- 2007年09月30日(日) 白檀のかおりの香をたき、西園寺は手をあわせた。ややあって仏壇から向き直ると、柳屋の女将が袂で目元を拭っていた。 「おありがとうごぜェます、旦那。梓もあの世で喜ンでるでしょう」 「あァ、気の毒したな」 「おかげさまで、なんとか気を落とさずにやっておりやす」 「あァ…」 ふと話題が途切れた。これまで入ったことのなかった裏手の部屋の一角はシンとして小暗く、表の喧噪は聞こえてこなかった。西園寺は所在なく、かといって話の口火も切りかねて、もう一度仏壇を振り返った。まだ新しい位牌には、仰々しい戒名が書きつけられている。 「親不孝な娘でありやした」 向き直ると、女将も戒名にジッと視線を向けていた。その顔つきには、なんとはなしぞっとしないものがあった。 「女将、仏サマを悪く言っちゃァ…」 「言わして下せェ、旦那。血迷っててめェで首くくるなんざ、手塩にかけたこの親の立つ瀬がござンせんよ」 言ううちに激してきたのか、女将はツッと立ち上がってはったと仏壇をにらみ据えた。 「ヤイこの不孝者、てめェなんざ地獄へなりどこへなり勝手に行っちめェ。てめェなんざ、てめェなんざァもう親でも娘でもねェわい…」 「女将、これ、女将」 いまにも仏壇に打ち懸かろうとするように拳を振り上げるのに、西園寺も慌てて立ち上がってその手首を掴んだ。 「こん親不孝モンはァ…」 「いけねェよ、女将。気持ちァわかるが、しっかりしねェか。梓だって、おっかさんすまなかった、血迷ってすまなかったって頭下げて詫びてェだろうさ。それもできねェんだ、仏を責めてやるんじゃァねェ」 女将は膝折れてわっと泣き崩れた。騒ぎを聞きつけたのか、廊下のほうから幾つか足音が駆けてくるのが聞こえた。ほとほとと襖が叩かれるのに顔を上げかけ、不意に袖を引かれた。 「旦那、あたしァ…」 「女将?」 「あたしゃァ…祐介にすまねェ、すまねェことしたんですよ」 はっと西園寺は息を呑んだ。 「そりゃ女将…」 またほとほとと襖が叩かれた。顔を上げた女将は息もないように青ざめ、涙で化粧をだんだらにして、西園寺の袖を握りしめた。 「梓が首ィくくっちまって、あたしゃァどうかしてたんです。旦那、義理も人情もねェことしちまった。あの子が祐介に袖にされたンだろうって思いこんで、頭に血が上って、その晩のうちに…」 すっと血の気が引いた。女将を支えていた手から力が抜けた。続く言葉はひどく遠くから現実感をなくして響いてきた。 「陰間屋に、たたき売っちまったんですよゥ…」 - - 2007年09月28日(金) 水を打った路地に長く西日が射していた。ほとんど1年ぶりに尋ねた柳屋はまだ静かで、夕暮れのにぎわいの前にひといきついているようだった。 「あら旦那、ご無沙汰でござんすね」 暖簾に手を伸ばしかけたところで、背後からかけられた声に、西園寺は振り返った。 「お梅じゃねェか」 「あいよ、お見忘れかと思いましたが、覚えててくださんしたね」 肩の辺りを、気安く白い指が叩き、ふっくらした頬に首筋まではたいたおしろいを匂わせた三十路半ばの芸妓は、紅をつけた唇でにっこと笑ってみせた。器量はたいして良くないが、店でも茶をひいていることのない売れっ子なのは気っぷと愛嬌によるところが大きかった。 「あらァ、お座敷のご用って感じじゃありやせんねえ、旦那」 「あァ…」 西園寺はやや言いよどみ、所在なく両手を袖に仕舞った。 「もしかしたら、祐介のことじゃァござんせんか」 すっぱりと口火を切ったのは梅の方だった。ぐうの音もない顔を見て、梅は道具の入った風呂敷包みを持ち直して、ほ、と息をついた。 「旦那にはいろいろご恩もありやすして、教えてあげたいのはやまやまですけどねえ…。ふいと姿を消して、もうこの辺りでは噂も聞きませんのですわ」 「おめェの口利きでお店に上がったって聞いたが…」 「あたしの? そりゃァ勘違いでござんすよ」 梅はふいに声を低めると、西園寺の袖を引いて路地の端へ寄った。 「あの子はねェ、もともとお店の女将が借金のカタにこき使ってたンですよゥ」 「借金ってなァ、あいつがかィ?」 「ああ、まどろっこしいねェ。あたしも良かァ知らねェけど、なんだか女郎だった姉さんが肺病ンでもなって長く寝付いて、そンであの女将が世話をしたンだっていうよ。姉さんはおっ死んだけど、その薬代が五十両だか百両だかかさんでるンだって言ってね。まァ夜も昼もなくあの子をこき使ってましたよ」 「へェ…」 「さァそんでも、あの子がいなくなってからも女将はとやかく言わなくってねェ。しわいお人が、金づるに逃げられたってのにグチも言わないのが妙で。ただまァ…」 梅はちらととがめるような視線を西園寺に投げた。 「あンときはねェ、大変だったんですよ、女将の実の娘の梓坊が首をくくっちまって」 「梓が?」 西園寺はぼんやりと、いつも座敷の隅で大人しくしていた影の薄い娘を思い出した。視線があっただけでもすっと奥へ引いてしまう、世慣れないふうな娘だったが、まさか首をくくるほど思い詰めていたとは思えなかった。 「へェ、なんですかねェ、ちょうど祐介のやつが出奔した晩に、裏の納屋で首ィくくっててねェ。まだ花も盛りだったてのにさァ…。くちさがないのは祐介が悪さでもしたんじゃないかって言ってましたけどねェ、あの子はそんなことしやしませんよ。ま、梓坊は書き置きを残してたからねェ、ご公儀も本気に取りゃしなかった」 「そうか、そりゃァ…」 「旦那、梓坊のこと、今の今まで知らなかったンで?」 「あァ、面目ねェ」 梅はふいに気色ばって西園寺の袖を掴んだ。 「そんならねェ、ひとつお焼香でも上げてっておくれよ」 「なん…だァ、そらァ」 驚きのあまり声を上げかけて、西園寺ははっと我に返った。柳屋ののれんがゆっくり開き、その間から。 記憶にあるよりずっと老けた、女将の顔がのぞいた。その目はツウっと西園寺に向けられ。 「どうぞ、お立ち寄りくだせえまし」 深々と、白髪頭が下げられた。 - - 2007年09月27日(木) 早い調子の音色が、山の端に姿をあらわし始めたばかりの月の光の射す座敷に満ちていた。紫檀から削り出された三味線は、狂い立つばかり情に満ちながら、ときおり鋭い哀調が不意をついて落ちる。一曲おえて祐介が撥を置くと、その夜の客の老人は惜しそうに目を細めた。 「凄絶に弾きよったなァ。素人のわしでも、こう、首のあたりがゾッとしたわい」 「へえ、相済みません」 「馬鹿な、誉めとるんじゃないか。サ、こっち来なされ。酒でも飲め」 祐介は三味線を傍らに置いて膝を進め、スと頭を下げて両手で老人の差し出す杯を受け取った。清水のように喉を滑り落ちていく酒を一口二口含み、三口目で干して、かえって杯を差し出した。 「どうぞ、ご隠居」 「ウン」 播磨屋という大店の看板を息子に譲り、悠々自適に悪所を楽しんでいるという老人は、染みの浮き出た手で朱塗りの杯を受け取り、酒の注がれるのをじっと見ながら言った。 「今夜はなんぞ、気にかかることでもあるのかい」 さら、と酒が溢れた。老人は袂の汚れるのも気にせぬよう、視線を上げた。祐介はツと目を伏せ、 「…ごめんなすって。そんなふうに見えやすかい」 懐紙でこぼれた滴を拭いながら、弱々しく呟いた。 「見えるもなにも、おめェさん、てっきりいつものようじゃねェ」 「へェ」 ずずっと老人が皺の浮いた唇で酒を吸うあいだしばらくの間があって、ふいに。 「待ち人があったンか」 「いや、そんな、ご隠居…」 「ねェってのかい?」 祐介はいささか言葉に詰まり、ふとうつむいて笑い声を落とした。 「かなわねェなあ、ご隠居にゃァ」 「別に当て推量じゃァねえのさ」 「そりゃァまた…」 言葉を遮るように老人は杯を置いて、キセルを指さした。丸めた煙草をつめて渡せば、ほどなくプカァりと紫煙が上がる。じらすようにのんびりと二三服もやって、老人はようやく祐介を見た。 「俺っちがおめェを名指してよ、さァ上に上がろうかいって階段に足かけたときによ、若ェお侍が飛び込んできたのさ。まァ、三十に少し足りねェくらいの。ありゃそこそこ身分のある直参だろうなァ、蝶の紋の羽織を着てさっしゃった。そんで…まァ、後は知らねェ。怒鳴り込んで来ねェとこ見ると、まァ、追い返されたかどうかしたんだろうねェ」 老人はなおも二三度煙を吐いて、やがて煙管を傍らに置いて、楽しむようにゆっくりと言った。 「さて、この老骨の相手をしてもらおうかィ。手ェ抜いちゃァいけねえよ?」 「…へェ」 練り絹の布団のはたで、祐介は帯を解く。この老人を相手にするときはいつもこうだ。帯を解き、着物下帯と脱いで身を整えるまで、煙管をくわえて、座敷でのんびりと待っている。 「……ご隠居」 「おゥ」 声をかけると、煙管と紫煙をともにして、老人が襖を開け、戸口に立って、皺に埋もれかけたような目を細めて、裸体を頭の上からつま先まで見渡した。こうしたときに誘いめいた文句はかけないことにしていた。この隠居に限らず、老人はそれぞれの流儀がある。ままに任せておいたがよい。そうした世知が、世間知らずの稚児と異なり、高齢のひいき客を祐介に引きつけていた。 「またちょいと、おまえさん痩せたねェ。まあいい、そこへ横ンなんな」 「へェ」 祐介は逆らわずに布団の上に横たわった。衣服のない体は茶屋の水のせいか外に出ることのない生活のせいでかよほど色が白く、もとから少なかった体毛は風呂のたびに下働きにきれいに抜かれて女のような光沢を帯びるに至った。胸のあたりに乾いた手の置かれたのに、ふ、と息を吐いた。自分では気を遣ることのない老人の夜は長い。気が遠くなるまで何度も手や口で嬲られることはいつも気が重かったが、昨夜のような客に比べればよほどましなのだ。にもましてこの夜は気がかりがあった。蝶の紋も若い侍も、西園寺を指していた。昨夜のことは偶然だったのだろう、趣向を変えてたまたま陰間を買いに来ていたのだろうと自身に言い聞かせ、またほとんと信じかけていたというのに。もしも、もしも探してくれていたのだったら、と… 「どうしたィ、こんなとこにあざァこしらえて」 ふいに問いかけられて、祐介ははっと我に返った。 「あ、あァ…」 見れば灯火に青く浮かんでいるのは、昨夜つけられた手首や脇腹のあざだ。思わぬ邂逅に気をとられて、今の今まで忘れていたのだった。 「ゆうべの客かィ?」 「……転んだんでさァ」 「そうかよ」 祐介はびくりと身のすくむのを覚えた。老人の目が鈍くぎらついている。そういえば、一代で財をなしたというこの老人が隠居したきっかけは、妾を打ち据えて、それも粗相をしたとかいうのでなしに半殺しになるまで打ち据える事件を起こしたため、公儀の聞こえをはばかったからという。 「ご隠居、勘弁を…」 言葉は押し殺した悲鳴に消えた。助けを求めることは無意味だった。かれが死にでもすれば店主は老人から過分な詫び料をせしめることができるのだし、それはかれの稼ぎよりも多い。老人の折檻は夜半過ぎまで続いた。 - - 2007年09月26日(水) ひどく細った。もとより筋骨たくましいとは言えなかった祐介の体が、病みやつれたように痩せているのを、西園寺はいたましいような思いとともに眺めた。月光のなかで驚き一色に塗られているその顔からは、以前の快活な様子は跡を絶ち、思い詰めたような堪え忍ぶような、どこか暗いところに一直線に落ちていくよりほかない運命を諦めとともに肯ったような寂しい色が掃かれていた。 「ご無沙汰…いたしておりやす」 襦袢の前をかきあわせてツ、と頭を下げる祐介を見下ろして、なおも西園寺はかけるべき言葉を見つけることはできなかった。ひどく悲しげな横顔を見ても、逃げるように立ち去るその後ろ姿を見送ってさえ。 最初に気に留めたのは三味線のばちを使うその指だった。芸妓の膝に寝転がりながら、男のくせにえらく整った手指をしているものだと思い、顔を上げて見て、その手指のわりには地味な顔だと思った。 「あの三味線は?」 「最近お店に入ったンでござんす。梅さんの口利きで」 「ヘェ」 三味線で座敷に上がったくせに、軽口も叩けば当意即妙の受け答えもする。しまいの頃は半ば幇間のような扱いで呼んでいた。お座敷遊びを重ねるうちに、いつとはなく口をきくようになり、そのうち芸者の黄色い歓声を楽しむようにしなだれかかるふりまでした。ふりのはずが本気になったのがいつ頃のことだったかは覚えていない。 「俺が本気だってのがわからねえか?」 「旦那の本気ァ、きれいどころに取っておいででしょう。三十路の男をからかって何が楽しいんで」 そんなやりとりばかりのはずがある夜、言い過ぎたのかあるいは何か思うところがあったのか、大騒ぎのお開きになったあと。 「こいつァねェ、酒の上でのことですよ。アタシも旦那も、酔いが醒めたらね、すっぱりね、こんなこたァね、忘れてしまうんですよ」 そんな妙な前置きのあと、ひどく小さな声が耳元で囁いた。 「とっくに、旦那、とっくに惚れてますよゥ」 それで血が上った。あたりに誰がいるのかも確かめずに奥に連れ込んで、そのまま抱いた。ずいぶん乱暴だったはずが、痛いと言わず苦しいとも言わず、熱い熱いとうわごとのようにくり返す声がいまも耳に残る。 だが当然のようにそれきり祐介は消息を絶ち、バカ騒ぎにどこか空々しさを感じるようになって西園寺も花街から足が遠ざかった。ふとした拍子に、新橋界隈の陰間専門の茶屋に、似た男がいると聞いたのはつい先頃だ。 だが信じていたわけではない。半信半疑のうちにふらりと足を運び、それらしい陰間は見あたらず、だが帰るとも言い出しかねて止まった。あてがわれた稚児を相手に世間話をひとくさりするうちに夜も更け、ふと立ってみればそこにいた。その顔を見るまで信じてはいなかった。 「…いったい…どうなってンだ」 西園寺は呆然として呟き、そのとき鶏鳴が夜明けの近いことを告げた。 - - 2007年09月25日(火) 夜は静かにふけ、茶屋の内も外もしんと静まり返ったころ、祐介は音もなく部屋を出た。この夜かれを買った若い男は、すっかり満足して高いびきの有様だったから、それはさして難しいことではなかった。 かれがこの茶屋に売られてきてから、もう1年が過ぎた。もともと花街の人間とはいえ、三味線を身過ぎ世過ぎのたつきにしていたかれが茶屋に売り払われたのには相応の理由があったが、そうしたことはことさら問題にされなかった。茶屋に売られてくるにはいかにも遅すぎる、かれの三十路を一つ越えた年齢さえ問題にはされなかった。茶屋の主人は言ったものだ。 「問題はなァ、おめェがここでやっていけるかどうだ。俺っちは構わねえ。稚児買いの客と違って、野郎買いの客は年齢なんてのは気にしないってのも多い。だがそういうのに限って乱暴なのが好きでなァ。おめェ、年季が明ける前に、十中八九はお陀仏か、運良く死ななくともちっとおかしくなるかするだろうよ。気の毒だがな」 とはいえそもそも選択肢はなかった。ずいきのがらを尻に含まされて耐えがたい掻痒感に身も世もなく泣き、男の陽物を慰めるあらゆる手管を仕込まれるほかなかった。そしてひとたび店に出れば、老若あらゆる種類の好色な視線に耐えその手に耐え、かえって奉仕するよりほか。 ひんやりした夜の空気はすでに秋だ。両手を袖にしまって、祐介は廊下を歩き、障子をを開け放したままの縁側に立った。逃げることはもとよりできない。ただ月の光を浴びたかっただけだ。かれは欄干にもたれて腰を下ろし、中空の丸い灯りに見入った。 店主の予想を裏切って、稚児上がりの野郎のどことなくなよっとした雰囲気に比べ、つい先頃まで男として世間を知っていたからか、祐介には訳知りの年寄りが客につくことが多かった。ねちこい愛撫には閉口しても、乱暴をするわけではない老人は上客と言えたが、今夜の客は違った。男を相手にした経験があまりないのか乱暴で、どうにか中途からはこちらが主導権を握ったからよかったものの、それでもこうしてみるとあちこちが痛んでいた。あざの幾つかはしばらく残るだろう。しかもある種の客は傷やけがを見ると自分もつけたくなるらしい。これからしばらくは生傷が絶えないことだろうと祐介は考える。 「やっぱり…生きては、出れねェかねェ」 ほつ、と祐介は呟いた。そのとき、 背後ではたりと足音がした。はっと顔を向けた祐介は、廊下の奥に若い男の陰をぼんやりと見つけ、いささか慌てて立ち上がった。 「ごめんなすって、旦那。ちょいと風にあたりに出ただけでさァ。お目覚めだったンなら、すぐ戻ってりゃァよござんした。今、すぐ…」 そこまで言いつのって、祐介ははたと言葉を止めた。立っているのは今夜の客ではない。凍り付いたように立っているのは。 「旦那ァ…、なんだって、こんな所に…」 見間違うはずがなかった。立っているのは西園寺の若い当主、かれがその身を売られるもととなった想い人、その当人だった。 某シチュ茶で旦那と太鼓持ちでエロ茶やった後日談ぽく。 太鼓持ちは、花魁芸者をさしおいて旦那寝取ったというので、 置屋の女将にすぱーんと売り飛ばされて陰間をやるはめになった。 旦那は太鼓持ちを探すもののなかなか見つからず…で1年後、と。 初物いただいた時と、男相手を仕込まれた陰間の体と、 そのギャップに気持ちよくなりつつ煩悶するといいよ、旦那…。 - - 2007年09月24日(月) 妖怪人間ベム ヤフーで無料配信しているのを見た。 これまで名前以上には知らなかったのだが、これはなかなか良質の物語だ。 妖怪人間ベム、ベラ、ベロ。出自も明らかでないかれらは 人間になる道を求めて放浪しつつ、怪しい事件の解決をはかってゆく。 しかし異様な外見のかれらを人間はさげすみ、虐げる。 最終話に至って求める手だては見いだされるが、かれらはそれを取れない。 なぜなら人間を殺すことを前提とするものだったから。 かれらはあれほど求めた人間になる道を自ら拒み、 そして互いを信じ是認しながら、燃える屋敷の中で消息を絶つ。 ベムは大人の男、ベラは大人の女、ベロは少年のような見た目で、 狂言回し役のベロがもっとも人間への親しみを持っており、 そのためしばしばトラブルに巻き込まれることになる。 かれが好きなのは自分の見た目と同じ年頃の子供たちで、 困っていれば「助けてあげようよ」とじつに屈託なくかれは言う。 そしてベムとベラは、結局は拒絶とあざけり以外のなにもないと知りながら それでもその通りにする。 正義を、とベムは言うが、ベラはもう少し正直だ。 彼女は3匹でいることの重要さをよくわかっている。 彼女は正義のためというよりは、それを信じて疑わない同輩と同行するため 自分もそれを信じているふりをしているようなところがある。 人間になろうがなるまいが、かれらには互いしかない。 それはあの燃える館の中で見交わされる眼差しに明らかだ。 - - 2007年09月21日(金) 古い木槿の株はひとの二倍ほども丈があった。青々と葉を茂らせ、その上に無数の純白の色したごく薄い花をつけている。公子は強い西日に半顔を焼かせながら、その梢を見上げていた。 「見よ、古人はこれを無窮花と呼んだ」 公子は言った。その長い白衣は地を掃き、その左目はまぶしい光のただ中にあって見開かれ、豊かの眉も引き絞られた虹彩までも克明だった。 「ひとつの莟は朝に咲き、夕に枯れ落ちる。だが翌朝には新たな花が再び咲き、かくして枝間に花の尽きることがない」 わたしは公子の傍らに膝をついて控えていた。暑熱にあぶられた背に汗が滲んで行った。公子は黙ってうすい花びらのその花に手を添えて見つめた。 「だがそれも夏の間だけのこと」 公子は言葉を途切れさせ、ややあって続けた。 「季節が終われば - - 2007年09月20日(木) 果たして30 なんだかいろんな方にいろんなものを頂いてしまって恐縮する。 なかでもいちばん愉快だったのが「火星の土地」。 火星の1ヘクタールの土地の権利書で、これは素敵だ。 そのうち本籍を火星に移したらどうだろうか。 「マダム、本籍は?」 「火星です」 「だと思いました、道中お気をつけて」 「ありがとう、シニョール」 あっはっは。なかなかしゃれてる。 ありがとう、良き人々、良き方々、ありがとう。 なにとはなく過ごした一日ですが、私は幸福でした。 さあ、次の十年。 どこにでも行ける、何にでもなれる。 - - 2007年09月17日(月) 遊び回り@覚え書き 「文楽 夏祭浪速鑑(なつまつりなにわかがみ)」(国立劇場) 念願だった文楽の公演に足を運んだ。いまもまだ感動がさめやらない。まったくなんたる美意識、なんたる美、なんたる洗練。 歌舞伎は江戸の芸だが、上方の芸はやはり文楽に止めをさす。そしてその洗練の度合いは、歌舞伎の比ではない。その理由だが、いつか書いた通り、人形は固有の身振りを持たない。かれらに見る身振りは、すべて与えられたもの。つまりわれらの認識のプールたる社会的類型から抽出され、そのうえに演者の肉体と精神が磨き抜いて与えたものだ。しかも物理的な制限は人間の役者に比べて遙かに少ないから、その身振りまた位置取りはより観念に属するものとなる。つまり演じうる範囲は人間に比べて広い。その自由さが、歌舞伎にはるかに勝る高度の洗練の可能性をもたらす。 まあ、小難しいことはもういい。義太夫の謡いと江戸ロックたる三味線、そしてあの美。「長町裏の段」で侠客・団七が悪舅を追いかけ回し、袈裟懸け切り捨て突き通しと惨殺する場面について述べるに止める。 団七は着物脱ぎ捨て朱色の越中ひとつでおっとり刀、全身の刺青を晒して縦横無尽に駆けめぐる。月代の青さは青く髪はざんばら乱れ波打ち狂乱。舞台は暗く、人形にのみ灯りがあてられてその姿は幽鬼のごとくにぼうっと浮かんでいる。一方、血塗れ瀕死ながらも必死につくばり逃げ回る悪舅の義兵次は血みどろ、血を吐きよたくり憎まれ口しようにも声もない。 井戸をはさんで突いたり切ったり逃げ回ったり、しまいに舞台前面にめぐって止めが刺され、義兵次が事切れるまで、早回しありコマ送りめいたスローモーションあり機微をつかんだ演出の粋が尽くされて、外法外道の悪夢に足踏み入れた団七の目から見たよう。そしてまた直後に舞台中央にねりこむ祭り御輿のカタストロフめいた視覚と聴覚への衝撃。初演の観客の茫然自失が忍ばれる。 場面そのもの、物語そのものを尽くしながら、それをさらに理想化しダイナミックに盛り上げ鮮烈にイメージ化する。映画的でもあり演劇的でもある演出がすでに元禄の頃にあったとは。まったく慨嘆のほかない。またすべての人物がきわめて鋭く類型化しながらも生活感ともいうべき息吹を強く持っていることにも驚かされた。江戸のころの堺の物音を聞く思いだ。 「菅原伝授手習鑑」(同) 上に比べればいささか大人しい感想となる。演出として目立ったのは静止とゆっくりとした動きであって、大仰な場面転換はほとんどないし、大立ち回りも耽美といいたいようなどぎつい演出もない。 淡々とした流れの中で、際だつのはやはり庶民の強さ活力と義理人情の圧迫であろうか。殺人事件の場面の精気はやはり、それが同時代に取材したものであったからではなかろうかと思わせる。 「福原信三と美術と資生堂」(世田谷美術館) 資生堂のPR史。産業デザインの歴史としては面白いものがある。 とはいえ天才の息吹はない。面白いのは、福原が当時パリに住んでいた藤田画伯との珍道中を書き残した絵日記くらいだろうか。 - - 2007年09月16日(日) セクシュアルな興奮、というものを面白いと思う。 男なら「立つ」女なら「濡れる」ということになるだろうか。ちょっとこれについて考えてみた。直接の契機は仕事場においてあった古雑誌「薔薇族」をぱらぱらっとめくったことだ。 およそ異質な文化なのだが、ふと思い当たった。ははあ、ホモの人たちはこういうの見て興奮するのかと。実際まさにそれ用のブツなわけだ。いわゆるもクソもない腐女子でありやおい系をニヤニヤしながら楽しんでいる私としては、そのあまりの価値観の違いにショックを受けた。 とはいえ共通点を持たなかったわけではない。私は美少年より筋肉質が好きだ。現在の下宿は講道館近くなのでいわゆるガチムチを見る機会が多く、個人的に非常に楽しめる立地だ。いっそ銭湯に男女混浴とかできないかなと思うくらいだ。ホモの方々も千差万別趣味はありつつ、大多数はスポーツマンタイプが好きらしい。グラビアなんかは個人的にOK。まさかずりネタにはしやしないが、脳内妄想の根源として使用可能だ。 だめだったのは文章の方だ。「ホタル」というホモゲーをやったときもそうだったのだが、いわゆる「引く」という脳内退潮現象が起きる。ああ、それ萌えないなあ…である。痛めつけられた男の顔だとか、虐められることに快感を覚える美少年にはさっぱりついていけない。三島由紀夫のものとされる「愛の処刑」(美少年の命令で体育教師が切腹する)とか、その性的ファンタジーにはついていけない。 一方、会ってすぐ「二人の男は獣のように」盛る話はニヤつきつついけたのだからまったくぜんぜんダメということではないのであろう。整理するとこういうことだ。男の体を性的対象とみることには問題ない。男同士の行為そのものにもまったく問題ない。しかしそのあいだに提示される妄想にはついていけない。ここに多分そうであろうと思われる結論がある。 私は死に萌えない。なにを唐突なとおっしゃる向きもあるだろうが、男同士の行為を書いたホモ作家の小説のどうも底流に流れていると思われるのは死である。女の生産性を欠いた性行為に没頭するためか、あるいは男色という行為がそも軍隊的な世界に根底を持つせいかはしらない。どんな言葉で飾っても、鬼軍曹のしごきとか、君主の命令に従って二度と帰らぬ旅に上る暗殺者とか、戦友が互いに感じる奇妙な親近感とか、捕虜の受ける拷問とか。そうしたものが紙面から漂ってくるのである。どんなうるわしい美少年のからみでも、なんかそういう気配が透けてくるのである。 たぶん、ホモの萌えるポイントは、そうした透けてみえるところにある。私はだめだ。というわけで私はホモではない。いや性別女だけど。 レズの人々についても考えるべきなのだろうが、寡聞にしてレズ専門誌というものを知らない。方々どうしておられるのだろう。 …ここまで書いてきてインターネット検索したらあった。「カーミラ」。一瞬、カー雑誌かと思ったが、これは吸血鬼カーミラからとったのだろう。しかしカーミラって女を標的にしたっけな? 寡聞にして存じない。 さて、モノホンを取り寄せるには数日かかるということなので、HP上の情報だけざっと見ることにする。…キタ。頭痛が、ええ…読者の体験談なんてものは編集者が勝手にねつ造している場合も多々あるので実際はあてにならないのだが。ましてや創刊2号でそうそうお手紙来るかいな。 えーと、女子中生が女子大生を押し倒すという体験談。モノホン体験記にしてもあるいは女性編集者ねつ造にしても構わない。女が女に抱く性的妄想の一例として考えたら、どうだろうか。まず対象である女子大生の魅力なのだが、ここで薄化粧とか初々しさ、胸の大きさが言及されている。いずれも女性としての性的な魅力であって、これは男性から見るよりはややこまやかではあるものの、視点はそれほど変わらない。次に行為中の淡い抵抗と完遂した際の反応だが、きわめて淡泊だ。男性雑誌であればもうちょっと擬音と喘ぎ声が入るところだろうが、むしろ「可愛らしい」とでも表現される彼女の仕草や言葉に重きを置いている。さて、どういうことだろうか。 女が女の肉体に興奮するというのがそもそものレズの定義だ。恐ろしいほどの巨乳だとか極端に流れがちな男性連の視点に比べると、もっとはるかに繊細な審美眼とアンテナを感じる。後半については実際の行為の「良さ」、反応の如何より相手の性質に重きが置かれているあたりに性的ファンタジーを感じる。しかしこれに関しては体験記を一読しただけなのでなんともいえない。ただしホモの場合と比べるとそれほど強固なものとも思えないので、レズに関しては前半だけでも定義完了と考えてもいいのではないかと思う。 さて翻って、女の体に性的な魅力を感じたことがない。女の体の美というものはわかるが、それに魅了されえない、というのは、やはり私がレズではないということなのだろう。レズの持つあの女体センサーはおしゃれや自己イメージ確立に根を持つ気がするのでちょっとうらやましくもあるが、こっち方面は入り込むと火の粉がかかるのでやめておく。 男女間については言うまでもない。男にとって女の肉体はそもそも「魅力がある」。逆もまたそうだ。遺伝子的にそうなのだからしょうがない。そこにあらわれる性的ファンタジーについては全く異なっている。つまり同床異夢というわけだから、これもまたなんのこっちゃない。男にとっての女は娼婦か聖母であろう。女にとっての男は白馬の騎士か盗賊であろう。いずれもどっちにも立つし濡れる。ではそれだけだ。 男女のことについては何万もの小説があり学術書がある。いまさら私の言うこともない。男にしか性的魅力を感じない女である私としては、いささか残念だ。そして次の点もだ。男女は理解しあえるが、ほんとうに重なり合うことはまずないだろう。少なくとも性的ファンタジーという点において。 - - 2007年09月14日(金) 「パパねえ、浮気していたことあるのよ」 母から打ち明けられてひどく驚いた。なるほど単身赴任ばかり繰り返していた父だ、浮気くらいはしていたことがあるだろう、と、急いで合点はしてみたが、それにしても寝耳に水だったことは変わりがない。 「それ、いつの話?」 「…を妊娠してたとき」 母は弟の名前を挙げた。ざっと23年前。もう時効だろうか。母の目を見ると、別段恨みがましさもなかったから、こっそりと胸をなで下ろした。 「でも、なんでわかったの?」 「いちど戻ってきて、また単身赴任先に出るときに、写真のネガを落としていったのよ。馬鹿でしょう? 現像してみたら、若い女の子と2人で写ってたわ。どう見ても2人きりの旅先でね」 「それで?」 思わず知らず、私の背中に冷や汗が流れた。しかし考えてみれば弟はきちんと生まれ、父も母もまがりなりにまだ夫婦をやっているのだ。破局に至ったはずはない。父が謝ったか、母が許したか… 「電話で問いつめたわよ。どこの誰なのって。でもねえ、パパ、しらを切るのよ。写真があるのに、知らない知らないってね」 「へえ」 「ばかばかしくなって電話切ったわよ。で、そのうち出産は迫るし、あんたたちは小さいし…」 「それっきり?」 まさか、という思いで思わず声を上げた。母は嫌な顔をしてアイスコーヒーの残りの入ったグラスを引き寄せた。 「それっきりね」 夫婦というのはそういうものか、という疑問が私のうちに渦巻いていた。いや、正確にいうとそうではない。私の両親という夫婦とはそういうものだったのか、という疑問だった。慨嘆といってもいい。必ずしも理想的な夫婦の間に生まれたなどという選民意識はなかったが、それでも離ればなれになりつつ互いを裏切らなかった父と母、というものを私がある種、幸いに思っていなかったといえば嘘になるからだ。 しかしこういうふうにもとれないだろうか。父がよしんば浮気を認めたら、母は別れずにはいられなかっただろうし、そうしたら父も母もただ不幸になっただろう。だから父は認めないことで家族を守った、と。もっともそれは、父にあまりに都合良すぎる解釈だが。しかし母もまた父が認めないことを心の底では願っていただろうからそれでいいのかもしれない。 まったく、夫婦というものは、と私は思った。小説で読むようなわけにはいかない。 - - 2007年09月12日(水) 三十路までのカウントダウン〜私この十年どんな世界を生きてきたか〜 やっぱり米同時多発テロだなあ。 それ以前の世界とはまったく違ってしまった。 ボロい下宿の友達の部屋でテレビ見ていた。 ビルに旅客機が突っ込んで、そのうちビルが崩れ落ちた。 なんぜんのひとがそこで死んだことを思った。 そしてこれからどうなるんだろうと。 アフガンの戦争があった。イラク戦争は今も続いている。 わたしはこれらを遠巻きにしていただけだけれど、 同じその時代を生きたことは確かだ。 経済的には失われた十年の終わりの半分で、 就職はそりゃもーみんな厳しかった。 最終的にも決まってなかった子も多くて、 川原のホームレスさん見ながら人ごとじゃなかった。 会社に入ってからは実感なき景気回復はその通り。 国内政治としてはやっぱり小泉の時代を生きたことになるなあ。 それよか前は森で、その前が小渕さん、…だよね。 小渕さんの急死もすごい覚えてる。 田中真紀子とか、ああ、大騒ぎだったなあ。 安倍さんは…こんな短命に終わるとは思わなかった。 あの平壌宣言は凄まじく衝撃的だった。 この国は国民さえ守れないのか、あんな子供までも奪われたのか。 そんなものすごい憤りを感じた。そして同じものが日本中を覆っていた。 国民感情というものを信じた最初の出来事だなあ。 いまだに最後の出来事でもあるけれど。 音楽とか芸術はどうだろう。 こっちはほんとに同時代に生きない人だからなー…。 うただひかる、の衝撃は覚えてる。 なんでそこで息継ぐの?という素朴なレベルだが。 ロストロポーヴィチの死くらいだ、同時代の感慨を覚えたのは。 カラヤンいつ死んだっけ? 思い出したら追加してみよう。 - - 2007年09月11日(火) 三十路までのカウントダウン〜私この十年に何をやったか〜 前半は本読んで、旅して、遊んでた。 国内で九州、北陸、瀬戸内。 国外でスペイン、モロッコ。 なり茶やったり、ゲームやったり。 あ、そういえば小説を一本書き上げた記憶がある。 なんかの懸賞で3次選考まで残ったっけ。 恋愛、は、まァ、2つばかり。 これでもう人生の割り当て分使い切った気がするな。 後半は間違いなく仕事してきた。 24以降の6年間は1年に400日くらい仕事してた。 よく考えると、うん、ヘマな新人だったわ。 ヘマな新人が横浜から宇都宮へ行って、 まあまあな3年生4年生になった。 現在は本社でほぼヘマな新人に逆戻り…。 ほんっといろんな人にお世話かけたなあ。 後輩は2人見て、1人はだめンなった。 それが本当に、残念で残念でならない。 ゲームはドラクエ8くらいしかやってない。 しばらく首まではまってオンライン同人とかガシャポンとかやったなあ。 いろんな人にお世話になったなあ。 小説はいっこも書いていない。 なり茶も長いこと離れてた。ときどき間歇的に出現してたけど…。 一番だいじな人と理由にもならないことで疎遠になってから あんまりーこう、のめりこめていない気がする。気だけか。 さてさて、私友達は少ない方だけど、 高校時代からの友達とも、大学の友人とも、まだつきあいはある。 ネットの知人友人とも、主立った人とはおおむね続いてる。 同人関係ではジャンルの切れ目が縁の切れ目、というケースが多いけど 大学院のときの1人とは今もだいじな友人だ。 会社に入ってからも、だいじなひとは何人もできた。 それは私がいつでも帰れる家のようなもので、 自分でそうした関係を作れたこと、私それだけ誇りたい。 - - 2007年09月10日(月) 忘れていたい事実のひとつに、私もうすぐ三十路というのがある。 あぁあああ、三十まで生きるなんて思いもしなかった。 最初の人生設計ではもうとっくに死んでるはずの年だぞ(ヲイ) いよいよ十日を切ったという事実を前に、 カウントダウンしてみよう。十年に一度のことだ。 そうそう、二十歳のときには私、中近東をうろうろしてきたなあ。 なにかしらしてみる気にはなる年らしいよ。 今年やったことあったこと ・東京への転勤 ・マンション買った(借金しょった) ・ハンガリー行った ・ダイビングの資格とった まだもっといろいろできそうだけど? - - 2007年09月08日(土) 遊び回り@覚え書き ・歌舞伎「壇ノ浦兜軍記 阿古屋」(歌舞伎座) 玉さまこと玉三郎を見に行ってきた。 いやもう、だめだ。やられた。すげー。 小林秀雄なら、美しい女というものはある、女の美などというものはない、 とか言いそうだが、いやそんなものではない。 女形だけが抽出し昇華しうる女の美というものをたっぷり見た。 筋を言うなら、戦に勝った源氏は、平家の公達・平景清の行方を求めて その愛人、遊女の阿古屋が厳しい詮議にかける。 それでもあくまで知らぬ存ぜぬと言い続ける阿古屋に、 秩父庄司重忠は琴と三味線、胡弓を弾くように命じた。 うそをついていれば音や調子が乱れようというもくろみだったが 阿古屋は見事に三曲を弾き終えて、とがめなしとされる…。 見所は、実際に舞台上で三つの楽器を奏でるところなのだが、 いやまったく大したものだったのだが、感動したのはそこではない。 重忠は、演奏のあいまに阿古屋に問う。 「景清とのなれそめは」「戦の後に忍んできたときの様子は」 その問いに応える阿古屋の可愛らしいこと。 出逢いの様子を語りながら思い描いて感に堪えぬふう、 思わぬ再会の喜びを語りつつ舞うその切なさ愛しさ。 慌ただしい別離に朱の手ぬぐい噛みつつ立つその姿のいじらしさ。 女の美は真摯にひとを思いうるところにあると得心した。 ていうか、これやってんのほんとにオッサンだよね!? 楽器が琴、三味線、胡弓ときたのもまったく絶妙だ。 琴は知性に勝り、三味線は情と意、胡弓は真情を歌って余すところない。 日本人の心はこの三つの音色に沿っているのではないかとさえ思えた。 ・「ル・コルビジェ展」(六本木ヒルズ・森美術館) 建築とデザインの巨匠の全貌が見えた。と言っていいのか。 個人的にはユニテ・ダビダシオンという集合住宅がお気に入り。 支柱で建物全体が持ち上げられた構造は、 なんというか縦に育ちすぎたネコバスのようだった。 一緒に行った悪友に「これ絶対動くよ、歩くよ」と力説して失笑を買う。 それからロンシャン教会。 コルビジェにとっての宗教建築はひとつの歌のようだ。 音源から導き出される音を遠くまで伝えるような構造をしている。 まさにこのように。「すべてのひとの聞け」 あるいは最後の日のラッパのように。 あの無数の窓もまた歌のようだ。 あとはまあ、人間工学のはしりのような計測法に感心する。 そしてコンクリートが石のように永続するものならいいのにと思う。 - - 2007年09月05日(水) 奥の院の軒先にからまった木彫りの龍が鳴いている。ごうごうと鳴いている。 「神に遭えば神を殺し仏に遭えば仏を殺せ」と、宗楚のひとりは言った。つまり禅とはそのようなものだ。あらゆる概念の失せたところに実相を見ること。仏を殺さねば仏は見えぬ。仏を知ることはできぬ。座禅とは、砂壁に面して座り続け、そこにあらゆる影を殺してゆく孤独で殺伐とした作業だ。 かれ、若い雲水に過ぎない風月にとって、孤独も殺伐もさしたる困難ではなかった。座り続けるという肉体的な苦痛さえ、なにほどのものでもない。奇妙な逆説であったが、先へ進むことはかれにとってあまりにも当然のことであって、そこに困難があれば落ち着き払って越えゆくだけのことなのだ。むろん手に余ることもあるだろうが、それにしたって時間をかけ、長上に助言を仰げばやがて越えうるものに違いなかった。問題は。 問題はやがて戻らねばならないというところにあった。これより先に進んだときに、戻りうるだろうかと風月はしばしば自問した。戻れねばひとでないものになる。それは進み行く行程のうちに明らかであったから。だから、進むにつれ考え込むことは増えていった。この魔、この神、この仏を殺してよいものだろうかと。そうしても俺は人間に立ち戻るための道標を失うことにはならぬだろうかと。 そして殺しかねているもののひとつがその龍だった。雨に応じて喨々と、風に応じてごうごうと吠える奥の院の龍を、たとえそれが仏や神の幻影にもまして幻影にすぎなくても、その孤独な生き物を幻として腑分けし解剖し葬り去ることはなぜかためらわれた。風月はふ、と息をつき。 ぱしん、と教僧の警策が肩を打った。どうやら迷いは姿勢の乱れにあらわれていたと思われた。風月はその痛みに薄く笑い、そろそろ山を降りるときが来たのを悟った。かれはこれより先には行かない。 - - 2007年09月04日(火) 母親とは熟睡にあっても子を忘れずにいてくれるありがたいものだ。 そういうわけでありがたいんだが、長く一緒にいるものではない。 特にうちの一族のような、頑固で強引にマイウェイな人間だらけなら。 ましてや成人してから10年も好き勝手やってた娘なら。 善意が通らない場合がある、というのをどうしても飲み込んでくれない。 はっきり言って、善意と好意は通らないものなのだ。 相手にその準備ができていない限り。娘といえども、だ。 もっとも思ってもいないところを突っ込んでくれるので 自分自身を客観的に見らえる機会でもあるのだが。 母親がいなければ、いまごろきっと、わたし仙人になってる。 - - 2007年09月02日(日) 蒼惶として公子は立ち上がり、窓辺に向けて数歩歩み、すぐと復り、わたしの方に落ち着かない眼差しを投げた。そのさまは天壇にて雨を呼び諸神を使わしめた巫の王とも見えず痛々しく、見る目を思わず背けさせるものがあった。 「わからぬのだ、予にはわからぬ」 公子は言った。その声さえ没落の気配は深かった。わたしは黙って円座に居て、公子を見ていた。その手は握られて、震えてさえいた。 「扉がひとつひとつ閉じられ、灯火がひとつひとつ消されてゆくようだ。この目が盲いていくようだ。音が失われてゆくようだ。神々の業を伝うる絵板は古代に少しも変わらず、だがその意味が失せてゆく。昨日までわかっていたことがわからなくなってゆくのだ。予は恐ろしい」 最後の言葉は刃物のように中空に閃いた。半ば神のごとき人が恐れている。天地の自在に揺るがす人が恐れているのだ、この目の前で。 「予は恐ろしい。天が閉じてゆく。地が黙してゆく。もはや絵は絵にすぎぬ。神々は死んでゆき、人倫の定めが崩れて行く。いったい何が起ころうとしているのか予にはわからぬ。占いの火ですら語ってはくれぬ」 - - 2007年09月01日(土) 王は微笑して座し、だが傍らに置かれた雪花石膏の花瓶よりも色を失っていた。わたしは玉座へ続く階段をゆっくりと上り始めた。 「汝はここまで来た」 王は言った。その言葉はどこか遠くから響いてくるようだった。 「遠い旅路でございました。また険しくもありました」 わたしは言った。王の青味がかった目がわたしを見た。 「然り、七つの王国と三つの山脈、二つの大河がある。よもや邂逅するとは思わなんだ。然り、そのようなことは望みもせなんだ」 「三年の月日がありました。ですが参りました。ここに、御前に」 わたしは王の前に立ち、落ち着き払って言った。 「参りましょう。そう申したはず、あなたを連れに行くと。最前に」 「さよう、汝は申した」 王もまた間をおかず答えた。だが鋭い葛藤がそのうちにあるのは明白だった。その手は細かに震え、その目は空に向けられていた。 「参りましょうと申し上げまする。世界の果てを超え、世紀の垣根を超えてともにと申し上げまする。されど強いることはできませぬ。行けばあまたの災い、氷雪と炎と鉄の惨禍はわれらの運命のうちに定められましょうゆえ。そしてこの身はあなたをそれらすべてから守るとは申せず、ただお側にあることをのみ約しうるにすぎませぬゆえ」 王は目を閉じた。ガラスの器の中の炎の燃えるよう、王のうちに揺らぐものは目に見えるようだった。永い沈黙のあと、王が再び目を開いたとき、一切の不安なものは跡を絶っていた。王は笑った。明るい笑いであった。 「拒むことはできる。だが拒み得ぬことを予の心は知っている。去ることもできる。だが去り得ぬことを予の心は知っている。予はすでに汝の前に開かれ、汝の手は触れるより先に予の心を得ている。汝の申し出は言われる先に予の心を肯わせている。然り、運命は汝に予の鍵を与えた」 わたしは答えた。 「あなたを愛しているのです」 「然り、それこそが鍵だ。そして予の心は汝の言葉に先立ってこう言っている。予もまた汝を愛していると」 王は答えた。そしてわたしは手をさしのべ、王は取った。 -
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