- 2006年12月30日(土) 永い孤独の重荷を下ろして、男は微笑した。それはほとんど筋肉のわずかな痙攣としか見えないほどぎこちないものだったが、それでも笑いであったのだ。そうとも生きるには百年で長すぎる。笑いはそれより早く老いる。 「さあ、来なさい」 美しい娘は言った。その肩越しに無数の星がきらめき、そして無窮の砂塵が広がっているのが男には見えた。永の年月、星はかれには道しるべであり砂漠は恐るべき敵手であったが、このときはただ、そのどちらも懐かしく、ふるさとの早暁とも思われた。しかし男は立ち上がるには疲れすぎていた。 「参ります」 男はそれだけ言って、娘を見た。娘は辛抱強く、そこに立っていた。頭の被布はゆったりと垂れ下がり、その薄い布地の向こうに星は透けていた。そうしているうちに - - 2006年12月29日(金) 生理中は なんでもないことが大きく感じられる。 感情などというものは、実に豆腐同然の壊れやすさだ。 こうしたことは、器質的理由のほかにおそらく進化上の理由がある。 つまり、交接しえない期間にもパートナーを引き留めるには、 傷つきやすく、もろい、庇護欲をかきたてるような存在でいるべきなのだ。 肉体は太古の起源に属し、現代社会は着慣れない衣服に過ぎない。 分刻みのスケジュールなどというものは肉体にはなじまない。 にも関わらず、仕方がないときはいつだって仕方がないのだ。 つなぎとめておくべきパートナーもない身だが、 しばらく群青色の猫になって、日向で丸くなっていよう。 - - 2006年12月23日(土) 悲鳴を上げたい気分だなあ。 いっぱいいっぱいのとき、というのは、他人に迷惑をかけるときで、 迷惑をかけられた他人はたいてい傷つくものだが、 それについてはいかんともしがたい状況がある。 このとき、いっぱいいっぱいな自分自身を優先するか、 それとも相手を優先するかという、いわば究極の選択がある。 たいていの場合は、それこそ悲鳴をあげたいくらいの状況だから、 もう自分のことだけでいっぱいよ!ちゃんと謝ったわよ!とかさ、 言いたくなるものなんだけれど。 でもそれは、やらないほうがいい。 なぜなら私の事情は私の事情に過ぎないからだ。 私が私の事情で誰かを失望させたり残念な思いをさせたという その事実をまずよく考えて、自分を押さえられる。 そんな人間でありたい。 もっともその根底にあるのは、 誰一人、私のことを自分自身以上に考えてくれる人はない、という、 まあいわば冷えた認識であるのだが、でもそれは、当然のことだ。 さあ、悲鳴を殺し、苛立ちを殺し、まっすぐに前を見て、 進んでいこう。生きるとはただその第一義として日を追うことだ。 - - 2006年12月21日(木) こんなことになるんだろうとは思っていたよ、それこそ7月から。 まあアレだ、よく8カ月もがんばったとほめてやろうじゃないか。 今は横たわって、すり減った多くのものをゆっくりと癒せばいい。 というわけで新人くんが壊れました。 まーなー。所詮ムリだったんだと思うよ、この業界には。 朝早いし夜遅いし休みなんか薬にしたくもないし、 仕事そのものが精神的に負荷が大きいしね。 なりたくてなったわけじゃないというからなおさらね。 しっかしなァ、倍増した仕事をどうしてくれよう。 今年はもしかして1秒も帰省できませんか。そうですか。 そんなこと言ったら、母上きっとがっかりするなあ。 久しぶりに家族全員揃って、誕生日を祝ってあげられると思ったのに。 ときどき文句も言うけれど、愛してるよ。 - - 2006年12月18日(月) 「愛しいひと、あなたは僕の泉か庭のようなものでいてください。 僕にはなにか、大切にできるものが必要なのです」 サンテグジュペリ、妻への書簡より 郷里価という言葉を思い出そう。 わたしの泉、わたしの庭、大切なもの。 はかなく消えてなくなると知りつつ、心からなる思いを寄せる。 そのひとといるときにだけ、私は穏やかで、善良で、全き人間になれる。 そんな、ひと。 - - 2006年12月17日(日) 紅茶と緑茶に飽きたので、プーアル茶を買ってみた。 …臭いんですけど。(20包入りのケースをじっと見る) 流行の「すきにーじーんず」というのを試着してみた。 すげーぴっちぴちだな、オイ! いくつかいいのもあったのだが、 リーバイスの類似シリーズが近いうちに入荷するというのでやめといた。 足が長く見えるのはいいが、どう考えても作業着ではない。 買い物がきらいな私だが、例外はジーンズだ。 同じズボンなのにこんなに千差万別なシルエットもないよなあ、とか思う。 あとは太ももの内側の肉がなくなれば…ちっ…。 母上が明日いきなり来襲するらしい。 あんなー、おばちゃんらと喧嘩したからゆうて俺んとこ来ぃなや。 どうせグチを聞かされるのである。まあそれはいいが。 母は私を見ると何か食わせようとするという困った性癖がある。 心配してのことだというのはわかっているが、はっきりいって迷惑。 説得はムダというのは証明ずみ、ではどうはぐらかすか、それが問題だ。 他人に食い物を勧めようとする人は多いが、迷惑である。 送ってよこすならこちらもタイミングのとりかたはあるが、 目の前で食べろというのはこれ以上ない迷惑だ。 規則正しく食事のプランニングしてるっつーの、やめてくれ。 特に忘年会。「若いんだから大丈夫よ〜」ちゃうんじゃ…。 善意はときに悪意より迷惑だなァ、昔から知ってたけどさ。 - - 2006年12月16日(土) どうもいかん、しじゅう吐きそうになる。体調が悪いのか、ストレスのせいなのか。しかしながら私は一人なのだし、生きて行かねばならないのだから、そうしたすべてと折り合いをつける必要がある。 這うようにしてでも生きねばならない。どのような渦中にあろうと、星を見いださねばならない。息を吸って、吐いて。物語を探しに行こう。 - - 2006年12月11日(月) 阿鼻叫喚の巷を足下に見下ろす王女の眼差しは真の無感動とでもいうべきもので、仮にも民をば我が子と慈しむ王家のもののそれではなかった。しかしながらあまりに早くこれらすべてを予見していたその目には、すべては今さらのこと、あまりにもたびたび見過ぎてなんら目新しくもない悪夢の繰り返しでしかなかったのかもしれない。このとき王女カサンドラは石像のごとく王城の塔の頂きにじっと立って焼ける町を見下ろしていた。 一人の女が赤子を抱いて逃げまどい、数人のスパルタ兵に囲まれて突き殺された。死者の手から取り上げられた赤子は無造作に地面に叩きつけられて殺された。男たちは屍の土塁を築くように後退し、数人ずつ袋小路や家に追い込まれて殺されていた。炎は金の縁取りとなり金の灯火となってそれらすべてを照らしていた。王女カサンドラの目の前になにひとつ隠しておくまいとでもいうように煌々ととして陰りなく。あるいはそれは、この尊い美しい刀自がかつてその愛を裏切った陽の神の意趣返しであったやもしれぬとさえ思われた。それもまたありそうなことではあった。かの神の権能にはトルトール、すなわち拷問の主としてのそれも含まれていたから。 王女カサンドラは薄青い流れるようなマントをすっぽりとかぶっていた。その襞はゆらゆらと熱を含んで吹き上がる夜半の風に揺れていた。ときおり帯のように濃く吹き抜ける火の粉の群れがその頬を明るく照らした。もしもここにかの神のおわせば、あるいは再び恋に落ちたやもと思うほどにこの夜の王女は美しかった。着飾った美神アフロディテのごとく、青銅に装うアテナのごとく、天の女王ヘラの婚礼の日の姿のごとく、また闇中の真珠ペーセポネ、火炎を吐く犬を駆るヘカテのごとく。闇夜にかかる半月にも似て恐ろしくもの凄まじく、しかもなおあらゆる天上の気品を備えていた。すべての狂気と悲嘆と恐れは王女の身を去って、その横顔は生身とは見えなかった。 トロイアは滅びつつあった。町はいまやこの王女、カサンドラなる一柱の女神に捧げられた燔祭の犠牲のように屠られつつあった。王女はなるほどそのような豪奢な犠牲に価する方であった。そして、ならば、この祭りの施主はかの神アポロン、遠矢を射たもう御方であるに違いなかった。まことに疫病と死との高貴なる御主にふさわしい、偉大なる愛の祭典であった。そして死の。 - - 2006年12月06日(水) ジンニーア、あなたはどこにいるのか。 それともあなたは私の狂気なのか。 わたしはあなたと常にいたのではなかったか。 物心ついたときからあなたは私の片割れだったのではなかったか。 だがいまあなたはその眼差しさえ見えない。 あなたの記憶さえ薄れていく。 それともあなたはいたことなどなかったのか。 あなたはきっと眠っているのだ。 目覚めることなど思いもせずに。 - - 2006年12月05日(火) あなたは眠っている。目覚めることなど思いもしない。 - - 2006年12月04日(月) 胃が荒れている。 まあムリもない話だ、先月はよく生き延びられた。 持ち帰ったのが食欲不振だけだということはむしろ感謝すべきことだ。 というかダイエットが順調すぎます。3年前のチャイナが入ったよ。 ここまで30日で4.5キロ減少。振り返るとすげーなあ。 目標まであと少しだが、それを過ぎても減りそうで怖いです。 あんまり痩せると体力なくなるからよろしくないんだ。 あんまり太ると動きが鈍くなるからよろしくないように。 私の体は要するに手入れと維持にヒマのかかる道具だ。 どこにでも行けるような、筋肉質で強靱な体になりたいなーあ。 あと、スタイルがいいと衣料費がかからなくていい。 そういや私は171センチとでかい女だが、 健康体重は63キロで、美容体重は54キロらしい。 そんなのはまあいいんだ。私は一振りの刃になりたい。 - - 2006年12月03日(日) 生き延びた。もっとも明日からまたサドンデスだが。 最近、ふかく考えることがあった。 例の今市女児殺害事件のことだ。 もう1年が過ぎてしまった。まだ犯人はつかまらない。 鳩の中の猫のように、犯人は日常のうちに歩んでいる。 だがかれのうちの暗い衝動は消えたのだろうか? 悪霊のごとくかれは歩んでいるだろう。 かれのうちからはある種のものが抜き取られてしまっている。 いつまたああした恐るべき瞬間が立ち戻るのか、それはだれも知らない。 -
|
|