- 2007年07月30日(月) 遊び回り@覚え書き ・「萬狂言 夏公演」(国立能楽堂) 狂言というものを初めて見た。 わかりやすく面白かった。 と同時に、その動きに興味を引かれた。 ほとんど頭が上下せず、滑るような動きがある。 ニナガワ十二夜を見たときも思ったが、動作は面白い。 女とは女のかたちではない。女の動作なのだ。 女形はその化粧ではなく動作で、かれらを女であると観客に約束する。 小股でほとんど足以外の部位を動かさない歩みがそれだ。 男はそれとは異なるが、超自然もしくは役を終えた退出は別だ。 かれらはその動きからいわば人間くささをはぎとって、 ほとんど超自然のものと化し、存在していないのだと観客に約束する。 それは実際、魔術といっていい。そこには言葉の外の魔術がある。 そしてまた興味深いのはそのシテとワキというきわめて簡素なしつらえだ。 太郎冠者(シテ)は主人(ワキ)に仕えるが、そこにあるのはそれだけだ。 そこにはその関係性しかない。 ヴェローナもなければテーバイもない。 ハムレットもなければオイディプスもハーレクインない。 いかなる現実的な固有名詞もなく、ただ関係性だけがある。 この極めて簡素なしつらえの上になされる物語をどう見るのか。 こういうことができよう。我々は結び目を見るが、ここには糸はない。 実際これは恐るべきことで、私は慄然とした。 同時にその根が神話、名を持たない神々の神話に属することがわかった。 いかなる新作であってもそうだ、そこでは神話にならざるをえない。 なぜなら関係性とはそれ自体が呪詛であり恩寵であり祝詞だからだ。 そこにそれしかない以上、なにをのせてもそれとなるのは自明の理。 神々はかれらのための新しい物語を求め、いかにも言祝ぐだろう。 ・「インカ・マヤ・アステカ展」(国立科学博物館) すばらしかった。 もっとゆっくり見たいので、また行くことにする。 感想はそのうち。 - - 2007年07月25日(水) 厚みのある体を背後から抱きしめる。うなじの辺りに顔をこすりつけ、短く刈られた浅い襟足に鼻をうずめて息を吸う。汗のにおいに混じって、寒い冬の朝を思わせるそれが鼻腔に満ちた。この男のにおいだと、かれはいつものように思う。薄い体臭を強い固い真っ黒な髪の奥から吸い込むときだけ、かれは確信できるのだ。この男のこんなにおいを知っているのは俺だけだ、だからこれは俺だけのものなのだと。 もっともかれは盗みとったようなそうした満足が、後ろ暗さの裏返しにすぎないことを知っている。そもそもこうした「関係」(かれはこの言葉が嫌いだ、憎んでさえいるといっていい)が根本的には男の同意を欠いており、いまこうしてことを終えて背後から抱きしめている間でさえ、のぞきこめば男の眼差しは無表情に壁に投げられている。そこには諦めに似た辛抱強さこそあれ、愛情や余韻といったものは少しも見あたらない。 かれは目を閉じる。それはまったく比喩的にもその通りだ。だがあえて苦痛を求める心はかれにはなかった。もっともくっきりとした太い眉、切れ長の双眸、やや厚みのある唇といった男の横顔が見えなくなることはいささか残念ではあったのだが。かれは腕の中の体を感じることだけに集中する。かれ自身の少年めいた細さを残した体つきとはほど遠い、大人の男の躯だ。厚みのある胸板、がっしりした腕と足、均整のとれた腰と余分な肉などないが絞られすぎてもいない腹。それから。 かれは唇を舐めて、両手を男の上に這わせ始めた。終わったものと思っていたのか、意表をつかれたように男がわずかに身じろぎする気配が伝わってきた。肩と胸を強く撫で、脇腹を下りて、緩く足を投げ出す腿を伝う。手指の下で固い筋肉がわずかに収縮したのに笑って、男の陰茎をつかんだ。萎えている。は、と息を吹きかけるように笑って、上下に扱き始めた。とたんに身じろぎの気配は腕の中に鮮やかで、かれは男の肩胛骨の上のあたりに軽く歯を立ててねっとりと舐め上げた。もう一度、男を抱こうとかれは思った。今度は犬のように這わせて後ろから犯そうか、それとも。 「ねえ」 かれは男の耳に囁いた。 「甥に抱かれるって、どんな気分がするものなの?」 かえってきたのは答えにならないようなかすかなうなりだった。そこでかれは、男自身に足を広げさせて、顔を見ながら突く方がいいと結論づけた。 あられもなく。 - - 2007年07月24日(火) どうもマンション買うことになりそうだ…面倒な。 ものを持つのが嫌いで借金が嫌いな私がなあ。 うまく親の陰謀にのせられたような気がしないでもない。 この先十年も生きていなければ「ならない」なんて、 いったいどんな気分がするものだろう。見当も付かない。 まあ、いつまでもこうだから心配されているんだろうけど。 これでもまっとうに働いてるんだけどなあ…。 水底にあなたは沈み、輪にした呼吸を吐いた。 それは次第次第に広がりながらとのぼってゆき、 銀色の輝きは水面の手前で砕けた。音もなく。 - - 2007年07月20日(金) 金の髪した若い王は黙したまま玉座に座している。対峙するのは黒髪の武将だ。戦場が磨き上げた屈強な背と肩を持っている。 「言わぬ」 2人ぎりいないがらんとした夜の広間に王の言葉が落ちた。豪奢な背もたれに預けた王の背には疲労があり、眉のあたりには憂いが漂っていた。 「言わぬ」王は重ねて言い、続けた。「言うてもせんなきことゆえ」 「申しませぬ」少しの沈黙のあとで武将が答えた。武将は立っており、片手を剣の柄に気楽に置いていた。「申してもせんなきことゆえに」 「見よ」王が言った。「予は城ぞ。これより堅固な城もあるまい。予はこの城のうちに住む。この城こそは穿ちえぬ。この城こそは破りえぬ」 「さよう」武将は答えた。そして手を伸ばし、王の手をとった。王の手をとり、引き寄せてその指先に口づけした。口づけして言った。 「この城こそは破り得ませぬ。しかるがゆえ内に住むものは出ることかないませぬ。しあれば囚われ人も同然、刑期のない虜囚も同然」 その瞬間、ふたつの目の光はわずかに出逢った。一対の鋼の刃のかっつと音たてて出合い、しなりつつかすかに軋むよう。 「この血の流れを聞け」王は言った。「高貴の骨より生じ、世々に王家に継ぎ継がれてまいった血ぞ。いかにもおろそかにはできぬ」 「さよう」武将は言った。「まことに尊き流れ。注ぐべき海を持たぬ砂漠の川さながら高みの極み、またそのごとき貧しさの極み」 (ねむ) - - 2007年07月19日(木) 片恋の物語が好きだ。 ひとつには恋には片恋よりほかないと思うからで、 もうひとつにはどんな恋もつきつめれば片恋だと思うからだ。 さらにいえば恋とは感情の論理にほかならない。 一途や嫉妬や浮気や移り気は、なんのことはない、感情の論理なのだ。 理性にきくからそれがおかしく愚かしく思われるだけで、 感情の理屈に照らせばすこしもおかしくなどない。 それで私は思う。つきつめて思案してみようかと。 物語はわたしの思案の途中のかたちだ。 さて、もうすこし考えてみよう。 - - 2007年07月18日(水) 遊び回り@覚え書き ・アイリッシュダンス&ミュージック「ラグース」 国際フォーラムにて。 ・歌舞伎?「NINAGAWA十二夜」 歌舞伎座にて。 - - 2007年07月17日(火) 王は黙っていた。王の沈黙は狼のそれであった。砂漠はその右手にまた左手に渦を巻き、天を突く砂丘の群れはどうどうと東風に崩れていった。押し黙り続ける王に代わってその国土こそが狂おしくのたうち、身もだえし、吠えねばならぬとでもいうようであった。 砂漠の黒い木、王の旗印たる黒い旗はたなびき、翻った。王はわずかに頭を傾げて眼差しを彼方になげうち、茫漠たる砂漠はその視線を黙って受け止めた。しかしながら王は知ってもいた。煙る地平線の彼方には蝗のごとき大軍が潜み、いまこの瞬間にも征服と略奪を槍の穂先にかざして歩み来たりつつある。 - - 2007年07月16日(月) 王はすすけた神殿の回廊のさなかに立っている。落城の町を包むあらゆる悲鳴と騒音はそこから遠い。だが祭壇の周囲に散らばりあるいは積み重ねられた死体から流れ出した血はその軍靴を踝までもひたし、人と家とを焼く煙は高い天窓から射し入る朝のうす青い光を薄く煙らせている。王は黄金作りの剣を支えに立ち、至聖所を無表情に眺め渡した。青ざめた頬にはいくばくか返り血が名残をとどめている。 王はその薄青い目でもって、四肢を死苦に突っ張らせた若い女の死骸を一瞥し、次いで針鼠のように全身に矢を受けて絶命した兵士に視線を移した。次には萎んだ腹から腸をあふれさせた老人を、さらに首を落とされた男を。 王は長い間、押し黙ったまま、そのようにして順繰りに死骸の上に視線をさまよわせていたがふいに頭を掲げて円柱のはざまに呼びかけた。 「おまえの崇める神々はどこにいる? おまえの愛する町がいまどのようになっているかを見よ。家々が焼かれ、老いも若きもことごとく殺戮されるさまを見よ。神々も私を止めることはできなかった」 声は血だまりの上を渡って、ほのぐらい隅々にまで響いた。語るうちに王の頬には血の気が戻り、その目は隠しようもなく狂気を帯びて光った。 「どこにいる、おまえの神々はどこにいる? おまえが私を措いて選んだ神々はどこにいる? 見よ、わたしはおまえの聖なる家をおまえの民の血で満たした。いまもなおその血は流されている。おもてに出て、母の胸から奪われた幼子が、私の紋章を押した丸盾で押しつぶされる様を見るがいい。男を知らなかった若い娘たちが十人の兵士に犯され、しまいに剣で貫かれるのを見るがいい。家々が灯心草のように燃えて早暁を照らすのを見るがいい。すべてはおまえがあの日に口にした、たった一度の否のためだ」 王は渇いた唇を舐めて、血だまりを引きながら前へ進み、やがてひたりと足を止めた。丸い巨大な柱のひとつの陰に、人影を見てとったため。 「そこにいる、そこにおまえはいるのだな? 私を憎んでいるか? いかなおまえといえど私を憎んだだろうな? それとも恐れているのか? かつては拒んだ俺の愛にすがって命乞いをしようと考えているのか? 無駄なことだ。なにもかも無駄なことだ。あのときの一つの否を取り消すすべはどこにもない。誰にもない。おまえにも、私にも」 王は剣ゆっくりと握りしめ、だが進みあぐねたように立っている。苦悩と狂気はその面に激しく明滅した。どこか遠くで断末魔が上がった。 「私もおまえももはや無力だ。あの否はどのようにしても取り返しがつかぬ。世界のすべての血をもってしても洗い流せはせぬ。私はもはやおまえを愛しているのか憎んでいるのかさえ定かでない。この狂気の駆り立てるところにただ赴くだけだ。それが世界の果てであろうと行かねばならぬ。おまえの死に行き着き私の死に行き着こうとも行かねばならぬ。よかろう、認めるぞ。私は狂っている。あのひとつの否が狂わせたのだ。火矢がわら屋根を打ち抜くように、狼の牙が鹿の腸を貫くように、私に突き刺さったのだ。そして逆刃の矢のように抜くこともできず、その毒は私の全身に回ってしまった。そしてあらゆる価値あるものを腐らせた。誇りや慈悲、寛容がまずもって死に、次いで正義と憐れみが死んだ。残っているのは狂気だけだ」 王は血を踏んで重い足取りを運んだ。一歩、二歩、そして振り返る。円柱の影に立っていたのは青ざめた女王だ。その目は見開かれてはいるがわずかも動かず、頬は青白く生きているものとも思われぬ。なにより胸に突き立った黒鷺の羽持つ矢。王は声もなく狂おしく目を輝かせた。毒蛇の毒にも似た苦しみがその全身を駆けめぐっているのは明らかだった。だがややあって、再び口が開かれたとき、その言葉は静かだった。 「おまえは死んだ、よかろう。もはや否ということもない。そうだ、おまえは死んだ。だというのに私の苦しみは少しも去らぬ。わかっていたのだ、おまえによって始まったのに、おまえによっても終わらぬ。それでは行きうるところまでゆくほかないではないか。よかろう、よかろう。世界を滅ぼしてやる。あらゆる美と財宝を葬り焼き捨てておまえの墓の上に投げ出してやる。世界をして瞠目させよう。一人の女のためにかつて捧げられたことのないほどに多くの供物を捧げてやろう。しまいに私自身を供物としてやろう」 王はきびすを返した。死せる女王、うち捨てられた美、触れることのかなわなんだ宝石を再び顧みることはなかった。 - - 2007年07月15日(日) グールドが歌っている。雨だれのように歌っている。 風雨の向こうで。渦を巻く雲の塔のてっぺんで。 そうだ、かれのチッカリングが壊れてしまったので、 かれはやむなくも天の上のほうにまで行かねばならなかった。 そしていまは歌っている。グールドは機嫌良く歌っている。 - - 2007年07月14日(土) 牙をくれ、どうか誰か牙をくれ。 岩を噛む波頭のような牙をくれ。 絶え間なく石を打って穿つ雨だれのような牙をくれ。 天空の彼方より地を焼く陽光のような牙をくれ。 静寂に落ちるひとつのセロの音色のような牙をくれ。 牙をくれ、誰かわたしに牙をくれ。 憧れに燃えるこどもの視線のような牙をくれ。 鈍く光る三日月のような牙をくれ。 芽吹くことなく枯れる種の慚愧のような牙をくれ。 夕暮れにかかるひとつ星のような牙をくれ。 この皮と肉と骨を切り裂き貫いて深く埋もった秘密を 血と汚物にまみれたはらわたごと陽のもとに引きずり出すための牙をくれ。 牙をくれ、どうか誰か牙をくれ。このわたしに。 - - 2007年07月13日(金) 遊び回り@覚え書き ・「報道写真展2007」(700円) 東京都写真美術館にて。 この展覧会は、毎年行われている。 前年の世界中の報道写真をよりすぐったもので、 世界をじゅんぐりに回って行く。 まあそういうわけで戦争とか事件とかが多いわけだ。 ちょっと生ぬるいかなー。 というのは前回行ったのが同時多発テロのあった翌年だったから。 しかし相変わらず世界はえらいことになっとんなあ。 アフガン、イラク、ベイルート空爆あたりがメジャー。 もっとクライム系の写真があってもいいと思うんだが。 えーと、ポートレート集はサッカー選手4人で、それぞれ試合直後。 勝ったときと負けたときって絶対、こいつら違う人だ。 死はありふれている、人権は幻想にすぎない。 そんなのはそもそもの昔からそうだ、というのをいつも思う。 ・「メソポタミアの遺丘」 東大博物館、無料。 展示品はまあ、普通に考古学の展覧会なのだが、 よそと違うのは、東大が実際に代々発掘にたずさわってきた丘を かれらの手で展示したというところだ。 やはり違う。 とりあえず冒頭、初代の教授が遺跡を臨んで詠んだ詩がある。 「科学の魔杖をもって現世に鳴動せしめん」…郵送だな、ちがう勇壮だな。 ひとつひとつの破片への思い入れ、愛情さえ感じられる展示だった。 そういう場合にありがちないくつかの瑕瑾はあったとはいえ、うん。 ・「金刀比羅宮書院の美」「歌川広重の江戸100景のすべて」 いずれも東京芸大美術館。 渋いがいい展示をするのが芸大だ。 書院のほうは円山応挙、若沖、岸タイ。 いいね、なにがいいって、虎が猫くさいね(笑) 写実というものにはある種のいやらしさがあるのだが、 それは妙なふうに転ぶとある種のユーモアに化ける。 本人は不本意な感じにわたしはこの虎好きだ。 若沖も嫌いではないが、昨今のブームはどうかと思う。 この展覧会では花で埋め尽くした一部屋が際限されていた。 一輪の花の美を止めるをもってして一生の宿命としたとでもいうような、 ある種の迫ってくる美がある。でもなんか足りないんだよな、このひと。 岸タイははじめて見た。 群蝶図はいいな。欄間の緊迫を無数の蝶が渡っていく。 こんなめくらむような美もそうはない。 そしてあの涼しい柳のそのに迷い込んだことを思わせるような部屋。 時間がなくて広重はおざなりだった。 だがあの構成。こぞってフランスの画家が真似た理由はよくわかる。 - - 2007年07月12日(木) 古い埃だらけの人形を引っ張り出すように、かれを呼んでこよう。 ともかくわたしは語らねばならないのだ、かれには気の毒だが。 六弦琴は象牙の撥に弾かれて、六種の声に歌った。ひとつは紅玉、ひとの血のように赤く不透明な円形で、ひと跳ねするとあとはまっすぐに暗がりへと転がり落ちていく。またひとつは黄玉、そのあいかたは古酒の色した琥珀。これらはたなごころをめぐるようしばし余韻を残していった。それから澄んだ水晶、迷宮さながら幾重にも縞の入り組んだ赤瑪瑙、不壊の金剛石。これはいつまでも人の耳と心に残るものだった、とりわけ最後のそれは。 殷々と澄んで、高く、清く、空にというよりひとの心に響き渡る。そして長く響いている。アル・シムーンは愉悦のあまり声もなく笑った。 - - 2007年07月11日(水) 最近思うのだが、仮託すべき登場人物や物語がないことは不便である。 べつに二次創作ややおいに限らない。 古代ギリシアの神々や聖書における人々が いつの時代であっても引き合いにだされる理由がわかる。 それらはいわば我々の手になじんだ思考の道具なのだ。 - - 2007年07月08日(日) 遊び回り@覚え書き しばらくさぼっていたので列挙。 ・チェッコ・ボナノッティ展 イタリア文化会館、終了。 ・山種美術館名品展(800円) 同美術館。 ・朝倉彫塑館(500円) 千駄木駅近く。猫! ・三鷹の森ジブリ美術館(1000円) ・モーリス・ユトリロ展(800円) 三鷹市民ギャラリー、終了。 ユトリロ、このアルコール中毒者、母の崇拝者。 かれの絵は、人がいてもいないようだ。 街路はすべて無人なのだ、たとえパリのモンマルトルであっても。 そしてその実、それはひとつの生き物でもある。 アビバ広場といっただろうか、あの絵は。 すべての窓と壁の隙間から血が噴き出していた。 そうとも、すべての絵が彼の薄い皮膚だ。 わずかにパレットナイフが触れればたちまち切れて裂ける。 ・映画「ゾディアック」 新宿・コマ劇場周辺。 起きたこと、取り返しの付かないこと、にもかかわらず過去であるもの。 鈍い刃物で切りつけたようなひとつの事象について考えて欲しい。 それは手放しもならず、忘れることもならず、すでに死んでいて、 にもかかわらずそれはそれを知るものにそれを生きることを強いる。 恐るべき物語だ。現実と同じほど。 ・映画「100万ドルのホームランボール」 渋谷。 ・アメリカンフットボールW杯、オープニングゲーム(?) 川崎、等々力スタジアム。 尋ねてみよう。 なにゆえわたしはわたしの今日の生を許すのかと。 なにゆえわたしはわたしの明日の生を許すのかと。 答えが必要だ、でなくばこの問いはいつか牙を剥いてわたしを殺す。 後輩が死んだ。 その死のうえに立って黒い影が問いかけてくる。 わたしは彼女より長く生きることをわたしに許せるなにかを持っているか。 漫然と生きることはわたしの仕事ではない。 答えが必要だ、でなくばこの問いは明日にも牙を剥いてわたしを殺す。 - - 2007年07月06日(金) とから列島とか行きたいんですけど。 まれびと信仰のある島々を歩きたい。泳ぎたい。 近場なら伊豆だが、あああああ…。 一週間、休みが欲しい。バカになる自信はある。 - - 2007年07月05日(木) どうやら書くべきほどのなにもない。 - - 2007年07月04日(水) http://www.alpha-net.ne.jp/users2/swesbroj/paper.html これまで撮りためたうちから何枚か、 壁紙としても使えそうなものを拾ってみた。 もしご希望であれば、どうぞお持ち帰り下さい。 二次加工そのほか、自由。クレジット不要、届け出不要です。 フリー素材だとでも思って下さい。 - - 2007年07月03日(火) 日記デザイン変更をするつもりでいじったら。 …ごめん、タグをすっかり忘れたよ。 通っている銭湯の女湯に出入りする人々の平均年齢はそれほど高くない。 高くないが二分されている。 簡単に言うと、大学生か老婆か。 私はここでこれまでの人生で見た百倍くらいの女の裸を見ているが、 面白いもんである。体というのはじつに面白い。 老いとはなにか、若さとはなにか、 健やかとはなにか、病むとはどういうことか。 たしかにそれはまずもって肉体なのだ。 わたしはこれまで孤立していたいくつかの概念を 移り変わるスペクトルとして捕らえなおした。 たとえばに片方の乳房のない老婆がいる。 乳癌だろうか、切り取られた乳房のあとは平坦で、 隣のしなびたそれとは対照的にわずかに白い。 これほど明瞭な病の痕跡を見たのは実際初めてのことだ。 まだ十代とおぼしい若い女がいる。 みずみずしい肌は赤くほてり、髪は濡れて張り付く。 肥厚した臀部はいかにも柔らかそうだ。 充溢と若さ、その背の厚みのある産毛。 傷。欠如。蛍光灯の白い光の中で、人間はむしろ怪物に近いと思う。 そしてその怪物のひとつであることにこのうえない喜びを感じる。 -
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