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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年04月30日(月)

そして東京:

本日、引っ越し終了。
四畳半(フロなしトイレ共同)に落ち着いた。学生時代に戻った感じだ。

問い:社会人のくせになぜそんなレトロな下宿なのか?
答え:やってみたかった。

同僚・上司からは総スカンを食う。
しかし考えていただきたい。
倍額の家賃払ってワンルーム借りてなにが楽しい?
銭湯がフツーにある東京でしかできないぞ、こんな生活。
というわけで飽きるまで下宿生活。

は、いいのだが、長いこと空き部屋だったから汚い。
今日は拭いて拭いて拭いて終わった。きれいになった。
あとは、どうせだからレトロに模様替えしよう。
電笠を変えよう。フロアランプも置こう。
でもウッドカーペットは敷く。畳は嫌いだ…。


そして銭湯デビュー。
番台だよ!富士山だよ!ウヒョー!広い、熱い!江戸っ子め!
風呂上がりはウーロン茶。しかし東京は十時過ぎても店が開いてる。
スゲーなあ。宇都宮では考えれられないくらい人が多いよ。
とりあえず地図を買って、明日の午前中はちょっと歩こう。
この巨大な書物、生きて躍動する東京の鼓動を追いたい。
そうだ、住人として。


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- 2007年04月24日(火)

Love of my life:

 人はなんと多くのものに飢えるのだろう。
 食物に飢え水に飢え、光に飢え眠りに飢える。
 切実に友に飢え家族に飢え、なによりも愛に飢える。
 それはまさに本質としての飢えだ。

 にもかかわらず、ある一人の人間が
 それらの何一つとして手に入れられずに終わることもある。
 それは悲惨なこと、まさに悲惨なことだ。

 人間の悲惨はなべて人間が抱きうるものの大きさに伴って巨大になる。
 にも関わらず人間そのものは大きくなることも小さくなることもない。
 人間は人間に止まる。良かれ悪しかれそうあらざるをえない。

 これはいったい、恩寵か呪詛か。
 恩寵もしくは呪詛であるなら、その主はそも誰か、また何か。
 あるいはそんなものもないのか。だがそれならあらゆる倫理は幻想だ。
 そしておそらくはそうなのだろう。まああれだ。それがどうした、さ。

 本当のことをいうと、飢えも悲惨もたいしたことではない。
 愛しようが憎もうが、愛されようが憎まれようがたいしたことではない。
 たいしたことは一つだけだ。私が/きみが何ができるか。
 何をしたか。何をするか。


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- 2007年04月23日(月)

Spread your wings:

(おまえの翼を広げろ、飛んでゆけ。
 おまえは自由だろう、それこそが自由だ)

 フレディ・マーキュリーがざらついた声で歌い上げている。それは問いかけてくるようだ。本当に飛べるのかと。本当に飛びたいのかと。おまえは自由に耐えられるのか、その重さに耐え続けられるのかと。
 けれど本当は、とジョン・ディーコンは目を閉じて考える。真夜中のスタジオで古いアルバムを鳴らすのが最近のかれの日課になっていた。かれは考える。けれど本当は、なにひとつ前置きを伴ってはやってこない。問われることもない。ただ押しつけられるだけだ。そしてそれに耐えられるか、耐えられないか。ただそれだけのことだ。運命は勝者と敗者とを峻別していく。そしてかれは敗者だった。ありあまる富と愛する家族にもかかわらず。
 だが実際は、ジョン・ディーコンはわからない。かれが何に敗れたのか。かれが何に勝ちたかったのか。どうありたかったのか。何が足りないのか。しかもそれがわからない限り負け犬になるほかない。負け犬であるほかない。負け犬であり続けるほかない。
「…」
 ジョン・ディーコンは手の中のベースを撫でる。それはかつてかれの歌をうたい出した。あるいは正確にいえばその四半分を。人間の声ほど剥き出しのものはないと言ったひとがあったが、その楽器もまたそのようなものとしてフレディ・マーキュリーの声、とブライアン・メイのギター、ロジャー・テイラーのドラムスと親しく溶け合い、分かちがたく高鳴った。
 だがそれももう昔のことだ。あの高揚は過ぎ去った。もうどこにもない。ただその記憶だけ、あまりにも鮮明な記憶だけを残して。記録された亡霊のようなレコードだけを残して。耳にすればありありと思い出は蘇るのに。


(寝る)


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- 2007年04月21日(土)

持っていく本だけで5箱:

それで持っていかない本はどれだけか?
聞くな、聞いてくれるな。持って行く分より多いのは確かだ。
このさい家財道具をうっぱらってしまおうかと考えている。
神田川的ミニマムへの「変身」が楽しみで仕方ない。

私は自分が変な人と言われる理由がわかった。
普通、ひとは変身を厭う。もしくは意図せず変身する。
あるいは変身に際して金銭的な計算をして変身を拒否する。
私はそれがない。私は楽々と変身する。
もしくは好んで変身する。

そこでこういうわけだ。

異なるものへと変わり続ける女、
まさに愛したそのありかたから絶えず脱し続ける女を、
いったいどうして愛せよう?
そうした男の愛はかつて発明されていない。

どっかでネタにしようっと。そうしようっと。


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- 2007年04月20日(金)

本郷に住もう:

というわけで東京への転勤決定。
どうせだから明治大正の文士たちの、あるいは日本名作全集中の地に住む。
なかなかいい考えじゃないか。財布は反対の声を上げているが。
引っ越しが面倒ですお母さん。この際だから家具も買うか。
本棚とか本棚とかでかい本棚とか。




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- 2007年04月16日(月)

Save Me:

 結局、僕は誰にもそれを言わなかった。かれが僕らに打ち明け、次いで全世界に打ち明け、そして逝ってしまうまで。そのことを思い出せるようになったのさえ最近になってからだ。それほど病と死の影への恐れは深かった。
 ふとかれの思いに考えを致したとき、僕は胸を突かれた。病と死をだれより恐れたのはかれだろう。あれほど生きることを楽しんでいたかれだもの。生きることを愛したかれ。しゃれめかしてパーティーに出かける後ろ姿に、タイツを着込んで舞台へ飛び出してくる笑顔に、メアリーと(あるいは他の誰かと)抱き合うその姿に、それを感じないことなどなかった。
 それでもかれに逃げ道などなかった。あの夕食の悲しい告白のとき、かれはこともなげに言って、そして新しいアルバムを作ろうと言った。それはつまりかれが、最後の日々をQUEENとして、僕もまたその四分の一である一つの生物として過ごそうという決意だった。ソロでも輝きを放ったかれ、モンセラとともにあの輝かしい音楽を作り出したかれが。ジム・ハットンとあるいはメアリーと、引きこもって暮らすこともできたかれが。
 僕はただ病と死への恐怖に打たれて、恥ずかしいことにたびたび逃げだしさえした。僕はかれと二人でいることさえできなかった。だが本当は、本当は言うべきではなかったのか。きみが、きみがもっとも君らしくあれるものと言ってくれたQUEEN、最後の生命の一滴を注いでくれるというこの音楽の一員であれたことをなによりも感謝していると。僕もまた、この巨大な獣、ときとして憎み恐れたこともある獣、僕らそのものでもあるこのユニットに最後の命を吹き込もう。白鳥の歌をうたわせよう。きみの声で、と。

 だが僕はそうしなかった。僕は間抜けな顔を伏せて、一人で空気を暗くしていただけだ。きみが命尽きようとしながら、あんなにも歌っていたのに。そしてブライアンとロジャーがそれに応えていたのに。
 こうした取り返しのつかなさを、どうすればいいんだろう。せめてきみが生きている間に気づけばよかった。そうでなければ葬儀までに。きみが逝ってしまってからもう何年たったのだろう。世界は驚くほどの勢いで変わっている。きみがいなくても世界は回っている。どうしてこんなことが信じられるだろう? きみは世界に君臨する王者のようだったというのに。

 後悔は先に立たない。僕は真夜中のスタジオでベースを手にとる。電子機器の小さなランプが無数に闇に点っている。タイトなリズムでベースを鳴らそう。きみはもう歌うことがないが、だが僕がどうしてきみの声を忘れよう。ブライアン・メイのギターが、ロジャー・テイラーのシャープなドラムがありありと蘇ってスタジオに満ちるまでそれほどかかりはしない。
 さあ、歌おう。これは魔法だ。そうだ、きみが言っていたとおり。僕らの音楽は、ときに辛すぎる現実からほんの少し解き放たれるための魔法だ。


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- 2007年04月15日(日)


 お定まりのくだらないアンケートだった。その一角に、嫌いなものという細い欄があった。僕は少し考え、指先をなめて、いつもの冗談の代わりに正直な答えを書いた。なに、ただの気まぐれだった。それが証拠にそれがもうどこの雑誌のものだったかも覚えていない。それとも新聞だったのかも。

『病気、死』

 僕はどうすればいいのだろうか? その両方が突きつけられて。しかも僕のものではなく、長年の同僚のそれが。しかも思わぬ時節に。僕らはついこのあいだ、出直したばかりだったのに。そうだ、まっさらな気分で。
「なにか言ったかい?」
 フレディ・マーキュリーが言った。僕は黙って首を振り、かれの目を見ないようにして楽屋を出た。そうだ、プレシジョンを起きっぱなしのままで。リハーサルまでもう1時間もないというのに。
「ジョン」
 部屋を出て数歩も行かないうちに呼び止められた。僕は足を止め、しかし振り返らなかった。どうしてこんなときに限って誰も通りがからないのだろう? ブライアンかロジャーか、メアリーかマイクか。ともかく誰か。昨日入ったばかりの間抜けな新入りのアルバイトだっていいのに。
「ジョン」
 再び名前を呼ばれて、僕は振り返った。かれは言いにくいことがあるときの顔をしていた。つまり用心深く、だが誠実で何事か考えている顔だ。僕は叫び出そうかと思った。叫んでしまえばよかった。きみはあの病気だ、きみは遠からず死ぬ、きみは死ぬ! だが言わなかった。理性はまだ濡れ落ち葉のように僕の足の裏に張り付いているのだ。それでよかった。
「…ジョン」
「聞こえているよ」
「気づいたね?」
 どう答えればいいのか、誰かに教えて欲しかった。教えてもらえるなら何千ドルだって積んだだろう。二十年来の同僚にどう答えろというのか。
「信じているよ、ジョン」
 それだけだった。僕は置き去りにされてしまった。責めることさえできないのだ。そんなことはもちろん考えてなどいなかったが。僕は自分の手を見た。指先まで震えていた。リハーサルまで1時間しかないというのに。


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- 2007年04月14日(土)

アイ・スティル・ラブ・ユー:

 ずいぶん昔のことだ。人の住まない国があって、それは上ることのできない切り立った崖に囲まれていた。燃えるような薔薇色の岩の壁は上る手がかりひとつなく、辺りに吹き荒れる強い風はいかなる試みも許さなかった。
 人の住まない国を知る者はなく、その噂だけが人々の間に広がっていた。そこに住まう人ならぬものたちについて、その壮麗な異形の街と家々について、音もなく統べる畏怖すべき偉大な王たちについて。もっともそれらすべてが無責任な想像に過ぎないというわけではなかった。いかなる理由によってか、人の住まない国の恐るべき断崖を超えてその禁断の国土に立ち入った、幸運もしくは不運なものたちが、数少ないながらいたからだ。
 そのひとりがかれであった。かれは例えば私のような向こう見ずで好奇心の強い冒険家ではなかった。かれは薔薇色の崖に近い寒村に住む羊飼いに過ぎず、人の住まない国のいかなる種族か知られぬ住民の魔術にかかったのは、かれにしてみれば、まずもって不運な偶然としか言いようがなかった。

 私がかれを訪ねたとき、かれは崩れかけた小屋の前に座り、この地方の民がしばしば噛む赤い野生の実を噛んでいた。村人によれば十九歳ということだったが、それよりも半世紀は年老いてみえた。元は他の村人同様、黒髪であった髪は真白く、日に焼けた肌は奇妙に若さを残しつつ、深い皺が無数に刻まれていた。広い帽子のつばに隠れた目はうかがい知れなかった。
「……」
 かれは私を見ず、喜んで迎えるともなく非難するともなく、何事かもぐもぐと呟いた。わたしは近寄って彼にありきたりの挨拶をし、横に座っていいかどうかと尋ねた。かれは相変わらずもぐもぐと何事か呟いたが、特に否定の身振りをするわけでもなかったから、私はかれの傍らに座り、彼方の崖を見上げた。剥き出しの巨大な岩塊は夕映えの緋色を帯びた光線によって強調され、計り知れず高く厳しくそびえ立っていた。私はあらためて電流のような畏怖に打たれ、しばらくはかれに話しかけることも忘れた。
「……」
 我に返ったのは、かれが今度はいささか厳しい響きで何事か言ったからだった。相変わらずその言葉は聞き取れず、だが何と言われたかはわかった。
(「そんなに見てはいけない。かれらが気づく」)
 私はじっとかれを見た。かれについて私が知っているのは、ただある夕べに迷った羊を追ってゆき、翌朝あの岩壁の方から帰ってきたときには、別人のように老いていたということだけだ。村人はなおも声をひそめて私に言った。「あそこに行って帰ってきたのだ。あれは−−に会ったのだ」。
 かれは私の膝に左手を置いて、もぐもぐと呟いた。今度は聞き取れた。
(「おまえが何を言いたいかはわかっている。おまえの言う通りだ。わたしはあそこに行き、かれらに会った。だがそれについては聞くな」)
 私は多分、何か言おうとして口を開きかけたに違いない。だがかれは唇の上に人差し指をかけて、小さく舌を鳴らした。そして私を見た。
 焼けた褐色の睫に縁取られた目は暗く、深い洞窟のように暗く、そして深かった。この目が何を見たのかと問うことは恐ろしかった。私は押し黙り、日暮れてゆくに任せた。かれは再び目を伏せ、沈黙を守った。
 しかしながら私は遥か彼方からかれに会うためにやってきたのだし、このまま永遠に黙っているわけにはいかなかった。
「何が起きたのですか」
 私の声は震えていた。かれはしばらく押し黙り、やがて低い、聞き取りにくい声で話し始めた。千の脚を持つ悪霊の神々、異世界の彼方から来た恐るべき魍魎の街とその上に明け暮れる青ざめた二重の太陽と永遠の半月について。私たちは話し続けた。夜が深まり深夜に至り、闇に沈んだ崖の上に幾度も稲妻がひらめくのが見えた。
 私たちは恐ろしさに体の芯まで震えながら、それでもなおも話し続けた。燐光を放つ粘つく街について、その巨大で脈打つ建築群について、不定形の窓の奥に住み着いた名無きものについて話さずにはいられなかった。恐ろしさのあまり黙ることはできなかったのだ。彼が聞くなと告げた意味は明白だった。私たちは恐怖と破滅の予感に怯えながら、もはや止められなかった。
 時刻は深まり、夜は反転する気配を見せず、私は尋ねた。
「どのようにして戻ってきたのですか」
 彼はびくりと跳ね起きた。見開かれた目を照らし出して崖の上からあふれ出た稲妻が走り、激しい雨がひといきのうちに私たちの上に叩きつけた。
「どのようにしてだと?」
 彼は叫んだ。むしろそれは重苦しい叫びだった。私ははっと息を止めた。
「ばかめ、まだわからないのか。私は戻ってなどこなかった。どうして戻れよう、ああした場所から、ああしたところから、どうして戻るなどということができよう。どうして戻るなどということがありえよう」
 その言葉の先は聞こえなかった。とりわけ近くでとりわけ激しい雷鳴と稲妻が同時にほとばしり、天から地へ、それとも地から天へ、青白い火柱が走った。私は吹き飛ばされ、おそらく失神していたに違いない。顔を打つ雨におぼれかけて目を覚ましたときにはそこにはもうかれはいなかった。かれはおらず、ただ一塊の灰の柱が残っているだけだった。灰と塩の柱が。
 どのようにして朝を迎えたのか私は覚えていない。私は周囲が明るくなり始めるとすぐさま村を離れ、懐かしい文明の地に戻った。そして故郷の小さな村に帰ると小さな雑貨屋を開き、もはや冒険のことは考えるのをやめた。

 私は忘れようとし、今ではあの当時のことを思い出すことも希になった。もっとも、ときおり、激しい嵐の夜にはこんな思いに駆られることもある。人の住まない国、あの崖の上の未知の大地に誰か探検家が激しい野心でもって足を踏み入れることがあるかもしれないと。だがかれが戻ってくることがあるとは思われない。あの場所の呪いはおそらくそこにこそある。
 ああした体験をしたものは、本当には戻ってくることはできないのだ。それこそがああした体験の真髄なのだ。ああしたこと、ああした場所をのぞいたものはそこに縛り付けられ、そこより先に進むことができない。残るのは絶えざる一つの問いだ。過ぎ去ることのない一つの現実は、一つの経験は、いったい呪詛なのか祝福なのか。
 だが私はこの故郷の地にありながら、かれと同じ目をした男女にときおり巡り会った。かれらは一様に押し黙って、ただ恐ろしいものを見てしまった目を伏せて内面の苦悩に耐えていた。その脳には追い払いようもなく恐怖と悲嘆が住み着いており、私はかれらに話しかけることを慎み深く避けた。
 私は思う。われらは往々にしてあの人の住まない国、至上の恐怖をもって永遠の静止を命じる悪霊の領土にそれと知らずに踏み込んでいる。


(ママ、ぼくはたった今、人を殺してきた)


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- 2007年04月13日(金)

笑う神:

体調が悪い。
出張中に傷めたとみえる内臓各種がしくしくと疼いている。
病院はすぐ近くにあるがヤブなので二の足を踏み中だ。
逆説的だが、体調が悪いときはある種、気分がいい。
何かが正しい方向に向いているような高揚感が頭の後ろの方から来る。

これはある種の自虐的な兆候もしくは性質の発露なんだろう。
健康で前向きが正しいと自認するのは私にとって難しいことだ。
早死にしたいというのは子供の頃からの願望だった。
ちなみに今でもそう思ってる。明日の朝、目覚めたくない。

何かに興味を持つのは、絶えず何かに興味を持つのは、
熱中すべきなにかがなければそちらへの誘惑が強くなりすぎるからだ。
私は家族を愛していると言うが、とりわけ母親を愛していると言うが、
言葉通りの意味より、すでに前払いされた愛情への支払いが
まだ済んでいないのだという義務感によるものが大きい。

絶えず死んではいけない理由を自分の中に探し続けるのは
たぶん、生きたいという天然の意志を上回るかもしれないほどの、
そちらへ向いた衝動が私のなかに住んでいるからだろう。
いったいそれはどこから来たのか私の方が知りたいくらいだが。

とはいえいままだここに自分が生きていること、
生き続けていることを祝って叫んでみようか。
I want it ALL.愛に類すものはなく、熱望すべきなにものもなくても、
生きることはできるはずだ、苦しむようにではなく。

生まれてくる前にこの世の希望など聞かれやしなかった。
にも関わらずこの世は祝福だと言われるのだ、生まれてみたら。
花盛りの木々を仰ぎ見るにつけ、あるいはそうなのかと思いはするが。


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- 2007年04月12日(木)

少し愚直、適度に純粋:

人殺しを見るとき、私はついついしげしげ観察してしまう。
この手が殺し、この目が断末魔を見て、この耳でその悲鳴を聞いたのかと。
それは実際、強力な思考であり、人が身に帯びる妄想としては魅惑的だ。
私が戦争の英雄を見るときも、きっとそんなふうに見るだろう。

カポーティ「冷血」を久しぶりに読んだ。
前に読んだことはあるにしろ記憶に薄かったから初読といってもいい。
なぜこういうタイトルにしたのかいまひとつわからない。
そこにいるのはどこまでも人間的な人間ばかりだからだ。

私にいわせれば、どんな人も人に過ぎない。
どんな人生も人生に過ぎないように。傷と血はありふれている。
富と力がありふれているように。
私の目はもしかしたら、死んだ魚に似ているだろうか?

しかしながら幻想を持たずにやっていく必要がある。
わたしはそれを何度となく学んだのだから、それは間違いない。


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- 2007年04月10日(火)

アイ・ニージュ:

 錆びたステンレスの流しに叩きつけられたワインの壜は砕け散って、緋色の滴と無数の琥珀色した硝子の破片をそこらじゅうにまき散らした。
「それで?」
 汚れた壁をさらにワインで汚して、かれは言った。その眼差しは鈍色に光る雨に濡れた鉄のように冷ややかに粘つき私に張り付いていた。そして私はといえば、こうしたときに何を言うべきかをいま学校では教えていないが、むしろ必須科目にするべきではなかったかとぼんやり考えていたのだった。
 そうだ、確かに学校ではこうしたことは教えていない。1つの愛の終わりがどのように来るか、またどのようにそれを迎えるべきかということを教えていない。だがそれは必要なことではないのか。でなければこんなふうに、のっぴきならない場面に落ち込んでしまうことになりかねない。

 こんなふうに。

 明らかに彼の問いは文字通りに受け取ってはいけないものだった。とりわけてぎざぎざに光る不揃いなふちを突如として生じた壜の半分が彼の手の中にある今は。私はこのとき一瞬たりとも彼を信用しなかった。
 身の安全を預けられる相手ではなかった。つまりこれが愛の終わりかと私は自分に尋ねた。愛とは幻想か、でなければ絵空事だった。昨日まで信じていたことがこうもきれいに消え去るとは。もっともそんなことをのんびり驚いていられる場面でもなかった。私は彼を見た。
「驚いた?」
 私は自分の声がひどく冷たいことに驚いた。私の目つきも冷たかっただろう。夜の犬小屋の屋根のように冷たかっただろう。誰もいないプレハブ倉庫のようにまた船のつかない波止場のように冷たかっただろう。私は自分がそんなにも冷たい声や目でありうることに驚いた。
 もっともそれはまずいことでもあった。必要なのはこの場を逃れる方便だったのだから。そこまで考えて、私は自分が牙を剥いた犬かささくれだった木の皮のような気分でいることに気づいた。捨て鉢とはこういうことかと。
「それじゃあね」
 私は彼に背中を向けた。刺されるだろうかという不安は冷たい滴のように私の胸を滑り落ちて、そして捨て鉢な音をさせた。私は結局、扉を出て階段を下りても刺されず、彼は多分、身じろぎもしなかったのだろうと思う。


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- 2007年04月08日(日)

ジョン・ディーコンの独白(フィクション):

 そうだ、僕だって最初から4オクターブの歌を書いていたわけじゃない。そんな歌は誰にでも歌えるってわけじゃないことくらい知っている。自分の歌をみすみすお蔵入りにしたいわけがないじゃないか。
 でも僕らは10年も同じグループでやってきたのだし、それに彼は4オクターブの声を持っていたのだ。それなら、いま僕の作る歌がどれもこれも4オクターブの声を求めて泣き叫ぶようなシロモノであっても不思議はない。
 僕らは必ずしも仲が良くはなかった。他の多くの一世を風靡したロック・グループとは違って解散しなかったのは、ただ僕らがいくらか幸運で、ただいくらかメンバーがクールだった、それだけのことだった。
 さらに言うなら、僕ら4人はみんな好きな音楽を作っていたけれど、同じ方向を向いていたわけじゃない。ただ僕らは自分の興味のないものにも手を貸すにやぶさかでないくらいには大人だった。それだって、ときには喜んでというわけじゃなかったけれど、それぞれの分野でお互い以上、いや、肩を並べられる人間を見つけるさえ困難だとわかっていた。
 話を戻そう。僕がいつまでも僕の歌に彼の声を待っているからといって、僕が彼を親友だと思っていたとか、あるいは好きだったなんて思わないでほしい。僕にとって彼はよくわからない男だったし、同僚という以上の親しみや欲求を感じさせる種類の相手でもなかった。もし同じグループにいたのでなければ、赤の他人以外のなににもならなかったことは確かだ。
 しかしそれはこういうことでもある。僕と彼のあいだには音楽しかなかったが、僕と彼にとって音楽は魂そのものだった。自分自身よりも大切なものだった。そして僕らは音楽における同僚以上のなにものでもなかったが、実際のところはそれ以上のなにもありはしなかった。
 僕らのグループのボーカルは彼だったから、ごく自然ななりゆきとして、僕は歌えない僕の声に代えて彼の声を、僕の声とした。僕は彼に対してあらゆる人格上の要求など考えついたこともなかったが、彼の声を必要とするその要求は、妻への求婚の際に胸に打っていた思いより小さくなかった。しかも僕はそんなことを考えたことはなかった。考える必要はなかったのだ。彼の声はごく自然に僕の声だったし、それはそれだけのことだったから。
 そうしたことに気づいたのは彼が死んでしまってからだ。彼が死んでしまってからも、僕は4オクターブの歌を作り、お蔵入りにしている。しかし僕にどうすることができるだろう。僕の上に、僕の音楽の上に、彼は確かに刻印されており、そしてもう彼がどこにもいない今、それは深い傷だ。
 僕には家族がいる。愛する妻と子供たちがいる。釣りの仲間がいる。彼以外のすべてがある。にもかかわらず僕には何もない。僕の魂が歌い出したすべての曲はこの世の空には響かない。ただ音符の連なりとして五線譜の上に書かれているだけだ。この歌を歌うべき声は死んでしまった。それで絶望するには十分だ。そして僕は絶望している。彼が死んでからずっと。
 夢の中でさえ、僕の歌を歌っているのは彼の声だ。



 「クイーン」のメンバー、ジョン・ディーコンは音痴だという。もっとも彼は天才的なベーシストで、クイーンのためにアナザワン・バイツァ・ダストを含む何曲かを作曲し、ゴールド・レコードを生産してもいる。だからまあ、彼が私とは異なる種類の音痴であることは間違いない。
 しかしディーコンはクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの死後はほぼ完全に表舞台から退いた。ほかの2人が今もなおクイーンとして活動しているにも関わらず、「あの4人」でなければそれはクイーンではないという自分自身のスタンスを終始一貫して守り通している。
 かれのいささかシンプルな性質からして、それは文字通り受け止めるべきだろう。フレディの声によるほかはクイーンたりえないという。かれは多分、ショウ・マスト・ゴー・オンとは歌わない種類の人間だ。かれは止めどきというものを知っていて、それに忠実なのだ。彼にとっては葛藤はなく、ただ自明な判断がある。おそらくはそれに加えるに鋭いまでの苦悩が。
 フレディを、つまりクイーンを失ったと知ったとき、かれは永遠に歌を失ったのだ。かれの歌はもはや歌われることがない。


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- 2007年04月05日(木)

宇都宮から愛をこめて:

ながーい出張で、やや感覚が狂っている。かもしれない。
ともかく風呂を洗い、元大根だとか元キャベツだとか捨てて、
そして落ち着く我が家の指定席。(ふう)

無軌道な食生活だったから
……体重計が怖い。(しくしく)




満月は左翼後方から上る。
夜の風に旗は音をたてて翻り、スコアボードは高くそびえた。
スタンドは静まりかえり、照明塔もまた静かだ。ときおり町の灯に光り。
わたしは黙って外野のフィールドを歩く。

(ここに多くの夢が埋まっている)

観衆はすでに去った。
敗者は去り、勝者も去った。
そしてもうすぐ私も去る。

(ここに多くの夢が埋まっている)

わたしはあなたにこの風景を見せたかった。
あなたはどこにいるのか。
あなたはこの場所を夢見ていたことをもう忘れたろうか。

(ここに多くの夢が埋まっている)

いまにしておもう。
わたしはあなたを愛したのでない。
あなたの夢、あなたの失った夢、あなたが失うであろう夢を愛したのだ。

(あなたの夢はこの場所のどこにあるのか)

この手を伸ばそう。
わたしの指の間を夜の風が吹き抜けていく。
あなたの夢のかけらがこぼれて散ってゆく。

いつか世の果ての日に、花盛りの木がマウンドにあるだろう。
いつか、遠いいつか。わたしはその明るい樹影をこの晩に見た。


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- 2007年04月02日(月)

一人の少年の成長をまさに間近に見る:

まだどこか頼りないような、自分の思いの押し出し方を知らないような。
最初はそんな目をしていた。ある種の屈託、とでもいうべきか。

次に会ったときはいらだちが勝っていた。
なにかが渦巻いているような。

三度目、かれはいわば1つ腹をくくっていた。
自分がやるしかないと覚悟を決めて、かれはずいぶんと大人びていた。

この三度の出合いはすべて一週間のうちのことだったのだが。
子供はそんなふうに大人になるものだ。歯を食いしばって。


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- 2007年04月01日(日)

私はあなたを愛しているが

あなたの奴隷にはなれない。
あなたへの愛が私を遠く運び去ることもある。
あなたに背かせることもある。

しかもあなたは私を許さねばならない。

このゲームが理不尽と思うなら下りればいい。
にも関わらずわたしはあなたを愛している。


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