- 2008年02月20日(水) 愛するにはいささか遠すぎる。 時差はせいぜい3時間くらいにとどめていただきたいものだ。 まあいいや、身長差30�造醗�びれないホールド、 エーゲ海から来たツーリストは一週間を楽しく過ごすには良い相手だ。 約束のない別れ、some dayというよりほか再会を期すことのない別れ、 そういうものは実際、少しくドライで心地いいものだった。 よく考えれば、私の幼時もそうした別離と出会いに満ちていた。 あー、英語の勉強しないとなー…。 - - 2008年02月11日(月) スウィニー・トッドに関する なにか書こうとして、なにか書ける映画ではなかったと思い至る。 面白いのだが、確かにこれは何か書ける映画ではない。 そこで復讐について考えてみようと思う。 不当な扱いを受けるということは往々にしてある。 しかしそれに対して、復讐をしたいと思うかどうかは意見が分かれる。 ひとつには、受けた傷は同じだけのお返しをしても消えない。 ひとつには、そんなことに体力・時間を浪費するのはもったいない。 とはいえ、腹の虫というものはある。感情というものはある。 感情はある意味、それ自体の寿命と生命を持つ生き物ともいえる。 現実的にまったく意味のない復讐という行為を完遂できるのは、 なるほど男が絶対的に多いのではないかなと思う。 なんでそう思うかというと、女には子宮があるからだ。 連日どうもお下品だが、このあたりは「人が人を殺すとき」による。 女は別の人生(=別の亭主・子供)を持つ可能性がある。 それは女が若ければ若いほど大きなプラスの可能性だ。 ならば女は、マイナスでしかない復讐という行為を選ばない。 復讐をとるのは、女がある一定年齢を超えてこの可能性が低下しているか、 あるいは失ったものが、たとえば成人した子供だったよう大きいときだ。 男については全く異なる。 別の人生(=女房、子供)を持つ可能性は、もちろん男は女より上だ。 にも関らず、男の可能性というのはかれの社会的地位に根ざしているので これを傷つけられたままでは、その回復は極めて難しいのだ。 つまり男は復讐を遂げて社会的価値を回復することによってのみ、 すでにマイナスである自己の可能性をプラスに転じることができる。 かれが復讐を行わないとしたら、すでに繁殖能力を失っているか、 あるいは与えられた運命を甘受することで得られる可能性が大きいときだ。 - - 2008年02月10日(日) ずいぶんむかしのことだが ひとを愛したことがある。 いやまったく、ずいぶんと昔のことだ。 30歳を超えてから思うからまったく、ほんとうに。 以来、たぶんひとを愛したことがない、本当にセクシャルな意味では。 その唇だとか頬だとか、胸だとか肩だとか、ねぶりたいように思ってた。 触れた記憶が脳裏を去らず、その感覚がまるきり突然蘇っては なんというか私を困らせた。焦がれるというのは実際そういうことだ。 水を飲みたいようにあなたに触れたい。眠りが必ず来るようにそれは来る。 とはいえそいつもまったく遠く去り、なければないでどうにもなる。 あんな感情のぼったくりはもうゴメンだ。 若さはふさわしい愛をする。30を過ぎれば別のものがあるだろう。 別に必要とも思わないから追い求めもしないが、 そうしたものが来れば、そのときは相手をするつもりだ。 それでも地球を相手にして、ふるいつきたいような欲望を覚えるあいだは、 枯れてもいないのだろう。この風景に、わたしは確かに欲情した。 下世話に言えば、膝の間に引き入れたい、という感情に近いものだった。 - - 2008年02月05日(火) 帰ってきたくなくても帰ってくるのが大人ってもんだ。 アフリカはエチオピア、まったくなんたる国土。 ひっかけたのは現地男10人くらい、 イタリアンとグリーク1人ずつ。 持ち帰りはグリーク1人だけ。ご安心を。しかし面倒な! -
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