- 2006年11月30日(木) さあ明日はもう12月。生き延びなければ。 - - 2006年11月29日(水) 後輩にさじを投げました。 ええ、もう知らん。あんた、好きにせい。 謝罪の一つもできない、TPOもわきまえない。 社会人として失格だっつの。 もう知らん。 - - 2006年11月26日(日) 茫漠として天地は広がり、歴史のかなたに続いている。 その時空にわたる膨大さに、僧侶はかすかに目を細めた。 - - 2006年11月25日(土) 壁の向こうでクラヴィーアが歌っている。ハ長調ののびやかな素朴な響きは緊密に織られた音色の中からすっくと立ち上がって、聞くものの心を明るくするようだ。ククールは板におしつけた耳に何事も聞き落とすまいと息を殺した。弾いているのはマルチェロで、かれらのあいだには薄い木の壁がたった一枚あるきりなのに、この隔てを超えることは許されていないのだ。 ククールは一心に聞く。マルチェロは幸福だろうか? 苦しんではいないだろうか? 古い恨みにとりつかれて、以前にあったような暗い目をしてはいないだろうか? 音楽はかれを楽しませているだろうか? そうした問いは確かにクラヴィーアがいかに雄弁であったとしてもうかがい知れるものでなかったかもしれない。だがククールにはそれよりほか手だてもなかった。この薄い壁板はいわばかれとマルチェロのあいだのエンガスの断崖であってこの境界を越えられるのはただ音楽だけだった。 まだ音楽は続いていたが、ククールは身を起こした。絶えがたいほどの苦しさがこみあげてきて、もうじっとしていることはできなかった。ククールは傍らのケースから震える手でチェロを取り上げると、壁に向かって置かれた椅子に座った。一度、二度。調弦のために弓をあてると、ふいに隣室の音楽が絶えた。マルチェロは気づいたのだ。おそらくは半信半疑であろうが。 「……」 ククールは心を静めてゆっくりと弦を走らせた。変ロ短調の即興曲。限りなく暗く、葬送の足取りにも似た重たいラルゴ。わずかの技巧もなく音色は生まれ出て部屋を満たし壁を越えてマルチェロの方へと溢れていく。救い主の生涯のごとく短く苦悩に満ちた響きを弾き終えて、ククールは震えながら顔をあげた。マルチェロが気づかなかったはずはない。 数秒の沈黙のあと、壁のむこうから、心をふるわせるようなヘ短調が響き始めた。 この調子で24の調についてそれぞれ対話させようと思ったがやめた。 つーかムリ。すげー久しぶりに音楽家兄弟。 こういう兄弟げんかの仲直りの方法って音楽家らしくていいなあ。 最後はやっぱりニ長調でシメでしょう。 - - 2006年11月24日(金) かれのことを僕はどこまで話しただろう? かれ、シヴァスワミー。あの小さな村はもうどこにもない。かれという楔が抜かれてしまってから、あの村はかつての楽園めいた面影を失ってしまった。家々や人々は見えないところからじわじわと腐食し、荒廃していった。そうとも、大黒柱が抜き去られたとき、すべての梁が肋が影響を被らずにはいない。あの村は遠からず屋根の落ちた家のようになるだろう。そのとき荒れ果てた奥の土間に光が射して新たな青草が萌え出るかもしれないが、それはまた別のことだ。 僕は旅を続けている。だれもかれがどうなったのか知らない。だが少なくともかれが死んでいないことは僕にはわかっている。旧知の死者は僕の前に現れずにはいないから。ならばそれでよしとしなければならない。 かれ、シヴァスワミー。ぼくはかれがいったいどのような思いを抱えて生きたのか、また生きているのか知らない。いや、そもそもそうしたことは知ることができる種類のものなのだろうか? わけてもかれのような“神”が相手であるときに? 僕にはわからない。にも関わらず、僕はかれのことを考えずにはおれない。死者を食べ、それによって生き、それによって愛され敬されたかれのことを。僕にとって死者が親しいように、かれにとっても死者は親しかったのだろうか。どうした思いで死者たちの手と足とははらわたを食べていたのだろうか。僕はこれらをかれに問いたいのではない。僕はこれらの問いを僕自身のものとして問い返したいだけなのだ。 さて、肝心のことを書いてこの文章をまとめよう。軍人たちが乗り込んできて寺院を焼き、多くの僧侶たちを殺し、かれを連れ去った。かれが少しでも抵抗したのだろうか。かれはひどく殴られたのだろうか。それによって少しでも驚いたのだろうか。それらすべてかれの人生にはなかったメニューだが、案外かれはなにほどでもなく受け入れたのではないかと僕は思う。どこにいてもかれはかれだ。ただもしかしたら、かれはかれの旧知の人々を食べることができないことを残念に思っているかもしれない。それらの人々は生涯の終わりにかれに食べられることをなによりも願っていたのだから。それは寂しく土中に朽ちるより、どんなに幸福な思いを誘っただろう。 さあ、ほんとうに終わりにしよう。その前に僕の名前を伝えたい。僕は十塚光彦。僕は死者を見る。僕は死んだ弟を捜している。僕はまだ西へ行くつもりだ。 シヴァスワミーについての回顧を終えた。 終えたがどうもだめだ。 このインド人については、 内面からの回顧が不可能なので、このように書くしかないのだが。 九相図というやつがある。 人間の死から腐敗、白骨化までの相を描いた図だ。 ふつう、人間の愛情はこのどこかの段階やストップがかかる。 あえて進むと青頭巾になる。つまり腐敗した血肉をすすることになる。 そうした愛情を異常だとするのは純然たる健全さだが、 シヴァスワミーの場合はこれらすべての相を超えて人を愛する。 いわばかれには育ての親の眼球に歯を通すことと、抱擁が等しい。 この愛情は異常とされるだろうが、かれにはなんら奇妙なことではない。 かれは骨に至るまで深く愛する能力を持ち、 かれにとって食べることはもっとも親密な もっとも深い、もっとも懐かしい会話なのだ。 そうした人間は、たぶん人間とは呼ばれないのかもしれない。 - - 2006年11月23日(木) 『生きられた家』(多木浩二)を読んでしばらく考えていたのだが 宮本常一の『日本文化の形成』のしまいの部分でがつんときた。 家というものはおよそ我々の精神の顕現であり生の全容の神殿だ。 浦の家が舟に起源を持ち、地の家が古い縄文の竪穴式住居に起源を持つ。 しかしわれわれはただ至便であってしかし生のいかなる階梯にも属さぬ いわば片手の家に住み、しかもそれは何にも似ていない。 いったいこれほどの断絶のあるときに、「故郷」というものが まさにそれが存在する余地などありえようか。 ローレンツは、 「親友とは郷里価(ハイム・ヴァレンツ)を持つひと」と言う。 だがいま家すら郷里としての資格を持たない。 いわんや人、いわんや町。 我々は我々の精神の属さぬ家に住む。 それは歴史の喪失ではないのか、知識を離れた歴史の。 こうした家に血肉を通わすにはいったいどれだけかかるだろう。 それだけの日々のうちには、もう我々はどこにもいなくなっている。 居住のうちの漂白に絆を失えばどうなるか。 われらはどこへゆくのか。 境界人としての苦悶の根深さをあらゆる人が負えようか。 ある少年が、育ての親たるジプシーに尋ねた言葉を思い出す。 「ぼくらはなぜこんなにいい宿営地を離れるの」 ぐずる少年に、ジプシーは応えた。 「我々はその土地を最も深く愛して去るのだよ。 そうすればいつまでも懐かしく思い出せるからね」 結局、少年はその言葉に従ったが、もっと大きくなってから隊を離れた。 こうした論理のうちに生きられるのは、 その血に放浪の運命を刻まれたかれらだけだからだ。 わたしは物心つく前に故郷を失ったもののうちの一人だが、 ときにこの心は病んでいるのではないかと疑う。 なるほど言葉と知識においてわたしは日本人だ。 にもかかわらず私の手と目と心はそうではない。 ともすれば砂漠と南国に私の思いは攫われていく。 つまりこういうことだ。 わたしは家にかえりつくということがない。 - - 2006年11月22日(水) そういえばダイエット中だ。 11月のたしか3日から始めたから、もう19日か。 実際のところ3キロも減っていないから亀の歩みなのだが、 ともあれ健康的な生活はゲットしつつあると思う。 大事なのはアレだな、朝きちんと食べて、そっからがーっと動くことだ。 そうするとぽわーっと体が温かく、しかもほぼ一日それが続く。 なるほど新陳代謝がよくなっているのだなと実感する。 あとはこまめに歩いたり動いたり筋肉を緊張させたりすることかな。 朝食べるのは面倒だけどなあ、とお思いのあなた。 ごはんとみそしると納豆と小魚と海苔。 最強の組み合わせは、じつは楽でも最強だったりする。 お湯そそぐだけみそ汁がマル●メから出ているし、米も無洗米万歳。 前の日にやっとくことは、米を炊飯器にかけることだけだ。 動くっつったって、ゴミ出しのついでに坂のぼるくらいの話だし。 たかだか10分であれだけの効果ならやってもいいと思う。 この季節の朝は気持ちいいんだよなあ…。 まーアレだ。 いつまで続くやら。 え? 動機? 友達の結婚式が12月中旬なんです(それか) - - 2006年11月21日(火) ストレスかあ、ストレスなんだろうなあ…。 でもまあ今月を乗り切れば、なんとかなる。なんとかなる。 わたしは大丈夫。 - - 2006年11月17日(金) ようやくこの一週間を生き延びた(ぐったり) というのが偽らざる感想であって、 これは今の担当部署になってからいつもそうだ。 最近は朝7時出で、夜は11時ごろに帰れればいいほうだもんなあ。 そんでもって休みがなあ、ないもんなあ…。 まあ、ある程度サボるけど。 そんなに忙しいのに、後輩が風邪なんぞひきやがったわけですよ。 水曜から金曜まで、みっちり休みやがったわけですよ。 2人でよーやく回ってるのに、マジぃいいいい? 今月は余計な取りまとめの仕事までがっつりきているってのにですよ。 来週から復帰してきたら、ただじゃおきませんよ(グフフフ) 体調管理は、自己責任。 どーんなに忙しくたって、自己責任。 今月を生き延びられるかちら…。 - - 2006年11月15日(水) かみがみよわたしはとう へいわはどこにあるのか さいわいはどこにあるのか ひとびとはいずこにねむりをみいだし いずこに ああ、maine mute ↑よっぱらいにつき。 朝になって自分の知らない日記があるとびっくりするよ! - - 2006年11月14日(火) ![]() 秋はさらにさらにと深まってゆきます。 日差しは弱まり木々は散り透きます。 書くひまもない手紙のかわりに、この印象を送ります。 元気で、どうか元気で。 体に気をつけていてください。 - - 2006年11月11日(土) 木を思うことは、時間を思うことだ。 豊かにすっくとそこに立ち、その経たあらゆる風雨のすべてを語る。 見るものはそのとき、遙かな過去の前に頭を垂れるよりほかにない。 過去はつねに、「かつて現在であったもの」なのだが、 これを思うことは単にそれを思い出すにとどまらない。 それは「かつて現在であった」ものであると同時に、 それ自体が過去・現在の流れを持っている。 出来事であるならばその経緯と事後を持っているのだ。 これを思い返すことは、つまり有る特定の過去・現在・未来について、 まざまざと眼前に開くことであって、このようにすることは、 それは単に「かつて現在であったもの」の想起にとどまらない。 これを何といったらいいのだろう、例えば椅子だ。 それはかつて木だった。 それはかって誰かによって切り倒された。 それはかつて材木だった。 それはかつて工匠の手にかかった。 それはかつて組み立てられ、色を塗られた。 それは誰かによって買われ、誰かによって売られ、 どのようにしてかここに来た。 もちろんこれには続きがある。 誰かが座り、誰かがそこで何かをあるいはまた別のことを話した。 誰かがそこで泣き、あるときそこには誰もいなかった。 そのすべての時間の相は、意識するにせよしないにせよ、 形として残っている。だから。 だから切り倒される木、打ち壊される椅子は私たちを渺茫たる思いに誘う。 それは単にそれだけのことではなく、 それが保持していた、それだけが保持していた記憶が失われることだ。 この世界から、ある日の木漏れ日の記憶が消えたのだ。 それはたしかに、惜しむべき何事かではないのか。 - - 2006年11月09日(木) ![]() たとえばこんなふうに言うことができるでしょう。 わたしの心は何度も補修を重ねた古いガラスで、 わたしの思いはその向こうに朱く実る石榴です。 - - 2006年11月07日(火) あああああああああああ、もう! 早起きして歩いたら足痛いし、 後輩は相変わらず得体が知れないし、役に立たないし、 あっちこっちから無理難題はぶん投げられるし、 責任が半分ある人はぜんっぜん連絡つかないし、 タクシーは運転荒くてあわやバスと接触事故?!だし、 そうまでして会いに行った人にはイヤミ言われるし、 風邪っぽくて熱っぽくてぼうっとしてるし、 もう、どうしろってのよ! というわけで今日は夜、早めにばっくれてフロ入って、 さあもう寝よう。今週の日曜は休みのはず。はず…。 *レスポンス一切禁止。この日記はわたし専用の毒吐き・記録簿だから。 - - 2006年11月05日(日) 振ると面食らう=フルトヴェングラー といってそんなに聞いたわけではない。 オペラ『ドン・ジョヴァンニ』を見ただけだ。 そんで面食らったかというと、いやーそれほどでも。 このオペラ自体はずいぶん昔に見たことがある。 そのころから不思議というかなんというか。 2幕(だと思う)のうちのほとんどの時間は愚にもつかない喜劇である。 スケコマシが女をくどき、以前にふった女に逆襲され、 言い寄った女の婚約者に噛みつかれ、まあなんというか。 それで、最後にあのオチだ。 石像の出現は、現世的な悪ふざけの延長にあるが、 その出現そのものはとりかえしがつかない種類のものだ。 この瞬間、それまでの喜劇が実際は悲劇だったことが明かされる。 それは実際、カミソリで切り込んだようなパラダイム・シフトだ。 繰り返す、最後を悲劇にしてオチをつけたわけではない。 このオペラが人口に膾炙している理由は音楽の妙にあるが、 その音楽そのものが、最後の瞬間に恐るべき偈として突きつけられる。 明るい輪が縮まっていって最後に反転する感じ、あの足音。 この薄気味の悪さ、このぎらつく異界めいたもの。 バッハとは異なる俗で破壊的なまなざしがある。 「やさしい黄金の厳粛」にほとんど興味はないが、 『ドン・ジョヴァンニ』を最初に頭に鳴り響かせた 死に憑かれたモーツァルトには興味がある。 GGのへんなモツでも聞くかなあ…。 「俺はまっすぐな道を見失い、暗い森に入り込んでいた」 そんな感じがある。 - - 2006年11月02日(木) 星は太陽のことを片時も忘れないものではありませんか。 途方もなく引き延ばされた楕円の軌道をゆく彗星は、 もっとも遠くにいても太陽への思慕に突き動かされているのではありませんか。 かれは太陽を恋い慕い、その方へとたゆみなく落ち続けているのではありませんか。 離れ去ると見えてさえ、それは実際のところは止まぬ落下であって、 かれの軌跡はそれ自体が慕情の吐露に等しいのではありませんか。 さて、何から書きましょうか。 この33カ月で、 わたしは髪が伸びました。今では背中にかかるくらいです。 わたしは給料が少し上がり、困った後輩の面倒を見ています。 わたしはバッハの音楽を好きになりました。 わたしは仕事が好きです。きっと以前よりもっと好きです。 ほかは変わっていません、相変わらずです。 だからわたしたちは少しぎこちなく、少しのためらいとともに、 それでもやめたところからもういちど始めましょう。 ええ、そうです。 やり直せるということがこんなに喜ばしいと、思ったことはありませんでした。 - - 2006年11月01日(水) マッハで落ち込む。 なにもあてにはならないことを知っている。 肉親さえあてにならないし、理不尽はあらゆるところであたりまえだ。 理解者などいるはずもないし、いたところでどうなるわけでもない。 ただわたしは自分が求めるものをよく知っている。 そのために戦うべきものをよく知っている。 なら結局、起きあがり立ち上がり、のろのろとでも、 のろのろとでも歩いてゆくよりほかないではないか。 朝とともに。 言ってみよう、朝は夜の言葉を消す!そして忘れて歩き出せ。 -
|
|