戸棚を開ける。 ジーンズが一本。でもかなりカジュアルなラインだなあ。 でもなあ、あとはスカートしかないんだよなあ…。 しかし買いに行く時間(そして金)がない。 というわけで仕方なく、スカートをはいて出勤する。 うへェ、すーすーするよ。しかもなんかみんな変だよ! 視線を感じるのに誰も何も言わないよ! 勤務終了後、エレベーターで一緒になった同期に。 「おまえ、みんな困ってたぞ」 …なんだそれは。 はたして翌日、風邪をひく。なんだそりゃああああ! - - 2008年04月24日(木) 死ぬ夢をみた 正確に言うならこうだ。 今夜自分が死ぬという夢をみた。 あと数時間という自分自身の余命を、さあどう使おうかと考えていた。 で、どう使ったのだろう。覚えていない。 わたしは不安で、どうしよう、などと考えていた。 夢の中で乗ったばかりのバスから急いで下りていたのが、 慌てたときのわたし自身の行動と符号しておかしい。 結局、わたしは誰にも言わずに、その夜もベッドに入ったようだ。 自分の死に臨んでも誰をも許すことなく許しを乞うこともなく、 神のもとへ駆けこみすることもなく、和解することもなく、 (たぶん)ボルヘスの読みかけの短編を読み終えただけで、 そうだ、自分や誰かのために泣くこともしなかった。 妙な話だ。たぶん、ほんとうにそうなっても、私はきっとそうする。 - - 2008年04月23日(水) レモン・ツリー 姉のことはもう話しただろうか? 姉のことは何もかも気に食わない。 だがこの曲は別だ、これは彼女が高校の時によくリビングでかけていた。 わたしが彼女に曲名を尋ねた最初で最後の曲だろう。 彼女はいま何をしているのだろうか? 両親に彼女の話題をふらなくなって久しい。 たぶん、東京にいるのだろうが、だからといって連絡もない。 よしんば連絡などよこしたら私は激怒するだろう。 わたしにとって、彼女は生きているより死んでいるほうが好ましい。 だが彼女がほんとに死んだら、じつに多くのものを失うだろう。 それはわたしが彼女を受け皿にしている種々の感情だったり、 余儀なくともに暮した二十年ばかりの歳月の記憶だったりする。 レモン・ツリーを聞きながら考える。 彼女はいま、なにをしているのだろう? この雨の下で - - 2008年04月20日(日) 反逆の皇子は玉座の間に立ち入った。かつて、以前、ずっと昔、かれがまだ無鬚のころ、剣を握れるほど強い手でもなかったころ、最初にひとを殺すずっとまえに、そこに立ち入りを許されたときに覚えた感慨ほどには広くも天井高くも恐るべき威圧もないように思われた。王はすでに老いて、臣下にすら見捨てられて玉座にあり、いまは死を待っているであろう。 皇子は歩みを進めた。まったくの暗がりではあったが、わずかに丸天井からは月の光が細く落ちている。そのかすかな光をたよりに皇子は進み、そして立ち止まった。玉座はほどなく闇に現れ、そこに座す王をおぼろに浮かび上がらせた。ひとというより、疲れ果てた太古の幻とさえ思われた。 「いまやわたしは勝った。父上、御身のすべての策略は虚しかった。毒、暗殺者、一群の兵団、獅子の牙までも御身は差し向けられたが」 皇子の言葉は朗々として丸天井に響き、こだまが響きを返してきた。 「…虚しい」 皇子はわずかに眉を寄せ、あたりをぐるりと見渡したが、言葉を続けた。長らく、そうだ長らく、辺境よりの長い道のりを、戦いに継ぐ戦いの日々を通じて、いつか我が父に言わんとして何度となく胸のうちに推敲を重ねて いた言葉であった。台詞を読む俳優のごとく皇子は続けた。 「父上、御身の所業は悪にすぎ、貪婪に過ぎた。民は御身をもはや唾棄すべき虫けらとみなし、東の果てより西の果てにいたるまで口という口が呪詛している。そしてわたしはといえば、かれらの望みの的であり、熱狂と歓呼をもっていずれの祈りの前にも祝福と平安を捧げられている。それもすべては、わたしが彼らを愛し、慈しみ、正しい方へと導かんと願うゆえ」 「…願うゆえ」 再びこだまが響いた。皇子は不安にあたりを見渡したが、言葉は最後まで言われることを求め、皇子に強制さえしたため、つづけざるをえなかった。 「わたしはここまで一人できた。誰もわたしを妨げはしなかった。王位はすでにわたしのもとにある。あとは御身に玉座を下りていただくのみだ」 「…下りて」 皇子はもう先を言わなかった。のろのろと、玉座の上の王は身を起こして - - 2008年04月18日(金) 出勤前だが急いで書いておく 「ある対話の中でオスカー・ワイルドは次のように述べている。 音楽はわれわれがそれまで知らずにいた過去をあばく。 われわれは音楽を通して、我が身に起こったことのない不幸や 犯した覚えのない過失を嘆くことになるのだ、と。 わたし自身のことで恐縮だが、(中略) 真偽不明の過去のある事件をまざまざと思い出す。 わたしはある男に決闘を挑み、 人気のないところでナイフを振るって戦うが 最後に声もたてずに倒れたのである。 タンゴに使命があるとすれば、それはアルゼンチン人に 自分はかつて勇敢な男であった、勇気と名誉を守るために 必要なことはすべて果たした、という確信を抱かせることである」 (ボルヘス「タンゴの歴史」) 音楽はそのような効果があるとする。 では映画はなにか? - - 2008年04月17日(木) 奄美大島2泊3日の旅 1: 14日朝、羽田発。昼前に奄美へ。 空港でレンタカー屋の迎えの車に乗る。 「65レンタカー」なる地元ブランド、2500円/日で、 恐ろしく安いのはいいのだが、なんとカードが使えない。 そして用意されていたのは昔懐かしいPULSARだった…。 予約していたダイバー民宿は島の南端とあって、行きは観光込み。 台風銀座らしく平屋が多く、山の照葉樹の新緑は気も狂わんばかり。 約2時間の行程ということで、まずは名物「鶏飯」で腹ごしらえとする。 国道58号途中の専門店「きさ倉」、一人前950円也。 詳細は、白い飯の上に、やわらかく似た鶏肉を細く裂いたもの、 卵焼きの薄切り、陳皮、しいたけなどをのせ、鳥ガラスープをぶっかける。 味はまあまあ、さっぱりしていて、…量多い。 おひつで飯が来る、鉄鍋でスープが来る。無理です、全部は。 さらに58号を南下。「道の駅 黒潮の森マングローブパーク」に立ち寄る。 国内でも2番目に大きなマングローブ林をカヌーで探検1500円也。 住用川河口付近に生い茂る水上の森はオヒルギ・メヒルギよりなり、 縦横に水路が走る。その広さは71�任砲盖擇屐� 遠景はかくのごとし。 ![]() 水路から。カヌーは水面とほぼ同じ高さなのがいいね。 2. 探検を終え、宿まで山道をえっちらおっちら走る。5時ごろ到着。 おっちゃんおばちゃんでやっている小さな宿だが、逗留客が1人。 話好きの兄ちゃんで、水産会社の長期出張中とのこと。 おっちゃんと兄ちゃんと3人で、イノシシのすき焼きを囲む。 味噌汁かと思ったら山羊汁。これがうまい。もちろん刺身もつく。 腹いっぱいになったところでしばし休憩、それから夜のお楽しみへ。 夜のお楽しみ、もといアマミノクロウサギを見に行こうツアー。 ライトを照らしながら林道を軽トラで走行し、ウサギを探す。 こんなので天然記念物を見られるのかいなと思いつつ、 青森ではニホンカモシカが普通にゴミあさってたしなと思いなおす。 はたしていた。黒い、耳の短いウサギ。…でかいネズミっぽい。 とはいえウサギらしく、近づくと、不器用にポン、ポンとはねて逃げ、 最後にぴきーと声を漏らして藪の中に消えてしまった。 夜のこととて写真はない。ああん。 3. 15日朝。食事を終えたところで、見習インストラクター女史到着。 お天気はなんとかもちそう。さあ、いざ、海へ! 水温22度、透明度は35�叩� 大島海峡の海の青いこと。 ポイントへ向けて船を走らせていると、おや。 加計呂麻島のほうから、海峡を、一頭の蝶がわたっていくのに出会う。 「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」(安西冬衛「春」) という詩を思い浮かべていたら、インスト女史が、 あれはニライカナイから神様がやってくるところ、という。 神様に出会ってしまった。 さて、ポイントに到着。ハイ、どぼん。 ![]() おっちゃん撮影の筆者近影。ハナビラクマノミとにらめっこ。 ミツボシスズメダイは乱舞し、サザナミフグとおっかけっこ。 サンゴ広がる海は澄んで美しく、しかし過去の苦難も読みとれた。 白化とオニヒトデ食害は深刻で、現状は十年前の20%にすぎないという。 4. 船上の昼食と午睡を経て、帰還。 インスト女史、先客の3人で食事を頂き、さらにしゃべり倒す。 かくてその夜は就寝。 翌朝6時に起きる。7時の朝食、8時少し前に出立。 油井岳山頂に立ち寄り、東岸のホノホシ海岸へ。 この海岸は、見渡す限り玉石を敷き詰めたようになっている。 いったいいかなる潮の流れがこうした風景を作りだしたのだろう。 波が寄せ、波が引く。 そのつどに石が触れあって、えもいわれぬ音が鳴る。 ![]() これも音だろうか。永遠の音だろうか。 そうだ、石のすべては地上のすべての木よりも古い。 島内最高峰、湯湾岳へ。 ここにはソメイヨシノがある。 この花木には厄介なことに、「寒くなったあとに」温かくなる。 つまり、寒くならないところでは、満開を見ることはできない。 島内ではここぐらいだという。それでもどこかまばらな印象は残ったが。 ![]() どちらかというと、シャリンバイのほうが島らしくて好きだ。 ![]() この花は愛加那の逸話を思い起こさせる、可憐で胸痛ませる美がある。 愛加那なる刀自は、西郷隆盛が島に配されたさいにその島妻となった人だ。 結ばれた夫は間もなく呼びもどされて維新に身を投じ、 もうけた2人の子も鹿児島の本家に引き取られていった。 それより後は甥を養子に迎えて、再び嫁ぐことはなかった。 このように生き死にした彼女が織っていたのが芭蕉布である。 糸をくり、布を織るひとはいついかなる時代にもモイライの御一人なのか。 大浜海浜公園で東シナ海の波に洗われるサンゴ砂の浜辺を歩む。 ![]() 午後5時にレンタ屋到着。 空港へ。午後7時の飛行機で帰京。都の無数の明かりを見て思った。 わたしは東京がきらいだ。次の旅が待ち遠しい。 -
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