- 2007年06月30日(土) 遊び回り@覚え書き ・アンリ・カルティエ・ブレッソン展(1800円) 国立近代美術館で開催中。 二十世紀を撮ったフランス人の写真家。 はじめ絵画を志し、のちに写真に転向した。 じつのところかれについてはほとんど何も知らずに行った。 最初は報道写真と思ってみていったのだが、そういうわけでもないようだ。 と、気づいたのは中盤の「風景」セクションでだろうか。 もっとも第二次世界大戦直後のダッハウ収容所における「つるし上げ」の 一連の写真や、南京・上海における混乱の様子は報道写真として一級だ。 しかし影と光の美しさ、一瞬というものに対する思想は芸術家のそれだ。 かれが最期に絵に戻っていったということは、実によく分かる。 かれの「決定的瞬間」とは報道のそれとはまた異なる意味合いだ。 いや、本質としてということだが。 もっとも多くの時間、わたしを引き留めたのはギリシアの写真で、 それは坂の向こう、ひとりの少女がまさに階段を駆け上がって 曲がりくねった路地の向こうに姿を消そうとする一瞬だった。 写真は、写真というものは、そこに芸術を盛り込もうとするなら、 現実と偶然に仮託して、自らの思想と理想と感情を語るものである。 それはいわば遭遇だ。 外的事象に遭遇せねばむろん、撮れない。 だがしかし、それを撮る準備が、あらゆる準備ができてなければ撮れない。 しかもそれは一瞬のうちに決断され捕らえられ、あるいは逃される。 あれは、あの写真は、確かにかれの真髄を語っていた。 だがその遭遇をこえて語ろうとするなら、筆がいるだろう。 さて、しかし純粋に面白かったのは肖像写真だった。 二十世紀の特権とは、肖像写真に残されうるということにある。 キリストの写真が残っていれば、ムハンマドの写真が残されていれば 歴史は変わっていた。なぜならかれらが人間に過ぎないことがわかるから。 しかもいかなる人間かがわかるから。 まあ、それはさておき、肖像写真は「やらせ」である。 「そこに座ってください」「こちらを見て」「そう、首をまっすぐ」 「自由にしてください」「カメラを気にしないで」「自然に」 それとも一日行動をともにしてスナップふうに撮るのか。 いずれにせよ、カメラはなにを映そうとしているのか、というのは 写真家を除いては考察しえない問いだ。 マティス、カポーティ、それからピカソ。 報道が描こうとする硬質な、客観的な、ぶしつけな絵柄ではない。 対話のようなポートレイト、対話の中にあらわれてくるひと。 かれでなければ撮れなかった写真だ。これは絶賛だ。 だがそこで問わねばならない。 撮られた人々は、画面からこちらを向いている人々は、 誰(友人、家族、それとも他人?)に向ける顔をしてそこにいるのかと。 そしてまた、それは、かれらの本質だろうかと。 友人としてのスナップなら、肖像などと銘打つべきでない。 マティス、カポーティ、ピカソの肖像写真が好きだ。 - - 2007年06月26日(火) 恐山への旅、前日の項から続く。 恐山菩提寺 下北半島では、「ひとは死ねばお山に行く」という。 つづら折りの山道から湖岸に出た瞬間に、彼岸に迷い込んだように思った。 流れ込む強酸の水でウグイなどごく少数の生き物しか許さない宇曽利湖は 薄青く明るく澄んで、青黒い山々は重々しく四方を閉ざしている。 風雪に苦しみ凶作に苦しんだ人々が死後に得たいと願ったのはこれか。 この静寂と平和か。 湖岸の道を走り、恐山菩提寺へ。 あまり知られていないが、ここは円仁大師の開基による曹洞宗の寺である。 よくいわれる口寄せのイタコは普段は寺にはいない。 祭りの際に津軽半島あたりから集うのだ。 そして祭りもないこの日、夕刻ということもあって境内には誰もいない。 鎌倉・室町を思わせる無彩色の総門をくぐると、白い石畳の道。 灰色の瓦と黒ずんだ灰色の門や堂。 おともなく人影もなく、夕暮れは落ちて、 ただ、たたずむ地蔵の足元には色鮮やかな風車がカラカラと回る。 宿坊に荷物を置いて、本尊の延命地蔵に参る。 夕食がせまっていたのでこの日はここまで。 坊の温泉で湯口に近づいたら、硫黄の蒸気を吸ってうっかり死にかける。 息ができない。ぜ、ぜんそくってこんな感じなんだ…。 翌日、未明。 地蔵堂の脇の道から「地獄」へ向かう。 有毒な硫黄の蒸気が立ちこめる、尖った岩場の無間地獄。 こうした風景の中を歩いたことがあるような気がする。 夢の中で。それとも想念のうちに。 積まれた石の並ぶ賽の河原。 亡き子を思って石を積んでも、やがては崩れる。 それでも積まねばならぬのか。それがひとか。ひとの業か。 赤色の濃い血の池地獄。 その恐ろしい色の水面に中央に鎮座まします地蔵の影が映っていた。 慈悲を。どうか慈悲。この世の苦が尽きないなら、せめて慈悲を。 ところどころ、奇形の花のように、挿された風車が回る。 石のひとつひとつがここでは祈りだ。その間に小さな地蔵が蹲る。 地獄を抜ければ宇曽利湖畔の白砂の浄土の浜。 一列に手向けられた花は誰のためのものか。 奇景よりも自然の美よりもそこに地獄と極楽を見た人の心を思う。 振り返れば夜が明けるところだった。 朝食を頂いてから、山を出る。 ヒバの大森林を縫う林道を経て本州最北端、大間崎へ。 途中で霧にあう。案の定、行き着く頃には寒いはなんも見えへんわ。 諦めて南下し佐井村へ。着く頃には日が照っている。変わりやすい天気だ。 ここで観光船に乗り、奇岩で知られる仏ケ浦へ。 真昼。海上にそそり立つ岩々はやはりこの世の外のようだ。 誤算。停泊時間が20分しかない。 ロクに写真とらんうちに出航。ギャア。 仕方がないので陸から再訪することにして、とりあえず港で昼食。 一服してから出発。途中で願掛け岩に立ち寄る。 なんと、おりられるではないか!…おりる。 この岩場は方形の柱をたばねてねじ曲げたりブチ割ったりしたような そんな景色からなっている。上りやすくて助かる。 と同時にこれだけの石の柱を飴のように扱う大地の力に感嘆する。 どんな手だろう。どんな。 しかもその手は、この可憐な百合をも形作った。 スカシユリはそのてのひらをひろげて真昼の陽光を受けている。 群れて揺れる花々。 ここはどこだ。楽園か。なるほどこの世のようではない。 岩の上に腰掛けてしばし休む。真昼の日差しが射すようで心地いい。 私は夏に属する。 のんびりしてたら日が傾きだした。 あわてて車に戻る。アヂー…ぃ。 仏ケ浦に戻るとすでに夕刻。 つーか駐車場からの途中の降り道が厳しいんですけど。 仏ケ浦 傾ぎつつある太陽の日差しの赤みを帯びた光の美しさ。 瓢箪から駒? これは声か。では誰の声だ。遠く彼方から響く。 孤独な声だ。どこまでも透き通って、鋭く、しかもこだましない。 わたしは聞こうと耳を澄ませるが、その声は私の耳を打たない。 潮騒だ。潮騒ばかりだ。 肩を寄せ合い、巨人たちは無限に囁き続ける。 そうこうするうちにはや日暮れだ。一日のなんと短いことだろう。 真っ暗になる前にと駐車場に向かう。 赤光が背中から射して、木の間を縫って落ちていた。 あれは誰の言葉だったのか。引き留めるように。だが振り返っても何もなく。 道の途中で北限のサルに遭遇しつつ脇野沢へ。 脇野沢で一泊し、未明に青森方面へ。 午前中に三内丸山遺跡に立ち寄る。 海がすぐそばにあった縄文の1500年間、そこは都だった。 それから4000年ほど忘れられた。そしていまあらわれている。 人の歴史は降り積み、苦は絶えず、ただ生きて連なってきたのだと思う。 復元家屋、土偶土器など見て回り、空港へ。 正午過ぎの飛行機で羽田へ向かう。 以上。 - - 2007年06月25日(月) 遊び回り@覚え書き というわけで、日本三霊場のひとつ、恐山まで行ってきた。 以下、記録。 例によって早朝に下宿を出て、羽田へ。 7時25分の飛行機で青森空港へ。空港からバスで青森駅へ9時半着。 縄文最大の遺跡・三内丸山へ行こうとするとバス出たところという。 次善の策で朝食後、市街地の棟方志功記念館へ。約1キロを歩いていく。 棟方志功記念館(500円) 「わだばゴッホになる」−。 青森の産んだ世界的な版画家(彼流にいうならば板画家)、棟方志功。 その作品を集めた記念館だが「30点ほどをゆっくり見られる空間を」 という本人の希望で展示室はわずか2つ。規模は小さい。 春の展示と銘打って草花画が特集されていた。 常設展示には代表作「釈迦十大弟子」「神鷹鷹々図屏風」など。 「柵というのは四国の巡礼が寺々を巡られるとき、首に下げる、 寺々へおさめる廻り札、あの意味なのです。 この札は、自分の願いと信念をその寺に納めていくという意味で 下げるものですが、わたくしの願所に一ツ一ツ願掛けの印札を 納めていくということ、それがこの柵の本心なのです。 たいてい私の板画の題には柵というのがついていますけれど そういう意味なのです。一柵ずつ、一生の間、生涯の道標を一ツずつ そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく、柵を打っていく。 そういうことで柵というのを使っているのです。 この柵はどこまでも、どこまでもつづいていくことでしょう。 際々無限に」 見るのは初めてではないが、全面に押し寄せるような、 軽やかでしかも圧倒的な力感に、かれがゴッホを名指した理由を思う。 なにか巨大な力があって、それがかれを通して表出している。 「近くに飛行船が落ちたというので、それっといって見に行ったのです。 ところが途中で何の拍子か転びましてね。 それで、ふと顔を上げると、目の前に花が咲いているのです。 白い小さな花でした。美しかったなあ。 この美しさを我がものにせずばおくものか、 止めずにはおくものか、まあそう思いました。それには画家だろうと」 一輪の花がかれを捕らえ、かれはその花の美を捕らえることにした。 なんとシンプルで、しかも力強い。 「あまり写生を、わたくしは他人のモノにも、 自分のモノも信じておりません。 立派なモノをあらためて、生ませるから『絵』であるからと存じます」 「鯉を描くのではなく、絵の鯉を成さねば、ならぬというところに 化物が現れて来るので」 当人のこれらの言葉のほか、何をか言うべき。 たしかにそこには化物がいたし、それは考え込むに値した。 正午の列車に乗って、本州最北端の駅、下北駅に向かう。 車中ではほぼ爆睡。ときおり窓の外に海が光っていたのを覚えている。 下北駅でレンタカーを受け取り、尻屋崎へ向かう。 下北半島ではよく「まさかりに例えると〜にあたる」という言い方で 位置を示すが、そういう言い方をするならまさかりの柄の先にあたる岬だ。 尻屋崎 寒中を立ちつくす放牧の馬たち、「寒立馬」で有名だ。 車をとめて270度の海を眺め、振り返るといるいる。 今年の春に生まれたばかりの子馬を連れた群れが草をはんでいる。 ユリ科の黄色い花、ゼンテイカが青草に点々と咲く様子は美しい。 海を背にした馬群というのは、なにか郷愁を誘う風景だ。 余談であるが子馬に噛まれた。 ペンギンとカンガルーに噛まれたこともある。 …なんか味がするのか? さて、しかし尻屋崎はオマケなのだった。 こっち方面の目的地は尻屋崎よりやや南下した森の中。 ヒバの埋没林 千年ほどまえに埋没し立ち枯れたヒバ林が地表にあらわれている一帯だ。 なぜ埋没したのか、なぜあらわれたのかは解明されていない。 一説では太平洋から打ち寄せる大量の砂に飲まれたのではないかという。 実際、自衛隊の射撃場になっているためあまり知られないが 下北半島東岸には鳥取砂丘に匹敵する巨大な砂丘が延々とうねっているのだ。 このあたりに猿がいないにも関わらず「猿ケ森」というのは、 「森が去る」という意味ではないかとされている。 千年の枯木からは若い桜がひこばえし、緑の森は初夏にある。 灰色の死にまつわるツタアジサイが瑞々しく花咲く。 足元は白砂。ああもっとゆっくりしたかった…が時間はせまる。 白のヴィッツでとって返し、一路、恐山へ。 次日の項に続く。 - - 2007年06月19日(火) 遊び回り@覚え書き ・映画「300」 おお、マッチョだらけ!(嬉々) 映画としてなら、すばらしいカメラワークと独特の雰囲気を挙げたい。 特にあのスローモーションの使い方は素晴らしい。 七人抜きだか十人抜きだかのシーンがあるのだが、 流れる時間は一定ではない。力感を伝えるということに焦点をあてた 数種類のスローモーションでまさに動きを見せている。 巨大な重い盾をはねあげる確かで様式的な強靱さ、 長い鋭い槍を突き出す一瞬の凄まじいまでの衝撃、 革の鞘から剣を抜きはなってなで切りする流れるような一連の所作。 こんな映像はもう、見ほれるほかない。 しかしながら、この「300人隊」について歴史上の挿話としてしか 意識していなかった私にとって、引っかかったのはやはりそれ自体だった。 「きちがい沙汰? それがスパルタだ」 物語が始まって間もなく、レオニダスはそう叫んでペルシアの使者を 深い巨大な井戸にけり込む。当時はまだジュネーブ条約はないが 使者に対する手出しはこれはもう、当然ながら御法度だった。 いかなる理由においても、これはきちがい沙汰だ。 それと同様に、不具、不健康で生まれた嬰児を殺害し 当時の概念でもって完全でなければ国民とはしなかったかれらの国も 私にいわせればその「超」完全さはきちがい沙汰だ。 それは合理性と肉体的健全さ、家族との愛情に富みながら 自らと国土を危険にさらすレオニダスに至って狂気ときわまる。 およそ人権などというものを私は信じていないが、 そしてまたスパルタの歴史的状況においてはそうした政治制度は きわめて合理的であったとすら思量するものだが、 だがきちがい沙汰ということはこれまたったく疑う余地もない。 こうした背景において、退けられた「不具」であるせむし男が 超健全の代表格みたいなレオニダスとその300人隊を裏切り クセルクセス王を裏道に導いて破滅をもたらした、という この筋書きにはある種の愉悦をさえ感じる。 またそのように見るなら、そこで初めて 映画のなかでペルシア軍が不気味なフリーク連中の集合体として 描かれていることが納得できるのである。 300人とレオニダスが凝集された健全さのきわまった狂気であるなら、 敵対するものたちは、せむし男にしろイっちゃってるクセルクセスにしろ なるほどそこから追放された無秩序と混沌でなければならない。 ここにおいて私はエントロピーの比喩をみる。 局所的なエントロピーの向上は、より広い意味での降下をもたらす。 そして無理にもつくられた秩序はいずれは滅びる。 だからレオニダスと300人の敗北と死は必然なのである。 300人の戦いとは、退けられた混沌と無秩序の狂気に対する 合理性と秩序のきわまった狂気の戦いであろう。 だからこそ残されるべきは武勇でなく死でなく、記憶だけなのだ。 ここにおいてせむしはやはり勝利したと思わざるをえない。 300人隊の戦いのことを思うにつけ、かれの名もまた思い出される。 ウェンハム扮する生き残った兵士のいう「神秘主義と専制主義」に対する 挑戦と勝利など、これに比べればまったく意味などないのである。 それとはまったく別に、王妃のその後について妄想した。 ネタバレだが、彼女は出陣前のレオニダスと寝るし(あたりまえだ) 裏切りものの議員セロンとも、かれの支援をとりつけるため寝る。 彼女がのちに妊娠していたら、どちらを子の父と思うだろう? セロンの子を産むことを彼女が肯うとは思えない。 だがレオニダスの子であるかもしれない赤子を殺せるとも思えない。 腹の子に対する王妃の動揺と困惑と苦しみは その子の生育にともなって育ち、彼女の胸をふたぐだろう。 またその子は、その子がこの答え得ない問いに直面したならどうだろう。 しかも勝利の絶頂にあるスパルタにおいて。王の家において。 これこそ考え込むにふさわしい問いである。 - - 2007年06月16日(土) 遊び回り@覚え書き ・「六義園」(300円) 文京区内の都立公園。江戸期の大名庭園のひとつで柳沢吉保の設立。 池を囲む庭は広く、アジサイの青が目に染みた。 ちょうどフェアをやっていたのでじっくり見た。 そういえばあまりよく知らなかったのだが、園芸品種のアジサイは 日本が源流だ。西洋アジサイも。シーボルトが持ち帰ったものが元だという。 和洋ともに江戸期の人々が愛し改良したものが今に伝わる。 泰山木が咲いていた。 巨大なくちなしのような木だ。そういえば御苑にも咲いていたな。 - - 2007年06月14日(木) 遊び回り@覚え書き ・「パイレーツ・オブ・カリビアン」(1000円) ようやく行ってきました第三作。 最初からけなしつつ、結局全部見たのはあの音楽が聞きたかったからだ。 ジョニー・デップとオーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイは健在。 穴だらけで商業映画くささ、婦女子狙いの演出もあちこち見えつつ 最近の続編流行の中でも、映像の新鮮さと娯楽度を一定に保てた、 わりにレアな作品ではないかとも思っている。これは評価だ、もちろん。 ・「プラハ国立美術館展」(1400円) 渋谷bunkamuraで開催中。 今更ながらbunnkamuraでの展覧会って微妙にB級である。 微妙っつーか、うーん。今回に限っては完全にB級。 ブリューゲルと言いつつ、ルーベンスといいつつ、おい、モノホンがねえ。 複製とか追随者の作品ばっかじゃねえか。ぱっと見りゃわかるぞ。 これは金返せと言われてもしょうがないぞ。 ショップの商品にモチーフで使われている作品のほとんどが 展覧会場になかったというのもお笑いぐさだ。 巨匠の裾野にこんだけ模倣者がいるというのが まあ、ある意味面白かったけどな。 あと、水車のような帽子をかぶったセレブらしい女性がいて 感嘆の声を上げ続けていたのも笑えた。あんた、この絵の何がすごい。 本物見てこい、国立西洋美術館あたりで。 ・映画「フランク・ゲーリーのスケッチ」(1700円) ル・シネマにて上映中。 寡聞ながら現代建築家というものをあまり知らないのだが、 さすがにまあ、この人の名前くらいは知っている。 というのも古巣・関西の神戸に フィッシュ・ダンスという素っ頓狂なモニュメントがあるからだ。 素っ頓狂だがある種の暖かみを感じさせるデザインでもある。 今回、この映画で彼の「作品」をたくさん見てなおさらそう思った。 もちろん、好き嫌いはある。双眼鏡そのまんまとか嫌いだ。 しかしなんというか、純粋に「頭の中から生まれた」感がない。 つきつめていえばこういうことだ。 東京で私がいま実感している「すべてが人為、すべてが誰かの言葉」という あのどうにもならない窮屈さ、息のしづらさというものがある。 朝から晩まで始終、脇で大声でどなられているようなものだ。 しかし彼の作品は、おおむね外光をうけて初めてその美を生じる。 いわば「森や海のような」雰囲気がわずかなりともある。 いや、私が好きなのはそういう作品だけだということだが。 「ナショナル・ネーデルランデン・ビル」とか、 「ディズニー・コンサートホール」とか、そんな感じがある。 それはどういうことかというと、彼が強烈な言葉の持ち主でありながら なおもかれが作ろうとしているものが建築であり、風景の一部であり、 そこで人が食べ、飲み、笑い、営為し、尊厳を持って死ぬ場所であり かつそれ自体が、町の住人であるというということを理解している。 そこまで考えていなかったのだが、映画で言及されていてははあと思った。 心に残った対話。 「次に生まれてきたら、画家になりたいね。画家は偉大だ。 僕はまだ一枚の絵のような建築を作っていないよ」 「絵を描いたことはないのかい?」 「ないよ、一枚もね」 ここで表題を思い出してもらいたい。 なるほどかれのスケッチはもどかしい言葉のようにもしゃもしゃしている。 - - 2007年06月13日(水) 遊び回り@覚え書き 11日午前11時20分ごろ、福井駅着。 時間があるので福井城址を訪ねる。柴田勝家とお市の方が自刃したところ、 さらに降っては結城姓を得た徳川家康の二男、秀康が新たに城を築いた。 もっとも今に残るのはわずかに堀だけ…と思ったら小さな庭があるという。 行かない手はない。ぶらぶら歩く。 御泉水屋敷(230円) 福井藩主の別邸、江戸時代の代表的な大名庭園のひとつ。 戦災で焼失したのを復元したという。広い池があるため御泉水屋敷という。 まあ庭は庭で、しばしぶらついてヤブ蚊に刺される。 午後2時、予約してあったレンタカーを受け取り、東尋坊へ向かう。 陸からだとこんな感じ。 海(遊覧船)からだとこんなだ。 場所が場所だけにこういうものもあったりする。 ちなみに東尋坊での自殺は未遂・既遂あわせて年に25,6件。 統計にあらわれないものも含めれば2日に1人は死ぬために来るという。 しかしまったくそんな気のない私は対岸の雄島へ向かう。 大湊神社を擁し、列島から数百�辰里箸海蹐砲△襪海両�島は、 「かつて斧が入ったのことがない」というスダジイとタブノキの原生林に 覆われている。また神社の赤鳥居は海上20�辰旅盡�にあり、 航行する船は、そこから安全をことほぐ祝詞をあげて貰うのだ。 島の西方には化石した波を思わせる切り立った岩場が連なる。 雄島入り口。この近辺は10年前、ナホトカ号が漂着した。 大湊神社境内。すばらしく異国的なタブノキが頭上を覆う。 神社鳥居より海を望む。対岸は東尋坊。 スダジイの森。森は暗く、海は輝きに満ちている。 ここには神のいくたりかがまだ立ち去りがたく、いますのだろう。 西の岩場。森にいるのが神ならば、ここには悪霊がいる。 北海の叫喚する冬、これらの岩もまた叫ぶのだ。 その声を知らぬものがいようか。 そうだ、私はおまえを知っている。夢の奥底のとよみに。 知っている。おまえの向こう側から聞こえるのは潮騒だ。 おまえの上に映るのは無数の亡霊だ。生まれまた死に行くあまたの。 岩場の果てで私は地の底からあふれようとする悪霊の、 その途上に力尽きて化石した一群を見た。波頭がかれらを削っている。 自ら張り裂けるほどの悲傷、しかも岩をも張り裂けるほどの悲傷。 だれがその苦しみの深さを知るだろうか。 そしてまたかれらの抱えるうつろを私は見た。 容れるべき仏もなく。 やすりのような岩場をはい回って、気が付いたら午後6時。 頑丈だな私! ちっとも疲れてないよ! というわけで名残惜しく思いつつ森へと帰途につく。 しかしなんとも見ほれるほどの美しさだ。 凝固した音楽のようだ。あるいは無限に静止に近い舞踏。 ほんとに名残惜しく思いつつ、宿へ。温泉を浴びて寝る。 12日午前7時、起床。 食事をしてもう一風呂浴びて、車に乗る。空港まで18キロ。 時間は十分にある。途上で平実盛の廟を見つけたので立ち寄る。 古い松がなおも青々と茂り、花を供えた膳があった。 小さな公園が整備されていて、キンポウゲの親類らしい黄色い花。 なんと美しい眺めだろう。 義仲を養育したという実盛をふと思った。 さらに安宅の関跡に立ち寄る。 安宅住吉神社の巫女さんに勧進帳の話を聞かされる。 安宅の関は海浜にほど近い松の林だった。 如月、ここは激しい風と波の音に包まれることだろう。 午前11時過ぎ、小松空港着。 正午過ぎの飛行機で東京へ。機中は爆睡した。以上。 - - 2007年06月12日(火) 遊び回り@覚え書き というわけで、座禅を組みに福井県は大本山永平寺まで行ってきた。 以下、記録。 10日早朝5時半に下宿を出て、羽田へ。 7時半の飛行機で石川県小松空港へ。空港からバスで福井駅へ10時着。 福井駅からえちぜん鉄道に乗車。寺入りまで時間があるので勝山駅へ。 勝山駅からコミュニティバスで恐竜博物館へ。11時半ごろ着く。 福井県立恐竜博物館(500円) 日本における恐竜化石の主たる出土地の面目躍如。 斬新な卵形のドームには骨格標本の群れ。骨の巨竜たちの間を歩く幸福。 こんなに巨大なものたちがこの大地をふるわせて走り抜けていたのかと しばし茫漠とした過去に思いをはせる。展示はなかなかよくできていて 骨格標本が種別ごとに並べてあるほか、バーチャルリアリティ、 そして動く模型と盛りだくさん。この模型がまたいい動きなんだ。 モノがいいせいか客も多い。子供なんか模型見てびびって泣いてたぜ。 午後1時のバスで駅へとってかえし、再び電車に乗る。 永平寺口から路線バスで永平寺前へ。2時過ぎにつく。 門前はまあ、門前町で、名物のごま豆腐や越前おろしそば、 それからこれはなかなかうまかったのだが「けんけら」なる大豆菓子。 そのへんはスルーして寺へ。 大本山永平寺 門を入ったところの総受け所(受付か)で 予約票代わりの葉書を示し、宿泊・食事代込みの8000円を支払う。 と、黒衣の雲水が3階の部屋へ案内してくれる。いや雲水だよ。坊主だよ。 青々した坊主頭を眺めつつ導かれる3階、20畳ばかりの大部屋。 おい、あたし一人だよ。まあいいや、真ん中に陣取る。 部屋に入って少し待つと別の雲水がやってきて、滞留の間の簡単な お作法を教えてくれる。まとめるとこういうことだ。 1,東司(とうす、トイレ)、浴司(よくす、ふろば)、 僧堂(雲水たちの修行場、宿泊客は入れない)の三カ所は私語厳禁。 2,挨拶のときは合掌、部屋を出て歩くときは拱手、座禅のときは定法。 3時半からフロ、5時半食事、7時から座禅と言い残し、雲水去る。 山内を見ようと思ったがここにきて寝不足がどっと出る。 果たして起こされるまで撃沈。起きてフロに入ってまた寝る。 ほとほとと戸を叩かれて起きると雲水が赤い膳を下げて部屋に来る。 精進料理。ごま豆腐が美味。食うと眠くなって再び寝る。 再度ほとほとと起こされて、今度は座禅へ。 来客用「吉祥閣」5階の禅堂は、僧堂と同じ作りとのこと。 丸い座布団こと「座布」の上に趺坐して約30分、壁を見る。 目を閉じたらいかんというので、壁をひたすら見る。 なんだこれはと思わないでもないが、まあしょうがない。 後ろでは棒持った坊主がうろうろしている。どうしたものか。 などと考えているうちに終わってしまった。部屋に帰って考える。 考えるうちに眠くなる。午後9時、寝る。 11日午前3時、起床。6月とはいえまだ真っ暗。 3時半から座禅。坊主はこの時間に起きるらしい。 壁を見ながら山内を駆け抜けていく振鈴の音を聞く。 壁をひたすら見る。薄暗いなかで見えているのか見えていないのか。 いったい何を考えればいいのか。それとも考えることをやめればいいのか。 ふと思い出したのは養老氏の言葉だ。「ひとは自らの脳内に住む」 なるほどここで見えるのは壁と、それを別にすれば私の中身だけだ。 では私の中身とは何なのか、仏性など薬にしたくもない。 どうやらここは砂漠のようだ。光はおぼろで月影のようだ。 転がっているのは私の思考の断片で、それは倒れた古い石の柱のようだ。 なるほど私の内部とはこのような場所だったか、と妄念する。 するうちに座禅は終わって今度は山内を横切り、 法堂での朝のお勤めに参加する。参加といったって見てるだけだが。 永平寺で修行しているという250人近い雲水の半分くらいだろうか。 それでも読経しつつ内陣を巡る行堂は圧巻。墨染めの衣の美しさ。 そして動作のひとつひとつの力強さ。合掌というのは全身でするものだ。 両手をあわせる。肘は肩の高さ。頭を下げる。尻を突き出すような動きだ。 動きの俊敏さと力強さ。墨染めの裾と袖が舞う。見ほれる。 その後は雲水に案内されて七堂伽藍をめぐり、部屋へ。 朝食を頂く。夕食は撮り損ねたが朝食は撮った。 見た目より量もあり、それなりにうまい。 味付けはやや塩辛かったが、山奥という立地を考えれば当然だろう。 朝食後は少しうたたねしてから今度は一人で山内をめぐる。 山門より庫院を臨む。 回廊。永平寺の美は多く回廊に存する。 道元禅師廟所「承陽殿」門扉の紋章。 僧堂前。雲水を撮ってはいけないのだが偶然写っていた。 いささか特異な作りと作法のため全容はとても伝えられない。 800年の寺である。山門の納得いく写真がなかったのが極めて残念。 午前10時40分の福井駅行きのバスで永平寺を辞する。 続きは明日の項へ。 - - 2007年06月08日(金) 遊び回り@覚え書き のまえにオイオイな話。 私がほとんど一発でまいった「レッチリ」ベーシストのフリーだが、 面白いこぼれ話を聞いた。というかこれまで知識ゼロだったしなあ。 弦仲間のギタリスト、ジョン・フルシファンテは一度、 レッチリを脱退しているのだが、その原因というのが、 このフリーに告白してフラれたからだ、というのである。 おーいおいおいおい…。 も、戻ってきたということはアレか、ちゃんと吹っ切れたのか? しかしあれだな、あのベースは良かった。 クイーンのジョンの屋台骨みたいなベースとは全然違うんだが、 なんというか、こう、手を打ち鳴らし、足を踏みならしたくなる。 そういえばかれはアンコールでトランペットを吹いた。 特有の哀愁を含まない、猛禽のようなおとを初めて聞いたような気がする。 ・「ロシア皇帝の至宝展」、「発掘された日本列島2007」 いずれも江戸東京博物館。 「クレムリンの大遺宝」と題されたモンゴル支配以前の最初の一角から、 エカチェリーナ以降のいわばヨーロッパナイズされた帝政ロシア時代まで。 ロシアの変容、しかも受容による変容というものの巧まざる陳列だった。 なんというか、おもしれー。 スラブ/ケルトの渦巻き文様を主題とする不安定な精密さを持つ美。 それが明らかに外的なものの導入によって変化し、 退屈なロココの凡庸な華美さをまとい、 しかも十九世紀となってもなお変わらないものがある。 鋼鉄の線で貫いたように、それははっきりしている。 だがいったいこれはなんだろう。 ここでわたしは再びスラヴァ、ロストロポーヴィチを思い出した。 「ロシアの魂というものは確かにあります。 武器を持たず死に向かって突き進む力です。 ネヴァ河から見るあのどこまでも平坦な冬の原野の風景なのです」 しかしながらそこには極めて力強く金属的な冷酷さもつきまとう。 抵抗という言葉はじつに便利なものだ。 だが抵抗者がより良い新秩序の構築者であることはそれほどない。 黄金に描かれたイコンをさらに宝石と黄金で飾る人々のことを考える。 ロシアとはなにか。 それはたしかにまだもう少し考えるに値する問題だ。 「発掘〜」は実はこっちがメーンだった。 いやあ、良かったなあ。すげーすげー。 三角縁神獣鏡を初めて見ちゃったよ。うほーい。 いやまあそれはおいといて、だ。 水晶を使った石器を初めて見た。レアだなあ。 あんな固くて結晶性向も見極めにくいものをなんだって使ってたんだろ。 また埋納されたまま忘れられた銅鐸の謎についての新解釈、 それから葬儀のときのあの旗。あれいい。あんな華麗なものが 集団墓に無数に立てられているような風景はめちゃめちゃそそる。 それに縄文式土器好きだな。あの装飾性とあの朴訥さ、 さらにあの謎めいた雰囲気は何に由来するのか。 ものは材質から離れることはできない。 金属には金属(中国の青銅器をみよ)が自ずから導くところがあり、 木も石もそれぞれに文明そのものを方向付ける。 ではあの手と粘土からなる分厚い土器と土偶はどうなのか。 あれはどのような神と思想を導いたのか。 われら、われらが父祖とは誰であったのか。 どのような心的世界を持ち、どのような世界観のもとに住んだのか。 遺物は確かに語っているのだが、われらの謎解きは遅々として進まない。 ・「パルマ展」、常設展示 国立西洋美術館にて。 正直あんまり期待していなかったのだが、 まああれだ。期待してなくてよかった。面白かった。 一番見たかったコレッジョは数えるほどしか絵がなかったが、 「幼児キリストを礼拝する聖母」に見るあの優美さは ラファエロに勝るとも劣らない。ため息を誘うほどだ。 スケドーニの「キリストの墓の前のマリアたち」に見られる あの濁りのない色、色彩そのものを置いたといいたげな様はどうだ。 素晴らしい単純化と描写力によって画面は一つの全体となっている。 まあそれ以外はすげーつまんなかったんだけどさ。 あ、「戴冠する聖母」「聖チェツィリア」はのぞく。 こうした卓越した絵と凡庸な絵を見るたびに感じるのはこういうことだ。 芸術とは何を描くかではなくどのように描くかではなく、 何をあらわそうとするかだと。それはまさに赤裸々なものだ。 天才とは努力しうる才だというが、そうだ。 何も見えていない人間には、先への行き方などわからないから。 常設展示も面白かった。 モロー、ヴァン・ダイク、モネ、ルーベンス、ゴッホ。 などなど。有名なひとの絵はまああれだ、小品が多いが、それなりだ。 ああいう時系列な展示を見ていて思うのは、やはりモネは偉大だった。 それまで絵は何を描いていたかというと、あれだ。 アレではわからないだろうが、ええと、まあなんだ。 理想とでもいおうか、真に迫ったなんとやらだ。 それに対してモネは視覚の印象=「どのように見えているか」を描き、 しかしてその後の画家たちはそれを追求せざるをえなかった。 果たしてそれは一つの罠だった。視覚に踏み込めば色彩の実相、 つまり「我々は何を見うるのか」というメカニズムに踏み込む。 さらには心理、大脳生理学=「我々の脳はどのように見るのか」に至る。 つきつめていえば記号論あたりはそのゆえにこそ出た。 これは実は袋小路である。だがまあ迷い込んだものならば、 始めたことならば最後までやらねばならないのもわかりきったことだ。 大丈夫、人類が滅ぶまであともう幾らもない。 ・国立科学博物館 特別展は死ぬほどどうでもよく、常設展示の恐竜が見たかった。 竜脚類が! アパトサウルスが! ティラノサウルスが! フタバスズキリュウ! ああああ・・・。だめだ、恐竜大好き。 骨格標本を穴のあくほど見ていて、思うのは「足が細い」こと。 細いといったって私の胴回りくらいはある。 だがあの巨体を支えることができるとはとうてい思えない。 重さ何トンの世界だぜ? どんな筋肉、どんな臓器ならで維持できるのか。 そーいや地球の重力は白亜紀ごろは今の半分だったとかいう珍説があった。 実物見てるとそう思いたくもなる。 あんな巨大な腹はどんな腹膜なら支えられるってんだろう、とかさ。 夕刻から自然ドキュメンタリ「青い惑星」「砂の謎」を同館で見る。 富山で行われるそういうコンクールの入選作だそうだ。 イギリス・スコッチの海岸の生態系を入念に描いた砂の謎が面白かった。 - - 2007年06月05日(火) 遊び回り@覚え書き ・「アートで候 会田誠・山口晃展」(1000円) 上野の森美術館で開催中。 単純に面白かった。 山口の絵はこれまで何度か見たことがあるはずだが 東京を描いて江戸・明治・昭和・平成の入り交じるあの絵はいい。 なるほどこの町はこのように多くの時代が積み重なっていると思う。 その雰囲気を結露させ形としたらこのようになるだろうと思った。 会田の絵もあわせて面白かったのだが、 ここでは考えたことをいくつか。 会田の描く少女はすべてグラビアに表情と構図を負っている。 それはおそらく意識的になされたのだろうし、面白い試みだ。 少女がすべてああしたある種の理想型で 絵のなかで見いだされるというのはきわめて気色の悪いことだし、 それに気づかされるのは、この気づきは芸術の衝撃に類する。 ポップアートというのかな。 美を指向しない芸術、気づきに徹することを誓った芸術。 面白いものだが、頭の芯が疲れる。雄弁すぎるのだ。 ・歌舞伎「閻魔と政頼」「侠客春雨傘」(700+700円) 6月大歌舞伎、いずれも幕見料金。 歌舞伎を初めて見た。 で、幕見席はちゃんと椅子があるのだが、これが4階の天井付近。 舞台より天井が近い。というか花道見えぬ。まあ安いしな。 「閻魔−」には吉右衛門、「侠客−」には染五郎と長男・樹が出演。 面白かった。というか日本人ってこんなに舞台に反応するんだ。 屋号のかけ声がかかるのは知っていたが、笑いも拍手もある。 ストレートプレイでもミュージカルでもこんなに反応良くないのになあ。 匹敵するのは宝塚くらいか。そういやあれも古いなあ。 「閻魔」は舞踊劇。 歌舞伎の動きというものに興味があった。 で、どうだったかというと、なんというかあれだ。 あれじゃわかるまいがあれだ。えー。 動きそのものより、場、だ。 例えば政頼が踊る場面では閻魔はほとんど動かない。 ぴくりともしないというよりは、場になる。 主と客というよりは、柄と地だ。 閻魔は政頼の動きのあいだ、地になる。書き割りの草や木と同じことだ。 ただし驚いてみせたり、興がのれば手を挙げたりと動きはある。 あれは難しかろうと思う。実に面白かったが。 「侠客」は樹くんの顔見せという扱い。 ほとんど場面は動かず筋らしい筋もない。動きも。 多少の口上があるくらいだ。しかしながら場面の作りは面白く、 いわば絵柄としての舞台を楽しめた。 おい、浮世絵だよ。 ・「レッド・ホット・チリ・ペッパー」(9000円) 東京ドームにて公演。 通称レッチリ。 いくばくかの曲を聴いたことがあるくらいでライブ参加かよ。 という言われない声を聞きつつドームへ。 曲は知らないものがもちろん多かったのだが、 一流のロックの現場というものを体験できたという意味で面白かった。 というかわたし、ベース好きだなあ。 あのビートは痺れる。体はオートで揺れる。両手を突き上げて叫ぶ。 ヘッドバンクを会得しちゃいましたよ。 かといってリズムがわかったとは思えないが。 しかしあれだな、ライターに火をつけて揺らすのかと思ってたら、 いまは携帯電話あけて降るんだな。 うん、レッチリ、最新アルバムでも聞くか。 - - 2007年06月04日(月) 遊び回り@覚え書き ・東京都庭園美術館、及び「大正シック」展 口にするのもはばかられる白金台近くにある。 もと朝香宮邸宅という壮麗なアール・デコ建築物。 コレを見るだけでも行く価値はある。 入るなりルネ・ラリックのガラスがお出迎え。 香水塔も麗しく、鉄の曲線と和風情緒滲む木材のとりあわせも素晴らしい。 一部だが宮の書斎など当時の調度も残っていて、じつに楽しい。 それで大正シック。 ホノルル美術館の収蔵品のうち 大正時代のモダーンな雰囲気漂うものを選んで展示したものだという。 気になったのは「当時の文物が美術に類するかどうか議論されている」 というどっかの説明書き。美術に類するか類さないか。 確かにそこに示されていたのは、純粋日本の美ではない。 また西洋の正当の美の規範による美術でもない。 そのあわいにあるもの、まさに変容しつつある近代日本の、 その変容の断片だ。(例えば水着を着た女の日本画) 技法のうえでも題材のうえでも何と言いようのないものだ。 (例えば遠近感を取り入れた浮世絵、椅子の上の和装の女) 近代。アール・デコとアール・ヌーヴォーの影響さえ認めうる日本画。 あるいは浮世絵風の美女のしどけなく立つ西洋画。 だが魅力は魅力、わたしは早々にこれらを美術の範疇に入れた。 この日、いちばん考えさせられたのは庭園だ。 ここしばらくいろいろな庭園を見ていて、なにか考えていたのだ。 ふと形になった。 「ここにあるのは誰かの言葉・誰かの思想・誰かの視界に過ぎない」 なるほど植物はおのおの生きている。だがそれは音節のようなもの。 文字のひとつのようなもの。誰かのもの、誰かに由来するものだ。 東京はどこにいても誰かの夢や言葉の中にいるような気がする場所だ。 それこそまさに小さくする力で、私がなんとなく嫌悪していたもの。 ひと思想や言葉をのがれて、私はどこかへいきたい。 ジンニーア、私には空隙が必要なのだ。息をするための。 - - 2007年06月03日(日) 遊び回り@覚え書き ・大江戸骨董市 有楽町、国際フォーラム。 開催しているので行ってきた。 じつに面白かったのだが、収穫はゼロ。 「なまことら」買っときゃよかったぜ。でも18000円…。 用途のないものを買うのはやっぱ躊躇する。 古着が多かったのが面白かった。 正しくは古着物だろうか。あの柄の美しさったらない。 昔好きだった小柄や鍔もあったし、西洋アンティックも豊かだった。 いいなと思うものはたくさんあったのだが、買うには至らなかった。 あの鏡台とか、あの踏み台とか、いいものいっぱいあったんだが。 ネックはそのあと仕事だったということだろうか。 持って仕事に行けんわなあ…。 - - 2007年06月02日(土) 食い過ぎで一回休み。 なんて私らしい…。 節制を心がけるわりに、モノが手近にあるといつまでも食ってるんだ。 アメ横なんぞに行くと、余計なおまけがいっぱいついてくるから 食い終わらないのだよ…。家はモノを食うところではないってのに。 ところで空を飛ぼうと思う。 これまた金のかかる遊びだが、そんなことはどうでもいい。 多分、私にはそれが必要だ。飛行が。 私自身を天空に投げ揚げることが。 いつか小石のように落ちてくることになっても。 - - 2007年06月01日(金) 遊び回り@覚え書き ・「パリへ 洋画家たちの100年」 上野、東京芸大美術館。 自分が通ってた大学にこれくらいの収蔵品があったら大学をも少し 尊敬できたかもしれないねえ。というのはさておき、 なんてことなしに使っていた「洋画」という概念について考えさせられた。 この言葉以前、絵はすべてただの絵で、それはつまり日本画だったわけだ。 そこにはもちろん浮世絵も水墨画も南画もあったんだろうが、 ともかく日本人が日本の文化風俗理念を描いて日本人が見ていたわけだ。 そこへどっこい、洋画というわけ。 音声ガイドで「なぜ日本人が洋画を描くのかという疑問」 をほとんどすべての洋画家が対峙しなければならなかったものとして 揚げていたが、なるほどそうだ。そう言われてみればそうだ。 むしろ洋画とは、油絵という材質との戦い、手法との戦いであると同時に そうした葛藤そのものではなかったか。 黒田に始まる多くの画家を見ていって、 佐伯の絵の前で足を止めた。 この夭折の画家は、「日本では俺の絵は描けない」ということで 病をおして再度渡仏、かの地で病没したという。 思い出したのは大観の言葉だ。 「芸術に国境はあります。 批評や文化にはないかもしれない。でも芸術にはあります。 自然や景観が自ずから異なるとき、心持ちも絵も違います」 むしろ単純すぎるくらいの理屈だが、あるいは本当だろうか。 なるほど佐伯の愛した壁は、あんな壁は日本にはない。 死を覚悟しても画題を求めて海を渡らざるをえなかったわけである。 ・「蕗谷虹児展」 弥生美術館。 竹久夢二を知っていても、同時代人でやはり傑出した挿絵画家だった 蕗谷を知っている人はそれほど多くないだろう。 じつのところ私も知らなかった。入ったのはいわば偶然である。 入ってびっくりした。 なぜなら私が子供のころに読んだアンデルセン童話の挿絵がそのまま そこにあったからだ。ああ丸顔で愛らしい人魚姫! しかしながら客はというと70年配以降のおばあちゃまが圧倒的で しかも彼女らもまた実に懐かしそうに「少女画報」「令少女」など 半世紀も前の少女雑誌を見ているのである。なんつー年齢層の広さ。 温厚篤実であった生涯が忍ばれた。 この美徳はじっさい、破滅的などという魔術的な言葉に比べ 作家画家の類の評価をあげるものではない。 人は芸術をなにか人を驚かすものだとみているから 当然ながらその作者はロクでもなさを仮託されるほうがいいのである。 まあそんなのはどうでもいい。 アール・デコを思わせる優美洗練、なのにどうあっても東洋。 中原的などろくささは薬にしたくもない。 とはいえ蕗谷はいっときパリに画家修業に出ている。 そこで一定の活躍もしている。だから上記の展覧会に一品くらいでても まあおかしくないはずであろう。がそうはならなかった。 ビアズリー程度の実力はあるだろうに、不運なひとではある。 愛され続けることで足りないひとならば、というただし書きつきだが。 ・「イタリアバロック声楽曲の夕べ」 上野、旧東京音楽学校奏楽堂。 実際のところは奏楽堂に入れればなんでもよかったのだが、 たまたまこの日、やってたもんで。 って、おいおい林望センセイが…。 東京あたりならまあなにが出てもおかしくないわけだ。 イタリア歌曲を何本かと、ヘンデルのオペラ「アルチーナ」から抜粋。 古楽アンサンブルのヴィオラ・ダ・ガンバが良かった。 私はそうじて低音楽器が好きらしい。 演奏は中の上というところか? 近藤政信のオロンテが声量、質ともに群を抜いていたのはご愛敬。 声というのは、まさにこの人体を楽器として奏でられる音色は、 豊かで、美しく、無限だ。そしてニュアンス。 -
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