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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年10月31日(火)

つきあいきれない。もうつきあいきれない。
遊びとはいえ「ほう・れん・そう」はきちんとしろよ。
こっちだってそんなに時間に余裕があるわけじゃねーんだ。
ここまで“ご縁”がないなら、もう仕方ない。
放置プレイに入ろう(さじ投げ)


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- 2006年10月30日(月)

永劫一夜

ソフォクレスのギリシア悲劇『オイディプス王』で、
オイディプスが盲目の予言者ティレシアスに言う。
「おまえが生まれついたのは永劫の夜だ」
確かに、ティレシアスの目に世界が明るむことはない。
かれは生まれ落ちて死に至るまで、ただひたすらに暗がりの夜を行く。
かれのゆくところすべてが夜になる。

日本神話では昼をおさめる天照大神に対し、夜を統べるのは月読命。
数えるにあたっては「昼を七日、夜を七夜」、
まさに夜は昼に異なる王国、異なる法が敷かれている。
ここにおいて、人間は日ごと夜ごとに国境を行き来する旅人となる。
なんらかの理由でパスポートをなくせば昼には帰ってこられない。
夜より夜を果てしなく渡りゆくよりほかない。



書きたいっぽいのは後者だ。
「朝への道」を探しながら、夜を行き来する誰かの物語を。
昼に憧れ、焦がれながら、けっして真昼に至ることのない誰かを。
これもひとつの物語の祖形だな。


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- 2006年10月29日(日)

平たい、あるいは傾いだ屋根を発明した人間が、雨音をも発明したのだ。
こんなに寂しい音楽を頭上に聴いた最初の人間は、
いったいどんな心地になったろう。

しずかにうつむいて涙を流したろうか。
それとも一心に、ただ一心に耳を澄ませて、
どこか遠くから語りかけてくるなにかを聞こうとしたろうか。

たしかにそれは空から降るさみしい歌で、
たしかにそれは何かを語っているのに
ただわたしやあなたにはわからないのだ。



ジンニーア


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- 2006年10月28日(土)

天地人なく時すでに滅び了りぬ。


  わたしはすきとおったガラスのきれいな地球儀を持っていて、



      それは







      もう すこしで











                                   壊れる。


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- 2006年10月27日(金)

まず、指摘があったのであやまってみる。
閑吟集55番歌は一休さんじゃなかったです。
ご指摘をありがとう、ひとつ賢くなりました。

ちなみに私は自分が間違っていたら当然のことながら謝るが、
「間違えた」ということを残すために消去はしない。
この日記はなによりも私自身のもので、私の間違いも私のものだからだ。
喜びや嘘や名誉や文章や写真や怒りや悲しみと同様。



認識界をとっぱらっちまうという考え方は、一見かんたんだ。
しかもなお、そのようにして得られる悟りについては見当がつかない。
心に何も生じない「無」が、悟りというきわめて観念的な境地に至るのか。
それともそこに見えてくるのはわれらの語彙にある悟りではないのか。

あらゆる概念が薄氷にすぎないことは容易に知れる。

善といい悪という、神といい悪魔という。
だがそれは我々の心という前提を除いては現前しない。
雑草という草などないが、その実、薔薇という花もない。
ただ此処の草があり花があり、それさえ見入ればただの細胞の連なり。
さらに見入れば原子となりついに量子論に至ってそこにはなにもない。
茫漠として縹渺と虚無が広がり、しかもなお限りなく豊かだ。

こんなものはあたりまえのことだ。

人は生き、人は死ぬ。
だが生死のあわいは限りなくあいまいだ。
息が止まる、血が流れなくなる、筋肉が弛緩する。
そんなものは右肩に下がるバイタル・グラフであらわせるのであって、
生死と名付けるのは人の心の習い性にすぎない。
そして振り返ればわれらは生きていると同時に端から死んでいる。
ここに至って生死は不明となって、ただあるばかり。
さらに見入ればあるのかないのかさえ問いえず得体なくしかも躍動する。

こうしたことのどこに悟りがあるのだろうか。

砂漠をゆくように世界をゆくものは、迷うことはないようだ。
もしくは迷っているという感覚を離れることはないようだ。
しかしながら、悟りというものがあるということも信じない。
悟りとはなんだろう。単に不立文字と言い切ってしまいたくはない。


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- 2006年10月26日(木)

禅の思想にはジレンマがある。
「雨月」の青頭巾からずっと思っていたのだが、
要するに禅の思想は認識界を「ない」と断言することにある。
だが文字を書き止めるという行為はそのまま認識界に属さないか。
こればかりは一撃のもとに撃ち殺すわけにはいかないのではないか。



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- 2006年10月25日(水)

善良であるということは、善良であろうとすることと一如だ。

天神様を相手に格闘しているのは承前だが、
骨休めもかねてちょいと一休さんの本読んだ。
気になったのは不殺戒の話で、これは簡単に言うと、


「一休さんは師匠とともに毎日ある樹の側を通ります。
 そのたびに蛇が出てくるのですが、
 師匠はお経を唱えて追い払っていました。
 ところがある日、一休さんは電光石火、
 隠し持っていた石を投げつけて蛇を殺してしまいます。
 師匠は『俊敏なやつだ』と一休さんをほめました」


まっすぐに読んだだけではなんのことやらわからない。
解説によると、こういうことだ。


 毎度まいど追い払って殺害という行為をよけ、不殺戒を守る師匠は、
 その都度に逆に「殺」という意識を生んでいる。
 一休さんは見ると同時に撃つことで心に「殺」を意識せず、
 かえって不殺戒を守ったのである。

 殺すという意識はあっても、殺すという行為はこの世にない。
 それはただ撃つという単なる一つの動作なのだ。
 これが禅の神髄だ。すべてのものなべて心によりて生じる。
 この幻影を離れ、真人たらんには、会うものすべてを滅ぼせ。


なんともはや。息を吸って吐くほどの鋭い論理だ。
この激しい、だが澄み切って淀みの入る余地もない思案の世界を
いったいどのようにして理解すればいいのだろうか。
そもそもこの流派は理解に対して拒絶の意志を示している。

ところで一休は、師匠曰く「羅漢」でもって真実の禅者「作家」ではない。
こう言われて、一休は「羅漢でけっこう、作家などにはならん」と言った。
すると師匠は「そこまでの覚悟があるなら」とお墨付きを与えた。
これもまたなにやら難しげである。いったい余人にうかがい知れない。

そこで最後に、よく知られた一休禅師の歌の一部を引きたい。





「一期は夢よ、ただ狂へ」(閑吟集)


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- 2006年10月23日(月)


 ゴルディアス、つまりゴルド人たちには一つの言い伝えがあった。かれらの町には女神に捧げられた大きな結び目があって、これをほどく者は世界の王となるというのである。この言い伝えには不可解な続きがある。「これを解くもの、世界の王たるべし。されど死をもってほかなにびとも解きえざるなり」いずれにせよ女神の神殿は一つの結び目も持たなかったのである。

 この言い伝えは奇妙な形で真実となったと歴史家ブロム=イユが指摘している。かれの半生をかけた大著『ゴルド全史』に記されているところによれば、723年に中断された法王即位式において、法王マルチェロが殺害された、もしくは単にその後の消息が絶えた事件がそうだということである。
 かれは書いている。

「法王マルチェロとその義弟ククールの運命こそは結び目であった。ドニに発しマイエラに再会し、世界に向けて真逆に放たれながらサヴェッラにて、またゴルドにて相出会った。世界はかれらの結び目に捕らわれたがごとし」

 さらにかれは続ける。

「法王マルチェロは剣を抜き、義弟ククールも剣を抜いた。かれらはこもごもに互いに向けて剣を抜いたと信じていたが、そのじつこの恐るべき結び目より放たれんとして剣を抜いたのである。
 この兄弟の戦いの結末は知られていないが、続いて暗黒の魔王が蘇ったことからすれば、法王マルチェロが勝利したと思われる。ここにおいて法王マルチェロは世界の王となったのである。しかしながら魔王の復活は直接的に法王マルチェロの死を意味したであろうから、つまりゴルディオンの結び目はかれの死とひきかえに解かれたのである」

 しかしながら、ここにおいて筆者は、法王マルチェロがその弟に敗れたとする確たる証拠を持っている。だとするとこれはどういうことだろうか。
 運命の絡まり合った結び目はほどかれて、勝者ククールは流浪の身として世界をさすらい、後にみずから法王の位を得た。かれは確かに兄の死をもって、また私が持つ確たる証拠によればかれ自身の兄とともに死んだ魂の一部を引き替えとして、この高い位への長い迂路をたどり始めたのだ。


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- 2006年10月22日(日)

日本古代文学に手を出し始めましたよ、この人は

正確には源氏物語、枕草子、方丈記、徒然草はさすがに読んでいるので、
本朝古代文学がまるっきり初めてというわけでもない。
しかしながら、感心したというのはこれまでないので、
これらの「超有名」「超ポピュラー」から外には出なかったのである。

というわけで、図書館からかり出してきたのは
「菅家後集」「菅家文章」「梁塵秘抄」「和漢朗詠集」
読み切れるのかしらとちょっとめまい。
要するに菅原道真の文章が読みたかったのである。

平安時代よりは、鎌倉とかの頑丈な文体のほうが性に合うと思うが、
まあなんだ、自分の好みにあうものばっかり読んでも仕方ないのである。
新たな扉、新たな風、人類の見た夢の多様さを私は得たい。
不遇の人(屈原、伍子胥、菅原道真)ばっかりなのはアレだけどさ。
源頼朝、織田信長とかも好きなんだけどなあ。


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- 2006年10月19日(木)

Calling...

おとぎばなしのあるお姫様のやうに、
あなたはそこに立つているのでした。
あなたのまつしろいきれいな素足は
世界中からあつまつた寂しい黄金の
乾いた細かい砂で埋ってゐきました。


ジンニーア、あなたはどこにいるのですか。
わたしは声をたてずただ痛切に呼ぶ。あなたはどこにいるのですか。


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- 2006年10月18日(水)

 あなたにどれだけの悲しみがあったのか、誰にわかろう。世界は悪に満ちている。消えた悲鳴を聞くものもない。それは、そうしたものだ。そうしたものなのだ。
 愛が自然であり人間の当然であるとするなら、悲しみと憎しみもまた人間の天然なのである。われらは愛したり憎んだりして数百万年を積み重ねてきた。


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- 2006年10月17日(火)

CSルイスの考察の要約:

 十字架を見るとき、最初に感じるのはたただ畏れであるが、もしその人が「私に代わって死につかれた」と信じるなら、そのとき、私たちは一人びとりが無限に深い力を得ることになる。なぜならその犠牲は私が生まれる前から捧げられていたのであって、いかなる猶予もなく、いかなる打算にもよらないからである。

 そしてまたそう信じたとき、私たちはその人にすべてを負うのである。生命も幸福も悦びも歓喜も、その人に負うのである。そうとも、これほど深い、無償の愛を捧げられたとき、自ずから溢れる愛を心に抱かないものがあるだろうか。その人に対して何も思わず、意見を持たずにいることはできない。その人はひとつの巨大な炬火であって、これを見るものは、その熱のもとに暖まるか、逃れ去って背くかの二択しかないのである。

 これはもちろん、倫理的にきわめて巧妙な強制を強いる計略である。しかし、それが神の計略であるとするなら、神は私たちを罠にかけておん自らのもとへ導かざるをえないほど、それほどに深くまた激しく被造物を愛し給うたという結論に、必然的にたどりつかねばならないだろう。

CSルイスがその著書で言っているのはそういうことだ。


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- 2006年10月16日(月)

知るということ:

 その日は朝からずっと、ククールはなんとなしに気分が優れなかった。
 聖歌を朗唱しても、訪ねてくる人々の治療をしていてさえ、不安に似た居心地の悪さは消えなかった。かといって熱があったり腹具合が悪かったりするわけでもない。
 いったいどういうわけだろうと、ククールはまるで匙が進まぬ昼の食事を前にして、ついに考え込んだ。しかし思い当たるふしはなく、鐘の音にせき立てられるように午後の日課を果たすために薬草園へ向かった。

 修道院の夕餉の時刻は早い。
 暮れ方の光は簡素な窓から射し入って、白壁に明るい橙色のまだらを落としていた。ククールはふと顔を上げて、そのうちのひとつに見入った。なぜという理由があったわけではない。ただそれが何かの言葉であるように思えたのだ。それは確かに彼に向けた言葉であったのだし、おそらくはこの朝からずっとかれに向けて語りかけていたのだ。だが読み解くすべだけがないのだった。

 晩課の祈りのさなか、不意にククールは気づいた。
 ずっと耳の奥で鳴っていた、ひとつの寂しい深い音色が絶えたのだ。絶えて、止んだのだ。それはもう二度とは還らぬであろう。世界は永遠にその音を失った。しかもそれはなにほども特別ではない。全ての音がそのようにしてついには失われ、しかも新しい響きは日々に夜々に生まれ来たって巨大な天の楽曲は終わることがないのだ。

 ククールは修道院を出て、川辺に歩み寄った。
 ましろい月の夜だった。どこまでも続く荒涼とした冬の風景を月光は無慈悲に照らしていた。強い東風が吹いて、葉のひとつも残らぬ木々の梢を震わせていった。ククールは流れの上にかがみ込んだ。水面は波だって、月影は千々に砕けていた。
 かれの兄が死んだのだ。



 予兆とか予感が好きだ。
 なぜかっていうと、知るとは論理的了解にとどまらないと思うからだ。
 先日、私の文章を「詩っぽい連なり」と評した方がおられたが、
 実際その通りだと思う。文章とは論理的説明ではなくて呪術だ。
 イメージを積み重ねて心象を作り上げる作業だ。少なくとも私には。
 だからこういう小文を書いているときがいちばん性に合う。
 誰か小説にしてくんないかな(コラ)


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- 2006年10月15日(日)

十塚の家だが、これはずいぶん昔から私の胸にある。
かれら「運命を識り、それが変ええないと識り、かつ幸福である」
この一族を主眼に据えて物語を書きたいものだと思っている。
しかしながら、こういう人々を書くにあたっては、「外からきた人」の
視点をもって語らざるをえないことは明らかだし、それは面白くない。
かといってかれらをまさに内側から書くとなると(うーむ)

戦時中、ということになるんだろうな。
どーみても悲劇。





それで思い出した。
うちの父方の祖先は、山梨県都留市に住んでいた。
それはもう、営々として数百年ものあいだ。
かれらは平家の落ち武者だと自分たちの出自を伝えている。
わたしはもう十年もそこには行っていないが、今度の休みに出かけよう。
そして見たい。私の血肉が育まれ、長の年月にわたって生きた地を。

思うに、あらゆる悪は地を離れることから始まる。
私は根を切り落とされた花のようなものだが、
それでも私の思いはあの山肌に張り付いた村にある。
あの山々は、私の精神の器に先立つ精霊が駆けた場所だ。


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- 2006年10月14日(土)

十塚光彦:

 十塚光彦は、少ない荷物の中から、毛布を取り出した。
 夜明けまでには、まだ間がある。ありったけの服を着込んだ体に、毛布を巻きつけて、ほう、と十塚は嘆息する。吐く息は端から白く霞んでいく。気温は、おそらく五度もあるまい。陽がさせば、瞬くうちに四十度を越すというのに、今は真冬のようだ。
 見上げれば、細い新月が西の空に今にも落ちそうにかかっていた。無数の星々が頭上をきらびやかに、まるで布に纏わる宝石のように散っていた。
「あれはオリオン、シリウス、カシオペイア……」
幾度見上げ、幾度数えても、その美しさに対する畏敬の念は尽きることがない。星々の生まれ、燃え、死んでゆくさまさえ、その都度に見えるような気がした。
 ――とはいえ。
 ようやく、そのあまりにも無機質な美しさに疲れて、十塚は、グルル、と唸りを上げた駱駝に視線を移した。この瘤のある種族をこよなく愛する遊牧民を除いては、お世辞にも美しいと評するものもない駱駝であるが、唯一の相棒となれば、話は別である。十塚は、背中を預ける形でその横に座り込んだ。
 周囲は、砂漠だ。視界のきくのは、焚き火の炎の照らすわずかな円形の面積にすぎない。その外には、闇。質量さえ持っているかのような。そして無限にも思える重厚さを湛えた。わずかでも気を抜けば、この円形の陣地に踏み込んでくるのではないかとさえ思われる。大地に最初の生き物が這い上がるより前から住み着いていた闇の最後の生き残り、とも。否、最初の星々の炎を発し始めるに先立ち、この闇は存在したであろう、とも。
 十塚は、砂の上に置いてあったノートを開いた。焚き火の赤光に映るのは、日記帖だ。表紙には、「1991.5〜」と書いてある。まだ新しい白を除かせる部分を残しながらも、紙はくたびれ、表紙は手垢に汚れていた。

 ぱらぱらと繰るページを埋めるのは、上手からぬ少年の文字。やや右肩上がりの特徴のある。所々これまたうまからぬ絵の描かれて、風物を説明する。土地の人々の纏う衣服、当人してみれば珍しかったであろう市場の様子、風変わりなお菓子の形。旅人なら誰でもつけるような、他愛ない日記。言葉交わす相手のない中で誰に当てるともなく。
 はら、と、巧まずして開いたのは巻頭の一葉。短い言葉の数語、ただ連なっただけの。十塚の目がゆっくりと瞬いた。一度、二度。焚き火はゆらりと眠たげに揺れる。口唇の、音なく静かにその言葉を読む。

『どこにも いない おまえへ』

 十塚の家はいつも、静まり返っていた。そうだ、僕の記憶にある限り、と、十塚光彦は考える。春の真昼、ゆらゆらと揺れる庭の池の緑の水面。縁側に腰掛ければ、軒に映った光の斑が見えた。音は遠い谷川の響きばかり。その向こうには灰色に近い新しい緑に燃え立つ山々。梅の白さは濡れた白墨の粉。耳を澄まし、目を閉じて、鼻腔に深く呼吸を吸い込めば、温もった水から立ち上るにおいに春だと知れた。目を閉じてさえ、瞼の向こうのなんと明るかったことだろう。
 黒の染料の臭いもまだ鮮やかな、真新しい制服の届けられた日のことを思い出す。
「兄さん、僕にも着させてよ」
「だめだよ、おまえには大きすぎるよ」
「兄さん、少しだけだから」
「おまえには大きすぎるよ、裾をずって歩くよ」
「兄さん、汚さないから」
 台所からはことことと味噌汁の煮立つ音。とんとんと包丁を使う音。真昼の光のなんとまぶしく縁側に落ちていたことだろう。薄青いパジャマを着て、高い熱に頬を子供のよう赤く染めた弟の、なんと懐かしい声で幾度もせがんだことだろう。
 部屋の隅には日本人形が硝子の箱の中で傘を持って立っていた。とうに亡くなった祖父、祖母、曽祖父、曾祖母、古ぼけた写真は黒い額の中におさまって壁にかかっていた。奥の座敷へ通じる襖は開かれて、その隅の仏壇がほんの少し金色に明るく光っていた。
「ほら、吉彦、見てごらん」
「ねえ、兄さん、僕にも似合うね」
「襟が少し曲がってる。じっとしておいで。――ほら、もういいよ」
「ねえ、兄さん。僕も高校に行きたいな。でも、中学校を卒業しなきゃいけないんだね」
「ほら、見てごらん。おまえにもよく似合う」
 母の鏡台の丸い鏡を二人してのぞきこんだ。パジャマの上に大きすぎる詰襟の学生服を着込んで、吉彦は嬉しそうに笑った。熱でいよいよ大きくなった目が、溶けたように細くなった。食事時を知らせる母親の高い声が二人を呼んだ。畑から戻ってきた父親が玄関の引き戸を開ける音が玄関の方から響いてきた。開け放たれた障子の向こうから、遠く川の水音が響いていた。

 ――ああ、なんと。
 遠い人々。遠い日々。遠い記憶――

 その瞬間にさえ、知ってはいたが。十塚の家の誰もが知ってはいたが。吉彦は中学校を卒業することはできない。父と母は遠からずいなくなる。光彦も。十塚の家は空家になり、やがて朽ちてゆく。そこにいた人間の痕跡もそのままに。
 十塚の家の人間は、多かれ少なかれ知っていた。知っていて、別だん不思議と思うことなしに日々を過ごしていた。それは空気のようなものだった。感情とは別のものだった。昨年死んだ隣家の嫁と学校の帰りすれ違うことも、多かれ少なかれ誰もが顔見知りであるような狭い村をどこか誰かの面影はあっても見知らぬ老婆がにこやかに歩いてゆくことも、不思議であるとは思わなかった。もっとも、それを口に出してはならない、と教えられる必要こそありはしたが。やがて親しい人々が死ぬことも、それがどのように来るのかも、なぜか知っていた。それでいて、何一つ気負うことなく日々を過ごしてゆけた。するべきことを果たしてゆけた。十塚とは、そのような家だった。

 それが幸いなのかどうかはともかく、と、小さく十塚光彦は呟いた。手の中の日記帳は砂の上に落ちて、さらさらと寄せて止まぬ細かな砂塵に文字を翳ませている。
 吉彦は逝ってしまった。それに先立って両親も。十塚の家の雨戸はこの手でたててきた。小さくなってしまって動きにくい喪服の脇のつる感触さえ、まだそのままに思い出せる。
 今はあの鏡には蜘蛛が巣を張っているだろう。誰も歩かなくなった廊下と縁側は次第に朽ちてゆくだろう。台所はもう水音を聞くこともないのだろう、時が屋根を腐らせ、壁を伝って水滴が漏れ始めるまでは。
 遺産の整理は父と母の手ですっかりついていて、簡単な目録の後には人を頼らなければならないときのためにと遠縁の叔父の名前と連絡先とが書き付けられていた。電話の伝言でも書き取るような、簡単さで。

 悲しかった。寂しかった。膝を抱えて、泣きながら眠りもした。置いて行かれたことに憤りもした。後を追おうかとも、思った。
 ――それでいて、やはり十塚の人間なのだった。
 葬儀の翌日、叔父に電話をした。型どおりの短い会話の後に、どうするのかと問われた。
「そうですね」
 黒い重い電話の受話器を持ったまま、しばらく、十塚光彦は考えた。
「砂漠へ行きたいと、思っていました」
 叔父は少しの間黙っていた。家を出て既に長い電話の向こう側の相手も、やはり十塚の人間なのだと、十塚光彦は知っていた。そして叔父は、結局止めなかった。

 あれから、めぐった国々はいくつになっただろう、と、焚き火の炎の明るむのを見て、十塚は考える。船で中国に渡り、列車に乗って。飽きれば下りて。高いチベットの山々の間をロバで歩きぬけた。真夏だというのに雪に降られて凍えもした。言葉の通じぬ人々に手厚いもてなしを受け、懐かしささえ感じる村々を通った―――幾つも。幸いに病気はしなかった。贅沢なもの一つ食べるわけでない旅行には、金はさしてかからなかったし、必要なものは、大きな町を通るごとに銀行から幾らかの金を引き落とせばそれで済んだ。孤独を感じることも――なかった。
「父さんとは、三度、母さんとは五度、か。おじいさまと、おばあさまは、一度づつ」
 ぽつと十塚は呟いた。死者は、黄昏時に、あるいは朝靄のまだ晴れない時間に、視界の端をよぎる。ふと、見たことがあると思い、誰であったかと数秒考え――思い出して振り返ればそこには誰もいない。それでいて遠い人々の懐かしい空気だけはいつまでも残った。十塚が孤独を感じることは、なかった。ただ、そう――
「吉彦……」
 二つ年下の弟だけが、一度も姿を見せない。一度も。
「兄さんは、おまえの顔を、忘れて、しまったよ」
 駱駝に体をもたせかけて、十塚は呟く。見上げれば、輝く星々は壮麗だ。月は既にない。ユーラシア大陸を半年かけて横切ってきた。ここは、砂漠。地図には『虚無の四半分』と記される、渇いた大地。地平線に至るまで濃淡も様々な茶色ばかりの。十塚は体にきつく毛布を巻きつける。駱駝を譲ってもらった遊牧民の男は、ずいぶんと心配そうな顔をして、長い間十塚を見送っていたものだった。
「おまえは砂漠に、ずいぶんと来たがっていたっけ」
 十塚は静かに囁き、駱駝の汚れた毛皮を優しく撫でる。遠い日に弟の髪をそうしたよう。
 写真嫌いの一家だった。数えるほども残っていなかった写真を持ち歩くことは、十塚はしなかった。懐かしさを感じるのは記憶の中に面影の破片――赤い頬、頬にかかった睫毛、額にもつれた真っ直ぐな髪――を何かの拍子に拾い上げたときだった。それらはあまりに鮮やかで、その都度に胸を貫くほどに懐かしかった。
「地図帳を開いては、いつか冒険に行くんだと、言っていたね。おまえの地図帳にはもう開きグセがついてしまっていて、落とすと、いつも、そのページが開いたね」
 短い間と、深い嘆息を置いて、十塚は、呟いた。
「僕は、ここに、おまえを探しにきたんだよ」
 帰るのは深い静寂。その名の人はもうどこにもいないのだから。十塚は静かに微笑んだ。静かに微笑み、深く嘆息した。深く嘆息し、目を閉じた。日記帳の文字は、もう半ば砂の細かな粒子に覆われている。そして砂を運ぶ夜半の風は止まない。



もう7年くらい前に死んでしまったキャラクター。
補足しておくと、十塚の家はいわば、視界の広い人間ばかりで、人間の運命や亡霊がフツーっぽく見える血筋。光彦はその最後の一人、ということになる。もっとも叔父さんまだ生きてるけどね。こっそり縁者もいるけどね。
実はこの断片のあとで、ジブリールくんと出合うくだりがあるんだけど、もうどっかいっちゃった。フロッピーの山から見つけた記念ってことで。


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- 2006年10月13日(金)

第二の疑問文(物語の外へ):

 処刑人が重たい斧を振り上げたとき、真昼の太陽がその刃先に滑ってぎらりと無慈悲に輝いた。囚人は地に伏せ手をついて首をのべ、その目には汚れた布きれが巻き付いて視界を閉ざしていたから、たぶんかれは、来る死がどれほど迅速であるかは知らないままだっただろう。
 さあ今度こそ、とマルチェロは思った。今度こそ、誰かが駆け込んできて中止を命じるだろうと。枢機卿の真実の殺害者をあかすだろうと。それによって囚人は無実が明らかとなり解放され、また一方で悪行が露見した俺は当然の罰を受けるだろうと。そしてまた、そのときすべての人が、神の法と正義とが最後には明らかであることを知るだろうと。マルチェロはそのときをおそれ、同時にそれを心から信じて待っていた。
 だがそうはならなかった。誰も処刑場には駆け込んでこなかったし、かれを含めて誰一人として制止を命じはしなかった。処刑は滞りなく進んで首がひとつ落ち、胴ばかりとなったからだは取り返しようもなく音をたてて地に落ちた。まったくなにひとつ予定外なことは起こらなかった。
 処刑人が立ち去り、ふたきれに分かたれた死体が運び去られ、立会人が一人ひとり姿を消しても、マルチェロは動かなかった。そればかり残された大きな血だまりの傍らに立って、生臭い臭気を慕って集った黒い大きな蝿が、次第に羽音の数を増しながら日差しの中を群れ飛ぶのを見つめていた。
 さあ来い、来てくれ、とマルチェロは願った。正義を告げる天使、神の名のもとに悪を断罪する天使はたしかに、取り返しのつかない罪が二重に犯されたこのとき、まさにこのとき、かれのもとに来なければならないはずだった。マルチェロは目を閉じて、ひたすらにそれを待った。
 日は移った。高い塀に囲まれた処刑場は陰った。マルチェロはしびれたような体でのろのろと天を見上げた。おそらく、歴史の初めから多くのものが
このようにして天を見上げたのだろう。救済をまた罰を求めたのだろう。だがそうした思いが応えられたことはなかったのだろう。視界の果てに無数の哀願と祈りと呪詛とそれらがむなしくなったさまをマルチェロは見た。神は沈黙し、一度たりともなにをもなさなかったのに違いない。ただの一度も。
 マルチェロは信じた。この罪があばかれることはないだろう。この手に塗った血は闇のままに葬られるだろう。常にそうだったのだから。それによって罪も罰もなくなり、それによってあらゆる道徳律もなく、従って神もまたない。そこまで考えて、マルチェロは、ふいにすべての灯りが消し去られたような思いに襲われた。胸のうちに広がったのは冷たく冷え冷えした空虚だ。
「それでは」
 乾いた声でささやいた。
「わたしは一人だったのだな?」
 応えるものはどこにもなく、陰は音もなくかさを増していった。





この小文を書きながら、「太陽の男たち」じゃねーよなと思った。
むしろ遠藤周作の「沈黙」じゃねーか。しかもスケール小さっ。
しかしながら、眼目とするところはそれでいい。
物語の形を借りて普遍の問いを発することで、
読者にも同じ問いを抱かせる。それが第二の疑問文だ。
それで第三はというと、これは相容れぬことの証明だ。
例文はー…なんだろ。自作中ではよくやるけどな。


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- 2006年10月11日(水)

前日分の疑問文を改変。ようやく納得いった。
ところで疲れてしまった。というか今日は割り当て語数オーバー…。


疑問文の奥深さと可能性と表現の深さ。
なるほど鬼は哭き、天は粟を降らさねばなるまい。
文章とは呪術だ。


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- 2006年10月10日(火)

最初の疑問文(否定):

 ルイネロのもとに一風変わった客があらわれたのは、十月半ばのある日の夕暮れのことだった。トラペッタには西の山々からそろそろ冬の気配を帯びた風が吹き降ろす季節で、夜ともなれば戸外を出歩くものは稀だった。
 水晶玉を机の上に置いて、ルイネロは客人が向かいの席につくのを待った。確かにそれは変わった男で、目深にかぶったフードとその下の厚みのある体つき、また腰に下げた剣からすれば、身分をしのぶ貴族か騎士と思われた。
「それで、お客人。あなたの問いはなにかな」
 ルイネロは単刀直入にたずねた。占い師らしいもったいぶったような身振りや話し方は、かれからはもっとも縁遠いものだった。彼はただの先見であって、問いを聞いて答えるべきは答え、そうでない場合には黙って戸口を指すだけだ。思わせぶりなやりとりやはったりは、かれにはまったく不要なものだった。そうした飾り気のなさはむしろ彼の矜持でさえあった。
「稀有の占い師なら、私の問いも言うまでもなかろう」
 男の言葉に、ルイネロは不機嫌に肩をすくめた。
「問いのない答えはない。求めぬ目に答えは目の前にあっても見えん。あんたが問おうと問うまいと答えは見えるだろうが、だがあんたの問いがなければ、それはあんたの答えとはならないだろう」
 男は奇妙に笑った。満足なようにも、そうでないようにも見えた。男は座りなおし、姿勢を正した。ルイネロは続く言葉を待った。
「私は問う」
 身分を明かさぬ男は言った。
「私は問う。私がこれからどうするべきなのか」
 ルイネロは黙って両手の指を体の前に組んだ。男は続けた。
「私は問う。いもせぬ神を畏れありもせぬ信じ救いを専一に求めようか。泥のごとき富をむさぼり権力に阿り媚びへつらおうか。野に下り人の世を離れて苦いばかりの草の根を糧としておぞましくもやせ細ろうか。市井に交じり人間の背丈にまで縮められた善悪にまで身を屈めようか。剣をもって一切を断ち切って彼我の血のうちに愚かしい望みを果たそうか。何をも省みず営々と石を積み槌を振るってせめて何ものか残そうとする妄念に身をゆだねようか。歳月とともに腐り果てる愛欲のうちに逃れ安逸をむさぼろうか」
 問いはよどみなく男の口から流れ出て、ルイネロを押し流すようだった。すべての可能性をおしなべて語りつくさねばならぬ強迫的な気配さえあった。ルイネロは口を引き結んで答えなかった。男は続けた。
「誰にも従わず己が卑小なる独立を誇ろうか。人とみれば春を売る女にもおもねって処世の卑しい巧みを喜ぼうか。何一つ価値あるものなどなきを知りつつむなしい探求に身をやつそうか。世を恐れ人を恐れ無為におちこもうか。なべて世を嘲み笑い怠惰にすごそうか。傷つけるばかりの正論を吐いて疎まれつつ一人正しきを心に頼もうか。根深い憎悪に憑かれて人を害するだけの存在になりさがろうか。あるいはそればかり何を生み出すことも誰を救うこともない諦念に身をゆだね口をつぐみ目を閉じて死を待とうか」
 男は唐突に結んだ。ルイネロはいつしか額に浮いていた汗を袖口でぬぐった。口の中はいつしか乾き、投げかけられた数多い問いのひとつひとつが刃物ででもあったように、体のあちこちを鋭く抉り抜かれたように思った。これはかれの知るいかなる問いでもなかった。それ自体がひとつの目となって占う目を導く問いではなかった。執拗な思考とでもいうべきものだった。
 ルイネロは震える手で輝く水晶玉に布をかぶせた。
「あんたはあんたの心のまま、思うようにするほかない」
 男は立ち上がった。椅子を引く音を聞きつけて、ユリアが戸口にたった。ルイネロは娘にうなずきかけた。
「帰られる。戸をあけてさしあげなさい。お代はいただかない」
 ユリアは扉を開け、そこに深い夜の暗黒に続く四角い闇が姿をあらわした。男は目深にフードをかぶったまま立ち去った。ルイネロはほとんど身じろぎもせずにその背を見送り、扉が閉じると同時に椅子に沈み込んだ。
「おとうさま、どうなさいましたの?」
 ユリアの声は暖かく響いて、ルイネロはようやく人心地がついたように思った。だが凶器のような無数の問いに遭った疲労はまだしばらく続いた。




 以上、一切を否定するものとしての大量の疑問文を挙げてみた。(改変済)
 明日はあれだ、「太陽の男たち」をやってみたいな。



 ぱそこんぶっ壊れてメールが受け取れません。御用のかたは

kei_watarai@hotmail.com

 へ、どうぞ。


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- 2006年10月09日(月)

三日で二度も酒を飲むと、さすがに肝臓が苦情を言っている。
といいつつもらいもののワインを開けているわけだが。
白ウメー。白。ドイツワインいいよ。

オタク話をできる機会というのが稀有なので、
イベントのオフ会というのはなんともいえず幸せだ。
顔見知りや、ネットで名前だけ知っている方とお会いできるのは、
これはありがたいことだ。あとはもう少し自制心が…。

仕事以外ではむすっとしているのがデフォルトなので、
モード休日のときは話すのがあまりうまくない。
こと文学や文章や物語については経験が浅いからなおさらだ。

論点を整理して、問題点や意見を求めるポイントを明らかにする手際を
もーちょっと学ばないと、良い「一座の人」にはなれないなあ。
つらつら考えながら書き言葉にまとめるのとはわけが違う。

あー楽しかった。
お会いしたすべての方にありがとう。









「天問」

いわく、遂古(すいこ)の初めは、誰かこれを伝道せる。
上下(しょうか)いまだ形あらず、何によりてかこれを知りたる。
冥昭(めいしょう)茫闇(ぼうあん)なる、誰かよくこれを極むる。
漂翼(ひょうよく)としてこれ像あり、なにをもってかこれを識れる。
明を明とし、闇をやみとす、これこれ何かなせる。
陰陽三合す、いずれか本にしていずれか化なる。


 遠い初めのことは誰がこれを伝えたのだろう。
 天地にかたちがまだなかったというが、どうしてこれを知ったのだろう。
 夜も昼もわからずぼんやり暗かったというが、誰がこれを見極めたのか。
 生気がみなぎる中に何かがあったというが、どうしてこれを知ったのか。
 明るさを明るさとし、暗さを暗さとするとは、いったい誰にできたのか。
 陰陽の気が交わったというが、どちらが本でどちらが変化したものか。



 この調子で天を問い地を問い、善を問い悪を問い、歴史上のおおよそすべてを問うてゆくのがこの歌だ。神々や聖人の業績といえども容赦なく問断されてゆく。こうした徹底的な問いかけにあったとき、これをどのようにとらえることができるだろう。


 一つの提案は、神前の問答を仮定するとよい。問いかけ答えて世の一切を明らかにしてゆく作業は、これは楚辞が持つ儀式的な由来を考えればきわめてありうることのようだ。肝心なのはここには答えがない。この提案はこの一事において疎外される。

 二つ目の提案は、うちに答えを含んでおり、問いかけのかたちをした教理の伝達であるということだ。確かにここには「遠いはじめ」において天地がまだなかったことや、夜も昼もまだわかたれていなかったことがある。しかし後段に進むにつれ、当時の倫理においては疑うことすら許されなかったであろう聖人たちの事象があまりにもざっくりと両断されていること、されすぎていることに違和感を感じざるをえない。実際、それらの問いは信じるべき方向性を仮にも示しているようには少しもみえない。この一事において、この提案もありえないだろうと見なされる。

 三つ目の提案は、これは最初のものの裏返しなのだが、呪詛だ。ひとつひとつの問いかけのうちに、そうした種々の信仰を、いわば芽をつむようにつみとっていって、なべて疑念を呈しえぬ真理などではなかったと見せ付ける過程である。楚辞の時代において信仰やその地続きである歴史は、人々の精神世界そのものであったはずであるから、この問いかけの意図はまさしく恐るべきものであったといわざるをえないだろう。


 この三つ目の答えを仮に真実として思考を進めてみよう。「天問」のなりたちは諸説ある。一説によれば不遇の身にあった作者が、方々の寺や洞の絵画をみて、憤りのままに書いてなじったものを後世のひとが集めたという。もっともそれにしては、これだけ長大な作品がほぼ順序良く並んでいるのは、かなりのとこ妙であるというのが定説だそうだ。学者のなかには、二の説に近いような民族叙事詩であるとするものもある。いずれにせよ過去のことは過去であり、謎は謎であるにせよ、これがいわば苦情を含んだ落書きであるとすればみなぎる否定の意思もわかるような気はする。


 司馬遷は「史記」の中で、楚辞の各編を読んで「その志を悲しむ」と評した。
 この言葉のなかに、屈原が身を投げて果てた洞庭湖の波おとを聞くように思う。


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- 2006年10月07日(土)

 Cast a cold eye
 On life, on death,
 Horseman, pass by!


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- 2006年10月06日(金)

壁を殴ったら、拳が青タンになってしまった(じっと手を見る)


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- 2006年10月04日(水)

こういうふうな

感情を


たとえば……という





                  のだけれど




     困ったな(笑)


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- 2006年10月01日(日)

永遠はすでに過ぎ去って
弦をかき鳴らしたように
日々が戻る


一匹の馬がまさに空を飛ぶとき、われらはそこになにを見るのか。
生命を消尽し抜く悦びを眼前にし、
歓喜もて日々を踏み抜く疾走を感じるとき、
輝くとは燃え尽きることだとそう識るとき。


かれは勝てるのか。
こんなことを考えているのが、いちばん幸せ。


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