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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年09月30日(土)

神々は眠ってゐる。

ここには円かな眠りがあって、
神々さへも眠るのだ。



え忘れざりし きみならで


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- 2006年09月29日(金)

Komm, du suse Todesstunde,
da mein Geist
Honig speist        
aus des Lowen Munde;    

Mache meinen Abschied suse,
saume nicht,
letztes Licht,        
das ich meinen Heiland kusse.


 来たれ 汝、甘き死の時よ
 死の時 我が霊は
 蜜を味わうのだ、
 その死なる獅子の口から

 わたしの別れを甘美なものにしてください
 引き留めないでください、最期の光よ
 わたしが救い主と口づけするのを


 こうした祈りの歌を、なにゆえ生きてあるわれらが聴かねばならないのかと苦渋に似た思いに捕らわれる。バッハはわかっていたはずだ。理不尽は当世のならい、世のならい。だが一方で、報われんとする思い、正義に対する願いもまた世のならい、人のならい。だがここに静かで明るい諦観がある。
 死ばかりが世にゆいつの光であるとするまでにはどれだけの論理の組み立てがあったことだろう。だがしかし、どれほど多くの文化がそうせざるをえずまたそうしてきたことか。このようにいう、とかくこの世は住みにくい。


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- 2006年09月28日(木)

 死に至る愛だ、これは。

 ときどきそういうものがある。それとも多くのものがそうであって、私がたまたまそのうちのいくつかしか知らないだけなのか。愛は、すくなくともある種の愛は、それを抱いたものを幸福にもしないし、あるときなどは命を奪いさえする。だが死という結末が見えていても、まさに見えていてさえ、かれらはそれを捨てようとはしないのだ。
 こうした愛は、呪詛に似ている。死に至る愛、と私はいう。


 天は長く地は久しきも、時あってか尽きん
 この恨みは綿々として、尽くることなからん
(天と地は幾久しく続くと申しますが、それでもいつかは終わります。
 ですがこの恋の悲しみは、いついつまでも尽きることはないでしょう)


 確信。永遠を確信しうるのは愛の特権だが、むろんけっしてそれは永遠になりえない。だが確信、これは愛の特権だ。そしてまた、愛は、それぞれのありかたのうちに永遠ではあるのだ。たとえば忘却、別離、殺害による死。
 性愛が次代を予感させるものだとしたら、その影には、個体の死がすでに約束されることになる。では愛とは死、愛とは終わり、愛とは静止につづく永遠だ。そこになんら矛盾なく、愛は人を殺すものである。
 同時に、愛はたしかに永遠である。それは生み出された次代によるのではなく、ただその情念の不換性においてそうなのである。一つの愛はいったいどういった形でもほかのものには置き換えることができない。それは音色、それはひとつの現象である。それはただ一度ならされたということによってすでに永遠なのである。永遠に真実なのである。


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- 2006年09月26日(火)



 レース後のエンジンの調整には細心の注意と、繊細な指先の感覚を必要とする。マルチェロはそのどちらも持ち合わせていた。かれにとってエンジンとは気むずかしいが豊かに語りかけてくる言葉を持つ相手だった。
 スペイン西部でのレースを終えたその夕べはひどく暑くて、マルチェロはようやくマシンの調整を終えたときには作業用のつなぎから上半身を抜いていた。むきだしの胸や腹は汗に濡れ、後ろで無造作にくくった黒髪はひとすじふたすじこぼれて頬に流れた。
「ここにいたのか、あんた」
 かれの目にはどんな女より美しく見える機体を眺めていた背に、ふいに呼びかけられてマルチェロは振り返った。立っているのは銀髪のチャンピオンだ。レースの後は表彰台の真ん中でシャンパン・ファイトに臨み、ファンにおざなりに流し目をくれて体の線もあらわなレースクイーンと消えるのが恒例のこの天才ライダーが、この時刻に愛機を尋ねるのは珍しいことだった。それはかれに付き従って3つのチームを渡り歩いてきたマルチェロにとってもそうだった。そしてそれが良い兆しであった試しがない。
「返事ぐらいしろよ、あんた、俺のメカニックだろ」
「何しに来た」
「あんたに会いに」
 かれより頭半分背が低く、モンスター・マシンを自在に扱うとは思えないほど細い手が伸びてきて、マルチェロの頬に触れた。
「訂正するぜ。あんたを抱きに、だ」
「よせ」
「あんたは俺の親父への借りを返すために俺のメカニックになった。そして俺はあんたの望み通り、3シーズン続けてチャンプになった。このシーズンも勝つさ。そしたら親父の記録は塗り替わる。何が不満だ?」
 マルチェロは押し黙った。常にはグリップを握る細い指がマルチェロの胸を滑る。汗の流れる胸と腹を撫でて、背を屈めた。マルチェロは黙って唇を噛みしめ拳を強く握って、形良い唇が己が胸の端に座を占める薄色の乳輪を吸うのに耐えた。
「下も脱げよ、マルチェロ。たっぷり泣かせてやるから」
 さんざんに胸を吸いねぶってようやく顔を上げ、アンジェロが言った。勝者のさめやらぬ熱と狂気を帯びたその薄青い目は淫らに強く光っていて、マルチェロは息を乱しながら、ただ黙って従うよりなかった。



 純粋で凶暴な少年に、体格的には勝る年上の男が暴力的に支配されるってロマンだよなあ。マルチェロ31歳、アンジェロ(ククール)18歳。アンジェロ(ククール)攻め。そういやアンジェロはじめて書いた。


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- 2006年09月25日(月)

 モンスター・マシンのエグゾーストはコースに満ちる。原色の派手なマシンたちがグリップを離れてコースに出て行くのを見送るメカニックたちのまなざしはどこか悲しげだ。なぜなら彼らの手はもうマシンに届かない。ミリ単位の調整に費やしうる時間は終わって、金と名誉とライダーの命をまととした試練の時刻が訪れたのだ。その厳粛な認識はいつも祈りに似ている。
 そのときマルチェロが、いつもよりほんの一瞬ながく銀のヘルメットを見送っていたのを見とがめえた者はいなかった。だから最終ラップのダウンヒルストレートにおいて、激しく首位を競う2台のマシンのうち1台がほんのわずかバランスを崩したようにハンドルを握り直したことも、さらには続くセカンドアンダーブリッジで鋭く激突したことも、はじかれた銀と白の流線型のマシンがライダーもろともに鋭く直線を描いてコースサイドのポッドに突き刺さったこととさえ、合わせて考えるものはいなかった。そして間もなく走り出したタービュランスの文字を描いた白と赤の車両が不吉なサイレンを悲鳴のように上げ続けていたこととも、やがて伝わった若きチャンピオンの訃報にも不審の念を抱くものもいなかった。
 にも関わらずそれらすべては一本の糸につながっていた。一本のネジにと言ったほうがよいかもしれない。あるいはそのわずかな螺旋に。時速250キロの中でなら、死を呼ぶことはかほどに容易なのだった。この殺人、この死がけっして裁かれないだろうことをマルチェロは知っていた。めちゃめちゃになってしまったマシンからは誰一人この犯罪を暴くことはできないだろうし、これは確かに不運だがよくある事故なのだ。銀髪のチャンピオンはこのシーズン、最初のいくつかのプライズはとったがそのあとはずるずると後退を続けていたし、もう後はなかったのだから、危険を見越しても勝負に出ることは十分に考えられた。誰もマルチェロを責めることはない。
 そうだ、そして1年が過ぎチームは解散し、マルチェロはもはや罪があばかれることはないということを確信していた。にもかかわらずかれは忘れていたのだ。誰がそれを知らなくとも、かれは知っている。そして夢にもそれを忘れることがない。グリッドを立ち去る銀と白のマシンは夢の中で数知れずあらわれては、引き留めぬ手の下をすりぬけてコースに出て行った。


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- 2006年09月23日(土)

ほどかれた結び目はどこに行ったのか、
忘れられた恋はどこへ行ったのか。
死んでしまった人の語った夢はどこに行ったのか。

永遠はなく、なべて時はながれ、人はうつろいやすく。
だがあれは、あの思いは、確かにあったのだが。
あのときそれは私にとってすべてであったのだが。

きょうもまた、窓を開ける。


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- 2006年09月22日(金)

 漢詩・漢文まみれにしばらくなってて、ふとサルトルあたりを紐解くと、流れている精神のあまりの違いに同じ生物の生産かとさえ思い粛然とする。東洋と西洋のかくも深い隔絶を、ただ同じ文たり章たるという理由ばかりで等しく読みうるわれらの不思議を、どのように紐解きえようか。

 中国において印象深いのは「それ天は人の初めなり」の一語である。人は天に続くものだったのだ、神々はこの国の説話においてあまりにも親しい。愛され敬され、だがときに嘲られ利用される。詩人の悩みのありかは現世の悲惨であり、我が意を得ぬことであり、愛するものと訳隔てられていることである。『楚辞』における天問のごときはむしろごくごく希有なのだ。
 一方において西洋とは、骨の髄にいたるまで我と神の世界である。神とは絶対者であり、かつ、絶対的客観である。人における主観とは、神によって見られるモノという仮定を離れてはおよそ存在しない。裏返せば西洋の我は見るもの=神によって形作られたということができるだろう。ここにおいて西洋の詩歌がうたうのは、我の不思議であり印象深いのは「物理法則の複雑さと内的道徳律」を巨大な不思議として驚嘆する心である。

 東洋における、西洋的な内省の欠如は何を意味するのか。道徳律の低さでは断じてない。ここにあるのは東洋的な道徳律である。中国の「法家」は、国をおさめるに、規矩縄墨となるべき法を勧めた。儒にしても変わらない。国を治め、世界を従え、自ら尊くして天に近づくことがかれらの徳だ。この世に表出する一切を天の意志とすればそれもまたむべなるかな、である。
 ここには社会がある。社会における評価を絶対とする道徳がある。君子は豹変してなんら悔いがない。そのようにすることはむしろ賞賛される。かれらは徹頭徹尾に日々24時間を現在と世間に生きまた考えてこれを離れることなく、それだけ悲惨も邪悪もまた歓喜も崇高さも深く色濃かった。

 西洋における、西洋的道徳とは絶対的な神に根ざす。この神とはイェホバでありキリストである。詩人の想念は、いわばちょうど半分ずつ、地と天に向いているのだ。さらに言えば。地における王国と、天における神の階梯のファンタジーがそれぞれ等価なのである。かれらは地における労苦を思い、だが同じ時間を神と罪の夢想に費やす。かれらすべての人々が、社会が。
 ファンタジーの中に生きるのは、ある意味で愚かしいことである。だが、18時間の激しい労働があったとして、残る6時間にファンタジーにおける救済の中に生きることができれば、かれは幸福にさえなれるのである。むろん世において過ごす時間が四分の三に減るだけでなく、かれの生涯と世間との関わりのありかたもまた全く変わっているのであるが。

 簡単にまとめるなら、中国の詩歌に感じる美しさはその生涯の一切を現世で過ごしたひとたちが大きく見開いた目に見た現世の美しさであり、同時に感じる物足りなさは、西洋的内省に馴れたわれらが自然に求める主観と客観のファンタジーを欠いているということにある。一方、西洋の詩歌に感じる物足りなさと窮屈さは、必ずすべての付随し付帯し逃れる余地のない絶対神というファンタジーの裏打ちのあまりにも徹底した完全さなのである。

 以上、単なる印象である。しかしもしこの想念をさらに進めてみると、日本人とはいったい誰なのかというところに突き当たるだろう。東洋も西洋も柔軟に理解しおよそその屈託に気づくことさえないほどすんなりと受け入れた、この日本人とは何なのか。日本の思想とは何なのか。
 日本の無常に、「蒼海変じて桑田となる」という圧倒的なダイナミズムはない。われらの無常は落ちる花の無情であり、きょうあった人がもう明日はない無常である。「国やぶれて山河あり、城春にして草木深し」とは杜甫の唱したところであるが、芭蕉はこれを「国やぶれて山河あり、城春にして草あおみたり」とした。ここにおいて、日本の歳月のスパンはせいぜい草が青々と伸びる程度であって、木々が生い茂るまではゆかぬということが合点される。つまりそういうことなのである。われらの思想は若いのだ。
 だが若いというのは、ひとつの性質であって、単に歳月が浅いということではない。われらの文化はあるいは童子の文化である。少年の文化である。これはアニメーションという表現形式が愛されている理由のひとつでもあろう。アニメーションにおいては、キャラクターは簡略化され、歳月や想念のいやおうなくまた取り返しのつかない足跡は残されないのである。

 日本の詩人は何をうたったか。残念ながらわたしの知識は多くない。近代の詩人の幾人かを除けば和歌をいくらか、俳句をいくらかであってそれも有名なものにとどまる。しかしこの三十一文字、十七文字の文化がいかに特異なものかはわかる。われらは木漏れ日に魅せられる童子のように語ってきたのである。われらの言うべきはただそれだけの言葉に尽くされてきたのである。またそのようなはかなくも哀れなものが嗜好せられてきたのである。ならばわれらの思いがどこにあったかは自明である。われらの思想は若く、みずみずしく、瞬間の美に心をよせ、本質においては童子である。日本における小説などというものは、これは駄々に長い俳句に過ぎない。
 日本は12歳の童子である。これはGHQの政策などとはおそらく関わりのないところでおそらくはそうなのである。われらはいま、苦労してとしを取ろうとしているが、これはおそらく徒労に終わる。八百比丘尼のような若さはわれらの業病であり、しかも恩寵なのだ。


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- 2006年09月21日(木)

しんしんとゆきふって、みわたすかぎりの山々に鳥のかげもなく、
道という道もまたすっかりと消え去ってしまった
ただゆきつむ河に蓑笠かぶったとしよりがいて
どこもかしこも白く染まったなかで、つりいとを垂れている。


実に絵画的だ。山水画だな。水墨画。


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- 2006年09月19日(火)

わたしと伍子胥について少し述べよう。

 出会ったのは古い高校の図書館だった。明治時代の創建になる府立高校は城に面して立ち、図書館からは暗い緑に沈む堀が見えた。カーテンは今にも一つづりの埃となって落ちてきそうで、人気は少なく黴の臭いがした。
 新釈漢文体系、という大変に古い大きな全集が乗った棚があって、灰色の装丁に金文字の表題が光っていた。「史記」というのがその最も多い題で、手にとったのは列伝だった。開いた瞬間に視界を占めたのはおびただしい数の漢字の群れで、私の意識を占めたのは6文字。「門戸階陛左右」なんという単純素朴でしかも鋭い心象をもたらす言葉であったことか。壮麗な古代の館のそそり立つ門を、石造りの道と竜虎の刻まれた階段とを臨み見ることさえできた。そしてこの音なき文字の凛烈さ。確かにこれは言霊、それも万世を経てなお死なぬ霊だ。ここに知らないものがある、確かに新たな道が開けているという直感に、震えた。
 さてこれほどまでに私を鋭く切り従えた6文字は刺客列伝のうち専諸の項にあった。専諸については後に譲る。ここでは伍子胥がかれを刺客として最期を遂げる道に導いたといえば足りる。その物語を読み終わって私は前の巻を探し、伍子胥に出会った。
 かれの人生の概略とその人生に行き会った人々については前に書いた。(2003年2月8日参照)私はかれに出会い、いわばかれにつまづいた。こうした憎悪、こうした意志、こうした男につまずかずにいられるわけもない。私はかれについて考える。そしてかれについて考えることはかれのもとを訪れることだ。恋をおもうよりもしばしば、そして長きにわたって私はかれを訪れ、かれとともに語った。私が高校の制服を着なくなり、気ままな学生生活を経て社会というむき出しの場に出ても。かれとともに過ごした時は長い。これを欠いては私という人間を想定しえないほどである。


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- 2006年09月18日(月)

 俺の生涯とはなんだったのかと尋ねはしなかった。かれの歳月は無であった。それはかれが一番わかっていた。かれは望んで自らを無とし、ただ火のごとき死神となったのである。憤怒はかれのうちに凝って静止し憎悪は結ぼれて透き通り結晶していた。なんぴともこれを見られないほど確かに。
 だが屍が長江の流れに漂ううちに悲嘆はほどけ、歳月も解きえなかった怒りも苦渋も解けていった。そうしてそれらが解けてしまえば、もうなにもないのであった。かくして長い孤独な声音はようやく静かな終わりを迎えた。安き眠りを約する墓所も、祀るものたちの供華も祝詞なく。だがこの深い水底は、ほの暗い瞑暗の闇に続いていて、そこには全き安寧だけがあった。かれの髪を結んでいた細紐はほどけて水面に漂いのぼっていった。血に染んで紅い衣の袖と裾はゆらゆらと揺れたなびきつつかれとともに沈んでいった。
 かくのごとく伍子胥は死んだ。かつてかれの生国において名高い公子も洞庭湖に身を投げた。水に縁はあったのだろう。もっとも人々はかの公子を惜しんでその命日を年毎の節句としたが、祖国を破ったかれには碑もない。


伍子胥。かれはどうして私の上を去らないのだろう。
かれを評する司馬遷の声はあまりにも無情すぎる。
これほどかなしい人はない。

取り戻しえないものを恋うるひと。
後悔のうえに悔恨を、悔恨のうえに慚愧を重ねるひと。
血も火もかれを幸いにはしないのに、ただ自らの傷を深くして。
その憎悪がつきるときに死んだ。ほかに生き様も知らないとでもいうよう。


丘に上り蒼海をのぞむ
なんじ行き行きて重ねて行き行き、われらすでに生別す
御身いずこにありや、我が心千里を走れど見いださざる
悲傷し呼び叫ぶ我が言霊に行くところなし


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- 2006年09月17日(日)

ある軍師の肖像

 その人は万里のかなたにあって
 わたしたちを隔てるみずうみとみぎわは広く深い
 この小さなふねで、どのようにせば渡られんか
 離れすむもの思いは、たえることのあまりに難い


 寂しく美しい詩は、別れ住む夫を思う妻に託してよき君主を求める思いを歌ったもの。軍師はしばし口ずさみ、それから、ふと笑った。かれはすでに求める君主を得ている。詩にある悲傷の思いは心を去っていた。
 いま月光さす机上にあるのは酒杯とともに、国土の西半分を占める高地を潅漑する計画であった。同時に余剰の人力を活用する手だてであり、これを通じてよく訓練された国民を育成する路でもあった。十年、と、かれは君主に約した。十年でもって国を富ませ、国民を狼の群れのごとき精鋭に仕立て上げよう。そしてさらに続く十年で、天が下なる数多の王冠の一切をば御身に差し上げよう、とかれは約束した。そしてその約束は果たされるとかれは確信している。

「いかにして王国を富ましめんか、いかにして王兵を精強ならしめんか」
 かれは王の面前に立って申し述べた。
「潅漑にて無辺の農地を得るはいうに及ばざるなり。これによりて、もって百姓の土地なきに土地を与うなり。与うる土地は何人によらず王が所為なれば、人民は何人によらず王が所為なり」
 かれはしばらく言葉を止めて、待った。王は完爾として笑った。
「然れば王法の示すところはただに、王命に帰してもし死なば家族は安堵し子孫は侮られることなしとするのみ。ここによりて王兵は群狼に比すべし」

 説き来たり説き去りて計画はすでに途上にあり、かれは酒杯を酌みつつ夜光に憩う。よき王の臣下となるは楽しいことであった。しかしながら竹を削った簡の上に連なる文字のいちいちは、十年の後に兵役に喜んで出で立ちそのうちの幾分か、おそらく万は下らぬ幾分かが化すべき野辺の骨に見えて仕方がなかった。かれの聡い目には見えてさえいた。鬼哭愁々として夜露に濡れるべき無数の屍と流される血と。それゆえかれの手は震えていた。
 また机上にはより秘密の文書もまたあった。それは幾人かの間諜と謀議の敷衍するところにかれと王よりほか知らぬ計画の片々であった。すなわち。

「雌伏に有するは十有余年、いかにして他国を退けんや」
 かれは王の面前に座して密かに囁いた。
「我に策あり、東国に若き王と賢大夫なる王叔ありて、これを守る。隣国が治まるは王国が患いなり。しかればこれを離間せんとす。王に正夫人あり。甚だ美なれど子なくして妬心多し。夫人、王が室に王叔の新たに女を入れるを常に深く恨む。いまなお竈中に火種にも似て小さけれど、なんぞ此の争いに油を投じ、風を送り大火に育てざるや。これ易なり、甚だ易なり」
 さらに続けてかれは言った。
「我に旧知あり。知恵あれど疑心つよし。一年、かれよく賢人たらん。三年、かれよく国を治むべし。五年、かれ増長し変節して、私利をばむさぼらん。七年、かれ賢人を殺し、義人を殺し、もって国に人無きがごとくなるべし。われらなんぞ彼を西国につかわして王に見えさせんや。もって十年の後にはわれら西国を侵すこと燎原の火のごとくならん。これ易なり、甚だ易なり」

 説き来たり説き去りて、計画はすでに途上にある。さらにかれの目は遠くを見通して、月光のもとに憩うてありながら十年の先を眼前を見るごとくに見ていた。そしてまた同時に流されるべき無辜の血、無実の血、罪に染まるいくつもの手もまたかれには見え、牢獄に血を吐いて死ぬおとこおんなの悲鳴さえ、もうすでにかれの聡い耳には響いているのであった。
 これは悪だろうか? だが乱世はどのようにしてか終わらざるをえないだろう。ならば、かれの君主よりも良き帝王となるべき人をかれは知らない。そして、かれ自身よりも流されるべき血を少なく止めうるだろうものもあるまいという自負がある。そうとはいえ、最小でさえそれは膨大である。海を赤くし日輪を翳らすほど。手の震えは繁く、酒はこぼれて卓子に落ちた。
 命もいらぬ金も名誉も大義もいらぬ、とかれは王に会ったときに言った。そしてそれは今もなお変わらぬのであった。事実かれの居宅は廃屋のごとくがらんとして虚ろで、茅屋に隠れ住んでいたときと何も変わらぬ。心に重荷が加わり、酒に血の味が加わった分だけ悪くもなったとさえいえた。
 なにゆえ俺はここにいるのかと問い、答えはない。これは恋に似ている、とかれは声もなく呟いた。悠揚飛ぶごとき馬の蹄の音が屋敷に近づいている。そうだ、若い王の。


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- 2006年09月16日(土)

乱にいわく、やんぬるかな
くににひとなく、われをしるなし
またなんぞ故地をおもうならん


 そこまで書き連ねて、屈ははじかれたように立ち上がった。詩文はかれの血である。血管中をとうとうと流れている赤い雫よりもっと近しい、もっと熱い、かれのたましいそのものである。それを竹簡のうえにほとばしり散らして、このとき動悸ははやく呼吸ははげしく鋭く狂い乱れていた。
 自ら書いたところは、自ら信じねばならぬところだった。もはや楚国に一人としてかれの味方はおらず、かれを重んじるものもない。思えどいかんともなき故国を思い慕うことは断腸の苦しみにほかならなかった。
 やんぬるかな、やんぬるかな。書きつけられた文字は心臓の肉片の絡んだかれの血であった。狂いたつ思念から逃れんとするようかれは身をよじり、だがふで先は生き物であるかにねじれ痙攣しつつさらに書いた。


すでにともに美きまつりごとをするなし
われまさに膨咸のあるところにしたがわんと欲す


 膨咸とは殷の御代に君主をいさめて聞かれず、自ら身を投じた男であった。
 屈はここに自らの死を書き、書き終えて筆を投げ捨てると身も世もなく啼いた。遠からぬ日にこの言葉のまこととならざるをえぬことを知っていたからである。そしてまたかれがまだこの国、この美しい水辺の国、この明るい日差しの国を我が身のごとく愛していたからである。かれは死してのち、楚国の鬼となった。




屈原『離騒』より。
秦による統一に先立つ戦国時代の中原のはるかに南方、楚の国の王族。
楚独特の「兮」という助字を用いることから、騒体と呼ばれる。
漢詩の美の半ばは漢字という文字の感応作用にあるが、
ここではより日本的な情緒を採用してひらがなを多用した。

中国と古代ギリシアの似ているのは、
男子は国政にあずかることを本懐とするところだろうか。
特に屈の場合は、王族の生まれだからなおさらで、
乱世に苦しむ祖国を救おうと改革を試みるが、王に疎まれて退く。
その後は悶々として楽しまず、やがてみずうみに身を投げて果てる。

思うに、かれらは命というものにすべからく意味などないと知っていた。
ただ意志によってのみ生きうるということを知っていたのである。
「我が意をえない」ということはまさに死に値する深刻な憂いであった。
人間が、その生存という階梯を超えねばならぬと暗示しているのかとさえ。


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- 2006年09月15日(金)

 エルダールにとって、不死の種族にとって、生きるとは己が死の契機を探ることではなかったか。己が死の契機を探り、見いだし、行き着くことではなかったか。漫然としては与えられぬそのにがい苦しい贈り物を。
 フィンゴルフィンは緑の丘に立って、遠くをゆく二つの影を見ている。一つは黒髪一つは赤毛、寄り添って静かに歩み行く。黄金の時刻にゆらめくかげろうのごとく。フィンゴルフィンの心は焼けるように疼き、一つの傷口のように痛んだ。それは何人も知るを許されず、かといって消え去りもせぬ。語りえぬ思い、歌いえぬ心がどれほど苦衷に満ちたものかフィンゴルフィンは初めて知り、そして忘れることは許されぬ。引き裂かれるように思っても引き裂かれはせぬゆえに。



寄り添って歩むフェアノールとネアダネルの夫婦というところで、
黒と赤のコウテイペンギンの夫婦に脳内変換されてしまう……orz
続き書けん…。


エルダールがみんなコウテイペンギン変換されてしまう……orz
北海を徒歩で渡る、とかそのまんま。誰か助けて…。


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- 2006年09月14日(木)

 そのとき隠されていたことが明らかになって、フィンゴルフィンは自らを疑った。自らの心を疑った。その上に、鉄もて刻んだように明らかに読み取れた言葉がまことにありうべからざることであったゆえに。だがフェアノールは何事もなくかれを見つけて鉄槌を置き、金床を離れ、汗の流れたあとが幾重にも残るすすけた頬を表情もなくぬぐった。
「何用だ」
 その声はかすれている。燃えさかる炉の炎と広い工房のそちこちから響く槌音にややもすれば消えかける。フィンゴルフィンはいまや暗い目の奥底ににがくも認めねばならなかった。かれはこの兄を恋うている。
「今日がいかなる日か、お忘れではありますまい」
 フィンゴルフィンは短く言った。フェアノールはわずかに頭を傾げる。
「合の刻までにはまだ猶予はあると思うていたが」
「すでに銀の時刻は半ばを過ぎました」
「それではお前が正しい。すぐに身支度を調えよう」
 燃える鉄の臭いを薄く引いて兄王子は半血の弟の傍らをよぎって、重たい扉の方へと歩き去った。フィンゴルフィンは後を追おうとして躊躇う。そのうちにも扉は閉じた。ひどく苦い心地がした。
 フェアノールすなわち火精。黒髪と灰色の双眸をそなえたノルドの王子。火と金属の卓越せる工匠。フィンウェ王と最初の妻ミーリエルの子。マハタンの弟子にしてその息女誇り高き赤毛のネアダネルの夫。あらゆる確執を除いても、その弟フィンゴルフィンの恋うてよい相手では断じてない。
 にも関わらずすでに心は恋うている。剛勇のフィンゴルフィン、法の守護者フィンゴルフィン、誇りに満てるフィンゴルフィンの心が! 強い手で心臓を押さえ、そのまなざしを燃えさかる魔法の炉に向けた。溶けた黄金に似た色濃い炎は強く弱く明滅し、広い鍛冶場を不安に照らし出している。
 なにゆえ、とフィンゴルフィンは心に問う。なにゆえおまえは兄を恋う。なにゆえ恋うてはならぬ相手を恋う、と。だが心の応えはかくのごとし。問うなかれ。この思いはゆえなくしてただにすでに深く我がうちに根付けるのみ。
 フィンゴルフィンは思う。なるほど、恋はいかなる徳目の監視も束縛も受けぬ! だがすべての徳目と王家の誇りにかけて、俺はそれをあらわにすることはない。百年、千年、またその倍の倍の歳月であってもそうし通すであろう。またおれにはそれだけの力があるだろう。だがそれが永遠に近くなればどうか! そして不死の種族の思いは、ひとたび生じれば枯れることも褪せることもないものだ、それがいかなる思いであっても。
 このとき初めて、フィンゴルフィンはエルによって与えられた永生のいずこかに死を得るであろうと信じた。それはいまだ若いエルフの公子にとって暗い思いであった。


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- 2006年09月13日(水)

落下する天窓の絵

心理学かなにかの寓話か、私の脳裏を離れない。
粉々に砕けて鉄枠ともども落ちてくる天窓の映像が。
タロットにおける「塔」を内側から見ているような気がする。
天窓は間もなく私の上に落ちてくるだろうか?
だがこうしたヴィジョンに重力を前提するのも奇妙なことだ。



自分のことにかかりきりになってはいけない。




 一人の老婦人について話そう。彼女の夫は戦地に行って、その地で没し、その地に埋葬された。彼女は残された子ども2人を守って戦後を生き抜き、時代はとうとうと流れ去った。骨張った老女の手がたぐれば61年。誰かが戦後は終わったといい、新幹線やあさま山荘や、高度成長期やバブルやその崩壊のあとの失われた10年や、オウムやイラク戦争や。そんな歳月。
 彼女はどれだけ苦労をしたことだろう。どれだけ人知れず泣いただろう。あるときなどは、夫のもとへ行ってしまいとさえ思ったのに違いない。それでも歳月は流れ、あなたは痩せて、髪はもう白くなってしまった。
 ある朝、黒服の2人の男が玄関を叩いた。誰だろうと迎えに出た息子は、はっと息を呑む。男たちは手に白木の箱を持っている。その上に書かれているのはまぎれもなく死者の名だ。男たちは告げる、ようやく見つかりました、ようやくお返しできることになりましたと。
 息子は死者のように青ざめて箱を受け取った。そしていう。2階に母がいます。そこに持って行きましょう。そして持ってくる。だが老婦人、この尊ぶべき老婦人はもう何一つ理解しない。彼女の半生はこのわずか半年のうちに老いと病にすっかり洗われてしまって、残っているのはうっすらと光のあふれるむなしい器だけだ。あなたは悲しむことも喜ぶこともない。
 ああ! 悲しみや喜び、尽くされるはずだった涙はどこにいけばいいのだろう? あなたはうつろで、あんなにも愛し慕い、その忘れ形見の生育になにもかも捧げてきた夫の遺骨はそのしなびた手の下、箱の中でころころと乾いた音をたてている。ここには吹き荒れることのできない嵐がある。途方に暮れて静止しているよりほかない嵐によって、見るものすべての思いを苦しめる。


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- 2006年09月12日(火)

「石柱」

 まず私自身について述べることにしよう。私の名前はファーガス・フィニューカン、職業は作曲家だ。それに著名な、と付け加えるべきかもしれない。謙譲の徳をむやみに押し出すよりは、これまで積み重ねてきた努力を誇りたいと思う種類の人間だということもわかってもらえるだろうから。年齢はこのあいだ48の誕生日を迎えたところ、住居は数ヶ月前にロンドンから引っ越してアイルランドの海辺に移った。
 さらに続けよう。私は数週間前に妻を亡くした。警察は、彼女の行方をまだ追っている。しかし私はもうこの世のどこでも彼女が生きて見られることはないと知っている。
 あなたはおそらくいま、疑いを抱いたかもしれない。なにゆえ彼女の死をそうも確信しているのか? 警察が追っているというのは彼女ではなくむしろ私ではないのか? さてこれらの疑問はそれ自体のうちに推測を含んでいる。あなたがたが抱いた疑問とは、要するに「あなたが妻を殺したのではないか?」とそういうことだろう。率直に答えよう。「私は妻を殺していない」と。警察も同意してくれている。なぜなら私は盲目だ。

 妻が死んだのは、ある穏やかな午後のことだった。実のところ彼女は私の若い代理人と通じていて、さらに云うと私はそのつい前夜に知ったばかりだったが、もうずいぶん前から私を殺すつもりだった。計画では、私は海に近い庭先から足を滑らせ転落死するように偽装されることになっていたらしい。実際には頭を殴るつもりだったと思う。
 その午後私は殺されてやるつもりだった。なにより私は彼女を愛していたし、その彼女が私を殺したい気持ちでいると知って、柄にもなく「世をはかなん」でいたからだ。
 それで私は、庭におびきだそうとする彼女に逆らわなかった。危険な庭の隅に立って、運命の一撃が頭上に落ちてくるのを待った。だがそうなる代わりに、妻の鋭い悲鳴が響き、杖をついて這い寄ると、庭の真ん中に生えている先史時代の古い石柱に彼女が吸い込まれ引き寄せられ溶けてしまうのにでっくわしたというわけだ。村のきちがいじみた年寄りによると、なんでもその石柱は悪いものを吸い込む力があるらしい。あとにはぼんやりと、手のひらにだけ感じる顔が石柱の表面に残っていた。

 なにしろ私は盲目だ。彼女が消え去ったことで多少の騒ぎはあったが、疑われることはついぞなかった。そのうち彼女の多額の借金が明るみにでるにあたって、失踪ということでそれも落ち着いた。その頃には私も正気にかえり、あんなあばずれのために死んでもいいと思ったことさえばからしいと思えるようになっていた。それでしばらく放り出していた作曲の仕事にとりかかろうとしたが、ふいに待てよと思った。この石の柱が悪事に敏感だというなら、これは意外に面白いかもしれない。
 最初に考えついたのは、それまでの料理人や警護を解雇して、通いの家政婦一人に切り替えるということだった。金持ちでめくらの作曲家が一人で暮らし、しかも夜は誰もいないとなれば、その筋に伝わらないことはない。
 果たして数日のうちに、夜中の侵入者に目を覚まされることになった。
「起きろ、金のある場所に案内しろ」
 うわずったような声の若い男だった。首筋にちくりときたところをみるとナイフを持っているようだった。私が、金庫は庭に埋めてあると言うと、男は私をせきたて、庭に連れ出した。石柱のところでもう一度短い問答があって、朝には石柱の上にもう一つの顔ができていたという次第だ。

 さて、そうしてもう幾つか石柱の上の顔を増やしたところで現在に至る。世に真砂のごとくはびこる悪の掃除に一役買えるとあって、この「ねずみとり」も気に入ってはいるのだが、いまは別の計画を進めている。昨今はやりのテロリストとやら、あれを一掃する方法はないものだろうか。なかなか難しそうだが、私は著名人だし金もある。なんとかうまくおびきよせる方法を探して見つけられないこともないだろうと楽観している。
 というわけで、作曲はいささか遅れ気味、プロデューサーからのせっぱ詰まった電話がしょっちゅう鳴っている。もちろんおいおいには片づけるつもりではいるが、そろそろこの老いぼれを、個人的な楽しみに没頭させてくれてもいいのではないかと思うこともないではない。……もちろんこれは単なるぼやきだ。私は勤労を貴ぶ。




『アイルランド幻想』(ピーター・トレメイン)
同名の短編がちょっと物足りなかったので後日談を制作してみた。
書き終わるまで2時間かかってないか粗品だからご容赦を。


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- 2006年09月11日(月)

もう、仕事なんか放り出して旅に出てやろうかとか思う。
行きたいとこなら売るほどあるんだ。
中東やヨーロッパ、アフリカ、アジア、南アメリカ。


インド人を殺してしまおうか。
どうも、これまでのキャラクターが死んだ状況を考えると、
だいたい私がストレスたまっているときだ。
それがわかっているから辛抱しているんだが、そろそろヤヴァイ。
キャラクターと私のどちらかが壊れねばならないとすれば、
そりゃもちろんキャラクターなのだ。違いない。

モラル・マゾヒズムという言葉を思い出す。
これほどこうかつなやり口もない。
私がそれをするとすれば、わかっていてのうえだから、
誰もなにも言ってくれるな。頼むから。




ジンニーア、おまえをさがしに行こうよ。
おまえの足首に揺れる鈴のおとの涼しい響きを追って、
わたしとおまえ、果てしなく砂漠の道を歩いていこうよ。
頭上には蒼天にもつれ光る星くずが、無数に輝いているだろう。

ジンニーア、速い手鼓の乱打がおまえを踊らせるよ。
夜の底に長くのびる天幕は羊を呑んだ蛇のようにのどかにくねっている。
踊り明かし歌い開かすひとびとの騒ぎを足を止めて聞こう。
わたしとおまえ、燃える炬火に照らされて、影は長く伸びるよ。


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- 2006年09月10日(日)



真実を申し述べると宣誓いたします。
森の奥には魔王の城がありました。
ええ、水源の深い小暗い恐ろしい森のただ中です。
魔王の領土は夜と霧であって、かれの御幸は夕暮れに城を発ちます。
その陣容は町と田園と山々を包み、しかもあまりに数が多いため、
最後の隊列はいつも城を出ることさえできないありさまでした。
魔王とその軍勢がかれらの時刻になにをしているのかは知りません。
いずれにせよ、かれらはいつも夜明け前に戻ってきました。
かれらは天使の軍勢と夜通し戦ったように一人残らず疲れ果てており、
城にたどり着くなり倒れて眠りにつきます。
昼間の時刻、かれらが目を覚ますことはけっしてありません。
しかし夕暮れとともに目覚めるや勇気と力に満ちて躍り上がり、
疲れた様子など少しもなしに、整然と隊伍を組んで出発するのです。
なんですか? 魔王もそうなのかとおっしゃる?
もちろんそうです。かれらは一様にそのようにいたします。
実のところ、私に魔王と兵士たちが見分けられたことはありませんでした。
かれらはみんな、まったくなにもかも同じ様子をしていました。
ええそうです、顔も甲冑も、もっと些末な一切も一人残らず同じなのです。
私が申し上げることは以上です。良心に従って真実を申し上げました。
しかし実のところ、こうしたことについて真実が意味を持ちうるのかどうか
私はじつにまったくたいへん疑問に思っております。


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- 2006年09月09日(土)

前日分の日記冒頭に、例によってうそんこ出典を飾ったら、
当を得た問いが落ちてきたのでいいわけしてみる。

確かに、擬古文で書く場合は、「笑う」はおかしい。
「笑ふ」「笑ひ」となるはずだ。
にもかかわらずそうはしなかった。なぜか。
意図がある。つまりアレは引き込み線だ。
物語の時制につっこむための助走ランなのです。


「竜は笑う。その笑いたるや地底の闇より吹き上げる冷風のごとし。
 喨々として世界のすべてを静まらしむ。竜の名を死といふ」


さて、最初部分。
「竜は笑う」
現代文と変わらない。読み手は違和感がない。先入観がないからだ。
「その笑いたるや地底の闇より吹き上げる冷風のごとし」
ここでもほとんど現代文と読めるが、「ごとし」は少し響きが重い。
「喨々として世界のすべてを静まらしむ」
「しむ」は完全に擬古文だ。ここで時制は鋭く物語りに踏み込む。
「竜の名を死といふ」
物語の時制に到達した。この傾斜の経路だったのです。



文法に背くときは、どんなに妙に見えても、意図がある。
妙とみられればそれまでだけどさ。
どうですか? いいわけっぽい?(笑)


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- 2006年09月08日(金)

「竜は笑う。その笑いたるや地底の闇より吹き上げる冷風のごとし。
 喨々として世界のすべてを静まらしむ。竜の名を死といふ」
           『ヴィールジャーヤナ』(4世紀成立の北印経典)

 どうもいけない、彼のことを話そうとしていつも話がそれる。どこまで話したのか忘れてしまったから、思いついたところから話すことにしよう。
 かれはこの地のすべての死者だ。だった、と言うべきかもしれない。あの寺院はもう焼け落ちてしまった。かれの行方を僕は知らない。あの夜大勢の軍人がやってきて寺を焼き、かれを連れ去って、あの奇妙な信仰はまったく跡を止めていない。あの土地に最初に作られた墓は、かれの親代わりだった老人のものだ。その男はかれを守るために最後まで戸口に立っていたから。
 僕はやはり混乱している。だができるかぎり順を追って話そう。
 あれは夕暮れだった。僕とかれは次第に影の伸びる寺院の庭に座り、石に彫られた怪獣の前で静かに話をしていた。彼は言った。
「アナタ イツカ イク」
 その言葉はひどく悲傷に満ちて響いた。かれが人差し指を土の上に置いて円を描いたので、僕はその言葉の意味がわかった。つまりこういうことだ。かれにとって過ぎ去るものはなにもない。かれはこの地において唯一の死者だから、かれはなにかをなくすことがない。すべてはかれのうちに眠る。
 だが僕はこの地のものではない。僕はほんとうの意味でかれが失う最初のものとなるのだ。そしておそらくただ一つの。そうしたことをかれは考え、そして喪失という言葉の意味とそれに伴う寂しさを知ったのだろう。
「ええ」
 僕はぽつりと答え、かれの描いた円に交差する円を描いた。かれは少し考え込み、それから小さく笑って頷いた。
「星 ノ 軌道 ノ ヨウニ」
 背をかがめてるかれは地面を見下ろした。交差する円はそのまなざしのもとでめぐる遊星となって、そして無数の星々が広がっていった。すくなくとも僕にはそのように見えまた感じられた。
「アア」
 かれは呟き、低い声で、今度はこの地に音韻豊かな響きでなにか囁いた。落ちる、とか、乱れる、とか、そんなような意味だったろうか。かれが再び顔を上げたとき、その目の中にはこれまでに見たことのなかった鋭さがあった。何かを待ちかねているような、おそれているような。それでいて一言ももう何も言わず、立ち上がって、寺院の方に歩いていってしまった。
 前兆といえばそれくらいだった。それと、あと数日前に見慣れぬ役人が来て町はずれの男の家を訪れていったことと。それだけだった。


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- 2006年09月07日(木)

「世界の巨大恐竜博2006」
結局、行かれなさそうだなあ。

仕事だけしていて、それ以外のことがなにもできない。
これは寂しい気がする。それでもまあ、仕事だけで満腹だが。
月の拘束時間は400時間とかいうと、フツーは倒れるぜ。
まあ、休日も2日あったし、宿直が多かったのが要因だから、
実際のところは普段とそんなに変わった月ではないのだが。
今月は、300時間くらいに抑えたい。ムリか。ムリだな。

行きたくていけなかった、とか、したくてできなかった、とか。
そういうものが積もっていくのは、やっぱり寂しい。
なにか満たされない胃袋があって、それが飢えている気がする。



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- 2006年09月06日(水)

覚えている、わたしは覚えている。
ひざしの下であなたはグラウンドに膝をついている。
投手はセットポジッション、振りかぶらずにサイド・スロー。
直線に鋭く走るボールはあなたの構えたミットを叩き、
そしてあなたは頷いて立ち上がる。なにか言う。ボールを投げる。
ボールはあなたの手からひゅるりと伸びて、投手に還る。
このすべての風景には、いったいどうして音がないのか。
透き通って重たいガラスに包まれたよう永遠に似ています。
わたしは遠く隔たってなおもいまも窓を見るよう見ています。
ああ、あなた、あの風景はいまもわたしを照らしている。



人の命を金額に換算する公式を作るべきだ。
「社会的に」あるいはこのほうが好きならこうでもいいが「政治的に」、
命や障害についてのものさしを作るべきだ。
こればかり観念的に地球より重がっていたら、
「社会的」「政治的」ほころびが大きくなりすぎる。
裁判員制度なんていう悪しき民意を拾い上げる制度にするならなおさら。
損害賠償という制度は、本当なら作るべきではなかった。
むしろ損害を受けた人間に「必要な援助」ができるように、
十全に福祉を整えることを考えるべきなのだ。
だから私の意見はこうだ、懲罰的損害賠償金は、国庫に入るべきだと。



同情を買うことに対して、人は警戒さえするべきだ。
自分の行為が他人に対して「どういう影響を与えるか」という、
そのことについて懐疑的とさえいえる警戒心を持つべきだ。
結局のところ、弱みを見せることは自分の値段を下げることにつながる。
ヨーロッパの古いことわざを呼び戻そう。
剣を帯びるとは他者に対し自らへの尊敬を強いることだ。
尊敬を得られなければ、待っているのは軽蔑だけだ。
玄関の外に7人の敵が待っているというのは少なすぎる。
世界は敵だ。美しくすがすがしいかもしれないが、敵だ。
この敵の尊敬をこそ、私は勝ち得たい。


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- 2006年09月05日(火)

生きることも死ぬことも、うまくはできない。
裁判の傍聴がわりに趣味なので、人を殺した男女の顔をときどき見る。

むかし祖母から教わった“でん”でいくと地獄に落ちる人々。
だがどんなに見ても、人だろうとたいてい思う。
ただときどき

  かれら

         は


                    鬼だと
     思う。










(「弟が






金の亡者になって遺産を独り占めしようと



         私は自分の権利を譲るつもりはなかった。だから












極刑になったとしても」)



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- 2006年09月04日(月)



仏にあえば仏を殺し、神に会えば神を殺せ。
そうすれば



誰かやなにかを愛することの困難さを思う。
渇望するような思いの出所を知っている。子宮だ。
生理が近い。この不安な感覚は、それ以外では私に生まれない。
幸か不幸か。


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- 2006年09月03日(日)



なんだか調整がうまくいかない。
睡蓮と赤トンボ。


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- 2006年09月02日(土)

 それで、僕はどこまで話しただろう。かれについて。シヴァスワミーについて。この地における神にして、死者を食うものについて。
 僕はいちどもかれの食事風景を見はしなかった。かれにとって、またこの地に住むすべての人々の聖儀であるその行為だけは、僕の目から徹底的に隠されていたからだ。ただ僕は、寺院の北方にある背の低い、石を積んだ装飾のない建築物がその場所であろうとおぼろげには思っていた。かれは死人の出るつど、数日、ときには一週間もそこにこもっていたからだ。
 僕は、かれのいないあいだはのんびりとあたりを歩くのが常だった。絶えることのない草いきれと、熱気と、真昼の死んだような静けさ。その暑さのせいなのか、人々は誰も痩せていて、とりわけ老人たちはそうだった。僕はもう話しただろうか? この土地には奇妙な風土病があって、老人のうち半分は病んでいた。病人たちは一様に動作が鈍く、ときには何時間でも石像のように固まっていた。かれらの言葉は乱れているか聞き取りにくく、病の進んだある老人などはほとんど口をきくことさえできないようだった。
 僕がここに来てからの三ヶ月に、シヴァスワミーが食事に入ったのは数度だった。普段のかれは断食を続けている。十日ほどなら少しも苦ではないようだった。かれは混じりけのない水だけを飲み、日陰に座っていつも物思いにふけっていた。かれが寺院の外に出るのは日暮れて涼しくなってからだけで、それはたいていの村人たちと同じだった。
 僕とかれがどんな話をしたのか、ここに書くことは難しい。僕らはどちらも互いの言葉についてわずかしか知らなかったのだし、だからといって複雑な話ができなかったわけではない。むしろ、誰も信じなくても、僕とかれはおそらく他の誰にもできなかったほど深くそれぞれの過去や思いや、引きずってきた多くの物事について話し合ったのだ。
 だがどんなふうに書けばいいのだろう。かれは言葉よりわずかな身振りやかすかな表情の変化で豊かに多くを語ったし、それについては僕も同じだ。そのようにして受け渡したことは、言葉になるのだろうか? できるだけ平易に語ろう。それでもうまくはいかないかもしれないが。
「アナタ イツカ イク」
 かれが言ったことがある。惜しむわけでもなく、ただぽつりと。



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- 2006年09月01日(金)



 「かれ」について、なにが言えるだろう。多分、こんなことは、異邦人の僕などの言うことではない。それでも僕にしか言えないことでもあると思うから、僕はここに書いてみようと思う。かれについて。
 かれ、シヴァスワミー。その名前が正式なものなのかどうか、ここにいる人間は誰も知らない。名前も、生い立ちも、素性も。かれにまつわるすべてがぼかされ、霧のむこうに見るようだ。それをたくらみ、そうしたものを消し去るために手を汚したはずの者たちでさえ、今はもうなにひとつ覚えていない。僕はここにいる者たちとは異なり、迷信にも信仰にも縛られないが、それでもそこになにか見えない力が働いたのではないかと思いたくもなる。
 僕はずいぶんと先走ってしまったようだ。まずここについて話をしよう。ここはインドと呼ばれる国の高地にある、山々に囲まれた狭い土地だ。米と麦のとれる豊かな土地だが、どこを向いても山が壁のように立って視界を閉ざし、風があまり吹かない。年中こもっているむせるような熱気のせいか、年寄りたちには奇妙な風土病がはびこっている。西洋風の医者は一人もおらず、呪医が幅をきかせている。昔は小さな藩国として独立していたそうで、王族の男たちの前では誰もが地面に額をすりつける昔ながらの礼をとる。常駐する役人は1人もいない。信仰の中心は高台の寺院で、幾重にも壁に囲まれ鈍い灰色の塔の上には古い神々がうずくまる。かれはそこにいる。
 かれ、シヴァスワミー。年はよくわからない。それほど年配ではないだろう。もしかしたら三十にもなっていないのかもしれない。若々しく端正な顔の中には黒い両目があり、やや肉厚の唇は天平の仏のような微笑を常にたたえている。声音は深く低く、柔らかで、聞くものの心を得る涼やかな強さを持っている。それ以外にいえることは一つだ。かれはひとを食う。
 かれはひとを食う。文字通りの意味だ。かれはひとだけを食う。この土地で人が死ねば、すべて寺院に運び込まれ、かれが食う。だからこの土地にはどこにも墓がない。貴賎に関わらずかれは死人を食い、人々は死者の記念に寺院を訪れては、かれをなつかしく礼拝する。かれはすべての死者だ。
 またもや僕は先走ったようだ。かれについてもう少し、話しておくべきことがある。かれは神だ。ここやチベットで多く信仰される輪廻する神の一人として幼いころに寺院に連れてこられ、育った。誰がかれの生みの親であるのか、家族であるのかは誰にとってもどうでもいいことだ。かれはこの土地のすべての人間にとってただシヴァスワミーであり死者を食う神であって、ほかの何でもないからだ。かれに食われることによって死者は罪業を脱し、涅槃に入るとされているから、誰もがそれより以上は立ち入らない。
 さて、僕とかれについて話をしよう。僕についてはただ、日本という極東の国から用事もなくこの国を訪れた旅客であるという以上の説明は不要だろう。僕はヨルダンのほとりでかれに会った。なぜかれがあの雑踏の町にいたのかは知らない。死者が火に葬られる川べりの土手で、彼は巡礼者の白い布を体に巻いて立っていた。時刻は夕暮れで、かれの額には暮れかかった太陽の、金色の輝きがゆらゆらと落ちていた。僕は川べりから階段を上がりながら、いまなお解明されないかれのあの微笑に視線を吸い寄せられた。
「……」
 かれの言葉がどういう意味だったのか。僕はあいまいに頷いた。
「……?」
 明らかに問いかけと響くことばが落ちていた。僕はまた頷いた。するとかれも小さく頷いて手招き、そこに待っていた古い車にぼくらは乗った。車はがたごとと一晩かけて走り続け、夜明けの光がとどくとそこは寺院だった。あまり厳しく聞かずにいてほしい。僕はありのままを述べている。意味はある。つまりかれはそうした種類の存在なのだ。問うことも説明を引き出すこともできない。ついて行くか、行かないかのどちらかしかないのだ。
 僕はこの小さな土地にもう三ヶ月近くとどまった。日本ならば季節も移るだろうが、ここではただの暑さと猛烈な暑さの二種類があるだけだ。かれは僕から日本語を学び、僕はかれからこの土地の言葉を学んで、いまでは片言で話ができる。とはいえ何も話さないことのほうが多い。話すのはこの土地の自然や気候といったことばかりだ。話さねばならないことは、稼ぎも食べもしないかれにとっては少ない。またただの旅客である僕にとっても。


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