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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年01月31日(水)

近くの本屋で500円DVDが

ぞろっと並んでいるので、適当に何本か買って細切れで見ている。
さすがに1時間半とか2時間とかやってたら睡眠不足になるので。

「ハムレット」(ローレンス・オリヴィエ主演)
これがあの有名な!ノリだが、なんつーか王道だった。
いや、ここから始まって抜け出そうとみんながんばってるというべきか。
オリヴィエは実際、ステキな貴公子ぶりっこで、
ガートルードもオフィーリアもフツーだ。
舞台的な映画の見せ方の走りでもあったのかなあ。

「ヒトラーの野望 ドキュメント第二次世界大3」
当時のアメリカの参戦プロパガンダ映像なのだが、面白い。
米国が自国民の説得にあたっていかに苦慮したかがよくわかる。
そしてこの国の今も昔も変わらぬユカイな思考法とが。
ヒトラーといいつつ日独伊が揃って出てくるので映像的にイイ。

「砂漠の狐ロンメルを終え 同8」
英国が戦後?多分作ったアフリカ北部戦線における記録。
独軍側映像は、かれらがおっことしていったものから再構成したそうだ。
本当かどうか知らんが。
そして私はこの戦闘での英国軍の将軍の名前を初めて聞いた。
いや私が知識がなさすぎるからだろうが、フツーの人はロンメルしか
記憶していないだろうと思う。まあ、日本人では。
それはいったいどういうわけなのかな。


さてまだ「市民ケーン」「モロッコ」「自転車泥棒」などなど残ってる。
まとめて買い込むのは私の悪い癖だな。


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- 2007年01月30日(火)

氷雪は我が手足を噛む。

 人の世を離れてさまよい歩く男を餌食にしないときには、とマルチェロは白く凍えた手に息を吹きかけながら考えた。白狼の群れにも似たこの寒気、この雪嵐はなにを食らって腹を満たしているのだろう? そのとき雪に陰り雪に明るむ薄日の向こう、青ぐらい穴を守る一群の氷牙がきらりと光った。
 厳冬の穴はひやりと冷たく、だが少なくとも風と雪は届かなかった。マルチェロは黙って滑らかな洞の隅に蹲り、そのとたんに鈍った手足と瞼の上に張り付いてきた眠気に慌てて頭を振った。だがそれは、瀕死の鹿ののど笛に食らいついた犬のようにどうにも振り払いようもなく、やがてマルチェロのおぼろな意識ははうつつと夢の境界を漂い始めた。
 俺は夢を見ている、とマルチェロはぼんやりと考えた。そうでなければ、あの方がここにいるはずはない。なぜならあの方は、オディロさまはすでに亡くなられた。あの慕わしい白髪も、穏やかで澄みしかも真実な眼差しも、とうに失われた。末期の苦しみにこわばった手指を組ませたのは誰あろう、この俺ではないか。そしてまた、とマルチェロは考える。これが夢でなくば母がここにいるはずもない。記憶の彼方にはや薄れつつある豊かな巻き毛、この胸にやるせない悲しみをかき立てる深い緑の瞳。やさしいアルトの声で呼ぶ、マルチェロ、わたしの子。わたしの愛する子。
 それではなるほど夢であった。だがマルチェロの胸は憧れで満ち、満ちた涙は豊かにあふれ出た。おふれた涙は汚れた外套にしとどに落ちて、落ちるなり氷った。それでもなおマルチェロはこれを夢と知っており、それゆえ、愛し慕うその2人のうちどちらの名を呼ぶこともできなかった。
 せめてこれを信じられたら、一瞬でもいいこれを真実と信じられたら、とマルチェロは切り裂くような悲しみのうちに思った。だがそうした力は与えられるものではなく、また与えられもしなかった。
 マルチェロが我にかえったとき、あたりは夜で、すでに吹雪は止んでいた。



死ぬほど腹が痛いので、早引けした。よく考えるともう一週間も便通なし。そりゃ腹も痛くなろうってもの。あーしまったキューピー腹だ…(涙)
 ピンクの小粒はもう死ぬかと思うほど腹痛をもたらすうえ半日は仕事にならなくなるので避けようと、薬局に行った。すすめられたのは…

イチヂク浣腸

マジ?ほんとに?(涙)やめてくれ…。
それはなんというか、ええと、超えてはいけない一線だろ…?
しかし私の目の前には青に白十字の小箱がある。
ピンクの小粒か、浣腸か。脂汗が…究極の選択とはこのことだ。
どうするにせよ結論については聞くな、聞いてくれるな。頼む。


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- 2007年01月29日(月)

終わらざるは

 マルチェロは力尽きて水辺に眠り、夜半に凍えて目覚めた。震えながら見渡せば、大地は月光に白くきらめいて、凍てついている。もらした吐息もまた白い。もやいを解かれた小舟が水面に漂い始める暁まではまだ遠かった。
「……」
 こごえた両手をすりあわせ、マルチェロは身を丸めて破れ汚れた外套の裾を引き寄せた。そこらの石か土ほどに、体は骨までも冷えている。なるほどこのようにして人は死ぬに違いないとさえ思われた。
 それでも冷たい目で、マルチェロは水面を見た。暗い川は耐えがたいほど緩慢で、流れることに飽いたかとさえ思われた。そして音もない。そうだ、あたりはしんと静まりかえり、世界の一切が聾唖となったようだった。こうした沈黙の中では時すら流れまい、とかれはぼんやりと、だが鋭く思う。
 それは、ある意味で真実だった。かれは確かに朝をもって小舟に船出し、ある夕べに遠く聖地に至り、また神々の前にぬかずいて和解の涙を流しもしたのだが、それにも関わらずかれは思うことがあった。あの遠い冷たい夜、寂しい静かな岸辺にこの瞬間もわたしは座り、凍えているのだと。
 それを聞いたククールは、そういうこともあるだろうとだけ言った。しかし心のうちでは、この兄の心の奥底にまでも分け入って、その岸辺に座り続ける兄を訪れ、抱きしめ、ぬくもりを与えることができればと思ったのだった。


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- 2007年01月27日(土)

最近そうそう絵画展など行かないのだが、

県立博物館で清水登之展をやっているので見てきた。
べつに見に行こうと思っていたわけではない。名前も知らなかった。
が、あちこちで見るポスターに、なんとはなしに引っかかった。
なんというか、描かれているものに対し描いているものが疎外されている。

すぐれてデザイン性の高い、もう抽象画といってもいいような画家だ。
戦前に生まれ、渡米・渡欧して帰国、第二次世界大戦直後に死去した。
初期の絵のうち「引っかかった」のはミスCの肖像。
若くはない。ハイ・ミスの部類だろう。
女の目は影の中にあり、用心深くあるいは怯えて伺うようにこちらを見る。
さらに米国で認められ始めたころの絵の群れ。
視点は異様に高くあるいは遠い。広角のレンズを使ったように。
そして暗さ。手を伸ばしても届かない距離にある。

帰国してからの絵は苦悶が手にとるようだった。
土くささ、日本らしさというものを前面に押し出しながら、
しかもなお帰朝者のくるしみがにじみ、生家を描いてなお憧憬に似る。
押しつけられたプロパガンダを迎合よりももっと深く没入する魂の光。
そして戦争。一転したリアリズムはかれが記録映画にこり始めたころか。
そこでさえ、兵士たちはかれに背を向けている。

一枚だけ、身に迫る絵があった。難民たち。
かれが南方戦線に取材に赴いたときに得たイメージだろう。
顔さえさだかでない難民たちは一様にこちらを見る。
こちらを、鑑賞者を、だがなによりも制作者を。
この一枚だけがおそらく、作者が世界に身を置いていたという証明だ。
まったくそうだ。そうでなくてどうして、
これほど深い暗澹たる思いを見る者のうちに呼び起こせるだろうか。
この暗いおもいは、作者が描きながら貫かれていたそれだ。

戦争によってかれは一人息子を失い、自らもストレスから病死する。
わずか一時間ほどのあいだに脳に焼き付けるにはあまりに深い思いだった。
このように生きた人間、まさに生きた人間を小林秀雄はなんというだろう。
かれほど戦争について語らなかったひとはいなかった、
そしてまさにその渦中にあってそれを生きなかったひとは。

今夜は清水画伯の絵の夢を見るだろう。あの難民たち。


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- 2007年01月26日(金)

目の錯覚か、酒のせいか。

コンクリートの壁に映ったのは、なんだったんだろう。
「墓の上を誰かが歩いた」ようなそんな感覚。
振り返ってゴに聞いてみた。かれはなにも言わない。
仕方がない、だがじつに妙な感覚だった。どう解釈したものか。

月はスワンボートのようだ。
薄曇りの空の海をゆく。
わたしは夜半に小暗い道を下って、影のうちを立ちゆく。

孤独ではない。
傍らにはゴがいるし、私の手の中にはもらったばかりのキムチ。
こうした気配に守られていれば、夜は明るい。
月の舟をヒッチハイクさえできそうな気がする。

どこへでも行ける、何にでもなれる。


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- 2007年01月25日(木)

ゴという名前をつけた。

膝の古傷が再燃した。調子に乗って歩きまくったせいだろうか。
医者にいわせると、悪くもならないが、多分もう治らないそうだ。
まあ仕方ないので、これから長くつきあっていくのだし、
名前をつけることにした。それで、ゴである。

ゴはたとえて言うなら、50がらみのオッサンである。
背は高く頑強で、髪はもう白いが腕は丸太のようにたくましい。
西洋人の血の混じったような彫りの深い顔立ちはいつも渋っつらだ。
冬のせいだろうか、炭坑夫のような黒い重たいコートを着て、
両手を体の前に重ねてのっしりと立っている。

ゴは私が家でくつろいでいるときは姿をあらわさない。
ゴはいつでも道中の道連れで、私の右側を歩く。
見かけにそぐわないが、おそらく紳士なのだろう。
私を置いてゆきもせず、遅れることもない。
ゴはずっと、どこまでも私に寄り添って歩いて行く。
あと何年か、何十年か知らないが、わたしとともに行く。

ゴはおそらく人見知りなのでまだ私が話しかけても返事をしないが
もうあと何年か、それとも何十年かすれば親しく話しができるだろう。
かれはたぶんとても情に厚い男なので、
わたしがようやく死ぬときは、きっと私の手をとって撫でながら、
その分厚い頬に静かに涙を流してくれるだろう。

ほら、わたしはずいぶん、ゴが好きになった。


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- 2007年01月23日(火)

ジンニーア、久しぶりにおまえを思い出した。

わたしのおまえ、おまえは今どこにいるのだい?
砂漠の果てではないね、大海の千尋の底でもない。
どこか、愛か憎しみか諦観か、なんだかそんなところにいるのだろう。
まったく、おまえは海の神のような変身をわたしに強いる。
おまえを見いだすために、わたしは次に何に変わればいいのだね?
火かね? 水かね? それとも怪物か、魚か、そんなようなものかい?

ジンニーア、わたしのおまえ。
いつか、わたしはおまえを見いだせるのだろうかね?
火に水に怪物に、また魚に変じて追跡していけば?
確証もなしに、だがわたしは予感めいたものを持っているよ。
わたしがおまえを見いだしたとき、そのときわたしはおまえだろう。

そら、笑っているね?
どこにいるのだい、ジンニーア?
わたしはきょう、おまえの影を見たよ。
それは寂しくほほえむ死の形をしていたが。
だが、ジンニーア、そうとも……そこにいるね?


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- 2007年01月22日(月)

腹筋。

せっかちなせいか、反動をつけてほとんど効果を感じたことのない腹筋。
しかし、背骨がどうやら曲がっているので筋肉はつけたほうがいいらしい。
というわけで「伸ばす」腹筋をやってみた。

やり方はいたって簡単。通常は「起きる」ところを、「倒す」のだ。
ただし倒れ始めてから背中が床につくまで10秒かける。
これがけっこうきつい。今のところ10回が限度だ。
しかも筋肉痛。腹を押さえていたら下痢と間違われた。
……あいにく便秘症だよ。

地道に筋肉をつけよう、と思う。
その一方で、最近、本を読んでいないことに気づいた。
時間というのはまったく! 必要なことをこなすのにも足りないとは。
と、そこではたと気づいた。中学生のときに同じことを考えたのだ。
それで、「やりたいことだけしよう」と決意した。
読みたい本を読み、したい勉強をして、行きたいところに行く。
それだけで十分、短い人生でほかのことに時間を使うのはムダ。
というのが当時のわたしの思考だった。

いま考えれば笑い出したくなるほど甘ちゃんである。
健康でなければ、どこへも行けないしなにもできない。
人好きのする人間でなければ開けない扉は多い。
なによりも、知識とは生きたものであって、本や映像の中にはない。
他者との関係性のうちに花咲き実を結び、自らのものになるのだ。
簡単にいうならこういうことだ、自ら変化せよ。

腹筋や背筋をつけて、スタイルよくなり、オシャレになる。
これはこれだけのことではない。
そうしたものとしてしか見ることのできない世界を見ることになる。
わたしはそれが欲しい。新たな関係性、新たな扉、そして精神。
いいじゃないか、なりすまそう。そうできるものならば。


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- 2007年01月18日(木)


 死は眠らない。彼女はいつも陽気で、とぼけたしっかり者で、ちょっと小悪魔的な魅力がある。彼女は通説に反して美しい。これについては長兄たる運命がかれらしからぬ親しげな微笑とともに言ったことがある。
「思うのだが、人は死をおまえのようなものだとどこかで信じているのだ。かれらが常々言っていることからすればいささか奇妙ではあるが、つまりそういうことなのだろう。おまえはそのようでなければならず、そしてかれらはそのようにいわねばならないのだ」
 いささか冗漫なのは運命の常、と三差路のヘカテなら笑うだろう。そして死もまた兄の言葉を聞いて笑った。陽気であけっぴろげな笑いだった。

 笑い。かれら終わりなきものたちはよく笑う。たとえば私の小さなペンダントのように笑う。それは銀化しみどりがかったガラスで、たぶんローマの時代ほど遠くからきた。時と海を超えてわたしのもとへ。そしてまたどこか遠くへと立ち去ってゆくのだろう。
 それはわたしの胸元で笑う。しばしば笑う。それは言う。
「わたしはキリストに先立って炉に生まれた。シーザーが殺害された日、わたしはある貴族の家の食卓の上にあった。多くの人間がわたしを所有したといったがかれらは消え去った。ローマの栄光、イスラームの日々もまた! なんじら短命の種族よ」
 しかしながらそれは笑うより多く歌う。物質より多く歌だ。それゆえ私は胸元に、ひとつの古い誇らかな歌を下げているといえる。

 いつか死が私を訪れたとき、この話をしよう。彼女は笑うだろう。


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- 2007年01月17日(水)

ようやく思い当たった。

荒井さんに借りた「サンドマン」を読んでからすっきりしなかった。
この状態はけっこうくせ者で、脳みその一部が意識とは切り離された場所で
延々と稼働しているということだ。はっきり言うと仕事の能率が落ちる。
加えて休むにしろ本を読むにしろ、上の空ということになる。
何を考え込んでいるのかといぶかしく思っていたら、こういうことだった。

なぜドリーム(=サンドマン)はデスの「弟」なのか。

もちろんサンドマンは一個のイギリス人の織った物語だ。
かれがそう思ったというだけで十分かもしれないし、
また英語においては姉妹兄弟の別をつけては呼ばないから、
翻訳者がそんなふうに訳しただけという可能性もあるわけだ。

しかしながら誰かが夢に先だって死があったと考えたことは確かだし、
それをわたしが非常に深いレベルで奇異に思ったというのも確かなのだ。
いったいこれは、どうしたものか。どういうことか。

まだしばらく上の空は続きそうだ。


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- 2007年01月13日(土)

あめつちに ただひとりいてたつごとき
そのさみしさを きみはほほえむ


という言葉を思い出したのは、松が峰教会に出かけたからだ。
宇都宮に古いものは驚くほど少ない。
大空襲で民家の古いものが失われ、
最近になって明治の創建になる県庁が改築によって失われ、
いま残っているのは樹齢400年の大いちょうと、
空襲をこえて120年余を存在し、いまも生き続けるこの教会だけだ。

生き続ける、といったのは、脆い大谷石からなるこの教会が、
人々の信仰という目に見えない諸力を絶えず吸入しコミュニティとして
機能することを義務づけられているからだ。
パイプオルガンは日々使われていなければならない。
大聖堂の床板は参詣の人の足と掃除の手がなければならない。
大谷石は必ず毎年、点検と補修を欠かされない。
これがどれほど困難で、忍耐強い情熱を必要とすることか。

歳月をまとい、維持され守られるということのすばらしさまた困難さ。
すべての細部が呼吸しているようだ。
わたしはこの教会をひどく愛しくおもう。
この教会によせられつむがれた思いのゆえに。
こうした深い情愛はまさに郷里に対するものと等価で、
だから私は、どれほど遠くへゆこうとも、確かなものを持っている。

ほんとうに価値あるものは、生きて死ぬということであって、
そのすべての細部を、深く深く愛するものが豊かに生きる。


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- 2007年01月11日(木)

何にでもなれるし、どこへでも行ける。

むろん、私は無人の荒野を行くわけではない。
私が「何」であるかというのは多くの場合、他者との関係性で決まる。
とおくへ行きたい。はっきりと肌合いの違う人々のうちに身を置きたい。
「ここ」にはもう耐えられない。私は疲れている。ひどく疲れている。

厳冬の原へ、砂漠の裡へ、灼熱の浜辺へ。

幸福も不幸もまた他者とのいかなる関係も求めることを知らない、
凶暴な魂が私のうちにあって、ただただ外へ出ようともがいている。
こうした情熱はいかにもタナトス、死への情熱と呼ばれよう。
性愛すなわちエロスとおおよそ縁なきは、なるほど、そのためでもあろう。

こうした苛立ちと外への熱をなだめうる人はいるだろうか。
過去にはいた。だがいずれにせよ私のうちの凶悪さが勝った。
わたしはかれを気の毒に思う。ひどく気の毒に思う。
どのような人生も人生である、それは間違いない。

人間のふりをしよう。わけてももうすぐ三十になる女のふりを。
もしも外見に内面が透けて見えたら、わたしは巨きな獣であろう。
巨きな獣であって、そしてどこにもいないだろう。
わけても「ここ」には。あらゆる「ここ」には。


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- 2007年01月08日(月)

 さて、「この世の果て」から始めよう。そこは泥炭の沈んだ湿地で、何種類かの葦のほかは何も生えない。ほとんど四季を通して重たい霧がかかり、迷い込んだものたちを底なしの沼地へと誘い込む。ここまでお読みになってわかる通り、あまり人好きのする土地ではない。だからこそ有史以前にこの国に住んでいた金髪碧眼の獰猛な種族はそこを「lands end」つまりこの世の果てと名付けたのだ。にも関わらず物語はこのendから始まるのだ。

 一羽の赤鵜が霧の底の葦の茂みに巣をかけた。いつのことだか私は知らない。おそらくいかなる人間種族も知らないだろう。いずれにせよこの鵜は巣をかけ、その貧しい空間にいくつかの卵を産み落とした。

(気が向けば続けようっと)


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- 2007年01月07日(日)

入社当時に買ったスーツのズボン →はけるがシルエットがちょと違う
入社2年目に買ったズボン    →ぶかぶか。でも丈が足らん。
入社4年目に買ったスーツのズボン→腰から落ちるがな!
昨年の春先あたりが増量ピークだったのかな?
自分で買った服が少なすぎてよくわからないなあ。
コンスタントな体重で衣料費を抑えたいですよ。
いらん服どうしよう。この際、捨てるか…。

ちなみに今はダイエット開始からマイナス8・5キロです。
11月3日から始めたので、だいたい2カ月の成績かな。
あと1・5キロ減ったら「減量」は終えることにする。
方法を知りたい人と後の私のために書くと、

1:朝ご飯は食う。(ごはん・みそしる・納豆・小魚・のり・りんご半分)
2:午前中はできるだけ歩く。仕事でもこまめに外に出る。
3:昼飯はがっつり食う。出されたものはみな食う。ちなみに外食。
4:午後もできるだけ歩く。仕事でもこまめに歩き回る。
5:間食はナシ。もしくはミカン1コくらい。
6:夜は軽め。もしくは前日や昼に食べ過ぎたらナシ。
7:風呂上がりに30分かけてストレッチ。これ多分重要。

楽なダイエットだった。いやほかにダイエットしたことないが。
実は仕事の能率も上がった。雑事でも歩く意識で後回しにしないから。
年末年始でご馳走もずいぶん食ったが、だいたい昼だけ。
食った後にばたばた働くと寝る前にはきっちりこなれている。
ちなみに、体重計は週に1度で十分だ。

突発的にお菓子が食べたくなったらとりあえず大量に買いこんで、
自分では食べずに職場に置いていた。気の利く人と言われてますますOK。
でも多分、上司は私の代わりに2キロは太ったな…。自己責任だが。
最上級のお菓子を選んで買うだけで、けっこう満足するもんだわ。

さあ服装のセンスを磨き、私らしさを引き立てる化粧を学ぼう。
あーもう眉どうせいと(悩)


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- 2007年01月06日(土)

さてそれで、パーマをかけてきました。
といっても毛先がまとまる程度の遠慮がちなパーマです。
途中、なにが面白かったってカーラー外した瞬間そこには

片山さつき

がいましたよ。
いやーマジびびった。
びびってたら美容師さんが「大丈夫ですよゆるくなりますから」と
フォロー入れてくれてほんとに安心した。死ぬかと思った。
まるでバネだった。びよんびよんいってた。

明日はジーンズを買いに行くか。
それともたまってる本を読むか。どっちもだな。あと仕事もしようっと。



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- 2007年01月05日(金)

わたしずっと一人で暮らすのかしら。

というようなことをふと考えた。
これまでなんら疑念なく信じていたのだし、それが最善だと思ってもいた。
しかし考え始めるときりがない。まったくきりがない。

わたしはようやく人になりつつあるのか。
眉毛のように、半分は問いと答えと練習によって獲得されるのか。
だとすれば


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- 2007年01月04日(木)

いま、夜は鎮まっている。だがいつか、あるとき、夜は目覚めて歩き出す。
そのとき世界は眠らなくなる。そのとき世界は苦悩を知るだろう。


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- 2007年01月03日(水)

「あなたは狂ってる」
 席に着くなり女は言った。僕はやや面くらって笑った。なるほど僕は知らないうちに狂っていないとも限らない。この現代では誰がその可能性を否定できるだろう? だがよしんばそうだとしても、初顔の女にさえ指摘されるほどわかりやすい狂気ではないはずだった。
 女の顔を、僕はまじまじと見つめ、こんな夜更けのクラブでは、そうした挑発的な引っかけもあるのだろうかと考えた。女はそんな僕の考えを見透かすように瞬きもせず、こちらを見ていた。
「こうは考えられないだろうか」
 僕は慎重に言葉を始めた。
「狂っているのはきみの方だとは? でなければ、なにかの誤解だとは?」
 女はいらだちもあらわに頭を傾げた。
「わたしは狂っていないし、これは誤解でもないわ。あなたは狂っているのよ、いずれにせよね」
 女は引くつもりはないらしかった。私は女が美しい顔立ちをしているのに気づいた。背にかかるほどの黒髪はただ単にまっすぐで、服装は野暮ではないにしろ男を誘うような気配には欠けていたが。僕はグラスを引き寄せて、淡い炎の色をした酒の香をかいだ。古いジャズは遠くのステージからオルゴールのように低く響いてくる。
「だとすればね、ともかく僕はまだきみの見解を支持するだけの根拠を持たないのだから、きみが証明してみせてくれなければね」
「わかったわ。私にはあまりに自明だけれど、ともかくやってみましょう」
 女はそっと唇を舐めて、背もたれに体を預けた。
「あなたは昨日、自殺する夢を見たわ。薬を飲んで。薬は…ハルシオン、ううん、もっときつい薬ね? でも死ねなかった。救急を自分で呼んだから」
「そうだ、電話で」
「ええ、もちろんそうよ。夢の中であなたは胃洗浄をされて、ひどく苦しい思いをした。病院の床は冷たくて居心地が悪かったわね?」
「自分の吐瀉物の臭いがしていてはなおのことね」
「それから、今朝起きてからあなたは妻をもらおうと思ったわ」
「もちろん」
 僕は深く頷いた。そして上機嫌でグラスを弾いた。この女はなかなか楽しいことを言うのに違いなかった。もっとも女はというとひどく青ざめて、着ている青りんご色のドレスに似た顔色になっていたが。
「何のためかも私は知っているわ。あなたは妻をもらって、誰にも気づかれないようにいたぶって、傷つけ、おとしめ、精神を完全な荒野に変えてしまおうと思ったのだわ。あなたはそれをいい思いつきだと思ったのよね?」
「すばらしいと思ったね」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。あなたが大切に心の中に書き留めたいくつかの手法をここで言ってもいいけど、それは省きましょう。いちばん大切なことが残っているから」
 女は僕を見た。そこで僕は女が東洋人だということに初めて気づいた。面長で、右の頬の上にほんのわずか、薄いしみが浮いている。
「あなたは、今年のうちに死ぬのね」
 多分、僕の表情は変わったのだろう。それはまだ私が考え至ってはいないことだったが、確かに僕自身のうちにちらちらと、木の間の光のようにそっと姿を現しつつある思念だったのだから。女は声をひそめ、身を乗り出して続けた。
「あなたは今年のうちに死ぬつもりでいる。どんなふうに死のうか、どんなふうに酷く死のうかと考えている。いつ、どこで、誰の前で、それとも誰とともに死のうかと。あなたは詩人が天啓を待つようにいい思いつきが降りてくるのを待っているのね」
 僕の背筋に鋭い喜びが走った。僕の前にいるのはベルダンディ、それともあのアポロシスの三女神のうちの誰かであるのに違いなかった。だが僕はその思いを押さえて笑った。まだ最後の問いが残っていたからだ。
「ご婦人、話の腰を折ってすまない。あなたは正しい。朝の太陽のように正しい。だがここで僕は主張させてもらいたい。あなたの正しさにもかかわらず、僕は少しも狂っていない」
「ええ、そうでしょうとも」
 女の答えは凍り付いたようだった。女は立ち上がった。それで僕には女が背が高いことがわかった。おそらく僕と同じほど高いだろう。僕はけっして背が低くはないのだが。
「でも私には自明なのよ」
 女はふいに悲しそうでさえあった。


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- 2007年01月02日(火)

年が明けましたね盛大に。

今年の目標は「おしゃれ」です。
シャレじゃございませんよあたしももう数え30です。
オバサンになる前にもちっといろいろ学んでおかないと。
いつもながらネックは足と肩幅だったりするわけですが、
まあムリせずぼちぼちやろうかと思っています。

それで読みましたが「独白するユニバーサル横メルカトル〜」。
こんなもんが1位になるこのミスはもう来年からあてにしません。
これちっともミステリじゃないから。
おまけにエグいしグロいったらありゃしない。
最近はもう年に1冊しか小説読まないのに、それがこれってかあんまりだ。
白状するとこの異様な視界は面白くさえあったんですがね、
でもミステリじゃない。絶対にミステリじゃない。

更にその昔借りてざっと読んだだけで放っといたアメコミを読みました。
アメコミじゃないじゃん、的な衝撃を受けました。
シェイクスピアをマンガでやったみたい。さすがイギリス人。
最近なんかイギリス人に縁があります。もしくは在イギリス日本人。
イギリスに行きたいかというとすべての食事のまずいところ同様、
ノーなんですが。でもコーンウォールは行きたいかもなあ。


遅くなりましたがあけましておめでとうございます。


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